オレが勇者ではなく、シナヤ・ライバックという名前を名乗るようになってから、一年と少しが過ぎた。
「シナヤ、今日のご飯どうする?」
「昨日は肉だったからなぁ。魚とか食いたいな」
「わかった。じゃあ、たくさん釣ってきてね」
「オレが釣るのは確定なのね、それ」
世界を救う。魔王を倒す。
そんな目的がなくなってしまった旅路に、目的地があるわけもなく、しかしどこかに腰を落ち着けて定住することもできず、ふらふらと日銭を稼いで気ままに続ける旅。
けれど、そんな生活に、ルーシェは文句一つ言わずについてきてくれた。
「見て見て! シナヤ! 新しい杖を作ったの!」
「どうしたんだ? それ」
「親切な魔導師のお姉さんがいてね! ぜひ私にってプレゼントしてくれた!」
「おいおい、大丈夫か? あとから法外な値段請求されたり、急に爆発したりしないか?」
「ちょっと失礼よシナヤ! あなたにも会わせてあげるからこっちきて! はやく!」
「はいはい」
やはり、ルーシェには魔術の素質があったのだろう。
流れの魔導師さん(かなり癖の強い変人おねーさんだった)に、魔術を一月ほど教わったルーシェは、ぐんぐんめきめきとその実力を伸ばしていった。魔導師のおねーさんは「アタシの教え方が良かったからだな」などとほざいていたが、単純にルーシェが才能に満ち溢れていたからだと、オレは思う。
また別の街に立ち寄った時には、ルーシェは年下の男の子と仲良くなった。
「聞いて聞いて! シナヤ! 空を飛ぶ飛行船だって!」
「空を飛ぶ……あ? 空を飛ぶなに!? え? 船が!?」
「この男の子がね! 将来、空を飛ぶ船を造りたくて、いろいろ勉強してるんだって! すごくない!?」
「ほほぉ」
やはりルーシェにはまだ幼い少年の初恋を奪う才能があったのだろう。ゆるせねえ。はっ倒してやろうかと思ったが、さすがに大人げないのでなんとか堪えた。それに、もしかしたら普通に良い子かもしれない。
おそらく手作りの船の模型を抱えた少年は、こちらを見上げて、小さく溜息を吐いた。
「はぁ……僕の発明を簡単に飛行船という言葉で一括りにされるのは心外ですねそもそも僕がこの計画をこっそり教えたのはそちらのお姉さんであってそっちのお兄さんではありません。まあ人間を自由飛行させるという僕の壮大な計画に興味があるのであればその一端を特別に明かすこともやぶさかではありませんが」
「ね、シナヤ。すごい子でしょう?」
「いやすごいけど変な子だよ」
頭は良さそうだが、かなりクソガキに片脚を突っ込んでいるように思えた。
「つまりはこういうことです。迅風系の魔術は直線方向への推力を得るのには有用ですが安定した飛行の維持という観点から言えば難点の方が多いそのリスクを船体に背負わせるのであればやはり空中分解の危険がある故に僕の設計したこの船体は空気抵抗を抑えつつ船体下部に仕込んだ魔術によって軌道を安定させ、同時に効率的な航続距離の延長を意図しているのです」
「へえ、すごいね!」
「……ルーシェ。今の内容、本当に理解できたのか?」
「もちろん! なんかすごいってことはわかった」
「僕の説明が的確なのはもちろんですが、お姉さんの理解力の高さにも目を見張るものがありますね」
「おっと。オレだけ馬鹿にされてるのかこれ?」
しかし、クソ生意気そうなだけあって、少年が語る内容はただの夢物語ではなく、実際に確立されている技術を元に実現を目指した地に足のついた計画のようだった。あと、少年のやばい早口にきらきらした笑顔で相槌を打つルーシェは、聞き上手だなぁ、と再認識した。そしてなによりも、オレの彼女はやはりかわいい。
しばらく饒舌に饒舌過ぎるほどに話していた少年は、しかし段々と口調のトーンを落として、下を向いて頭を下げた。
「すいません。お二人が話を聞いてくれることに心地良い高揚感を覚え、つい喋りすぎてしまいました」
「そんなことないよ。もっと聞かせてほしいな」
「……ありがとうございます。でも、僕の理論は所詮、机上の空論。上手くいく保証はありません」
「ほう。そりゃまたどうして?」
はじめて、少年におれの方から問い返すと、気の強そうな視線がこちらを向いた。
「前例があります。同じように飛行船を作ろうとして、失敗した人がいるんです」
「失敗した人?」
「アロンゾ、という技師さんが……造船一家で、家族ぐるみでずっと船を作っていたんです。でも、うまくいかなくて」
アロンゾ。
聞いたことがある名前だった。
名前が同じだけかもしれない。他人の空似かもしれない。
だが、こまったことに聞き覚えのある名前だった。
「……アロンゾ、ね」
反芻するように、小さく呟く。
オレの心の中にいる人の、名前。
