向日葵畑で、君と   作:イナバの書き置き

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文量が増えたのでちょっと遅れました。


第16話「限りあるあなた、きみの隣にて(下)」

 躊躇う事なく突き立てた牙が、血や傷に塗れているものの年相応に柔らかい腕の皮膚を紙切れのように引き裂く。

 右腕を押さえ込まれ、皮膚の内側に異物が潜り込む感覚に堪らず顔をしかめてしまうが──そんな僕を、スピネルは信じてくれた。

 己の食欲が満たされるまで持ちこたえてくれると、持ち前の無駄過ぎる根性で耐えきってくれると。

 

 そして牙の先端で軽く傷付けた血管から、「赤」が──この数日間でスピネルが何度も吸った(と思われる)血液がどくどくと溢れ出す。

 しかし、生死に関わる程激しい訳ではない。

 飽くまで食い破られた皮膚の内側には御猪口を満たす程度の──正しく()()には丁度良いだけの量の血が貯まっていた。

 

「────っ」

 

 誰かしらの、喉が鳴った。

 どうしたって消せない恐怖が、彼女を浮き足立たせた。

 実際、ほんの数分前までだったらこの状況を這ってでも逃れようとしていただろう。

 現に今この瞬間だってひだる神によって尋常ならざるレベルまで増幅させられた食欲は、スピネルの脳内で「一滴残らず吸い尽くせ」とうるさい位に騒ぎ続けているのだ。

 もし殺してしまったら、と言う可能性は頭の中にこびりついて離れようとしないのだろう。

 僕だってそうだ。

 自信はあるけど、確証はない。

 

「──っ、ぐ、くぅ」

「────!」

 

 しかし──退かない。

 かと言って、我を失って暴走したりもしない。

 だって、僕も彼女も互いを心の底から信じているのだから。

 

「ぷぁっ……ッ、大丈夫?」

「あったり前よ。私を誰だと思ってんだ、ええ?」

「自信満々で自己評価最低な()()()()スピネル嬢、だろ?」

「よぉく分かってんじゃんか」

 

 覚悟を決めているとしてもやはり痛いモノは痛い、右腕から走る鋭い痛みに汗が滲んでくる。

 しかしそれでも彼女に向けるのは心配と信頼の言葉だ。

 好きだから、頑張れる。

 好きだから、耐えられる。

 それが凡俗でしかない僕に唯一出来る献身であり、少女を想う一途な心の表れなのだ。

 そしてだからこそ──スピネルもまた、少年の想いに応えねばならない。

 

「────!」

 

 意を決したのか、スピネルの舌先が「ソレ」を軽く舐めとった。

 生暖かい液体の感触と鉄錆の苦味に、しかし彼女は頬を緩める。

 間違いなく、血だ。

 かつて妖精國で望まぬ目的(悪意のある娯楽)の為に摂取()()()()、この数日間抑えきれぬ欲求に身を任せて夜な夜な吸った命の色そのものだ。

 それを咀嚼して、飲み込んで──彼女は己の飢餓が僅かに満たされたのを自覚した。

 

「……っ、く」

 

 1度手を出してしまえば2度目は早い。

 痛痒に表情を歪める僕の呻きを聞きながら、真っ赤な舌がおずおずと差し出される。

 軽く裂かれた皮膚の中で作られた赤い水溜まりに浸されては、直ぐ様引っ込められる。

 早朝の向日葵を前にぴちゃぴちゃと水音が響く様は、見る者によってはこの上なく倒錯した行為──或いはカルト宗教か何かの儀式に見えてしまうだろう。

 

 しかし、当事者2人は知っている。

 これが命を守る為の行為である事を。

 これがひだる神を破る為の第一歩である事を。

 これが信頼のやり取りである事を。

 

「……あ、れ?」

「……どうしたの?」

「いや、その、何か……変だ」

 

 やはり、()()()()

「吸血妖精」の割にはあまりにも淑やかな血吸いの中で、恐らくスピネルは全く未経験の奇妙な感覚を抱いたのだろう。

 表情には戸惑いが生まれ、血を啜ろうとしていた舌はひっこめられる。

 

「さっきまであんなに飢えてた筈なのに……もう全然そんな事ない。どういう事だよ……」

 

