世界救い終わったけど、記憶喪失の女の子ひろった   作:龍流

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アルカウス・グランツ

 サジタリウスの魔法『妄言多射(レヴリウス)』は、本人が発言した事象を全て()()する……

 

「まずはその子の傷を見せろ」

 

 ()()()()()()

 言葉にして発声する、というタイムラグがあるとはいえ、それだけで全ての望みが叶うのであれば、サジタリウスはとうの昔に最上級悪魔の中で最強に至っていただろう。しかし、事実としてサジタリウスは最上級悪魔の中で間違いなく最弱であり、その理由は戦闘向きではない本人の気質だけでなく、魔法にもあった。

 『妄言多射(レヴリウス)』が実現できるのは、あくまでも、起こり得る事象のみ。

 例えば、サジタリウスが矢を番えて射る際に「オレの矢は必ず当たる」と宣言すれば、放った矢は必中する。が、弓も矢も持っていない状態で「オレの矢は必ず当たる」と宣言しても、何も起こらない。

 殺したい相手に「お前は死ぬ」と宣言しても何の意味もないが、病を患っている相手に「お前の病はひどくなる」と宣言すれば、確実に悪化する。つまるところ『妄言多射(レヴリウス)』とは望んだ可能性を目の前の現実に結びつけ、事実として引き上げる魔法である。

 万能ではあるが、全能ではない。

 そんな自身の魔法の特性をよく理解しているサジタリウスは、少女の傷の確認から入った。

 

「なるほど」

 

 意識はない。頭部から出血。全身に打撲。右足がおそらく折れている。腹部には、刺さった木片。

 まだ小さな手を握りながら、サジタリウスは言葉の選択を慎重に意識して、一言一句違えぬように紡いだ。

 

「大丈夫だ。傷はひどいが『打ちどころは良かった』らしい。腹部の傷も『内臓は外れて』いる。出血も『これ以上はひどくならない』だろう」

「本当か? というか、あんたやっぱり医者なのか!?」

「医者ではないと言っただろう。多少の心得があるだけだ」

 

 上着を脱いで、少女の体がそれ以上冷たくならないように、包む。

 必要最低限『妄言多射(レヴリウス)』によって少女の容態を保ったところで、サジタリウスは横転した馬車の状態を見た。

 

「この馬車はまだ走れるのか?」

「わからん。起こしてみないことにはなんとも……車輪と骨組みにも亀裂が入っちまってる。道中で割れちまったらそれで終わりだ」

「確かめてみよう」

 

 馬車が損傷を負っている箇所を確かめるように触れながら、サジタリウスは口に出して告げる。

 

「問題ない。この程度なら『宿場町に着くまでは走れる』はずだ」

「本当か!? いや、しかしこの有様じゃ……」

「黙れ。この子を助けるんだろう? 助けたければオレの言葉を信じろ。さっさと馬車を起こすぞ」

 

 なんとか二人掛かりで馬車を引き起こしたあと、サジタリウスは男の肩に手を置いてさらに言った。

 

「東へ全力で走れ。オレが宿場町に寄った時、腕の良い旅医者がいた。まだ『街に残っている』かもしれない」

「わかった! 恩に着る!」

 

 泣き言の一つや二つ、返ってくるかと思ったが、男は即答で頷いた。

 気風の良い男だと、サジタリウスは思った。

 だから、最後にもう一つ添えておく。

 根拠はない。要因もない。だから、意味はないかもしれないが、それでもサジタリウスは、最後にその言葉を贈った。

 

「大丈夫だ。この子の命は必ず助かる」

「ありがとう! お前さん、名前は!?」

「サジタリウスだ」

「ありがとうサジ! オレはアル! アルカウス・グランツだ! 運び屋をしている! 宿場町で名前を出してくれれば、どこかで必ず引っ掛かるはずだ。いつか必ず、必ず礼をさせてくれ!」

「いいから早く行け。縁があれば、また会おう」

「ああ! 絶対にまた会おう! 約束だぞ! サジ!」

 

