世界救い終わったけど、記憶喪失の女の子ひろった   作:龍流

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蒼黒の一閃

 イト・ユリシーズは、勇者に唇を奪われた。

 今までの人生の中で、身体を一番強く掴まれこととか。

 今までの人生の中で、一番熱っぽい視線を向けられていることとか。

 なによりも、唇を強引に奪われてしまったこととか。

 ほんとうに……ほんとうのほんとうに、勇者に対して言いたいことはたくさんあったが、それよりも、それらよりも、イトがまず最初に叫びたかったのは、

 

 ──するのと、されるのって、こんなにちがうの!?

 

 攻守の逆転に伴う興奮、だった。

 自分からするときは、よかった。こちらからペースを握ることができたし、仕掛けるタイミングも自由だった。おまけに、不意打ちによるアドバンテージの獲得も、かなり大きかった。

 しかし、実際に受ける側に回ってしまうと、こまる。すごく、こまる。上手く言語化できないが、かなりすごく、こまる。

 今まで意識してこなかったあれそれが、急に鮮明になって襲いかかってくる。

 体の分厚さとか。腕力の強さとか。そういった諸々に、圧し潰される。

 しかも、長い。

 この勇者、キスが強引で、長い。

 イトは考える。きっとこいつは、自分以外にろくな経験がないに違いない。それはそれで結構なことだけれど、しかしかといっていつまでも好き勝手にされているのは、先輩としての威厳に関わる。

 反撃しなければ。

 逃れるように首を背けて、糸をひいたそれが火照った頬を撫でる。その感触に腰を引きながらも、イトはようやく口を開いて、言った。

 

「ぷはっ……後輩! ちょっと、もう少し抑えて……」

「うるさいですね」

「っ……!?」

 

 言葉を紡ごうとした唇を、また強引に塞がれる。ほんの少しだけ歯があたって、かちっと。こそばゆい音がした。

 本来、人がコミュニケーションを取るために声を発する器官を、一方的に蹂躙される。気持ちを伝える言葉よりも、身体的な接触の方がなによりも雄弁であるという、矛盾。

 イトは、涙目になるしかなかった。

 たまらず、昔よりも心なしか厚くなっている気がする胸板を、叩く。不満気にこちらを見下ろしながら、勇者はやっと自分から唇を離した。

 

「なんですか?」

「いや、だからその……強引に、されるの、ちょっとこまるっていうか」

 

 言ってから、気付く。

 自分は今、すごく恥ずかしいことを言っている、気がする。

 

「じゃあ、いやなんですか?」

「ぅ……」

「やめたほうがいいですか?」

「それ、は……いやじゃない、けど」

 

 イトが返した言葉に対して、勇者の回答はなかった。

 再度、塞がれた唇の感触が、彼の答えだった。

 この短い間に、三度も。強引に。

 けれど、不思議とそれが不快ではなかった。

 くすぐったくて、嬉しくて、焦っていた心が、じんわりと満たされていくようで。

 少しずつ、慣れてきた。ぎこちない彼のそれを、受け入れる。

 受け入れて、預けて、身を任せる。そうして、互いに深く触れていく。

 唇を重ねながら笑うなんて、そんな器用なことはできないけれど。それでもイトは、苦笑してしまいそうになった。

 好きだとか。愛してるとか。言葉で愛を語ることは、いくらでもできるはずなのに、こんなささやかな触れ合いこそが、今。たまらなくうれしい。

 はじめてかもしれない。

 ずっと、背中を追いかけているばかりだった。ずっと、肩を叩いて振り向かせようとしてきた。そんな彼が、こんなにも近くで自分を抱き締めてくれている。

 その現実に、夢想に溺れていた心が、たしかに充足する。

 なにを焦っていたのだろう?

 なにを求めていたのだろう?

