如何にして変わる切っ掛けを得たのか。
……私は、また間違えたのかもしれない。
ほんの少し、心が痛みを訴えているのを感じる。
システム中枢で崩れ落ちたコケちゃんの姿が、網膜に鮮明に焼き付いていた。
一つ、大きな溜息を吐き出して、気持ちを切り替える。
やめやめ、過ぎたことを後悔しても何も解決しないんだから。
もっと建設的なこと考えよう。
そうだね……まずはコケちゃんに手渡した本。
あれがどういう経緯で私の手に渡ってきたのか、最初から振り返ることから始めようか——
窓を覆うブルーシートの隙間から、微かな月明かりが差し込む室内。
スプーンとかでゴッソリ抉られたような合成樹脂の床。
机も椅子も、何もかもが消え失せた室内は不気味な静けさを湛えており。
壁際の壊れた黒板や用具入れの残骸で、ようやく此処が教室であると認識出来る有様だった。
此処で、あっているはず……だよね?
それら普通の人間なら真っ暗闇で何も見えないだろう室内を、透視と暗視の魔術をつかいながら視認し、私は転移が成功したことに内心で小さく喜んだ。
そして、周囲の状況を透視で確認し誰も見ている人が居ないことを確かめてから、建物の外へと転移する。
降り立ったアスファルトの道路で、靴が乾いた音を鳴らした。
振り返れば何の変哲も無い、くすんだ白い外壁。
何処にでもありそうな構造で、少し古臭い感じの校舎。
そう——此処は平進高校。
転生者たちが前世で通っていた高校で、異世界からの攻撃が炸裂した、全てが始まった場所だ。
ゆえに今、私は——地球という星の、日本という国にいたのだった。
暴走してた鬼くんを叩きのめして確保した、あの日。
ギュリギュリから、お前は己よりも空間魔術に素養があると言われ、それならこの星から出るのも容易いだろうなと、言外に出て行けと言われたこと。
そして予告もなく私の脳内へ語りかけてきたDから『早く私に会いに来てくださいね』と実質的に脅されたことから、こうして地球へとやって来る運びとなった。
いや、まぁ……こういう発想が全く無かったとは言えない。
神化してシステムという閉じた牢獄から解放された私は、やろうと思えばあの星から出ていく事だって、一応のところ可能だったのだ。
私の転移は、行きたい場所を思い浮かべれば発動できる。
そこに重い制約や複雑な条件などは無い。
空間指定にまつわる諸々の過程をすっ飛ばしているかのような、そんな容易さで行使可能だ。
座標とか把握してれば宇宙を越えて別の惑星へだって行けるはずだし、観測用魔術を開発すればもう何時でも何処でもひとっ飛びだ。
距離の壁など、私には障害にすらなりはしない。
だから、あの星から逃げ出すということは、まず一番始めに思いついた事だとも。
あんな死にかけの星で頭を悩ませながら居残るより、何処か別の星にて安穏と暮らせるのなら、そっちの方が断然良い。
誰がわざわざ、究極的には放っておいてもいいゲキムズ難題を、心身苦労して解決に奔走せねばならないというのか。
……そう、私個人としては思うんだけどね。
対してコケちゃんの方は、どうやらこの問題に真剣に向き合っているみたいなんだよ。
見捨てれば良いのに。
コケちゃんの大切な家族とやらは、自分の魂の中に居るでしょ?