 去っていく馬車を見送りながら、サジタリウスは誰にも聞かれない小さな溜息を吐いた。

 また会おう、と彼は簡単に言っていたが、それはない。

 もしも、また会う時があるとすれば、それはサジタリウスが、彼の魂を喰らう時だからだ。

 

「ククク……いかんな。ああいうお人好しの魂は、どうにも不味くて食えん」

 

 言い訳のように重ねた呟きは、誰の耳にも届くことなく、雨の中に吸い込まれた。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

「よぉ! やっと会えたな! サジタリウス!」

「……」

「探したぜお前馬鹿野郎! お前さん、さてはアレだな? ヒモってヤツなんだな!? 住むとこも仕事も安定せずにフラフラと! 見つけるのに随分時間が掛かっちまったぜ! ワハハハ!」

「…………」

 

 周りに聞こえる大きな声で、恥の喧伝をされながら再会を果たしたのは、あの馬車の事故から数年後のことだった。

 酒場のカウンターでちびちびとやっていた飲みかけの一杯を置いて、サジタリウスは深い溜息を吐いた。

 

「……よくオレを見つけたな」

「そりゃあ骨を折って探したからな! 恩人に礼の一つもできなきゃ、アルカウス・グランツの名が廃るってもんよ」

「ククク……おい、なぜ隣に座る?」

「お前、何飲んでんだ? あー、適当にツマミも追加しようぜ。苦手なものとかないよな? オレァ、がっつり肉が食いたい気分だ。とりあえず盛り合わせと……」

「フフフ……いや、距離感ちか……」

「あ、もちろんここはオレが全部出すからな」

「ありがとう。おかわりください」

 

 人の好意には甘えるのが悪魔の正しい在り方である。

 とりあえずここは奢らせてくれ、と。

 了承の一つも取らず、馴れ馴れしく隣に腰掛けたアルカウスに思うところがないわけではなかったが、サジタリウスは素直に誘惑に負けておくことにした。人を誘惑する側なのに、誘惑には徹底的に弱いのがサジタリウスという悪魔であった。

 

「その口ぶりだと、孫娘は大丈夫だったようだな」

「お前さんのおかげだよ。本当に感謝してる」

「オレは何もしていない。ただ、お前はあの子を助けるための努力をして、あの子は助かる運命にあった。それだけのことだ」

「謙遜すんなよ。あの時、あの場所にお前がいてくれなかったら、オレはルナを……大切な孫を失うところだった。いくら礼をしてもしきれねえ」

「フフフ……まぁ、礼をくれるというのなら、有り難く受け取っておこう」

「おう! 今日は気が済むまで飲め飲め!」

 

 並々と酒が注がれたジョッキを重ねて、鳴らす。

 

「運び屋の仕事は長いのか?」

「ん? まあ、そうだな。生まれてこの方、この仕事しかしたことねぇし」

「仕事は楽しいか?」

「そうさなぁ。オレももう歳だからよ。最近は腰が痛くてな。働かずに楽ができるなら、そりゃ楽してぇよ」

「ククク……わかる。オレも働きたくない」

「お前さんはそりゃそうだろうな」

 

 言葉を重ねて、互いを知る。

 

「がははははは! だからオレの孫はとびっきりの美人になるんだよ! 間違いねぇ! ジジイのオレが言うのもおかしな話だが、あの子は頭も良いし、気立ても抜群だ! ルナは本当に良い女になるぜ! 賭けてもいい!」

「フフフ……なら、今のうちに粉をかけておくか」

「あ?」

「ククク……冗談だ。いや、顔こわ。冗談だ、アル。本当に冗談だから、本気にするな」

 

 笑顔を重ねて、時間を溶かす。

 アルカウスの、明らかに人懐っこい明るい性格に釣られて、いつの間にかサジタリウスも、彼の名前を呼ぶようになっていた。

 

「ん? なんだお前さん。カードやんのか?」

「まあ、多少は」

「そいつぁ良い。オレもギャンブルが趣味でな。親睦を深めるためにも一戦交えようぜ」

「ククク……いつの間にお前と親睦を深めることになったのかは知らんが、良いだろう」

 

