一年と、少し前。
まだ世界を救った勇者が、パーティーメンバーから離れ、引き籠もっていた頃。
シャナは師匠であるハーミアを呼び出して、魔術の検証を行っていた。
「何の用だ馬鹿弟子。引退しても多忙極まるこのアタシを呼び出すとは」
「べつに忙しいわけではないでしょう? 冗談はその嘘臭い肌ツヤだけにしてください」
「お? なんだ。ひさびさにやるか? 魔術の撃ち合い」
「やめてください。普通に私が負けます。今日、先生をお呼びしたのは共有魔術について確認したいことがあったからです」
「あん? 共有魔術ぅ? なんだおまえ、人生という道に迷って、基本にでも立ち返りたくなったのか?」
共有魔術は、ハーミアがシャナに教えた最初の魔術。他者と魔術的なラインを形成し、繋がることで、感覚を共有する、特殊な術式である。自分自身を増殖させる『
最初に教えた魔術なのだから、当然、シャナが扱う魔術の中では練度が高く、取り扱いの経験も深い。
「わざわざアタシを呼び出して、今さら何の教えを請おうってんだ?」
「教えを請う、というよりはいくつかの確認と検証に付き合っていただきたい、というのが正確なところですね」
言いながら、シャナは部屋の中を仕切っていたカーテンを開く。開いた先に置かれていたそれを見て、ハーミアは「うわぁ」と、思わず呻いた。
布一枚を隔てた先には、拘束用の椅子に縛りつけられたもう一人のシャナがいた。全身を縛る灰色の拘束衣に、魔力を封じる手枷と足枷。そして、目隠しと口枷。過剰なほどに縛りつけられた少女の姿は、なんとも痛々しい。しかし同時に、背徳的な色香を醸し出していることも、また否定できない事実であった。
「愛弟子よ」
「なんですか先生」
「お前にそういう性癖があることは否定しないが」
「ちがいますよ」
ちがったらしい。
「じゃあ、なんでガチガチに緊縛した自分自身を眺めるなんてクソ高度なプレイをやっとるんだお前は」
「もちろん。暴れないように抑えつけておくためですよ。錯乱、狂化、淫猥……その他諸々、文献に残されていて、運用できる百三十五種ほどの呪いを、今から順番にあの私にぶち込みます」
「はぁ?」
喉から変な声が漏れた。ハーミアは自分の愛弟子を二度見した。
シャナは素知らぬ顔で「ああ、もちろん呪いが原因で死なないように細かい調整は行いましたよ。下調べはばっちりです」などとほざいているが、そういうことではない。
「愛弟子よ」
「なんですか先生」
「お前にそういうハードな性癖が生まれてしまったことは、もしかしたら教育者としてのアタシの責任になるかもしれないが」
「そのくだりさっきやりましたよ?」
なに言ってんだコイツ、とでも言いたげな呆れた視線を、シャナはハーミアに向けた。
その反応はアタシがする側だろ……とハーミアは叫びたくなったが、ぐっと堪えた。
「そんなわけで、私は今から呪いを受ける私と、
呪いを受ける被検体Aを用意する。
その呪いを共有する被検体Bも用意する。
大量の呪いを被検体に浴びせながら、AとBの反応の差異を確認する。
シャナがやろうとしていることは、実験だ。
呪いの検証。それが、誰のための試みなのかは、今さら聞くまでもなかった。
「あのなぁ……これで、勇者の呪いに役立つデータが取れる保証はないぞ?」
「保証がなければ実験ができないのであれば、それはもう学者失格ですね」
「それらしいことを言うようになったな」
「はい。師の教育がいいからでしょう」
「クソが……!」
悪態を吐きながらも、ハーミアは覚悟を決めて愛用の杖を取り出した。
