転移してきた私と白ちゃんの視界に映ったのは、司令室とでも言うような部屋の中央に置かれたデスクに腰掛けて無数のモニターから戦場を観戦するアリエルさんと、苦虫をいくつも噛み潰したかのような余裕のない表情で顔を酷く歪めているバルト卿の姿だった。
「お? 白ちゃんにコケちゃん、ちょうどいいところに」
「……何でしょうか?」
私たちに気付いたアリエルさんが、気安そうな声で振り向く。
それに一拍遅れて、冷や汗が顔に浮かぶバルト卿も振り返った。
「このままだとブロウが死にそうなんだよねー」
何気ない世間話をするかのように、クソリオン砦を攻略中のブロウに生命の危機が迫っている事を説明するアリエルさん。
その言葉を受けて、再び顔色が悪くなるバルト卿。
彼にとっては血を分けた弟のことであるから、気が気ではないと感じ取れた。
空中に投影されているモニターを見る。
ギュリエさんが狭間の国について説明するときに使った魔術を白ちゃんは再現していて、映っている映像と音声は、戦場の各地に配置された分体から送られてきているものらしい。
遠方の状況を把握する事は、私も眷属の感覚を借りて似たような事が出来るけれど、他人に共有出来るように投影する方法は、いまだ習得出来ていなかった。
こういう小技は、白ちゃんの方が大得意だからね。
私はシンプルな構築の魔術は息を吸うかのように扱えるけれど、多機能な魔術の開発と運用では白ちゃんに敵わない。
魂へ干渉する事に特化した魔術なら、白ちゃんのほかギュリエさんにも追随を許さないけれど、応用可能な範囲が限られているため、こういう便利な事が出来る魔術では無かった。
気を取り直して、クソリオン砦を映しているモニターを探す。
そして見つけ出したモニターに映っていたのは、劣勢に追い込まれて血を流していくブロウと、懐かしい顔だけれど憶えている記憶よりも精悍な青年へと成長した勇者ユリウスの姿だった。
あの戦争が開始する寸前、森の中にて初めて会った時に焼き付いた眩いほどの魂の輝きは、一生忘れられそうに無いものだった。
だから、思わず相談に乗ってしまったし、当時魔蛾だった私の翅一枚を渡してしまうほどに。
そして、戦場で三竦みになっていた私たちを纏めて消し飛ばそうとした大魔法から、身を挺して彼を逃した事も。
魔族と人族の戦争前に事前準備として世界各地の情報を集めている時も、勇者のことは常に心の何処かで気にしていたと思う。
彼が歩いて生まれた軌跡は、遠く離れた場所の出来事だったけれど、一つ知る度に心が踊った。
勇者と仲間たちが積み上げていく冒険譚に、憧れのような光を感じていた。
羨ましいと思ったこともある。
人として正道を歩み続ける彼らが、悲しくなるほど綺麗だったから。
でも、そんな事では世界を救えないと、私は知っている。
だから今日、私は彼を、ユリウスを……
「アーグナーだったら勇者と互角くらいには戦えると思ったんだけど、買い被りだったかな?」
「勇者とその仲間が強いだけ。アーグナーは、頑張っている」
アリエルさんと白ちゃんの会話で現実へと引き戻る。
アーグナー卿を誹謗したアリエルさんを、白ちゃんが窘めるという珍しい光景によって。
「おん? ……びっくり。なに? 白ちゃん、アーグナーのこと買っている?」
この場所にはバルト卿もいるので、普通ならあまり喋らないはずの白ちゃんが庇うような発言をしたことに、アリエルさんは目を丸くして聞き返す。
私も同じような顔になっていると思いながら白ちゃんを見ると、静かに頷いた。
その後アリエルさんが、あんなのが趣味なのと白ちゃんをからかう一幕の後、モニターの向こうで変化が起きた。
『ならば、魔王を倒しに行こうか』
『……は?』
『戦争の元凶が魔王ならば、それを倒せば済む話だ。そして何より……、魔王を倒すのは勇者だと相場が決まっているものさ』
負傷と疲労で膝をつくブロウに、剣を突きつけるユリウス。
首に巻かれた白と緑色のマフラーが、風になびき揺れている。
そして今、勇者が呟いた宣言に、魔王が酷薄に笑い答えた。
「ふーん。言うねぇ……」
アリエルさんが嘲笑するのに合わせて、私は一度瞼を閉じた。
感情を凍らせ、再びゆっくりと瞳を開く。
「じゃあ、予定通り行こうか」
その言葉に、私と白ちゃんは何も言わずに頷いた。
誰もが冷たい瞳のまま、計画通りに作戦を遂行する。
今更止まれない。
それに、この計画には私も賛同しているのだから。
先に白ちゃんだけが異空間へと消えた。
そして次の瞬間、クソリオン砦を巡る戦場にクイーンタラテクトと瓜二つな怪物が出現した。
