魔法戦の鉄則。
味方が魔法に侵された場合、その所有者を潰す。
「聖職者さん。あの女、全力で狙って」
「おっけ〜」
筋骨隆々に、巨大に膨れ上がった聖職者さんの腕が襲い掛かる。
ゆったりと突っ立ったままこちらを見るヴァルゴ・ノインを庇うように前に出たのは、もう一人の悪魔だった。
「大味だな……『
リブラ・ツェーンと名乗ったその悪魔に聖職者さんの拳が触れた瞬間。真っ二つに裂かれた腕から、鮮血が迸った。
切り裂かれたように、見えた。
効果だけを切り取って分析するなら、まるで先輩の『
「あら。ありがとう、リブラ」
「当然だ。お前に死なれると困る。俺がな」
裂かれた腕を元に戻して引っ込めつつ、聖職者さんが唸る。
「いった〜い。ゆうくん、アイツもなんか持ってるよ〜」
「そりゃまあ、魔法は持ってるでしょ。最上級だし。触られた感じ、どうだった?」
「ん〜? 切られた?」
「そりゃ見ればわかりますよ」
聖職者さんの『
とはいえ、あのヴァルゴの『
「女の方は知らないけど、男の方はそこそこ動けそうな気がする〜」
「同感。とりあえず、おれが前に出るから聖職者さんは遠距離メインで組み立てる感じでお願い」
「はいは〜い」
最上級の魔法を暴きつつ、対策を講じて、攻略の糸口を見出す。
ここまでは、いつもやってることだ。それはいい。
しかし、おれたちに立ちはだかる障害は、もう一つ。
「聖職者さん。わかってると思うけど、一番警戒するべきは……」
「あ、ゆうくん。くるよ!」
先輩が地面に手を振り下ろしただけで、舗装された石畳が真っ二つに断絶される。
おれと聖職者さんは、左右に飛び退き、それを避ける。避けられない攻撃ではない。が、ためも制限もなしに軽く振るわれていい攻撃でもない。
「あは〜。やばいね。手刀でこれかぃ」
「手刀でこれだよ。接近は最大限に警戒して」
「がんばる〜」
先輩が前に出たのとは、対照的に。
攻撃は洗脳している先輩に任せるつもりなのか。二匹の悪魔どもは自分たちに降りかかってくる攻撃を捌くだけで、積極的に前に出てこようとはしない。
「え。ちょっとまって? 剣も使わずに地面が真っ二つになったわよ? こわすぎない!?」
「驚嘆だな。普通に戦えば俺もお前も真っ二つだったろう。うまく誘惑できてなによりだ」
悪魔どもは、好き勝手に先輩の『
おそろしいのは、あれでまだ本領発揮というわけではないことだ。見たところ、先輩はまだ眼帯を引き上げていない。加えて、いつもの
しかし、手刀を一発くらったらそれで終わりという事実は変わりない。こちらとしては接近しなければはじまらないのに、先輩の魔法の攻撃性能が高すぎて、あまりにも近づきたくない。前に軽く戦ったときも思ったが、つくづく強力な魔法だ。
以前は
「ちっ……こんなことなら死霊術師さんも連れてくるんだったな」
「……ねえ、ゆうくん。あの女の話やめて? 」
「あ、はい。すいません。ごめん。いや、まじですいません」
聖職者さんの声と視線が本当に尋常でなく冷たくなったので、発言を引っ込める。こわい。このおねーさんを怒らせてはいけない。本当に。
頭巾を脱ぎ捨てて、長い髪を振りほどきながら。聖職者さんは、言葉を続ける。
「まったくもう……こんなに頼れるおねーさんがいるのに、他の女のことを考えないでほしいな」
言いながら、裂けた路面に巨大な拳が叩きつけられた。
破片と粉塵が、派手に撒き散らされる。市街地で行える、ぎりぎりの範囲の破壊。同時に、先輩の視界と行動を縛る攻撃。何も伝えずとも、それは聖職者さんがおれの意図を汲んでくれた一撃だった。
即座に駆け出し、接近。こちらに向けて手刀を振るう先輩の表情は、熱に浮かされたように、どこか虚ろなものだ。
「コール。ベリオット・シセロ」
やはり、普段の先輩よりも、攻撃と判断は鈍い。
「『
先輩の手首を掴み、魔法を発動。幻惑の魔法効果を作用させる。
できれば、これで眠ってくれれば御の字なんだが……
「……なにすんの? やめてよ。後輩」
やはり
先輩にかけた『幻惑』の魔法効果が、蒼の魔法によって『断絶』される。
あのダンジョンの地下で、一緒に戦ったときと同じだ。やはり先輩に『
先輩の『
でも、それならどうして……なぜ、先輩はヴァルゴの魔法を切り捨てて無効化できない?
