今日は偶然にも、家に誰もいない日だった。
騎士ちゃんは冒険してる間に溜まった領主のお仕事の処理で、てんてこまい。死霊術師さんは早速早口技師さんを抱き込んで、飛行船の開発関連の支援を取り付けようと、あちこちへ奔走。賢者ちゃんと赤髪ちゃんは、魔術の練習を兼ねたお出かけデート。そして、師匠はまたどこかへ消えた。
ひさびさに一人の時間ができたので、さて何をしようか、と。リビングに降りていくと、いつの間にか聖職者さんがソファーに座ってニコニコとお茶を飲んでいた。
なるほど。おれとしたことが油断したぜ。このおねーさんの存在を完全に失念していた。
「聖職者さん、なんでいるの?」
「あは〜」
「なんでも笑えば誤魔化せると思わないでほしい」
おれの分のカップにお茶を注ぎながら(恐ろしいことに、ウチに来るのは二回目のはずなのに、なぜかお茶セットの場所もおれのカップがどれかも完璧に把握されている。こわい)、聖職者さんは笑顔で言った。
「暇だったからまた来ちゃった」
うそつけ。あんた今、国のトップみたいなもんなんだから、まあまあ忙しいだろ。
「あと、今日はゆうくん一人でさみしいかなと思って」
「そりゃお気遣いどうも」
「あは〜どういたしまして」
見極められている。おれが一人になる、タイミングを
もういろいろと仕方ないので、淹れてもらったお茶はありがたくいただいて、おれは聖職者さんの前に座った。
「そういえば、この前の話なんだけど」
「なに〜」
「聖職者さんは船が落ちたあとは大丈夫だったの?」
「うん。
「あ、はい。ほんとすいませんでした」
「あは〜。まあ、今回はそっちも大冒険してたみたいだし、寛大なおねーさんは許してあげましょう」
言いながら、聖職者さんは頭巾に手をかけてするりと脱いだ。首から顎までぴったりと肌を隠していたウィンプルも、一緒に取り去る。すると、背中全体を覆い隠せそうなほどの艷やかな長髪がばさりと広がって、香水の匂いが薄く香った。聖職者さんはそのまま懐から手鏡をするりと取り出して、頭巾から出てきた前髪を指先でちょいちょいと整える。
うーん。
なんというか、本当に。頭巾とウィンプルを脱ぐだけで随分と印象が変わるので、思わず見惚れてしまう。
黙り込んだおれの心の内を目敏く読んだのか。それまでとは浮かべる笑みの種類を変えて、聖職者さんはにまーっと笑った。
「ゆうくん、相変わらず長い髪好きだねえ」
「聖職者さんの髪がきれいだからだよ」
「あは〜。照れ隠しで褒めてくれるのかわいい。でもうれしい。ありがと」
ちっ。だめだ。やっぱこのおねーさんには舌戦では勝てそうにない。
「ゆうくん」
「なに」
「耳かきしてあげよっか?」
「ごほっ!?」
咽た。
どこから取り出したのだろうか。あの白いふわふわが付いた耳かきの棒が、聖職者さんの手元でくるくると回っている。
「なに? まじで急になに? どうした!? 何が狙い!?」
「あは。うろたえるゆうくんおもしろーい。でも、べつに狙いとか思惑があるわけじゃないよ。ただそこに耳があるから耳かきしてあげよっかなって」
なにその理論。
そんな「そこに山があるから」って言う登山家みたいな理論で耳かきしてくれるの、聞いたことがねぇよ。
「あと、この前はゆうくんがんばってたし、ひさしぶりにふたりっきりだし。だから、甘やかしてあげようかなって」
やや垂れ目な優しい視線が、じっとりと見詰めてくる。手袋を外した聖職者さんは「おいでおいで」とでも言いたげに、ロングスカートに包まれた自分の太ももをぽんぽんと叩いた。
おれは思わず、深く息を吸い込んでから、ゆっくりと肺の中の空気を吐き出した。
思考する。
