世界救い終わったけど、記憶喪失の女の子ひろった   作:龍流

106 / 143
赤髪ちゃんと四天王

 王都第五騎士団団長、レオ・リーオナインは、世界を救った勇者に踏まれていた。

 具体的には、蹴り倒された上で、頭の後ろをぐりぐりされていた。

 

「なんでここにいるのか説明しろ。バカ」

 

 とても不機嫌そうな表情で、勇者はレオを見下ろして問いかける。それはある意味、苛立ちと驚きを隠す必要がない、親友への気安さの証明でもあった。

 

「はっはっは! もちろん説明しよう、親友!」

 

 対して、レオは踏まれていても上機嫌であった。むしろ、踏まれて喜んでいるまである。

 賢者に踏まれて喜んでいたどこぞのメガネの第四騎士団長といい、もしかして騎士団長って全員マゾなのかな……と。勇者はすごくどうでもいいことを思った。

 

「実はボクたちも前々からこのカジノはキナ臭いと思っていてね! 最上級悪魔がオーナーとして関わっているという情報があったんだ。最上級の相手ともなれば、さすがにそんじょそこらの騎士には務まらない! そこで騎士団長であるこのボクがカジノに先んじて潜入し、情報の真偽を探ることになったのさ。的確な調査で悪魔の居所を突き止めたボクは、最上級悪魔の一体を発見! 誇りを賭けたゲームに挑み、あと一歩のところで敗れてしまったというわけだね!」

「なるほど。だめじゃねえか」

 

 滑らかで淀みない説明だった。

 ものすごく爽やかな表情で己の敗北を自己申告するレオに、勇者はこれ以上なく呆れた目を向けた。

 

「おっと、そんな目でボクを見ないでくれ親友」

「うるせえよ。おれは時々、こんなアホが親友でいいのか疑問に思うことがあるわ」

「何を言うんだ親友! ボクたちは、サジタリウスによって人に暴力を振るえない呪いを浴びている! しかし、キミは今、こうしてボクを足蹴にしている! つまりこれは、ボクたちの親愛の証明に他ならない!」

「やかましいわ」

 

 本当にああ言えばこう言う男である。

 

「大体、それを言うならキミだってサジタリウスにボコボコにされたんじゃないのかい? 服も脱げているし!」

「……」

「はっはっは。無言のままぐりぐりしないでくれ親友。パンツは守り切っただけえらいと思うよ? ああ、やめてくれ。首がもげそうだ……!」

 

 地面に這いつくばったまま、あくまでもポジティブに、レオは反論する。

 こいつと口喧嘩してもおれが大体負けるんだよなぁ……と。勇者は少しげんなりとした。世界を救った勇者を口先だけで萎れさせることができるのが、レオ・リーオナインである。

 

「とはいえ、キミが来てくれて助かったよ。見ての通り、ここからどう脱出するか考えあぐねていたんだ。ボク一人では、どうにも手が足りなくてね。世界を救った勇者殿が助力してくれるなら、これほどありがたいことはない!」

「……たしかにサジタリウスは違う意味で強かったけど、お前がそこまで言うほどか?」

 

 思わず聞き返した勇者に、今度はレオの表情が怪訝なものに変わる。

 

「おいおい、親友。ボクの実力を高くかってくれるのは嬉しいけどね。いくらボクでも、最上級二体の相手は骨が折れるよ」

「……()()?」

 

 

 ◇

 

 

 勇者が地下に落ちて強制労働とアホな親友への対応に追われている頃。

 

「おお……勇者が、落ちた」

「フフ……弟子が心配か?」

「心配? べつに、心配はしてない。わたしも、ばぁん、って落ちてみたい」

「ククク……おもしれー幼女」

 

 サジタリウスとムムは、ゲームを続行していた。

 すでにムムの手元にはカードが四枚。対して、サジタリウスの手元には三枚。二枚の同時先取をやってのけたムムに、サジタリウスはどう足掻いても追いつけない。

 そして、リードをキープしたまま、次はムムのターンである。

 

