「────」
暑い。
もう、本当に──死ぬんじゃないかって位に暑い。
遠慮を知らない太陽光と山間特有の逃げ場を失った湿気が全身を滅茶苦茶にいたぶってくる。
それに背中でぐったりとしている「彼女」の重さもずっしりとのしかかってきて、よろよろと進む僕に尚更重圧をかけていた。
「────」
だが、それも後少しで終わる。
苦節30分に亘る苦難の道を乗り越え、僕は遂に辿り着こうとしているのだ。
あの田んぼを越え、爺婆共が引きこもっている家々を越え、両手が塞がった状態では開ける事も儘ならない門を越え、安息の地────即ち、我が家へと。
「────よい、しょっと」
ずり落ちそうになった「彼女」を背負い直しながら、しっかりと前を見据える。
眼前にあるのは、扉。
重厚でも豪華でもない、ごく普通の扉だ。
しかしそこに設置されたドアノブは今、信じられない程の強敵として立ち塞がっている。
「く、む……!」
だが、開ける。
最短最速で手を伸ばしドアノブに指を引っ掛けて、出来た隙間に足を割り込ませる。
この間、多分3秒。
そのまま差し込んだ足をずりずりと動かして扉を開き、体を無理矢理押し込んで──玄関に倒れ込む。
「スピ、ネル……帰ってきたよ……」
返答は、無い。
僕の荒い呼吸が響くだけ。
でも、それも仕方ない事だ。
「聞こえてない、か。クソ……!」
兎にも角にも、彼女──スピネルを自宅に連れて戻ってくるのは大変だった。
接触してきた「影」を細切れにした直後から彼女の様子はおかしくなり始め、なんと僕の頬に付いた傷を見た途端心神喪失してしまったのである。
呼び掛けても、顔の前で手を振っても、腕を掴んでも一切反応無し。
ピクリとも動かずマネキンみたいにその場に突っ立って虚空を眺めているのだからもう本当にビックリした。
まぁ、確かに彼女の誤射には驚いたさ。
それに情緒不安定とは思っていたし「影」に対して並々ならぬ敵意を向けている事も薄々察していたが、よもや目撃した途端に怒り狂うとは想像もしていなかった。
けど、誤射を誘発したのは間違いなく僕だ。
英霊と人間の能力差を昨日散々聞かされておいて、安易に戦っている所に割り込むのが危険だと理解していた筈なのに腕を掴んでしまったのは他ならぬ僕なのだ。
結果としてすっ飛んできた真空波(?)に頬をざっくり裂かれる事になってしまったけれど、その責任はスピネル──いや、妖精騎士トリスタンにはないし気に病む必要も全くない。
そんな風に慰めと言うか説得の言葉を投げ掛けてもみたけれど、反応はまるで無し。
妙な所で頑固──いや、思い込みが激しいのが如何にもスピネルらしい。
それはそれとして正気に戻るまで彼女を道の真ん中でぼっ立ちさせておく訳には行かず、已むを得ず背負って自宅までえっちらおっちら帰ってきたのが此処までの流れだ。
「……よし、と」
そして最後の力を振り絞って部屋まで運びベッドに寝かせた僕は、がっくりとその脇に崩れ落ちた。
大の字に寝っ転がって、天井を見上げるけれど達成感とかは特にない。
寧ろ虚無感とか後悔とか、そう言うのばっかり頭を過ってしまう。
「いてて……やっちまったなぁ……」
軽く撫でた途端に、頬の傷口から鋭い痛みが走る。
手を翳してみれば、べったりとこびりついた赤い液体。
頬が裂けたとかそう言う事は無さそうだが、事と次第によっては痕が残りそうだ。
ただ──今はどうでも良かった。
「不甲斐ないなぁ……」
意図せず漏れた呟きは、誰に届く事もなく天井に消える。
それにしても、何が「最後まで面倒を見る」だ。
何が「笑っていて欲しい」だ。
彼女の助けになるどころか、逆に追い詰めてばかりじゃないか。
「もっと、何かあればなぁ……」
翳した手を、握って開いて。
当たり前の話だけれど、中には何も収まっていない。
それは同時に僕自身の本質でもある。
空っぽ、空虚、すかんぴん。
皆が1つは持っている「特別」を、やはり僕は持っていなかった。
「ま、無理か」
文字通り、なーんにも無いのだ。
他者より優れた特技も、他者に勝る情熱も、「これならば」って言えるような趣味もない。
毎日向日葵畑に通っている絵画だって実際は「現代のゴッホ」とやらに触発されて始めたここ1ヶ月程度の付き合いであり、心証は兎も角実情は暇を持て余したガキのお遊びに過ぎないだろう。
本気なら参考書買って読むだけじゃなくて教室とかに通う筈だ。
「あーあ、ホントどうしようもない……」
まぁつまり、僕は「どうしようもないヤツ」って事だ。
いや、ただどうしようもないで済まされるならばまだ悪くないのだが、今回は事が事だけに早急に対策を練る必要がある。
