ユーゴーが姿を消してから、はや数年。
俺に対しての暗殺未遂と、地竜による襲撃事件。
両方とも被害は殆ど無いとはいえ学園に少なくない衝撃を与えた二つの事件は、結局の所真相が表沙汰になることは無く、主犯不明のまま有耶無耶に終わった。
その犯人がユーゴーだと俺は知っているが、実際に具体的な罰が与えられる事は無かった。
当のユーゴーが、学園から忽然と姿を消したからだ。
空間魔法による逃走ではないかと言われているが、真実は不明のままである。
事件からしばらくして、カティアやユーリと話した会話では……
「仮に襲撃者たちとの関係が証明出来なかったとしても、他国の王族に本人が攻撃を加えたことは事実。それが何の罪にも問われないのは、おかしいと思いませんか?」
「何もおかしな事は無いのよ。ここはそういう世界だから」
目撃したのが俺と岡先生だけとはいえ、日本では考えられないような事実に疑問を浮かべる俺とカティアに、ユーリが答えた。
ユーリは元クラスメイトの転生者で、隣国の聖アレイウス教国の象徴的存在である聖女の候補の一人でもある。
前世の名前は長谷部結花で、女子の中では手鞠川とか古田とか苔森とかの、比較的大人しい子や漆原美麗のグループに馴染めない子たちと仲が良かったと記憶している。
その漆原ことフェイは今世では地竜になっていて、俺と行動を共にしているけどな。
「シュン君たちは、その地位に居るから気付かないだろうね。この世界の身分っていうのはね……みんなが思うよりずっと強い力を持っているんだよ。あたしは元孤児で平民だから、そういうのを結構耳にしてきた……。貴族に殴られた挙句に殴った手を痛めたって理由で処刑された人もいた。売った野菜に虫が付いてたって理由で一家諸共処刑された家族がいた。他にもね、それくらいの話だったら世界中に溢れているよ」
その時、俺とカティアは二人して絶句していたのを憶えている。
「身分の差は絶対の差。ユーゴー君は世界有数の大国の次期剣帝。このくらいの事件、有耶無耶にするのは簡単な事なんだよ」
苦い顔をしていたカティアと俺。
その時、俺たちは世界の事を全く何もわかっていなかったのかもしれないと、そう思った。
話の後は、神言神言とトリップし始めて喋り続けるユーリから最後に神言教に入信を迫られる、いつもの感じだった。
その後のユーゴーについて、気にならないと言えば嘘になる。
ステータスが低くなりスキルも失ったユーゴーが、あの後何も無かったとは思えない。
人として最弱クラスまで弱体化したと知られれば、ユーゴーの祖国である帝国でも居場所が無くなっているかもしれない。
最悪、祖国から絶縁を言い渡されているかも。
レングザンド帝国では力こそが全ての実力主義だという。
そう考えると、力を失う事がユーゴーにとって相応しい罰なのかもしれない。
力に溺れ、精神すら病んでいたように見えたユーゴー。
俺も、ユリウス兄様やスーにカティアの存在が居なければ、力に溺れていたのかもしれない。
あの事件を機に、世界を見る目が変わった。
以前の俺は、ユリウス兄様に憧れを抱いているだけの、ただの子供だった。
けど、初めて人の悪意に正面から触れ、魔物の恐ろしさと殺気を肌で感じて、俺はようやく兄様が進んでいる道の困難さの一端を知ったのだった。
今でも、恐怖が脳裏にこびりついて離れない。
俺が平和ボケした日本からの転生者だからそう強く思うのかもしれないけれど、俺は殺すのも、殺されるのも、怖くて仕方がないし、どうしようもなく嫌いだ。
それでも、この世界で生きていくには、兄様の背に追いつくためには、その恐怖に屈する訳にはいかないし、嫌いだから逃げることなんて出来やしない。
あの事件の後も、俺は演習に参加して魔物と戦い殺す機会があった。
俺の一太刀で呆気無く倒れ、命を奪ってしまった弱い魔物。
力が無ければ、死んでいたのは俺の方だとわかっているのに、命を奪った自分自身の力が怖い。
この手にある重さと恐怖は、決して忘れてはならないものだ。
命の奪うことへの重さ、それを行った俺自身の力に、恐怖を忘れてはならない。
忘れてしまえば、俺は俺では無くなる。
いつ自分の命が脅かされるかわからない危険な世界で、そんな考えを持つのは自分でも馬鹿だと思うけど、この感覚だけは失ってはならないものだと感じた。
命の重さを理解する。
その上で、守るべきものと、奪わなければならない命を天秤にかけ、戦うことを選択する。
兄様が歩く道は、そんな道なのだろう。
俺には、まだまだ覚悟も勇気も足りていない。
それでも俺は、極力誰かを殺す事なんてしたくなかった。
けど、自分と隣にいる身近な誰かを守れるだけの力は必要だ。
