ライラ・オフィリア・アーズヘイムは、
古くから存在する異人種の吸血種は、人間以上の膂力、魔力、寿命を持つのと引き換えに、生命としていくつかの欠陥を背負う宿命がある。
たとえば、太陽の光。日光を浴び続けるとは身体に不調をきたす。陽の光をあたる中を歩む、という生物として当然の行為を吸血種は行うことができない。
たとえば、食事。吸血種は通常の人間と同じ食事を摂ることができるが、人間、もしくは亜人の血を定期的に摂取しなければ、生き長らえることができない。
人と同じ空の下を歩けないバケモノ。人の血を吸うバケモノ。人を喰わなければ、生きていけないバケモノ。
即ち
故に、吸血種の歴史とは、差別と迫害の歴史だった。見目麗しい姿で生まれてくることが多い吸血種は、エルフと同等かそれ以上に人間にとって価値ある奴隷であり、嫌悪の対象だった。
ライラの父は、人間に殺された。ライラの母が、吸血種の王である父を策略に嵌め、人間に売ったからだった。
ライラの父は『人間は吸血種の敵であり、餌である』と考える排他的で保守的な王で、ライラの母は『人間に従わなければ吸血種は存続できない』と考える友好的で急進的な王妃だった。
ライラを生み、育て、愛してくれた両親の関係は、種族の未来を見据える中で修復不可能なほどに壊れ果てて、破綻した。
王であるが故に。種族の存続という責任を負う立場であったが故に、二人の愛は壊れてしまった。
今でも、ライラは考える。
──父と母は、理想に取り憑かれて、狂ってしまった。
多くを望む必要などなかった。種族の未来に思いなど馳せず、全てを投げ出して、ただ家族三人で慎ましく暮らしてさえいれば。きっと父と母は憎しみ合うことなく、幸せに毎日を過ごすことができていたはずなのに、と。
けれど、そんな理想が夢物語であることは、ライラ自身が最もよくわかっていた。
自分は純粋な人間ではない。自分はただの
生まれ持った才覚と血筋には、生き方の責任が伴う。
ライラの身体が成熟すると、母は娘の身体を政治的な取引に用いるようになった。隣国の有力者や貴族たちに奉仕し、夜の相手するようにと、ライラに強要した。これが人間との友好の証になるのだ。これが人でない者が正しく生きる術なのだ。少女から女になったばかりのライラに、母は何度も何度も、洗脳するように言い聞かせてきた。
滑稽だ、と。ライラはそんな風に感じた。自分を政治の道具として利用しながら、精神を病んでひっそりとすすり泣く母の横顔は、まるで殺した父に懺悔しているようだったから。
ライラは気がついた。母には、理想はあっても王たる器はなかった。彼女は結局のところ、誰かに縋って生きていくことしかできない、弱い女だった。
自分は違う。
ライラは母を追い落とした。父の支持者であった者たちの力を借りて、玉座へと駆け上げることに成功した。精神を病んだ母はそのまま衰弱死して、王の血筋はライラのみになった。
客観的に見れば、ライラは先王を謀殺した実母を処断し、新たに立ち上がった若く美しい女王だった。しかし、周囲から向けられる期待とは裏腹に、ライラの心の中には想い描く理想も未来もなかった。
──
ライラの心は、空っぽだった。
後悔だけがあった。
こうなってしまった原因は、どこにあるのか。父が悪かったのか。母が悪かったのか。父と母と、二人を取り巻く人間たちが悪かったのか。
渇く。人の血が好きなように、いくらでも飲めるようになっても、心はずっと渇いたままだった。
「我らの土地と、自治を認めよ。そうすれば、命までは奪わぬ」
「み、認められるか! 貴様らのようなバケモノの権利など……!」
ライラを
「人の血がなければ生きていけないバケモノと! なぜ共存できる!? なぜ共に歩みよっていけると思う!? できるわけがないだろう!?」
その日の夜。ライラは、はじめて人間を殺して、血を残りの一滴まで啜り尽くした。
人間が動物を殺すのは、肉を食うため。肉を食らって、生きるため。生きるために食らうことは、決して悪ではない。
もう二度と顔を見たくない肥え太った男の血でも……殺したからには最後の一滴まで己の糧にしなければならないと、そう思った。
人を殺した夜でも、月はきれいだった。その月の美しさを、どこまでも皮肉に感じた。
吸血種が見上げる空には、いつも夜の闇だけが満ちている。そこには、微かな月の光しかない。他の生き物が当たり前のように歩ける陽の光の下を、自分たちは歩けない。生まれながらにして、そう定められている。
人とは違う、バケモノだから。
差別だ。心の底から、憤った。
黒以外の空の色を、見たい。心の底から、そう思った。
そうして、ライラの心は『魔法』という形で、望みに応えた。
魔法の名は『
力に目覚めてから、吸血鬼の女王は亜人が支配する地域を中心に、併合と平定をより強めていった。
夜だけではない。昼の戦場にも、女王は自ら旗印となって、軍勢の先頭に立った。
