【完結】コケダマですが、なにか?   作:あまみずき

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35 向き合う想い、向き合う自分自身

 水底のような晦冥を落ちていく。

 

 空と呼べる方向には無数の光があり、それはまるで満天の星が瞬く夜空のよう。

 揺蕩う光は緩やかに光量を変え、様々な色合いを見せている。

 

 沈み込もうとしている深淵には目を凝らしてよく見ると泡のようなものが浮かんでいて、一部が砕けた泡と無数の色彩を見せる水沫が、墨汁のような闇の中で宝石のように煌めいていた。

 

 深海のような世界を潜り続ける少女は、微睡む意識から抜け出し瞼を開いていく。

 

 ……ここは? 

 

 果てすら見えない世界で周囲を認識した私は、ここが精神世界の中でも一層深い領域である事をぼんやりと感じ取り今もなお何かに誘わるようにして、重苦しく押し潰され縛り付けられるような魂の最深部へと引きずり込まれていた。

 

 そして泡沫が浮かんでは消えていく領域まで沈み込むと、泡の中に映った世界に目を見開いた。

 

 白雪が覆う峰々を朝日が照らし、光の加減で青みがかった茜色とラベンダーのような青紫で塗り潰された大自然のキャンバスがあった。

 

 何処までも続く緩やかな丘陵と背丈の低い緑に覆われた草原に吹き抜けた風が、波の曲線を描き頬を撫でては空へと消えていった地平線があった。

 

 白い石を無数に組み上げて作られた街並みと、入り組んで迷路のようになっている細く狭い路地を歩く人々の姿があった。

 

 荒涼とした生命の感じられない岩肌と、太陽を覆い隠すような黒き鋼と無数の暴威の影が終末を齎そうとしている景色があった。

 

 復興半ばで破壊と略奪の傷跡が痛々しく残る街に、白い怪物が全てを喰らい尽くす災禍のように押し寄せる動乱があった。

 

 大地が捲くり上がり乾いた枯れ草と土埃が舞う戦場と、生命を散らしながら刃と刃をぶつけ合う兵士らを見下ろす視点があった。

 

 太陽の光が差し込むことはない地の底で、無数の蜘蛛に襲われ慌てふためきながら迎え撃つ状況があった。

 

 翼のない龍らを死闘の果てに打ち倒し、離れ離れになっていたこの世界の家族と再会して想いと心を交わす情景があった。

 

 小さな蜘蛛と二人三脚で苦難と試練を乗り越えていき、熱波が沸き立ち灼熱の溶岩が流れ続ける火口の底のような大空洞があった。

 

 暗黒の世界から仕切る壁を割り開いて緑の中から這い出し、この世界へと産まれ落ちた光景があった。

 

 そして突然真下に発生した泡に触れると——

 

 

 

 

 不意に視界が切り替わる。

 

 穏やかで平和な陽射し、少し濁っているようなちょっと重たい空気、自動車のエンジンが重低音の唸りを上げ、街を歩く人々の雑踏が聞こえる。

 

 カツカツと音が聞こえてそっちに目を向けると、岡ちゃんが黒板に古文の解説を書き連ねているところで、それを真面目に見ている人は周囲を見渡しても少なかった。

 目線を下げると1人用の机の上にノートと教科書が広げられていて、右手には淡い色合いをした細いシャーペンが握られていた。

 

「……え?」

 

 思わず声が出る。

 だけど、それに反応した人はいなくて授業は何事もなく進んでいく。

 

 視界に映る両腕は紺色のブレザーと白いブラウスの袖で包まれていて、胸元に手を伸ばすと指先に触れたリボンタイが小さく揺れるのを感じた。

 

「はいはーい。注目ですよぉー? 教科書37ページ1行目からぁー、そうですねぇー、授業中にスマホ覗いている漆原ちゃんに訳してもらいましょうー」

「うえっ!?」

 

 黒板の方から教室に声が響くと、名前を呼ばれた漆原さんが慌てた様子でスマホを隠そうとしている姿が映った。

 

「他人事では無いですよぉー、夏目くん。漆原ちゃんが答えられなかったら次は夏目くんの番ですからねぇー?」

 

