『あんたらのせいでッ!』
『出ていけ! ここは俺たちの街だッ!』
僕たちを責める、卑劣な手段で街を焼かれた人々の顔が浮かぶ。
『ひ、ひいぃぃっッ!?』
『に、逃げッ……ギャァァ!?』
目の前で、僕よりも大きく鎧も着ていた兵士や騎士たちが嘘みたいに吹き飛ばされ、大半が見るに堪えない姿に変わっていく。
その地獄のような光景の中心には、無機質な印象を与える白い蜘蛛と、綺麗だけど妖しく輝いて怖気が走る深緑の蛾の姿。
震える身体を抑えつけて、剣を構える。
そして……
『……これが、私の信じた、正義だから』
『ごめんね……』
全身の筋肉が勝手に収縮して、雷魔法を受けた時のように跳ね起きる。
視界に映る見覚えのある部屋の内装を見て、僕は大きく息を吐いた。
夢、だったか……
安堵の息をつくのと同時に、部屋に置かれた机の上にある僕の剣とマフラー、そして鮮やかな翠の翅が瞳に映った。
窓から差す陽光に照らされた、それを見つめる……
僕はベッドから起き上がると側の靴に足を入れ、机の側に向かい両手を広げた幅ほどもある翅をそっと撫でる。
正義って、何なのだろう……
僕は戦場での凄惨な悪夢と、暮らしている街を壊されて亡霊のような顔を浮かべる人々を見て、正義とは何か考えるようになった。
最初は、何も考えず勧められるまま今回の戦争に参加しただけだった。
まだ子供だけれど、僕は勇者に選ばれた。
僕は実力的にもまだまだだけど、周囲の人たちは早いうちに戦場の空気を体感したほうがいい、勝ち戦だから危険は少ないので丁度いいと、誰もが口を揃えて言った。
そうして参加した戦争で、僕は彼女?に出会い、そして地獄を見た。
実際に経験した戦場は、あんなにも命が軽くて簡単に人が死ぬんだと、思い知らされた。
僕の母上は弟であるシュレインを産んでから体調を崩され、亡くなってしまった。
とても悲しくて、喪失感が僕の心を埋め尽くした。
だからこそ、誰かが死ぬということの重さを良く知っていた。
なのに、あの戦場では死が溢れていた。
怖かった。
逃げ出したかった。
だけど、僕は立ち向かった。
だって勇者だから。
無我夢中で走り悪夢の前に飛び出したけど、何も出来なかったと思う。
その時は使命感と恐怖で板挟みになり、自分が何をしているのかよくわかってなかったから。
恐怖で白く焼け付いた記憶では、この後大魔法が撃ち込まれたらしい。
僕が飛び出したことで、時間が稼げたって。
だけどそれは僕をも巻き込む範囲と威力を持っていたはずで、僕は迫りくる死の雨に呆然として避けることなんて出来るはずも無かった筈だ。
死神が降りて来るのを見ているだけだった僕を救ってくれたのは、戦場に立つ前の道中で出会い不安に押し潰されそうだった僕の背を押してくれた、けど地獄を作った元凶でもある魔蛾だった。
彼女……念話の声色から彼女と判断するけど、その蛾の魔物である彼女に掴まれて大魔法の範囲から連れ出されたような気がする。
疑問形なのは、掴まれ宙に浮くと同時に急激な負荷が身体に掛かったところで、記憶が途切れているからだ。
そのあと戦場の片隅で目を覚ました僕は、不思議と全く痛みが無い身体で大地を歩き生き残った人たちと合流すると、手荒い歓迎で生存を祝われそして色んな人から褒められた。
さすが勇者だ。
あなたのおかげで悪夢と亡霊は滅びた、と。
何もしてない。
僕は何も出来なかった。
そう言いたかったけど、僕は口を開くことは無かった。
だって彼らの目には怯えが見えたから。
空元気だとしても偽りだとしても、あの魔物たちが死んだと危険は去ったと、そう思わなければ壊れてしまうと感じたから。
本当は戦いが始まる前彼女に貰った翅が帰還したときに見つかり、それは大魔法で弱った魔蛾を僕が止めを刺して戦利品として持ち帰ったのだと、そう誤解されてしまった。
違うと言える雰囲気では無かった。
否定したけれど、ご謙遜をと、勇者様は謙虚であると、まともに取り合ってくれず無理を通せば熱狂が恐怖に変わりその矛先が僕に向かっていただろう。
戦場では何も出来ていなかった、なら他は?
