真面目な──いや、人によっては滅茶苦茶不真面目な話をすると。
告白する勇気が無い。
お前此処に来てヘタレるのか、と思う方もいるだろう。
あれだけ盛大に啖呵切っておいてこれとか情けないとは思わないのか、と罵る方もいるだろう。
全く以て仰る通りだ。
弁解の余地等何1つとして残されてはいない。
純然たる事実として僕はあれだけモルガンさんにイキり散らかし、初対面で気絶するとか棒アイスを出すとか無礼を働きまくった。
挙げ句告白の許しを得ていると思われるのにそれを実行する勇気が出てこない空前絶後のチキン野郎なのである。
あまりの情けなさに我ながら溜め息が止まらない。
でも、1つだけ言い訳をするならば。
──いや、恋心自覚して数時間で告白は無理だろ
だって、数時間だぞ。
スピネルに恋をしてるんじゃないかと気付いてからまだ24時間も経ってない。
しかも、初恋だ。
残念な事に過疎の極致にあるようなこの村には「憧れのお姉さん」とかはいなかったから、正真正銘、天地神明に誓って初恋なのである。
最早ドギマギする、とかそう言うレベルの話ではなかった。
風呂上がりで上気した頬とか水を含んで艶やかな赤髪とか目付きの悪さとか、もう何もかもがヤバい。
大変気色悪い感想なのだが、全部が魅力的過ぎて満足に直視する事すら叶わないのだ。
前々から綺麗だとは思っていたが、心持ち1つでこうも変わるものなのか。
ぶっちゃけ鼻で笑ってた色ボケ男子中学生そのものに僕はなってしまった──で、今はソファーに寝そべってぼんやりとリビングの天井を見上げている。
「だっさー……」
そうぼやいた時刻は午前0時を回る頃、そろそろ寝ないと明日に影響が出る時間帯だ。
でも、僕はそうしていない。
明日の昼過ぎにはもうこの村からいなくなっているであろうバーヴァン・シー──いややっぱりスピネルで良いか、に恋をしてしまった。
そしてモルガンさんにああも威勢の良い事を言ってしまった以上、何かしらアクションを起こさない理由はなかった。
まぁその「何かしら」を踏み出せないからこうして毛布にくるまってうだうだしている訳なのだが。
ヘタレ此処に極まれり。
母さんは知らないが単身赴任中の父さんが見れば何と言うだろうか。
──分かんないな
ふと考えてみたけれど、本当に分からなかった。
元より母さんとは殆ど話さないし、父さんとも夏休みとかみたいな長期休暇にほんの数日だけ。
家族なのにまるで家族じゃないみたいだった。
だから、僕の恋に対してあの人達が何と言うのかまるで想像がつかない。
応援してくれるのか、反対するのか、それともそもそもこんなトンチキ染みた状況に混乱するのか。
どれも有り得るような気がするし、違うような気もする。
まぁ、つまり。
何が言いたいのかと言えば。
「何も知らないのな、親なのに」
当たり前と言えば当たり前だ。
幾ら親子と言えど究極的には他人な訳で、エスパーとか魔術師の類いでもないんだから考えている事なんて口に出されない限りは何も伝わりやしない。
そんな当たり前の事に、僕は今更気付かされていた。
「……話してみるか」
鼻で笑われるのは分かってるけど。
きっと、話したところで何も変わらないだろうけど。
明日──全てが終わったら、モルガンさんの魔術で寝かされている母さんに、この1週間の出来事を1つ1つ話してみるのも悪くない。
そう、そうだ。
母さんだって疲れているのだ。
今すぐどうこうという事もないけれど、父さんが単身赴任してから少しだけ辛くなった家計を支える為に必死に夜遅くまで働いている。
それで息子との距離が上手く計れなくなってしまったとして、どうして責められようか。
寧ろ歩み寄らなければいけないのは僕の方だろう。
──影響されてる、のか?
