この世界は、始まりのときより闇と共にある。
宇宙を満たすは、果てなき無明の秘奥。
闇には未知が潜んでいる。
誰も知らず、誰も理解できず、誰も全貌を把握することの出来ぬ闇の力が。
それはきっと、世界が終わりを迎えるまで変わることの無い不文律であろう。
ゆえに、本当の名など無い。
ハデス、ヘル、アンリ・マユ、エレシュキガル、伊邪那美、黒き神、カオス、無貌……
異名こそ数あれど、どれも好き勝手に名付けられたものでDという名も名無しでは不都合だから便宜上名乗っているに過ぎない。
ゆえに我は闇。
ゆえに私は混沌。
ゆえにDとは未知たる死そのものである。
宇宙を構成する過半数は闇であり、那由多や不可思議よりも重ねた年月が、闇の神髄である。
そして貴様ら、闇は悪だの穢れだの忌まわしいと語るのでしょう?
ならば私もそうしよう。
闇の何たるかを知らぬ者には、冥府魔道にて踊り狂うだけで充分でしょうに。
──ならばこそ、最狂最悪の邪神に
闇とは、光在らねば闇たりえぬのだから。
そう、それこそが──
継ぎ目のない黒曜石のような床面と、果てのない闇の宇宙。
システム中枢から、空間と次元を何層も突破して辿り着いた深奥の領域。
その闇の特異点の中央に、些か不釣り合いな化学繊維と合皮の現代製品であるゲーミングチェアに腰掛け、玉座から見下ろす王のように坐すD。
妖しく怖気すら走る、人外の美貌。
その彼女が一点を見詰めながら小気味良く拍手をし、来訪者を迎えた。
「ようこそ、深淵へ」
こつこつと二人分の足音が空寂に響く。
一つはしっかりと地を踏み締める硬いブーツの音、もう一つは重さを感じさせない軽い音。
共に無言で、けれど揺るぎなき何かを充溢した強い眼差しが、歪な玉座に座る冥王を見据えた。
「お待ちしていましたよ。
森羅万象全ての盤面を嘲りながら眺めていた、邪神の昏き双眸が白織と翠星を目に映した。
──芝居がかった仕草で口角を吊り上げ、大仰に両腕を広げるD。
三日月に歪んだ嗤いが印象深く、私たちを迎え入れた。
それは本来笑顔が持つべき友好や親愛の表明とはかけ離れた、侮蔑や嘲弄を示す傲慢な顔。
最悪の邪神らしい、闇色の笑みが浮かんでいた。
「まずは感謝を、とても満足できました。
転生者による変革と活性化、引き起こされた数々の出来事、星を蝕む癌の打破、そして大厄災。どれも素晴らしい演目をあなた達と彼らは演じてくれました」
思わず面食らうほど、述べられる賛辞は心の底から素直な称賛を贈っているように見える。
どれほど評価しているのか、それを示すため今すぐ抱きしめたいと、歓喜の渦に打ち震えながら陶酔し喝采していた。
「そうかい」
「舞台装置にされたことに言いたいことはあるけれど……今は余計な文句を言うつもりは無いよ」
「続けろ──言いたいことがあるのだろう?」
射抜く視線にDは肩を竦めて、せっかちですねと戯ける。
なんとも嫌な感覚だが、あいつの思っていることが分かってしまう。
それはこの闇の特異点の性質であるからなのか、それとも空間跳躍するが如く神としての位階を駆け昇り、上位の階梯へと触れたからなのか。
もしくは──私があいつの、根源を同じくする身代わりだったからなのか。
遂に此処まで辿り着いた私たちと語らいたいと、迸る喜悦が瀑布のように
物語の終わりには挑戦者と黒幕との問答があって然るべきだろうと、無言で示していた。
「──とりあえずは、あの星に手を出すことはしないと約束しましょう。
これ以上私がでしゃばって場を引っ掻き回しても、折角の煌めきに泥を塗るような行為です。
それを一つ目の褒美として贈ります。
予定としては、この特等席から見ているだけでしたが折角来たのです。このまま何もせずというのは不義理にあたるでしょう。次の褒美として何を望みますか?」
ならば改めて問おう──
「訊きたいことがある」
「なんでしょうか?」
「お前の目的……願いとは何だ」
娯楽だと、前に言ったな。
争っているのを見るのが好きなのか? 絶望している様を見るのが好きなのか?
愚かしく藻掻いて必死に血を流して、それを大上段から嘲笑うのが好きだと言うのか?
