「さて、大方の問題は片付いたけど」
「なんですか。なぜ私を見るんですか?」
それはもちろん、腰を据えて確認したいことがあるからだ。
船のドック入りも、技師さんたちへの報告も、やるべきことは大まかに終えて、賢者ちゃんとようやく二人っきりの時間を作ることができた。
おれが確認したいことは、ただ一つ。
「賢者ちゃんの魔法……もう
「何を聞くかと思えば……問題ありませんよ」
おれの心配を他所に、賢者ちゃんはけろりと言い切った。
「べつに『
ずずっとマグカップに淹れたココアを自分ですすってから、賢者ちゃんはそれをいつも通りの増殖の魔法で増やした。手品のように中身ごと増えたマグカップを受け取って、おれも一口飲む。うん、甘くておいしい。
「でも、賢者ちゃん本人は『
「もちろん、あの色ボケな私と同じように、消えずにそのままです。まあ、もしかしたら違う生き方や名前を選ぶ私がこれから出てくるかもしれませんが……それはそれで、おもしろいでしょう?」
「あのねぇ……」
それをおもしろい、と言ってしまうあたり、ヤバい師匠の影響が垣間見える。
こちらの困り顔がおもしろいのか。含んだ笑みで、賢者ちゃんはおれの鼻先をつんとはじいた。
「繰り返しになりますが、べつに問題ありませんよ。これまでとは違う意味で発見もありましたし……魔法で自分自身を増やすことができなくなっても、ちょっと
うーん。それならいいか。
いいのか?
「勇者さん」
「ん?」
「昔、勇者さんに、もう一人自分がいたらどうする、と。そんな質問をしたの、覚えていますか?」
「あー」
そういえば、されたかもしれない。
「おれ、なんて答えたっけ?」
「自分なら、二人で世界を救いに行く、と。自信満々にそう言ってましたよ」
「いや、外れてるじゃん」
「外れてますね。正解は、世界を救うよりもたった一人の女の子を助けることを優先した、ですから。まったくもって勇者失格ですね」
「いや、本当にね」
まさか自分がもう一人増えて、しかも生き続けているなんて過去のおれは想定していなかったのだろうけれど。それでも、適当な答えをほざいている過去の自分をぶん殴りたくなる。
「でもまあ、彼には世界よりも救いたい女の子がいた、みたいな。そんな風に言うといい感じになると思うんだけど、だめかね?」
「だめですね」
手厳しいな、おい。
「ちなみに、たしか勇者さんはもう一人の自分とも戦ってみたい、というようなことを言っていたはずです。それは叶ってよかったですね」
「いや、よくないよ」
その結果、こんな苦労をすることになったのだから、全然よくない。
「やれやれ。その調子だと、私がなんて答えたかも忘れていそうですね」
「もしも私がもう一人いたら……勇者さんよりも、もっと良い男を捕まえて、幸せになっています……だろ?」
かーん、と。賢者ちゃんがマグカップを取り落とす音が響いた。
おっと、割れなくてよかった。中身が飲み干してあったのも、幸いだ。拭き掃除をするのは、ちょっとめんどくさい。
「な、な、なんで……!」
「ごめん。そっちはよく覚えてるんだわ」
実に小生意気な返答だったので、とても記憶に残っている。
結果として、薔薇の花のように赤面する賢者ちゃんというとてもめずらしいものを見れたので、覚えておいてよかったと思った。
「でもまぁ、そっちも的中しちゃったなぁ。あの二人、本当に幸せそうだったし」
どこに出しても恥ずかしくないバカップルになっていたのは、ちょっとどうかと思うが。それを差し引いても、二人が幸せならそれでいいかな、という気持ちがある。
「違いますよ」
「え?」
けれど、賢者ちゃんが口にしたのは、否定の言葉だった。
「もう一人の私は、たしかにもう一人の勇者さんのことが大好きなようでしたが、それは違います」
あまり成長したとは思えない。軽い体重が、椅子に座っているおれの上に乗る。
「だって、私の勇者さんの方が、百倍良い男ですから」
賢者ちゃんらしからぬ、雑な計算だ。
思わず、吹き出しそうになった。
「それは、光栄だな」
「ええ、そうでしょうとも。ちなみに、私はあの子の千倍いい女です」
単位の概念ぶっ壊れてるのか?