でも、きっと1週間前まではこんな考えには至りもしなかった。
意固地になるばかりで、晩夏の一時を無為に絵を描いて過ごしていたに違いない。
何が、とは自分自身でも上手く表現できないが、僕の中の何かが確実に変わっている。
不思議な話だった。
この前、特に夏休みに入るまでは考えすらしなかった行動への意欲がドンドン湧いてくる。
自分にはまるで存在しないと思っていた、所謂「勇気」が彼女と関わりだしてから湯水の如く溢れだしてくる。
傲岸不遜そのものな振る舞いをするスピネルに当てられてしまったお陰なのだろうか。
──まぁ、それはそれで構わないか
そう、別に構いやしないのだ。
例え彼女が傲岸不遜で暴力的でファーストコンタクト最悪の激ヤバ妖精だったとしても、それがモルガンさんに言わせれば悪ぶっているだけで本当は泣き虫なのだとしても、そんな事は全然気にならない。
気取った言い方をするならば、大事なのは出逢いよりそこからの積み重ね。
僅か1週間程度にせよこのトンチキ染みた騒動で積み上げたのは単なる友情ではなく、「それ以上」だと信じたい。
そしてただ、知った。
喜悦に頬を歪ませ、不可思議な琴で敵を引き裂く加虐の妖精。
くしゃくしゃに泣きじゃくりながら他人を傷付けまいと己を痛めつけるけど、それでもやっぱり他人を求めずにはいられない被虐の少女。
どちらも同じスピネルなのだと。
彼女は振り子のようにあっちへ行ったりこっちへ行ったりしているだけで、ただの二面性がある妖精騎士なのだ。
──良いじゃないか、二面性
それが悪い事だとは思えない。
悩んで、間違って、後悔して──それが生きるって事だと僕は思う。
思うように
大体、何もかもをすっぱりと割り切れる奴なんて早々見付かるようなもんじゃないだろうし。
古今東西の英雄が集うカルデアとやらならそう言う人達が跳梁跋扈しているのかもしれないが、だからと言ってスピネルもそうでなければいけないなんて事もない筈。
それに何より、スピネルの二面性に惹かれて僕は「勇敢な自分」を作り出せたのだから。
「……やるか」
二面性が愛おしい。
彼女が暴虐的でも、自虐的でも全然構わない。
寧ろその矛盾が好きだ。
例え明日で全部が終わりになるとしても、1週間の夢幻だとしても、それでも良い。
残された一瞬を、絵筆ではなくスピネルと手を繋いで過ごしたい。
恥ずかしいは恥ずかしいが、今更何を隠そうものか。
この気持ちがハッキリした今、やる事は決まっている。
「────告白を」
方法は単純。
自分の部屋に行って、梯子を登って、時間帯的にまだ寝ていないであろうスピネルに想いを告げるだけ。
ただし時間も物も無く良い感じのプレゼントだとかは用意出来ないので、結果は考えないものとする。
元よりちょっと絵が描けそうな感じがするだけで魅力のある人間ではないのだから、スピネルに釣り合うとは思えないし。
玉砕上等、返り討ち上等だ。
この数日を格好付けるだけでやり抜いたのだから、今回だってやれる筈。
そう決心した僕は勢い良くソファーから跳ね起きて────
「よぉ」
「えっ」
背後から覗き込んでいたスピネルのニヤニヤした笑みに、思い切り出鼻を挫かれた。
1日目、バーヴァン・シーと少年のファーストコンタクトは最悪の一言だった。
何せ彼女は凡庸から逃げてきたのだ。
妖妃モルガンにとっての特別でなければならないバーヴァン・シーからすれば凡庸がぎっしり詰まってあちこちへ運ばれていく通勤ラッシュは悪夢でしかない。
況してやそこに自分も詰め込まれてしまうとなれば、被害妄想の類いではあるが「凡庸にされてしまう」感覚を味わったのも事実である。
