世界救い終わったけど、記憶喪失の女の子ひろった   作:龍流

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黒輝の真実

 少年は、あまり笑わない子どもだった。

 対して、シエラ・ガーグレイヴは、とてもよく笑う女性だった。

 いつもこちらを見て、何が楽しいのかニコニコとしている。相手の小さなリアクションをひろって、くすくすと小気味よく笑う。こちらが何も言わなくても、自分から笑顔で話しかけてくる。

 疑問に思って、聞いてみたことがある。

 

「シエラはさ。なんでそんなにいつも笑顔でいられるの?」

 

 聞いてみると、彼女はやはり笑顔で答えた。

 

「どうせ年をとるなら陽気な笑いで皺をつけたいでしょ」

「でもシエラ、べつに皺ないじゃん」

「おお! そうな! わたしってば、美人だからな! でも、どんな美人でもいつかはしわしわのおばあちゃんになるわけさ。人間って生き物は、どう足掻いても歳くっていつかは死んじゃうでしょ。だから、わたしはなるべく笑顔でいたいの」

 

 それにね、と。

 シエラは不意に少年の体を抱き上げて、額をぴたりとくっつけた。

 

「きみがすくすくと育ってくれて、わたしはうれしい。きみがウチに来てから、わたしは毎日がとっても楽しい。どうしてわたしが笑顔でいられるのか、というのなら……わたしがいつも笑顔でいられるのは、きみがいてくれるからだよ」

「……ごめん」

「んー? なんで謝る?」

「おれは、シエラみたいに明るくないし、うまく笑えない」

「……はっはぁん!? そんなこと気にしてたのかぁ!? かわいいヤツめ!」

「シエラ。頬ぐりぐりするのやめて」

 

 いつも笑顔なのもそうだったが、シエラは感情の表現の所作も大きい人だった。

 

「よく聞きたまえよ、少年。わたしは、きみの本当のお母さんじゃない。きみの本当の家族はもういないし、きみの生まれと境遇は、同年代の他の子どもたちよりも、ほんのちょっとだけ不幸なものだったかもしれない」

 

 そして、相手の目を真っ直ぐに見て、話す人だった。

 

「でも、関係ないよ。わたしがいるから。今、うまく笑えないなら、わたしと一緒にこれからたくさん笑えるようになればいい。わたしと一緒に、これからたくさんのことを楽しめばいい。人生は長いぞぉ、少年。何があるかわからないし、何を選ぶかも自由だ。きみは、何がやりたい?」

「……自分が何をしたいのかなんて、わからないよ」

「うんうん。そりゃそうだ! じゃあ、明日はとりあえず釣りだな! 釣りに行こう!」

 

 『  』は、生まれてはじめて釣りに行った。

 『  』は、生まれてはじめて市場に買い物に行った。

 『  』は、生まれてはじめてレストランに行った。

 『  』は、生まれてはじめて狩りに行った。

 『  』は、生まれてはじめて魔術を見た。

 『  』は、生まれてはじめて手を繋いで道を歩いた。

 シエラ・ガーグレイヴは、からっぽだった少年に、たくさんの『はじめて』をくれた。

 何か楽しむこと。何かに興味を持つこと。何かに挑戦すること。

 それらが心躍るものであることを、少年は知った。

 人の思い出の中で、はじめての経験は、なによりも色濃く心に刻まれるもの。新しい体験と挑戦は、かわいた心に彩りと潤いをあたえてくれるもの。シエラと一緒に毎日を過ごす中で、少年の心には、少しずつ楽しみが増えていった。

 笑おう、と意識して、人間は笑う生き物ではない。

 笑顔とは、笑いたいときに、自然に浮かぶものなのだと。

 シエラと一緒に暮らすようになって、一年と少し。少年は、普通に笑うことができる、どこにでもいる普通の男の子になっていった。

 

「シエラ」

「んー? どうした? シチューのおかわりならまだあるぞ」

「シエラのこと、お母さんって呼んでもいい?」

 

