【完結】コケダマですが、なにか?   作:あまみずき

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蜘蛛9.75 記憶の中の故郷へ3(22/07/08挿話)

 私が再び、地球のDの元へとやって来たのは、あちらの年数で数えておよそ一年半後。

 此方へと来る発端となったのは、魔族領で起きた反乱未遂騒動にて、ある人を見つけたからだ。

 

 

 それらの顛末は、だいぶ端折って説明すると……

 

 まず諜報用の分体を開発した私は、手始めに魔族領内の情報収集をしていると、近々クーデターでも起こそうとしている勢力を発見した。

 それを魔王へと報告を上げて、三日後には反乱軍の討伐部隊が編成されて出発したのだ。

 

 傷跡が深くならない内にどうにかしたいバルトによる、早期解決と短期決戦を目指した電撃的な作戦立案によって、鎮圧に乗り出される魔族の兵士たち。

 そこに交じる、アエルにメラに鬼くんの姿。

 更に観覧も兼ねて控えている私と吸血っ子。

 残念ながらコケちゃんは狭間の国に行っていたので、開戦時には呼ばなかった。

 

 そして始まる蹂躙劇。

 魔剣で大暴れする鬼くんに、反乱軍を鎧袖一触なメラとアエルで、若干可哀想な光景だった。

 

 そんで、監視していた反乱軍のリーダーらしき人物が見るからに機械っぽい通信機器にて何処かに連絡を入れて、反乱騒動にエルフの集団が乱入してきたのだ。

 私自身は、領主屋敷の地下に設置された転移陣から逆に襲撃を掛けるべく別行動していた訳で、そっちでポティマスの人形含むサイボーグ兵相手とドンパチしていた。

 けれど、その間に鬼くんがエルフの少女と出会って、その子供が前世で先生だった人である岡崎香奈美と名乗ったのだ。

 

 その後は、そちらにも居たサイボーグ兵によって不意を打たれて先生を見失った鬼くんと、乱入した吸血っ子と人形蜘蛛らが殿で残ったエルフを残滅したことで、一連の反乱騒動は一先ず終結を迎えた。

 

 反乱騒動が終われば、諸々の後始末や、首謀者の処刑判決と自決。

 

 ……首謀者であるワーキスの死に様には、胸に来るものがあった。

 何も世界の真実を知らなかったとはいえ、彼自身は魔族の未来を思って反乱を起こして、信念に従って凄絶な自害を選んだのだ。

 

 自ら命を絶つなんて、馬鹿のすることだと思っている。

 生きることを至上とする私には相容れない考え方。

 でも、信念や誇りに殉じて貫き通した在り方には、敬意を抱く。

 

 ……次の転生までの一時の眠り。

 安らかに眠れよ、憂国の魔族さん。

 

 ワーキスの死に様もそうだし、魔王の強固な心の強さ、コケちゃんの使命感……

 

 私の周りには、強い人が多い。

 実力という意味ではなく、精神の強さだ。

 

 私には、あるのだろうか? そんな心の強さというものが……

 

 心無き力は、暴力であり害悪だという。

 ならば、私がしていることは悪か、否か? 

 指針となる信念は、統括を担う誇りは、私に見つけられるのだろうか? 

 

 答えは、まだ出そうになかった。

 

 

 

 

 閑話休題(なにはともあれ)

 

 前世というかマジモンの蜘蛛だった時の恩人である岡崎先生が、よりにもよってエルフなんかに生まれていて、しかもなんか利用されてるっぽい様子だったのが、この騒動で発覚した最悪の事実だった。

 

 だって先生は、あのポティマスの支配下にあると言っても過言じゃないのだから。

 

 魂に絡みつく、支配の根。

 それがある限り、私たちは先生には一切手が出せない。

 もしポティマスが先生を完全に支配したら、彼女自身の自我は消滅してしまうのだから。

 

 不倶戴天の宿敵のもとに、恩人を生まれ変わらせる。

 しかも彼女は人質にされているようなもので、命運を常に安全地帯引き籠もりの屑野郎に握られている状況。

 

 そんなクソみたいな采配をした存在の心当たりと言えば、一人しかいないのだ。

 というわけで、クレームでもつけに行こうか。

 

「死ねぇい!!」

「よっと」

 

 空中に転移、からの流れるように回し蹴りぃィッ! 