 対人戦であれば『妄言多射(レヴリウス)』を使うまでもなく、サジタリウスというギャンブラーはプレイヤーとして強い。

 優雅にタダ酒とタダ飯を楽しみながら。自分を恩人だという馴れ馴れしいこの人間を、煽てて調子に乗せて、毟れるだけ金を毟ってしまおう、と。

 内心でほくそ笑みながら、サジタリウスはカードをシャッフルし、ゲームを開始した。

 簡潔に、結論から言えば。

 

「……」

「お前さん、すげえ強いな!? びっくりしちまったぜ」

 

 サジタリウスは、ボコボコにされた。

 

「……やるな、アル」

「がっはっは! おうよ! オレもゲームにはちょいと自信があるからな!」

 

 サジタリウスは、ゲームにおいて負けなし、というわけではない。かつて主と仰いだ少女には、じゃんけんという単純なゲームで一蹴されたこともある。

 しかし、戦略があり、読み合いが発生し、思考の攻防が行われる。そういったゲームでサジタリウスが敗北を経験したことは、極めて少ない。

 

「ククク……もう一回だ」

「おう、いいぜ」

 

 リベンジしても、また負けた。

 表情が読まれている。

 

「フフフ……次はボードゲームでもやるか」

「お、いいぜ。駒のデザインが良いよな、これ。ハンデやろうか?」

「不要だ。本気で来い」

 

 リベンジのリベンジをしても、またまた負けた。

 先の手が見透かされている。

 

「いやぁ、わりぃな。オレばっか勝っちまって」

「ク、ククク……今日はちょっと、調子が悪いかもしれんな」

 

 手を変え、品を変え。

 酒場で遊べるような簡単なゲームを、遊べるだけ遊び尽くして、遂にサジタリウスはテーブルの上に突っ伏して呻いた。

 全戦全敗。

 我が事ながら気持ち良くなるほどの、負けっぷりだった。

 

「さて、じゃあ今日はお開きにすっか」

「……そうか。名残惜しいが……」

「じゃあ、次は一週間後だな」

「え?」

「え、じゃねえよ。なんで鳩が豆鉄砲喰らったようなツラしてんだ」

 

 さっさと支払いを済ませながら、アルカウスは朗らかに笑った。

 

()()()()()()()、って。そういう話だよ」

 

 そう言われて、ようやく気が付く。

 

 そうか。次が、あってもいいのか。

 

 もう一度遊べたら、それはきっととても楽しいだろう、とサジタリウスは思った。

 そして、同時に。

 次が、あるのなら。

 まだこの男を食うわけにはいかないな、と悪魔は思った。

 

「ククク……一週間後だな。いいだろう。その日なら、ちょうどオレのスケジュールも空いている」

「うそつけ。お前さんぜってぇいつでも空いてるだろ」

 

 その日。アルカウスと遊んだゲームで、サジタリウスは結局『妄言多射(レヴリウス)』を一度も使わなかった。

 使おうと思えば使えたはずなのに、なぜか使う気になれなかった。

 金も、命も、何も賭けずに気楽に行うゲームは、負けても楽しい。

 純粋に、友人と楽しむゲームがこんなに心踊るものであることを、サジタリウスという悪魔は、はじめて知った。

 

 

 

 ◆◆

 

 

 

 友情とは、時間の積み重ねだ。

 

「サジぃ……お前、また女といざこざあっただろ?」

「いざこざではない。ヒモであるオレがキレられて、家から叩き出されただけだ。ククク……次の住処を探さなければ」

「お前さん、ぜってえロクな死に方しねえぞ」

「では、アル。マシな死に方とはどんな死に方だ?」

「そりゃあ……アレだろうよ。惚れた女に看取られて死ねりゃあ、男は本望だろうよ」

「……貴様、顔に似合わずロマンチストだな」

「うるせえなてめぇ」

 

 共に過ごした時間が、思い出になる。

 