 そう、あれだけ苦しんだ筈の飢餓感はまるで初めから存在しなかったかのようにいつの間にか彼女の中から綺麗サッパリ消え失せていたのだ。

 それもほんの数回血を舐め取り、嚥下しただけで。

 間違いなくこれまでの吸血より摂取した血液の量は少ないにも関わらず、これ以上にない位スピネルは満たされていたのだ──多分だけど。

 推測でしかないけど。

 

「……やっぱりな」

「え?」

 

 しかし、此方にとっては想定外の事象ではない。

 寧ろ予想通り──全てが思った通りに運んだ証拠だ。

 

「さて、と。次は────」

「な、何と……?」

 

 思わずポカン、と口を開けたまま静止するスピネルを横目にゆっくりと立ち上がる。

 見据えるのは少女に非ず。

 況して向日葵でも非ず。

 ありったけの怒りと、憐憫と、そしてそれなりの()()()()()を籠めて睨み付けたのは────

 

 

 

()()か」

 

 

 

 相も変わらずスピネルの背後でゆらゆらと揺らめく、真っ黒な「影」だった。

 

「コイツ────!」

 

 その存在を認めた瞬間、スピネルの手の中に琴が出現する。

 シンプルで、小さな彼女の両手でも抱えられる程度には小さくて──そして英霊である妖精騎士トリスタンが弦を弾けば相手を引き裂く武器となる、紅い琴。

 

 ──でも、それが必要なのは()じゃない。

 

「はいストップ」

「なん──邪魔すんなっ!」

 

 真空の刃が放たれる前に腕を掴めば、攻撃の動作を中断されたスピネルは怒りの形相をそのままに此方を睨み付けてきた。

 目付きだけでも滅茶苦茶キレてるのが分かるし、正直視線だけで殺されそう。

 

 ──それでも、必要なのは今じゃないんだ。

 

「ほら、よく見てみなよ」

「はぁ?何、を……!?」

「ね、コッチ来ないでしょ?」

 

 そう、来ない。

 黒塗りののっぺらぼうは風に煽られスピネルの背後でただ揺れるだけで、僕達の方には1ミリだって近寄ろうとしていないのだ。

 それどころか、あまりに黒すぎて遠近感が狂わせられそうになるが少しずつ遠ざかっているようにすら見える。

 

「……知ってたの?」

 

 敵意が無いなら武器を向ける意味はない。

 そんな意図を理解したスピネルは無言のまま琴を光の粒子へと戻し、直ぐ様此方へと振り向く──ただし、何とも言えぬ愛らしさ全開の膨れっ面で。

 

「いや、その……」

「……」

「走ってる最中に、アレひょっとしてって……」

「……」

 

 言い訳にしたってあまりにもお粗末な言葉をどうにかして捻り出すが、彼女はプイとそっぽを向いてしまう。

 恐らく、大体全部見通していた癖にロクな説明もしなかった僕に対して拗ねているのだろう。

 女の子の機嫌なんて全く分からないし他人の機微にも疎いが、それ位は流石に分かる。

 と言うか、スピネルが一目見て大体察せてしまう程に分かり易い。

 今となってはそれこそ読心の魔術でも使っているかのようなお手軽さで考えが読める。

 

「許して……」

「……やだ。許さない」

 

 しかし、だからこそ改めて1つ言い訳をさせて欲しい。

 あの時は兎に角余裕が無かった。

 追い付いた時にはスピネルはもう生きるか死ぬかまで自分を追い込んでいるし、此方は此方で運動不足の所に長時間の全力疾走をしたからもうヘトヘトだし、急がなければ全部が全部ダメになりそうだったのだ。

 勿論、それが分からないスピネルではない。

 寧ろ全て察したからこそ何も言わないだろうし、ただそっぽを向くだけに留めているに違いなかった。

 

「……」

「……その、さ」

 

 で、あれば。

 一先ず「影」は去ったのだし、今僕がするべき事は拗ねてしまったスピネル嬢の御機嫌取り以外ないだろう。

 そして、切り札は既に此方の手の内にあるのだ。

 そう────

 

「今日の夕飯、何が良い?」

「……!」

 

 ピクリ、と彼女の耳が反応する。

 やはりだ。

「影」に取り憑かれていた影響もあってか、やはりスピネルに食事の話題は通用する。

 それさえ確認出来れば、後は押しきるだけ。

 

「カレー、作ろうか?」

「……ぅ」

「パスタも作るし、何ならデザートにパフェも出すよ。冷蔵庫に良い感じのメロンとか葡萄とかあるのスピネルも知ってるだろ?」

「……それ、は」

 