まったく、聖職者さんの気まぐれにもこまったものだ。まだ十代のガキだった昔ならいざ知らず、今のおれは立派な成人男性。いくら聖職者さんが全身母性の塊のような包容力のお姉さんとはいえ、それはそれ。これはこれだ。急に耳かきしてあげると言われても、はいそうですかと頭を預けるような真似は、世界を救った勇者のプライドが許さない。というか、他のみんなに見られたらやばい。普通に恥ずかしいし、おれの男としての甲斐性というか大事な部分が粉々に砕け散ってしまう。だからどれだけ聖職者さんの耳かきが魅力的であろうとそんな提案に軽々しく乗ることはできない。好きか嫌いか、という単純な話ではない。これはもっと複雑で難しい、哲学的な問題だ。
三秒間の熟考の末に、おれはソファに寝っ転がって、聖職者さんの太ももの上に頭を預けた。
「ふっふっふ〜。素直でよろしい」
人間の体は、時に理性を超えて動く。
心の中の葛藤とは裏腹に、おれの本能が無意識のうちに聖職者さんの膝枕と耳かきを望んだ。そういうことだろう。聖職者さんの包容力と吸引力がおそろしい。本当におそろしい天性の才能だ。
それにしても、こうして頭を預けてみてはじめて知ったが、聖職者さんの脚ってわりとふと……肉付きがいいというか、預けた頭が安定するというか、すげえ良い感じのやわらかさだということに気がついた。
そして上を向くと、目の前にずっしりとした存在感の塊が鎮座している。比較的体のラインを覆い隠すはずの修道衣の上からでもわかる、否、だからこそ際立つ、質量の暴力。下から見る景色には、また違った感動がある。
「ゆうくんゆうくん」
豊かな双丘の上から、ちょっと苦労して覗き込むように。
いたずらっぽく笑った聖職者さんは自分の茶髪の先端を指先で摘んで、おれの鼻下に当てた。くすぐったい。
「……なにこれ?」
「おひげ〜」
「あ、はい」
「ゆうくんおひげ似合わないよね〜。ノー威厳だ〜」
「勝手に付けて勝手に否定しないでほしい」
くだらないやりとりが、まったりとした時間をやさしく包む。
「はいはい〜。じゃあ、横向いてね」
頬に、聖職者さんの指先があたる。
昔よりもちょっと冷え性になったのか、聖職者さんの指先は少し冷たかった。それが逆に、ひんやりと気持ちいい。
「ゆうくんは相変わらず子ども体温だねえ」
「はぁ? 筋肉あると体温高くなるんだよ。べつに子どもじゃない」
「あは〜。ちゃんと鍛えててえらいえらい」
まるで子どもをあやしている口調で、かりかり、と。聖職者さんは耳かきを動かした。
ふっ、と。吐息の気配を、とても近くに感じる。
「眠たくなったら、寝ちゃっていいからね」
勘弁してほしい。
そんなことを言われると、本当に眠くなってくるからこまる。
まあ、なんというか。
恥ずかしい話、こうして「人に甘える」みたいな時間が、本当にひさしぶりというか。トラブル込みで考えるなら、赤髪ちゃんや死霊術師さんと二人っきりになる時もあったけど、あの二人はよく喋るタイプだから、誰かと沈黙を共有するのが、わりとめずらしいというか。
聖職者さんは、本当に人を安心させるのが、巧い。
だから思わずおれも、うとうとと。ゆったりと微睡んで……
「ふ、不倫だぁ!? 誰よその女ぁ!?」
そして、唐突に現実に引き戻された。
わあ、先輩だぁ。
なるほど。おれとしたことが油断したぜ。この先輩の存在を完全に失念していた。失念していた、じゃねえよ。なんで勝手に入ってきてるんだよ。おかしいだろ。
「あは〜?」
「先輩。勝手に入ってこないでください」
つとめて冷静な声で、おれはそう言ったが。
傍目から見ればおれは修道衣のおねーさんに膝枕されて耳かきされている状態である。どんなに冷たく静かな声を出しても、おれが現在進行系でおねーさんに甘えているという事実は覆しようがない。やばい。世界を救った勇者の威厳があっさり吹き飛ぶシチュエーションだ。
でも涙目になってこっちを見てくる先輩はちょっとかわいいなと思った。
「ゆうくん。このおもしろそうな女の子は誰?」
「騎士学校でおれがお世話になった先輩です」
「まず膝枕と耳かきをやめろよ!?」
先輩から鋭いツッコミが入る。
聖職者さんが膝枕と耳かきを継続して話し始めてしまったので、おれも膝枕と耳かきを継続されながら話してしまった。慣れってこわいね。
名残惜しかったが、さすがに膝枕と耳かきを中止して、先輩に向き直る。