あらゆる虚飾を取り払い、本音の部分を晒せ。
「私の願いですか? それは娯楽目的というほか何もありません。ですが敢えて言うならば……」
一瞬、言葉を探しあぐねている様子だったが、一つ間をおいて
Dにとっての世界とは何かを。
「退屈が神を殺す。ならば神を慰撫してくれるのは、人が魅せる輝きに他なりません。
ですが闇そのものである私に、人の規格で廻る世界は狭すぎる。
態々若葉姫色という外装を被り能力の大半を制限してなお、私には世界は小さく映ってしまう。
あなた達も、少しは思ったはずです──生きる世界が違うと。
当然です。人が鳥や魚の気持ちを理解できないように、単独で宇宙と次元の狭間を行き来できる神の見え方など、そもそも視点が大きく異なります。
星は寝床兼食事。環境や住む生き物など、寝心地の違いや彩りを加える副菜でしかありません」
……暴論ではあるが、否定は出来まい。
私としても、惑星間での転移すら当然のように出来るようになってから、今まで見えてた世界がなんて小さかったのだろうと思ったことは一度や二度ではない。
コケちゃん自身もいつの日か、魂に理解を深めていくにつれ世界に寄り添う魂魄の世界が見えるようになってきたと言っていた。
いわゆる輪廻の環とか霊界冥界精神界などと呼ばれる、根源たる生命の坩堝。イノチの海。
そんなものを知覚している私たちは、普通の生物とは確かにズレてはいるんだろう。
だが──人の感性を宿してから至った私たちとは違い、
「そうですね……目の前に蟻の巣が入ったケースがあるとしましょう。愛らしくて愚かな、矮小で未熟な生き物の住む脆い箱庭です。
知恵も足りず、力も弱く、精神すら不完全で、自然を出来損ないの鋼で蹂躙し、飽きもせず同族で殺し合うような……そんな
それ以外には何も無い。娯楽にも時間潰しにも使える物は何も無いんです。そして空腹も眠気も死すら無い。ならどうしますか?
──その
垂れ流される嘲弄の悪意は止まらない。
絶対者の思考は、弱者を斟酌せずに傲岸不遜に展開される。
数多の嘆きと絶望に涙しても、力が足りなければ決して神には逆らえないとでも言うように。
「素手で掻き回せば一瞬で駄目になると理解している以上、髪の毛先で突付くのが干渉出来る最大限度となりますね。
時折、力加減を誤って壊したりしてしまう弄くり回しの過程の中にて、一部の蟻は思いもよらぬ行動で、私を楽しませてくれる事があります。それの何と心躍ることか──」
期待しているような、嘆いているかのような。
上機嫌な言葉にありったけの嘲罵と皮肉を乗せ、最悪の祝福を喉の奥で転がす。
その蟻こそが、私たちか。
あの星という箱庭で足掻く、蟻の一匹でしかなかったと。
分かっていたさ、それは別に良い。
けれど──薄笑うDの姿が、自分自身さえも呪っているかのように見えて。
とても儚くて、空虚で、哭いているようだと、そう思えてしまう。
「──もう、理解も及んだでしょう?
故に眺めて、遊び倒したいのです。
勇気に、決意に、不屈の意思……根が悪意でも構いません、ようは輝きの絶対値です。
それらを慈しみ、尊ぶからこそ舞台を作り上げ、発揮できる機会を用意しよう。
私という死せる暗闇を晴らさんとする、生命が放つ最高の輝きこそが、私を退屈という死病から癒やしてくれる。
そして欲しているのです。私の遊びに抗いきるような、激烈たる閃光を放つ存在を。
そのためなら私は最低最悪の邪神として、嘲りと共に人々に世界に試練を与えましょう」
先程感じた気配は鳴りを潜め、再び嘲弄と喜悦を身に纏うD。
何度でも眺め、飽きもせずひたすらに。
それが全てだと、Dは闇の中で瞳を爛々とさせながらニタリと笑んで嘯いた。
「──最高の
あぁ……そうか、なるほど。
Dが常々暇つぶしだと言い、願っていたのはこういう事か。
こいつはただ無差別に悪意を振りまきたい訳じゃない。
本当は、とてもとても愛している。
世界も、人の世も、全てを包み込むほど莫大な期待を掛けている。
自分を救ってくれるナニカを、常軌を逸するほどに求めて焦がれている。
諦観と期待、妄執と熱情、愚弄と親愛、絶望と希望──矛盾併せ持つ混沌の精神。
その歪んだ発露がこれであり、ゆえに邪神か。
──いいとも、魅せてやるよ。
──魅せつけてやろう、白ちゃん。
「そして最後は、こうするのが一番でしょうから──」
くぐもった笑みを喉で震わせながら立ち上がり、踵で軽く蹴ったゲーミングチェアが何処かへと消え失せた。
この瞬間を長年待ち焦がれていたというように、迸る歓喜が凄絶な笑みを形作る。
「ふふふ……さぁっ!! 本当の本当に最終決戦です!