「ていうか、それだとおれは賢者ちゃんの隣に立つために、千倍がんばらないといけないんだけど」
「その通りです。ぜひがんばってください」
自信満々。自分がかわいくて有能なことを疑っていない笑顔で、賢者ちゃんは鼻を鳴らす。
「まったく。どうして、こんな風に育っちゃったのかねえ」
「花は水をやらないと育たないんですよ。あなたのせいで、こんな良い女になっちゃいました。ちなみに、これからもっと良い女になる予定です」
「そりゃ楽しみだ」
「ええ。ですから──」
完全に、不意打ちだった。
手のひらに、前髪をあげられて。
啄むような、優しい口づけを、額にされた。
「──責任、とってくださいね」
言われて、自分でも目を見開いたのを自覚した。
これはまいった。
おれがよく知っているはずだったかわいい女の子は、いつの間にか一輪の花のように、とてもきれいになっていて。
間近で見ると、陶器のような白い肌に差した朱色の鮮やかさが、痛いほどよくわかって。
だから、
「はいはいはい」
「すいませんね」
「ちょっと失礼しますよ」
バァン、と。
ドアが勢いよく開いた。
おれと賢者ちゃんの二人っきりだった室内にぞろぞろと入ってきたのは、他の誰でもない……魔法によって増えている他の賢者ちゃんたちだった。
「な、ななな、何をしにきたんですか!? 私たち!?」
おれの上に乗っかっていた賢者ちゃんは、驚きのあまり猫のように飛び退こうとして、しかしその動作をするための運動能力が足りず、そのまま床にひっくり返った。かわいい。
「何をしにきたか、ですって?」
「見ての通りですよ、私」
「魔法の性質の根本的変化によって、私たちは自由に増えたり消えたりができなくなりました」
「まあ、私が決めたことですし、べつに文句を言うつもりはありませんよ?」
「増えてる私は、まだまだたくさんいますし、すぐに困ることもないですしね」
「しかし、各地に散っている私の仕事や研究を今後どうするかについては、話し合わなければなりません」
「なので、こんなところで呑気に勇者さんとイチャイチャしている暇はないのです」
「とりあえず、現状増えている私を集めて会議を行います」
「そんなわけで、こちらの私は持ち帰らせていただきますね、勇者さん」
「さあ、いきますよ。私」
「うあぁああああ! 離しなさい私たち!? まだ私は……」
「うるさいですね」
「ちょっと先走り過ぎですよ。私」
「あなたのがんばりは評価しますが」
「花はゆっくり咲くものですからね」
複数の賢者ちゃんたちに引きずられていく賢者ちゃんを見ながら、おれは思った。
うん。やっぱり、自分の最大の敵は、いつだって自分自身のようだ。
◇◇◇
「……あー、よかった」
「? どうしたんですか? シャナちゃん」
「いえ。暴走しそうになった己を諌めただけです」
「はい?」
事情が飲み込めずに首を傾げている赤髪の少女にそれ以上の説明はせずに、シャナ・グランプレは素知らぬ顔でミルクティーを飲み干した。
進めていた計画についても、いくつかの修正が必要だろう。
しかし、変わるということはそういうものだ。
不安はない。そういう選択ができた自分自身を、シャナは誇らしく思っている。
魔法が変化する、という成果を得た。
もう一人の自分を、幸せにできた。
そして……
「んん〜っ! シャナちゃんの行きつけのお店と聞いて期待したいましたが、想像以上です! お菓子が全部おいしいです!」
「……菓子を褒めるのもいいですが、茶葉もきちんと味わってくださいね? ここは良いものを使ってるんですから」
「はい! お茶もなんだかおいしい気がします!」
……こうして『友達』とお茶をする、心の余裕も生まれた。
目の前でお菓子をたくさん頬張っている少女と、以前よりもちょっとだけ仲良くなれたのは、はたして成果と言ってもいいのか?