彼女が率いる亜人の軍勢の旗印は、青空に浮かぶ月。それは、夜の血族として、相反するはずの二つを合わせた象徴。
ライラ・オフィリア・アーズヘイムは自らの魔法によって、
「見つけたぁ! 青地に月のかっこいい旗印! ライラ・オフィリア・アーズヘイムの手勢だ!」
黒い鎧を身に纏った少年は、軍団の中にいるライラの姿を見るなり、告げた。
「力を貸してくれ! 女王様! ビタンの海を渡りたいんだ!」
「……はぁ?」
もう一つ。
特筆すべき点があるとすれば。
ライラ・オフィリア・アーズヘイムは、ステラシルドから追放されていた勇者をはじめて、国を挙げて支援した一国の王である。
◆
黒輝の勇者を新たな旗印に据えたライラは、亜人の連合軍を束ねて、魔王に与する勢力を南方の海域から掃討することに成功した。
後に『ビタンの海戦』と呼ばれるこの戦いによって、人類は大陸南側の海運、貿易、輸送ルートを取り戻し、魔王軍は南方の勢力圏を実質的に放棄することになる。
同時に、ライラが国を挙げて公的に勇者を支援したことにより、黒輝の勇者の名声はこの戦いを以て、遂に揺るぎないものに至る。
「其方の働き、誠に見事であった」
「ありがとうございます! ライラ様!」
「何か褒美を取らせよう。何が良い?」
「えー、うーん……」
しばらく悩んで、勇者は答えた。
「強い魔法使いとか仲間に欲しいんですけど……います?」
「この国で最も強い魔法使いということであれば、それは妾になるのぅ」
「じゃあ、ライラ様ください。仲間になってください」
「戯けが。できるわけがなかろう」
「ですよねー」
正直なところを言えば。
国も、責任も、すべてを投げ出して、この男についていくのもおもしろそうだ、と。
そう考えてしまう自分がいたことを、ライラは否定できない。
「勇者よ。其方はなぜ戦う?」
「え? 世界を救うためですけど?」
「阿呆が。そんなことはわかっておる。なぜ世界を救うために戦える? どうして名も知らぬ誰かのために剣を握り、血を流すことができる?」
「名前も知らない誰か、じゃないですよ」
今度の質問には、即答された。
恭しく、手を差し出された。ライラは、勇者の手を取った。
ライラの手を引いた勇者は、片手で窓を開いた。城下では戦勝を祝う宴会が催されていて、そこには人間だけでなく、様々な種族がいた。
わざわざ梯子に登った
「
「長い。結論から申せ」
「種族が違っても、見た目が違っても、生き方が違っても……言葉を交わして、名前を知った瞬間から、その人は『個人』になると、おれは思うんです」
名前を知らなければ、
しかし、名前を呼び、言葉を交わし、文化の違いを知り、食事を共にし、酒を酌み交わし、友情を育めば……種族を超えた絆が生まれることもある。
ライラは、鼻で笑った。
「綺麗事の、夢物語よな」
「勇者なんでね。綺麗事の夢物語をほざいていた方が、英雄らしいでしょ?」
「つくづくよく回る口だ。しかし、其方は王には向かぬよ」
「それは自覚してますよ。まあ、おれは王様になる気もないんで。この後のことは、ライラ様にお任せします」
「……妾に、彼らを統べる存在になれ、と?」
「なれるでしょう。貴方なら」
跪いて、彼は言った。
眼下の景色を指して、勇者は頭を垂れる。
「みな、ライラ様がいたから、集められた仲間です。魔王という共通の敵がいたから協力できた……そういう事実があったとしても、このまま終わりにするのは、少し惜しい」
ライラ・オフィリア・アーズヘイムの人生は、ずっと空虚だった。
目的はなく、理想もなく、望みもなく。
焦がれた空の色を知ったあとも、流されるまま、求められるままに、生きてきた。
「くくっ……妾の国がステラシルドより強大になったらどうする? 妾が暴君となって、民を虐げ……第二の魔王のような存在になったら、如何する?」
「そのときは、おれがあなたを倒しにきますよ。勇者として」
ライラは、空を見た。
夕焼けが薄らいでいき、夜の闇に……黒の色に染まっていく夜空を。
甘いだけの理想は嫌いだ。
理想と思想に踊らされ、狂い果ててしまった王たちを、ライラは知っている。
けれど、もし自分という王が、道を違えることがあったとき。
そのときは、黒輝の勇者が愚かな自分の首を、撥ねてくれるというのなら。
「気に入った。その言葉、ゆめ忘れるでないぞ」
王は、生まれながらにして王なのか。
王も人の子であるのなら、出会いと切っ掛けによって、新たな覇道が開けることもあるだろう。
一つの事実がある。
ビタンの海戦から、一年もかからず、ライラ・オフィリア・アーズヘイムは、周辺諸国を取りまとめ、亜人を中心とした連合国家の設立を宣言する。
シーザァルト連合王国。歴史上はじめて、複数の種族の共存を提唱するこの国の玉座には、やはり歴史上初となる
シーザァルトの国旗は、戦場における彼女の象徴。青地に月のシンボルの旗印。
そして新たに、
かっこいい旗印だ!!←Good
あなたをください←Good
おれがあなたを倒しにきますよ←Perfect!!