世界救い終わったけど、記憶喪失の女の子ひろった   作:龍流

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ルーシェ・リシャル

 呼吸は、気持ちを落ち着ける。

 シャナは、空気を目一杯飲み込むように、深呼吸し、そして吐き出した。

 落ち着け、クールになれ、シャナ・グランプレ。

 思っていたよりも頭の中がピンク色に染まっていた、かつての自分からの問いかけは、こうだ。

 

 私は彼とアレしてコレしてソレまでいったけど、おまえはどうなの? 

 

 端的に言って、ただの煽りである。しかし、聡明極まりないシャナの頭脳は、それらの事実を飲み込むつれ、恥じらいとはべつの事実を認識しはじめていた。

 

 ──もしかして、勇者さんの性癖ってめちゃくちゃエグいのでは? 

 

 おそろしい可能性だった。

 シナヤ・ライバックは、魔法によって増やされたもう一人の勇者である。これまでの経験や境遇によって、性格や言動には多少の違いがあるかもしれない。しかし、人間のそういった方面の趣味嗜好はそう簡単に覆るものでもない。少なくとも、自分のパーティーの中で最も性的嗜好が倒錯してとち狂っている死霊術師を見ると、そういう風に思えた。

 

「どうしたの!? 図星を突かれて、何も答えられない!?」

「うるさいですね」

 

 ルーシェから向けられる魔術の斉射を片っ端から捌きつつ、シャナは考える。

 自分の中だけでは、答えが出ない。

 仲間の力が、必要だ。

 

(こういうとき、みなさんだったら……)

 

 イメージする。

 もしも。

 もしも、勇者の性癖が真っ黒だった場合、仲間たちはどうするだろう? 

 真っ先に、シャナの頭の中に最初にしゃしゃり出てきたのは、やはり死霊術師だった。

 

 ──わたくしは勇者さまのすべてをこの身に受け入れる準備ができております! 最後に殺してくださるのであれば、わたくしを勇者さまの色に染め上げていただくことも、まったくやぶさかではございませんわ〜!

 

 うるせえ。

 論外である。

 脳内で高笑いするイマジナリーリリアミラを、シャナは脳内から消し去った。そもそも、あのど変態年増女を思考の基準として置くのが、致命的に間違っている。

 こういう時、頼りになるのは、パーティーの中で最も精神的に成熟しているムムだろう。

 

 ──勇者も年頃だから、年相応にえっちなのは、いいと思う

 

 それはそう。

 いや、それはそうなのだけれど。

 そもそも勇者とムムの組み合わせは、そういう想像に至らないというか、あまりにもムムが小さすぎるというか、そういう想像をしてしまうと、犯罪臭い絵面になってしまうのでいろいろとダメだった。

 ムムがダメなら、あとは……

 

 ──あは〜

 

 イメージの中のランジェット・フルエリンは、にこにこと笑っているだけだった。

 なんか喋れや。シャナはイラッとした。

 

 ──ワタシは後輩のそういう男の子な部分が好きだよ! 

 

 イト・ユリシーズが、ドヤ顔で言う。

 勝手に出てくんな。シャナはイライラした。

 

 ──白米にお肉を山盛りにして、上から黄身を落とすんです!

 

 赤髪の少女は、満面の笑みだった。

 メシの話しかできないのかお前は。シャナは小腹が空いた気がした。

 

「くっ……参考にもなりませんね」

 

 役に立たない脳内イメージ三人組を、頭を振って叩き出す。

 ランジェもイトも元魔王も役に立たない。そもそも、イトに関してはイメージしたくなかったのに、なんか勝手に出てきてしまった。勝手に出てくんな。

 シャナは考える。

 そうなると、残りはもうシャナにとって姉代わりである姫騎士しか残っていない。

 

 ──いいよ。勇者くん

 