それはオレが殺してしまった、あの盗賊と同じ名前だった。
血縁だろうか。家族だろうか。あるいは、もしかしたら……
「少年はさ。その人のこと、尊敬していたの?」
やめておけばいいのに。
つい、そんなことを聞いてしまった。
オレよりも低いところにある目がこちらを見上げて、けれどしっかりと言葉を紡いだ。
「そんなにたくさん、話したことがあるわけではありません。でも、お兄さんの言う通り、尊敬はしていました。誰にもできなかったことを……誰にもつくれなかったものを、つくろうとするその人たちの在り方が、とてもかっこよかったので。だから、憧れたんです」
「そっか」
良い答えだった。
「ルーシェ。少しだけ、この街に長居してもいいか?」
「え? もちろんいいけど、どうするの?」
「どうするって? そりゃもちろん、未来の天才技師さまのお手伝いだよ」
コール。ゲド・アロンゾ。
少年には聞こえぬように小さく呟いて、オレは適当にその辺の石を拾い上げ、放り投げた。
明らかに通常の物理法則を無視し、一直線に減速せず飛んでいく、何の変哲もない石っころ。灰色の礫は、オレが狙いを定めた対岸の木の幹まで真っ直ぐ飛んでいき、勢いくよく突き刺さる。
それを見た少年の横顔が、ようやく年相応の驚きに満ちた顔に変わった。
「え、は……? はぁ!? なんですか今の!? なんであんな風に飛んで……?」
「自己紹介が遅れて申し訳ない。オレは魔法使いなんだ。今使った魔法の名前は『
「なんでも!?」
塞ぎ込んだ顔から、一転。キラキラした笑顔でこちらを見上げる少年の頭を、オレは雑に撫でた。
これは、償いではない。
オレは、ゲド・アロンゾという盗賊と命のやりとりをしたことを、後悔していない。あの男が何を思って、どんな生き方をしてきたのか。今となっては、知る由もない。
でも、オレは知っている。
あいつの名前を知っている。その懐に、小さな船の模型がしまいこまれていたことも、知っている。
「きみはさっき、失敗の前例がある、って言ってたけどさ。世の中に当たり前のようにある技術や発明は、そういう失敗を重ねて生まれてきたものだよ。何回も何回も、諦めずに失敗してきた人の経験や想いは……きみみたいな子が繋いでいけばきっと無駄にはならない」
これから世界を救う勇者さまには、こんなところで子どもの遊びに付き合ってる暇はないだろう。
だが、幸いなことに、勇者ではないオレには時間が腐るほどある。
「さあ、少年。その船の模型、どこまで飛べるか一緒に試してみようぜ。最終目標は……そうだな、オレの魔法なしでオレの魔法よりも長く飛ぶ、なんてのはどう?」
「……いいでしょう! 望むところですお兄さん! その勝負受けて立ちます!」
◆
結局、一ヶ月では済まなかった。
「いやぁ、あの街に二ヶ月もいちゃったねぇ」
「ま、たまにはいいんじゃないか? 長居するのも」
「素直じゃないね、シナヤ。本当はあの子とお別れするの、結構さみしかったくせに」
「あー、聞こえません知りません存じ上げません」
旅をしていると、やっぱりいろいろな出会いがあった。
魔導師のお姉さんや発明家の少年だけではない。親切な人や、やさしい人と話しているルーシェの横顔は、いつもとても楽しそうだった。
だから、時々考えてしまうようになった。
こんな根無し草のような生活ではなく、もっと彼女を幸せにして あげる生き方があるのではないか、と。
「シナヤ」
「ん?」
「あれ……」
ある日。違法な奴隷商人の一団とすれ違った。
ルーシェに指差された方向を見て、その表情の意味を理解する。鎖に繋がれていたのは、人間ではなくエルフだった。その特徴的な長い耳には、商品のタグになるピアスがつけられていて、人間との最大の差異であるはずの背中の翅は誰一人として例外なく、無惨にもがれていた。
商人たちに見咎められないように、オレはルーシェの頭に深くフードを被せて、耳を隠した。
「シナヤ?」
「早く行こう」
「でも……」
「行くぞ。ほら」
噂には聞いたことがあった。あのエルフの村が全滅したあと、種族迫害の風潮がより一層強まり、多くの罪のないエルフたちが、奴隷として捕まえられている、と。
知ったことではなかった。
まだルーシェよりも小さい子がいた。ふくれたお腹を抱えた母親もいた。腕のない男もいた。そんな彼らの縋りつくような視線が、痛かった。オレはルーシェの手を引いて、足早にその場から立ち去った。
握りしめた手のひらが、強くこちらを握り返してくる。
「ねえ、シナヤ。私……」
「ルーシェ。頼むから、助けたいなんて言うなよ」
言葉の続きが出てくる前に、オレは自分で先回りしてその発言を押し留めた。
助けられるわけがない。
助けてやる義理もない。
でも、以前のオレなら?