 ちゃんと彼は、近くにいるのに。

 イトは、自分の心を侵していた悪魔の魔法が、すっと抜けていくことを自覚した。

 触れ続けていた、唇を離す。首に手を回して、腰は彼の腕に預けて、イトは彼の顔をまじまじと見る。

 

「大丈夫ですか?」

「……うん」

「ちゃんと、正気に戻りましたか?」

「……うるさいなぁ。戻ったよ。だってほら、こういう悪い魔法って、王子様のキスで解けるのがお約束でしょ? まさか、自分で体験することになるとは思わなかったけど」

 

 照れ隠しに、つらつらと言葉を並べ立てる。

 

「ああ。よかった。いつもの先輩だ」

 

 間近でにしゃりと笑うその表情が、心から安堵してほっと息を吐くそのやさしさが。

 イトが惚れた、男の顔だった。

 

 

 ◆

 

 

 心の中で、ひさしぶりに彼女に会った。

 ただし、その視線はこの世のなによりも、冷たかった。

 気がついたときには、胡坐をかいて座るおれを、魔王と呼ばれていた少女がじっとりと見下ろしていた。

 

「ばか」

「いや、あの……」

「ばかばか、ばーか」

「ちょっと……」

「この変態。色狂い勇者。ヘタクソ強引キス野郎。すけこまし英雄」

「悪口のラインナップもうちょいどうにかなんねえかなぁ!?」

「ふん……」

 

 おれを罵る単語をひとしきり並べ立てて、ようやく満足したのか。

 色のない彼女は、相変わらず透明で美しい髪をなびかせながら、深いため息をひとつ。

 

「まあ、どんな形であれ、前に進めたことは評価してあげるわ」

「……そりゃどうも」

「今までが情けなさ過ぎた、とも言えるけれど」

「お前が言ったんだろ。新しい世界でおれの魔法の使い方を考えろって」

「それがちゅーしろってことだと思う? 思わないわよね? 舐めてるの?」

「あ、はい。すいません」

 

 素足の裏で、ぐりぐりと頭を踏みつけられる。

 抵抗しようとしてもできないあたり、やはりこの空間全体の主導権のようなものは、彼女にあるのだろう。考えてみれば、おかしな話だ。ここ、おれの心の中みたいなもんだと思ってるんだけどな。普通は逆じゃないか?

 

「皮肉なものね。この世界で唯一、魔王に至るための黒の魔法が、こんな色ボケみたいな使い方をされるなんて」

「魔王をやってたヤツにそれを言われるのは、もう一周通り越して逆に光栄だな」

「ふん……」

 

 そこでようやく、魔王はこちらを見下ろすことをやめて、おれの隣に座り込んだ。

 

「で、どうするの? あの子が、あなたのお嫁さんになるの?」

「……あのなぁ。そういうふざけた質問は」

「そう? わたしは大真面目なのだけれど。それとも、昔デートした女の子に、他の女の話はやっぱりしにくい? 気まずい? 遠慮とかしちゃう?」

「……」

「ふふっ。はい、黙った。わたしの勝ち」

 

 体育座りの魔王は、膝を抱え込んだまま、けらけらと笑った。

 軽い体が、ゆったりとこちらにもたれかかってくる。

 

「わたしはあなたに呪いを遺していったけど、あなたに不幸になってほしかったわけじゃない。それは、鈍いあなたでも、さすがにそろそろ理解しているでしょう?」

「うそつけ。一方的なハッピーエンドは許さないってお前言ってたぞ」

「あら。わたしの死に際の一言一句まで覚えていてくれているのね? ちょっと恥ずかしいけど、情熱的でうれしい」

「……」

「あなた、どうせわたしに口喧嘩で勝てないんだから、意地張るのやめたほうがいいんじゃない?」

「うるせえ」

 

 本当にうるさい。

 しかし、言われっぱなしも癪なので、そろそろ反撃もしておこう。

 

「おれさぁ……ヴァルゴ・ノインに、人を愛する勇気のない人間に愛される価値なんてない、って言われたんだよ」

「ヴァルゴの言葉は耳に痛いでしょう?」

「ああ。でも、たしかにその通りだとは、思った」

 

 おれはずっと、答えを出すことから逃げ続けてきたから。

 母さんが死んだあの日から、人を好きになるのがこわかったから。人に好かれることを、どこか他人事のような気持ちで見てきたから。

 

 ──好意を寄せていた相手を、世界を救うというお題目で、殺してしまったから?