 ダメだ。えっちすぎる。

 シャナは頭を抱えた。どう考えても、アリアが一番えっちそうでダメだった。騎士のくせに主を押し倒しそうだし、姫のくせにイケイケっぽいし、なにより紅蓮のくせに湿度が高い。イメージの中ですらなんかじめっとしてる。紅色なのにこいつも頭がピンク色だ。

 

「本っ当に……どいつもこいつも、役に立たないですね」

 

 仲間の力、意味なし。

 

「さっきから何をぶつぶつと!」

「すいませんね。魔法の特性上、独り言が多いたちでして」

 

 あまり意味のある答えは得られなかったが、恥じらいで火照った頭を冷ますことはできた。

 なによりも、

 

「あなたの質問に、意味がないことはわかりましたよ」

 

 やっぱり、いくら考えたところで、答えはでない。

 賢者を名乗る身の上として、愚の骨頂ともいえる結論だが、こればっかりは仕方ない。

 ルーシェのように、自分は彼と唇を重ねたことがあるわけではないし。

 ルーシェのように、自分は彼から愛されている証明をもらっていないし。

 だが、そんなことはどうでもいい。本当に、些細なことだ。それらはただの事実であって、それらはただの結果であって、自分が彼を想う気持ちに、関係するものではなかった。

 シャナ・グランプレは、勇者を愛している。

 まさか、自分自身を通して。こんな当たり前のことを、再確認する羽目になるとは思わなかったけれど。

 

「愛という人間の感情は、目に見えるものではありません。数えることはできないし、比較することも難しい。どうやって増やすのか、あるいは、何が原因で減ってしまうのか。正直、私もよくわかっていません」

「だったら……」

「ですが、あえて言いましょう」

 

 目に見えない心を、定義できるのは自分だけ。

 かつての自分が、その感情の強さを武器に主張するというのなら。

 

 

「私の愛が、最も多い。彼を想う気持ちで、負けるつもりはありません」

 

 

 胸を張って、どこまでも自信満々に。

 シャナは、かつての自分を見据えて宣言する。

 迷いのない言葉に、ルーシェの瞳が、大きく揺らぐ。

 

「……私は、あなたとは違う!」

「ええ。あなたは私とは違います」

「私は、あんたみたいにはなれないっ!」

「ええ。私も、あなたは私のようになる必要はないと思います」

「っ……バカにしてっ!」

「すいません。性格の悪い恩師から教育を受けたものですから。言葉のキャッチボールというものが、どうにも苦手で」

「もう黙れっ!」

 

 魔術の苛烈さが、増す。

 ルーシェは、一喝と同時に魔導陣を展開。そこから生成される炎の矢が、シャナに向けて殺到する。

 優秀な展開速度。及第点と言える威力。回避の先を読んだ狙い。

 ルーシェの放った魔術はそれらすべてが優秀で、そして優秀であるからこそ、世界最高の賢者にとってはあまりにも迎撃が容易い攻撃だった。

 

「遅いですね」

 

 呟きだけを漏らして、杖が軽く地面を叩く。

 地面から噴水の如く垂直に伸び上がる水流が、賢者を守る壁となって、炎の矢の勢いを殺し、鎮火した。

 

「……このっ!」

「増えることができないのなら、互角だと思いましたか?」

 

 ルーシェの手とシャナの手が、展開した魔導陣に触れる。

 魔法が発動し、それぞれの魔導陣が増殖。互いに加減も手抜きもなく、総数百門に及ぶ魔術の砲弾が、向かい合わせで構えられる。

 通常の魔導師が同時に起動できる術式は、精々三つが限度である。手で触れるというワンアクションだけで、それだけ二桁を超える数の魔導陣を一瞬で展開する白花繚乱は、やはり魔術の理を捻じ曲げる、魔法だった。

 ルーシェは再び、炎の礫を。

 シャナも同じく、圧縮された高圧の水流を。

 選択した魔術の属性は、さながら感情の表れであった。

 炸裂は、やはり同時。

 炎と水の衝突は、周囲に響く轟音と、圧倒的な破壊と、

 

「あぐっ……!?」

 

