極寒の地で、氷が砕ける。
捲れ剥がれた皮膚から血が流れ、氷柱が抉り裂いた肉が生々しい華を晒す。
灼熱煌めかす白刃を片手に、剥がれ落ちた血の華を獄氷に融かし、遺骸の塔を焼け爛れた激情のまま積み上げる。
忠節誓いし主上に足止めと誘導を命じられた氷と冷気を纏いし龍と竜らは不殺という難題を抱えつつも立ち向かうが、ただ目の前に居たという理由だけで狂える剣鬼の
燃え盛る憤怒の炎に魂すら焦がした鬼は、反比例するが如く人間性を凍てつかせて擦り減らし、茫洋とした意識のまま進み続ける。
其の眼に映すは、撃砕すべきものの敵影のみ。
嗅ぎ分けるのは、根絶すべきものの死臭のみ。
鬼哭啾々。
何故戦っているのかも、わからない。
何故歩いているのかも、わからない。
何故、生きているのかすらも、わかりはしない。
屈辱に狂いながら全てを失った小鬼は、その手と口を鮮血で染めて鬼となり、妖刀に命を啜らせ続けた忘我の極みに鬼人へとなり果て、行く宛も帰る場所も無い彷徨うだけの幽鬼となった。
狂える鬼は山脈を荒らしつつ立ち塞がるモノを斬殺しながら少しずつ山を降りていく。
何度、獣を斬っただろう。
何度、竜を斬っただろう。
そして龍すらも何度も斬り捨て、今新たに襲いくる氷龍も刀の錆にすべく地を駆ける。
殺意と激憤を撒き散らして鬼は刀刃を振るい、目の前に居る氷龍を叩き斬らんとする。
押し押せる吹雪、襲いくる氷柱、氷雪交じりし息吹の大奔流。
次々と迫るそれらの攻撃は大自然の脅威を彷彿とさせるものだったが、狂える鬼は刀1本と己が身体のみで捌いていく。
人外の膂力で振り抜かれる灼熱の刃は獣の如き荒々しさで吹雪を割り、その奥にいる氷龍を割断せんと爆炎を吹き上げて斬りかかる。
眼前の死地へと躊躇なく飛び込み、力技で活路を開き続ける狂気の沙汰に氷龍は慄いてしまい、この一瞬の迷いが戦いの趨勢を決定づけてしまった。
一手、二手、三手……
天秤が傾いていく。
鬼は血を流すものの、それより多くの血を氷龍に流させ、さらに筋を断ち骨をも砕く。
抗う力を削がれ大きな隙を晒した氷龍は、喉笛に喰らいついた高熱放つ凶刃によって、その命脈が断ち切られた。
「ガアアアアアアア!」
剣鬼が咆える。
それは目障りだった邪魔者を排除した喜びの声か、それとも死ねなかった事への哀しみか。
龍が息絶えたことで、鬼の身体が光に包まれる。
その光が消えた頃には先程までの負傷は何処にもなく、肉体的には最善の状態近くまで生命力が復活し気を溢れさせていた。
己が斬り殺した氷龍の死骸を見る剣鬼は、耳を打つ言の葉に反射的に視線を向ける。
「ままならぬものよな」
そこには、龍と呪いの気配を宿した武具を身に纏う、1人の老人が立っていた。
その男は老いてはいるが、その身が放つ剣気は抜き身の刃が首筋に添えられているかのよう。
遠くの地平にある小さな村落を背後に、その老人が狂える鬼の前に立ち塞がった。
「ガアアアアアアアッ!!」
新たな敵の姿に、狂奔する剣鬼。
「剣神、レイガー・バン・レングザンド。参る」
老人が、己が号を名乗り上げる。
それは相手が聞いていないと思いつつの独り言であったが、然と剣鬼の耳に届き茫漠とした意識へと浸透していった。
血が滾る。
肉が踊る。
目の前の怨敵を撃滅せよと、咆哮する。
生命を燃やせ。
気力を尽くせ。
死に場所は此処にあり、剣神の誉れを見せようぞ。
鬼人と剣神の神楽。
今よりこの地にて、修羅の舞が開演するのだ。
初めに剣鬼が動く。
