魔族領に来てから、そう……たぶん八年、八年が経過したわ。
順を追って出来事を振り返ると、結構色々な事があったなと思い返す。
その中には、良いも悪いも山ほどあって、私のあり方を決定づけた大きな転換点もあったわ。
でも、それがあったからこそ今の私——
ソフィア・ケレンという存在に、真実本当に生まれ変われたんだと、そう思うわ。
初めの話は、そう——
アリエルさんの意向で、魔族の貴族子息令嬢が通う学園にてこの世界の学問を身に付け交流関係を広げなさいと、全寮制の学園に放り込まれた時からかしら。
メラゾフィスと引き剥がされて。
メラゾフィスと! 引き剥がされてっ!!
ただでさえ公爵邸に住んでいた時から会う機会が激減していたというのに、寮になんて入ったらますます会えなくなるじゃない。
外出の許可も外部からの面会も、七面倒な手続きを踏まなければならないとくれば、実際に顔を合わせる事が出来たのも、年に二度ある長期休暇かそこらなもの。
ふっざけんじゃないわよっ!
こちとら欲求不満で、そうとくるなら窓でもブチ破って脱走でもしてやるわよっ!
……こほん、言葉遣いが乱れてしまったようですわ。
たいへん失礼しました、御免遊ばせ。
最近板についてきた令嬢ムーブは此処までにしておいて。
そんなこんなでメラゾフィスから引き剥がされ、全寮制の学園へと通うはめになった私だけど、ちょっと心配していた入学のなんやらは何一つ問題なく拍子抜けするほど、あっさり通過した。
一応中途編入ということで試験があったけど、それも能力を測るだけとの事であり、落とされるとかは無いらしい。
なので、文句たらたら嫌々で渋々といった調子で試験を受けたけど、いざやってみれば想像より遥かに簡単なものだった。
筆記試験は科目によってバラツキが出たけれど——算数なんかは仮にも高校生まで履修していたのだから解けないはずも無いし、言語についても旅の途中でアリエルさんから人族語も魔族語も、私ら転生者全員みっちり教わったので問題なし。
唯一、この世界の歴史問題に関してだけは、全く知らないので解けなかったけど。
実技となれば、もっと簡単。
伊達も何も、白考案の拷問まがいな修行を何年も熟してきたのだから、そりゃあ強くなっていて当然という話ね。
魔法は上位の魔法を見せただけで、接近戦は魔闘法と気闘法を発動させただけで合格と。
私、殆どなんにもして無いんですけど?
——後々知ったことだけど、当時の実力でさえ教師陣を軽く捻れるほどに、常識から外れた代物だったとか。
まあ身近にいる強さの基準が、白や苔森、アリエルさんであれば、さもありなん。
文字通りの人外どもめ……あっ、今じゃ私も
ともあれ——
学園に入学して、その後同じクラスのガキどもの自己紹介やらなんやらがあって——自分の年齢を棚に上げるようだけど同い年とはつまり、皆外見も中身も子供ということなのよ。
話が合わない突拍子無いわ調子が狂うで、とても付き合っていられないわ。
一応、不満を募らせながら学園で過ごしていて、それなりに印象に残ったのは何人か居たわ。
そして、それなりに話し相手……というか向こうから勝手にやって来る奴も出来ていた。
金髪碧眼で見た目はキラキラしてるのに腹の中では黒いモノが渦巻いてそうな、ワルドとかいう公爵家の男子とか。
あとは魔法を専門としている教師のジグリス先生だとか、若干チャラいけど熱血な気質を持っているカラーとか、初対面の時にいきなり魔法勝負を仕掛けてきて返り討ちにしたら何故か懐かれたニタラとか、貪欲に強さを求めていて私に弟子にしてくれと頼み込んできたシヴィとか……
ものの見事に、どいつもこいつも男子ばかりじゃない。
しかも、みんな美形という。
おかげで女子からは目の敵にされてるし。
知らないわよ、邪険にあしらってもめげずに突っかかってくる向こうに言え。
腹黒の婚約者であり、眼鏡付けてて見た目からクソ真面目そうな学級委員長タイプのフェルミナていう女子から、そりゃあもう何度も何度も、ありがたーいお小言を頂いたことは数知れず。
ふん、そんなの腹黒を振り向かせられないそっちも問題でしょ。
私に会うな近づくなと言われても、心底困るし面倒なのよ。
私は私らしく、このソフィア・ケレンという第二の生を、心のまま謳歌している真っ最中なの。
あなたみたいな端役、端から大して興味無いのよ。
邪魔しないでちょうだい。
——ほんと、イライラして仕方が無いわ。
ストレスでハゲるんじゃないかしら、この銀糸の髪が抜け落ちるなんて世界の損失よ。
そういう時になると、なかば無意識の内に
気が付いたら魅了スキルを使って、いつもの男子どもから血を吸うのが習慣になっていた。
そうすれば多少は苛立ちが収まるし。
私も相手も、どっちもハッピーなのよ? 別に何も問題無いじゃない。
私は美味しい生き血を吸えてイライラも収まるし、身体的にも腹が満たされ大満足。
血を吸われた男子も、すっごい恍惚とした顔を浮かべるし。
まあ昂ぶったとしても、この身体はメラゾフィスのものだから気安く触らせなどしないけど。
気絶して床とキスしてるのが、とても
なんかいつの間にか男子が、私のことを崇拝しているようだけど、それも
ほんと、
なんかこの前、ワルドがフェルミナを婚約破棄して、そいつを学園から追い出したわ。
いじめとか暗殺未遂とか、なんか色々罪状をワルドが述べて、それをフェルミナに突きつけた。
私の知らないところで事件があったらしく、そしてそれを証拠に断罪は行われた。
勝手に始まり、勝手に収束したけど、まあいいわ
ふふっ、喧しく
そうしてフェルミナは学園から去っていき、女子どももこの一件を機に静かになっていったわ。
もう、此処に私に歯向かう奴はいない、
私はこの学園で、血のように鮮やかな薔薇色の時代を過ごすのだわ。
あぁ、なんて
そう、思っていたのだけど——
「お嬢様、今のあなたは、ご自身のことをあなたのご両親に誇れますか?」
ぶたれた、メラゾフィスに——なん、で……?