 フルーツの誘惑にスピネルの口からは思わず声が漏れ、そんな己を恥じたのか慌てて両手で塞ぐ。

 正直滅茶苦茶可愛らしい。

 美少女が全力で美少女をしている。

 

「……ダメ?」

「……知らない」

 

 しかし、パフェでもまだ足りないか。

 作れると言ってしまった手前アレだが、料理サイトとかを見ればどうにかなるだろうと希望的な見方をしているだけで実際は何も知らないのだ。

 何か変なモノを作れと言われただけで詰む可能性は極めて高いのでそこそこの所で勘弁してもらいたい。

 

「ああもうっ!」

「えっ」

 

 正直不安だ──等と無駄な事を考えていると、不意にスピネルが胸元を掴んでくる。

 そして額と額がぶつかってしまう位に引き寄せられ──有難い御言葉。

 

 

 

「全部、私がもう嫌って言うまで作れ」

 

 

 

 ワッと一息に言い切ると、スピネルはドレスを翻して向日葵畑の方へと歩いて行ってしまった。

 何たる我が儘。

 どうやら彼女は我が家からありとあらゆる食材を消し去るつもりらしい。

 そして当然ながら、親にバレないように補填をするのは僕。

 

「お年玉の出動かなぁ……」

 

 氷河期が確定した懐事情に思わずぼやいてしまうが──しかし、悪い気はしなかった。

 そりゃあ彼女の事を全て知っている訳ではないし、笑っていたとしても必ずしも幸せとは限らないだろう。

 ただ、まぁ──やっぱりスピネルはクソ生意気な位が丁度良いと思うし、実際に我が儘を言っている所を見るとなんだかホッとする。

 そんな気が、した。

 

「ま、いっか」

 

 だから財布がすっからかんになる事くらい、諦めて受け入れよう。

 うん、それが良い。

 それにさ、漢気ってのはこう言うモンなんだろ──なぁ、偶にしか帰ってこないクソ親父。

 まだ家庭が冷えてなかった頃にアンタが言ってた事、今ならちょっとは分かる気がするよ。

 

「……よし、行くか」

 

 これ以上うだうだしていたら、スピネルも影も見失ってしまう。

 スッキリした気分で空を見上げながら、決意も新たに踏み出して────

 

「うえぇっ!?」

 

 その1歩目で、草に足を取られてすっ転んだ。

 本当にカッコ付けんのヘタクソだな、僕。

 

 

 

▼▲▼▲▼

 

 

 

「────そもそも、アレは『ひだる神』なんかじゃない」

 

 規則正しく並び立つ向日葵の間をすり抜ける少女の隣で、頭に雑草を絡ませた少年はそう切り出した。

 

「ちょっと考えてみれば直ぐに分かる話だったんだ。幾ら此処が妖精とか出そうなクソ田舎だからって、曲がりなりにも神の名を持つ輩が現れる筈がないだろ」

 

 言われてみれば、その通りである。

 神々が人類の歴史から姿を消して(決別して)およそ4600年、神性を持つ英霊や神霊の類いこそノウム・カルデアには結構な数がいるものの、それはカルデアがあまりにも異常なだけであって人々が暮らす俗世では全く認知されていないのだ。

 つまりは、信仰の中だけでの存在。

 ごく一部の限られた例外を除いて怪異すらマトモに目にする事はない。

 それなのに民間の伝承にも残っている「ひだる神」が、偶々こんな田舎に出現したりするか?

 普通はしないだろう、と魔術に関する説明を多少受けていた少年は考えたワケだ。

 

「じゃあ何だって言うのよ」

「それは────」

 

 では今、少女達の5メートル程先をゆらゆらと揺らめきながら滑るように進んでいる「影」は何者なのか。

 それに関しても少年はおおよその当たりを付けていた。

 

「多分、誰かしらの魔術だ。それも使役するとかそういう系の」

 

 そう、魔術。

 特に魔術師の分身たる使い魔の類いだろうと少年は推測する。

 

「これも、そもそもの話なんだけどさ。生まれてからずっとこのクソ田舎で生きてるのに、向日葵が此処にある事を今年になって初めて知ったんだよ。それっておかしくないか?」

「確かに、変ね」

 