先の声は認識した、だが全ての精神を憤怒で塗り潰される狂える鬼は、それらを討ち滅ぼすべき雑音だと迷妄し刀剣を振るう。
剣鬼が振るうは、一振りの刀。
本来剣鬼は二振りの刀を持っていたが、轟雷秘めし魔刀はその手を離れ氷河の奥深くへと埋もれてしまった。
残る魔刀は猛火を秘めしもので、その刀身は数多の酷使によって刀身が溶けかけていた。
たった一本の刀を握りしめて振るうは、守りを捨てた剛の剣。
化け物としての膂力を存分に振るい全てを攻めへと変じたその鬼剣は、何の技巧も精緻も見られない一撃でさえ必殺と化す。
対するは闇龍の足曳の呪いが籠もりし呪剣。
この剣で斬られたものは根源からの弱体を免れず、元となった闇龍の力も備わったこの剣は魔性の術理ですら斬ることが可能だった。
剣神が振るうは、守りの型。
それも、ただ時間を稼ぐことのみを目的とした死士の剣。
剣神の手によって静と動が流麗に繋がり水のように振るわれる利剣は、圧倒的に劣っている身体能力でありながらも鬼剣を受け流し、致命の刃から紙一重で逃れ続ける。
「ガアアァァ!」
焦れた剣鬼が叫喚する。
ただ喉で掻き鳴らした空気の振動が、剣神の身体を打ち据える。
咆哮によって僅かに硬直した剣神へと、狂える鬼は刃を振り下ろす。
空を斬ったはずの刃先から、煌々と烈火を吹き出しながら。
「やはり魔剣か」
狂える鬼が持つ武器を、剣神は正しく見定める。
細身の刀身が僅かに溶け落ちていようとも、その魔鋼に目立った傷というものは見られない。
であるならば、尋常ではない硬度を持ちつつ、自ら修復する魔剣であるということ。
武器の破壊も容易ではないと再認識し、剣神は狂える鬼の身のこなしに視線を巡らせる。
暴走しているように見えるが、斬るときには刃を立てる、鍔に指を添え柄頭から少し離して握るなど、基本中の基本は理性無き状態であろうとも押さえていた。
剣捌きこそ素人のような力任せで稚拙なモノではあるものの、剣の術理を多少理解しつつ魔剣の力を使っていることに、剣神は警戒を高める。
ただ力任せに暴れてくれた方が、まだやりようがある。
ただ畜生同然に成り果てていれば、まだ活路を導き出せたというもの。
だが現実として、剣鬼は完全に獣に堕ちたようには見えない。
その厄介さに、ありとあらゆる不条理を想定しつつ剣神は挑み続ける。
肉体性能の差によって、ただの乱舞が神速の閃光となって振り抜かれる。
人界にて剣技最強と謳われた男でさえ、目で捉えるのは辛いものがある。
しかし、身体の動きを見極め、剣の切先を先読みすることで、鬼剣をいなし続ける。
剣鬼が炎を纏おうとも、呪剣と同じ力を持つ鎧の力によって剣神は強引に突破し打ち消す。
それに驚愕して勢いが弱まった狂える鬼の剣舞を掻い潜り、鬼の身体に一太刀が入る
だが、浅い。
肉どころか皮すら斬れず、堅いものに刃が触れそのまま滑り落ちる。
しかし、足曳の呪いは剣鬼の身へと確実に侵蝕した。
目には見えずとも、剣鬼を覆う身体強化の術理が僅かに弱まっている。
そのことに、斬り続ければいずれその皮膚を裂けるまで脆弱になると思われるが、剣神の胸裏に浮かぶは諦念だった。
儂の勝ち目は、——無い、な。
幾百幾千もの刃を当てようとも、そこから剣鬼の生気を削りきれるかは未知数で。
対する鬼はただ一撃、老いた男へと当てさえすればいいのだから。
刹那の内に鎬を削り続ける戦いで、永劫にも等しい闘争をこなさねば勝機は掴めない。
