おれが着替えてベッドの上から出るのにはそこまで時間がかからなかったが、女帝閣下が着替えと身支度を済ませるのには、それなりの時間を要した。
「だーかーらー、あの女帝さまは誰かれ構わず唇を奪って血を吸うことが趣味のひどい暴君なんですよ」
「ふーん」
「だからおれが押し倒されていたからといって、何か深い意味があるわけでは……」
「ほーん」
「絶対信じてないでしょ先生!」
豪華な応接室で、先生と並んで座っている間。おれは、先ほどの濡場のようなワンシーンへの弁明に努めていた。このまま勘違いされてはたまったものではない。あと、女帝さまの血のおかわりはちゃんと拒否した。当然である。
「いや、教え子が大人になって俺はうれしいよ。うん」
「だからぁ!」
かといって、いつまでも言い訳していると見苦しいので、話を変える。
「助けてくれて、ありがとうございました。先生が来てくれなかったら、どうなっていたかわかりませんでした」
「おう。ま、俺は
「それは、重ねてありがとうございます」
普段はアホで親しみやすいヒゲのおじさんなのに、こういうときの先生はひたすらに心強い。
「ところで、先生はあいつらとどうやって戦ったんですか?」
「大したことはしていない。片っ端から殴っていった。それだけだ」
おかしいだろ。なんでそれで四天王の第一位と四賢に勝てるんだよ。もしかしてこの人、人間じゃなかったりしない? 実は別の生き物だったりしない?
おれがどん引きしていると、先生がすっと立ち上がって一礼した。頭を下げた方を見てみると、ドレスに着替えた女帝閣下がゆったりと歩いてくるところだった。
「二人とも、そのままでよい。其方らは客人だ。かけて、楽にしていろ。先に雑務を済ませる。少し待て」
閣下がそう言って手を挙げた瞬間に、数人が部屋に入ってくる。
人間が二人に
「街の被害について詳細がまとまりました。ご報告申し上げます。ご指示通り、住居に被害の出た住民に関しては、周辺の宿に避難させました」
「それで良い。死者は出ていないのだな?」
「はっ。逃げる途中で転んだ者がいる程度です。勇者様と騎士団長殿の尽力のおかげかと。閣下のご指示通り、住居の補填や保証はすべてこちらで行うと、住民たちには伝えてあります」
「結構。大事の前である。手厚く労り保証せよ。明日、妾も被害に遭った住民たちと会う」
「閣下自ら、ですか? しかし、明日は開会式などでお時間の予定が……」
「時間をつくればいい。手配させよ」
「はっ!」
主な報告の内容は、やはり先ほどの戦闘についてだった。
街中で戦ってしまったのはおれの責任でもあるので、なんとも申し訳ない気持ちになる。閣下は国庫から補填すると言っているが、あとでおれの資産から住居建て直しの寄付ができないか聞いてみよう。すげえ申し訳ないし。
「次。街を荒らしたバカどもたちの行方はどうか?」
「目下、捜索中です。何らかの魔法で逃亡したものと思われます。例の四賢は武闘会への参加を表明しているようですが……」
「見つからんのなら致し方あるまい。捜索は打ち切って良い。浮いた人員は警護の強化と街の復旧にあてる」
「かしこまりました。明日、会場に現れた場合は如何いたしますか?」
「四天王の第一位を伴っている場合は即刻捕縛。そうでない場合は参加させて構わん」
「よろしいので?」
「良い。ある程度は想定していた事態だ。それに、表舞台に出てきてくれた方がこちらとしても監視がしやすい。アクアリウスには、何か動きがあればすぐに動けるように……と伝えよ」
「承知いたしました」
采配は淀みなく迷いなく、的確だった。
指示を受けた臣下たちは、また一礼をして部屋を去っていく。そのやりとりと態度だけで、全員が仕える主に心からの敬意を払っていることがわかる。
再び部屋の中はおれと先生と閣下だけになって、そのタイミングを待っていたかのように、先生が発言した。
「お見事なご采配、感服いたしました」
控えめに。けれど、はっきりと。先生が称賛の言葉を述べる。