そんな悪夢から逃走した先で出会ったのがまたしても凡庸な少年と来れば、誰でも己の運命を呪いたくなるだろう。
実際バーヴァン・シーは驚きのあまり呆然としている少年に邂逅早々苛つきを覚えていたし、彼が描いている絵を見ても何とも思いはしなかった。
ただ──深い考えもなく語った適当なカバーストーリーに対する「バカじゃねぇの」の一言は彼女の興味を惹くには十分だったと言えよう。
バカ。
成る程、バカと来たか。
これ程簡潔で、かつフレンドリーな罵倒を叩き付けられるのはバーヴァン・シーにとっては初めての体験だ。
そう、妖精國で受けた仕打ちの殆どは陰湿な陰口、ないしは物理的苦痛を伴うものだった。
ノウム・カルデアに召喚されてからはそもそも罵られる機会すらなく、かくも軽妙な──まるで友達にするような軽口を初対面の人間から投げ掛けられるのは大層興味深い。
バーヴァン・シーはボーイ・ミーツ・ガールなんてものは凡そ一切信じていなかったが、胸の内がざわつくのハッキリと感じ取っていたのだ。
この興味の正体を知りたい。
何故知りたいのかは分からないが、どうしようもない位に知りたくて堪らない。
そうして自分の脚がステップを刻んでいるのに気付いたのは、偽名を名乗る直前の事であった。
しかし
まぁ、なるべくしてなったとも言えるのだが。
何せスピネルには寄る辺が無い。
お母様の下から逃走し、まるで土地勘の無い場所へと着の身着のまま辿り着いた彼女には頼るべき知己も帰るべき我が家も存在しないのだ。
故にこそ、唯一自分を「特別扱い」してくれる少年に縋るしか選択肢は残されておらず。
宛がわれた屋根裏部屋のベッドで横になる頃には、如何にして自分を彼に縛り付けるしか考えられなくなっていた。
何より、このちょっと広い一軒家は居心地が良かった。
妖精騎士でもなく、サーヴァントでもなく。
ただ単にちょっと暴力的で我が儘なだけのスピネルでいられる事は、彼女にとって何よりの爽快感であった。
だって、2人だけなのだから。
自分と相手しかいないなら、必然的にお互いが特別になるだろう。
少年もまたそんなスピネルの様子を好ましく思っているようだった。
何やら小難しく、ささくれた問題を抱える彼は鬱屈とした環境を一気に打ち破る「何か」を欲していて、偶然にもスピネルが
我が儘に振り回される彼は困惑したり、怒ったり、頭を抱えたりしていたが──その我が儘さに何かしらの爽快感を覚えていたようにスピネルには思える。
特に驚きだったのは、外に出たくないがために彼を気絶させてしまった後の話だ。
目覚めた彼は怒るでもなく、失望するでもなく、ただスピネルの看護を従順に受けた。
内心ではそれがとんでもなく稚拙で、追い打ちになりかねないと理解していながら
全く以て意味が分からない。
依存の中に、新しい興味が生まれた。
簡潔に述べるのならば、スピネルは己を喪失していた。
いや、此処に至るまでの僅か数日で彼女は自分の精神をミキサーにかけたかのような心地を味わっていた訳だが、今回はその比ではなかった。
平素の彼女であれば少なくとも表面上を取り繕うだけの余裕はあっただろう。
得体の知れない怪異が敵であっても、取り敢えず悪ぶって加虐的な笑みを浮かべる位は可能だった筈だ。
しかし事が少年に及ぶとなれば話が違う。
影法師が彼の背後に現れた時、全身を雷で打たれたかのような衝撃が貫いた。
フェイルノートの刃が図らずしも彼を傷付けてしまった時、物に触れる事さえ叶わぬ程の怖気が四肢を走った。
