「ほ、本当に、すいませんでした……」
「いや、おれはもうほんと大丈夫ですんで、顔上げてください」
土下座している魔女さんを見下ろしていると、完全にそういう特殊なプレイをしている気持ちになってくる。ていうか、絵面的におれが美人さんに土下座させてるやべえヤツみたいになるんで、こっちがこまるんだよな。
「すいません。ほんとに……酒癖の悪いカスでごめんなさい……」
「だからおれはもうほんと気にしてませんから」
魔剣さんは多分めっちゃ気にしてるだろうけど……という言葉は胸の内にしまっておく。彼女の機嫌をなおすために外に連れ出していたのに、ますます機嫌が悪くなってしまった。本末転倒すぎる。犬の機嫌を取るために散歩に連れていったら道で猫にゲロひっかけられた、みたいな感じだ。
この調子では、本格的な抜剣がいつできるようになるのか、先が思いやられる。
「このしじみ汁でも飲んでください。二日酔いに沁みますよ」
とりあえず、自己肯定感がすっかすかになってる魔女さんに、しじみ汁を飲ませる。一口を飲んで、ほう、と息を吐く横顔が、ちょっと色っぽい。ていうか、血色がまともになってくるとほんとに美人だなこの人。
「ところであなたのその剣から、さっき悲鳴が聞こえたような……?」
「ははっ! まだ酔ってるんですか!? 水のおかわりいりますか!?」
「……むぅ? さすがに聞き間違いでは済まされない悲鳴だったと思うのだけれど」
まあいいわ、と。
魔剣さんに向けていた疑念の視線をこちらに戻して、魔女さんは聞いてきた。
「アタシは『──────・───────』よ。恩人さんの名前も教えてくれる?」
おれは頭を抱えそうになった。ひさびさのシチュエーションだ。
こういうとき、こまるんだよなぁ。おれを勇者と知らない、魔王の呪いの詳細を知らない人と新しく知り合ったとき、すごくこまる。
名前を知る、というのは『知らない誰か』を『名を知っている個人』に変える。コミュニケーションの初手中の初手である。しかし、おれはその初手中の初手を踏むことができない。いつものこととはいえ、うらむぜ魔王……!
「……名乗るほどの者じゃありません」
「なぁに? その芝居がかったセリフ」
なんとか名乗らずに名前も聞かずに円滑にコミュニケーション取る方法ないかなぁ……などと考えている間に、おれが頼んだ海鮮焼き、たこわさ、刺身の盛り合わせの最強すぎる昼飲みセットがやってきた。
「……おいしそう」
「さっき口から虹色のものを出していた人とは思えない言葉ですね」
「出すもの出したらすっきりするのよ。それ、ちょっとあたしも貰ってもいい? あなたのお酒も含めて、全部奢るから」
「え、いいんですか?」
「もちろん。これでもアタシ、結構稼いでるん、だから……」
「……どうしました?」
「財布ないわ」
なんなんだよこの人。
現在進行形で飲んでいるしじみ汁を両手で大切そうに持ちながら。
乱れた黒の前髪の間から、魔女さんはこちらを上目遣いに見上げて言った。
「……ねえ。恩人さん。お金貸して?」
マジでなんなんだよこの人。
◇
「シーザァルト連合王国、到着っ!」
「でけえ声で言わなくてもいいだろピスケス……」
シャイロックは、ピスケスに対してげんなりと呟いた。
「あなたの方こそテンションが低いですよぉ、シャイロックぅ! ようやく我が研究成果を奪い返しにくることができたのです! これでモチベーションが低い方が噓というものでしょう!」
「へいへい」
シャイロックは、賑やかな街並みを眺めて、軽く息を吐く。
隣に立つこのマッドサイエンティストな契約悪魔曰く。
ピスケスは、魔法を人の心から取り出し、物理的に保存、運用する方法を模索していた。
そして、数年をかけた実験……ピスケス自身の魔法と、魔法を物理的に保存する『遺物』を組み合わせて、魔王の魔法『
しかし、その貴重極まる実験サンプルは戦後の紆余曲折を伴ってシーザァルトの吸血女帝……ライラ・オフィリア・アーズヘイムの手に渡ってしまっており。
今、最強の魔法使いを決める極彩天武会なるイロモノイベントの、優勝の証にされようとしている。
シャイロックのパーティーの目的は『魔王の復活』であるため、優勝賞品はなんとしてでも入手しなければならない。