 いつもと変わらない、二人きりの夕食のとき。そう聞いた。

 それは少年にとって、十と少しの人生の中で、最も勇気を振り絞った問いかけだった。

 鍋のお玉が、床に落ちる音が響いた。使い古したエプロンをつけた背中が、ゆっくりと振り返った。

 

「……いいの?」

「え」

「わたしが、お母さんで、本当にいいの?」

 

 こちらを見る瞳は、いつも通りまっすぐで。

 なのに、自信満々が常であるはずなの瞳には、たしかな不安の揺らぎがあって。

 そんな彼女の不安を、はっきりと断ち切ってあげたいと、少年は思った。

 

「うん。おれのお母さんは、シエラだ。シエラが、お母さんがいい」

 

 答えた瞬間に、抱きつかれた。

 抱きしめてくれるその力の強さが、心地よかった。

 自分はこの家にいていいのだ、と。言葉よりも先にそう証明してくれているようで、とてもあたたかった。

 

「ありがとう。わたしも、きみのお母さんになれて、とってもうれしい」

 

 いつも笑っているシエラが泣いているところを見たのは、この日がはじめてだった。

 少年が、女の人を泣かせてしまったのも、この日がはじめてだった。

 

 

 

 ◆

 

 

 そうして、さらに数年後。

 

「あのさぁ、母さん。おれ、気づいたんだよ」

「何にだい。息子よ」

「母さんの釣りって、絶対普通の釣りじゃねえよ」

 

 少年は、十二歳になって、やれることが増えた。

 同時に、シエラが教えてくれることも増えた。

 

「いやでも、これが一番はやいんだよ。よく見てな? まず、魔力を回して強化した拳で、水面を殴ります」

 

 川で洗濯をするよ、みたいな口調で、シエラは水面を殴った。

 凄まじい轟音を伴って水飛沫が飛び散り、水流が直上に塊となって舞い上がった。

 

「次に、これをわたしの魔法で硬くします」

 

 指先一つ。触れただけで、重力に引きずられて落ちるはずの水流が、唐突に凍りついたかのように。空中で、ぴたりと止まった。

 

「で、適当な魚を物色します。右上のアレとかがおおぶりで脂ものってそうだな、息子よ」

「はいはい」

 

 母の適当な指示に適当に返事をして、少年は飛び上がった。

 同時に、硬く固められた水流の一部がほどけて、魚が水の中から躍り出る。それを網でキャッチすると、シエラは満足気に頷いた。

 

「最後に、魔法を解除します」

 

 再び凄まじい轟音が響き、水飛沫がまき散らされる。

 少年はきちんと岩陰に避難したが、シエラは仁王立ちでシャワー代わりと言わんばかりに、水を浴びて大笑いしていた。当然、ずぶ濡れである。

 

「わっはっは! 息子よ! タオル!」

「へいへい」

 

 いい年して、何をやっているのだろうか、この母親は。

 大きくなるにつれて、少年は気づいた。シエラ・ガーグレイヴは、もちろん良い母親だ。少年にとって、大好きなお母さんだ。

 しかし、それと同時に、少しずつ母以外の人々との交流の中で、一般的な価値観を養っていくにつれて、少年は一つの真実に気がついた。

 うちのおかん、かなり変わってて破天荒だ……と、いうことに。

 

「普通じゃない。これは絶対、普通の魚釣りじゃない」

「えー? でもこれが、一番派手で楽しいし」

「派手すぎるんだよ!」

「はぁ、お母さん、悲しいよ。昔は、わたしがこれをやる度に大喜びして、目をキラキラさせてくれたのに。息子の成長は嬉しくも寂しいもの、とは言うけど、こういうことなんだねぇ」

「いいからさっさと身体拭きなよ。風邪ひくぞ」

 

 母に対して、呆れを多分に含んだ目を向けつつ、しかし少年は呟いた。

 

「でも、母さんの魔法は、本当にすごいと思う」

 