「えーとですね、先輩。ご紹介します。こちらの方は……」
「あは〜はじめまして。ゆうくんのおねえさんでーす」
「後輩のお姉ちゃん!? お姉ちゃんいたの!?」
「ちがうちがうちがう」
◇
かくかくしかじか。
端的に聖職者さんのことを説明すると、先輩はようやく少し納得したように頷いた。
「なるほど。この人が噂の聖職者さんなんだ……」
「あれ? 先輩知ってたんですか?」
「教国の聖女様といえば、ウチの国でも有名だからね。あと、ほら。きみの親友の本にも書いてあるから」
「あー? あぁ……」
べつにいいんだけど、おれの勇者としての足跡というか情報源があのバカの著書なことが多いの、ちょっと納得できないかというか、やや腹が立つな……あいつが脳内で「親友! ボクの本はベストセラーだよ!」とドヤ顔してくるのも、なんかむかつく。
「でもこまるよ後輩」
「何がですか、先輩」
「こんなお姉さんっぽい人が近くにいたら……ワタシとキャラが被っちゃうでしょう?」
「…………?」
「ワタシとキャラが被っちゃうでしょ!?」
「いえ、耳は正常です。言葉は聞こえています」
何を言ってるんだろうな、この人は。
まさか歳上というだけで『お姉さん』という属性が手に入れられると思っているのだろうか、このド天然先輩は。
だとしたら、あまり『お姉さん』を甘く見ないでほしい。
さっきからおれと先輩の会話を聞いてずっとニコニコしていた聖職者さんが、会話に入ってくる。
「あは〜。先輩さんは、ゆうくんのお姉さんになりたいの〜?」
「はい。頼れる歳上女房になります」
「あは〜。ウケる」
会話できてるようでできてねぇな、これ。
「先輩ちゃんは〜、ゆうくんのお嫁さんになりたいんだ?」
「およっ……!? そ、そうですけど……!」
「あは〜、自分で言うと照れないのに、他人に言われると照れるのかわいい〜!」
赤くなった先輩の隣に、聖職者さんはすかさず接近。まるで獲物の喉元に剣を突きつけるように、右手で自然に先輩の手を握りつつ、左手で頭を撫で撫でした。えげつない美人に当たり前のようにスキンシップを取られて、先輩の顔がさらに赤くなる。
えげつない。
僅か一言で相手の本質を引き剥がしつつ、当たり前のように距離感を詰めるその早業。あまりにも手早い。人誑しの極みだ。
事実、部屋に入ってきた時はあれだけいきりたっていた先輩が、すでにあわあわしはじめている。聖職者さんの攻撃力が高すぎるのもあるが、先輩の防御力があまりにも低い。
ていうか、どうでもいいけど先輩と聖職者さんって、聖職者さんの方が歳上なんだな。ちょうど一個違いだ。先輩が敬語使ってるのが、ちょっとめずらしい。
「ゆうくん〜」
「なに、聖職者さん」
「わたしこの子好きかも〜。かわいい〜。持って帰っていい?」
「だめだよ。その人、一応ウチの国の騎士団長だから」
聖職者さんの可愛がりという名の猛攻に耐えられなくなったのか、助けを求めるように先輩がこちらを見る。
「こ、後輩! お腹とか空いてない!? 空いてるよね!? ワタシがご飯つくってあげるよ! 食材持ってきたから!」
「…………?」
「ごはん! つくってあげるよ、って言ったの!」
「いえ、言語は理解できます。内容が理解できなかっただけです」
先輩と料理というイメージが結びつかなくて、頭がフリーズしただけだ。おれの中で先輩が料理してるのはモンスターや悪魔だけだと思っていたので、困惑が勝った。
しかし、今日に限って言えば、先輩もおれも包丁を握る必要はないだろう。
「聖職者さん」
「はいは〜い。ぱぱっと何か作ってあげるね〜」
「え」
立ち上がった聖職者さんが、修道衣の上からエプロンをつける。ヘアゴムを咥えて髪をまとめはじめた聖職者さんと、素知らぬ顔で茶を啜るおれを交互に見て、先輩は叫んだ。
「え!? まってまって!? だから、ワタシが作るって……」
「あは〜。まあまあ、お客さんはゆっくりしてていいよ〜」
「そうですよ先輩。お客さんはゆっくりしててください」