なら、家族だけなら何処へでも一緒に連れていけるじゃん。
そう思うけど、口にしない。
だって、それを言ったら……致命的な仲違いが起きそうな予感がするから。
どうにもコケちゃんは、世界という大きな括りで見ている気がする。
眷属のことだけではなく、それらが住む世界ありきというか。
そこに住まう皆、魔王とか吸血っ子とか、鬼くんとかも含めて……
みんなが全員、生きるためには——星の存続が第一っていう感じかも。
だから見捨てろなんて言ったら、絶対に喧嘩になる。
間違いない。
まぁ、そんなだから私としても、限界ギリギリまで出来る限り手を貸すさ。
本当に星がどうしようもなくなった時、その時に他所へ移住すればいいだけの話。
故に、さっきまでの話をひっくるめた結論として、星からの脱出は最終手段として取って置き、それまではコケちゃんと一緒に頑張ろうと思っていた訳なんよ。
親友がやるって意気込んでるのだから、私もやるとも。うん。
——意図的に、地球のことは除外していた。
こうしてDから呼ばれるまで、私は地球になら記憶の情報から転移可能であると、考えないようにしていたんだ。忘れたフリをしてでも……
その理由は、怖かったから。
此処に来れば、顔を背けていた真実を否応なしに直視するハメになるからだ。
だから理由を付けて、引き伸ばしていた。
まだ魔術が……まだやるべき事があるから……まだ星を救ってないから……
まだ、まだ、まだ、まだ…………まだ、私は地球に行くべきじゃない。
そう思い続けていたけれど、誤魔化すのも遂に限界だ。
Dから呼び出された以上、無視したら何されるか予想も付かないという恐怖があり、仕方なしに地球へとやって来たのが、今回の経緯である。
あぁーヤダなぁー、行きたくないなぁー。
うじうじグチグチと、日本の街並みを散策する。
平進高校は駅の割と近くに建てられているので、少し歩けばそこは駅前の賑やかな通りに出る。
夜中とはいえ、飲食店などが煌々と営業しており、人通りはそこそこ多い。
すれ違いざまに、何人か私のことをチラ見してくる人もいたが、声を掛けられないうちに足早にスルーしていく。
まぁこの見た目だし注目集めるのも仕方ないけど……服装のことじゃないよ? 白髪がね?
服装自体は、現代日本にいても浮かないようなシンプルな白パーカーと黒パンツにしている。
いつものファンタジーなローブ姿じゃあ、目立つでしょうに。
フードを被って、視線を遮る。
今の私ってほら、戸籍も身分証明も無く、地球外からの不法滞在者みたいなものだし。
警察呼ばれたりだとか面倒事はご遠慮したい。
排気ガスの鼻を刺す臭いと、微かに交じる美味しそうな料理の匂いがする。
向こうの、野性味溢れる自然の香りと闘争と血腥さが溢れるそれとは、大違いの空気。
なんというか、淀み弛んだ平和ボケの空気である。
本当に違う星、違う世界なんだなぁーと、改めて感じた。
空に浮かぶ月は一つだけだし、目に映る景色は何もかもが違う。
記憶にある故郷は此処のはずなのに、何故か馴染めそうにない疎外感を憶えてしまう。
それは、この身体が向こうで生まれ育ったものだからなのか、それとも本当は……
飲食店の看板を見ていると空腹が刺激されて入りたくなるけど我慢して、駅前のコンビニへ足を踏み入れる。
店員の視線を無視し、雑誌のコーナーへ。
そして週刊誌を手に取り、パラパラと捲って号数や日付を確認する。
……ちょっと驚いたな。なんとなく街の雰囲気から察していたけれど。
あっちではもう地球換算で五年以上経過しているのに、此方ではまだ半年程度の時間しか過ぎていなかった。
時間の流れが、思いっきり違うらしい。
相対性理論? 世界線の違い? 次元の隔たり? ループ量子重力理論??
いや、まぁ何となく言ってみただけなんだけどね。
魂だの魔術だのがあった世界で、人間の学問である物理学とか量子力学とか何処まで正しいものなのか、よく分からないし。
しかし、半年かぁー。
読んでいた雑誌を棚に戻す。
別の雑誌も流し読みすれば、こちらも示す日付は同じもの。
どうりで記憶にある景色と、殆ど変わりがない訳だよ。
五年も経てば、少しは変化があってもおかしくないのに、何も変わっていないのが逆に違和感が浮き彫りになるもの。
長居は無用なので、そそくさと何も買わずにコンビニから出る。
ん? 何か買い食いでもしないのかって?
無一文なんだよ、それがなにか?
