「ボウズ。酒は吞めるか?」
それが、はじめて出会う四天王の第三位……ゼアート・グリンクレイヴの初対面における第一声だった。
捕縛した最上級悪魔一匹と魔法使い一人。二名の捕虜を餌として、敵陣に手紙を送った。助けたければ、こちらの条件をのみ、自ら出向いてこい、と。
言ったのは、たしかにおれの方だ。
しかし、まさか本当に……こんなにも簡単に総大将が自ら出向いてくるとは、思っていなかったが。
「……あまり好きじゃない」
「そうか。学生なら卒業と同時に浴びるほど飲んで学ぶものだと思ったが、騎士学校はアイアラスの姫君と飛び出してきたのだったな。歳は今年の数えでいくつだ?」
「……十八だ」
「結構。ならば、まったく問題ないな。まあ、座れ。せっかくこうして顔を突き合わせて話す機会を得られたのだ。いきなり殺し合うのも少々味気ない」
見るからに老人のくせに、おれよりも二十ほど高いであろう背丈。少しも曲がっていない背中。そんな長身の体躯が、目の前でどっしりと腰を下ろす。
言葉通りに酒の瓶を取り出しはじめた老将に、おれは本気で困惑した。戸惑うな、という方が無理な話だろう。
「罠だとわかっていたはずだろ。どうして来た?」
「かわいい部下が二人、捕まってしまっているからな。しかも、慈悲深い勇者の温情で、生かされていると聞いた。迎えに来ないわけにはいくまい?」
おれにとっては聞かずにはいられない疑問でも、それは相手にとってはどうでもいいことのようで。
とくとく、と。
小さく薄い杯に酒を注ぎながら、ゼアートは笑った。
「乾杯の前に、部下の無事を確認したい。頼めるか?」
突き出された杯を受け取る。そして、おれも地面に胡坐をかいて、座り込んだ。
それが、もう答えに近い。
「……師匠」
「いいの?」
「大丈夫です」
おれの指示で、側に控えてくれていたムムさんが、抱えていた捕虜の二人を放り出した。
四肢を拘束し、布袋に詰めたうえで『静止』の魔法である『
「将軍……申し訳、ありません」
「良い。無事でなによりだ、キルア」
「ゼアート様ぁああ! すまねえ! 俺様としたことが不覚を取っちまったぜぇ!」
「アクアリウス。おまえも元気そうだな」
剣士の女の方は静かで、悪魔の方はやかましい。
人間と悪魔に平等に労いの言葉をかけながら、ゼアートはこちらを見た。
「解放してくれるのか?」
「そちらが、おれの条件をのむのなら」
「受け入れよう。感謝する」
四十も年上の大の男が、深々と頭を下げる。
解放された捕虜二人組は困惑したようにおれを見ていたが、ゼアートが先に言った。
「アクアリウス。キルアを連れて下がれ。そして、全軍に伝えろ。我が方は侵攻を三日間、完全に停止する、とな」
「将軍!? しかしそれは……!」
「二度は言わん。はやく行け。儂はこれから勇者殿と酒宴だ。あまり老人の楽しみを焦らしてくれるな」
「……はっ」
背後に控えている大軍の方へ戻っていくアクアリウスたち。それを確認して、おれもムムさんに告げる。
「師匠も下がってください。ここからは、おれだけで大丈夫です」
「……わかった。気をつけて」
おれの背後には、冒険者と兵士たちの、人間の連合軍。
ゼアートの背後には、魔獣と悪魔と人間が混在した、魔王軍。
いつ殺し合いを再開してもおかしくない戦場の、そのど真ん中で。
「では、一時の休戦を祝して」
「……」
互いに大軍を背に負って、酒の入った杯をぶつけ合う。
器の良し悪しなんてものは、おれにはまるでわからない。けれど、良い音が鳴るものだと思った。
乾杯の勢いのまま、ゼアートは一気に酒を煽った。見栄を張るわけではないが、おれもそれに倣って一気に杯の中身を干す。
「……うまい」
自然に、そんな感想が漏れる。
純粋に、人生ではじめて酒が美味いと思った。
冒険者の酒場で無理やり飲まされたような、苦いだけの酒とは違う。味わいとか、深みとか、それらしい表現を口にしてみようにも、上手く言葉にできない。
感想を上手く言葉にできないおれの心の内を読んだかのように、対面の老人は楽しげにくつくつと喉を鳴らした。
「いけるものだろう? 儂の手持ちの中で、一番良いモノを持参させてもらった。若い頃は貴重な酒を棚に飾るのも楽しみだったが、この歳になると飲み切れるか不安になってきてな。こうして機会を見つけては、人と吞むことに決めている。我が主は酒を嗜まんしな」
「魔王は、酒は飲まないのか?」
「貴様も会ったことがあるから、わかるだろう? アレは食べることが好きなのだ。酒に興味は微塵もない。もちろん、それはそれで若くて良いと思うがな」
あろうことか自分の主である魔王を『アレ』呼ばわりしながら、ゼアートはおれに次の一杯をすすめてきた。断る理由もないので、すすめられるがままに、注がれる。