 

 しかし、なんとなく屈んだような動作で躱され、勢い余った私は壁に激突して隣部屋との直通路を開通させるだけに終わった。

 

「ふむ……丁度もう少し部屋が広ければ機材もっと置けるなーと思っていたんですよ。リフォームありがとうございます、白織」

「チィッ! なんだよお前、無敵か?」

「無敵ですとも。邪神ですので」

 

 そーいうことじゃぁーなぁぁーいっ! 

 くそぉ、皮肉が効かないと分かっていても、こいつの前では口が悪くならざるを得ない。

 

 それだけムカつくのだが、敵意全開な私が目の前にいてもDは飄々とした態度を一切崩さないのだから苛立ちは怒髪天を衝くのだ。

 

「さてと、もう少し静かに来て欲しいのですが過ぎたことは流しましょう。いらっしゃい、白織。今回は何用ですか?」

 

 どうせ覗き見ですでに知っているだろうけど、直接言う。

 

「先生をエルフなんかに転生させたのは、お前のせいだろ」

「えぇ。私も、いつあなた達が出会うのかと楽しみにしていたのですが、運命的な出会いでは無く人づての伝聞では、些かガッカリですね。ドラマが無いじゃないですか。もっと劇的でなければ、観客は盛り上がらないというものです。クレームものですよ、これは」

「知るかッ! こちとら、おまえを楽しませる為に必死こいてやってるんじゃ無いんだよ!」

 

 何故、そんなことで勝手に期待され、勝手に失望されなければならないのか。

 

 第一に、先生がなんの誰に生まれて、そして何処で何をしているのかなど、私は知らなかったというのに、そんな演出など出来るはず無いでしょ。

 というか、知っていたら出会いもへったくれも無いだろうに。

 

 Dが床に転がったポテチの袋を手に取り、ぷるぷる震えながら開けた。

 それを強制的に奪い取り、異空間に放り込む。

 

 まったくマイペースが過ぎる。

 無理矢理にでも主導権を握らなければ、いつの間にかDに呑み込まれてしまうだろう。

 

「先生を何故エルフにしたのか? ですよね? それを聞きに来たのでしょう?」

「あぁ、だから話せ。私の我慢が保つうちにな」

 

 無表情のまま、大袈裟に肩を竦めて嘆息している。

 まるで聞き分けのない子供を相手にしているかのような、癪に障る身振りで。

 

 それを努めて無視して、私は思惟を巡らせる。

 私たち転生者は、Dの手によってあの世界へと転生させられた。

 そして、その転生先についても振り分け選んだのがDである。

 先生がエルフで生まれたのは、こいつがわざわざ選んだからに他ならないのだ。

 

「理由は決まっていますとも。その方が面白そう、ただそれだけです」

 

 だろうな——憤激すら起こりはしない、聞き飽きた台詞だよ。

 

「あちらの世界において、エルフはとても重要な役回りを担っています。であれば……物語の登場人物として、一人くらいはエルフであるべき、そうとは思いませんか?」

 

 ならないね。

 創作と現実は違うんだよ。

 困難、苦境、不条理、試練、試練、試練、試練——

 食傷気味でうんざりなんだよ、現実を生きる当事者としてはなぁッ。 

 

 あちらの世界でのエルフは、全てポティマスの奴隷だ。

 魂から縛られているのだから、ある意味で奴隷よりも悲惨なのかもしれない。

 エルフらに真の意味での自由など無く、自覚のあるなし関わらず、奴の手足か駒あつかいだ。

 

 そんな種族に転生させられた先生とか、いずれ盛大に爆発する厄介事の種ではないか。

 当人も周りも不幸するだけの、哀しき未来を背負わされている。

 

「ついでに——エルフに転生者の存在を知らせれば、とても面白くなりそうだと感じたので、彼女には変わったスキルを進呈しました。

 生徒名簿というスキルで、その能力は転生者の情報を断片的にですけど知ることが可能なスキルです。生まれ、現在、そして未来。そんなことを知れるスキルですよ」

 

 ……は? 

 ちょっと待て、おまえは何を言っている? 

 

 なら先生が魔族領に来て鬼くんのことを迷いなく言い当てたのも、ひいては吸血っ子がエルフに襲われていたのも全てはそのスキルが原因だと? 