あなた達の勝利条件は私を満足させてみせること。敗北条件はツマラナイ真似をした瞬間です」
両腕を広げ、喝采し、冥王神は高らかに哄笑する。
だからもっとだ──煌めきを魅せてくれ。
此処まで辿り着いた存在を、自らの目に直接焼き付けたいのだと。
「最後の敵は此処にいます! この世界を仕組んだ邪神は新たな神によって討たれ新世界の幕開けを彩るのか、それとも邪神に挑んだ二人は道半ばで屈してしまうのかッ!!」
空間が震え、膨張していく特異点。
主であるD、そして白織と翠星が共鳴し合いながら、己が世界を塗り拡げていく。
虚無の果てまで終わりなき世界へと変貌し、神格同士の闘争に相応しい戦場を作り上げる。
「無欠の正当性を与えたぞ? 立ち向かうべき目標を与えたぞ? ならば、来いッ!!
討つべき闇は此処にあるのです! 光を携え煌めきを具象してみせろ!」
揺蕩う闇を閉じ込めたような瞳。
昏く、深く、底が知れない三日月の如く裂けた邪悪な微笑が浮かびあがる。
「闇黒の遊技盤を越えた先に、煌めく光を創成せよ。無限の宇宙の最果てに、無窮たる火を灯せ。誰も知らぬ冥界に、
あぁ……このときが来るのを待ち焦がれていた。
長きにわたる遊びと試行のなかで、神格まで至れたのはごく僅か。
それさえも、闇に怯え平服するか、抗おうとして力及ばすに潰えるかの二択。
深淵まで辿り着いたのは、誰もいない。
だからこそ。
「さあ唱え、訴えろ。激情を融解させ、叛逆の祈りを紡ぐのだ、白蜘蛛よ。
祝福とその愛で、暗闇の世界を癒やすのだ、翠の乙女よ。
全ては、■■■■を再誕させんが為に──」
清廉な祝詞を奏上するかの如く、敬虔な信徒のようにDは厳かに呟く。
しかし一転、気配も何もかもが反転して歪み──
「──私を楽しませて下さいね。白織、翠星」
来る、来る──闇が溢れる。
澱む暗黒を吐き出すように 沈殿した畏れが特異点に充溢を開始した。
「それでは──、あなた達の
誰もにも理解不能な己が法則を構築する独自言語から、敢えて翻訳して詠唱を紡ぎ出す。
その真意は何故なのかは分からぬが──
籠められた想いは宇宙規模に絶大で、只人には一滴で即死するに足る猛毒に他ならなかった。
では今こそ、闇黒の遊技盤を廻そう。
天よ翳ろ──闇のように死のように、遍く
「 古の戦いにより、世界には三つの支配者が降誕する。
地を支配する我は、黒冥の果てへと堕とされ
告げるは、覇者の宣誓。
原初にして深淵の玉座に坐りつつ、それゆえに
「 あらゆる死者は我が世界にあり、あらゆる魂魄は我が物である。
我が手にあるは、あらゆる生命の運命なれば。おぉ、我こそは最狂最悪の冥王神。 」
それは、闇の底たる誰も知らぬ深淵の法則。
煌めく光への渇望が、それをより引き立てるための闇となって空間に充溢していく。
諧謔と邪悪、それらを滲ませて──嘲笑する冥王は血と絶望を塗り固めた盤面の支配者となる。
「 悲鳴を上げろ、嘆きを謳え。
繰り返される怨嗟の声を聞かせておくれ。
悲しきかな冷たき我が身は、死者の血涙こそが渇きを満たす。
巡りめく激烈たる混沌の煌めきこそが、我が
世界を蝕み轟く絶望讃歌を味あわせてくれ。
殺意の奔流が、犠牲者の慟哭が
世界を歪め広がる英雄讃歌を謳わせてくれ。
決意の誓いが、勇者の咆哮が
まだだ、許さぬ──もっと輝け。
私はまだ満足していない。
「 ならば踊れよ、名も無き道化──我が素晴らしき、白紙の身代わり。
闇とは、いと罪深き邪悪そのものなり。刈り入れろ
だからこそ、この展開に狂喜する。
永き遊戯と倦怠の果て、ようやく冥界を照らせる太陽が現れた。
己の切れ端──それが此処まで成長し超越者に至ったことを、虚偽も
ゆえに己は闇を纏って、待ち受けるのみ。
指揮棒替わりの細剣を手に、冥王は世界の理を未知に堕とす。
「 ──未知たる冥界は此処にあり。 」
ならばこれは、光を呑みこむ暗黒天体よりも恐ろしいモノ。
事象の彼方は誰も知らず、観測できず、理解できない。
そう、
「
顕現する、原初の闇黒。
未知という最果て。
「まったく、面倒な奴ったらありゃしないな」
「そうだね。でもだからこそ──伝えないと」
「分かっているよ」
身体中を撫でる暗闇を白光で弾き飛ばして、辟易しながら二人で顔を見合わす。
あぁまったく、残念な神様だこと。
タチが悪くて見てられん。
だから──
「いこう、白ちゃん」
「当然だともッ!」
刹那──光と闇の星々は、激突する。
亜光速に届かんとする領域で、最果ての特異点に瞬く軌跡を描きだし。
白織と翠星、邪神D──三つの超神星が最後の決戦を開始した。
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