「良い飲みっぷりだ。それなりにイケるクチだな、ボウズ」
「どうも。まあ、これが良い酒だから飲めているだけだと思うけど」
「安い酒との付き合い方は、歳を重ねていくうちに学ぶものだ。酒場のエールを喉を鳴らしてのむ醍醐味は、こういった酒では得られない。人と同じだ。適材適所というやつだな」
口が上手いジジイだ。
アルコールにのせられて、くだらない雑談に浸っている場合ではない。
おれは、本題に入った。
「あんたに、もう一度聞きたい。どうして、罠だとわかっていてここに来たんだ?」
「世界を救う、と。バカなことをほざいているボウズの顔を拝みたくて来た。これでは理由として不足か? 貴様も、似たようなものだろう?」
「……否定はしない」
「すまんな。何の変哲もない老骨が出てきて、面白みの欠片もないだろうに」
「おもしろいよ。まさか、いきなり酒瓶を突き出されるとは思わなかった。しかも、ちゃんと美味い」
「はっ! それはなによりだ」
かか、と笑いながら、ゼアートは自分の杯に酒を注ぎ入れた。
ペースが早い。おれが二杯目をちびちびとやっている間に、もう三杯目に取り掛かっている。
「おれも、あんたに会いたかった」
「ほう。なぜだ?」
「魔王の味方をしている人間の中で、あんたが一番強い魔法使いだからだ」
「おかしなことを言うものだ。四天王としての位階は、儂よりもギルデンスターンの方が上だが?」
「あの人格破綻者は死なないだけだ。強いわけじゃない」
建前らしい反論を、一言で切って捨てる。
たしかに、リリアミラ・ギルデンスターンの不死の魔法は厄介だ。あのクソイカレ女の魔法さえなければ、人類は今頃とっくの昔に魔王の軍勢に勝っているだろう。
けれど、個としての強さ。軍勢を率いる将としての才覚。それらを考慮に入れるのならば、きっと……
「あんたの方が、ギルデンスターンよりも強いんだろ?」
「ははっ! うれしいことを言ってくれる。しかし、そう買い被られてもこまるな。儂の魔法では、ギルデンスターンは殺せない。だから、儂はギルデンスターンには勝てない。それだけのことだ」
「……ギルデンスターンは、魔王の狂信者だ。人間でありながら、魔王に仕えるあいつを、おれは理解しようとは思わない。けど、そういう存在として納得はできる」
「ふ。そうだな。ギルデンスターンの盲信は、もはや信仰に近い。あの女と比べれば、儂の主への忠誠は、小指の先にも満たない程度だろうよ」
「なら、どうして魔王に手を貸す?」
ゼアートは、懐から小袋と干し肉を取り出した。小袋の中にはナッツの類い。干し肉はナイフで切って、広げて差し出される。
……どんだけ酒を飲むつもりできたんだよ、このジジイ。
「その質問に答える前に。儂の方からも、聞いていいか。ボウズ」
「なんだよ」
「なぜ、アクアリウスとキルアを殺さなかった? それだけで、貴様は魔法を二つ奪うことができた。とくに、アクアリウスの魔法は有用だ。ヤツが戦闘で活かしたかは知らんが、奪うだけの価値がある」
「それこそ、さっきも言っただろ。おれはあんたを釣り出すために……」
「ちがうな」
こちらの言葉を、はじめて遮って。
かたい干し肉をかみ切りながら、ゼアートはおれに言った。
「貴様は疲れている。魔法を奪うこと……人の命を、奪うことに」
それは、予想もしていなかった言葉だった。
おれが心のうちに抱える、重たいものを突く一言だった。
「……どうして、わかるんだよ」
「わかるさ」
並々と酒の注がれた杯が、高く掲げられる。
「こんなにも美味い酒を吞んで、顔の曇りが晴れない。それは、心が陰っているなによりの証明だ」
「……あんた、そのくだらない持論を証明するために、酒瓶を担いできたのかよ。性格悪いな」
「人間、この歳まで生きていると、節々が歪んでくるものだ。身体も、性根もな」
意地の悪い瞳が、こちらをじっと見る。
おれの言葉を、待っている。
「……こちらの連合軍はもう総崩れで、おれたちがきたときには、立て直しは難しかった。だから街の人たちを逃がす時間をつくるために……あんたと直接交渉するために、捕虜が必要だった。それだけだ」
「それもまた、ちがうな。アクアリウスとキルアを殺して、その魔法を以て、儂を殺しにくればよかった。連合軍の損害も、街の被害も、民衆の命も、すべて無視して、儂の魔法を奪いにくればよかったはずだ。貴様がそうしなかったのは、貴様の中で戦いの価値基準に迷いがあるからだろう」
言い訳がましく紡いだ言葉は、簡単に塗り潰された。
おれは押し黙って、ナッツを口に放り込んだ。ばりばり、と。声の代わりに、咀嚼の音を抗議のように鳴らす。
「最上級の悪魔と戦ったのは、はじめてだったか?」
「だったら、なんだよ」
