迷宮に入って既に五日目かと、カティアこと、大島叶多は考える。
少人数である事、その全員が高いステータスである事を最大限利用して、かなりのハイペースで最短コースを駆け抜けているので、既に迷宮の半分以上を走破していた。
俺たちの行軍速度は迷宮案内人のバスガスさんという人が言うには異常の一言で、安全と速度を両立出来る限界にまで到達しており、むしろバスガスさん当人がこれ以上は老いぼれには堪えると嘯いていた。
そう言いながら豪快に笑う様子からは、疲れなんて感じさせないがな。
この迷宮内で脅威となるのは魔物だけであるが、その魔物も俺たちにとっては取り分け脅威にもならない相手だった。
盾役のハイリンスさんを中核とし、オールラウンダーな俺とシュンやフェイ、魔法による援護に秀でたユーリや先生が後衛を務める、安定感のある布陣で苦戦らしい苦戦も無く進んでいた。
案内人という事で、バスガスさんが戦闘に参加するのは稀であるが、時折参戦した時に確認した戦闘能力は、この実力者揃いの中でも引けを取らないほど。
そんな即席ではあるが上手く回っているパーティだったけど、少し前からさらに洗練された。
最近のシュンの様子は何処か異質な雰囲気だったが、今、目の前に居るのは誰だ?
「ハイリンスさんは中央の魔物を抑えてくれ! フェイは左を牽制! カティア、ユーリ、先生は魔法で攻撃、右から順に撃破するぞ!」
シュンの指揮の下、俺たちは動く。
二日前から積極的にシュンが作戦の指示するようになり、最初こそ拙い感じだったけど、今ではそれなりに様になっていると思うほどだった。
その日を契機に、シュンは再び変わった。
もちろん良い意味ではあるので、陰鬱な陰のある表情のシュンより遥かにマシな筈なのに、この変わりように俺は戸惑いを隠せない。
少し前からするようになった、憂愁が滲む表情は変わってない、けど目が違う。
今のシュンの瞳は、眩いほど輝いて見えたから。
俺が睡眠を取っていた頃にバスガスさんと何か話をしたらしいが、詳しい内容は分からない。
けど、その時にシュンは何かを掴み、絶望の色から希望を宿すように昇華していたのだった。
今のシュンからは、普段の頼りない感じはしない。
冷静に前を見据え、その中に譲れない想いの光を宿したシュン。
倒すべき魔物を、最速かつ一撃で倒していくシュン。
その効率的ながらも、息を呑むほど冷たい慈悲深き戦い方を俺は眺める。
俺では、あのようには出来ない。
もともと俺とシュンとでは、肌でヒシヒシと感じるほど才能の差があった。
子供の頃は小さな差でも、成長するにつれて埋め難いほど溝は広がっていった。
その才能に、嫉妬した事だってある。
けど、直向きに努力し何事にも一生懸命な姿に、俺は目を奪われて純粋に尊敬するようになっていたんだ。
そういえばコイツ、前世の頃から目指すべき目標があると、そこに向かって迷い無く突っ走る奴だったな。
今世では、その目標が兄であり勇者のユリウスさんだったから、努力を続けてドンドンと実力を付けた結果が、今の光景に繋がっているんだろう。
対して、
身体は、変わった。
二次性徴を迎え、見た目こそ女性らしく成長していったが、精神は男のままだった。
男の精神を持ちながら、女として生きる。
そんなチグハグな自分。
けど、変化は日々を重ねるごとに、目に見える形で現れていった。
身なりについて注意を払うようになり、肌の状態も自然と気にかけていた。
手の甲に血管すら浮いていない自分の細くて丸みのある繊細な指先を見て、爪の割れが無いかと眺めた時、その無意識の行為に静かに驚いた。
胸が膨らみ始め、階段を登るなどで非常に不安定な部位の事を意識させられる度に、ゴリゴリと精神が削られるような思いをしつつも、誇らしい気持ちも芽生えていた。
内面の方も、知らず識らずの内に変化が進んでいた。
可愛いものや綺麗なものに興味を惹かれるようになり、脳裏でそれを手にした女の姿での自分を想像した。
感情の振れ幅が次第に大きくなり、凪いだ精神から生まれる論理的な思考よりも、膨れ上がった感情に突き動かされる衝動的な行動が多くなった。
決定的な転換点となったのは、課外授業、シュンがユーゴーに襲われた時だ。
あの時、自分でも訳が分からないくらいに精神が震え慄いた。
もしシュンが殺されていたらと悲観的な考えが浮かんだ瞬間、自分自身が世界から切り離されたかのような浮遊感を覚えた。
最初はただ、シュンが前世からの、それこそ唯一無二の親友だからと思った。
けど、再びシュンと顔を合わせた時、自分でも理解出来ない感情を抱いていた。