「かーっ! 稼いだ稼いだァ! たまにはカジノを荒らすのも悪くねぇなぁ!」

「フフフ……この稼ぎを元手に、さらに増やすとするか」

「おいやめろサジぃ! お前、この前稼いだ金も全部馬に突っ込んで大損しただろうが! 絶対にやめろよ!?」

「しかし……馬は健気だぞ? ワクワクする」

「それで外しちゃ世話ねぇんだよ!」

 

 馬鹿なやりとりの一つ一つが、かけがえないのないものに変わっていく。

 

「なあ、サジ」

「なんだ? アル」

「オレの孫は、とびっきりの良い女になるぜ。賭けても良い」

「ククク……貴様は酔ったらいつもそれだ。ああ、そうだな。お前に似ないことを祈るばかりだ」

「かーっ、うるせえな!」

「お前のような大酒飲みのギャンブル狂いに、ならないほうがいいに決まってる」

「ほっとけ!」

 

 かけがえのないやりとりが積み重なって、心の奥に宝物のように溜まっていく。

 

「にしてもサジ、お前って老けないよなあ」

「……ククク、オレが若くてイケメンなのは見ての通りだが」

「そりゃ負けてられねぇな。オレもルナにじいちゃんかっこいいねって言われてぇからな……」

「風呂上がりの化粧水は必須だ」

「そんなもん使ってんのかよお前!?」

 

 だからこそ、数年単位で友人としての付き合いを続けていく中で、抱えた嘘は罪悪感となって、静かに肥大していった。

 

「……オレの正体は、人間ではない」

「ふーん」

 

 それを明かした時。

 自分とアルカウスは、もう友達ではいられないのだろうと、そう思った。

 

「オレは悪魔だ。重ねて説明するが、人間ではない」

「そうか」

「悪魔は人間と契約を結び、望みを叶える。その代価に人の体から魂を抜き出して、喰らう。悪魔が提示した契約書に触れることによって、契約は完了する。そして、契約者の望みを叶えた瞬間に、その魂は……」

「ふむふむ……ほい。ぽちっと」

「だあぁああああああ!? 何をする貴様ァ!?」

 

 自分が悪魔であると証明するために。

 出現させた契約書にあっさりと触れられて、サジタリウスは絶叫した。

 対して、アルカウスはけろりとした表情で言い放つ。

 

「なにって……契約をしただけだが?」

「アホか!? 馬鹿なのか!? いや、貴様はたしかにゲーム以外は馬鹿のようなアホたれだが!」

「あぁ!? ゲーム以外はろくに頭を働かせねぇヒモ野郎に言われたくはねぇなぁ!?」

 

 取っ組み合いの喧嘩になりそうな勢いを、お互いに静めて。

 アルカウスは、深く息を吐いた。

 

「お前さんは人間じゃない。なるほど、ああ、わかったぜ。で、だから何だ?」

「いや、だからそれは……」

「何も変わんねぇだろ。言葉が通じる。一緒に酒が飲める。ゲームができる」

 

 わざとらしく指を折って数えながら、深い色の瞳がテーブルの上の、ゲーム盤に向く。

 それは、出会ってから今日に至るまで、二人をずっと繋いできたものだった。

 

「なあ、サジ。ゲームは、良いもんだよな。テーブルを挟んで向かい合った瞬間から、立場も地位も人種も……種族も関係ねぇ。全部忘れて、楽しむことができる」

 

 サジタリウスが、ずっと秘密にしてきた事実を告白しても、アルカウスの態度は何も変わらなかった。

 ちびちびと酒を楽しみながら、駒を進める。賽子を振る。カードを切る。

 本当に、これまでと何一つ変わらない。自然体の友の姿が、そこにあった。

 

「お前さんが人間じゃないってことは、オレとお前がダチじゃねえ理由になるのか?」

「……」

「ならねえだろ。だから、いいんだよ。そんなことは」

 

 コイツ、妙に老けねぇなってずっと思ってたしな、と。

 出会った頃よりも濃く白く染まった頭をかきながら、アルカウスはさらに朗らかに、大きく笑った。

 