「イケメン」

「フフ……如何にも、オレはイケメンだが」

「一つ、質問。イケメンは、どうしてゲームが好きなの?」

「ククク……え、オレの呼び方それでいくのか?」

 

 ムムの雑な命名に少し冷や汗を浮かべつつも「まあ、いいか」とイケメンらしい広い心で己を納得させたサジタリウスは、場に防御側のカードを二枚、セットした。

 

「ゲームは素晴らしい。人間が生み出した最も価値のある遊戯の一つだ。テーブルを挟んで向かい合った瞬間から、立場も地位も人種も種族も、すべてを忘れて興じることができる。この言葉はそのまま、オレの友人の受け売りだが……しかし、オレもそう思う」

「ふむ」

 

 短く頷いて、ムムは言った。

 

「その人は、人間?」

「……ああ。人間だ。アルカウス・グランツ。オレの唯一の、人間の友だ」

 

 ムムは、そのファミリーネームが死霊術師を追い落とした自称敏腕秘書……ルナローゼと同じものであることを知らない。

 もしも仮に。勇者がこの場にいたとしても、名前を聞くことすらできない勇者が、サジタリウスとルナローゼの繋がりを推し量ることはできない。

 故に、何も知らないムムは、素直に己の感じたままを口にした。

 

「良い出会いが、あったと見える」

「ありがとう。友への賛美は、オレ自身への賞賛よりもうれしい」

 

 サジタリウスも、素直にその言葉を受け止める。

 互いに負けられない勝負をしているはずなのに、ムムとサジタリウスの間には、奇妙な繋がりのようなものが芽生え始めていて。

 あるいはそれこそが、サジタリウスの語る「ゲームの素晴らしさ」なのかもしれない、とムムは思った。

 

「サジタリウス様」

「なんだ。今、良いところだ。邪魔はしてくれるなよ」

「いえ、それが……ルナローゼ様が、リリンベラに入られた、と。報告が」

「……なん、だと?」

 

 魔導陣の結界の外。そこに控えていた黒服からの報告に、サジタリウスの表情は劇的に変化した。

 具体的には、冷や汗をだらだらと流して追い詰められている様子に。

 

「ば、馬鹿な……なぜ、オレがここにいることがバレた?」

「その……非常に申し上げにくいのですが、これだけ足繁く通われていたら、居場所を突き止められるのは簡単かと」

「ククク……まずいな。ルナのヤツめ。お説教しに来たに違いない。このままでは、お金を返せと言われて小言の二時間フルコースだ。これは本当にまずい」

「サジタリウス様……非常に申し上げにくいのですが、サジタリウス様はカジノで稼いだご自分の資産がありますし、わざわざルナローゼ様から金を借りる必要はないのでは?」

「フフ……馬鹿か貴様は。女から借りた金でするギャンブルでしか、得られない栄養素があるだろう」

 

 やっぱりこいつ顔が良いだけのただのクズかもしれないな、とムムは良い方向に傾きかけていた最上級悪魔への認識を改め直した。

 

「ククク……すまないな、幼女よ。少し、勝負を急ぐ必要が出てきた」

「構わない。どうせ、わたしが勝つ」

「その意気は良し。だが、そう簡単にはいかない。このターンの防御は成功する。なぜなら、貴様はこれから()()()()()()2()()()()()()()()()()()()からだ」

「そういうブラフは、わたしには効かない」

 

 ムムは淡々と、指先をカードに伸ばす。

 サジタリウスの表情を、ムムは完璧に読み切っている。読み逃すことはない。

 

「言葉は、人の心を射抜く矢のようなもの。盤上で、心理戦を仕掛けてくる、その意気は買う。でも、わたしはそんなものに、惑わされない」

 

 そうして、迷わずに右のカードを開いたムムは、そのまま動きを止めた。

 自身の魔法を使ったわけではない。

 ただ、純粋な驚きから、動きを止めた。

 開かれたカードは『ハートの2』。

 それは悪魔の言葉通りだった。

 