 そして、明らかな結果をもたらした。

 力負け。どちらが負けたかは、言うまでもない。

 シャナが放った水流に呑まれたルーシェは、流されるように地面を転がり、木の幹に背中を叩きつけられて、飲み込みかけた水を吐き出した。

 

「はぁ、はっ……はっはっ」

 

 飛びかけた意識を、ルーシェは懸命に繋ぎ止める。

 咳き込みながら、前を見る。濡れた銀髪から、水が滴り落ちる。

 流水系の魔術は、他の魔術に比べて殺傷能力が低い。打ち放つ水を高圧水流に至るレベルにまで研ぎ澄ませばまた話は変わってくるが、基本的には多人数を相手にした際に狙いをつけない面制圧として用いられる。

 もちろん、炎熱系の魔術に対する相性問題もあるだろう。しかし、

 

「まさか、手加減してるの?」

 

 疑問が、口をついて出た。

 歯軋りしながら立ち上がるルーシェを静かに見詰めて、シャナは淡々と告げた。

 

「次、いきますよ」

 

 質問に対する答えではなかった。

 濡れた水の冷たさとは種類の違う悪寒が、全身を駆け巡る。

 ルーシェは半ば反射で迅風系の魔導陣を展開し、風の刃を放った。視認が難しい、速度に優れたその攻撃を、しかしシャナは杖の一振りで防いでみせる。

 今度は、地面から隆起する土の壁だった。

 

「くそ……くそっ! くそ!」

 

 ルーシェの魔術を見たあとで、シャナは対応している。見てから、対応できてしまっている。

 つまり、負けているのだ。

 魔導陣の展開スピードも、術式の選択の判断も、攻撃と防御の駆け引きも。

 すべてにおいて、魔導師としてのルーシェ・リチェルは、シャナ・グランプレに負けている。

 

「どうします? 大人しく負けを認めますか?」

「いやだっ!」

 

 水を吸って張り付く服の感覚が不快だ。濡れた髪から滴る水滴が不快だ。

 何よりも、絶対に勝てないことを悟り始めている自分自身が、ルーシェは不快だった。

 

「……私は、消えたくない」

 

 正面。再び相対した状態からの、魔術の撃ち合い。

 

「なんで私が、偽物みたいに扱われなきゃいけないの!? 私が弱いから!? シナヤが、勇者になれなかったから!?」

 

 火花が散り、粉塵が舞う。

 伴って吐き出される、叫びがあった。

 

「違う! 私たちは、あんたたちの偽物じゃないっ!」

 

 空中に打ち上げられた水滴が、雨のように降り注ぐ。

 シャナは、言葉を発しない。淡々と魔術で撃ち合ながら、前に歩を進める。

 

「シナヤは本当は、勇者になれた! 勇者になれたはずなのに、私を守ろうとしてくれたから、私を選んでくれたから、勇者になるのを諦めた!」

 

 突風が吹き荒び、二人の銀髪を揺らして靡かせる。

 シャナは黙々と、前に出る。

 

「世界を救ったからえらいの!? たくさんの人を助けた方が正しいの!? そんなの、私は絶対認めない! 認めてなんかやらない!」

 

 粉々に砕け散った岩石の破片が、頬を切る。

 一歩ずつ。しかし確実に。歩を進め続けたシャナは、遂に杖を振り上げれば届いてしまう距離まで、ルーシェに近づいた。

 

「あの日、私を助けてくれたのは、シナヤだった! 誰がなんと言おうと、あんたたちが、数え切れない人たちを救っていたとしても!」

 

 やられる前に、やる。

 そんな思考すら投げ捨てて、反射と意地だけで、ルーシェは杖を振り上げた。

 シャナは見る。

 涙と汗と血でぐちゃぐちゃになった、自分の顔を。

 一人の女の感情の昂りを。一人の男を想う気持ちの昂りを。

 

「私の勇者は、シナヤだけだ!」

 

 翠色の網膜に、焼き付けて。

 鈍い音が、響いた。

 