まあ、シャナさん、とか。賢者さん、とか。他人行儀にそんな風に呼ばれるよりも「シャナちゃん」という馴れ馴れしい呼び方を許す気になるくらいには……自分もこの子に心を許しているわけで。
呼び方一つで何が変わるわけでもないが、しかしそう呼ばれるのも悪くない……と感じる程度には、シャナは食いしん坊の元魔王に感謝していた。
「ねー、あかちゃんの言う通り! このお店、お茶も美味しいし、雰囲気もいいし、ランジェも二人とお茶できて、うれしいよ〜」
「……私、ランジェさんは誘ってないんですけど」
「あは〜。おねーさんは神出鬼没なのだ〜」
「答えになってねぇんですよ」
口汚く返してみても、対面に座る聖職者……ランジェット・フルエリンは、ニコニコと笑みを浮かべたままだった。
シャナは、今日のお茶会は食いしん坊と二人きりで、と思っていたのだが、なぜか道中で「へいへーい。お二人さんはどこ行くの〜? デートならランジェが間に挟まって邪魔するよ〜」と絡まれて、今に至る。
「ていうか、ランジェさん。あなた、わりと忙しいでしょう? 国に帰らなくていいんですか?」
「最近信頼できる部下さんができたから大丈夫だよ〜。ちょっとステラシルドでやりたいことがあってね〜。あと、まだ帰りたくないし〜」
「最後が本音でしょう?」
「あは〜」
ご機嫌に亜麻色の長髪を揺らしながら、ランジェはシャナの指摘をいつもの笑い方で軽く流した。
被っている頭巾を脱いでいるあたり、この聖女はどうやら完全にオフモードらしい。
「でもでも、やりたいことあるのは本当で〜。今度、シーザァルトで『極彩天武会』をやるのは、シャーちゃんも知ってるでしょ〜?」
「……ああ。
「そうそう〜。だから、それにウチの教国の枠で、ムーさんに出てほしくてね〜」
「いや、ダメでしょう。たしかにムムさんはそういう催しには喜び勇んで出るとは思いますが……うちの陛下がムムさんを貸し出すことを許しませんよ、多分」
「だから陛下と交渉するの〜。シャーちゃんお願い〜! 王室直属の宮廷魔導師さんでしょ〜? ちょっと取り次いで〜!」
「はあ!? もしかしてその話をするためについてきたんですかあなた!?」
「……えへ」
「可愛くねぇんですよ!」
油断も隙もない聖女である。
盛大に舌打ちを鳴らしながら、シャナは腕を組んだ。
「……まぁ、ランジェさんには今回、いろいろお世話になりましたし。交渉を取り次ぐくらいのことはやってあげてもいいですが」
「あは〜! さすがシャーちゃん、話がわかる〜! えらいシャーちゃんには、おねーさんのなでなでをプレゼント〜」
「結構です」
わしわしと寄ってきた自称姉の腕をはたく。
本当にこの聖職者は、したたかというか、抜け目ないというか。せっかくの休みなのに、仕事を増やされてしまった。こちらも何か代わりに貰わなければ、釣り合いが取れない。
「なでなではいりません。その代わり、今日のここの支払いは、ランジェさん持ちにしますからね」
「いいよ〜。それくらいなら全然大丈夫」
「言いましたね? 聞きましたからね? よし……赤髪さん」
「はい! 店員さん! このメニューのケーキをここからここまで三つずつください」
「うぇ!? あ、あかちゃん? ちょっとまって? 三つずつ頼まなくてもいいんじゃないかな〜って。おねーさんそんなに食べられないし〜」
「何を言ってるんですか? 全部わたしが三つ食べます」
「……?」
曇りなき眼の、即答。
ランジェット・フルエリンが絶句した。
元魔王の食欲を舐めすぎだ、とシャナは思った。とりあえず、今日は支払いを気にせず、聖職者さんに奢られる気楽なお茶会を楽しめそうだ。
「あ、ランジェさん」
「うぅ……なーに? シャーちゃん」
「いえ。そういえば、ランジェさんには聞いたことがなかったな、と思いまして……もしも自分がもう一人いたら、何をしたいですか?」
「……あは〜。だめだよ、シャーちゃん。人間の人生は一度きりなんだから、どんな選択をしてもそれを受け入れなきゃ」
「もしかしてそれ、遠回しに私の魔法のこと馬鹿にしてます?」
「あは〜、マジックジョーク〜」
「ちょっとブラックですよ」
笑顔で毒のある言い回しをするのは、彼女らしいといえばらしい。シャナは軽く息を吐いた。
あきれた顔でミルクティーのおかわりを注ぐ賢者を見ながら、ランジェットは薄く微笑む。
「でも、おもしろい質問だね〜。ゆうくんなら、二人に増えても世界を救いに行っちゃうんだろうけど」
「なんでわかるんですか」
「へへーん。おねーさんはなんでもお見通しなのだ〜」
ふんわりと言葉の最後を伸ばしつつ、テーブルの上のお菓子にも手を伸ばして。
「んー、そうだね。ランジェも、やりたいことはいっぱいあるけど……もしも、自分がもう一人いたら」
たおやかに、しとやかに。
そして、ほんの少しだけ、いたずらっぽく。
ランジェット・フルエリンは普段とは違う笑みを浮かべて。
「世界征服とか、してみたいかも〜」
にひっ、と。歯を見せて。
噛んだクッキーが、砕けて二つに割れた。
もう一人の賢者ちゃん編、完!!!
https://to-corona-ex.com/episodes/183473970923827
コミカライズも更新しております。死霊術師さんの「わたくしの愛が……」回です。親方!空から女の子が!な死霊術師さんだったり、魔王様のビジュアルチラ見せだったり、キスシーンだったり、いろいろと見どころの多い回です。ぜひ
次回はいつもの登場人物紹介やって、おまけのお話をやって、次章に向かいます。おまけはWeb版ではじめて出す魔王様のお話です。あと、次章のメインはイト先輩と聖職者さんです。