「殺しにくかっただろう。見た目だけなら、ほぼ人間と同じだ。手が鈍ったのではないか?」
勇者になる。魔王を倒す。世界を救う。
おれはそれを、もっと単純なことだと思っていた。
ちがう。
旅をするなかで見てきた世界はもっと複雑で、いろいろな人たちが生きていて、魔王の存在は単純な悪とは呼べない段階まで、その意味合いを色濃くしつつあって。
「キルアを見て、疑問に感じたはずだ。この女はなぜ人間なのに魔王の味方をするのだろう、と。その理由を、聞きたくなったはずだ」
悪い魔法使いを殺しても、自分の心は痛まないと思っていた。
ちがう。
戦ったヤツを殺して、魔法を奪って、それを使うとき。
おれの心の中に、殺した人間の名前は刻まれ続ける。決して、忘れることはできない。
「貴様の黒の魔法は、人の命を踏み台にしなければ強くなれない。世界を救う、すべての人を救うと高らかに謳う勇者が、その実……人の命を奪わなければ、人を救うための力を得ることができないとは。黒の魔法の因果とはいえ、どこまでも皮肉なものよな」
同情しているわけではなく、憐れんでいるわけでもなく。
ゼアートは、それがただの客観的な事実であるかのように、言う。
「しかし、当然のことだ。黒の魔法は本来、魔の頂に至るための魔法。正しい心を持つ人間が、正しい目的のために使うようには、できていない」
それが、おれという勇者の現状であることを。
それが、おれという勇者がまだ打ち破ることのできない、透明な壁であることを。
「恥じ入る必要はない。言い訳も不要だろう。人を殺して、心が摩耗する。それは人間として、どこまでも自然な在り方だ。こうして儂と
ただ、淡々と突きつけられる。
「ボウズ。戦いはきらいか?」
「……好きな人間なんているのか」
「そうか。儂は好きだ。剣を振り回すのが好き好きで、この歳まで遊び尽くしていたら、こんな有様よ」
酒杯を取る、その指先を見る。
固い柄を握り続けていたことが一目でわかる、皺の刻まれた分厚い皮膚は、大樹の年輪のようだった。
「人を殺した、その瞬間から人は悪に堕ちる。例外はない。英雄と称賛され、正義を掲げても、手にした剣が肉を引き裂き、血を引き伸ばし、心の臓を貫いた感触は、決して消えることはない。そんなものを抱え続けて、心という器を壊すのは、ひどく馬鹿らしい」
ふっと。皺の刻まれた彫りの深い顔立ちが緩む。
「だからな。楽しめよ、ボウズ。戦いは楽しむものだ」
「……酒が入ると、やっぱりジジイの説教は長くなるんだな」
「ははっ! まあ、そう邪険にしてくれるな。儂の言葉に道理がないと思うのなら、聞き流してくれればそれでいい。しかし、儂は貴様よりも歳だけは食っている。有益だと思った言葉だけひろっていればいい」
三杯目の杯を空にして、ゼアートは息を吐いた。
「なぜ魔王に手を貸すのか、と。貴様の質問に答えるために、我が主の目的について、明確にしておこうか」
「……世界を滅ぼすことだろ」
「そうだな。しかし、そもそも前提がおかしいとは思わなかったか?」
乾杯してから、はじめて酒杯が地面に置かれる。
「魔王は、世界を滅ぼす。勇者は、世界を救う。誰もが漠然と、二つの存在をそのように認識している。だから魔王が言う『世界の滅亡』の定義について、誰も踏み込もうとしない」
魔獣は、人を害する。
悪魔は、人を誘惑する。
それらを束ねる魔王の軍は、人間の生活圏を脅かす。
なんのために?
人類を、滅ぼすために。
当然のように、そう思っていた。
「魔王の……エトランゼ・リアの目的は、すべての人間を魔法使いにすることだ」
その先にあるものを、周知の事実であるかのように。
四天王の第三位は、おれに向けて語った。
「この世に生きる人、すべてに己の魔法を……『
「……魔法は触れている相手にしか、かけられない。そんなことが、できるわけがない」
「その通り。だから我々は、それができるようになるまで、人間の数を減らしている」
「……イカレてる」
「重ねて、その通りだ。あの小娘は、人が絶対に成せないことを、成そうとしている。だからこそ、おもしろい」
おれから酒の杯を取り上げて、ゼアートは立ち上がった。
「儂は、あの小娘に一度負けている。本来ならば、儂の命はそこで尽きている」
胸に手を当て、見下ろす瞳には、明確な熱が宿っていた。
「世界を一度滅ぼしたい。だから手伝ってほしい。手伝ってくれたあとに、もう一度殺し合いをしてあげるから、と。そう乞い願われた。なるほど、と思ったよ」
世界の行く末を左右する立場にありながら。
世界の行く末なんて、まるでどうでもいいと言いたげに。
「世界を滅ぼした存在を、一騎打ちで倒す。これ以上の『最強』はあるまいよ」
老将は、静かに嗤っていた。
酒が入ったジジイの説教が思ったより長かったので、殺し合いは次回です