 隣で同じようにスマホを弄っていたらしい夏目くんにも矛先が向かい、教室に控えめな笑い声が広がった。

 

「はいはーい。静粛にぃー。漆原ちゃん答えをどうぞぉー」

 

 結局答えることが出来なかった漆原さんと夏目くんの反応に、再び笑いが起こって弛緩した空気が漂う。

 

「うーんどうしましょぉ……。窓の外ばっかり見てぼぅーとしている苔森ちゃん、ちゃんと聞いていますかぁ? ついでに答えてもらいましょうぉ」

「え? ……えっと、えーと」

 

 手元にある教科書に視線を巡らせるけれど、内容が全くわからない事より並んだ文字に懐かしさを憶えてしまい、何故だか知らないけれど涙が滲んだ。

 

「……えっ、苔森ちゃん!? どうかしましたかっ!? 何処か体調でも悪いのですかっ?」

 

 ポタポタと零れ落ちる雫は教科書に染み込んでいき、ページが水分でふやけてデコボコしていくのを、滲んで揺れる視界に映っていた。

 

 騒然とするクラスメイトの忍び声が、耳に入っては通り過ぎて流れていく。

 そして揺れる瞳とまばたきの度に頬を伝う涙に戸惑っている時、教室内に眩い光が溢れた。

 

 

 

 

 オレンジ色の夕日が差し込む住宅地、その中でも比較的新しく高級そうな印象のマンションの外廊下にて、ある一室の扉前に私は立っていた。

 

「あっ……」

 

 ふらりと倒れ込むように数歩進み、玄関ドアに手が触れた。

 ドアに付いている装飾の段差を指でなぞり、表札は空白で何も書かれていないけれど一緒に並んでいる部屋番号を見て、胸が苦しくなり息が詰まる。

 

 肩にはスクールバッグの重さが伸し掛かっていて、そのバッグを開きゴチャゴチャしている中身の中から、小さなキーホルダーが結ばれている鍵を取り出した。

 

 震える手で、それを鍵穴に差し込む。

 軽く手首を回して捻ると、カコンと軽い音が鳴った。

 

 鍵を引き抜きドアノブにそっと手を添えると、ゆっくりと引いていく。

 暖かい空気が隙間から溢れながら扉が開かれると、ドアの向こうには平穏で満たされた部屋が。

 

「あっ、おかえり真理——」

 

 小さな女性は優しく微笑んだ。

 

 

 

 

「お母さぁ……ッ」

 

 伸ばした手の先には、暗闇しか無かった。

 

「うぅ……、っぅぅう、ああぁぁぁぁぁぁぁぁ……」

 

 黒い水面へと膝から崩れ落ちて、泣き叫んだ。

 

 忘れていた。

 気付かなかった。

 思い出せなかった。

 

 どうして今まで忘れていたのだろう。

 私がこの世界にいるということは、向こうに私はいないということに。

 あの部屋に帰ることはもう出来なくて、そこでお母さんは1人になっていることに。

 

 膝をついた水面の揺れが収まり、私の姿を写す。

 その姿は金色の髪と灰色の瞳をしていてローブと三角帽子に身を包んだ少女が、涙で顔をクシャクシャにしながら、こちらを見返していた。

 

 これが、今の私……

 

 日本人離れした髪の色、少し異質な瞳の模様、綺麗すぎて作り物めいて見える肌の質感。

 人形じみたズレや歪みのない顔が溢れる涙に濡れて、不安そうな表情を浮かべている。

 

 面影はあっても、私はもう苔森真理という日本人じゃない。

 

 ここにいるのは、ただの魔物だ。

 こっちの世界の家族ですら、殺して食べて奪い尽くすような、そんな悪い魔物だ。

 

『そうだよ、あなたは非情で恥知らずな悪い魔物』

 

 突然聞こえた声に目を見開く。

 水面に映る顔が、口元を大きく歪ませてこちらを見ていた。

 

「え?」

 

 瞬間、水面から飛沫を上げて腕が伸び、首元を掴まれた。

 

「ッ!? ……あが、あっ、ぐぅぅ!?」

 

 首筋に細い指が食い込み、一瞬だけ意識がボヤケてしまう。

 そしてそのまま恐ろしい力で投げ飛ばされて、水面に無数の波紋を散らしながら何度もバウンドして転がった。

 

