「はあ? 何の話ですか?」
唐突にそんなことを言い始めた彼に対して、彼女は首を傾げた。
「ククク……いや、この前賭場で聞いた話なんだがな。異国には嘘を吐いて良い日、という文化があるらしい。なかなかおもしろそうだと思わないか?」
「この前スッてたからしばらくギャンブル禁止って言いましたよね? まさか隠れて行ってきたんですか?」
「フフフ……行ってないです」
「はい。嘘ですね。夕飯抜きです」
「すいません嘘です許してください」
即座に全面的に降伏する姿勢になって平謝りを始めた彼に対して、彼女は溜息を吐きながらエプロンをほどいた。
「しかし、もし合法的に嘘を吐いて良い日があるのなら、それはある意味で誠実な一日になると思わないか?」
「……? どういうことです」
「人間は愛を囁いたその口で、嘘を吐く生き物だろう? 最初から己が吐く言葉を嘘だ、と。胸の内を曝け出してみせるのは、逆に正直な在り方だとオレは考える」
「へえ……自分は人間じゃない、みたいなこと言いますね」
「人間ではないからな」
実に悪魔らしく、彼は不敵に笑ってみせた。
土下座の態勢に入っていなければ、それなりに格好のついたセリフになっていただろう。
「まあ、私達には関係のない話ですよ」
「なぜだ?」
「だってあなた、言ったことは全部本当にするでしょう?」
きょとん、と。憎たらしいほどに整った顔立ちが、その中心に居座る瞳が、丸くなる。
「はい。味見」
出来上がったシチューを小皿に乗せて差し出す。
ククク、と。彼はまたいつもの含み笑いに戻って、差し出されたシチューに、そのまま口をつけた。
「どうですか?」
「少ししょっぱいぞ、ルナ」
「そこは嘘でも美味しいと言っておきなさい。サジ」
船が落ちた。
やはり、ひさびさの冒険でハッスルしすぎたのが悪かったのだろう。
さっきまで快適な空の旅を楽しんでいたせいだろうか。少し山道を登っているだけで、疲労困憊の体にどっしりとした気怠さを感じる。おれは、ぼそっと呟いた。
「なんかさぁ……騎士ちゃんが舵握った船で冒険すると、大体沈むよね」
「はあ!? 言いがかりはやめっ……」
「いえ、案外勇者さんの指摘は正しいですよ。ラームエルではじめて海に出た時は転覆してますし、ギャリドで滝下りをした時も粉々になりました。あと、ビタンの海戦でも戦艦を一隻潰してますね」
おれに食って掛かろうとした騎士ちゃんだったが。
しかし賢者ちゃんにぼそっと今までの廃船履歴を指摘されて、そのまま押し黙った。金髪のポニーテールが、犬の尻尾のようにしおしおと揺れる。
「……え。あたし、もしかしてなんか呪い浴びてたりする? 厄払いとかしてもらったほうがいいかな?」
「帰ったら聖職者さんに頼んでみようか」
とはいえ、騎士ちゃんの腕がなかったらおれたち全員空の塵になっていたので、本当に助かったとしか言いようがない。しょんぼりしてる肩をぽんぽんと叩いて慰める。元気を出すんだ騎士ちゃん。今度、沈んでもわりと平気そうな安めの船でクルージングしよう。
「しかし、本当に死ぬかと思いましたわ。スリリングな体験もたまには悪くありませんが、これではいくつ命があっても足りないというものです」
ようやく乗り物酔いから復帰したらしい死霊術師さんが、涼しい顔でのたまう。やかましい。あんたは命がいくつどころかたった一つで十分に事足りるだろうが。
「船の状態が気になりますが、こればかりは致し方ありませんね。あちらは聖職者さんにお任せしましょう」
「そうするしかない、か」
賢者ちゃんの言う通りである。船は落ちたが、沈んではいない。
明らかに航行に支障をきたす損傷を負ってしまった結果、一刻を争う状況の中で聖職者さんの提案は「自分が変身して船を着水可能な場所まで運ぶから、みんなは先に脱出しろ」であった。飛行船とはいえども、船は船。着水可能なように設計はされているし、なにより地面への胴体着陸よりも水面への着水の方がリスクは圧倒的に低い。パーティーを二手に分けることも考えたが、聖職者さんの「一人で大丈夫」というゴリ押しに負けて、結局その提案を通してしまった。