頬に走るヒリヒリとした痛みが、これが紛れもない現実であると如実に伝える。
「そんなの、そんなこと、え? あれ?」
反射的にせり出した反論は、途切れ途切れで言葉の体をなさない。
喉から出るのは、嗚咽にも似た呻きと疑問だけ。
——嘘、うそよ、違う、ちがうわ、そんなはずないッ!!
「お嬢様、吸血鬼の本能に身を任せ好き放題するのは、さぞや気分がよろしかったでしょう。誰も逆らわない、誰も逆らえない。そう、お嬢様自身が仕向けているのですから。運命が味方しているとでも? それとも都合の良い夢か何かだとでも思っていましたか? 現実味の無い、自分にだけ優しい世界は実に楽しいものでしたか?」
良い気分だわ——違うっ。
都合が良いじゃない——違うっ!
何もかも良いこと尽くめ。あぁ、なんて楽しいのかしら——ちがうッッ!!
そんな、そんなはずない……無いのよ……
「お嬢様、再度問います。今のお嬢様は、ご両親に誇れる人生を歩んでいらっしゃいますか?」
答えられない。
答えられる訳、ないもの。
だって、そんな……
どれもこれも、
指摘されれば幾つも浮かび上がる、常軌を逸した行為の数々。
魅了で誑かし、その血を嬉々として啜った。
そのまま身体が熱いほど昂揚して、血を吸われ気絶した男を床に転がし、メラゾフィスを想って自分を慰めたこともあったり。
何となく気に入らない事があれば、八つ当たりの暴力を振るったり、
不満や愚痴があれば、取り巻きの男どもの傍で
ありえない……おかしいわよ……
なに前世の私が見たら卒倒しそうな事を、平然とやってるのよ。
だというのに、
あまりの悍ましさに、血の気が引いた。
「お嬢様、私はお嬢様のことを主として仕えることはできません。なぜならば、私の主はあなたのご両親だからです」
メラゾフィスが、言葉を続ける。
聞きたくない何も言わないでと、駄々をこねる幼子のように頭を振るが、隠れた本性を暴き出す言葉は止まってくれない。
まるで、吸血鬼を殺す銀の弾丸のように。
「ですから、たとえ吸血鬼としての親がお嬢様であろうと、この心を書き換えることはできません」
それは、拒絶の言葉。
それがメラゾフィスの口から吐き出された。
いやっ! 嫌よっ、
そう願って目に魔力が集った瞬間、再度乾いた平手が私の頬を打ち抜いた。
「この心は、あなたのご両親に既に捧げています。私はもう迷いません、惑いません。私に
毅然とした態度で、私の目を覗き込むメラゾフィス。
その瞳は深い哀しみで染まっていて——あぁどうしてなのかしら、私を見ないで。
「あなたのご両親が、私に託したことはただ一つ。『お嬢様を頼んだ』。ただそれだけです」
わたしの、両親。
ジョン・ケレン、セラス・ケレン。
今世での、パパとママから、メラゾフィスに頼まれた、こと?
「頼まれたのです、私はお嬢様のことを。死ぬまで見守っていきます、決して見捨てはしません。間違っていればそれを何度でも指摘します。正しき道に戻るまで、幾度も幾度もこの手を振り上げましょう。ですが出来ることならば、私に手を使わせないでください」
そんな、そんなのって、ズルいわ……
もう、逆らえる訳ないじゃないの。
意味ある言葉は言えず、ただ滝のように涙を溢れさせながら嗚咽を漏らすことしか出来ない。
ごめんなさい、メラゾフィス。
ごめんなさい、今世での両親。
ごめんなさい、前世のパパ、ママ。
心の中で謝り続けるものの、それで感じるのは悔恨などでは無く、なにを謝っているのだという自分自身への当惑だけ。
それで気付いてしまった。
止まらない変わり果ててしまった、人と吸血鬼との齟齬。
あれらの行為が人として異常だと認識しているのに、今の私はそれに特別な感情など何も抱けず当たり前のことだと、素で思っていることに。
血を吸うことが、ごく自然なことで。
異常なことが、平常だった。
いつの間にか私は、身も心も吸血鬼に成り果てていたのだ。
そのことに気付いて、もう人には戻れないんだと少しだけ寂しく。
けれど、少し寂しい程度にしか思うことが無いという事実に、それも大して感慨を抱けず。
両親に誇れるかですって?
今世も前世も、どちらも人である両親に、今の私が誇れるわけないじゃない。
今の私は吸血鬼。
考え方も価値観も、生き方すらも違っていた。
人としての誇りなんて、とうの昔に捨ててしまっていた。
それも特に気負いもなく、ゴミ箱にちょっとクズゴミを捨てるかのような気安さで。
そうと指摘されなければ、自覚することも無かったように。
けど、自覚してはもう駄目だった。
人と吸血鬼との違いが、分かってしまう。
だから——気持ちが悪い。
「うぷ……っ!」
「…………お嬢様」
えずいて口を抑える私に、メラゾフィスが労りに満ちた手で背中を撫でる。
——やめてよ、優しくしないで。
縋りたくなってしまうから。
それから私は、答えの出ない日々を過ごす事となったわ。
ソフィアの挿話を追加。