実際、まな板とテーブルを切断されても困るし。
「そ、そんな……わ、ワタシのお姉さんとしての威厳が……! 立場が……!」
「元からないですよそれ」
「あは〜」
「で、でもワタシの胃袋をそう簡単に掴めるとは思わないでほしいな!? 悪いけど、普段からサーちゃんのレベルの高い手料理を食べてるワタシは、結構料理にはうるさいよ!?」
「いいから黙って待ってなさいよ」
ぞんざいなおれの発言をきつく見返して、先輩は叫んだ。
「ワタシ、負けるつもりないから!」
「あは〜」
◇
「先輩ちゃん。ごはんおいしかった〜?」
「おいしかった!!」
ちょろい。あまりにも、ちょろい。即オチであった。
すっかり空になった皿と満たされたお腹の幸福感を、じんわりと噛み締める。相変わらず、聖職者さんのつくるごはんはおいしい。おれと騎士ちゃんに一通りの自炊スキルを叩き込んでくれたのは聖職者さんだから、当たり前といえば当たり前なのだけれど、ひさしぶりに食べるとやっぱりうまかった。
お腹がいっぱいになった先輩は、おれの対面で聖職者さんに膝枕されて、食後の耳かきをされている。素晴らしい開き直りと甘えっぷりだ。これは勝てない。強すぎる。昔から思ってたけど、やっぱこの人の本質、どこまでも末っ子だろ。
飼い主にだっこされてお昼寝している猫並みにリラックスした先輩は「ふわぁ……」とあくびを漏らした。
「はぁ……今日は良い日だなぁ。後輩にも会えたし、お義姉さんにもご挨拶できたし」
「あは〜」
なんだか『おねえさん』の言葉の響きに妙な含みがある気がしたが、おれもお腹がいっぱいで細かいことはどうでもいい気分なので、ツッコむのはやめにした。
「それで、先輩は今日は何しに来たんですか?」
「もちろん、きみの元気な顔を見に来たんだよ」
「ありがとうございます」
「照れろよ」
「じゃあ不法侵入するなよ」
さっき玄関見てきたぞ。鍵の中だけ器用にぶった斬りやがって。
先輩ならできても不思議ではないけど、さすがにちょっとびっくりしたわ。
「後輩、鍵の修繕費出して直しておくから、あとで合鍵渡すね」
「なんでおれが合鍵貰う側になってるんですか。家主はおれなんですよ」
しれっととんでもないこと言うのやめてほしい。
「まあ、ちょっと用事があるのは本当でね。実は、世界を救った勇者さまな後輩に、騎士団長のワタシから、ちょっと仕事のお願いがあるんだ」
「仕事?」
「うん」
カリカリ、カリカリ、と。
聖職者さんに耳かきをされながら、先輩はドヤ顔で言った。
「今年の騎士学校の卒業試験。それを、きみに担当してほしいんだ」
言われて、壁にかかったカレンダーを見た。
ああ、そうか。ここ最近、いろいろとバタバタしていて気がつかなかったけど、もうそんな季節か。
「先輩。それは……」
「あっ……お義姉さん。そこ、きもちい……」
「あは〜。きもちい〜でしょ〜?」
「おい。耳かきやめて会話しろよ」
こんかいのとうじょうじんぶつ
勇者くん
おっぱいは横から見る派だが、下から見るのも良いなという新たな気づきを得た。
聖職者さん
ランジェット・フルエリン。25歳勇者のお姉ちゃん(お姉ちゃんではない)。教団で教育(洗脳)を受けていた頃に数少ない楽しみとして料理を嗜んでいたので、クソ上手い。プロ並みの技巧を見せびらかさず、家庭的な雰囲気の調理の底上げとして利用するタイプ
なお、イトのことは「天然ちゃんだけどやるべき努力はやってこうな努力家で、素で周囲の人に愛される才能があって、恋愛面でも純情な感じがする」から一発で気に入った。
先輩
イト・ユリシーズ。24歳。聖職者さんに姉ぢから勝負を挑み、勝負にすらならず、俊足の敗北を果たした逸材。おねえちゃんからいもうとにめでたくジョブチェンジを果たした。あとついでに聖職者さんという『お義姉ちゃん』も獲得した。先輩は姉も妹もできる。つよい
騎士学校編の過去編であった通り、素の本質が妹の末っ子の甘えたがりなので、聖職者さんとの相性はすこぶる良い。