しかし、少し逡巡したあとに、視線を左右に泳がせて……揺らぐ口調でぶつぶつと呟いた。
「つ、つらくなったらすぐに言えよ!? 無理は本当にするなよ!? アタシも細心の注意は払うが万が一のことがあったら……」
「……前から思っていたんですが」
いつものローブを脱ぎ、拘束衣と手枷足枷を自分で嵌めながら、シャナはあきれたため息を一つ。
「ハーミア先生って、私にわりとやさしいですよね?」
「うるっさいな当たり前だろボケがっ!!」
◇◇◇
燃え広がる炎を見下ろしながら、タウラス・フェンフは奇妙な満足感を抱いていた。
この光景は、平穏とは程遠い。手放してしまったものはあまりにも多く、失ってしまったものはもはや数え切れないほどで。
しかし……。
「悪くはない、のである」
この否定を持って、タウラスは己の現在を肯定したい。
あるいは、刹那的なこの破壊こそが、自分を平穏を望む悪魔から、普通の悪魔に引き戻す、最後のピースなのではないか、と。
そんなタウラスの思考を遮る、二つの影があった。
「む。来たであるか」
二人の勇者と、賢者。
立ちはだかる三人を見て、タウラスは軽く鼻を鳴らす。
「立ち直って、仲違いを解消して、盛り上がっているところ大変恐縮なのであるが、貴様らの考えていることはなんとなくわかるのである」
タウラスは、シナヤ・ライバック、ルーシェ・リシャルの両名と交わしていた契約を破棄した。
契約内容はタウラスの魔法『
だが、ジェミニと契約していたリリアミラが一時期的に『
「シナヤとルーシェの体が崩れ落ちないうちに、吾輩を殺す。貴様らの『
勇者たちの狙いを看破しながら、それでもなお、タウラスは淡々と指摘する。
「吾輩を殺すことが本当にできるのであれば、であるがなぁ!」
地面を、拳が砕く。
タウラスは、自身の足元を最大の力で殴りつけた。同時に、後方へと跳躍し、自身は崩落する足場から退避する。
自分を殺しに来る相手を、返り討ちにするわけでも、迎え撃つわけでもない。
完全な、逃げの一手。
タウラスの勝利条件は、谷が全焼し、シナヤとルーシェが
悪辣で卑怯な最上級悪魔の一手に対して、しかしシャナは反応を返さなかった。
「いきますよ。勇者さん。シナヤさん」
「ああ」
「頼む」
シャナは手を繋いだ。
右手を勇者と、左手をシナヤと。
崩落していく岩壁を意にもかいさず、目を閉じて賢者は集中する。
「なにを……?」
賢者には、疑問があった。
勇者の色魔法『
しかし、賢者には、新たな仮定があった。
赤髪の少女を助けた際、勇者はジェミニ・ゼクスを殺すことで、新たな魔法を得た。勇者は、ジェミニやサジタリウスといった最上級悪魔の名前は最初から認識していた。つまり、何らかの理由で魔王の呪いは悪魔を例外として処理している。その予想は、半分正解で、半分当たりだった。
地下迷宮での冒険を経て、勇者は『
つまり、魔王の呪いは、新たに殺した人間に対しては、その効力を発揮していない。呪いの原則に沿った形で、過去の勇者の力を、一方的に縛っている。
人の身に背負わせるには、あまりにも重すぎる魔の呪い。無色の奇跡。
だが……いや、だからこそ。賢者には新たな推測がある。
共有魔術によって感覚を同期し、呪いを浴びる実験の結果。シャナの体には
「記憶を共有する感覚に酔うかもしれませんが、自分を強く保って、耐えてください」
「わかった」
「まかせろ」
ここから先は、魔王の呪いではなく『
奪った魔法を使うために必要なのは、命を奪うこと。名前を、己の心に刻むこと。
では、勇者の記憶を、シナヤと共有させた場合、どうなるのか?