 

「えぇ、今あなたが考えてる通りですよ」

 

 まるで心が読めているかのように内心を見透かして、先だって言葉を打ってくるD。

 

「エルフの彼の動きは、私の期待以上でした。まさか転生者の大半を手中へと収めてしまうとは。少々やり過ぎて、予期したイベントの大半が陽の目を見ぬまま潰えてしまいましたよ」

 

 残念そうに瞑目しながら、Dはヒラヒラと両手を上げた。

 

「どういうことだ、それはッ!」

「どうもこうも、それが事実です。それ以上のことは秘密ですよ。何をするつもりなのか、あるいは何の目的で集めたのか、肝心な内容のネタバレはNGですので」

 

 私とあなたの仲だから、お教えしたのですよ——

 動作だけなら見惚れるようなウィンクをしながら、Dは冗談めかして言うのだった。

 

「大人で良識があって、なおかつ生徒に対してそれなりに責任感を持っている人物。そんな教師の鑑のような相手に、死亡予定時期などが示されるスキルを贈ったら、一体全体どうなってしまうのでしょうねぇ?」

 

 ——ッ! 

 

「まったく、先に手が出るのは悪い癖ですよ?」

 

 振り下ろした拳から、紙一重の位置にDは居た。

 その動きは、魔術なんかじゃない。

 ただ、貧弱な若葉姫色という女子高生の身体能力で、一厘の無駄すらなく回避運動をした結果の光景だった。

 まるで液体のように、目に見えぬ高速で墜落する拳から逃れた動作は、絶技の類いだ。

 

「健気ですよね。生徒のために、自身も幼い身体であるというのに危険を冒して世界中を回って、そして自らの手で助けようとした生徒を、最悪の相手に委ねているのですから。

 あぁ、とても愛おしいです。彼女は頑張っていますよ、この私が是非とも称賛させて頂きたい。小さな身体で良く頑張りました。生木に隠された鋼鉄の拷問台の上に並べて、転生者を保護したと安堵している其処のあなた。その気分は如何様ですかねぇぇ??」

 

 

「——黙れ」

 

 鬱陶しい戯言をペラ回す口舌を断ち切るため、周りの被害すら考えない全力の一撃をDへと叩き込む。

 

 これは流石に人並みの能力では避けられなかったのか、狙い違わず頭を爆砕した。

 しかし腕を引き戻した瞬間、時計を逆回しするかのように、Dの頭部は瞬時に寸分違わず元通りになっていた。

 やはり無駄か、しかも再生した瞬間が認識できないほどの、気味が悪い復元速度だった。

 

 しかも——打ち砕いた瞬間、微かに漏れ出たDの力の片鱗は、私を恐れさせるには充分なほどに恐ろしい代物だと、身体と本能で理解させられていた。

 

 ほんの一瞬、刹那の間に掠めただけだというのに、私の腕は重度の火傷を負ったかのように皮膚がめくれ上がっていた。

 殴った拳は、筋肉どころか骨さえ見えるレベルで、ズタボロの血濡れに。

 

 そして——Dの内から漏れた、まるで死が溢れかえっているような、禍々しい気配。

 死という概念が、凝縮して凝縮して更に凝縮したような、光すら殺す闇黒の極み。

 

 最悪の邪神という自称が、それさえもDを表現するには欠片も足りていないような。

 そんな窮極的な危険性と超越性が、この薄皮一枚下の闇黒にあったのだ。

 

「——あぁ、失敗しました。これは気付かれたかもしれませんね」

「なんの話だ」

「いえ、気にせずとも結構。此方の話です……ですが、あまり時間は無いかもしれませんね」

 

 ぼやくように呟くDに、私の表情は増々険しくなる。

 

「少しだけ……不思議には思いませんか? あなたはどうして、そこまで先生に入れ込んでいるのだろうかと、その自覚はありますか?」

 

 何を言っている、()()()()()()()()ではないか。

 

「他の転生者なら、不幸になろうともそこまで気にしないはずです。転生者がいると知っていても視界に入らなければその存在を気にも留めやしない。今まで積極的に探そうとしてこなかった事がその良い証拠でしょう。