「奪いたくなったら、いつでも奪えばいい。腹が減ったら、取ってくれて構わねえ」

 

 これまでとまったく変わらない気安さで、人間の友は、悪魔の肩を叩いた。

 

「オレの命は、お前に預けておくよ」

 

 そこまで言われてしまっては、もう何も言い返せない。

 

「……大馬鹿者が」

「ところでお前、羽根とか出せるの?」

「……ククク、出せると言ったらどうする?」

「すげぇ見てぇ。あと空とばしてくれよ」

「フフフ、野郎二人で空の旅など、死んでもごめんだ」

 

 

 

 ◆

 

 

 アルカウスが体調を崩しがちになったのは、黒輝の勇者が魔王を打ち倒し、世界を救った後のこと。

 あまり無理をしない方がいい。仕事は休んだ方がいい。

 そう忠告すると、アルカウスは皺が刻まれた顔で苦笑いを浮かべた。それは、ゲームに興じている時の悪ガキのような表情ではなく、ベテランの運び屋の横顔だった。

 

「そうしたいのは山々だが、最近弟子を取っちまってな」

「弟子?」

「おうよ。オレの仕事を学びたいってな」

「ククク……それはまた、物好きがいたものだな」

「ほんとになぁ。ま、オレももういい加減に引退する年だしよ。ここらで後進をきっちり育てて、道を譲ろうってわけだな。いつかお前にも紹介してやるよ、サジ」

「不要だ。むさ苦しい男に興味はない」

「おおっと? そりゃ残念だ。うちの弟子は、とんでもねえべっぴんのお嬢さんだってのによ」

「前言撤回だ、アル。すぐ呼んでこい。今夜一緒に飲もう」

「クソヒモ野郎が。ぜってぇ紹介しないからな」

「アル! 頼む! アル!」

「うるせえ! 寄ってくんな!」

 

 軽口を叩けている内は、まだ良かった。

 しかし、数ヶ月もすると、アルカウスの体調は目に見えて悪化していった。

 

「こりゃ、もう長くねえかもなぁ……」

「……貴様らしくもない。弱音を吐くな。病は気からと言うだろう。安心しろ……『お前の病気は必ず良くなる』はずだ」

 

 ベッドに横になった親友の手に触れて……その手を強く握って、サジタリウスは宣言した。

 数日は、体調が安定した。しかし、またすぐに、ぶり返して元通りになった。

 いくら『妄言多射(レヴリウス)』を使ってもどうにもならないほどに、アルカウスの病は悪化しており、余命は幾許もない。彼の死は、もう決まっている。ただ、それだけのことだった。

 友の命は、もう助けられない。

 それならせめて、なるべく最後まで、同じ時間を過ごそうと。

 サジタリウスは酒場ではなく、アルカウスの家に足繁く通うようになった。

 

「来てやったぞ」

「また来たのかよ。サジぃ……お前、オレ以外に友達いねぇだろ」

「フフフ……急にひどいことを言うな。オレは泣くぞ」

「いやあ、ちょっと心配になっちまってな。オレが死んじまったら、遊べるヤツがいなくなっちまうだろ」

「……余計なお世話だ。馬鹿が」

 

 アルカウスの体調が良い日は、ベッドの横で、これまでと同じようにゲームをした。

 厳密に言えば、これまでと同じ、ではない。

 体調の悪化に伴って、アルカウスのプレイは明らかに精彩を欠くようになっていた。サジタリウスはわざと手を抜いて、良い勝負を演出し、負けるように心掛けた。

 皮肉な話だ、とサジタリウスは思った。

 はじめて自分を完膚なきまでに打ち負かした相手に。あれほど勝ちたかった好敵手に、今度は、わざと負けている。

 ひどい話だ、と悪魔は思った。

 どうして人間という生き物の寿命は、こんなにも短く決められているのだろう。どうして人間という生き物の体は、こんなにもか弱いのだろう。

 

「……なあ、サジ。なんか、お前も顔色悪くねえか?」

「とうとう目までボケたか? 貴様のひどい顔と比べれば、数倍マシだ」

「いや、そりゃそうだろうが……」

 