シュンを失いたくない。
その想いは、日に日に強くなっていく。
近くに居るとソワソワして落ち着けない、けど離れてしまうと寂しくて落ち着かない。
矛盾した感情に戸惑う自分では、その不安を制御出来なかった。
けど、それが何なのか本当は分かっていた。
ただ認めたくないだけで。
元は、男だった俺。
今は、女の私。
あの事件が起点となり、自らの心が二つに割れるのは必定となってしまったんだろう。
シュンにベッタリとするスーやユーリを見る度に、心がささくれ苛立ちが生まれる。
だというのに、そんなの変だと認めず、目を逸らそうとする自分がいた。
それを隠すために、より深く猫を被っていった。
次第に、自分が行っているのは演技なのか素なのか、分からなくなっていった。
けど、傾いた天秤はもう戻らない。
精神は、自らの体に、周囲の環境に、依存している。
今この思考も、残滓にすぎないモノなんだろう。
俺という自意識は残っているが、もう表には出てくる事も無い絞りカス。
その俺は、ただ現実を遠い出来事のように俯瞰するだけ。
現に今も……
「さて、迷宮も半分を越えてきたが、この先のルートを決めていこう」
「ルート、ですか?」
バスガスさんとシュンが話しているのが聞こえる。
「この先は幾つかのルートがある。危険な最短コース、比較的安全な遠回りコース、危険はあるかどうか分からんが曰くのあるコース。ざっとこんな感じだが、どれを選ぶ?」
「そうですね……。危険な最短コースは、どう危険なんですか?」
「エルロー大迷宮上層の道は二種類。通常の狭い通路そして、もう一つが大通路と呼ばれる……」
その会話に、俺は口を挟めない。
肉体の支配権は、既に全部、女の自分にあった。
私が意図していない事は、俺には一切出来ない。
いつか俺の精神は、消え去る運命だろう。
その結末に、否は無い。
よくよく考えれば、前世から俺は、矛盾していたのだから。
姉二人にこき使われて女は恐ろしいモノだと身に沁みて理解しているのに、姉のお下がりである少女漫画ばかり読んでいたからか、恋は綺羅のようなものだと幻想を抱くようになった。
そんな乙女チックな願望を拗らせた自分に、嫌気が差した事もある。
男なのに、女みたいな願いを抱え込む自分。
それを考えれば今の状態は、本来あるべき形へと収まろうとしているのだから。
だから、問題は、……無い。
「みんな。危険な最短コースを進むべきか、遠回りでも安全なコースか、みんなの意見が聞きたい」
進むべきコースについて、バスガスさんに問い掛けが終わったシュンが、俺たちみんなに向けて、声を掛けてきた。
強い魔物がわんさか居ると言う、大通路を通る最短コース。
今まで通り通常の狭い通路を進む、最短と比べると四日ほど遠回りするコース。
そして悪夢の残滓なる、強くて厄介な蜘蛛の魔物が多数生息しているかもしれないコース。
最後のコースは、実際に悪夢の残滓と戦った経験のあるハイリンスさんが反対した事で、選択肢から外れたので、残る選択肢は二つ。
「私は最短コースを進むべきだと思います」
「私も賛成しますわ」
先生の意見に、口が勝手に動いて
その事に、違和感も危機感も抱いていない、抱けない。
だって、今話している私も、此処で考えている俺も、同じ自分なのだから。
話は進み、中立のバスガスさんは投票には参加せず、賛成が5、反対はハイリンスさんの1だけとなり、俺たちは危険を承知で最短コースを突き進む事になった。
「こっから先は大通路だ。気を引き締めろよ」
大体一日ほど経過して、俺たちは大通路へと足を踏み入れた。
大通路と言うからには大きいのだろうと思っていたが、これは想像以上だった。
幅はゆうに百メートルを越えているように見えるし、天井までの距離も同じだけ高い。
それが、見通せない闇の向こうにも延々と続いているのだから驚きである。
周囲には魔物の姿は見当たらず、それはしばらく進んでも同じだった。
俺たちが歩く足音だけが響く。
それは嵐の前の静けさのようで……
「妙だ。魔物の姿が無い」
バスガスさんが、隠しきれない焦燥に顔を歪める。
「普段はもっと魔物が居るんですか?」
「ああ。このくらいの距離を進んで全く魔物の姿が無いっていうのはオカシイ」
まるで悪夢と出会った時のようだと、口の動きと聴覚強化された耳で、小さな呟きを聞き取る。
その様子から、只事では無いと感じ取った。
「別のルートに出れる道はありますか?」
「もう少し行ったところに抜け道がある。そこから別ルートに切り替えよう」