 水音と冷たい感触はするものの一切濡れることのない水から身体を起こして、腕が現れた場所に視線を向ける。

 そこには、モノクロで色味のない影のような私自身が立っていた。

 

 もう1人の私は手からモヤを溢れ出させて旗杖を作り出し、それを正眼に構えると正面から突撃してきた。

 顔面を狙う一撃に首を傾けることで躱して、続く連撃はいつの間にか手に持っていた旗杖で捌いていく。

 

『みんな殺しちゃった、みんな食べちゃった。そうでしょう!?』

 

 もう1人の私が叫ぶ。

 

『許してくれる優しさに甘えて、目を逸らしているだけでしょう!?』

 

 核心を抉る言葉が、私を責め立てる。

 そして旗杖からの攻撃も一層激しくなる。

 

『本当は都合良く丸く収まって、何も問題無かった、ああ良かったって思っているくせにっ!』

「ちがっ! 私は……っ」

 

 罰せられないといけないのに。

 糾弾されないといけないのに。

 

『嘘つき! 逃げてるくせに、向き合おうともしないくせに!』

「そんなこと、ない……っ」

 

 向かい合おうと思った、ちゃんと見ようと思った。

 自分が間違っていたって悟ったから。

 

『そんなこと、いまさら!』

「わかってる!」

 

 私がしたことを罰するのも糾弾するのも、誰もいない。

 それに甘えて全て忘れるのは、とても楽で簡単な事だと言うことも。

 

『なら!』

 

 ガードした旗杖ごと大きく空へ打ち上げられる。

 それを追って、もう1人の私は翅を広げて飛翔してくる。

 

「けど! それに囚われて拒絶し見て見ぬ振りをするのは、もっと間違っている!」

 

 高速で迫る突進から翅を羽撃かせて回避し、空を駆ける。

 暗闇に光の軌跡を2本描きながら、私たちはぶつかり合う。

 

「私は、みんなと向き合わなければ……。みんなの想いを受け入れ、認めなければならないんだ」

 

 そうだ、私は……、彼ら、彼女ら、全員と、真っ直ぐ向き合わないと。

 見下しも傲慢も自惚れも無く、対等に。

 

『そんなの……っ!』

 

 そうだよ、結局は全部私のエゴだったよ。

 

「だからこそ、全ての気持ちも受け入れなきゃ」

 

 私は、もう1人の私からの攻撃を抵抗すること無く受けて、水面へと叩き落される。

 

「くぅ……。彼ら彼女らみんな全員と、もう一度ちゃんと顔を合わせて分かり合うんだ」

 

 身体を起こすけれど、そこから離れること無くただ膝をついて座り込む。

 

『そんなの、どうなってもいいのにっ!!』

「それだけじゃない……」

 

 分かり合うのは、受け入れるのは、それだけじゃない。

 もう1人の私が、旗杖を首元に突きつける。

 

「泣くのも、悲しむのも、怒るのも、苦しむのも全て、全部全部私の心」

 

 確とした眼で、もう1人の私を見上げる。

 忘却していた想いも記憶も感情も、全部私そのもの。

 そこにいたのは、出口の見えない世界に取り残された、泣きじゃくる迷子の私だった。

 

「だから、君も受け入れなくちゃ」

 

 もう1人の私が旗杖を取り零して崩れ落ちる。

 それを優しく受け止めて、言葉を続ける。

 

「一緒に行こう。私たちにだって、まだ、やれることは沢山あるから……」

 

 薄れゆく私を抱きしめて、呟く。

 

おかえり(ただいま)……私」

 

 影が1つに重なった瞬間、暗い世界が眩い星の輝きによって照らされていった。

 

 

 

 

 

 

 城の一室にて、倒れた少女の目を覚まそうと白い少女が手を尽くしている。

 彼女は自らの邪眼によって時を止めていた相手にも助けを求め、必死になって救いの手段を模索していた。

 

 けれど何をどうしても効果がなく、このままずっと目を覚まさないのかという気持ちで胸が一杯になり、その感情についてどうしたらいいのかわからず戸惑いで頭が真っ白になっていた。