「ククク……貴様の言うとおりだ、幼女よ」

 

 完璧に読み切っていたはずの表情。

 整った顔立ちに笑みを浮かべたまま、サジタリウスは語る。

 

「言葉とは、人の心を穿つ矢。そして、心の想像に形を与える呪いでもある。だが、オレの言葉は人の心だけでなく、万物すべてを射貫く、形のない魔法の矢だ」

 

 読んだ、読めなかった。

 そういう、駆け引きの話ではない。

 

 

 

「物に憑き、心を突く。オレの『妄言多射(レヴリウス)』は、オレが発言した起こり得る事象を全て()()する」

 

 

 

 

 魔法という奇跡は常に、そんな人間の小細工や積み重ねを、いとも簡単に超えていく。

 目を細めて、ムムは問う。

 

「一つ、聞いていい?」

「なんなりと」

「そんな魔法を持っているなら、なぜ最初から使わなかった?」

「どうした、幼女よ。聡明な貴様が、随分とくだらない質問をするな」

 

 悪魔は、好戦的な笑顔で言い切る。

 

「賭け事でこんな魔法を使ってしまったら、すぐに勝負がついてしまうからに決まっているだろう。運は、天に託し、己の手で引き寄せてこそおもしろい」

 

 だが、と悪魔は言葉を繋いで、

 

「オレは、負けるわけにはいかない。オレの契約者を守るためにも、オレはゲームだけは、負けるわけにはいかないのだ。そういう約束を、()()()()()()()()()()と交わしているからな」

「……オーナー? オーナーは、イケメンじゃないの?」

「……そうか。まだ言っていなかったな」

 

 ようやく思い至った、といった様子で。

 サジタリウスは、ムムに言った。

 

「このカジノに、オレは一人のギャンブラーとして遊びに来ているだけだ。オーナーをやっているヤツは、別にいる」

 

 

 ◇

 

 

 わたしの名前は、赤髪です。今日は、人生ではじめてカジノに遊びに来ました。

 勇者さんと死霊術師さんの殲滅を目的に急遽結成された討伐パーティーですが、いきなりほいほいと手掛かりが見付かるはずもなく。

 

「きました! またきましたよおねえさん!」

「アカちゃんいいよ! 来てるよ! のってるよ! ツイてるよ!」

 

 そんなわけで、とりあえずスロットゲームで荒稼ぎをしています。

 

「見てくださいお姉さん! 回せば回すほどメダルが増えます!」

「アカちゃん最高だよ! ヤバいよ! アツいよ! フィーバーだよ!」

 

 どうやら、わたしにはスロットの才能? のようなものがあったようです。

 数字の七。ラッキーセブンがまたもや揃って、きらびやかに発光。筐体から大量のメダルが吐き出されました。

 

「うわあ……赤髪ちゃんすっごい」

「よくもまあ、こんなに当てられますね」

 

 わたしの手元に大量に吐き出されるメダルを、騎士さんと賢者さんはなんとも言えない表情で眺めています。

 カジノに入って早々「わたしも遊んでみたいです!」と主張したところ、賢者さんからお小遣い程度のメダルをもらってはじめてみたのですが……これがビギナーズラックというやつなのでしょうか。大当たりが止まりません。すでに一人では持ちきれないほどの量に、メダルの山が膨れ上がっています。

 もしかして、これがわたしの天職……? 

 これだけ稼げるのなら、これだけで食べていくことも可能なのでは……? 

 

「これで食べて行こうとか考えないでくださいね」

「はっ、はい! もちろんです!」

 

 危ないところでした。賢者さんは時々わたしの内心を見透かしたことを言ってくるので油断なりません。

 

「いや、でも今日のアカちゃんは最高にノッてるよ。ちょっとこれ、いけるところまでいってみようか」

 

 いつもと同じくクールな賢者さんとは違って、わたしの肩を揺さぶってくるお姉さんの目は、お金に眩んでいるように見えます。かけているサングラスは飾りなのでしょうか? 

