ジーク・ラヴェルは、勇者に憧れていた。
べつに、特別な話ではない。ジークたちのような年頃の子どもにとって、魔王の脅威はおとぎ話ではなく、現実として差し迫るもの。だからこそ、そんな脅威を真っ向から跳ね除けて突き進む黒輝の勇者の冒険譚に、強く惹かれた。自分と五つ程度しか年の変わらない存在が、世界を救うために最前線で魔王軍と戦っている。そんなロマンに、心躍らないわけがなかった。
自分も、世界を救う勇者のようになりたい。
憧れに疑問が生じてしまったのは、ちょうど一年と半年ほど前。
勇者が魔王の呪いを浴び、人の名を認識できない呪いを浴びたことが、知れ渡った頃だった。
──勇者様の呪いは、解呪できないらしい
──なんという不幸だ。二度と人の名を呼べなくなるとは
──賢者様はもちろん、あのハーミット様も手を尽くしていると聞くが
──黒の魔法の力も、失われたそうだな
──キドンやアイアラスに侵攻される危険は?
──人類を救った平和の象徴が、本当にただのシンボルに成り果ててしまったか
──使い道はあるだろう。単純な武力ならスターフォードやキャンピアス卿もおられる
──最強の魔法使いが、一転してこの有様か
英雄は、英雄で在り続けなければ意味がない。
ステラシルドは国全体が祝勝の明るさに満ちていたが、同時にそんな心無い噂話が学生騎士であるジークの耳にも入ってくるほど、力を失った勇者の存在意義を危ぶむ声は多かった。
魔王を倒しても、世界を救っても、勇者になっても、心無い人々からはそんな声を浴びせられる。あんなにも憧れた存在が、蔑まれ、忘れられ、見下される存在になっていくのが、ジークは許せなかった。
いや、厳密に言えば、少し違う。
それらの現実を目の当たりにして、あんなにも憧れていたはずの勇者への気持ちがくすんでしまった……そんな浅ましい自分自身の心境の変化が、ジークはなによりも許せなかったのだ。
英雄に意味はない。
英雄に憧れることにも意味はない。
現実を知り、受け入れることが大人になることなのだ、と。
ジークが、冷めた現実に折り合いをつけようとした、ちょうどそんな時を見計らったかのように。
「第一騎士団団長、グレアム・スターフォードだ。本日の特別講師を務める。よろしく頼むぞ、生徒諸君」
かつて、勇者を導いた騎士が、燻る少年の前に現れた。
◆
セラの隊と連絡が途絶えた。
その報告を聞いたジークの判断は早かった。
「全隊、前進! 全速でいくぞ。多少の無理をしろ。中衛のリーナの隊と早急に合流する」
「いいのかジーク!? 作戦ではセラの索敵で……」
「問題ねぇ。セラは最低限の仕事はしてくれた。あのくえねぇ勇者サマは、オレたちに見せびらかした魔法以外にも、
相手に魔法を仕込んでおくということは、逆に言えば相手に魔法を仕掛けられた可能性があるということ。
魔法使いを相手にした駆け引きでは、当然考慮しておかなければならない事態だ。しかし、ジークの言葉を聞いた同級生は、目を見張った。
「お前、セラを囮にしたのか?」
「まあ、そういう言い方もできるな。けど、オレは言ったはずだぜ? 全員で勝つ、ってな」
軽い調子で、しかしジークは言い切った。
ともすれば、仲間の信頼を失いかねない言動と行為。しかし、ジークは迷わない。
「ああ、そうだったな。俺たちはどうすればいい?」
「オレの読み通り、勇者サマが後ろから攻めてくりゃあ、それでよし。そうじゃないなら、リーナの隊と合流して守りを厚くする。索敵が死んでるこの状況だと、戦力を分ける意味がねぇからな」
「了解した。伝達する!」
級友たちと積み重ねてきた三年間の信頼は、この程度で揺らぐほど脆くはないと知っているからだ。
今回、目指すべき勝利条件は、要人の輸送。それさえ達成できれば、全員の勝利。勝つために、仲間を動かし、指示を出す。それが隊を率いる頭の役割だ。
冷静に、着実に。
隊を率いる頭として、指示を出すジークに、仲間たちはついてくる。
十数分ほど、馬車を飛ばすと、川の向こうにリーナの隊が視認できた。年季の入った橋を渡れば、もう合流できる距離である。
「よーし、見えた! 合流するぞ! ボロッちぃ橋だが、隊列を細くして渡れば問題は」
なそさそうだ、と。そう言いかけた言葉は、最後まで続かなかった。
渡ろうとしていた橋が、まるで何かを堪え切れなくなったかのように、唐突に轟音を伴って崩落したからだ。