 

 ヴァルゴに突きつけられた。

 たとえ世界を救っても、救えない人はいる。

 それが現実だった。それが、おれの旅の結末だった。

 自分の魔法と向き合うこと。

 自分の心と向き合うこと。

 三つ編みちゃんにはえらそうなことを言ってしまったが、おれも同じだ。心は、ずっと停滞していた。

 たとえば賢者ちゃんは、自分の心に折り合いをつけて、魔法を新しい形に昇華させた。一年間、立ち止まっていたおれにはできなかったことだ。

 もちろん、自分の何もかもを否定するつもりはない。赤髪ちゃんと出会って、おれは多分、また新しい一歩を踏み出すことができた。けれどそのうえで、師匠や聖職者さんに、言われ続けてきたことがある。

 救った世界で、お前はこれからどうするのか、と。

 目標は、ある。

 みんなの名前を、取り戻す。

 自分の名前を、取り戻す。

 母さんの名前を、取り戻す。

 この心に縛りつけてしまった、呪いを取り去る。

 そして、なによりも、

 

 

「おれは、きみの名前を思い出したい」

 

 

 反撃は、どうやら成功だったらしい。

 こちらをじっとりとした視線を向け続けていた彼女の目の色が、そこではじめて変わった。

 ぽかん、と。口をあけた魔王は、それから目を細めて、おれの宣言を笑った。

 

「名前に、意味なんてないわ」

 

 どこまでも乾いた、透明な微笑みだった。

 おれの肩に、体を預けることをやめて。また立ち上がった彼女は、おれを見下ろしてきた。

 

「わたしはね。あなたが現実に折り合いをつけて幸せになるぶんには、本当にかまわないと思っているの。他の女の、唇も、身体も、貪りたいなら、好きに貪ればいいわ。子どもをこさえて、隠居して幸せに暮らす。ビターエンドの勇者には、それなりに相応しい結末じゃない?」

 

 でもね、と。

 言葉を繋げて、冷たい指先がおれの頬を撫でる。

 

「心だけは渡さない。わたし、あなたに言ったわよね?」

 

 一言一句。

 それこそ、おれの心の隅々にまで、染み渡らせるように。

 

「あなたは……わたしの名前を一生忘れたまま、わたしの名前を呼べないまま、わたしという存在に囚われて、生きていくの」

 

 おれに殺されたときと、まったく同じ言葉。

 それでいい。変わるのは、変えていくのは、これからだ。

 魔王を見上げて、勇者であるおれは、答える。

 

「ああ。がんばるよ」

「……ばーか」

 

 人差し指で、額を小突かれる。

 そっぽを向きながら言い捨てられた最後の「ばか」の声音は、今までよりもほんの少しだけかわいかった。

 

 

 ◆

 

 

 対話とも言えない対話を終えて、勇者の意識は引き戻された。

 イトが正気に戻ったとはいっても、時間に余裕があるわけではない。

 

「先輩」

「なんだい、後輩」

「おれ、先輩に、ちゃんと聞いてほしいことが……言いたいことがあって」

「……ほうほう」

 

 迷いながら、ひとつひとつ、丁寧に言葉を選んで紡ぐ。

 しかし、イトが勇者の答えを聞くための時は、そこまで長く続かなかった。

 轟音を響かせて、路地の一角が吹き飛んだからだ。

 

「あは〜。ごめんね〜、ゆうくんのラブロマンスの時間、もう少し稼いであげたかったんだけど、おねーさん一人だと被害出さずに戦うの、ちょっと限界があるかも〜」

 

 瓦礫と噴煙の中からひょっこりと、ランジェット・フルエリンが顔を出す。そんなことを言いながらも、巻き込まれた民間人を肥大化させたスライム状の腕で保護しているあたりは、さすがとしか言いようがないだろう。

 

「いや、十分だよ。ありがとう、聖職者さん」

 

 感謝の言葉を述べながら、勇者はイトの肩を叩く。

 

「そういうわけなので先輩、ちょっと頼まれてくれますか?」

「仕方ないなぁ。かわいい後輩の頼みだし、ワタシがやらかしちゃった部分も大いにあるし、頼まれてあげましょうか」

 

 肩を並べて立つ勇者とイトを見て、ヴァルゴ・ノインは不快げに目を細めた。

 絶対に解けないはずの魔法が打ち破られている。その事実に、色欲の最上級悪魔は苛立ちを隠そうともせず、舌打ちを漏らす。

 