いや、そもそも剣神に勝機は最初から存在しているのか不明というもの。
だか、それは剣神にとっても初めから判りきっていたこと。
一縷の希望を見いだせるだけでも僥倖と言えよう。
剣神の目的は、変わらない。
ただ時間を稼ぐ、それだけだ。
龍のような人外の巨体では、止めることすら叶わなかった。
高空を飛翔していれば、刃を届かせることすら容易では無かっただろう。
しかし、剣鬼は人型で、大地に脚をつけており、技巧は未熟としか言いようがない。
だからこそ、身体能力に大きく水を開けられている剣神が時間を稼ぐことが出来る、最良の相手と言えた。
狂える鬼が飛び掛かりながら刀を打ち下ろした。
事実爆発としか言いようのない現象が、鬼気と爆炎を宿した魔刀によって引き起こされ、地面が爆ぜた。
撒き散らされた衝撃波を受け流しつつ、剣神は呪剣を胴へ引き戻し構える。
僅かな勝機に縋りつつ、不退転の覚悟で出来うる限り時間を稼ぎ続ける。
それが剣技最強、剣神と号された者の、全てを懸けた最後の一幕と信じて。
「——いざ尋常にッ」
「——ッ!」
再び刃が交錯する。
「勝負ッ!」
「ガアアァァアアァァァァッッ!!」
対峙する彼らは、お互いに殺気を滾らせ、手に持つ白刃を振るった。
何度曙光が照らされ、何度帳が降りたか。
無駄を省き自我を削り、ただ闘争に生きる存在として純化していった剣神。
老いと泰平の世に錆びついた老剣は、さらなる飛躍へと至り剣気だけで斬撃が飛び、実体の無い業火ごと虚空を断ち斬った。
理性を失い猛り狂っていたはずの剣鬼は、今は叫ぶことなく冷徹に刃を振るう。
憤怒に呑まれつつも極まった苛立ちは逆に冷静さを与え、戦いを通じながら剣神の術理を盗み、己が血肉へと溶かし込んで自らの剣を洗練させていった。
這いずる炎は、渦を巻いて肌を焦がし。
大地へと叩きつける一撃は、轟音とともに目に見えぬ打撃となって襲いかかった。
しかし、剣鬼の刃は一度たりとも直撃することは無かった。
防ぐ、放たれた逆巻く火炎は最も薄い場所を見極めて斬り裂いた。
防ぐ、迫る大気の壁も剣気を込めた一太刀によって叩き割った。
防ぐ、全てを断ち切らんとする鬼剣も、流れを変えられては届くことは無い。
だが決して無傷とはいかず、死闘を続けた剣神は重度の火傷を負い、聴覚にも異常が起きていて腕の骨が軋みを上げている。
剣神が身に纏う闇龍の鎧も、長きにわたる戦いによって原型を失い、力を無くしていた。
だが鎧を犠牲にすることで剣鬼を消耗させ、魔力が底をついた剣鬼は魔剣の力を引き出すことも放たれる火炎も操ることはもう出来ない。
空納が付与された小袋には詰められるだけの回復薬が収められていたが、積み重なる負傷を治療するために飲み込み、何日にも渡る戦いで生じた渇きと飢えを誤魔化すために1つ残らず飲み干してしまっていた。
だが、それでも人である剣神では、魔性に属する剣鬼に届かなかった。
終わりの時が刻々と迫る。
人の身であれば、鬼より先に肉体の限界を迎えてしまうがゆえに。
動くたびに筋肉が断裂し、骨がヒビ割れ砕けた音が、鈍く鼓膜へと直接響いてくる。
肺腑に肋が刺さり掛かっているのか、呼吸のたびに激痛が走り口の中に血の味が広がる。
視界も白く霞んで、まともに見えるのは半分にも満たない。
未だ、二本の脚で立ち続けているのが信じられないほどの満身創痍だった。
もはや奇跡は無く、死を待つのみ。
だが、剣神の胸中は不思議と清々しく晴れ渡っていた。
削いで、削いで、削いで……