 

「先輩? 当初の目的忘れちゃダメですよ?」

「で、でもアリア」

「ダメです」

 

 おねえさんの肩を、今度は騎士さんががっしりと掴みました。

 最近、この二人の力関係がなんとなく掴めてきた気がします。基本的に騎士さんが上で、お姉さんが尻に敷かれています。年齢的には逆だと思うのですが、妙な納得がありました。

 

「賢者さん! このメダルでいくらくらいになりますか!?」

「さあ? でもまぁ、あなたが食べたいものは大体食べられるくらいは稼いだんじゃないですか?」

「やったー!」

 

 食べ放題というやつですね。最高です。

 

「私から言わせてもらえば、わざわざ出目を揃えてメダルを増やす意味がわかりませんけどね。そんなことしなくても増やせますし」

 

 と、手元でくるくると弄んでいた賢者さんのメダルが、魔法によって、一瞬で二枚に増えます。端的に言って、ズルです。

 

「シャナ! お金関連のものは増やしちゃダメでしょ!」

「はいはい。わかってますよ。冗談です」

「あ、あのシャナちゃん、じゃなくて賢者さま。ちょっとお話が……」

「先輩?」

「痛い痛い! ごめんごめんジョークだってジョーク! でもせっかくカジノに来たんだしちょっと稼ぎたくなるじゃん!」

「赤髪ちゃん。あたしたち、このメダル換金してくるね」

「はい! お願いします!」

「アリア痛い! 耳引っ張らないで、耳!」

「では、私も少し離れて情報収集してきます。はじめて遊びに来た場所とはいえ、あんまり羽目を外し過ぎないでくださいね?」

 

 みなさんがいなくなって、わたしはまた一人でスロットを回し始めました。

 なんといえばいいのでしょうか。周囲は相変わらず賭け事の音や人々の歓声で騒がしいのに、なんだか少し静かになってしまった気がします。

 

「おねーさん、一人? よかったら、ボクと遊ばない?」

 

 後ろから掛けられたのは、軽薄でやわらかい声。

 もしや、これが噂に聞く『ナンパ』というやつなのでしょうか? 

 少し警戒しながら振り返ってみると、そこに立っていたのは若い男性……ではなく。小さな女の子でした。

 

「えっと……」

「わあ、すごいアタリだね」

 

 フリルがいっぱいの、ワンピースドレス。騎士さんと比べると、少し落ち着いた色合いの金髪。二房に分けられたそれらを、純白と紅色の二色のリボンがゆったりと束ねています。

 女の子はするりとわたしとスロットの間に潜り込んで、わたしの膝の上に乗りました。

 

「ちょ、ちょっと……?」

「ふふっ……やっぱり落ち着くなぁ。あ、スロットは続けていいからね? せっかく遊びに来たんだから、たくさん稼がないと!」  

「はぁ……?」

 

 どこかのお金持ちの家のお子さんなのでしょうか? 

 言われるがままにスロットを続けていると、また数字が揃って、メダルが出てきました。

 

「あはは! すごいすごい! ほんと、相変わらず運が良いね! 昔と変わらないなぁ」

「……昔?」

 

 その一言に。

 ぞわり、と。

 心臓が跳ねた気がして。

 

「ふふっ……あ〜、落ち着く。昔は、ここがボクの定位置だったんだよ? 覚えてる?」

 

 女の子の小さな頭が、わたしの胸の間に埋もれました。

 

「心臓が、鳴ってるね」

 

 噛み締めるような、呟きでした。

 

「心臓が鳴っているってことは……生きてるってことだね。嬉しいよ。ジェミニに出し抜かれた時は、本当に腹が立ったけど……でも、こうして生きてまた会えたから、ボクはうれしい。とってもうれしい。うれしい。うれしい!」

「…………あなたは、誰ですか?」

 

 甘えるように。

 わたしに小さな体の、すべての重さを預けたまま、女の子は聞き返してきました。

 

「本当に、忘れちゃったの?」

 