 少年は決して察しの良い方ではない。

 どちらかと言えばかなりマイペースで、それ故に多忙な母親も「受験を控えた我が子がこんなのんびりしていて良いのか?」と思う程に我が道を行く中学3年生である。

 尤も当人はその事で結構苦悩しているのだが。

 しかしそんな少年でも、十数年もの間1度も「この先、向日葵畑あります」の看板に気付かないと言うのはあまりにも無茶苦茶な話だ。

 倒れていたり雑草で隠れていたりしたらまだ分からないでもないが、生憎錆に塗れたそれは普通に目に付き易い場所に立てられている。

 1度魔術の事を聞いてしまえば疑わざるを得ないだろう。

 

 そして、魔術の関与を確信する点がもう1つ。

 

「全く枯れないんだよな、向日葵が」

 

 2人の周りを埋め尽くす黄金色の絨毯。

 通常であれば2週間、種類によっては1ヶ月程度の間開花するとされている向日葵に、不思議と枯れる気配が一向に見えないのだ。

 何日通い詰めても、どれだけ雨が降っても、まるで見えないビニールハウスに覆われているかのように向日葵は大輪の花を咲かせ続けている。

 どれか1本でも萎れていたら少年もスルーしていただほうが、流石にこの異常を見逃す程少年はのほほんとしている訳ではなかった。

 

「つまり、この向日葵畑を根城している魔術師が何かしらの理由で、その……ひだる神?に近い特性を持った使い魔を私達にけしかけてるってワケ?」

「まぁ、多分」

「断言しろよ断言」

「いや、何だかんだ言って僕はド素人だからさ。これだけカッコ付けて推理したけどやっぱりガチのひだる神かもしれないじゃん。もしそうだったら恥ずかしくて恥ずかしくて……生きてられんわ」

「ダッサ!マジでそういうトコだぞお前……」

 

 少年の推理はかなり曖昧だ。

 スピネルからすれば頷きたくなるような部分はあるものの、結論から言ってしまえばどれも状況証拠であって具体的に何処の誰がどのような魔術を何の目的で行使したのかを全く示せていない。

 

(──まぁ、疑ってる訳じゃないけど)

 

 しかし、彼がそう言うのならそうなのだろうとスピネルはぼんやり考えていた。

 ドジで間抜けで気の利かない男だが──決める所は最高にカッコよく決める、と言うのが少女の少年に対する評価であり、恐らく今が「決める所」なのだ。

 それに、間違っていたってスピネルは別に構いやしなかった。

 少年が自分の為に頭を捻ってくれている。

 ただそれだけで今の彼女には充分だ。

 そうして5分も歩けば──少女達の方を見向きもせずに滑る「影」は、向日葵畑の外れにポツンと建てられた小さなログハウスへと吸い込まれるように消えていった。

 

「……ここ?」

「じゃない?何かアイツ入ってったし……」

 

 続けて「管理人さんが魔術師かな」と少年が呟く。

 有り得ない話ではなかった。

 幾ら魔術師が一般的な人間とはかけ離れた世界に生きているのだとしても、生憎余程の事がない限り社会の規範からは逃れられない。

 よって彼らの殆どは戸籍もキチンとあるし、一般人に紛れて買い物もする。

 場合によっては資産運用などで資金を得ている場合すらある。

 つまりは彼らにも「生活」がある訳で──そんな話を事前にスピネルから聞いていた少年は、この向日葵の管理人が魔術師ではないかと考えたのだ。

 

「じゃ、入ってみま──」

 

 しかし、兎にも角にも入ってみなければ始まらない。

 恐ろしさ半分、好奇心半分で少年はドアノブを掴み──その手をはたき落とされる。

 

「待てやコラ」

「えっ何すんの」

「魔術師でも何でもないお前が工房かもしれない建物に率先して突っ込もうとするとか、アホなの?」

 

 ポカン、と口を開けて呆ける少年の間抜け面にスピネルは眉を吊り上げた。

 いやいや、本当に信じられない。

 当然のように血を吸わせてくるとか、そもそもイギリスの貴族とか言う一瞬で100%嘘だと見抜けるような出任せを真に受ける辺りあまりにも危機感が足りな過ぎる。

 

「そう言うのはサーヴァントの役目だろ」

「……」

 

 そう、それは本来サーヴァントがすべき事だ。

 なのにこの少年は自分から問題に首を突っ込む所とか、本当にあの「人類最後のマスター」に似ていて────!