「それで、どうやって奪います?」
「オレやルルはもう大会の参加受付済ませてるし、普通に優勝狙ってもいいが……保管場所がわかって、隙があるならさっさと奪ってトンズラもアリかもなぁ」
最上級悪魔は、元々国一つを簡単に滅ぼすことができる力を持つ。ピスケスにそれができるかはともかく、トリンキュロが好き勝手に暴れれば簡単であることは間違いない。シャイロックが本腰を入れて組めば、より容易く成せるだろう。
「大会の進行がどんな感じかは知らんが、優勝賞品と言いながら大々的に喧伝するくらいなんだ。開会式で見せびらかすくらいはするだろ。そのときに奪えりゃ、それが一番早いな」
「ルルさんの『
「だな……ところでピスケス」
「なんです。御主人?」
「……我がパーティーのかわいいお嬢さんたちはどこ行った?」
さっきまで連れたって歩いていたはずなのに、気がつけば隣にはメガネの最上級悪魔しかいない。
「トリンキュロのバカはどこか消えました。クロエさんも無表情なようで好奇心旺盛な子なので、よくふらふらと消えては頻繫に迷子になります。その点、ルルさんはきちんとしていますねぇ。さっきあなたがトイレに行っている間に「ウチ、ちょっと踊って稼いでくる。よろ」ときちんと理由を言ってから出かけて行きましたから」
「集団行動はできねぇのかよ……!」
シャイロックは呻いた。
「しかしですねぇ、シャイロック。我々が二人っきりになることで、可能なこともあると思うのですよ」
「言ってみろピスケス。くだらないことだったらメガネ割るぞ」
「昼間から酒を飲みに行けます」
シャイロックは仰々しくため息を吐いてから、大袈裟に肩を竦め、それから空を仰いだ。
「ピスケス……オマエ、やっぱり頭イイな。最高だ」
「お褒めに預り恐悦至極。では早速、景気づけに一杯参りましょう」
「とりあえず、昼間っからやってるあの居酒屋にしてみるか」
「ほぅ。ほどよく小汚くて良いですねぇ。しかし、もしも不味い店だったら容赦なくあなたのせいにしますよぉ、シャイロック。具体的にはあなたの奢りにします」
「安心しろ。オレは美味い飲み屋を見極める勘に関してはかなり自信がある」
この時間からやっているという時点ですでにポイントが高いが、年季が入っている店構え。きちんと掃き掃除されている入口。漂ってくる香り。すべての要素が「この店はあたりだ」というシャイロックの勘を後押ししてくれていた。
扉を開いて、中に入る。
「二人なんだけど、空いてます?」
「あいよー。らっしゃい! テーブルでもカウンターでもどうぞ」
魚人の店主のこなれた接客に頷きながら、シャイロックは店内を見回した。
こじんまりとした広さだが、悪くない雰囲気だ。ぐつぐつと煮込まれているのは、あら汁やしじみ汁の類いだろうか。店主が気さくで気取らない感じなのも、シャイロックとしてはうれしい。
時間的にはまだ昼前なのもあってか、客は少ない。カウンター席に、顔色の悪い女性と、勇者がいるだけだ。
「……?」
勇者が、いた。
一瞬そっくりさんかとも思ったが、見間違えるはずもない。間違いなく、少し前にシャイロックがエルフの里で出会った勇者だった。
(……えぇ? 勇者いるじゃん。終わった)
シャイロックは内心で頭を抱えた。
(おかしいだろ。なんで世界を救った勇者がこんな寂れた居酒屋で昼間っからビール飲んでんだよ。おとなしく王宮の良い部屋でワインでも傾けてろよボケが。ていうか、すげえうまそうだなあの刺身の盛り合わせ。オレもたのみてぇ)
世界最強の賢者なのにこんな昼間から酒を飲もうとしている自分自身のすべてを棚に上げて、シャイロックは内心で毒づく。
「どうしましたか? シャイロック?」
「ばっ……!」
何も気がついている様子のないピスケスに名前を呼ばれて、シャイロックは悲鳴をあげそうになった。
しかし、カウンター席に座っている勇者には、何の反応もない。
そうか。あいつは人の名前が聞こえないのか、と。
今さらながらにそれを実感して、シャイロックはなんとも言えない気分になった。
(エルフの里で会ったときはオレも仮面を被っていたから、顔はバレてない。オレの名前はあいつには聞こえない。なら、なんとかなるか?)