付け加えるなら、敵の追撃を受けないために撃墜したドラゴンとその乗り手の確認を、こちらで確認しておきたかった、というのもある。
が、それはどうやら無駄に終わってしまったようだ。
「……消えてる」
「消えていますね」
厳密に言えば、墜落した痕跡はたしかにあった。
山の中腹の地面に深々と刻まれたクレーターが、その激しい衝突の跡を物語っている。
しかし、肝心のドラゴンとその乗り手である魔法使いの姿が、どこにも確認できない。まるで最初から、その存在そのものが幻であったかのように。忽然と、姿を消していた。
すでに複数人に増殖し、杖を構えて魔導陣を展開している賢者ちゃんたちに聞く。
「探知の結果は?」
「先ほどから可能な限りの最大精度でずっと行っていますが、敵の影はおろか、魔力の残滓すら認められません」
魔術を使った痕跡は、ある程度腕の立つ魔導師なら魔力探知で特定することができる。世界最高の魔導師である賢者ちゃんが複数人に増えて探知を行った場合、その索敵調査能力に並ぶことができるのは、精々賢者ちゃんのお師匠さんくらいのものだろう。
そんな賢者ちゃんたちが、敵の気配も、魔力の残り香もない、と断言している。
「つまり」
「はい。魔術を使った形跡は一切なく、転送魔導陣の類いで逃げた可能性すらない」
「魔法か」
「おそらく」
聖職者さんの言葉を素直に信じるとして、今回の襲撃者がドラゴンの上に乗っていた魔法使いだった場合。
賢者ちゃんの索敵を潜り抜けて近づいてきた、隠密能力。
こちらの遠距離攻撃をすべてかき消す、無効能力。
そして、忽然と姿を消した、移動能力。
これらすべてが、たった一つの魔法である、ということになる。
「ちょっとそれは、いくらなんでも万能過ぎるな」
「本当ですよ。昔の勇者さんじゃあるまいですし」
「え。それもしかして褒めてる?」
「いえ、現在の勇者さんの魔法の役立たずっぷりを貶してます」
しれっと賢者ちゃんは言い切った。そんなにあっさりと断言しないでほしい。おれが泣きそうになるから。
「まあ、相手が消えちゃったものは仕方ない。周辺警戒は継続しつつ、こっちも聖職者さんと合流するために移動しよう」
「そんな!? 我が勇者運送の新たな労働力となる予定のドラゴンの捜索を!? ここで諦めるのですか!?」
死霊術師さんが悲痛な表情で何か叫んでいるが、その一切を無視する。実にやかましい。
「おれたちの現在位置は?」
「ステラシルドからもグエイザルからも外れた、完全に国境周辺の山岳地帯ですね。聖職者さんは東へ船を運んで下ろすと言っていました。たしかに、そちらの方角には湖があるようです」
難しい顔で地図を広げている賢者ちゃんの一人が、簡潔に答えた。
おれと騎士ちゃんが手を差し出した瞬間、
「この地図、大丈夫? ちょっと古そうなんだけど」
「ろくな街もない国境の山岳地帯の地図なんて、そこまで細かく更新する理由ないしなぁ」
「たしかに。昔の地図は、三百年くらいで、地形がとっても変わってることがある。あんまり、あてにしない方がいい」
「それ多分師匠だけです」
仙人めいた時間感覚でアドバイスされても困る。
しかし「地図に頼りすぎるな」という意味では、その助言は正しい。
「賢者ちゃん。聖職者さんに魔力マーカーは?」
「舐めないでください。もちろん、予めつけていますよ。捕捉の範囲内です」
「それならとりあえず合流できないってことはないな。じゃあ、発信源を頼りに移動するとしますか」
「ええ。用意周到な有能極まるこの私を、もっと褒め称えるといいでしょう」
「ところで聖職者さんの居場所をいつでも捕捉できるようにしておいたってことは……もしかしての話なんだけど、出発前に聖職者さんと何か揉めたりした?」
すーっと。
一人だけではない賢者ちゃんたちの表情が、真顔になる。
「おもしろくない冗談を言いますね、勇者さん」
「とりあえず付けておいただけですよ」
「はい。その通りです」
「べつに深い意味とかそういうのは」