今もどこかで戦っている、もう一人のオレなら?
……いいや、違う。
「オレは、勇者じゃない」
吐き捨てたその宣言に、ルーシェはどこかはっとしたように下を向いて。
「うん。そうだね。ごめん」
絞り出すように呟いた。
これでいい。
オレは世界を救うことを諦めた。
ただ、隣にいてくれる女の子を幸せにすると、そう決めたのだから。
◆
その日の夜。
ふと目を覚ますと、隣にルーシェがいなかった。
どこに行ったかは、すぐにわかった。どうなってしまったかも、なんとなく予想がついた。
奴隷のエルフたちを、助けに行ったのだろう。
自分の首の裏側。頭の底に、じんわりと怒りが溜まっていくのを自覚しながら、オレはろくな準備もせずに奴隷商人のキャンプ地に身一つで乗り込んだ。
「なあ、ハーフエルフの女の子を捕まえただろ? 返してくれ」
とりあえずそう聞いてみたが、ならず者たちは酒が入っていることも相まって、まともに話を聞いてくれる雰囲気ではなかった。仕方ないので、とりあえず喧嘩をふっかけてきた数人を殴り倒した。
「な、なんだお前……なんでそんなに
「悪かった。もう一度言う。ハーフエルフの女の子を捕まえただろ? 返してくれ」
折れた拳を抑えて呻く酔っ払いにもう一度聞いてみたが、ろくな答えが返ってこなかった。
用心棒らしい体格の良い男が三人ほど出てきたので、そいつらも殴り倒した。
「頼むからよく聞いてくれ。最後にもう一度言う。ハーフエルフの女の子を捕まえたよな? オレの女なんだ。返してくれ」
「頭! 頭ァ! 助けてください! ヤバいヤツがカチコミに……!」
暴れるだけ暴れると、ようやく組織のボスらしき男が出てきた。
予想よりも若く、そして引き締まった体付きの色男だった。少なくとも、奴隷の売買で私腹を肥やしている、贅肉まみれの商人には見えない。
「バルド・シリューカスだ。ここのバカどもの頭を張ってる。カチコミは歓迎だが、せめて名前くらいは聞かせてくれよ、にーちゃん」
「お前に名乗る名前はない。用件は一つだ」
「あーあー、わかったわかった。聞こえてたよ。ハーフエルフの女だろ? さっき捕まえたよ。ほれ」
バルドと名乗ったその男が片手を挙げるのと同時に、口枷に手枷、目隠しまでされたルーシェが、別の男に引き摺り出された。
「なぁ、
「……んーっ、んっ!」
もがくルーシェの目元から涙が溢れる。開いた口元から、唾が地面に垂れる。
握りしめたオレの拳からも、血が滴り落ちた。
「……その子に、手は出してないだろうな?」
「ん? まだ抱いてないのか? アンタ、自分の夜の世話は飼い人にさせないクチかい?」
「質問してるのはこっちだ」
「ジョークだよジョーク。冗談が通じねぇなぁ。ウチの商品を盗もうとしたんで、捕まえただけだよ。下手に部下に回してキズモノにでもしちまったら、商品価値が下がるんでね」
「返せ」
一言、簡潔に要求を述べると、バルドはニッと笑って頷いた。
「ああ、いいぜ」
明快な了承だった。
「……?」
「なぁに不思議そうな顔してんだ。見てたぜ、さっきの大立ち回り。全身を鉄の硬さに変える魔法……俺も、噂には聞いたことがある。アンタ、例の『
勇者、と。
目の前の悪党は、オレのことをそう呼んだ。
ちょうどいい勘違いをされていると思った。
「そうだと言ったら?」
「おお!? やっぱりそうかぁ! おっかねぇおっかねぇ。そんな新進気鋭の魔法使いサマと、争いごとはゴメンだ。さっさと自分の女を連れてお帰りになってくれ」
突き飛ばされたルーシェが、まるでモノのようにこちらに返された。
口枷を外し、目隠しをすぐに取る。こちらを見上げるルーシェの目元は、赤くなっていた。
「ごめんなさいシナヤ……私、勝手に」
「いいよ。大丈夫だから、な?」
ルーシェの背中を軽くさすりながら、オレはバルドを睨みつけた。
「ずいぶん、素直に返してくれるんだな?」
「言っただろ? こんなところで、噂の勇者サマとコトを構えるのはごめんだって」
それらしい言葉と共に整った顔立ちに浮かぶのは、どこまでも軽薄な笑みだった。
「俺はさ、無駄な労働はしたくねぇんだよ」
しっしと。
蚊をはらうような仕草で、手のひらが振られた。
「アンタの探し物が見つかったなら、さっさと帰ってくれ。俺らは楽しく飲んでいただけだった。アンタも少し夜の散歩を楽しんでいただけだった。それでいいじゃねぇか、なぁ?」
女は返す。
だから自分たちの奴隷売買は見逃せ、と。
バルドは、そう言っていた。
「助ける義理はねぇだろ?
