好きなものは、頬を撫でるやわらかい風。
リーナ・ハーコートは、風車がある村で育った、普通の女の子だった。
家族は父と母と祖母が一人。お父さんもお母さんもおばあちゃんも、近所のおじさんも。みんながやさしくて、毎日が楽しくて、将来の夢はお嫁さん。
リーナは、そんな普通の女の子だった。
「リーナはさぁ! 知ってるか!? くろがねの勇者の話!」
「ゆーしゃ?」
「そう! すっげえ硬い体で、剣をはじいて空を飛ぶ英雄なんだってさ!」
「えー? 普通のひとは、お空は飛べないよ?」
「勇者は飛べるんだよ! だって魔法使いなんだから!」
だから、近所の男の子が目を輝かせて語るお話も、話半分に聞いていた。
世界には、魔王と呼ばれる悪いヤツがいて、そんな悪い人と戦う、かっこいい正義の味方がいる。リーナにとっては、それくらいの認識だった。
けれど、それくらいの認識でよかった日常が壊れたのは、突然のことだった。
ある日、村が魔物に襲われた。
騎士団の到着は間に合わず、小さな村のすべてが蹂躙され、一方的に奪われた。
リーナの魔法が目覚めたのは、自分を庇って抱きしめてくれた母親の口元から、血がこぼれ落ちたとき。自分の中から湧き上がってきたそれが『有毒の魔法』であることを、リーナは正しく認識できなかった。
正しく使えば、みんなを守れる、と。そう思った。お話で聞いた勇者のように、自分の魔法がみんなを救える、と。そう確信した。
けれど、リーナの魔法は敵を殺すことはできても、村のみんなを守ることができる力ではなかった。
何もかも、偶然だった。
魔物たちが、リーナの村を襲ったのも。
リーナの家が、村の外れにあったのも。
その日が、少し風の強い日だったのも。
本当に、その日の悲劇は、すべてが偶然だった。
リーナは強く願った。そして、リーナの魔法は……『
藍色の魔法によって汚染された毒の風は、風に乗って瞬く間に広がった。
魔物を殺すために、みんなを守るために。そう念じて、リーナの心が強く欲した力は、あらゆる命を差別せず、苦しめて、殺し尽くした。
「……」
自分を抱きしめてくれていた母親の身体は、醜く変色していた。
父親は魔物に食われかけたまま、息絶えていた。祖母は手を合わせたまま、目を閉じていた。
近所の男の子には、喉をかきむしって苦しんだ跡があった。
すべて、リーナの魔法がやったことだった。
涙は出なかった。
本当に悲しくて、訳が分からなくて、現実を見たくないとき。人は涙が出なくなるのだ、とリーナははじめて知った。
「すごい魔法ね」
すべてが死に絶え、骨になるのを待つばかりの、死の光景の中で。
その少女だけが、まるで散歩をするかのように、ゆったりと歩いていた。
「へえ。なるほど。藍色なのね。深くて、きれい。うん……とってもいい色魔法だわ」
陽の光を浴びて、透き通るような白髪が、鮮やかに揺れる。
本当に、この世のものではないのかと感じるほどに、きれいな人だった。
「……あなた、だれ?」
「わたしは魔王と呼ばれているものよ」
殺戮の原因であるリーナに構わず、魔王と名乗った少女はリーナの頭に触れて、やさしく撫でた。
「あなたたちの村が魔物に襲われたのは、わたしのせい」
まるで、何かに期待するように。
少女は、リーナに向けて告げた。
「わたしは、いつでも待っているから。殺したければ、殺しに来なさい」
それから、数日後。
騎士団が、村にやってきた。
「ふ、副団長! 危険では……」
「うるさいぞ。お前たちは黙っていろ」
全身を鎧に包んだ騎士は、リーナに問いかけた。
「到着が遅れて、すまなかった。私の名は、キャンピアス。お嬢さん……これはきみがやったのか?」
「……はい」
リーナは答えた。
「私が、みんなを殺しました」
がちゃり、と。
無骨な音をたてて、騎士が跪いた。頭兜の中の瞳と、目線が合う。大柄なその鎧騎士は、わざわざ幼いリーナと視線を合わせるために、そうしたようだった。
「ちがう。きみが魔法で殺さなくても、村人たちは全員喰い殺されていた」
「……」
「きみは、魔法で自分の身を守った。それは、幼いきみが生きるためにできる最大限の努力であったと、私は考える」
「……」
「すまない。きみの心を癒す言葉を紡げるほど、私は口が上手くない。私は、きみに対して、私が感じたままの言葉を、述べることしかできない」
リーナの頭を軽く撫でて、鎧騎士は周辺の魔物を掃討するために去っていった。
彼の言葉は、たしかに正しかった。
リーナの魔法は、リーナを守った。
自分しか、守れなかった。自分自身しか、守ってくれなかった。
そんな、独り善がりな力だった。
それから、数年後。黒輝の勇者が、あの魔王を倒したことを、リーナは知った。
彼は、数多の魔法使いを倒し、殺し、奪った魔法の数々を束ねて、魔王を打ち破ったのだという。