 苔にしろ吸血鬼にしろ鬼にしろ、目についた相手には手を差し出しますが、所詮出来る範囲で。見て見ぬふりはせずとも、全力を尽くしてあげるほどでは無い。彼らの境遇に同情こそすれ、共感して憤りなどはしない。——それなのに、先生だけはそれほどまでに憤る。何故でしょうか?」

 

 それ、は——

 

 言葉に詰まる。

 反論の言葉が、すぐには出て来ない。

 

 Dの言葉は、確かに核心を突いている。

 あまり転生者に……というか人類そのものに、興味が然程無いのは事実だ。

 

 なんか困っている様子だから気紛れに助けよう。

 その程度にしか、気持ちを向けていない。

 

 もし、出会わなかった場合。

 その誰かが死んだと知っても、心にさざなみ一つ立たないだろう。

 

 ——ズキリ。

 いいや、コケちゃんになら、出会ったことが無くても悼むくらいはするだろう。

 

 そして今では、この三人のうち誰か一人でも殺されるような事があれば、怒り狂うはずだ。

 長い付き合いがあるから、その時間で育まれた関係があるから、赫怒を滾らせることが出来る。

 

 他の転生者だったら、こうはいかない。

 先生の立ち位置を、別のクラスメイトが担っていたとしても——

 またポティマスの仕業か、可哀想に……としか浮かばない。

 

 でも、先生にはそうではない。

 直接顔を合わせたことは無く、一方的に此方が現状と境遇を知っているだけで、交流の積み重ねなど絶無である。

 なのに——私は、強い怒りを覚えている。

 

 こうして二度と会いたくないと思っていたDに、クレームを怒鳴りに行くほど。

 

「えぇ、えぇ——実に面白いですね。蜘蛛だった頃の記憶なんて殆ど無く、恩も何も憶えていないはずなのに。魂に刻まれた想いとでも言うべきでしょうか。実に興味深いです」

 

 そう、そうだ——私には蜘蛛だった頃の記憶は酷く曖昧で、音や色の無い映像フィルムの連なりでしかない。

 

 けれども、それを補完するように若葉姫色の記憶で埋め合わせれば——無視できず忘れられないほど鮮明になっていく出来事がある。

 

 

 

 

『うわっ、でけえ蜘蛛がいる!』

『気持ち悪ぃな。おい、箒持って来い、潰すぞ』

 

 教室の隅に巣を張った私を、登校してきた男子たちが潰して殺そうと言い合っていた。

 それを若葉姫色ことDは眺めていて、私は何も分からずただ漫然とした危機感を察知するだけ。

 

『ちょっと待つのですぅー!』

 

 そこに先生が駆けつけて、箒を片手に持った男子たちを止めた。

 

『良いですか? 蜘蛛っていうのは益虫なんですよぉ? 他の虫を食べてくれる良い子ちゃんで、その糸は自然界の織物! 古来より蜘蛛に纏わる話は多く、蜘蛛が生まれながら織物の天才なのは神様にも匹敵する腕前の機織りが上手な女性が蜘蛛に変えられてしまったからだと言われております。……まあ、その女性は傲慢にも私の方が神様より上だと言い、作った作品が神様を扱き下ろすものだったから、怒りを買って蜘蛛にされてしまったんですけどねぇ』

 

 蘊蓄で気をそらし、私を庇うようにした立つ先生の背中姿。

 

『それ、眠くなるような古文か? 今度の授業で訳せとは言わないよなぁ……』

『古文ではないのでご安心を。でしたら、昔は蜘蛛が何の生き物と混同されていたのかクイズしてみましょうか。こんなにかわいぃ蜘蛛ちゃんのお話いっぱい探してきますよぉ』

『……蜘蛛は可愛くはねぇだろ』

 

 文句を言いつつ、不承不承で先生の言い分を聞き入れる男子生徒たち。

 

『みんなもー。この子は殺しちゃ駄目ですよぉー?』

『へいへーい』『はーい』

『良かったですねぇ。君も一所懸命生きるんですよ?』

 

 私を見上げながら、満面の笑みで笑いかける先生。

 

 ——あぁそうだ。

 あれがあったからこそ、私はあの教室で生きる権利を与えられたんだ。

 だから——先生は私の、命の恩人だった。

 ゆえに、命には命の恩返しをと、そう私の魂へと刻まれたのだ。

 

 そうしてホームルームが始まろうとした時。

 