あまつさえ彼が妖精騎士ガウェインに啖呵を切った時など、恐怖と歓喜で彼女の心は滅茶苦茶になった。
そう、滅茶苦茶だ。
スピネルの男性観は少年によって滅茶苦茶にされてしまったのだ。
どうしようもなく凡庸で、料理の味付けが合わなくて、何かにつけて子供みたいなやり取りばかりしてしまうけれど──彼は凄まじい勇気を持っている。
それは妖精騎士トリスタンが持っていなかったもの。
バーヴァン・シーが持つ自己犠牲の優しさでは及ばなかったもの。
誰かの為に
──「勇気」がスピネルへの行動を支えている
そうして彼に抱き締められた時、彼女の中には本気の恋が芽生えていた。
もう好きで、好きで好きで好きで──堪らない。
少し指先が触れ合っただけでドキッとしてしまう。
隣を歩いているだけで自然と足取りが軽くなる。
言葉を交わせば胸の内が熱くなってくる。
その果てに、心底彼の「特別」になりたいと思ったのだ。
特別扱いではなく、本物の特別に。
他の何でも取って替わる事の出来ない、2人だけの唯一無二に。
だから少女は──少年を夜の向日葵畑へと連れ出した。
「そ、空飛ぶなんて冗談じゃないぞマジで……飛行機乗れなくなったらどうすんだよお前……」
「あ?あの程度で音を上げるとか雑魚過ぎるだろ。大体1人乗れなくなった程度じゃ誰も困らねぇよ」
飛行──ではなく単なる跳躍での移動なのだが、それにしたってサーヴァントと人間では身体能力の基礎が違うのだ。
凄まじい高さから地上へ落下する気分を何度も味わいヘトヘトになって木に寄り掛かる少年を見下ろしながら、右手に篭を持つスピネルはニッと笑う。
「……で、何だよ」
「何が」
「こんな夜更けに態々こんな所に連れてきて何がしたいんだっつーの……」
どうやら少年は酷く不貞腐れているようだった。
いや、理由はスピネルとてよく分かっている。
他ならぬ彼女自身が告白の出鼻を挫いたからだ。
散々悩んで、漸く想いを告げようと決心をした瞬間にその当人が不意を突いてきたのだから、臍を曲げてしまうのも当然と言えば当然だろう。
だって、スピネルもそれを狙ったのだから。
「告白を邪魔してやろうと思って」
「は────」
訝しげな目線を向けていた少年が、そのまま凍り付く。
「いやぁ何か?今日辺り告白してきそうな気がしたから?初動を潰してポシャらせようと思ったワケよ」
「こ、このクソ野郎……」
「文句ある?」
「文句しかねぇよ阿呆」
そう、スピネルの目的は告白の妨害だ。
是が非でも少年の心意気を妨害しなければならない理由があった。
何故なら──今回ばかりは自分から歩み寄りたいと少女は思ったのだから。
「へぇ?私が告白しようってのに文句あるのかよ」
「……え?」
停止から復帰したばかりの少年の思考が再び止まる。
それどころか挙動すら中断され、立ち上がろうとする最中の不自然な姿勢のまま彼は硬直してしまっている。
しかし、心の中は真反対。
──何、だ?スピネルは今何を言ったんだ?いや、しかし、まさか。
「好きよ」
「────!?」
困惑と暖色に色付き始めた彼の心が何事か紡ぎ始める前に、少女は勝負を仕掛ける覚悟を決めた。
そう、貪欲で強欲で傲慢な彼女は獲物の逃走を決して許さない。
それに古今東西、妖精に魅入られた者の結末はロクでもないと決まっているのだ。
彼にも同じ末路を辿って貰わねば、サイアクな妖精の沽券に関わるので──一気に畳み掛ける。
「あなたの声が好き。私はスピネルじゃないけれど、あなたがそう呼んでくれる間だけは
──いや、そんな話があるのか?まさか、好きは好きでも友情の範疇ではなくて、そんな。本当に、本当に?