「ええ、まったくありません」
「急にみんな一斉に言い訳するじゃん」
腐ってもおれはパーティーのリーダーだぞ。誤魔化せると思うなよ。
複数人で嘘を吐こうとすると、ボロが出やすいのが賢者ちゃんのおもしろいところである。まぁ……聖職者さんと賢者ちゃんが何を揉めたかは、無事に帰ってからでも聞けるし。今、詮索することでもないだろう。
「赤髪ちゃん」
「はい? なんでしょう。勇者さん」
おれは少し離れた場所で景色を眺めていた赤髪ちゃんをこちらに呼び寄せた。
「一つ。残念なお知らせがある。聖職者さんが着水したであろう場所までは、大まかに見積もって徒歩で二日くらいかかる」
「はい! これから、みなさんでプチ冒険というわけですね! それくらいの距離なら、全然大丈夫です。わたしだって歩けます! 聖職者さんを迎えに行くためにも、早く行きましょう!」
「……いや、残念なお知らせっていうのは、距離のことじゃないんだ」
くどい説明になるかもしれないが、おれたちが乗ってきたイロフリーゲン号は、小型の試験飛行船だ。今回の乗り込んだ人数も定員ギリギリで、余計な貨物の類いを積み込む余裕もなかった。
まあ、つまり何が言いたいのかというと、
「食料がない」
最上級悪魔に、人質に取られた時よりも。
四天王第一位に、迫られた時よりも。
なによりも色濃い恐怖に染まった表情で、元魔王の女の子は泣きそうになった。
◇
「あは〜。なんとかなってよかった〜」
栗色の髪から、水が滴り落ちる。
聖職者、ランジェット・フルエリンは、ほっと息を吐いた。
さすがに胴体着陸の無茶に勇者たちを付き合わせるわけにはいかなかったし、
船はかなりボロボロで航行不可能な状態ではあるものの、大破ではない。あの早口変態技師なら、ぎりぎり修復してくれるだろう、といった損傷具合だ。
変身を解除し、水辺から上がったランジェットは一糸纏わぬ姿のまま、頭を横に振って水をはらった。同時に、大きく実った胸が無造作に揺れたので、手で抑えて留める。
「っ……ふぅ」
足がふらつき、膝を折る。痛む頭を抑えて、ランジェットは意図的に呼吸を深めた。
みんながいなくなって、気が抜けたせいだろうか。
自分の魔法は、これだから困る。
「あはっ……ひさびさにちょっと使いすぎたかも」
でも、楽しかった。
全員で息を合わせ、窮地を切り抜け、笑い合う。
そういう時間の共有が、なによりも楽しかった。
胸の前を手で抑えながら、ランジェットは立ち上がって周囲を見回す。
人の気配はもちろん、モンスターの影もない。
「はっはっはぁ! やったぁ! 依頼した通りに船が落ちている! 落ちてるぞっ!」
故に。
その高笑いと無邪気な悪意は唐突に、真上から、青空の上から降ってきた。
それは、形だけは少女の姿をしていた。
目が眩むような純白の、フリルに彩られたゴシックロリータ。くすんだ色合いの、けれど滑らかな金髪。純白と紅色の二色のリボンがそれらを束ねて、ショートポニーの形で後ろに流している。
「ヤツに依頼して正解だったッ! 信用ならないヤツだが、存外に仕事はきちんとこなしてくれる!」
それは、形だけは少女の姿をしていたが。
それが、形だけは少女の姿をした悪魔であることを、ランジェットはよく知っていた。
くるくる、と。くるくる、と。
その場で楽しげに回りながら、少女は背中から生やしていた継ぎ接ぎの翼を放り捨てて、高く笑う。
「ふふっ……ひさしぶり、というわけでもないな、勇者ァ! この前ぶりというやつだ! 早速このボクが、リベンジにやってきたぞ!」
どこまでも高揚した様子でそんな言葉を紡いだ最上級悪魔は、しかしそこでようやく周囲を見回し、確認し、また見回して。
目の前に、一糸纏わぬ美女が一人きりでいることに気がついて、語りかけた。
「…………おい、ボクの勇者はどこだよ」
「あは〜。負け犬筆頭の四天王さん。おひさ〜!」
まるで野良のモンスターのように出現した四天王第一位……トリンキュロ・リムリリィに向けて、聖職者はゆったりと笑いかけた。