「先輩! 正気に戻ってください! 先輩の『
「ねえ、後輩」
こちらの言葉を断ち切って。
片方だけの瞳が、縋るようにおれを見た。
「後輩は、どうしたらワタシのものになってくれるの?」
◆
はじめてのキスをあげた。
──ごめん。したくなっちゃったから、しちゃった
一緒に死んであげてもいいよ、と。そう伝えた。
あなたには死んでほしくない、と。そう返された。
──ねえ、勇者くん。ワタシと結婚しようよ
告白を重ねた。
思いを伝えた。
すべて、本心だ。
──わたしが絶対、キミを幸せにしてあげる
自信だって、ある。
彼を幸せにする、自信が。
けれども、不安もある。
こんなにも、好いているのに。
彼に、好かれていなかったらどうしよう?
彼が、自分を選んでくれなかったら、どうしよう?
こわい。
おそろしい。
考えたくない。
強引になんて、だめなのに。
──強引だと、どうしてダメなの?
だって、彼の気持ちを尊重しないと。
──こんなに愛しているのに?
そう。こんなにも、愛しているからこそ。
──わからせてあげれば?
わからせる?
──そう。理解させてあげるの
言葉にできないほど、大好きであること。
気持ちにできないほど、愛していること。
わからないのなら、理解させてあげればいい。
──その快感に溺れるのは、人として正しい在り方だから
そうか。
そうなのかもしれない。
そうだ。
そうに決まっている。
足を切ったら、彼は側にいてくれる。
腕を切ったら、ワタシなしにはいられないだろう。
胸を裂こう。
心に触れよう。
鷲掴みにして、思うがままに貪ろう。
ありのままに、愛を求めよう。
正しくない?
いいや、正しいに決まっている。
誰かを愛することが、正しくないわけがない。
◆
「っ……ぐぅううう、ああああ!」
「先輩!」
「切れないわよ」
おれに向けて言葉を返したのは、先輩ではなく、おれの背後にいつの間にか回っていたヴァルゴだった。
「乙女の恋心が、そんなに簡単に断ち切れるわけないでしょう?」
「お前……!」
「きゃー。勇者さまのめぢから、つっよーい。そんな睨まれたらこわいわ。ていうか、アタシのせいにしないでほしいのよね。彼女の好意から逃げ続けてきたのは、あなたなんだから」
わざとらしく自分の身体を抱きながら、悪魔は言葉を紡ぐのをやめない。
攻撃の素振りはない。ただ、語るだけだ。
声音は軽く、うすっぺらい。なのに、聞き入ってしまう。
耳を傾ける必要はないはずなのに、ヴァルゴの声には自然と引き寄せられるような色香があった。
「自分の気持ちに応えてもらえないって、とってもしんどいことよ? 相手のことを想う熱が報われないのって、すごく残酷なことだもの」
「それは……」
「うんうん。わかる。わかるわよー。あなた、たっくさんの女性に愛されているものね。さっすが、世界を救った勇者さま! 好かれるのも当然よね。英雄、色を好む! 人に好いてもらえるのも、当然のことよねぇ? でも、その無償の好意にいつまでも甘えた結果が、そこの騎士団長ちゃんが抱えている葛藤なんじゃあないの?」
おれが、先輩の気持ちに、答えを出せなかったから。
おれが、先輩の好意に甘えてしまっていたから。
だから、先輩の心を、必要以上に、苦しめてしまっていた?