僕は窓の外を見た。
そこには破壊された街の壁と崩壊した建物の数々が映っていた。
この光景を作り出した、そうなった原因の一端を僕は知らずに担っていた。
この街を襲った軍は、僕が味方していた軍ということになる。
部隊が違うから、所属が違うから、国が違うからと目を逸らしても現実として街は襲われ、そこに暮らす人々の生活を奪った事実は変わらない。
そして僕が立ち向かった魔物のうち、悪夢はこの街を守るために戦っていたという。
誰かを殺すことは悪いこと。
誰かを守るのは良いこと。
なら、正しかったのはどっちだったんだろう。
マフラーの装飾として新たに縫い付けられた翅を眺めると、僕は装備を着込んで腰に剣を吊るし首に白と翠のそれを巻き付けると、部屋を後にした。
片方のマフラーの端に根本を結び繋ぎ合わせた翅は、フワリと僕の背で揺らめいていた。
破壊され最低限の補修がされた門を潜る。
僕は日課となった街に害になりそうな魔物の討伐を終え、街に帰還していた。
とある一件で出会ったオーレルという帝国人の少女に、僕は被害者であるこの街の人たちに何をしてあげられるのか呟いたところ、「魔物でも狩ればいいんじゃないっすか?」と彼女に言われ、その理由を聞き目からウロコが落ちる思いだった。
魔物によって傷ついた壁を壊されるかもしれないと、恐怖に怯える住人の不安を取り除く。
それは勇者というより冒険者の仕事みたいだと彼女は言うが、僕はそういうあり方も勇者として正しい行いだと感じた。
困っている人の助けになる。
誰かのために、手を差し伸べる。
魔物にも言い分はあるのかもしれない。
だけど、だからといって今にも襲いかかろうとしている相手を前に何もしないのも、それは違うのだと感じていた。
誰かを傷つけるものから、無辜の人々を守る。
母上。
僕は、正しい勇者の姿をしていますか?
母上の言う通り、立派な勇者様でいられていますか?
正しくある。
その答えは、今も見つかりません。
「おいっすー、勇者様。お疲れっす」
憶えのある独特な口調の声が聞こえた。
「やあ、オーレル」
さっきの話に出てきた僕と同年代の少女は、周囲の帝国兵の隙間を軽やかに抜けてくると、僕に持っていた果物を差し出してきた。
「お疲れの勇者様に、アタシが特別に施しをやるっすよー」
やる気や敬意が感じられない砕けに砕けた口調だけど、僕はこの少女が確かな優しさを持っていることを知っていた。
その証拠に、周りの帝国の人たちの手にはその果物が握られていて、オーレルが壁の修復に当たっていた彼らに差し入れを持ってきていたことが見て取れるから。
「ありがとう、受け取るよ」
僕はその厚意を受け取り、口に含んだ。
美味しい果実だ。
「この街には果物が多いんだね」
「ああー。なんか神獣様とかいうのが果物好きで、新しい事業として栽培を始めたところがあったらしいっすよ? で、今がその収穫期第一弾なんだとか」
思わず口に含んだ果物を吹き出しそうになる。
強い自制心と顎に力を入れて堪えたが、一歩間違えば目の前にいるオーレルを果肉と果汁濡れにするところだった。
神獣様とは、あの蜘蛛の魔物のことだ。
それが果物を好んでいたって?
魔物にも会話出来るような存在だっている。
それは神話にも語られているし、真実だと証明もされている。
なにより、少し前に実体験としての経験もある。
だからこそ、その神獣様こと迷宮の悪夢も高い知能を持っていてもおかしくない訳で、好き嫌いがあるのも想像が難しいけれど理解出来なくもない。
だけど、あんなに恐ろしい魔物が果物好きというのは、ちょっとギャップが大きすぎた。
噎せそうになりながら口の中身を飲み込むと、駆け寄ってくる男性の姿を見つけた。
「勇者様! こんなところにいらっしゃったんですか!?」
そう叫ぶ彼は、服装から見て神言教の兵士だと理解した。
「困りますよ、今日は出立式だって説明していたじゃあありませんか」
兵士の彼が困り顔で言う。
それは僕も聞かされていて、出席するように言われていたけど……
「僕も言ったはずだよ。それには出席しないし、今後の進軍にもついて行かないって」
キッパリと断る。
もう決めていたことだ、僕はこれ以上この戦争について行く気は無い。
僕では止めることは出来ない、けど加担することもしない。
この街に残り、復興を手伝っていこうと思う。
それが、大人や周りに振り回されず、僕自身が考えて選んだ選択だった。
説得しようと頑張る彼の姿に少し申し訳なく感じるけれど、自分の意見を変える気は一切無い。
決して折れることは無いんだと、再度言葉にしようとした時、遠くから尋常では無い怒号と悲鳴が聞こえた。
弾かれたように飛び出して街の通りを駆け抜けると、辿り着いたのは門にほど近い出立式の会場だった。
慌ただしく混乱の最中に飛び込んだ僕は、地位の高そうな兵士に声を掛けた。
「何があったんですか!?」
「勇者様!?」
僕に気づいた兵士が悲鳴のように叫ぶ。
「悪夢です! 悪夢の大群が攻めてきたんです!」
悪夢……? それも大群だって?