モニターの向こう側で、ゆっくりと暴虐が動き出す。
開かれた口からブレスが放たれると、それが通過した後の空間には何も残らず、大きく崩壊した城塞の防壁と瓦礫の山が映っていた。
そして、砦へと脚を進めていく白き巨影。
ただ一歩脚を動かしただけで、無数の兵士らが薙ぎ払われていき、踏み潰されていく。
画面越しであっても、戦場が狂乱に突き落とされたのが見て取れた。
怪物が蹂躙を開始して数分後、再びこの部屋へと転移で戻ってきた白ちゃん。
けれど、想像とは異なり白ちゃんはたった一人で帰ってきた。
「おかえりー。……あれ? アーグナーとブロウは?」
その事に疑問を憶えたアリエルさんが白ちゃんに問う。
あの今暴れているクイーンタラテクトは白ちゃんが作った分体で、それが戦場に投入された時点で軍団長は退却させる手筈となっていたからである。
「アーグナー、戦闘続行。ブロウ、部下の避難」
「……あー、部下を避難させるから残るとか言われた?」
再度の問いにも首肯を返す白ちゃん。
それを聞いて、苦々しくも誇らしいような複雑な表情を浮かべるバルト卿。
「よかったの?」
彼らが自ら残る事を選択したとはいえ、白ちゃんなら無理矢理連れ帰ることも可能だったのに、それをしなかった事が不思議に思う。
「誇りは?」
「…………えっ?」
「それで、彼らの誇りは、保てる?」
「……ぅ」
今まで一度も聞いたことが無い、重々しく語気を強めた口調で白ちゃんは言う。
その台詞に、言葉が詰まってしまった。
たしかに、彼らも覚悟を決めて戦場へと立っている。
それが私たちによって仕組まれた盛大な茶番だとしても、彼らは背負っているモノの為に生命を懸けて自ら戦っていた。
愚かだとは、言えない。
彼らを苦しめている側の私が言っても、ふざけるなと返ってくるだろうけど、偽りなく本心からそう感じた。
だけど、それでは少しだけ予定から外れてしまう。
「バルトー」
彼らについて思い悩んでいると、アリエルさんが声を発した。
「はい」
「ちょっと、ブロウに連絡してくんない?」
電撃でも打ち込まれたかのように一瞬硬直してから、バルト卿は動き出す。
事前に軍団長クラスには全員所持するように制作して渡した、スマホを模した遠隔通話の魔道具を耳に押し当てて、戦場にいるブロウへと連絡を試み始めた。
この魔道具は、金属板へと遠話を少し拡張しただけのシンプルな術式が刻み込まれている、私が用意した通信機器である。
焦りが滲むバルト卿を横目に、私は白ちゃんとアリエルさんに話しかける。
「私は現地で見届ける。戦いが終わった後、二人が生きていたら回収にも行く。だから白ちゃんは例の場所で準備していて。…………勇者は、……私が、やるから」
些か予定が狂ってしまったけれど、これからする事に変更は何も無い。
軋む心を見なかった事にして、私は誰かに言い聞かせるように宣言した。
「……わかった。気をつけて」
「そっちもね。失敗しないでよ?」
「…………いってらっしゃい、二人とも」
短く言葉と視線を交わし、白ちゃんは世界を支える女神の元へ、私は人の希望を摘み取り私たちに相応しい歪んだ希望にするため、死に溢れた戦場へと跳んだ。
幾ばくかの時間が流れた頃。
偽物であるとはいえ、本物に迫る強さのクイーンタラテクトが沈んだ。
到底人では敵わない怪物で、普通なら勇者でも勝てない存在として作られた大蜘蛛が、である。
けれど、クイーンタラテクトが勇者に倒されるのは予定調和として仕組まれていて、そこまでは想定の範囲内とされていた。
想定から外れたのは、討伐するためには使わざるを得ないと思われていた力を、決して解放すること無く勇者が大蜘蛛を殺したことだった。
もともと、あのクイーンタラテクトは生贄である。
勇者が、勇者剣という武器を消費して勝ってもらう為の、用意された障害。
勇者剣とは、それだけでは不壊に等しい頑丈さを持つだけの剣だが、勇者が手にした時のみ解放される能力が一つある。
それが、ただ一度だけ、勇者剣を犠牲にして放たれる、神さえ屠れる一撃。
それを無駄撃ちさせるために、勇者単独では敵わぬ壁として立ち塞がる。
そのはずだったのに。
眼下ではクイーンタラテクト討伐に沸き立つ人々の中心にて、傷だらけになりつつも力強く剣を掲げる勇者ユリウスの姿があった。
その腰に吊るされた、もう一本の剣を一切引き抜くこと無く勝利した姿で。
声が枯れんばかりに叫び続けたユリウスは、ゆっくりと人々の中から離れていく。
その先には、唯一生き残った勇者の仲間の一人が立っていた。