余計なもの全てを戦いには無用と削ぎ落とし、ただ純粋な剣気へと変じさせた。
平和への夢や責任も、争いへの疑念もなく、死への恐怖すらも無い。
ただ、己が持ちうる全ての要素を、剣へと捧げて振るった。
そのことに剣神は、喜びを噛みしめる。
結局、剣に生き、剣に死ぬ。
そういう生き方こそが、剣神にとっての生涯だったのだと満ち足りた笑みを浮かべる。
もはや一歩も動けず死を待つ剣神に、鬼人は沈黙を保ち仕掛けることはなかった。
先程まで剣風吹き荒れ苛烈な攻防が繰り広げられたのが嘘のように、双方微動だにせず対峙していた。
奇妙な静寂が周囲を包み込む中、鬼人は構えを解き、ゆっくりと頭を下げた。
完全に正気に戻った訳ではない、禍々しき想念が消えた訳ではない。
けれど確かに其処には、狂える悪夢から目覚めた一人の少年がいた。
「剣技最強の証、剣神の称号。お主に託す」
頭を下げる鬼人へと、剣神と呼ばれた男は名を譲り渡す。
湧き上がる激情を抑えつつ、鬼人は頭を上げた。
そして鬼人は刀を構える。
ただ一人の老人へと戻った男も、最期の気力を振り絞って剣を構える。
これが最期、武の極致、これ一振り、我が人生の集大成。
培った技術、その全てが鬼人に引き継がれる訳ではない。
しかし、この戦いで魅せた輝きは、確かに鬼人の胸へと届いていた。
そして全てを乗せた全身全霊の一撃は——
「見事」
老いた男の剣が砕け、胴を大きく引き裂く切創が、夥しいほどの血を撒き散らした。
だが——
「貴方も、見事だった」
鬼人の刀が、半ばから折れた。
振り抜かれた鬼人の刀は剣ごと目の前の男を斬り裂いたものの、その一太刀で限界を迎えた刀は宿した神秘が失われて、ただの鉄屑へとなってしまった。
——喋ることが出来たのか。
出来ることならもっと語らい剣を交えたかったと惜しみつつも、この結末に満足しながら剣の神と謳われた男は、その生涯に幕を閉じた。
袂を分かち離れ離れになった親友へと祈りを託しながら逝った男の顔は、後悔など何一つ無いと言うような穏和な表情をしていた。
「……貴方に、敬意を」
鬼人は、男の遺体の側に壊れた剣と刀を並べる。
そして彼を殺したことで生命の位階が上がり、淡き光とともに戦いの中で失った生気魔力技力、これら全てが満たされていく。
鬼人は彼の最期を汚さないように、静かに立ち去った。
不思議と凪いだ気持ちが数日続き、鬼人は何かに憑かれたかのように無我の境地で二振りの刀を己が異能にて作り上げた。
陽焔煌めかす赫灼の刃と、妖雷瞬く蒼天の刃。
雑念の混じり気もなく、純化した想念から現出した、祈りの結晶。
「命名——炎刀老陽、雷刀若陽」
この刀を見るたびに、最期まで誇り高くあった貴方を思い出す。
この刀を見るたびに、未熟な僕が貴方に追いつくための光を照らし出す。
奥底から湧き上がる想いを文字にして、刀に銘を刻む。
そして二振りの霊刀を手に取った鬼人は、再び侵蝕してきた憤怒に自己を溶かして歩き出す。
けれど、怒りに呑まれつつも両手に握りし陽光が、鬼人の願いを繋ぎ止め続けた。
——誇り高く生き、そして死ぬ。
どうやって、何のために、それは未だ判らないけれど、鬼人はそれを探すべく、ただ歩いた。
お気に入り1000越えしゅげぇ!
サブタイの漢文が正確な文法になっているかは不明です。
訳せば、剣神其ノ刃ニ敬意ヲ、となります。
文章PC表示に合わせて調整しているのですが
-
綺麗、見やすい
-
読みやすい
-
普通
-
見辛い
-
読みにくい