その名前に無意識に震える。
そして大群という意味を、すぐ理解した。
門の向こうに映った景色は、大地を埋め尽くすほどの白い蜘蛛の大群が津波のように押し寄せてくる光景だったからだ。
呆然とする僕の耳に、怒号が響き渡った。
「門を閉めろ!」
「遠距離攻撃が出来るものは街壁を登れ!」
「ここは危険です。勇者様はすぐに街中に退避を!」
最後の言葉を聞いた時、反射的に振り返り叫んだ。
「僕も戦います!」
そこにはオーレルとよく一緒にいた帝国のティーバ騎士がいて、彼は僕の肩を掴み引き止める。
「なりません! あなたはまだ幼い。こんなところで死んではなりません」
その言葉と瞳に灯った覚悟に、理解した。
この人も前の戦場を経験して恐ろしさを知りながら、それでもなお勝ち目が無いと理解して悪夢に立ち向かおうとしているのだと。
「それでも! 僕は戦います!」
よくわからないけれど、あれは止めなきゃならないと直感していた。
あれは、この街を守っていた悪夢とは違う。
あれは、この街に災厄をもたらす悪夢だと、なぜだか理解した。
手を振り払って、壁の上に登る。
見下ろした光景は、あまりにも絶望的だった。
もう既に壁の近くまで蜘蛛の大群が迫っている。
兵士たちが弓や魔法で攻撃を加えているけれど、万を越えるような物量を前にしては焼け石に水だった。
苦労して1匹を倒しても、その穴が地平線まで埋め尽くすほどの数によって埋められてしまう。
恐怖が湧き起こる。
けど逃げる訳にはいかなかった。
僕の背後には、この街の人が、そしてあの独特な口調の少女が、守るべき人がいるのだから。
その想いを胸に立ち向かうが戦況は絶望的で、また1人また1人と蜘蛛たちに飲まれていく。
悲鳴や断末魔がいたるところから聞こえる。
それを気にする暇もなく、僕のところにも蜘蛛たちが押し寄せる。
「ああああぁぁッッ!!」
口から出るのは、鼓舞か悲鳴か。
僕はただ、無我夢中で剣を振り回すしかなかった。
飛びかかってきた蜘蛛の目を切り裂く。
噛みつこうとした毒液が滴る顎に剣を突き刺し、そのまま振り抜いて口から引き抜く。
飛んできた糸を回避し、出来無さそうな時は魔法をぶつけて軌道を逸らす。
休む暇など無い。
一瞬でも気を抜いたら、死が待っている。
もはや反射で動き、鉛のような腕と脚を酷使して蜘蛛を切り払う。
また1つ、切り抜けた。
腕に力が入らない。
また1つ、切り抜けた。
膝が笑う。
また1つ、切り抜けた。
握りしめた手の感覚が無い。
また1つ、切り抜けた。
足首を痛めて激痛が走る。
一体、いつまで……
終わりなき戦いに、意識が霞む。
運がいいのか偶然か、思ったより負傷は少なく軽い傷はいつのまにか癒えて無茶しても動ける。
けれど生命力は残っていても、身体を動かすための体力が既に限界だった。
不意に膝が折れる。
姿勢を崩し明確な隙を見せる僕に、複数の蜘蛛たちが襲いかかる。
1匹は対処できても、その間に別の方向から攻撃されて終わる。
こんなところでっ……
迫る蜘蛛を前にしても、僕が思うのは死の恐怖ではなく何も出来ないことへの無念さだった。
どうか……、少しでも逃げることが出来た人がいますように。
祈りつつ最後の一太刀を浴びせようと剣を構えると、突然横合いから無数の炎が降り注ぎ兵士を避けて蜘蛛のみを焼き尽くしていった。
燃え上がる蜘蛛たちを見て、勢いを取り戻した兵士たちが押し返していく。
僕はその光景に一瞬だけ呆然としてしまい、その隙を突かれ襲ってきた蜘蛛の対処に遅れる。
慌てて反応するも、牙はすぐ目の前に迫っていた。
間に合わないッ。
ゆっくり見える景色の中、牙が首に届く寸前で火球が目の前を通り過ぎた。
肌が焼ける熱量を一瞬感じると、近くに蜘蛛の姿は無かった。
「よう頑張ったのう。あとは儂に任せよ」
乾燥した眼球が捕らえたのは、初老に差し掛かるような見た目ながらも、内側に溢れんばかりの活力を漲らせたような力強い目をした人だった。
そして限界を越えていた身体が膝を突き、力が抜けていく。
視界が霞んで暗くなっていく。
それに抗うものの、意識はドンドン落ちていく。
その狭間に、僕はこの人に想いを託した。
どうか、後を、お願いします……
そして僕は、果てなき深淵へと意識が落ちていくのを感じたのだった。
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