矛盾しているようだけど、俺に力が無くて何も出来ずに見ているだけなんて、耐えられない。
それで大事な誰かが目の前で死ぬような事、俺は嫌だ。
成長していくにつれ強くなる力に、喜びよりも怖さが大きくなる。
魔族との戦争がいつ勃発してもおかしくない情勢では、必要だと理解していても、だ。
ユリウス兄様は今、帝国にいるんだろう。
魔族との国境線がある帝国では、小競り合いも多いと聞く。
兄様と直接顔を合わせたのも、随分前の事になっていた。
岡先生の姿も、長らく見ていない。
ユーゴーが姿を消したのと同じくして、岡先生も学園から消えていた。
前は授業に時々は出席していたのに、今では影も形もない。
あの時、ユーゴーに何をして力を消したのかも、地竜との戦いで参戦しなかった理由も、今姿を見せない理由も何もかも、俺にはわからない事だらけだ。
俺の周囲では、表面上では何も無くても、いろんな事が変わった。
カティアは、図書館に籠もり知識を漁っては人脈を広げているように見える。
徐々に俺と距離を取ろうとしているようで、なんとなくギクシャクした関係が続いている。
フェイも、それまで乗り気では無かったレベル上げに積極的に取り組み、体が大きくなるという理由で嫌がっていた進化もあっさり行い、今では数メートルの巨体になり外暮らしをしていた。
スーも最近は何だか余所余所しい気がしていた。
前までは「兄様」と言って何処までも付いてきていたのに、この頃はその頻度も少なくなった。
これが兄離れなのかと思うと、少し寂しいものがある。
そう言えば、何を思ったのか知らない間にスーはペットを飼っていた。
緑色の鮮やかな翅を持った虫だ。
普通、女性は虫とかは苦手だと言われているけれど、これは抵抗を持たない人も多そうだと思う綺麗な見た目だった。
俺も少し可愛いと思う、丸くてぬいぐるみのような姿だ。
蝶なのかと聞いたが、実は蛾らしい。
なるほど確かによく見れば、カイコガを緑色にして翅に鮮やかな模様を描けば、こうなるだろう見た目だ。
どうやって手に入れたのか教えてくれなかったけど、それがスーを成長させた何かであるなら、俺がどうこう言うのも野暮な話だろう。
その時、当の虫自身は器用に前脚でグシグシ触覚を擦って呑気な姿を見せていたが。
何も変わっていないのは、ユーリくらいか。
神言教の勧誘活動を所構わずしまくっている姿を見かけるし、絡まれて困っている生徒が居れば俺がユーリを引き剥がして、逃げろと生徒に目で合図する事が何度もあった。
そして標的が俺に変わるまでがワンセットで、俺とユーリでの定番になっていた。
そうして俺の周囲では些細な変化はありつつも、大きな事件も無く平穏に過ぎ去っていく。
そのはずだった……
《条件を満たしました。称号「勇者」を獲得しました》
この声が聞こえてから、俺の世界は一変した。
勇者の称号を得たことは、すぐに教師を通して父上に報告された。
父上に呼び出されて久しぶりに帰ってきた王城だけど、懐かしさや感慨に浸る余裕なんて俺には無かった。
そして俺は、父上の執務室で勇者の称号を確認され、嘘ではない事を証明した。
いや、してしまった、か……
勇者の代替わり、それはユリウス兄様の死を証明するようなものだからだ。
あの時、初めて父上の弱い姿を見た。
父上も一人の親だったんだと、遅まきながら理解したんだ。
その後は、ユリウス兄様の死と新勇者になった俺についての公表を伏せる事で決まり、一ヶ月程俺は城に缶詰となって自主訓練に明け暮れる日々だった。
何もしていないと色々と考え込んでしまって、落ち着かないからだ。
体を動かしていれば、少しは気が紛れる。
そんな気がしたから。
聞いた話によれば、ユリウス兄様が死んだことは世界的に秘匿されているらしい。
戦場の現場などでは知れ渡っていそうだけど、少なくとも戦場から遠く離れたこの国では、そういった噂が入ってくるのは、まだ先の事になりそうだった。
戦場では魔族の侵攻が何故か止まり、魔族側も今回の戦争でかなりの被害が出たと言われているので、しばらくは動きが無いだろうと予想されていた。
そして時間は過ぎ、戦場からハイリンスさんが帰還して、ユリウス兄様が遺体で帰ってきた。
兄様の遺体は、身内のみで密かに葬儀が行われた。
そこで俺は改めて、兄様でも命を落とすような、過酷な現実というものを感じた。
力が欲しいと思った。
けど、だからと言って甘さを捨てる気は無い。
心が無い力では、人を傷付けるだけだと、俺はそう思う。
傷付けるだけの力が生むのは、悲しさだけだ。
それを俺は、ユリウス兄様の遺体から感じ取ったんだ。
力は怖い。
戦うのは、もっと怖い。
こんなに早く覚悟を求められるなんて、俺は想像もしていなかった。