「え」

 

 困惑の声を漏らしたのは、ルーシェの方だった。

 一方的に、圧倒的に。優位に立ち、相手を追い詰めていたはずのシャナは、魔術の行使ですらない、杖による原始的な殴打で、地面に倒れ伏した。

 

「なん、で」

 

 呆然と。ルーシェは膝をついて、倒れた自分自身の顔に、手を伸ばした。

 

「……ったぁ。効きました」

 

 両手両足を広げて、大の字になったまま。けれど、片手だけはなんとか引き上げて、シャナは自分を覗き込むルーシェの頬に、手のひらを当てた。

 消される、と。ルーシェはそう思った。

 

「やっぱりあなた、間違いなく私より力強いですよ」

 

 しかし、何も起こらなかった。

 ルーシェが頬に感じたのは、自分ものとは違う、体温のぬくもりだけだった。

 

「私の負けです」

 

 シャナは言った。

 

「……なんで、私のこと、消そうとしないの?」

「最初はね。そりゃ動揺しましたよ。成長していても、やっぱり自分と同じ顔ですし。動揺して魔法は使えなくなりますし 」

 

 でもね、と。

 シャナは、呟きを重ねる。

 

「襲撃を受けた時は、あなたの顔を見ただけでした。でも、あなたと言葉を交わしていたら、シナヤさんと人目も憚らずにいちゃついてるバカップルのあなたを見ていたら、認識が完璧に歪んでしまいましたよ」

 

 上体を起こして。シャナはルーシェの頭の上に手を置いた。

 破顔して、端的な一つの事実を告げた。

 

「あなたはもう、シャナじゃなくてルーシェなんですね」

 

 きっと最初は、同じ恋だった。

 同じ人を好きになって、同じ人に助けられた。

 でも、同じだったのはそこまでだ。

 違う選択をした。違う冒険をした。

 

 そして、同じ恋を胸に抱いて、違う愛を育んだ。

 

「私は、自分の存在が揺らぐのが、こわかった」

 

 それはきっと、胸に抱いた彼を好きだと思う気持ちのを、なくしたくないからで。

 シャナは、倒れ込むルーシェの体を、抱き止めた。

 それは、あきらかに自分とは違う重さだった。

 

「ああ、やっぱり。私よりも体が重いですね。そうだと思いましたよ」

「……あんたが細すぎるの。バカ」

「生まれつき食が細いんです。私だったなら、わかるでしょう?」

「そんな言い訳して。どうせろくに料理もしてないんでしょう」

「耳が痛いですね。何分、多忙なもので」

「……料理は、作ってあげたほうがいい。彼、なんでも食べて喜ぶから」

「どうですかねえ。こっちの勇者さんはそちらのシナヤさんと違って、料理上手な騎士さんのせいで、無駄に舌が肥えちゃってますからね」

 

 くだらないやりとりをしながら、互いの体温を感じ合う。

 不思議な感覚だった。

 そこにはたしかに自分の顔があるのに。今となってはもう、何故かそれを、シャナは自分の顔だとは認識できなかった。

 

「ルーシェ」

 

 名前を呼ぶ。

 かつて、自分だった少女の名前を。

 

「なに? シャナ」

 

 名前を呼ばれた。

 だから感謝を込めて、それを告げる。

 

「ありがとう。生きていてくれて」

 

 返事はなかった。

 ただ、何かを噛み締めるような気配だけは感じられて、瞳から溢れた雫が地面を濡らした。

 ああ、やはりもう、自分が抱き止めている彼女は。ルーシェ・リシャルは、自分ではないのだと。シャナ・グランプレは、そう確信した。

 

「ごめん……ありがとう。ごめんね……」

「はいはい。泣かないでください。そんなにボロボロ泣かれると……私も困っちゃいますから」

「……そっちも、泣いてるくせに」

「はあ、泣いてませんが?」

 

 シャナはそう言って、顔を背けた。

 だって私は、こんなに泣き虫ではないから。

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