「なにをしたのかしら? 勇者ちゃん」

「キスをした」

「はあ?」

 

 あまりも端的。かつ、簡素な勇者の解決に、ヴァルゴは相槌になっていない相槌を漏らすしかなかった。

 

「触れることが魔法なら、深く触れれば効果が増す、と。そう思った」

「……むかつくわぁ。カプリコーンみたいな理屈を捏ねるの、やめてくれない?」

「あのクソロリ四天王と同じ扱いをされるのは、本当に腹が立つ……が、お前には礼を言っておくよ、ヴァルゴ」

「お礼ぃ?」

「ああ、礼だよ。お前が適当な占いでおれを連れ出してくれたから、おれは自分の魔法に向き合う機会を得ることができた。お前がおれの心を土足で踏みにじってくれたから、自分の気持ちに向き合う勇気を取り戻せた。だから……」

 

 そう。だから。

 これは、人の心を弄んだ悪魔に贈る、返礼だ。

 悪魔を見据えて、勇者は告げる。

 隣に立ち、手を繋ぐ、彼女の名を。

 

 

 

「いきますよ。()()()()

「……うんっ!」

 

 

 

 勇者が、()()()()()()()()

 たったそれだけの事実に、最上級悪魔の全身が凍りつく。

 

「…………え」

 

 黒己伏霊(ジン・メラン)は、最強の色魔法。魔の王に至るための、世界唯一の、特別な力。

 殺さなければ、使えない。名と心を奪わなければ、使えない。

 それがリスクだと、それが条件だと、それが制限だと。そう思い込んでいた。

 思い込んでいた、だけだとしたら?

 手を繋いでいない方の手で、イトは眼帯を取った。その魔眼で眼前の悪魔を見据えて、イトは抑えきれない感情の笑みを、口元にこぼす。

 黒の色魔法は、相手の名と魔法を奪う。

 これが、惚れた弱みだ。

 イト・ユリシーズの心は、すでに勇者に奪われている。

 

「で、ぶっつけ本番でできるの、後輩?」

「先輩ならできるでしょう」

「うんうん! そっかぁ! ワタシ、先輩だからできるかぁ!」

 

 手元に出現させた愛刀を、勇者とイトは、二人で握り込む。

 かつて魔王は、世界を救った勇者に、問いを投げた。

 

 ──ねえ、勇者。世界を救い終わった勇者さん。今だからこそ、もう一度問うわ。あなたは本当に、その魔法を正しく使えるの?

 

 新たな答えが、ここにある。

 

「コール! イト・ユリシーズ──」

 

 黒の輝きが、蒼穹を奪う。

 

 

「──『蒼牙之士 (ザン・アズル)』」

 

 

 文字通り。身も心も、自分のすべてを預けて、イトは勇者の耳元に口を寄せる。

 

「ねえねえ」

「なんですか先輩」

「これってさ。アレみたいじゃない?」

「あー。そういえば、騎士ちゃんから聞きましたよ。カジノの地下で好き勝手言ってたって」

「アレみたいにやろうよ」

「えー? じゃあ、ちゃんと合わせてくださいよ」

 

 びきり、と。ヴァルゴの額の青筋が浮かぶ。

 自分が心を弄んだうえで、熱に浮かれるのはいい。人間が欲に溺れるさまを見るのは、心地いいからだ。

 だが、『女意宝珠(デレアリーナ)』という自分の魔法を拒み、そのうえでなお、二人きりの熱に溺れようとする人間──こちらを無視していちゃつく人間のつがい (バカップルども)の存在──は、悪魔として我慢ならない。

 

「手伝いなさいっ! リブラ! いくら切れ味があろうが、所詮は剣でしょう!? 遠距離から押し潰してしまえば……」

「っ……まて! ヴァルゴ!」

 

 ヴァルゴ・ノインは知らない。

 それは、この世のすべてを切り裂き、空の果てまでも斬り拓く。

 

「これが!」

「本物の!」

 

 蒼黒の一閃であることを。

 重ねた二人の手を以て、一刀を振り下ろす。

 

 

 

「ケーキ入刀だぁあああああ!」

 

 

 心を、合わせて。

 剣の閃きが、駆け抜ける。

 果てのない斬撃が、最上級悪魔を断つ。

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