前触れはなかった。攻撃もなかった。故に、警戒ができなかった。
積み木の橋を指先一つで崩したかの如く。崩れ落ちていく橋を前にして、ジークは苦く笑う。
「なぁるほどねぇ。見せびらかしてた『
言葉を、吐き出す。
吐き出す相手が、目の前に立っているからだ。
「ああ。今は勇者じゃなくて盗賊だからな」
ジークたちの前に立ちふさがった勇者は、朗らかな笑顔で言い切った。
ぐるぐると肩を回しつつ「橋の裏に張りついて、魔法かけてるのたいへんだったわぁ」などと。馬鹿げた言葉を吐きながら、世界を救った英雄は一歩、また一歩と前に出る。
人数の不利を気にする様子は、一切ない。問題なく、この場にいる全員を倒すことができるという確信を伴った、圧倒的強者の余裕。
自然に流れた冷や汗を拭いながら、ジークは勇者に問う。
「一応、聞いておきましょうか。先行していたセラの隊はどうしたんです?」
「今頃、みんな良い夢見てると思うよ」
「ははっ……そりゃ随分と悪役じみたセリフだ」
「何度でも言うけど、今は盗賊なんでね。それに、騎士を目指すなら、おれみたいな悪党の策は見破らないと」
幾重にも、剣を抜く鋭い音が響く。
「セラを魔法にハメたことを策だってんなら、とんだお門違いっすね。そこはまだ、オレの読み通りだ」
「それならそれで構わないよ。きみが第一位で、きみが全体を指揮している頭なんだろう? 先行する部隊を仕留めたのに、後続の動きが鈍らなかったし、混乱している様子も見られなかった。良い指揮官がいる証拠だ。だから、一番頭がキレて、一番強いきみから潰す」
一番強い。
勇者が自分に向けたその言葉を、ジークは鼻で笑った。
「……それこそ、望むところですよ」
◆
「ふむふむ、なるほど。ジーク・ラヴェル。現七光騎士、席次第六位。今年は豊作と聞いていたが、今期の学生の中で、座学はトップか。入学時のほぼドベの成績から、よくここまで這いあがってきたなぁ。うむ、感心感心」
「……スターフォード団長。おりていただけますか? 重いです」
騎士団長が直々に指導を担う、伝統の実戦訓練。毎年持ち回りで入れ替わるその年の担当教官は、王国最強の騎士。ステラシルドの武力の頂点、グレアム・スターフォード。
簡潔に言えば、ジークはボコボコにされた。それはもう完膚なきまでに。
歴代最強とも言われる騎士団長に、直々にしごかれ、痛めつけられ、地面に転がされて。地面にカーペットのようにジークはのびていた。その上にグレアムは悠々と鎮座し、生徒情報が記された紙を捲っている。
「きみは、アレだな。手を抜くのが上手いな」
「……それは、どういう意味でしょうか」
いつまでもおっさんの尻に敷かれている趣味はない。
自力でグレアムの下から這い出したジークは、地面の上に胡坐をかいて息を吐いた。
「いやあ、言葉通りの意味だぞ? 剣技が上手い。センスもある。おまけに、頭の回転も早い。やろうと思えば、もっと上にいけるだろう」
「歴代最強の騎士との呼び声高いスターフォード団長に、そこまで高く評価していただいて大変恐縮ですが……」
「あ、呼び声じゃないぞ。実際、事実として俺が歴代最強だ」
「……歴代最強であるスターフォード団長に、こんなにも高く評価していただいて、本当に大変恐縮ですが、オレはこれ以上、上にはいけません」
「なぜだ?」
「決まっているでしょう。魔法を持っていないからです」
端的に、ジークは自分自身に関する事実を述べた。
ジーク・ラヴェルは、魔法を持っていない。そして、多くの魔法使いは幼少期から自分の魔法に目覚める。レオ・リーオナインのように後天的に魔法に目覚めることもあるとは聞くが、それは極めて稀なケースだ。
グレアム・スターフォードも、ジャン・クローズ・キャンピアスも、イト・ユリシーズも、ギルボルト・ヴァノンも。現在の騎士団長は、全員が自分の魔法を持っている。
そして、世界を救った勇者も。大量の魔法を所有していた。
「オレの心には、色がない。才能がないんですよ」
「そうか? 俺の色魔法の発現も遅かったし、べつにそこまで気にすることでもないと思うが」
「失礼ながら、さらにお言葉を返すようですが」
無礼は重々承知の上で、しかしそれ以上グレアムに言葉を重ねられる前に、ジークは語気を強くした。
「オレは、今より上に行くことに意味を感じていません。学生時代に七光騎士になれれば、その後ある程度の成功は約束されます。全体から見れば、オレは今の時点で十分に優秀な部類です」