 

「コケちゃん……」

「白ちゃん、落ち着いて」

 

 非常に珍しいしおらしい雰囲気の白の様子に、魔王もどう声を掛けるべきか決めあぐねていた。

 ソファに寝かされている少女は、胸が上下することも無く、ただ虚空を見つめている。

 

「ねえ、大丈夫かしら……。戻ってくるわよね?」

「私には……。申し訳ありません、何もわからないとしか」

「いえ、いいのよメラゾフィス。あの2人に任せるしか無いわ」

 

 吸血鬼の主従は、何も出来ないことに歯痒さを憶えつつも、ただ見守っている。

 

 痛いほどの沈黙が訪れた時、死んだように眠る少女から淡い光が溢れ出した。

 

「「「「っ!?」」」」

 

 室内を飛び交う蛍火に視線を奪われた隙に、少女の身体が重力の軛を断ち切り浮かび上がった。

 

 ゆっくりとソファから天へと昇り、身体を半回転させてこちらを見下ろす姿勢となる。

 そして開いたままの虚ろな灰色の瞳が青白く輝きだし、少女の周囲に光の環が無数に顕れた。

 

 手首や足首などに多く密集する光の環は、よく見るとそれが非常に細かい魔術陣が密集して光の帯のように形成されているものだと気付いた。

 

 頭上には巨大な光輪が輪転していて、ギザギザの歯車のような、けどよく見ると6枚の花弁の花をモチーフにしたパーツが無数に組み合わさって、まるで花冠のような造形の光が浮かんでいる。

 

 浮遊している少女の変化はそれだけに留まらず、背中から燐光で描かれた翅が宙に伸びる。

 消えていた風切り羽根のような触覚が、再び顔の横に1つ2つと生えていき最終的には三対六枚の鮮やかな橙色が揺らめいた。

 

 ふと、光の翅が羽撃く。

「《魂よ——》」

 

 花びらのように鱗粉が舞い散り、室内が幻想的な燐光で満たされていく。

 

「ぐぅっ!?」

「メラゾフィス!?」

「だ、大丈夫です、お嬢様。何か不調という訳ではなく急に力が沸き起こって……。少しでも気を抜いてしまうと、溢れて出てくる全能感に酔ってしまいそうです」

 

 燐光を浴びたメラゾフィスが高鳴る心臓と滾る身体を抑え込むために膝をついて蹲る。

 この瞬間、何が起こったのかを正確に理解出来るのは魂を見ることが出来る存在だけで、柔和な青白い光はメラゾフィスの摩耗した魂に浸透すると傷つき弱った部分を修復し、本来在るべき魂の形へと回帰させたのだった。

 

 その光は魂が喰われ混じり合ってしまった魔王にも降り注ぎ、分離することは既に不可能だったけれど魂の融合で歪になっていた継ぎ目と傷跡を馴染ませていき、ギリギリまで張り詰めていた器の容量にもほんの僅かな余裕を与えていった。

 

 やがて燐光は収まって虚空へと消えていき、宙に浮かぶ少女の周りを公転する光の環がゆっくりと縮んで彼女の身体へと沈み込んで溶け合って混ざり合っていく。

 

 頭上の光輪も円環を狭めながら圧縮されていき1つの光になると、少女の左の側頭部に寄り添い白い花弁を6つ持つ花となり、花飾りのように少女の黄金の麦穂のような髪を彩っていた。

 

 そうして全ての光が収まっていくと、少女の身体が重力に引かれて落ちようとする。

 それを慌てて受け止めた白い少女は、彼女が安らかな顔で眠り呼吸をしていることに安堵して、そのまま抱きかかえるように倒れ込んだ。

 

「……はは、心配したんだよ」

「すぅ……、くぅ……」

 

 人騒がせなんだから、もう。

 ほんと、付き合わされる身にもなれって……

 ハハッ……っ、ないわー。

 

 少女の頬に涙が流れ落ちる。

 それは、誰が流した涙だったのだろうか——




取り戻した記憶と力。それを得て何を為す——?


この作品で原作から超強化されているのは、メラゾフィスくんで間違いないでしょう。

文章PC表示に合わせて調整しているのですが

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