店に入ったのに、勇者の姿を見た瞬間に踵を返して出ていくのは不自然極まりない。ここは、普通の客のふりをして何食わぬ顔で食事を済ませて出ていくのが吉だろう。あと、酒飲みたい。刺身も食いたい。
素知らぬ顔で、シャイロックは勇者から近すぎず遠すぎない、微妙な距離感のテーブル席に座った。着席と同時に、メニュー表を持ったピスケスが小声で呟く。
「大変ですシャイロック」
「……気がついたか」
「ええ……! この店、昼飲みセットがあります。好きな酒一杯と二品が選べるそうですよぉ!」
「……それにしよう」
ちがった。勇者の存在に気がついたかと思ったが、全然そんなことはなかった。使えない最上級悪魔だ。目が節穴すぎる。きっとメガネが飾りなのだろう。
(……それにしても)
シャイロックは、メニュー表を見るふりをしながら、カウンター席の勇者と、その隣に座っている黒髪の女性を観察する。賢者でも、騎士でも、武闘家でも、死霊術師でもない。知らない顔だ。
(……勇者のパーティーメンバーじゃない、よな……? 昼間からこんな場所で密会……まさか、不倫か? 最低なヤツだな)
そもそも勇者は結婚していないが、元々シャイロックはパーティー内に美女を侍らせまくっている勇者が嫌いだ。釈然としない気持ちを抱きながら、シャイロックはお冷をすすった。
「まずいですシャイロック」
「……やっと気がついたか」
「ええ……! この店、昼飲みセットにあら汁をつけることができます。大盛りも無料と書いてありますよぉ!」
「……つけよう。選べる二品はたこわさと刺身の盛り合わせでいい。あとビール」
ピスケスに注文を任せて、また勇者たちに視線を戻すと、状況が動いていた。
(……黒髪の美女が、勇者に土下座してる……!)
黒髪の美女が、勇者に土下座をしていた。
(……なんてヤツだ。不倫している上に、女に土下座させるクズ野郎だったとは……!)
その絵面にシャイロックが内心で引いていると、ピスケスがまた小声で袖を引いてきた。
「ヤバいですシャイロック」
「……ようやく気がついたか」
「ええ……! 昼飲みセットで刺身の盛り合わせを選ぶことはできないそうです。私としたことが、これは誤算でした」
「……単品で頼め」
ようやく注文が終わり、二人分のビールが運ばれてくる。
色々と気になることは多いが、気にしていても仕方ないので、とりあえず一杯目のビールで喉を潤すか、と。ジョッキを手に取ったシャイロックは、しかしテーブルの上を見て目を見開いた。
「……おい。ピスケス。オマエ、オレの小皿に醬油入れたか?」
「はい。入れましたよ。私は気が遣えるのできちんと二人分用意してわさびもといておきましたが」
「オレは小皿に薬味の類いは溶かしたくない派なんだよ! 余計なことしやがって……!」
大声をあげてから、シャイロックは自分の迂闊さに気がついた。
刺すような視線。それを背中に感じながら、恐る恐る振り向く。
美女を土下座させている勇者が、こちらをじっと見ていた。
ピスケス「からあげにレモンをかけておきましたよぉ、シャイロック」
こんかいの登場人物
勇者くん
美女に土下座させている恐るべき鬼畜勇者。地味に新しく知り合った人の名前が呼べない不便さをひさびさに実感してやれやれとなっている。魔王様の呪いは今日も重い。ところで今なんか悪魔の名前聞こえなかった? たこわさが好き
魔女さん
ふふ、財布ないわ。
自己紹介キャンセル女。ベルフィール・バーナーダイン。財布は多分昨日飲んでるときに落とした。ゲロの謝罪で一回。お金を貸してもらうためにさらにもう一回土下座できる、頭の軽い女。海老が好き
シャイロック
四賢の一人。世界最強の賢者。口遊むシャイロック。
たくさんご飯を食べている女の子を見るのは好きだが、自分自身はちまちまと少量をつまみながら酒でだらだらと楽しみたいタイプ。たこわさが好き
ピスケス・ドライ
最上級悪魔。位階第三位のおそるべきマッドサイエンティスト。メガネは飾り説が根強い
大変ですシャイロック→まずいですシャイロック→ヤバいですシャイロック
のシャイロック三段活用を巧みに使いこなす