悪魔の青い瞳が、おれをじっと見据える。
まるで、こちらの心の底を見透かすかのように。
「あなたが、恋に対して一歩退くのはどうしてかしら? 呪いのせい? 好きな人の名前を、呼べなくなってしまったから? 好意を寄せていた相手を、世界を救うというお題目で、殺してしまったから? でもまぁ、心は単純な一色じゃないから。特に複雑な経歴をお持ちのあなたに関しては、いろいろと理由はあるかもしれないけれど」
その口元が、三日月に吊り上がる。
けたけた、と。
細い指先を口元に添えて、悪魔はなおも笑う。
「わかるわよ。アタシは、わかってあげる。あなた、人に愛される自信がないんでしょう? 人を愛してあげる自信がないんでしょう? 何か、いやな思い出でもあるのかしら? たとえば、そうねぇ……ああ! 一番愛してほしかったひとに、愛してもらえなかった、とか?」
心の輪郭を、無遠慮に指でなぞられている。
なのに、否定ができない。
それは、おれにとって事実だから。
気にしないようにしていた。
見ないようにしてきた。
向き合う必要がないと思っていた。
でも、おれの心の最も深いところにあるものは、
一番に、愛してあげられなくて、ごめんね
母さんの言葉が、おれの中にはずっとあって。
だから、
「アタシが彼女を誘惑した? ちがうわ。アタシはきっかけをつくっただけ。誰が悪いかといえば、意気地のないあなたが悪いのよ。勇者のくせに、人の気持ちに向き合う勇気がない。愛を受け入れる勇気のない、あなたが悪いの。アタシが言いたいこと、わかるかしら?」
おれが悪い。
だから? だったら……
「──人を愛する勇気のないあなたに、愛される価値なんてないのよ」
「あは〜。ごちゃごちゃとうるせえ」
「ぐええええぇえええ!?」
あまりにも、唐突に。
割って入った竜の尾が、ヴァルゴを撥ねて、吹き飛ばした。
「……聖職者さん」
「へいへ〜い。ゆうくんったら、なにを馬鹿真面目に悪魔なんかの説教聞いちゃってるのかな? どんな人の話にも耳を傾けるのはゆうくんいいところだけど、馬鹿正直に受け止めすぎちゃうのはよくないねえ」
スカートの裾を上品な所作で戻しながら、聖職者さんはいつもと変わらない笑顔でそう言った。
突然の乱入攻撃によって壁面に叩きつけられたヴァルゴが、呻きながら唇を噛んで、こちらを睨んでくる。
「ぐっ、ぬぅ⋯……ちょっとリブラぁ!? あんた、あのなんちゃって聖職者、ちゃんと抑えておきなさいよ! もうちょっとで勇者ちゃんの心を塗り潰せそうだったのに!」
「誤算だった。予想はしていたが、予想を超える予想以上だ。あの女、すごく強い」
「情けない報告を真顔でしてこないでくれる!? まったくもう……⋯」
二体の悪魔からおれを庇うように。前に出た聖職者さんは、すでに背中から翼を広げていた。
振り向いた表情が、いたずらっぽく微笑む。
「よいしょぉ!」
「うおっ!?」
「ちゃんと腕、腰に回してつかまってね〜」
真正面から、正々堂々と抱きかかえられて、視界が一気に引き上げられる。
空中へ。
翼が力強く羽ばたき、跳んで、飛ぶ。
「ちょ、聖職者さん!?」
「にげるみたいで癪だけど、ゆうくんのメンタル回復のために一旦離脱ね〜」
「いや、べつにおれは⋯……」
「やかましい〜。図星突かれてへこんでたくせに〜」
「ぐっ⋯……」
あの悪魔よりも、聖職者さんはおれの心をお見通しだ。
そんな些細なやりとりで、沈んでいた気持ちすらも、急上昇で持ち上げられる。
「あは〜。悪魔の戯言で心を惑わせている迷えるゆうくんに、おねーさんがありがたい言葉を授けてあげましょう」
空中を飛ぶ聖職者さんは、おれを落とさないように、強く抱きしめたまま。長い髪が、風に吹かれてまとわりつくように頬にあたる。けれど、不思議と不快ではなかった。
「なにうろたえてるんだ〜? 大丈夫だよ。世界中のみーんながゆうくんのことをきらいになっても、ゆうくんのことを大好きなわたしがここにいるよ」
だから、大丈夫、と。
こつん、と。
小さく証明するように。
聖職者さんのおでこが、やさしくおれの額にあたった。
「きみは、人をちゃんと愛せる。愛される価値もある。すてきな男の子だよ」
その一言は、なぜかすっと心に落ちた。
「大体ねえ。年頃の男の子が恋で悩むのなんて、当然のことなんだから。そんなにショックを受けなくてもいいんだよ」
「……はい」