きっと俺は、ユリウス兄様が生きていても隣に立って戦えなかっただろう。
魔物を殺すのも抵抗を覚える俺なのに、しっかりとした意思を持つ相手を殺す事なんて、不可能だと思う。
弱くて、臆病で、ちっぽけな勇者。
それが俺だ。
時間を掛ければ強くなれるこの世界で、俺はこれから戦いの日々に身を投じる事になる。
嫌な世界だ。
世界の仕組みも、逃れられず変われない俺自身にも。
何も考えず、魔族は敵だと言えたら、どれほど楽だろう。
ただ、殺すことに何も疑問を抱かずに戦えたら、どれほど簡単だろう。
でもそれは、兄様の理想にも、俺自身の魂にも反することだ。
不安に押しつぶされそうな時、話せる相手は少ない。
兄としてのプライドかスーに弱音は吐けない、フェイは俺が勇者になると同時に巨大な白い卵のようになっていた。
鑑定したら「竜の繭」と表示され、中でフェイが生きているのかも不明であり、あの気安い軽口も今は聞こえない。
ユーリも教国に呼び戻されて学園から去ってしまい、今頃は王都の教会で帰国の準備をしているだろう。
唯一カティアだけが俺の内心を吐露できる相手だ。
けど、今は話せてもカティアとはいずれ離れてしまう。
俺は戦場で、カティアは学園だ。
そんな危険な場所に連れて行くことなんて、出来ない。
俺は、兄様が経験したという自傷じみた方法で只管鍛えるだけだ。
こうでもないと、俺では追いつけないから。
兄様が歩いてきた道、その裏側をハイリンスから聞いた俺は、立ち止まれなくなった。
兄様の理想に、俺の全てで殉じる。
そのために力を付けることも、考えを巡らせる事も、正しさを求め続ける事も、どれも止めてはならない。
時間も止まること無く、刻一刻と過ぎ去っていった。
父上に呼び出されて執務室に向かう俺。
ついに兄様の死が、市井にも噂され広がってきているらしい。
もう隠すのも限界だと判断し、神言教は正式に勇者の死を発表するようだ。
そして、新勇者の発表も一緒に。
今日呼び出されたのは、その事についてだろう。
「シュレインです」
扉をノックしたが、返事は無い。
おかしいな、父上はここだと聞いていたんだが。
もう一度ノックをする。
すると、扉が僅かに開いていた。
俺は違和感を覚えつつも、そのまま扉を押して執務室に入った。
「父上? 入りますよ?」
この声にも、やはり返事は無い。
室内を見渡すが、書類の積まれた机には誰もいない。
「誰もいない? いや……ッ!?」
これは血の臭い!?
急いで執務室の奥へと走る。
そこには、額を撃ち抜かれて血を流す父上の冷たい姿が横たわっていた。
「ッ!?」
叫び声を上げようとした。
けど、いつの間にか俺の周りに消音の効果が掛けられていて、その音が外に出る事は無かった。
「失礼します父上。……シュレイン? そこで何をしている?」
混乱で頭が真っ白になっていた時、開けっ放しだった扉からサイリス兄様が護衛を連れて室内に入ってきた。
そして、倒れ伏す父上と、隣に立つ俺。
「シュレイン、貴様父上を!?」
違う、俺じゃない!!
けど、その声は掻き消されて聞こえない。
「衛兵! シュレインが国王陛下を襲った!」
俺とは反対に、よく通る叫び声でサイリス兄様の言葉が城内に響き渡る。
雪崩込む衛兵たち。
「シュレインを捕らえろ!」
サイリス兄様の号令で、動き出す甲冑騎士。
目にも留まらぬ速度で接近し、剣を振り下ろしてきた。
長剣を抜いた瞬間も振り上げた瞬間も、見えなかった。
けど、普段の訓練の成果か、咄嗟に自分の剣を間に差し込む事に成功した。
しかし、その剣が容易く両断される。
ありえない。
咄嗟のことで強化も何も掛けてない状態だったとはいえ、そこらのナマクラとは違う質実剛健な名剣だというのに、簡単に切り裂かれて真っ二つにされた。
追撃の掌底が、鳩尾に突き刺さる。
胃液を撒き散らしながら、俺は室内の壁まで吹き飛ばされた。
「ゴッ……、オゲェ……」
血液混じりの内容物が、口から溢れる。
確実にあばらの何本かが逝った。
内臓にも深刻なダメージが入っているだろう。
即死しなかったのが奇蹟だと思える、致命の一撃だった。
蹲る俺に、甲冑騎士が語りかけてきた。
「よう。無様だなぁ、勇者様?」
煽るような口調と声が、頭上から投げ掛けられる。
兜で若干聞き取りづらいが、その声には聞き覚えがあった。
「おっ、まぇッ……。ユーゴー、か?」
「正解だ」
気が付けば消音の効果が消えていて、呻きと共に俺は問う。
兜を脱いで現れた顔は、スキルを失い失墜したはずのユーゴーだった。
歪に釣り上げた口角とギラついた瞳が、俺の目に映る。
「悪いな、シュン。ちょっと死んでくれ」
そう、ユーゴーは世間話でもするかのように嘯いた。
ちょっと遅れた! やっぱり執筆は難しい。