 十二歳になると、シエラは少年に初歩的な魔術の知識や身体強化などの魔力の基本的な運用を教えてくれるようになった。そして、魔法に関することも。

 シエラ・ガーグレイヴは、少年にとってやさしい母親であると同時に、尊敬すべき魔法使いだった。

 

百錬清鋼(スティクラーロ)なぁ……まあ、そりゃ便利ではある。わたしは自分の魔法、あんまり好きじゃないけど」

「え? なんで」

「触れたものを硬くするって、なんかかわいくないでしょ。どうせなら、もっとかわいい魔法がよかった」

「えぇ……?」

「とはいえ、この魔法のおかげで、わたしのようなか弱い乙女も剣や槍で武装した盗賊と戦えるわけだからな。そこに関しては、強き自分の心に感謝しているよ」

「でも母さん、魔法で硬くなるまでもなく、腹筋割れてるじゃん。か弱くないよ」

「腹筋が割れてても乙女は乙女なんだよ」

「でも母さん、乙女じゃなくてお母さんじゃん」

「うむ。母は強い。だからわたしも強い」

「……」

 

 少年は口答えするのをやめた。

 舌戦では、逆立ちしても母親には勝てないからだ。

 

「魔法って、他にもいろいろ種類があるんだよな?」

「うむ。魔法使いの絶対数が少ない上に、効果もまちまちだから、魔術みたいに体系的に教えることはできないけど」

「母さんが知ってる中で、強い魔法とかってある?」

「良い質問だなぁ、息子よ。うーん、そうだな。母さんが知ってる魔法使いさんに、触れたものを『操作』できる人はいたな。その人はやっぱり強かったよ。色魔法だったし」

「あ、それそれ! それ聞きたかった! 普通の魔法と色魔法って、何が違うの?」

「おお、ますます良い質問だなぁ! 我が息子よ」

 

 濡れた長い黒髪を叩いて乾かしながら、シエラは笑う。

 

「わたしの百錬清鋼(スティクラーロ)みたいな普通の魔法と、色魔法に、大きな違いはない。触れたら発動するっていう条件も一緒。ただ、一つだけ。色魔法にはこんな逸話がある」

「逸話?」

 

 脱ぎ捨てた服を豪快に炎熱魔術で乾かしながら、魔法使いは笑みを深くした。

 

 

 

「曰く──色魔法の所有者には、王の資質がある」

 

 

 

「……王の、資質」

「そう。要するに、色魔法の使い手には、人々を率いる王様になる資格があるってことだ」

「よくわからないな。王様って、えらい人の血筋がなるもんだろ? 魔法は親から受け継ぐものじゃないし、それがどうして王様になれる可能性がある、ってなるわけ?」

「そうでもないよ。たとえば、死んじゃった人を生き返らせる魔法があったら、不死身の軍隊を持った帝国が完成するでしょ? 触れたものを増やせる魔法があったら、無限の資源を持つ大国ができあがるね。不老不死になれる魔法があったら、誰も老いることのない、永遠の夢の国が生まれるかもしれない」

 

 そう言われてみると、たしかに。おそろしい想像だった。

 

「やっぱり、魔法ってとんでもないんだな……」

「うん。まあ、わたしが思う最強の魔法は、また別にあるけど」

「最強の魔法!? そんなものあるの!?」

「お、くいついてきたなー。この男の子め」

 

 うりうり、と。シエラは、かなり背丈が自分に追いついてきた少年の頭を、強く撫でた。

 

 

 

「黒の色魔法『黒己伏霊(ジン・メラン)』。魔法効果は『簒奪(さんだつ)』」

 

 

 

 陽の光が気持ちの良い、やさしくておだやかな午後。

 

「すべての魔法から、王の資格を奪って、唯一無二へと至る……この世でたった一つだけ、世界を滅ぼす魔王になれる可能性がある魔法だ」

 

 それが、自分の魔法(こころ)の名であることを、少年はまだ知らなかった。

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