 

「……?え、心配してくれてんの?」

「────っ!」

 

 阿呆の極致に到達したかのような発言に、思わず自分の頬が熱くなるのをスピネルは感じた。

 だって、図星だ。

 完全無欠に、言い訳のしようもない位に図星だった。

 

「あ、あっあっ当たり前じゃない……っ!」

 

 しかし──しどろもどろになりながらも、スピネルは己の主張を貫く。

 当然だろう。

 何せ魔術師の中には人間を人間と思っていない輩がそれなりにいるというのに、其処に()()()()が自ら突っ込もうとしているのだ。

 止めない方がどうかしている。

 それも外から室内を覗けたり魔術で探査したりすればまた話は変わってくるが、このポンコツはそんな暇すら与えない。

 はたき落とすのも致し方なし、というヤツだった。

 

「と、取り敢えずこの扉は私が開けるからな!お前は離れてろよ!」

「はーい……」

 

 ちょっと不満げな表情で後ろに下がった少年を横目に捉えつつ、スピネルは真鍮のドアノブに手をかける。

 軽く捻ってみるが、罠や魔術の反応はない。

 

「────……」

 

 果たして鬼が出るか、蛇が出るか。

 はたまた鼠1匹か。

 何にしたって、自分()に害を及ぼすようなら殺害だって躊躇わないとスピネルは己に誓った。

 少年の前で「ザンコクな」殺しをするのは気が引けるし、嫌われてしまうのではないかとも思うが──絶対に、やらねばならない。

 

「開けるわ」

「頼む」

 

 小さく、宣言。

 自身の決意の確認と少年の承認を得た少女は深く息を吸うと、ゆっくりとドアノブを回し────

 

「そぉ、らッ!」

 

 押して開けるのではなく、その鹿の如きヒールで()()()

 そして間髪入れず室内に飛び込んだスピネルは手の内にフェイルノートを顕現させつつ、不審な敵影を探そうとして──思わず顔をしかめた。

 

「うっ、え……何よこの臭い!」

 

 一見すると大した広さもない、外見から想像した通りの手狭なログハウスだが──漂うのは、腐臭。

 それも溜め込んだ生ゴミとかそんな程度では済まされない、放置された()()の臭いだ。

 如何に「残酷で最低な」妖精騎士トリスタンとて、これには良い顔を作れる筈もない。

 

「……やば。ちょっと吐きそう……」

「……大丈夫?」

「無理そうだったら外に出るわ」

 

 後からそろりそろりと入ってきた少年もあまりの激臭に両手で口を覆う。

 戦闘だとか妖精國で「やっていた事」によってその手の臭いに慣れているスピネルと違って、あまり耐性は無いのだろう。

 尤もスピネルは慣れて欲しいとも思わなかったが。

 

「兎に角、出所を探して──……あ、いや、いた」

 

 そして、この腐臭の出所。

 あまりにも醜悪な「ソレ」は、スピネルと少年が特に探すまでもなく部屋の奥に鎮座していた。

 

「肉の、塊……?」

 

 少年が指差した先にあった「ソレ」は、ぺしゃんこに潰れた肉の塊──いや、正確には無数に折り重なった肉の襞と表現するべきか。

 兎に角、言葉にするのも憚られる程におぞましい「何か」がまるで呼吸でもするかのように膨らんでは萎んでを繰り返しているのだ。

 また、先程姿を消した「影」も肉塊の上で揺らめいている。

 

「何……アレ」

 

 苦しげに呟く少年の疑問も、尤もだろう。

 だって、想像していたのと違う。

 彼は人の形をして、そうでなくとも先ず会話可能な存在が待ち構えていると思っていたのだ。

 罷り間違っても、こんな奇怪な物体ではない。

 

「当たりね」

「何、が……」

 

 しかし、妖精騎士トリスタンはその正体を一目で見抜いていた。

 

「アレがお前の言っていた『魔術師』よ」

「────!?」

 

 そう、魔術師。

 少年の予想は、見事なまでに的中していたのだ。

 

「多分……病気か何かで、倒れたんだろ。自分では1歩も動けなくなって、助けも呼べずにずうっと転がって……それで死なない為に、使い魔に頼った」

 

 死に瀕した人間がただ生きる為に魔術を行使した結果辿り着いた、最早何でもない生き物。

 最初こそ使い魔にやらせていたが食事も水分も尽き痩せ細った手足は次第に縮み、拭くことすら叶わず糞尿に塗れ、泣く事も笑う事も考える事も出来なくなってしまった成れの果て。