『ごめんなさいっ、朝の家事で遅れました!』

『苔森さーん? ギリギリセーフなので大目に見ますが、明日からは気をつけてくださいね?』

『はい……』

 

 忍び笑いがクスクスと広がり、それに晒された少女はただでさえ小柄な体躯をさらに縮こませ、肩を落としながら席に着いた。

 そして彼女は、先生から私の扱いについて改めて聞かされ、その瞳で私のことを見詰めていた。

 

 彼女の瞳には他の生徒たちとは違って、澄んでおり嫌悪の色が欠片も混じらないもの。

 そして何故か、そう何故か——焦がれるような羨むような、そんな優しい微笑で私のことを見ていたのだった。

 

 

 

 

「——お遊戯会は済みましたか?」

 

 ふと意識が過去から現実へと帰還した瞬間、突如横合いから知らない第三者の女性の声が響いたのだ。

 

 跳ねるように振り向けば、そこにはメイドさんの姿が。

 ……え? なんでメイドさんが? 

 

 伝統的なタイプと言うべきか、クラシカルなヴィクトリアンスタイルのメイド服に身を包んだ、楚々として優しそうな笑みを湛えた、大和撫子みたいな雰囲気の美人さんが立っていたのだ。

 

 その笑みはDへと向けられていて、優しげな笑みのはずなのに何故かとても怖いと感じる笑顔をにこやかに浮かべているのだった。

 

「——えぇまあ。やれやれ迂闊でしたね。先程の再生で、これまでに色々と工作してきた居場所を誤魔化す仕掛けや絡繰りが、全部パァですね」

「あなたは最上位神としての自覚が足りません。今回の家出は此処までです。さぁ帰りますよ」

 

 どうやら、この美人さんはDを連れ戻しに来た人?らしい。

 Dのことを知っている以上、普通の人間では無いのは確かなのだが、一見して綺麗な美人さんにしか見えない。

 母性に溢れるような雰囲気で吸い込まれるような柔和さだけど、少しばかり胸の厚みが足りないような……おっと、この手の話題はコケちゃんで、下手にイジると危険だと体感しているのだ。

 

 気を逸らしていた刹那にも満たない時間、その間にメイドさんはDの首根っこを押さえており、Dのことを猫のように摘みながら、彼女は私へと視線を向けた。

 

「それで——なんですか、()()は」

()()は私の新しい玩具です」

 

 アレ呼ばわりも、玩具発言も気に食わないが、今は口を噤む。

 どうにも、目を逸らせばたちまち見失ってしまいそうなほど、このメイドさんは存在感というか気配が極限まで薄いのだ。

 

 あきらかに魔術などは使っていない。

 なのに、ありえないくらい存在感が消失しているのだ。

 まるで存在感も何もかも、()()()()()()()()()()()()()()()()()かのように。

 

 だから、下手なことを言って不況を買うのはマズイ。

 ただでさえ、Dとは売り言葉に買い言葉で喧嘩寸前で、あいつに反抗しているようなものだし。

 さらにDと同格そうな存在のメイドさんに、仕掛ける余裕など無い。

 

「ただの分身体ではありませんね。なんですか、これ?」

「あなたの目を誤魔化すために辻褄合わせで生み出したら、予想外に神になった突然変異の蜘蛛であり、さらに私に臆せず反抗して噛みついてくる可愛い子ですよ」

「……なんですって?」

 

 私を置き去りにして、二人で話が進む。

 その言葉の裏にて何が交わされているのか全く分からないけれどDの返答で、メイドさんが私へ初めて興味の籠もった視線を向けてきた。

 

「あなた、名は?」

「……白織」

 

 Dから貰った名。

 けれど、私にはこれ以外の名前など無いので、こう名乗るしかない。

 

「そう、白織……憶えておきますわ。では白織、私はこの家出常習犯を連行しますので、あなたは好きになさってください。——さあ、帰りますよ。仕事が溜まりに溜まっていますから」

「いーやーだぁー。帰りたくないです、仕事したくないです、このまま世界が終わる日まで遊んでいたいですぅー」

 

 稚児のように手足を振り回し、駄々をこねるDの姿になんだか眩暈がする。

 そして誠に遺憾ながら、こいつが私のオリジナルだと改めて確信出来る仕草でもあった。

 うっっっっわぁ、見苦しいわぁぁ。

 