誰もが胸騒ぎを感じ、ルートを変える事にしたが、その判断は一歩遅かった。
心臓を直接揺さぶられるような怖気立つ咆哮が、大通路に響き渡る。
何かが、此方に向かって地響きを立てながら駆けてくる。
それは、ティラノサウルスを少し細くしたような体躯に、異様に鋭く大きい手には名刀のような鋭利で長大な爪を複数本も携えている、地龍だった。
「地龍ッ! チィッ! 上層に居るって事は、進化したてか!?」
バスガスさんが舌打ちして、悪態を吐き捨てる。
全員が、戦闘態勢に移っていく。
当然、
「みんな! 奴は速度が高い! 気をつけるんだ!」
シュンが叫ぶ。
同時に地龍が大地を蹴って、突進してきた。
その勢いのまま振り下ろされた爪を、前に飛び出したハイリンスさんが大盾で受け止める。
「グゥッ!?」
断頭台の刃のような爪を受け止めたハイリンスさんが、勢いの乗った一撃が齎す衝撃に呻く。
しかし、ハイリンスさんが爪を防いだ事によって地龍の動きが一瞬だけ止まり、その絶好の隙を突くために俺たちは走る。
シュンとバスガスさんは、機動力を奪うために脚を狙う。
しかし、バスガスさんの斬撃は龍鱗に弾かれ傷らしい傷も無く、シュンの方は剣が通ったものの傷口は浅く、地龍の動きを完全に止められる程では無い。
ユーリと先生、そして
光球が炸裂し、私の火炎が顔面を焼いて、先生の暴風が地龍を吹き飛ばす。
しかし……
「参ったね、こりゃぁ……」
バスガスさんが呟くのと同時に、地龍が起き上がる。
その堅牢な鱗で覆われた体には、魔法での負傷は見当たらなかった。
本物の龍は、此処まで魔法が効かないのか。
龍種に連なる魔物は、龍鱗というスキル、あるいはそれが進化したスキルを持っている。
効果は、魔法の威力を弱めて阻害すること。
自分の魔法ではどうしようも無いと感じた
剣術より魔法の方が得意だが、なにも身体能力が低い訳では無い。
むしろ、物理ステータスでも一流に入れるレベルなのだから。
宙を蹴って何もない空間を走り、後衛を狙ってきた地龍の攻撃を、ハイリンスさんが再び防ぐ。
同じように止まった隙を突こうとしたが、剣を振るう前に地龍が飛び下がる。
「雷と土は効かない! カティア、下がれ! お前のステータスでは……」
「やってみない事には、分かりませんわ!」
シュンの隣に出る
下がれと言われたにも関わらず、私は強がって笑い虚勢を張る。
あの速度では到底追いつけないし、こんな頼りない細い剣では鱗を斬り裂けないだろう。
でも、シュンの隣に立って守りたいという意思が伝わってきた。
その想いに、俺は……
「はああああぁぁッッ!」
様子見をしていたフェイが目にも留まらぬ速さで駆け、力強く叫びながら地龍を殴りつける。
そして顔面を強かに打ち据えられた地龍が、大きく吹き飛んでいった。
シュンと
おま、その見た目で、それは無いだろう?
例えるなら、お忍びの貴族令嬢が、素手で馬車を殴り飛ばすようなものだった。
あくまで見た目だけな。
フェイの容姿は、着飾ればそんじょそこらの令嬢なんて目じゃないだろう。
ただ口調については、公爵令嬢視点から言わせてもらうと落第以下だけどな。
元の場所から数メートルほど殴り飛ばされた地龍が起き上がると、憎々しげにフェイを睨みつけ殺意を滾らせる。
そして地龍とフェイの格闘戦が始まった。
地龍の鋭利な長爪と、鱗に覆われたフェイの細腕が激突する。
フェイの腕が斬り落とされる幻が浮かぶが、実際には互角、いやフェイが有利を取り続けながら生身で鳴るとは思えない金属音を響かせながら打ち合っていた。
攻撃が一向に効かず、再びフェイに殴り飛ばされる地龍。
再び立ち上がる地龍。
だが、その瞳は赤く血走り激憤に燃え盛っていた。
「ッ!? 気をつけろ! 発狂してステータスが跳ね上がった!」
シュンが叫ぶ。
地龍の変化に注意を促すべく、声を張り上げたんだろうが、それが仇となった。
「シュン! 避けて!」
その次の瞬間、背中に灼熱感が走った。
「カ、カティアァァッッ!?」
シュンが、悲痛な声で絶叫する。
そんなに叫ばなくても聞こえてるって、煩いなあ。
俺/私を斬り裂いた地龍は、フェイとハイリンスさんが抑えている。
戦況は、互いに決め手に欠けるものの、このまま暫くは保たせる事が出来るだろう。
それより問題なのは……
「慈悲……、いやまだHPが0になってない! まだ間に合う、治療魔法を……、ユーリ!!」
私/俺に対して、治療魔法を掛けているシュンとユーリ。
二人は涙を滲ませながら、必死に治療をしている。
それを感知系のスキルで認識しながら、
なあ、なんであんな無茶をした?