 アルカウスに、自分が悪魔であることを告白したその日から。

 サジタリウスは、人間の魂の摂食をやめていた。

 悪魔にとって、空腹は生き地獄に等しい。もういいのではないか。我慢しなくてもいいのではないか。これまでのように、賭場に落ちてくるクズの人間の魂なら、喰ってしまってもいいのではないか、と。

 そう考える度に、心に根付いた親友の言葉が甘い誘惑を断ち切った。

 

 お前さんが人間じゃないってことは、オレとお前がダチじゃねえ理由になるのか? 

 

 人間は、人間を食べない。

 彼は、自分を友だと呼んでくれた。

 その言葉に、報いるために。

 最後の最期まで、彼の友であるために。

 サジタリウスは、人の魂を決して食べない、という誓約を自らに課した。

 限界は近い。彼の終わりを看取って、自分もすぐに死ぬことになるだろう。

 悪くない話だ、とサジタリウスは思った。

 そういう死に方ができるのなら、ほんの少しでも人間に近づける気がした。

 

「おい、サジ。明日は、ルナが来るんだ。遠くで経営の勉強をしてるってのに、オレのためにわざわざ……お前も、会ってやってくれないか?」

「……もちろんだ」

「ルナはな。すげえ美人になったんだ。きっとびっくりするぜ」

「…………いいのか? そんな美人なら、オレは口説いてしまうかもしれないぞ」

「そいつは許せねえな。やっぱなしだ」

 

 アルカウス・グランツの、命の終わりが近付いていた。

 たった一つ。

 サジタリウスという悪魔にとって誤算だったのは、親友の命が終わるよりも早く、己の飢えに限界が近付いていたことだった。

 表情にそれを出さないように、堪えながら。サジタリウスは骨と皮膚だけになった友の手を、祈るように握り続けた。

 目眩がする。動悸が止まらない。呼吸が辛い。

 もう少し。あと数日。たったそれだけでいいのに。

 せめて、友の最期を看取るだけの、ほんの少しの時間だけでいいのに。

 それすらも与えられないということは、やはり自分は生まれた時から呪われている種族なのだろう、と。

 悪魔は、人間の手を離した。

 

「少し、野暮用を済ませてくる」

「……おい、サジ」

「心配するな。すぐに戻る」

「サジ」

 

 死にかけの病人のどこに、そんな力が残っていたのだろう。

 驚くほど強い力で、アルカウスはサジタリウスの手を掴んだ。

 人間が、悪魔の手を引き戻した。

 

「お前、やっぱ嘘が下手だよ。表情が読みやすい。だから、オレにゲームで勝てねぇんだ」

「手を離せ、アル」

「お前も辛いんだろ? やせ我慢しやがって、馬鹿野郎が」

 

 友情とは、年月の積み重ねだ。

 なんとなく、次に相手が何を言うか。

 親友であれば、自然とわかってしまう。

 だから、サジタリウスはそれを聞きたくなかった。

 

 

 

「オレの魂、お前にやるよ」

 

 

 

「……貴様は、本当にバカだ」

「うるせえなぁ」

 

 サジタリウスは、嫌だった。

 

「孫娘が会いに来るんだろう? 明日までがんばれ」

「自分の体のことが自分が一番よくわかるって言うだろ? ちょっとばかし、時間が足りねえ」

 

 サジタリウスは、嫌だった。

 

「ふざけるな。オレが、お前を……喰えるわけが、ないだろう」

「死にかけの老いぼれの魂で、親友を救えるなら……上々だろうよ」

 

 いくら否定しても、いくら拒んでも。

 悪魔の本能が、目の前の人間の魂を喰らうことを望んでいる。

 人間である前に、お前は悪魔なのだ、と。

 どうしようもない飢えに、種族の本能を突きつけられて。

 それが、本当に嫌だった。

 