「誰が何と言おうと私は……私はあなたが欲しいわ。例え後1日も此処にいられないとしたって、あなたの隣にいたい。下らない軽口を叩きながら、あなたの隣で笑っていたい。あなただけの
──自分のような何の取り柄もない人間が釣り合うとは、到底思えない。何を取ってもきらびやかなスピネルには、到底及ばない。それでも。
読心の魔術で覗き見た彼の心は、混乱の極致に陥っていた。
中腰のまま、捲し立てるように告げられた想いを呼吸も忘れて噛み砕き、必死に咀嚼しては己の脳に流し込む。
何にしたって理解が追い付いていなかった。
「────」
スピネルはただ待つ。
少し前屈みになって目線を合わせ、赤いドレスを夜風に翻して。
少年が気付くその瞬間を、黙して待ち続ける。
そうして、何分が経っただろうか。
「────そ、れって。つまり」
やがて──少年が口を開く。
遂に気付いた決定的な答えを、震える唇が紡ぎ出す。
合わせて少女も、噤んでいた口を満足気に開き──
見解の一致。
少女はしてやったりと満面の笑みを浮かべ、少年は驚きを隠せない。
これで全てが決まりだ。
お互いが好いていると理解出来たのなら、それ以上の確認は必要ない。
ただやはり、乙女心と言うのは理屈で止められるモノではなく──スピネルはジロリと少年を睨む。
「お前はどうなんだよお前は」
「どうって……いや、そりゃ、好きだけど」
「……だよな」
何とも締まらない話だ。
格好付けて告白しようとした者はその初動を潰され、潰した者はこっ恥ずかしさから真剣な告白を最後まで完遂出来ない。
出会いからしてもうぐだぐだで、あれやこれやと低俗だったり真面目だったりを行ったり来たりした者達故の、後先考えぬ告白。
しかし、それで良いのだ。
それでこそ、「
そして1度決まるものが決まってしまえば、後はこれまで通りの流れに戻るのが必定。
「でも、どうして此処で」
「正直……ロマンチストは止めたつもりでいたのよ。サイアクでザンコクな私らしくないし、それで痛い目も見たし?」
「痛い目って……」
「でもやっぱり、性なんて早々変えらんない。どうせだったら初めて出会ったこの場所で告白したくなっちゃったってワケ!」
後何日もしない内に枯れちまうしな──そう言って背後の向日葵畑にスピネルは視線を向ける。
月光の頼りない光に照らされた大輪の花々は、全てあの肉塊魔術師によって維持されていたもの。
彼が漸く死を迎えた今、晩夏の空気に向日葵は耐えられない。
今はまだ咲き誇っているのだとしてもほんの数日の内には枯れ尽くし、管理する者のいない向日葵は一夏の幻想として消え失せるだろう──スピネルと同じように。
「だから、残して欲しいの」
だが、そんな事はさせない。
例え明日にはこの地を去らねばならないのだとしても、この花畑と自分自身は彼の記憶に焼き付ける。
何時までも何処までも、呪いのように。
他の「誰か」に決して心が移ったりしないように。
「この向日葵畑の絵を描いて。どれだけかかっても構わないから」
寧ろ時間がかかる方が願ったり叶ったり。
花が綻ぶような微笑みと共に、スピネルは篭を差し出す。
中身は勿論少年の部屋から持ち出した画材一式。
おずおずと受け取りその場に腰を下ろす彼の隣に、少女もまた腰を下ろす。
彼女にシートなんて持ってくるなんて発想はなかったから、瞬く間にドレスは土に塗れるが──そんな事は気にも留めない。
彼の隣ならば、衣服が多少汚れる位何ともないとスピネルは切に思うのだ。
「多分めっちゃ時間かかるよ」
「出来るだけ待ってやるよ」
「別に上手くないよ、アマチュア未満だし」
「美術の見方なんて人それぞれだろ」
「キミが嫌う凡人そのものだ」
「私はそれが良いんだっつーの。でもその無駄にウジウジするのは直しとけよ、私のカレシやるんなら」
乱雑に返事を投げつつこてん、と少年の肩にスピネルは頭を預け、伝わってきた熱は皮膚を通して全身へと広がっていく。
温かい──人肌の温もりが其処にはあった。
「ま、今は
「…そっか」
「次に会う時はもっと良い男になってなさいよ…私も、あなたに相応しい私になるから」
「…うん、努力する」
これで良い、これで。
寧ろこれが良い、この平凡な温もりでなければダメだ。
そう内心で呟きながら──あまりの居心地の良さに、本来サーヴァントなら無視できる筈の眠気が襲ってくる。
「あー……何か眠くなってきたわ」
「寝る?」
「うん」
「分かった、朝になったら起こせば良い?」
「あぁ……お願い……」
それは妖精國では想いが擦れ違った為についぞ得られなかったもの。
悪逆に浸るのとは正反対の温さで、嫌な記憶を全て和らげてくれる小さな楽園。