 純朴で、純真で、純粋な。

 信頼と敬愛が込められた、温もりのある声音。

 

「ボクにこの名前をくれたのは、魔王様なのに」

 

 

 ◇

 

 

 レオ・リーオナインは、勇者に告げる。

 

「資金の調達、という意味では、これほどお誂え向きな場所もない。ヤツは、キミが魔王を倒したあとも、淡々と牙を研ぎ続けてきた」

 

 サジタリウス・ツヴォルフは、武闘家に告げる。

 

「魔王を倒し、世界を救ったあと。勇者パーティーの中で、経済的に最も成功を収めたのは、リリアミラ・ギルデンスターンだ。ヤツは、同じ四天王として裏切り者が許せないのだろう」

 

 整った顔を、歪めながら、

 

「「このカジノの主は、かつての魔王軍四天王第一位……トリンキュロ・リムリリィだ」」

 

 彼らはその名を吐き捨てる。

 

 

 ◇

 

 

 四天王第一位。トリンキュロ・リムリリィは静かな歓喜に打ち震えていた。

 目が焼けるような赤色の髪に、幼さの残るやわらかい赤色の瞳。起伏に富みつつも丸みを帯びた、肉付きの良い身体。

 見た目も、印象も、何もかもが、かつて仕えた自分の主とは違う。

 

「ひさしぶり。でも、はじめまして。ボクの魔王様」

 

 それでもなお、この少女は魔王であると。

 トリンキュロの心のすべてが、体の内から沸き上がる歓喜を高らかに肯定していた。

 

「わ、わたしは……魔王じゃ、ありません」

 

 少女の口から紡がれたのは、否定の言葉だった。

 赤色の瞳の目尻には、うっすらと涙が浮かび始めている。

 

「大丈夫」

 

 もしかしたら、こわがらせてしまったかもしれない。それは、トリンキュロの本意ではない。

 自分よりも大きな少女の体に、己の小さな体を絡みつかせながら、トリンキュロは少女の体温を余さず味わうために、強く強く抱き締めた。

 

「ひっ……」

「安心して」

 

 昔とは違う、抱き締めた時の感触。

 でも、大丈夫だ。

 人間の本質は、肉体ではない。内に秘めた、心にある。

 だから、何の問題もない。

 

「キミはボクのことを忘れているみたいだけれど、ボクはキミのことをよく覚えている。だからまずは、お互いのことを思い出すことからはじめよう」

 

 手のひらを赤い髪に絡める。

 

「ところでこれは、本当に純粋な興味から出るくだらない質問なんだけど……勇者と、接吻はした?」

「な、なんでそんなこと!?」

 

 一瞬で朱色に染まる頬。強張る身体。嫌悪を滲ませた、反駁の声。それらすべてが、狂おしいほどに愛おしい。

 

「ああ、よかったぁ……」

 

 トリンキュロは、嬉しかった。

 人の本質は、心だ。

 肉体なんて、どうでもいい。

 けれども、それはそれとして。

 自分よりも先に、この新しい魔王の身体を、勇者に汚されるのは我慢ならない。

 なので、先に自分が汚しておこう。

 会って早々。無理矢理に、というのは趣味ではないけれど。

 まあ、仕方ない。

 

「やっ……いや!」

 

 泣き顔も、意外と唆る。

 新しい発見ができて、トリンキュロはとても嬉しくなった。

 

 

「それじゃあ、いただきます」

 

 

 初恋の人に、はじめてを捧げるように。

 静かに目を閉じたトリンキュロは、唇の触れ合う感触を、全身全霊で味わおうとして、

 

 

「離れろ。ウジ虫」

 

 

 そうして次の瞬間には、トリンキュロ・リムリリィの細い首筋は、振るわれた大剣によって一撃で切断されていた。

 ずるん、と。生首が、宙を舞う。次いで、頭部を失って力が抜けた体が、大剣の背で吹き飛ばされる。

 トドメとばかりに、追撃の魔術が生首と泣き別れした胴体に降り注ぎ、スロットコーナーの一角を火の海に変えた。

 