向こうじゃ味わえないスナック菓子見てると、食欲我慢するのも大変なんだよ。
それにしても……問題無く魔術が使えているな。
この不気味な眼球を晒すわけにはいかないから、透視とか暗視とか万里眼とか普通に使ってし、短距離転移も違和感なく発動する。
そもそも、此方では魔術が使えないのであれば転移の座標指定すら不可なので来れない訳だし、こうして無事到着している時点でそれは無いという事なんだけどね。
魔術の基本はザックリ言えば、魂に溜めたエネルギー、それを術式に構築して変換を経ることで発動だから、貯蓄が十分であれば周辺環境に左右されたりはしない。
だから極論すれば、使い方さえ知っていれば人間だって魔術は使えるはずなんよ。
向こうの人がシステムの補助ありきだけど、魔法やスキルを使っているように。
でも此方には魔術の痕跡が欠片も見当たらない。
魔力感知が特殊技能だとしても、歴史上何人かは魔術に触れた存在がいるはずだ。
それなのになんで発展しなかったのかは、私は知らない。
Dとか何者かとか、裏で糸を引く存在がいるのかもしれないけれど、知る由のないことだ。
帰宅ラッシュで混み合う駅前から抜け出し、人波を避けるようにして住宅街へ。
人もまばらとなり、店の替わりに住宅が。
そこから、更に奥へと歩みを進める。
足取りも重くなり、溜息が零れる。
それでも止まること無く進み続け、ゆっくり歩いても二十分も掛からない程度の距離を歩けば、もう着いてしまった。
たどり着いた場所は、住宅と住宅の陰にひっそりと建つ、一軒家。
表札に示された文字は、若葉の二文字。
半年経過しているのに、何も変わっていない佇まいが不安を煽っていく。
唾を飲み込みながら門を開けて、玄関の前まで行く。
横に置いてある植木鉢、そこに植えられた観葉植物の根の隙間を探る。
そうすると、記憶通りに鍵が隠されてあった。
その鍵を使って、玄関のドアを解錠する。
家の中に入れば、照明が落とされて暗く、静まり返った廊下が広がっていた。
記憶にある通りに、すぐ近くに二階へと上がる階段と、その横に一階の奥へと続く廊下。
迷いなく、二階へと登っていく。
そして、ある一室の扉を開ければ——
「乙女の部屋にノックも無しなんて、なんてデリカシーが無いのでしょう。マナーのお勉強はサボらず受けましょうね。…………さてと。いらっしゃい、それともお帰りなさいと言ったほうが良いでしょうか? ——ねぇ、白織?」
PCのファンが奏でる鈍い風切り音。
薄暗い室内を照らすモニターには、ゲームのフィールドとキャラクターが映っており、そこにはハゲた渋いオヤジのキャラクターが敵の攻撃を華麗に躱していた。
それを操作するコントローラの軽い操作音が響き渡り、それを握る黒髪の少女は此方を振り向きもせずに、滔々と呟いたのだった。
「……覗き魔が乙女だって? 笑わせる」
「手厳しいですね」
吐き捨てるように返事をすれば、柳に風とばかりに感情の籠もらない声。
そうして、ハゲオヤジのキャラクターが敵モンスターを撃破し、クエストクリアの表示が大きく映し出されると、少女はコントローラを置いて此方へ振り返った。
そのモニターの逆光に照らし出された顔は、色合いこそ違えど私と瓜二つ。
「初めまして……で良いのかな?
私は白髪赤目、向こうは黒髪黒目で髪を下ろしているという違いはあるものの、それ以外はほぼ同じ背格好と容姿。
あとは、被る表情の質が異なるくらいか。
何処までも虚無で、見てるだけで底知れない不安に襲われるような、そんな無表情。
「ようこそ、
私のオリジナルたる存在は、その台詞とは裏腹にゾッとするほど無機な、歓迎の言葉を述べた。
——この真実を知るのが怖かった。
自分が紛いものの偽物であるという、その真実が。
あの後、Dと一緒に一階の食卓に降りてカップラーメンをご相伴に預かったり、なんやかんや対戦ゲームで競い合ったり、私何しに来たんだっけ?って思うような、トラブルらしいものも無い拍子抜けする時間を過ごした。
そんで、そのまま一泊することとなって、両親が寝起きしているという設定の空き部屋に、糸で即席のマイルームを作り、布団を敷いて天井を眺めている始末。
……本当に、何やってんだか。
目的自体は、最初の段階でもう達成していると言っても良い。
Dに会うことが目的であり、それ以上は別にDを無視して帰還しても良かったのだ。
そうしなかったのは、まだ何か引っかかっているからか……
Dとしばらく対面して観察をし、分かったことがある。
いや、分からないという事が分かったとでも言うべきか。
この時間に至るまで食事をしたりゲームをしたりなど、それなりに出来事があったというのに、Dの無表情はピクリとも動かなかったのだ。