たった1人の為だけに作られた楽園に選ばれた、楽園の妖精に彼女は成ったのだ。
そして楽園ならば、何者に侵される筈もなく。
絵の具を弄り出した彼の動きを全身で感じながら、少女は束の間の微睡みに浸る。
「────あぁ、忘れてた」
ただ、1つだけやり残した事があった。
「こっち向け」
「ん゛ッ!?」
またしても、不意打ち。
気分屋で横暴な彼女の動きを読むなど、相変わらず少年には不可能で。
漸くボードに向かい始めた彼は、ぬるりと絡み付いたスピネルの両手によって、無理矢理彼女の方を向かせられる羽目になり。
満点の月夜の下、2つの影が重なり合った。
斯くして、少年少女による晩夏の騒動は終わりを迎えた。
動き出した電車を見送れば少年は平凡極まりない田舎生活と迫り来る受験への対策に、少女は復旧したカルデアで微小特異点の修正に追われる事になる。
2人以外誰も目にしていないあの向日葵畑は1年、2年と時が経つに連れて記憶の中から薄れていき、やがてはモノクロの思い出に変わってしまうのだろう。
しかし、まぁ。
前代未聞のトンでもない大騒ぎを引き起こしかけながらも、スピネル──いや、バーヴァン・シーがカルデアから退去処分を受けたりする事はなかった。
勿論、新所長やダヴィンチちゃんにはこってりと絞られ、それはもう懇切丁寧に現代社会で英霊が軽率に活動する事の危険性を説明されたのだが。
逆に言えばその程度。
いつも通りサイテーサイアクなバーヴァン・シーは説教を聞き流していたし、説明が身に染みた様子はまるで見られなかった。
ただ幾つか、彼女の変わった点を挙げるとするならば。
先ず、バーヴァン・シーは以前にも況して熱心にガラテアの所に通うようになった。
元より職人仲間として彼女とは懇意にしていたものの、今回はヒールではなくスニーカーだとかハンティングシューズだとか、そう言った華美ではない靴に関する助言を請うようになったのである。
何故それらに拘るのか、知る者はいない。
ただ、バーヴァン・シーは「新方面の開拓も悪くないだろ」と語るのみで、悪辣な方面でお喋りな彼女にしては珍しく固く口を閉ざしていた。
そしてもう1つ。
彼女は何故か日本のある地方紙を取り寄せるようになった。
そもそもからしてカルデアは南極に位置するため新聞が届く事はない。
読みたければ端末を使ってデータの形で閲覧するのが一般的だし、態々取り寄せようだなんて奇矯な考えの者は職員にもサーヴァントにも少ない。
無論作家系のサーヴァントは物語を本として書き、数人の職員とサーヴァントが協力して所謂社内報的な物を刊行していたりはするが、所詮はその程度。
最先端施設のカルデアでは紙媒体は絶滅危惧種なのだ。
そういう中にあって、何故バーヴァン・シーが新聞を取り寄せるようになったのかは誰しもが疑問に思う所だった。
しかし、これに関しては先にも増して彼女は語ろうとしなかった。
誰が何時訊ねようと頑として口を開かず、時にはシミュレーターに逃げ込んでまで返答を避けたのである。
とは言え、誰しも触れられたくない部分はある訳で。
特にカルデアを危機に晒すような悪事を働いているのでもないのだし、深掘りは止めよ──その様な命令がモルガンによって下された。
態々館内放送を使ってまで。
その日から1週間、顔を真っ赤にしたバーヴァン・シーはありったけの食料をかき集めてシミュレーターに引きこもった。
そんなこんなで変化が日常のものとして受け入れられ始め、バーヴァン・シーも誰に憚る事なく食堂で新聞を読み耽るようになったある日の夜のこと。
蒼い鎧を纏った白髪の少女──妖精騎士ランスロットは、その端整な美貌を如何にも不満げに膨らませながら廊下をずんずんと歩いていた。
その所作に騎士らしさはまるでなく、どちらかと言えば駄々を捏ね損なった子供の如き幼さが見え隠れしている。
「まったく……モルガン陛下も人遣いが荒すぎる。自分で呼びに行けば良いのに態々僕を使うだなんて……!」
事の始まりはほんの5分前。
人類最後のマスターたる藤丸立香の部屋に入り浸っていたランスロットであったが、彼女は何の前触れもなく現れたモルガンの命によってバーヴァン・シーを連れてくるように命じられていた。
概ねバーヴァン・シーと腹を割って話し合いたいがそれをする勇気もなく、マスターを交えての三者面談方式を試みようと言う考えなのだろう。
実に不器用で、小難しくて、妖妃らしいやり方だ。
とは言え、それ自体に全く文句はない。
恋人と夫婦はカテゴリが違うのだし、親子の面談は好きにすれば良い。
ただ──その為に自分とマスターの時間を妨げるとは!