「わかったら、さっさと作戦練ろっか〜。自分のことを好きでいてくれる女の子を助けられなかったら、勇者失格の前に、男の子失格だよ?」
「はい!」
「良い返事だ〜。じゃあ、おねーさんからゆうくんにもう一つ。とびっきりの名案を授けましょう」
おれを抱きとめたまま、吐いた息が感じられる距離で。聖職者さんは笑った。
「ゆうくんの魔法で、先輩ちゃんの心を奪っちゃおうよ」
◇
ヴァルゴ・ノインの悪魔法『
欲情とは、何かを欲する心。色欲の情に限らず、他者を蹴落とし、喰らい、奪うことが本質である人間という生き物の欲望を増幅することで、理性と正気を取り払う。ゆえに、ヴァルゴの『
「イト・ユリシーズと勇者で同士討ちをしてもらって、共倒れてしてくれたらうれしいなー、なんて。そう思っていたのね、アタシは」
空を見上げて、ヴァルゴは言う。
「だから、あなたが一人でアタシたちの相手をするために戻ってくるのは⋯……ある意味狙い通りと言えるし、逆の意味で拍子抜けといえるのだけれど」
「あは〜。そっちの狙いにのっかってあげてるんだから、むしろ感謝してほしいくらいだよ」
ランジェット・フルエリンは、二体の悪魔の前にゆったりと降り立った。
生やした翼を仕舞うその動作すらも待ちながら、ヴァルゴは口を開く。
「うふ。その様子だと、勇者ちゃんは一人でイト・ユリシーズを止めるつもりみたいね。さすがは聖職者さま。人を立ち上がらせるのは、随分と得意みたいじゃない?」
「あは。迷える人を導くのが神様の役目だからねえ」
「ざんねんだわ。勇者ちゃんにはもっと心折れてほしかったのに」
「それはちょっと、世界を救った勇者のことをなめすぎだね。ゆうくんはあなたみたいなクソババアの戯言では折れないし……なによりあなたは、人間の恋と愛を、前提から履き違えてるよ」
対峙する悪魔を、聖職者は小馬鹿にして嘲笑う。
「報われるから、対価があるから人を好きになるわけないじゃん。報われなくても、対価がなくても、相手を好きになっちゃうから⋯……抱きしめてあげたいから、その感情に愛って名前を付けるんだよ。そんなこともわからないなんて、あなたの方こそ、恋したこともないんじゃない〜?」
「……無償の愛、ね。本当に、いかにも神様気取りがほざきそうなきれいごとだわぁ」
ヴァルゴの返答を、ランジェットは鼻で笑い返した。
「あは〜! 存分にほざきましょう! 元々、神様やってたからねえ。きれいごとをほざき続けるのは大得意なんだよ!」
◇
イト・ユリシーズは、自分の前に戻ってきた勇者に向けて、腕を広げた。
「大丈夫だよ。後輩。ワタシは、正気だから」
だから、甘えてくれていいんだよ、と。
イトは、勇者に向けてやさしく、甘く、ゆっくりと囁く。
「……いいえ。先輩は、正気を失っています。あの悪魔の魔法のせいで、おかしくなっています」
イトに向けて断言をしながら、勇者は前に進む。
勇者の『
しかし、忘れてはならない。
本来、魔法の発動条件は所有者の対象への身体的接触。
触れることだ。
相手に触れる。その行為への定義は、魔法の使用者によって千差万別。ほんの僅か、一瞬の接触で
黒の色魔法は、魔の王に至るための力。発動条件そのものが、他の魔法とは異なる。
解釈を広げろ。
もっと自由に。殺さなくても、使えるように。
己を理解しろ。
もっと正直に、その心の在り方を示すために。
勇者は、イト・ユリシーズの手首を掴んだ。
接触する。
魔法は、発動しない。
「先輩。先に謝っておきます。ごめんなさい」
いっそ無遠慮なほどに、腰に手を回す。単純な膂力の差をもって、騎士団の団長とは思えないほどに細い身体を、壁に押しつける。
イトは、片方だけの目を見開いた。
自分を見下ろす勇者の瞳の、その色と熱が、いつもとは明らかに異なっていたから。
強引に、無理矢理に、振るわれたものであったから。
「ちょ、ちょっと、まって……」
「先に謝ったでしょう? 悪いですが、待ちません」
勇者は、思い返す。
一回目は、学校の屋上だった。はじめてのキスだった。
二回目は、ダンジョンで死にかけているときだった。抵抗する暇もなかった。
三回目は、脱出に成功したあとに、見せつけるようにしてやられた。
もう自分は、彼女に三回も唇を奪われている。
それなら、こちらからも一度くらい……強引に奪い返してもいいだろう。
勇者は、イトに触れた。
より深く、より熱く。彼女の心に触れるために。
世界を救った勇者は、イト・ユリシーズにキスをした。