 それがこの肉塊だった。

 

「じゃあ……あれか。スピネルに取り憑いたのは、魔力とかそう言うのを吸い取って主人に供給するため……って事か?」

「でしょうね」

 

 当然ながら、こんな事をいつまでも続けていられる筈はない。

 魔力に変換する生命力が尽きれば、あるべき死を迎えるだろう。

 だから、人から吸った。

 スピネルに限らず近隣の住人に悟られる事なく寄生しては生命力を吸い上げていたのだ。

 しかし──ただ吸うだけで、殺しはしなかった。

 必要なのは安定した供給であって、ただ大量にあれば良いと言う話でも無いのだ。

 

 正に生き汚さの極致。

 ただ何の目的もなく生に執着し続ける様は、カルデアの名だたる英傑達が見れば嘆かわしいと侮蔑を露にするだろう。

 

「……何か、可哀想だな」

 

 しかし、そんな魔術師だった肉塊を少年は憐れんだ。

 別に「彼」の姿に理解を示した訳でも、同調した訳でもないが──「普通の人」として誰に見付けられる事もなく、1人でこんな姿になってしまうのはあんまりだろうと思わずにはいられなかった。

 

「……あのさ」

「……何?」

「楽にして、やれないかな」

 

 だから少年は、少女に頭を下げて介錯を頼み込む。

 ひょっとしたら「彼」はそんな結末は望んでいないのかもしれないが、身勝手かもしれないが──死なせてやるべきだと彼は思うのだ。

 されど自分1人でそれを為す力はなく、少年は無力。

 力を持つ者に任せるしかない。

 

「……分かった」

 

 そんな彼の姿にスピネルは暫し視線をさ迷わせ逡巡したが、やがてゆっくりと頷いた。

 彼女としても、「生きるも死ぬも自分では出来ない状態」には思う処があったのだ。

 

「────」

 

 トトン、と少女が軽やかにステップを踏む。

 続けて爪弾いた琴から放たれる真空の刃が、肉塊の表皮を傷付け──溢れ出た体液を1滴、細くしなやかな指が絡め取った。

 

「もう、おしまい。これがあなたの成れの果て──」

 

 途端、それが肉塊を模した小さな人形──魔術師であった何かの()()へと変化する。

 そう、これより起こるは不可避の呪殺。

 対象の一部から作った模造品を殺す事で本体そのものをも呪い殺す、謂わば妖精騎士トリスタン版丑の刻参り。

 そして──────

 

 

 

 

 

「『痛幻の哭奏(フェッチ・フェイルノート)』」

 

 

 

 

 

 いつの間にか左手で添えていた杭を右手の槌で人形に打ち込んだその刹那、肉塊は体内から出現した無数の刃に引き裂かれ赤い華となって散華した。




◯少年
大まかに予想が当たってた絶っっっ対にカッコつけられない系凡人中学生。
スピネル(と言うか妖精騎士もバーヴァンシーも全部含めて)にベタ惚れ。
そもそも1話の時点で「今年初めて向日葵に気付いた」、「全然枯れない」は触れてたので魔術知ったらまぁ疑うよねって話。
両親とも昔は仲良かったし今でも尊敬はしてるので何だかんだリスペクトするし、料理が得意って訳ではないけれどスイーツにも挑戦するチャレンジャー。
当人はあんまり自覚ないけどスピネルに一目惚れだから仕方無いね。
後、血を吸われた所は歩いてる最中に治してもらった。

◯妖精騎士トリスタン/バーヴァン・シー/スピネル
食欲は収まったし何でも作るって言ってもらったし超ゴキゲンな漸く宝具披露系吸血妖精。
でも戦闘はこれで最後。
少年にベタ惚れ。
口調は相変わらずだけど対少年限定で咄嗟に庇ったり気遣うようになった。
そもそも本調子なら魔術云々も最初に気付けた筈だけど前回まで絶不調だったから仕方無いね。

◯肉塊/元魔術師
向日葵畑の管理人。
ひょっとしたら虚数属性かもしれないし何か色々事情があるかもしれないけど本筋に関係ないので全部割愛。
何で向日葵畑を隠蔽してたり向日葵が咲き続けるようにしてたかも不明で倒れたも不明。
きっと綺麗なモノを綺麗なままにして独り占めにしたかったんじゃない?(投げやり)
まぁ設定はちゃんとあるけど本筋に関係ないから別に良いのだ。

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