「あなたが言うと、本当に世界の終わりまで遊び惚けるつもりでしょうに。それにあなたが仕事をしなかったら誰が代わりに冥界の管理をするのですか?」

「ん。——それか詰め込み教育をしてあとは実地で憶えろで、翠星にでも」

「誰ですか、それ。部下の中にはそんな名前も、代わりを任せられそうな存在もいませんよ」

 

 メイドさんを指さしながらコケちゃんの神の名を上げるD。

 当然、知らないメイドさんは首を傾げているが……

 

 Dめ余計なことを、それでコケちゃんのことも知られたじゃないかッ! 

 

「そこの蜘蛛さんと同じく、新たに神へと至った存在ですよ。私が名付け親です。あげませんよ」

「まだ見も知りもしない相手に、欲しいとかもありません。それに聞くに新米でしょう? 冥界の管理など成りたての神が出来るようなことでは無いこと。あなたが一番知っているはずですが」

「いやぁ、それがどうにも可能性大って感じですよ。そこの白織とはまた違った輝く原石です」

「ふむ……」

 

 顎に手を当て、思案するメイドさん。

 どう出るか緊張が走り、いざとなればと覚悟を決めた次瞬——

 

「翠星なる存在については後々でいいでしょう。あなたも、そう身構えなくて良いですよ。どうもその方とは浅からぬ関係のご様子。なにも取って喰おうとする訳ではございません。いつかお会いできたら十分ですので。——なによりも、このサボリ魔を仕事漬けにして働かせる義務がありますから。では、ごきげんよう白織」

 

 ふっと怜悧な気配を霧散させ、何処までも優しく抱きしめてくれるようなそんな穏やかな声色で宥めるように語りかけられた。

 

 そして首裏を掴まれたまま、足を床に引き摺りながら回収されていくD。

 なんて——原始的な方法っ。

 

「あっ、そうそう白織。すみませんがこういう事ですので、しばらくは此方に戻って来れません。従ってあちらの世界への干渉もまた、出来ません。システムは私が居なくても問題ありませんが」

 

 ズリズリと連れ去られながら、Dが伝え残した事を喋っていく。

 

「その間システムは、()()干渉することが出来ません。つまり外部から何かしらの干渉があっても私個人は何も出来ないでしょうね」

 

 やたら、私は、を強調して説明するD。

 つまりは、好きにしろって許可証を出したって訳だ。

 

「そして、この家にあるものは好きに使ってくれても構いません。もしかしたら便利なアイテムがあるかもしれませんよ。あとは、そこの机にある革表紙の本。それを翠星さんへ渡してください。彼女のために用意した神秘の品物です。きっと彼女の力となってくれるでしょう」

 

 Dの目線が示す先には確かに革表紙の本が置かれていて、なんとも言葉にしづらいけれど、Dのそれとは違う神聖さを感じる風格ある一冊が、鎖で封をされた状態で沈黙していた。

 

 私が視線を戻したときには、もうDは部屋の外へ消える寸前で、まるで哀れな子豚のように出荷目前な草臥れた姿であった。

 

「そして本当に最後に一言だけ……()()()()()に苔さんを妻として迎えるのも面白そうですね」

 

 ちょっとまてやぁ!? 

 なに言ってるんだ、こいつは!? 

 

 しかし、追いかけたときには、Dの姿もメイドさんの姿も無く。

 ただただ薄暗いだけの廊下が、ポツンと静寂を湛えていただけだった。

 

 そこに取り残された…………私一人だけ。

 寂しく無為に、振り上げた拳の行き先すら無いままに。

 

 そして私は、本を回収すると——

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、それを後でコケちゃんへと手渡した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして現代へと、流れる時間は到達し重なり合う。

 

 あー、やっちまったかなぁ……

 振り返って見ると、私が向こうでやった行為って思いっきりDに喧嘩売ってるというか、挑戦状叩き付けてきた感じだよね。

 

 ヤバイヨ、ヤバイヨ……どうしようぅっ。

 ロクな策すら無いというのに、いっちょまえに啖呵だけは切ったから、退くに退けない。

 

 そして、コケちゃんと魔王を連れていった、システム中枢での出来事。

 あれのせいで、コケちゃんは……

 