私も人のこと言えるタイプじゃないけど、それでもコケちゃんや魔王相手なら、少しは口角とか動いたりする。
そしてDは、こんな私以上の無表情さで、まるで極限まで美を追及しただけの能面を貼り付けているかのような、そんな不気味さがある。
感情の機微など欠片も感じ取れず、そんなもの無いのではと思うほど、気味が悪い。
実物を見れば見るほど、その不可解さと異質さが浮き彫りになるようだった。
人はどう取り繕うとも、少なからずその本質が見え隠れするものだ。
台詞回しや口調の強弱、身振りや視線などの所作……
そうしたものを重ね合わせれば、自ずと見えてくるものがある。
それがDとなると、途端に分からなくなっていく。
戯けたような飄々とした言い回しをしたと思えば、賢者のように思慮深い発言だってする。
長い年月をかけて洗練されたような気品さもあれば、無垢な少女のような仕草も交じる。
兎にも角にも、真意を読み取るのが困難なのだ。
あれらが演技なのか、それとも素なのか、何一つ読み取れはしない。
まるで、人でないナニカが人の行動を真似て、そういうフリをしているだけのよう。
そんな風にしか、見えなかった。
……無理して理解するもんじゃないな、コイツは。
考えれば考えるほど、ドツボに嵌まっていく感じだろう。
そうなると余計分からなくなっていく、真実とは程遠いものしか見えなくなっていく。
なら、何が気掛かりなのか。
私が——若葉姫色の偽物、Dの身代わりだという事は、実物を見た以上揺るぎない。
Dの存在を認識した時期や、声を交わしたファーストコンタクトについては、エルロー大迷宮の中層にて起きた出来事に集約されている。
そこから、何度か要所要所で干渉してきたけれど、その度に私は得体の知れぬ嫌悪感が込み上げていたのだ。
どうしても相容れないような、そんな拒否感。
その理由に思い至ったのは、神化してからのこと。
GMA爆弾などというエネルギーの塊を喰らったことで、私の魂は変革し神格へと至った。
その時に、魂に染み付いた異物に気付いた。
それは魂の根幹を為す、神性領域にあった。
神性領域が何であるのかは、説明すると長いから省略。
要は人格とか自我、エゴやイドといった本質を司る部分とだけ憶えてもらえばいい。
そこにあったものが、私を呑み込み塗りつぶして、私は
若葉姫色という記憶。
それが、もともとの私を押し潰し、自分が若葉姫色であると思いこんでいた原因だ。
それが意味するものは——私は記憶を持っているだけの、全く違う存在であるということ。
気付いてしまえば、これまでの疑問や違和感がするりと融解していった。
『名前なし』と、表示されていたこと。
人族の両親から生まれた吸血っ子や同じ魔物生まれの境遇なコケちゃんには、前世の名前が表示されていたのに、私にはいつまで経っても『名前なし』だったこと。
初期のスキルポイントが低かったことも、私が人ではなく生物の格が低い生き物だったから。
高次の思考を持たず、本能で生きる矮小な存在が、元々の私であるから。
そしてDが語った、教室で爆発が起き巻き込まれた生徒たちを転生させたという説明も。
どう考えても、クラスの中にDに該当するような異質な存在など居なかった。
自分自身だと思っていた、若葉姫色を除いて。
記憶を掘り返せば、ところどころ無視できないレベルの矛盾や欠落があった。
顔どころか両親が存在していた場面すら浮かばない。
自分のことを最底辺と自己評価しながら、容姿は美人だと自覚している。
性格にしても、記憶の姿と転生後の現状では剥離が甚だしい。
——そうして、Dの正体と、私は自分が何だったのかを自覚した。
理解した瞬間、分離する——若葉ではないナニカの視点。
人より高い位置から定点カメラのように見下ろす光景。
しかし、それらは自己よりも巨大であり、自身は小さな存在でしかない小さき者の視界。
男子から叩き潰されそうになり、それをオカちゃんが止めて助けてくれた事。
教室の隅で放され、そこからずっと同じ場所に逗まり続け、獲物が掛かるのを待つだけの日々。
周りは自分よりも遥かに大きな人間たちに囲まれて、殆どの人間から疎まれ気味悪がられ、いつ気まぐれから殺されてもおかしくない状況。
オカちゃんが巣に乗せた小虫に齧り付き、必死に生にしがみついていた——教室の中で最底辺の矮小な存在。
その最後、爆発で途絶する間際に映っていたのは……自身を見上げる小柄な少女の顔で。
……私は、そのような蜘蛛だった。
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