——シュンが傷つくかと思うと、自然と体が動いていましたわ。
シュンなら避けられただろう。
——そうかもしれませんわね。でも、理屈じゃ無いのですわ。
シュンを守りたいという気持ちが燃え盛る。
それで自分が傷ついてちゃ、シュンが悲しむだけだ。
——分かってます! でももう抑えきれないのですわ! この心を焼き焦がす情念が、私を突き動かしてしまうのですから。
俺は、その吹き荒れる感情に晒される。
好きなのだと、愛しているのだと。
愛した人のために、自分の全てを使って支えてやりたい。
傷ついて欲しくない、血を流して欲しくない、シュンが死ぬなんて見たくない。
そのためなら、あらゆる災禍からシュンを守るために、私はこの身を捧げても惜しくは……
そうじゃないだろ!?
魂を懸けて、そう叫びを上げる俺が居た。
違うだろ! 俺/私たちは、シュンの心の傷になっただけで終わりたいのか!?
——ッ!?
息を呑む、私の精神。
私が考えている事は、俺にも分かる!
——だって私/俺たちは、同じ魂だから。
俺は、
——私は、
ならさ——
——私/俺たちは。
共に戦えると思わないか?
——共に戦えると思いませんか?
《熟練度が一定に達しました。スキル「並列意思LV1」を獲得しました》
「……カティア!」
傷が塞がり、痛みが引いていく。
ゆっくり視線を動かすと、シュンとユーリの安堵した顔が。
「……ごめんなさい。失態ですわ」
私は素直に謝る。
自分の迂闊さで、多大な迷惑を掛けた上に心配させたとなれば、猛省しかないですわ。
「立てるか? 今すぐ下がって安全な場所に……」
「私も戦いますわ」
シュンの言葉を断ち切って、自分の意見を告げる。
「でも……」
「治療魔法さまさまですわ。大丈夫、動けます。だからお願い、シュン」
シュンの目を見て、真摯に頼み込む。
此処で引いたら、俺/私じゃない。
「……分かった」
「ありがとう、シュン」
そして私/俺たちは、地龍に再び立ち向かう。
魔法は効果が薄い、剣もだ。
——なら、どうします?
だが二人分の魔法なら、地龍にだって効くんじゃないか?
私/俺は、両手に魔法陣を展開させる。
私がメインで組み立て、俺が補助する。
そして発動した魔法は、構築難易度が高くて、そう簡単には発動できない炎の大魔法。
この威力なら、龍鱗があっても関係無い。
「カティア?」
「いきますわよ!」
小型の太陽となった火球が、地龍へと向かって飛翔する。
それを危険と感じたのか、一瞬の溜めの後、地龍がブレスを放つ。
猛火とブレスが衝突する。
「くっ!」
「カティア!」
「止めは任せましたわよ、シュン!」
発動した魔法の威力は高くブレスを押し返し始めているが、仕留めるには至らないでしょう。
美味しいところは、譲ってやるよ。
だから、シュン——
「うおぉぉぉぉッッ!!」
シュンが手を突き出し、鮮烈な眩さを持つ光線が放たれる。
その一条の光は、地龍の顔面付近まで来ていた火球に突き刺さり、失明しそうなほど膨大な光量となって炸裂した。
光が収まり、復活した視覚が捉えたのは、頭部を喪失した地龍の姿だった。
《経験値が一定に達しました。カルナティア・セリ・アナバルドが……》
︙
神言を聞き流しながら、私/俺は、シュンを見詰める。
掛け替えの無い親友よ/大切な愛しき人よ——
俺は/私は——
お前を/あなたを——、守るから。
今日この日。
俺は/私は——、カルナティア・セリ・アナバルドという二人で一人になったのだと。
そう魂に、刻み込んだ。
両面であれ。
私と俺は、二人で一つ。
恋人を/親友を、守れるのならば、自分たちは何でも出来る。
あらすじ修正。たぶんこれが一番合っている説明かと。
ちゃんと、あらすじに伏線仕込めましたし。
あと、以前書いた文章についても、細かい表現を修正したりなどなど。