 どうしたものかと悩んでいると、いつの間にかある部屋の前にいた。

 

「——ッ。…………」

 

 しばし迷ってから、ノックをする。

 ノックをして少し、聞き慣れた返事を耳にして部屋へと入った。

 

「どうしたの? 白ちゃん?」

「……コケちゃん」

 

 ベッドから身体を起こし、私を穏やかな目で見てくれる小さな少女。

 コケちゃんがいつもと変わらぬ体で、私のことを迎え入れていた。

 

 一見して休んでいるだけに見えるコケちゃん。

 けれど今の彼女には、新たに刻まれた呪いの枷が絡まっていた。

 眼には見えないそれは魂へと科せられた、世界との呪縛による繋がり。

 

 私はそれを……システムに捧げられるまでの制限時間という枷を、あそこに罠があると知らずに掛けてしまったのだ。

 

 悔やむ気持ちで、言葉が出ないままコケちゃんの傍へと歩いていき。

 広いベッドの端に腰掛けた。

 

 左肩越しに、コケちゃんの顔が近くで見える。

 

「……」

「……」

 

 そしてそのまま、数秒の沈黙。

 本来ならば私は、沈黙で空気が重くなることなど一切気にしないのに——何故かこの時だけは、どうしようもなく不快で息苦しく、胸が詰まるような感覚だった。

 

「白ちゃん」

「——ッ」

 

 ビクリと肩が震える。

 心臓が早鐘を打つみたいに、痛いほど収縮している。

 

 そして何を言われるのか戦々恐々としながら固まっていると——そっと優しく抱き寄せられて、私の頭がコケちゃんの小さな胸に押し付けられていた。

 

「ぁ——」

「何も言わなくてもいいよ」

 

 そう、頭上から聞こえてくる。

 

「何かを悩んでいたり、悔やんでいるのは見れば分かるよ。

 でも、言葉にすると辛いなら無理して言わなくてもいい。私は白ちゃんのことなら、何でも受け留めるから。だから大丈夫、気にしてないよ」

 

 後頭部にて、慰撫するかのように小さな手が髪を撫でている。

 

「それでも気に病むのなら……うん、もう少しだけこのままで……もう少し、だけ……」

 

 最後の方はか細く、消え入ってしまいそうな儚い音色。

 本当は自分も辛いのに、それを隠して振る舞う、心を押し殺した声。

 

 それが私にとって、とってもとっても聞くに堪えなくて、コケちゃんの背に腕を回した。

 

「わっ…………うん、勿論いいよ。もう少しだけ……そう、私も少しだけ……白ちゃん」

 

 透視と万里眼で全方位を見れる私は、コケちゃんの瞳に涙が浮かんでいたのに気付いていた。

 キラキラはらはらと、こぼれ落ちていく光の粒。

 

 拭ってやりたい、けど私も顔を上げることは出来ない状態で——

 

 頬に感じる、一条の熱。

 流れ落ちる熱さは、どんな炎よりも肌を焦がすようだった。

 

 ——此処に誓うよ。

 ならば私は、貴女のために。

 必ず助けてみせるから。

 だから待ってて、コケちゃん。——私の大切な親友。

 

 そうして抱き合いながら、私たちは想いを分かち合い、痛みを分かち合うのであった。

 

 甘く、優しく、光を感じながら、切に切にと相手の痛みが無くなるのを希って——

 

 

 

 

 

 

 

 

「んふふー」

「おわっ?」

 

 体重移動と重力操作の魔術で、コケちゃんに抱えられたままベッドに転がされた。

 そして——同じベッドで至近距離で見つめ合う。

 

「えへへ、久しぶりだね。こうして同じベッドで一緒になるの」

「いや……魔族領まで来るときには宿で同じ部屋にて寝泊まりはしたけど、それでもベッド自体は別だったじゃん」

「細かいことは気にしない。折角だからこのまま寝よう? 私たち二人とも、根を詰めすぎているから。たまにはリラックスする時間も大事でしょう?」

 

 ——まぁ、いいか。

 

「おやすみ、コケちゃん」

「おやすみ、白ちゃん」

 

 瞼を閉じて脱力する。

 ベッドの柔らかさと、隣にいる小さな息遣いを感じながら、ひとときの安らぎを、私たちは享受するのであった。




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