そこで立ち止まり、彼らの間には悲痛と沈黙が流れていた。
さほど遠くない場所には、大地に穿たれた巨大な陥没痕。
他には誰も居なかった。
……いや、近づく影が一人。
ただでさえ消耗していたのに、怪物が暴れまわった余波に巻き込まれて瀕死になりながらも勇者に斬り掛かったのは、魔族の軍団長ブロウ。
それに合わせて、戦える魔族たちが集まってくる。
対抗するように人族の兵士たちも。
彼らの間で、譲れない意思が飛び交う。
決裂した想いは混ざり合うこと無く、剣によって分かたれた。
数瞬の剣戟が煌めく。
そして、血を吹き出しながら崩れ落ちたのは、ブロウの方だった。
「改めて言う。退けっ!!」
魂が抜け落ちた骸から目を離して、魔族へと喝破するユリウス。
その覇気は、何一つスキルを使っていないというのに、戦場全てを満たすようなものだった。
結局、アーグナーもブロウも、最期の時まで戦いを止めず死んでしまった。
止めさせたり、妨害は出来ただろう。
けれど、介入するのは、憚られた。
自分の魂すら燃やし尽くすような輝きが、そこにはあった。
決して誰にも踏み躙れないような、恒星のような彼らの祈り。
それを穢して貶めるような所業は、してはならない禁忌のようで。
「……白ちゃん。これで良かったんだよね」
戦場の遥か上空にて、私は呟く。
細長い龍の形態となり悠々と空を泳ぐメントの背の上で、手に乗せた白蜘蛛を見つめる。
何度も確認はした。
止めなくてもいいのって。
それは選択を他人に委ねる逃げだったけれど、そう思っていたのは白ちゃんも同じで。
私たちは結局、何も彼らの戦いに手を出すことは無く、事切れる最期の時までただ見守っただけだった。
白蜘蛛が頷く。
それを見て、私はこの戦争における最後の仕事へと移る。
「準備はいい? ……それじゃあ、いくよ」
白蜘蛛が異空間へと消えていくと、私は動き始める。
これから始めるのは、神の手による強引な幕引き。
デメテール・イムノス
「《詠い始めよう、女神と娘とを——》」
詠うは、魔法の言葉。
抑え込んだ力の封印を解く、私だけの法。
内側から溢れ出す神秘の奔流は形を変え、本となって手に現れた。
不吉ながらも神聖な、けれど私のためだけにあるように手に馴染む、神秘のカタチ。
白い花の髪飾りが解け、無数の花弁となって頭上に光輪を形取り成していく。
ドクリと、呪いが刻まれた脇腹が痛んだ。
——世界が、新たな生贄を求めている。
次なる歯車として、私を呼んでいる——
魂に直接語りかけてくるのは、世界に染み込んだ贖罪の呪詛。
悍ましく、鬱屈として、嘆きに満ちているけど、僅かな奇蹟を願う祝福が詠われる。
その想いに同調しつつも、私が行くことは出来ないと断って、力を引き出す。
「まだ、諦めるわけにはいかない」
私も、最期まで足掻き続けると、決めたのだから。
奇蹟を探そう——これからも、みんなと。
絆は、見えない糸となって繋がっているのだから。
そして今は、奇蹟を紡ぐため、死を与えよう。
神の祝福の裏返しは、逃れようのない破滅の法則。
アイドゥーネウス
「《冥王は不死たる馬を駆り、貴方を攫う——》」
瞬間、戦場にいる誰もが空を見上げた。
けれど、彼らが知覚出来たのはそこまで。
刹那にも満たない時間。
あの戦場、あの空間は、世界から裏返り、冥府へと変わった。
ほんの僅かな時間のみ、世界に死が満たされる。
そして世界が元通りになった時、その中にいた生者は誰一人居なかった。
例外たる龍神の人形を除いて。
その隣には、恐怖に固まった顔のまま息絶える、勇者ユリウスの姿があった。
「……」
「……」
「おやすみなさい。……どうか、来世では良き人生を」
「あんたが、それを言うか」
「…………祈るくらいなら、いいでしょう?」
「……そうだな。あんたは最後まで渋っていた、それは俺も知っている」
「悲しいよね。良い人も悪い人も、等しくみんな死んでいく」
「ああ」
「彼を、お願いします……。最期はっ、綺麗に見送られるべき、だから……っ」
「……そのつもりだ」
そして二人は別れていく。
男の方は、腕に勇者の亡骸を抱えて歩いていく。
顔を下げ、誰にも表情を見せないようにして。
少女は、男とは別の方向へと歩いていく。
ツバの広い帽子を深く被り直し、目元を隠しながら。
乾いた大地に、雫が二つ染み込んでいくのを、太陽と蜘蛛が見ていた。
「ふっざけるなぁぁッ! そんなに、私たちの邪魔をしたいのか!? 私たちの気持ちを踏み躙るつもりなのか!? 答えろよ、女神っ! いや、Dィィッッ!!!!」
さよなら、ユリウス。