リーナは思った。
──ああ。私も彼に、殺されていればよかった
こんな魔法では、人を守れない。人を救えない。
だから、私の魔法も彼に奪われて、彼の一部になっていればよかった。彼の色に、染めあげてほしかった。
リーナ・ハーコートの人生の目標は、こうして定まった。
いつか。勇者に会いたい。彼と、言葉を交わしてみたい。彼と、刃を交えてみたい。
世界を救った彼なら、私のことも救ってくれる。
きっと、私を殺してくれるはずだ。
◆
「そう思っていたのに……残念です。もう、動けないなんて」
地面に倒れたまま動かなくなった勇者を見下ろして、リーナは息を吐く。
リーナ・ハーコートの魔法『
毒物の強度や種類は、リーナ自身の知識の範囲内で調整が可能である。吸い込めば即死するような猛毒の散布すら可能だが、その場合は魔法効果を気取られるリスクも負わなければならない。そのため、リーナは無色透明に近い麻痺毒、神経毒を主体とした毒の掛け合わせを行い、段階的に毒の強度を増す方向性で勇者を毒に侵した。
「私はあなたに殺されなきゃいけなかったのに。私の藍色を、あなたの黒の一部にしてほしかったのに。なのに……あなたは立ち上がってくれないんですね」
胸中から湧き上がってくるのは、落胆だった。
自分の憧れが、理想が、救いが、この程度だったという現実に対する、深い失望。
その失意を断ち切るために、リーナは大鎌を振り上げる。
「残念です。本当の本当に、残念です」
躊躇なく振り下ろしたそれは、しかし勇者の命を刈り取るには、至らなかった。
刃が、止まる。
血が、点々と滴り落ちる。
立ち上がった勇者が、リーナの大鎌をすんでのところで受け止めていた。
「え」
リーナ・ハーコートは知っている。
勇者は、不死身である。
一般的に、世界を救った英雄に対してそんな認知が進むようになったのは、彼が魔王軍四天王であった死霊術師……リリアミラ・ギルデンスターンを、仲間にしてからのこと。彼女の紫の魔法によって、勇者は不死身の肉体を得た。それは、間違いなく事実である。
しかし、一つ。誤解がある。
勇者は、不死だから強いのではない。
負けないから、強いのではない。
負けても立ち上がるから、最強に至ったのだ、と。
──不死を操る死霊術師を仲間にする前から、彼はどれだけズタボロにされても当たり前のように立ち上がる、鉄の心を秘めていた。
「……わぁ」
控えめに言っても、リーナは昂った。
物語の中の憧れが、自分の目の前で、歯を食い縛って立ち上がっている。
これほどの興奮が、あるだろうか?
「すごい……すごいすごいすごい! お話で読んだ通り! 勇者様は、本当に勇者様なんですね!」
「ははっ……」
もちろん、勇者はただの気合いで立ち上がったわけではない。
自身に対して維持の魔法……『
「盛り上がってるところ悪いけど、先生役としてこれだけは言わせてもらうよ」
三分あれば、学生にお灸を据えるには十分だ。
「女の子がむやみやたらに肌を晒すのは、よくない」
◆
好きなものは、お母さんのつくってくれるシチュー。
その少年は、辺境の村で育った普通の男の子だった。ものごころがついたときから、父親はいない。家族と呼べる存在は、一人だけ。だから、普通の家庭というのは少し語弊があるかもしれない。少年は、ほんの少しだけ、周りとはちがう家庭で育った。
まあ、たしかに。自分の育った家は変わっているのだろうな、と少年は思う。
「……ねぇ、シエラ。それ、どうしたの?」
「よくぞ聞いてくれた、少年! これはご近所の畑を荒らしてたイノシシだ! なんと、このわたしがグーパン一発で倒してきた! すごいだろ!?」
普通の家のお母さんは、パンチ一発で暴れイノシシを仕留めたりしない。
「それ、どうするの……?」
「もちろん食べる! 今日はご馳走にしてやるからな〜! いっぱい食べろよ〜!」
「無理だよ、シエラ。絶対食べきれないよ……」
普通の家の子どもは、母親のことを名前で呼んだりはしないらしい。
「なら、村のみんなにお裾分けだ! いくぞ!」
「えぇ……」
普通ではなくても、シエラ・ガーグレイヴは、少年の育ての親だった。
彼女は、破天荒で、強くて、やさしい、親代わりのお母さん。
少年は、そんな彼女に育てられて、少しずつわんぱくな男の子になっていった。
彼の名は『 』という。
後に、世界を救う勇者になる少年である。
コミカライズ最新話更新きております。
ボーイミーツガールなんてなかったよって言われた勇者くんがキレながらジェミニとバトったり、死霊術師さんが裏切り者バレする回です。
https://to-corona-ex.com/episodes/198372288137863
よろしくお願いします