魔術や怪異に何の備えもない僕1人じゃ「影」にはまるで太刀打ち出来ないのだ。
せめてアニメか漫画キャラクターの1%でも特殊な力があれば何か変わったのかもしれないが、その辺りの才能が枯渇しているのはスピネルに太鼓判を押されている。
何より、スピネルがこうなった原因は僕にある。
ならばどうにかして彼女を元に戻すのが人として正しい行為だろう。
それと、その────
「嫌われたくないなぁ……」
そう、嫌われたくない。
何を今更、と思うだろう。
最低最悪な方法で彼女を焚き付けておいて「嫌われたくない」等と宣うとは我ながら見下げ果てたモノだ。
でも、嫌われたくない。
情けないと言われようが何と言われようが、嫌われたくないモノは嫌われたくないのだ。
だから何が何でも彼女は元に戻す。
責任感とか義務とかもあるけど、僕のエゴで戻してみせる。
その為にも、取り敢えず────
「飯だ」
料理を作ろう。
病は気からと言うし、食べる事でストレスを軽減出来ると聞いた事がある。
英霊は腹が空けど食事の必要性は無いらしいが、取り敢えずスピネルには何か食べさせてやらねばなるまい。
そう、昼からなんて不健康の極みだがカレーとか作ってやろうじゃないか。
やる事さえ決まってしまえば話は早い。
後はこう、気合いをガッと込めてグワッと起き上がれば動ける筈だ──等と考えていたその瞬間、ぴぃんぽぉんと間の抜けたチャイムが家中に響き渡った。
「……あ?」
誰か、来た。
誰だろう。
新聞の集金にはまだ早いし、通販で注文した本が届くのは早くて来週だったと思うが。
とは言え居留守をする理由も無いし適当に大き目の絆創膏を頬にべちゃっと貼り付け、今日はもう2度と開けるまいと思っていた玄関の扉を開いて──ヌッと差し込まれた手が扉を掴む。
「え」
押しても引いても、びくともしない。
最初から其処にあったのだと言わんばかりに固定され、扉としての役目を放棄している。
何より、手だ。
手が凄い。
僕なんかよりずっと大きくて、ゴツゴツしていて、それでいて傷1つ無いある種「完璧」な5本の指ががっしりと扉を掴んでいるのだ。
これでは力比べをしたとしても、万が一にだって勝ち目は無い。
で、そんな奇怪過ぎる光景に呆けていると──
「バーヴァン・シーはいるか」
「……はい?」
凄いピシッとスーツを着こなす凄いナイスバディな女の人が扉の隙間から顔を出してきた。
妖精騎士ガウェインは、高い忠誠心と高潔な精神を併せ持った文字通り「騎士」の女である。
「見た感じ」でも彼女の生き様を察する事は容易であるが、陛下──即ちかつて妖精國の女王であった妖妃モルガンの命があればある程度の非道も行うし、マスターである藤丸立香の指示があれば如何なる敵をも打ち倒す辺りからもサーヴァントとしての在り方は明白だ。
さりとて全くの堅物なのかと言われればそうでもない。
騎士としての鎧を脱いでいる時──即ち「素の自分」をさらけ出している時の彼女は、正しく良家のお嬢様そのものとだろう。
立ち振舞いは優雅に、されどジョークも解する様は誰が見たって魅力的だ。
まぁ、身も蓋もない言い方をしてしまうのならば妖精騎士ガウェインは──公私の切り換えがハッキリしている系高身長金髪ムキムキお嬢様女騎士なのだ。
属性が玉突き事故とかそう言うレベルではない。
さて、そんな妖精騎士ガウェインであるが、彼女は今回モルガンからある重大な命令を下されていた。
『バーヴァン・シーの身に危険を察知しました。早急に状態を確認し、お前の判断で連れてくるように』
そう、数日前突如行方不明になった妖精騎士トリスタン──バーヴァン・シーの捜索と、彼女の状況次第では確保である。
勿論ガウェインはそれを承諾した。
立香の里帰りが早々に終わった以上彼女を連れ戻さねばカルデアに帰還する事も出来ないし、同じ妖精騎士として純粋にバーヴァン・シーを心配していたからだ。
しかし同時に、ガウェインには不可解に思う事もあった。
『……陛下は、行かないのですか』
『私は、行かぬ』
『大体の位置を把握していながら、ですか』
『ああ』
『……』
モルガンは既にバーヴァン・シーの居場所を知っているらしいのに、何故態々私を使うのか。
こんな都内の高級ホテルなぞに泊まっている位なら直接会いに行くべきなのではないだろうか、モルガンの言葉ならバーヴァン・シーも受け入れるだろうし──と、不意に疑念が湧き出してしまったのだ。
無礼を承知で聞き返してみても『行かぬ』の一点張りで此方に視線すら向けない始末。
何故行かない?
2人の間に何があった?