「可愛げのないことを自分で言うものだな」
「事実ですので」
「では、事実として優秀なきみは、なぜ騎士の道を志した? 何か、理由があったんじゃないか?」
「……昔は、勇者様に憧れていました。何も知らない子どもの頃は、彼のようになりたいと思っていました。ですが、今はちがいます」
英雄に意味はない。
英雄に憧れることにも意味はない。
現実を知り、受け入れることが大人になること。
ジークの言葉を聞いたグレアムは、あごひげをさすりながら、空を見上げた。
「ふーむ。良い。良いぞ。青春してるなぁ、少年」
「は?」
「迷える青少年に、昔話をしてあげよう。何を隠そうこの俺は、きみが憧れた勇者に戦いの基本を叩き込んだ師であるわけだが」
「はい。それは存じ上げています」
「俺は、あいつにも、似た質問をしたことがあってな。なぜ勇者になりたがる? どうして世界を救いたいのか、と。そしたらあのバカ、なんて答えたと思う?」
「わかりません」
「
「それは……」
なかなかに、イカれた答えだ。
復讐のためとか。名誉のためとか。まだ、そういった答えの方が、よほど人間らしくて納得できる。
どう言葉を返したらいいのか。
迷うジークの肩を、グレアムは軽く叩いた。
「ひとつ、良いことを教えよう、少年」
おそらく、誰よりも見上げられることが多い大柄で最強な騎士団長が、ジークと同じように、胡坐をかいたまま言う。
「挑戦にも、憧れにも、理由はいらない」
ジークと同じ目線で、グレアムは真っ直ぐに言葉を紡いでくれた。
「憧れたのなら、手を伸ばせばいい。戦いたければ、挑めばいい。理由があれば人は強くなれるかもしれないが、絶対に必要なものじゃない」
それは、はじめて聞くやさしい否定だった。
国一番の騎士であるはずなのに。どこまでも気安く笑って、グレアムはもう一度、ジークの背中を強く叩いた。
「だから、きみはこれからも励みなさい」
「……仮に、これからオレが一位になれたとして。その先に、何か特別なものはありますか?」
「それはわからんな。多分、きみにその答えを渡してやれるのは、俺じゃない」
立ち上がったグレアムは、迷える少年を見下ろして、告げた。
「楽しみだよ。きみが
◇
強い。
あまりにも、勇者は強い。
ただの拳打の一発で、人が冗談のように吹き飛ぶ。訓練通りの動きで取り囲んでいるはずなのに、その包囲があっさりと崩されていく。こちらの攻撃は当たらず、相手の拳のみが突き刺さり、瞬く間に動ける味方が減っていく。
「包囲を緩めるな! 相手も人間だ! 囲み続けりゃ必ずガタがくる!」
叫びながら、しかしジークは疑問に思う。
本当に、目の前に立つこの男は人間か?
悪魔か魔物と言われた方が、まだ納得できるほどに、疑問が湧き上がってくる。
「『
仕留めきれない理由の一つが、この魔法。
一瞬で勇者の姿がかき消え、入れ替わり、包囲を抜け出して、拳による一方的な蹂躙を続けていく。
「ジーク!」
「……視線の先だ! 相手の視線の先を読め! あの魔法は、瞬間移動か転移の類いだ! ヤツの移動する方向を先読みしろ!」
「えぇ……? マジか。魔法の分析も早いな、おい」
腹に一発を入れて、のびている生徒の胸倉を掴みながら、勇者の視線がジークを射抜く。
「うーん。やっぱ、きみからぶっ倒さなきゃだめだな……
それまで多用していた、自分自身の瞬間転移、ではなく。
勇者が掴んでいた一人と視線の先にいたジークの体が、入れ替わる。
「っ!? んな使い方までっ……?」
「はい。いらっしゃい」
拳が唸る。
それは掠めただけで、ジークの頬を切った。
下からの、蹴り上げが入る。的確に顎という人体の急所を狙い澄ました一撃を、仰け反って避ける。だが、蹴りを放っていない、片足一本。一瞬で沈んだ勇者の体が飛び上がり、空中で捻りを加えながら、追撃の飛び蹴りを放つ。受けた剣が、真ん中からへし折れた。
「ぐっ……!?」
「反応も良い」
端的に、防戦一方の有様を、そう評される。
ただの拳。ただの蹴り。何気なく繰り出されるそれらすべての格闘が、必殺の一撃。
「ははっ!」
後退し、予備の剣を抜き放ちながら、ジークは笑った。
笑っている状況ではない。
笑っていられる場合でもない。
何か一手でも間違えれば、何か一手でも遅れれば。
ただそれだけで、自分は詰み。