仮にも騎士の立場を取っている以上逆らいはしないが、それはもう不満たらたらだった。
そんな訳で不意にカルデアをぶっ飛ばしそうな程剣呑な雰囲気を醸し出す彼女は僅か数分の内にバーヴァン・シーの部屋に辿り着き──ドアが自動で開く。
「……おや?」
どうやらロックをし忘れているらしい。
意外に小まめで用心深いバーヴァン・シーにしては実に珍しい、無用心さを感じさせるミスだと首を傾げるランスロットは、しかし躊躇う事なく部屋の中へと足を踏み入れる。
何故なら、彼女は強いから。
ハッキリ言って、それはもう強い。
妖精であり竜である妖精騎士ランスロットに敵う者など、全サーヴァントを見てもそう中々見付かるようなものではなく、並大抵の罠や待ち伏せならば真正面から捩じ伏せられる。
が、しかし。
するりと忍び込んだ彼女が見たものは、想像から大きくかけ離れていた。
「……何だ、寝ているだけか」
数多の靴が飾られる中、部屋の主はすぅすぅと小さな寝息を立ててデスクに突っ伏していた。
大方何かの作業をしている途中に寝落ちしてしまったとか、そんな所だろう。
実に穏やかで、ごくありふれたサーヴァントの姿だ。
されどモルガン陛下の命である以上そのまま寝かせておく訳にもいかず、ランスロットは僅かに憐憫を抱きながら彼女の肩に手を伸ばし──ふと、近くに立て掛けられたコルクボードが目が移った。
「……ふぅん」
其処にピンで止められていたのは、新聞記事を切り抜いた何枚かの紙片。
内容にざっと目を通してみても、これと言って目立つようなものではない。
地方紙にありがちな地域の事情を纏めただけの、平凡そのものな記事たちだ。
ただ、1つ。
そんな切り抜きの中央に、取り分け目立つようにしてピン刺しされた記事がある。
「『限界集落の中学生画家、東京へ』……」
曰く、過疎化が極まりつつある地方の村から期待の新星が現れた、と。
まだ中学生の彼が独学で会得した技法は精緻とは言い難いが、ノスタルジックな雰囲気を醸し出す数々の作品は不思議と人々の目を引き寄せるのだ。
そんな彼の代表作が、この度都の美術展で展示される事になった。
縦74センチ、横92センチの内側に描かれたのは、幻想的な赤髪の少女と、その背後で大輪の花を咲かせる無数の向日葵。
名を────
「"向日葵畑で、君と"、か」
絵画のタイトルを読み上げる妖精騎士ランスロットは、美術品の価値に疎い。
あまり興味がない、と表現するのが正確か。
故に絵画に対しても正確な判断を下せるとは言い難く、精々好き嫌いで判別出来る程度だろうと彼女も自覚している。
だがしかし、そんな彼女の目線からしても。
「────うん、
バーヴァン・シーの穏やかな寝顔と切り抜きに載せられたその白黒の絵は不思議と「悪くない」ように思え、モルガンの命令に背いて速やかにその場から立ち去る事を選択させた。
ただそれだけの話である。
これにて完結になります。
色々番外とか長い後書きとか書きたいような気がしますけれど野暮な気がするので止めておきます。
後最終話滅茶苦茶待たせてしまいほんっっっとうに申し訳ありませんでした!