バカ、と己を卑下するわりには、バルドの洞察は鋭く、その言葉の内容も的を得ていた。
「モチロン、腰を据えてやり合おうってんならそれはそれで構わねぇが……」
馬の蹄が、地面を鳴らす音がした。
増援の合図だ。
オレとダラダラ会話をしていたのは、時間を稼ぐためだったのか。この男、見かけと言動以上に、どうやら頭が切れるらしい。
「さすがに、人数的に厳しいだろ? だから、さ。ここはお帰りくださいよ、勇者サマ」
オレが、安全に勝てる保証は、完全になくなった。
「……行こう。ルーシェ」
ルーシェの手を引いて、歩き出す。
取り囲んでいた連中が、嘘のように退いて、道を開ける。
馬車の上。檻に収められた奴隷のエルフたちが、こちらを見ていた。
縋るような視線があった。恨むような眼光があった。
でも、ヤツの言うとおりだ。
オレに、彼らを助ける義理はない。理由もない。
判断を鈍らせる怒りを、振り払う。
これでいい。
オレは、ルーシェが救えればいい。ルーシェだけを、幸せにできればいい。
……本当に?
幸せなのか?
これが?
好きな女に、下を向かせて、唇を噛み締めさせて、堪えさせるのが、幸せなのか?
ふと、顔をあげると、一人の女の子と目があった。
まだ小さかった。出会った頃のルーシェよりも、きっと小さい。
手枷に繋がれた腕が、とても細かった。出会った頃のルーシェよりも、きっと細い。
乾いた唇が、動いた。
──たすけて。
と。
声が聞こえなくても、唇が言葉を紡ぐのを、オレは見た。
足を止める。
振り返って、バルドに向けて問う。
「なあ、最後に一つだけいいか?」
「なんだい?」
オレは勇者じゃない。
「このエルフたちは、全員売るのか?」
「ああ。世の中には物好きがわりと多いからな」
オレは勇者じゃない。
「…………なるほど。よくわかった」
「理解が早くて助かるよ。清濁併せ呑んでこその、英雄だ」
オレは勇者じゃない。
魔王を倒せない。世界も救えない。村の一つも、女の子の一人も、助けることができなかった。
だから。
だとしても。
「じゃあ、このエルフたち、全部くれ。オレが買い取る」
ここで手を差し伸べることをやめてしまったら。
きっとオレが、オレでなくなってしまうから。
革袋を差し出して、手近な男に向けて、頭を下げる。
「これが全財産だ。頼む」
「……冗談はやめてくれ。そんな端金で買えるわけが……」
「ケチだな。なら、値引きしろよ」
価格交渉は、一瞬で決裂した。
突っ立っていたバルドの部下を、オレは片手で殴り飛ばした。
「……シナヤ」
「ごめんな、ルーシェ。少し、付き合ってくれ」
「ううん! 謝らないで! むしろ……惚れ直した!」
「そりゃどうも」
悪党の親玉が、空を仰いで溜息を吐く。
「はぁーあ。結局こうなるのかよ……だから勇者なんて呼ばれる人種はキライなんだ」
「勇者、勇者と。さっきからうるせぇな。オレの名前は『勇者』じゃねぇよ」
オレは、勇者じゃない。
ただ、隣にいてくれる惚れた女を守りたくて。
ただ、助けを求める声を無視できない、しがない冒険者。
「シナヤ・ライバックだ。今からお前の商品、全部まとめて強奪させてもらう」
「ご丁寧にどうも。バルド・シリューカスだ。正当防衛でテメーをぶっ殺す」