だというのに、深まる笑みが止まらないことをジークは自覚する。
緊張に満ちた全身の内側からこみ上げる、この興奮の正体は──
「動けるヤツは聞け! 作戦変更! プランCだ! 全員、オレを捨てて散れっ!」
──歓喜だ。
ジークの指示に従い、生き残っていた数人が、一目散に森の中へ散っていく。
一瞬、毒気を抜かれたかのように、勇者は啞然として。それから、おもむろに腕を組んだ。
「ふむ。これは、どういうことかな。第一位くん」
「見ての通りですよ。勇者サマ」
世界を救った勇者と、正面から相対しながら。
風を伴って、軽装の鎧の上から羽織っているそれが……ジークの
「
学生騎士の頂点である七人に与えられる、象徴。
かつての勇者やイト・ユリシーズも身に纏っていた、シンボル。
歴代の騎士たちに連綿と受け継がれてきたそれは、ただの飾りの布地ではなく……誇りをかけた一騎打ちを行うための、特別な術式が編み込まれている。
「……懐かしいな」
ジークの足元を中心に広がっていく決闘魔導陣を見下ろして、勇者は小さく呟いた。そうして、頭の後ろをかきながら、口の中で何かを転がすように、悩んで唸る。
「んー、まあ、悪くない判断ではある。おれがきみに狙いを絞ったことを察して、仲間を逃がした。一つ目の敗北条件である全滅を避けるために、自分自身を犠牲にして、時間稼ぎを行う。その意図は、わかる」
ただし、と。
言葉を繋げて、勇者は足元に広がる魔導陣を、爪先で小突いた。
「これを使う理由は、ちょっとわからないな」
決闘魔導陣は、最上級悪魔への使用を除いて、互いの同意がなければ起動しない。
片方が決闘を拒めば、一騎打ちは不成立。術式は、意味をなさない。
勇者の疑問に、ジークは簡潔に答えた。
「理由は、ある」
「ほう」
「オレが、あんたと、戦ってみたいからだ」
ジークは、努力を重ねてきた。三年という月日の中で、七光騎士の第一位まで登り詰めた。
こうして、勇者と実際に対峙してみて、あの日のグレアムが語った言葉の意味をジークはようやく理解できた。
勇者は、強い。
どうしようもなく、強い。
たしかに、彼の魔法のほとんどは、今はもう失われてしまった。これだけの力を奮ってなお、魔王を倒した全盛期の力には、遠く及ばないのだろう。
それでも、黒輝の勇者に挑みたい。この感情に、噓偽りは一切ない。
憧れた輝きに、自分が持てる全身全霊を、ぶつけたい。
「今一度、問う! 勇者よ! 我が挑戦を、受けるか!?」
今の勇者は、勇者ではない。
ただの盗賊だ。少年の挑戦を、馬鹿正直に受ける道理はない。
しかし、ジークを見据える勇者は、今日一番の笑顔で、口の端を釣り上げた。
「仕方ないなぁ」
対峙する相手の同意を読み取り、魔導陣の輝きが増す。外界から遮断され、二人だけの空間が成立する。
これより先は、手出し無用の真剣勝負。正真正銘の、一騎打ち。
作戦はない。
勝てる見込みもない。
実力の差は、歴然。敵うわけがない。勝てるはずもない。
挑戦を避ける理由は、いくらでも並べ立てることができる。
けれどそれは、今、目の前に立つ憧れに、手を伸ばさない理由にはならない。
剣を抜き放ち、ジーク・ラヴェルは最上の敬意を以て、勇者に一礼をした。
「よろしくお願いします」
「盗賊によろしくって言うなよ。第一位」
こんかいのとうじょうじんぶつ
ジーク・ラヴェル
悩めるツンデレ熱血少年。勇者に憧れていたことは周りに隠している。が、リーナやセラなど近しい人物にはなんとなくバレている。魔法を持っていないようだが……?
グレアム・スターフォード
世話焼きおせっかいおじさん。迷える少年を導いて後方保護者ヅラをするのが趣味。育成実績はイカれ絶対切断女イト・ユリシーズ、豚メガネのギルボルト・ヴァノン、からりとした湿度のアリア・リナージュ・アイアラス、全裸の勇者など。頼むからジークくんには真っすぐ健やかに育ってほしい。
勇者くん
うっひょー!物分かりが良さそうな皮肉イケメンが意外と熱血だった!!オラ、ワクワクすっぞ!!決闘受けちゃお!
橋の下でずっとスタンバっていたカスの盗賊役。生徒たち相手にガンガン格闘戦を仕掛けつつ、対多人数戦における自分の立ち回りを再確認したりしている。魔法の運用を磨くことに余念がない。
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