「ふざけるな。オレは、貴様の望みなど絶対に叶えてやらんぞ」

「素直じゃねえなぁ。オレの体が楽になるように、散々魔法使ってたくせに」

「……」

「たくさん叶えてもらったよ。お前には」

 

 手のひらから、熱が抜け落ちる。

 

「孫娘の命を、救ってもらった。ジジイになってから、おもしれえ友達ができた」

 

 瞳から、光が失われていく。

 

「叶えすぎなくらいに、お前には叶えてもらった。でも……そうだな。最後に、もう一つだけ」

 

 それでも、乾いた唇は、滑らかに言葉を紡ぎ続けた。

 

「アルカウス・グランツが、サジタリウス・ツヴォルフに望む──」

 

 悪魔の胸から浮かび上がった契約書に、老人が触れる。

 契約者の望みは、絶対である。

 拒否権は、ない。

 

 

 

「──オレより、ちょっとだけ長生きしろ」

 

 

 

 親友は、自分を喰え、と最期まで言わなかった。

 生きろ、と。

 ただ、それだけを、望んでくれた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 外は、雨が降り始めていた。

 たてつけの悪い扉が、耳障りな音を伴って開く。

 

「間に合いませんでしたか」

 

 水滴が、床に落ちる。

 声の主は、息を切らしており、髪も乱れきっていた。

 彼女のそんな姿を見るのは、はじめてだ。

 呻くように、もう動かなくなった手を握りながら、サジタリウスは声を絞り出した。

 

「……ギルデンスターン」

「驚かないのですね?」

 

 あくまでも、淡々と。

 部屋に踏み入ってきた死霊術師は、ベッドに横たわる師の体を見下ろした。

 

「……ああ。自分の弟子は()()()()()()()()()()()()()()()だと。アルは、言っていた」

「そうですか。生きている内に、直接言ってほしかったですわね」

 

 リリアミラ・ギルデンスターンは、ベッドに腰掛けて、サジタリウスが握っているのとは反対の手を取った。

 一秒。

 二秒。

 三秒。

 四秒。

 僅か四秒という一瞬が、経過する。

 それはサジタリウスという悪魔にとって、生きてきた中で最も長い四秒間だった。

 いくら待っても、目の前の現実は覆らなかった。

 手の温もりは、戻らない。心臓の鼓動は、復活しない。

 悪魔に魂を喰らわれた人間は、二度と蘇生できない。

 

「……すまない」

 

 謝罪しか、浮かんでこなかった。

 人間は、死んだらそれで終わり。

 当たり前のことであるはずなのに、その当たり前を、悪魔は正しく認識できない。

 

「すまない、ギルデンスターン。オレは……」

「謝罪は不要です」

 

 簡潔な否定があった。

 

「人は死にます。死んだ人間は、生き返りません。あるいはこの世に、悔いのない死など、ないのかもしれません」

 

 指先一つで、それを覆せるからこそ。

 

「だからわたくしは、死ぬ前に何かを遺すことができた人間は、幸せなのだと思います」

 

 死霊術師は、それを尊ぶ。

 

「魔王軍の四天王を弟子に取って。悪魔に魂を預けて逝くなんて……おじさまは、本当に死ぬまでギャンブラーでしたわね」

 

 リリアミラの頬を流れている雫が、何なのか。

 見極めるためには、サジタリウスの視界は歪みすぎていた。

 内側から溢れ、零れ落ちるものが多すぎて、はじめて感じるものを噛み締めるので、精一杯だった。

 

「サジタリウス。あの人の心は、わたくしの手の届かないところにいってしまわれました」

 

 膝を折り、目線を合わせ、肩に手を置いて。

 リリアミラの指先は、真っ直ぐにサジタリウスの胸元を指差した。

 

「今は、ここにあります」

 

 死霊術師は、それを悪魔に問いかける。

 

「どう使うかは、あなた自身が、選びなさい」

 

 遺されたものがある。

 託されたものがある。

 人ではない自分に、人間の友が賭けてくれたものが。

 

「……ギルデンスターン。頼みがある」

 

 その日。

 悪魔と死霊術師は、密約を交わした。

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