考えても答えは出ず、困惑するままモルガンの示した座標にやって来た訳なのだが────成る程、漸く彼女が言っている意味がガウェインにも分かった。
「では、バーヴァン・シーは此処で貴様と共同生活……居候をしていると?」
「はい、所々端折ってますけど大体そう言う事です」
太陽が丁度傾き始める頃、デスクを挟んで対面に座った少年の説明にガウェインは深い溜め息を吐いた。
これは厄介になったとか、そう言う次元の話ではない。
一般人を殺したのではないか、とか建造物を破壊したのではないか、とかそんなガウェインの心配とは丸っきり逆方向に最悪な事態になっているではないか。
半ば脅しとは言え、他人の家に居候?
それもそこそこに良好な関係を築いて?
魔術等について大体話していたのもさることながら、常日頃のバーヴァン・シーからはまるで考えられない「健全な」明るさにガウェインは混乱を余儀なくされていた。
そして、もう1つ。
「……で、貴様にフェイルノートを誤射してしまったのが原因で自身を喪失している、と」
「あれはスピネルのせいじゃありません。勝手に彼女に触れてしまった僕が馬鹿だっただけです。それと今彼女を貴女方に引き渡すつもりは毛頭ありませんので」
「ほう……」
確かめるようなガウェインの問い掛けに、少年は毅然とした言葉を打ち返す。
あまりにも無謀で、同時に蛮勇に逸った行為だ。
何せ彼が今相対しているのは「あの」ガウェインだ。
かのアーサー王伝説で活躍し日中では無敵とも呼ばれる程の騎士の「名」を与えられた妖精騎士に、何の強みも持たない凡人風情が抗おうとしているのである。
これは並大抵の行為ではない。
ガウェインが放つ圧倒的なプレッシャーは相手を委縮させ、格の違いと言うモノを無意識の内に刻み込んでしまう。
その結果として彼女に楯突こう等と思う者は殆どいなくなる訳だが──どうやら少年は数少ない例外らしい。
恐怖に慄き鋭い眼光に耐え切れず視線は逸らしてしまっているものの、震える言葉には何としてでもバーヴァン・シーを庇わんとする強固な意志が見え隠れしている。
(これは、中々……)
その蛮勇に、汎人類史の英霊もさることながら、大衆の中にも中々骨のある人間がいるではないか──と。ガウェインは心の底から感心した。
尤も、目立った部分は根性だけでそれ以外は凡庸の極みなのは惜しい点だが。
(──ヤバい、死ぬ)
しかし、少年には感慨深げな表情をしているガウェインに気付く余裕は無い。
少なくとも少年の目線では、今回の1件が身から出た錆であるにも関わらずガウェインにスピネルを責められているような気がしてカッとなってしまっただけの話なのだが──それがどうしてこうなってしまったのか。
いや、勝手に逃亡した同僚を連れ戻しに来たら変なクソガキに邪魔されたのだから苛立ちを覚えるのも当然だろうと少年はある種の同情を当初ガウェインにしていたのだ。
スピネルの具合を見る限りでは早急に預けるべきだとも。
(死ぬ、けど。けどさぁ……!)
ただ────
『……そう言えば、「お母様」は来ていないんですか?』
『お母──あぁ、陛下の事か。陛下は来ていない』
『は────?』
ただ、どうしても許し難かった。
ガウェインがスピネルを責めるのは何故か腹が立つけれどまだ分かる。
「お母様」──モルガンが直接此処に来てスピネルを返して欲しいと言うなら躊躇なくそうしていた。
でもそうはならなかった。
モルガンは都内のホテルにいて、ガウェインに指示を出すだけだったと言う。
状況を確認し、それ次第で連れ戻すか決めろと。
始めに湧き上がったのは、怒髪天を衝くと言う言葉に匹敵する程激しい怒りだった。
理由が何であれ、スピネルが──子供が家出をして、追いかけもしない?
ただ居場所だけ把握して、成長を促したいのか何なのか知らないが泣いている子供を放置して、それが親のする事か。
人が人にする事か。
そんな激情が恐怖とない交ぜになって、今も滅茶苦茶に少年の心を掻き乱している。
呼吸は浅く、心臓は早鐘を打って、手足が強張っていく。
「ガウェインさん」
「何だ」
「スピネルのお母様に伝えて下さい」
けれど。
それでも、言わねばならない。
英霊が何だ。
モルガンが何だ。
それ以上に先ず大切な事があるだろう。
そう────
家族ならば最初にちゃんと話し合え、と。
「……何だよ、調子に乗りやがって」
「私の代理人にでもなったつもりかよ。馬鹿みてぇ!人間の分際で私の意見を代弁するとかマジ笑えるんだけど!」
「はは、あはは……」
「……」
「馬鹿、みたい」
「……」
「……自分の口で」
「私も、言えるようになるのかしら……」
◯少年
コイツさぁ…
モルガンの事情もロクに聞いてないのに啖呵切っちゃってるんで良いか悪いかって言われると間違いなく悪い。
後ガウェインには色んな意味で目線を合わせられない。
◯スピネル/妖精騎士トリスタン/バーヴァン・シー
自失してたにはしてたけどガウェイン来訪でそう言う場合じゃなくなった人…人?
◯妖精騎士ガウェイン
取り敢えず命令で来ただけなので素は出さない人。