「き、騎士さん……! 賢者さん!」

「赤髪ちゃん! しっかり!」

「……最悪ですね、まったく。この世で最も会いたくない存在と、こんなところで再会することになるなんて」

 

 世界を救った騎士と賢者は、唇を奪われかけた少女を守るように。大剣と杖、各々の武器を構えた。

 助けに入るのが間に合った。

 不意打ちも、成功した。

 しかし、そんな事実は、あのバケモノの前には、欠片ほどの意味もない。

 

「ひどいなぁ。首が取れちゃったじゃないか」

 

 吹き飛ばされた先。

 落とされた首を自分できちんと拾い上げて、トリンキュロ・リムリリィは起き上がる。

 首を落としたから死ぬ?

 あり得ない。そんな常識で、あのバケモノの身体は動いていない。

 魔術を叩き込めば死ぬ?

 笑えもしない。百の神秘を揃えたところで、あの魔を祓うことは不可能に近い。

 

「騎士さん、賢者さん……アレは、誰ですか?」

 

 震える声で、魔王だった少女は問う。

 シャナ・グランプレは、かつての宿敵を見据えたまま、その問いに答えた。

 

「……アレは、魔王軍四天王、第一位。トリンキュロ・リムリリィ。魔王の下で、魔王を上回る暴虐を尽くした、最上級悪魔の一柱です」

「なるべく、後ろに下がっててね。赤髪ちゃん。情けないことを言うけど、ちゃんと守ってあげられる自信がないんだ」

 

 アリア・リナージュ・アイアラスは、静かに一つの事実を告げる。

 

「あたしとシャナは……アレに、殺されたことがあるから」

 

 世界を救った勇者のパーティーは、常に勝ち続けてきたわけではない。その道程は、むしろ敗北に塗れている。

 四天王第四位、アリエス・フィアーには情報の駆け引きで常に欺かれ続け、遂に直接の勝利を収めることはできなかった。

 四天王第三位、ゼアート・グリンクレイヴには軍団としても個人としても、戦略と能力の双方で上を行かれた。敗北の結果、勇者は腕を奪われ、再起までに決して少なくない時間を要した。

 四天王第二位、リリアミラ・ギルデンスターンを殺すことは結局のところ一度たりとも叶わず、仲間として引き入れることで一応の解決を得た。

 そして、四天王第一位、トリンキュロ・リムリリィは……最も多く、世界を救ったパーティーを殺害した、最悪の宿敵である。

 

「ボクと魔王様の、感動の再会とファーストキスの邪魔をするなよ」

 

 最強の四天王。

 世界を救った、最高の賢者と騎士。

 魔王の没後、約二年。歓楽と遊戯の街、リリンベラにて。

 世界を救う戦いの、延長戦が始まろうとしていた。




こんかいのとうじょうまほう

妄言多射(レヴリウス)
サジタリウスの魔法。自分自身が発言した事柄を『実現』させる。ある種の事象操作に近い性質を持つ。アリエスの『晨鐘牡鼓(トロンメルキラ)』と同様に、口述による宣言を発動のトリガーとすることから、特性がやや似通っている。サジタリウスがアリエスからスムーズに魔法を借り受け、運用することができたのも、これらの要因が大きい。
賭け事においては、最強に近い魔法。ポーカーで山からカードを引く際「オレの手札にはロイヤルストレートフラッシュが揃う」と言えばそれだけで役が成立し、ババ抜きで「オレはジョーカーを引かない」と宣言すれば絶対に引かなくなる。勇者からメダルを借りてスロットを回した時、一発で当たりを引くことができたのも、この魔法のおかげ。
ただし、サジタリウスはこの魔法を普段は使用したがらない。また、魔法の効果には何らかの制約があるらしく、本人の魔法への評価が低いのにも関係しているらしい。

麟赫鳳嘴(ベル・メリオ)
トリンキュロ・リムリリィの魔法。首がもげてもそのまま喋ることができるのも、この魔法による効果の一部。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。