シナヤは、勇者と記憶を共有しても『人の名を呼べない』という肉体に刻まれた呪いの効果までは共有しないはず。
勇者の記憶の中から、シナヤが『名と記憶』を引き出すことができれば。曖昧に溶かした自己認識の境界の中で、その力を掬い出すことができれば、あるいは。
いくつもの仮説と、仮定と、推測と、希望を紡いで。
賢者は、二人の勇者を繋ぐ架け橋になる。
「……」
情報の濁流が、二人を呑む。
シナヤ・ライバックは、懸命に手繰り寄せる。勇者の心から、記憶の中から、それを探す。
辿るのは、エルフの血の匂い。木々が燃える香り。目を焼くような、炎の渦。
──喜びも悲しみも苦しみも。魔力を絞り尽くされて、息絶える瞬間の涙の一滴まで……アレから排出されるすべてがエルフという種族の財産だ。
忌むべき記憶だった。
だが、今この瞬間、必要な力だ。
浅ましくても、不格好でも、それを求める。
彼の魔法がなければ、この村を守れない。
「コール……
──さあ、力を貸せ。
◆◆◆
「だからいやなのよ。天才っていう生き物は」
勇者の中で、色のない少女が呟いた。
◆◆◆
「──『
タウラス・フェンフは、絶句する。
岩盤は、崩落していない。勇者とシナヤと、賢者が立つ足場だけが『浮遊』している。
シナヤ・ライバックが、そんな名前を呼んだことを、タウラスは聞いたことがない。
シナヤ・ライバックが、そんな魔法を持っていることを、タウラスは知らない。
それは、シナヤが持っていない魔法。シナヤが本来、持ち得ない魔法。
世界を救った黒輝の勇者の魔法だ。
「おれたちから逃げ切るつもりでいたか? タウラス」
「悪いが、そりゃ無理だ」
数年ぶりに感じるその魔法を見て、シャナは僅かに目を細めた。
規格外の戦闘能力で知られた全盛期の勇者は、自身の色魔法である『
その中でも、彼の前半の旅路を支えた魔法は、三つ。
鉄の勇者という異名の由来にもなった、攻防一体の魔法。自分自身と触れたものを『硬化』する、鋼の具足。シエラ・ガーグレイヴの『
矢を撃ち出し、敵を弾く、駆け引きの魔法。自分自身と触れたものを『射出』する、盗賊の弓。ゲド・アロンゾの『
個人での自由飛行という、魔術によって不可能な行為を可能にした、翼の魔法。自分自身と触れたものを『浮遊』させる、羽衣の雲。ギール・マーシアスの『
「こんな形で勇者の魔法を……全盛期の力をっ!?」
宙に浮いたままの二人を、悪魔は見上げて叫ぶ。
広く知られている、ということは。
広く知られるほどの、脅威だということだ。
宙に浮いたまま、二人の勇者は悪魔を見下ろす。
「ありがとう、賢者ちゃん。おかげで少しだけ、昔みたいに戦えそうだ」
勇者の混じり気のない謝辞に、賢者はただ一礼を返した。
「ええ。どうぞ存分に」
パーティーの主である勇者には、純粋な敬意を。
「そして、盛大に……あの悪魔を屠ってください」
害を為す敵には、最悪の侮蔑を。
「このっ……クソガキがぁぁぁああああ!」
『黒の七つ道具』
勇者が奪った魔法の中でも、特に多用し、戦闘の主軸となった七つの魔法の総称。通常の魔法、色魔法の区別なく『黒の七色』とも呼ばれる。
①シエラ・ガーグレイヴ『
②ゲド・アロンゾ『
③ギール・マーシアス『
④???
⑤???
⑥???
⑦???
なお、前半の三つの魔法を揃えた段階で、勇者は『鋼の硬さの体で空中を舞い、全速力で突っ込む』ゴリ押し戦法を好むようになった。アホである。
漫画版第一巻発売&コミカライズ更新されております
https://to-corona-ex.com/episodes/176874935929009
死霊術師さんのお話です。勇者くんに首を絞められながら雨に打たれている死霊術師さんがエッチなので、よかったら読んでください。よろしくお願いします