なびく金髪の合間から、ルビーのような流し目が笑った。
「ほう。最強の騎士は世辞まで上手いのか。さすがだな」
「いえ、閣下。私はそんな器用な男ではありません。これは本心です。閣下は種族の違うシーザァルトの人民の心を、見事にまとめていらっしゃる」
先生の言う通りだ。異なる人種、異なる種族をまとめるのは、想像よりも遥かに難しい。皮肉めいた言い回しはしたくないが、おれは賢者ちゃんとの出会いや、エルフの村での出来事を通じて、それを身をもって体感している。
見た目も、生き方も、文化も違う種族が同じ場所で暮らしていくためには、ある種の旗印が必要だ。
かつて、その旗印は『魔王の打倒』だった。
現在は、その旗印を『吸血女帝』が自身で担っている。
それだけのカリスマと才が、この女帝さまには備わっている。
「妾は特別なことをしているわけではない。民の声を聞き、まとめ、治めているだけのこと。それは国を統べる王が負うべき当然の責務である。違うか?」
「仰る通りですが、実際にそれを成せる王は稀かと思います」
「ふん。世辞は好かぬが、其方ほどの騎士にそう言われるなら、悪くないか」
ビタンの海戦を終え、この国を出たとき。おれは閣下に「この国をまとめてくださいよ」みたいなことをお願いした。それはあのときの本心であったし、噓偽りのない言葉だった。
しかし同時に、閣下の統治と支配が
だが、現在のシーザァルトは形式上は連合王国を名乗っておきながら、一人の女帝の在り方を軸として、成立している。彼女のカリスマというか、王としての器を、おれは舐めていたのかもしれない。
「この国で暮らす条件は『帝に血を捧げること』。無論、妾が全国民の血を吸って回るわけではないが、シーザァルトの国民には、そのような奉仕の精神を強いている」
それは、自らの器すらも、客観視しているような口調だった。
「故に、妾は
本当に皮肉なものだ。
最高の独裁は、ときに最悪の民主主義に勝る。
吸血女帝の統治は、それを雄弁に物語っている。
「……とはいえ、今のシーザァルトも決して一枚岩ではない。妾の存在だけでは、国をまとめきれないのも事実だ。他種族の族長から、いつ後ろから刺されてもおかしくないからのぅ」
「それこそ、ご冗談を。刺客の一人や二人、閣下なら軽く屠って終わりでしょう」
先生が苦笑して言う。
そうなんだよな〜。この女帝さま、戦場で先頭に立って戦ってたタイプだから、めちゃくちゃ強いんだよな〜。
そもそも、おれと先生の二人を前にして、護衛も付けずに歓談していることが、強さを証明しているというか。仮におれたちが襲いかかったとしても、抵抗して逃げるくらいのことはできるぞ……みたいな。事実として、この人にはそれくらいの強さが備わっている。
「勇者はもう知っておろうが、騎士団長殿は知らんだろうから、あらためて説明しておこう。妾の魔法の名は『
空色の魔法『
おれも随分と助けられ、同時に苦しめられた経験もある魔法である。
閣下はこの魔法を常時展開することによって、自身に有害な日光を『吸収』して、太陽の下を自由に闊歩している。
「では、その……失礼を承知でお聞きしますが、閣下の腕がないのは……⋯?」
「うむ。そこの勇者にくれてやったのよ。其奴が『
「はい。いやもう本当に、その節は本当にお世話になりました……」
「おかげで妾は今も腕のない不自由な生活を強いられているわけだが……」
「ぐっ……」
それを言われると、おれは弱い。
本当に弱い。だって借りしかないから。
ただでさえ、海を渡るのに軍を借りたり、腕の呪いを肩代わりしてもらったり、無限血袋食料にしようとしていた死霊術師さんを返してもらったりしてるのだ。
おれという勇者は、この女帝さまには片手で数え切れないほどの借りがある。
「そういうわけでな。腕を失った妾に対して、其方が報いる最も手っ取り早い方法はなんだと思う?」
「わ、わかりません……」
「うんうん。わからぬか。わからぬのなら仕方あるまいよ。ならば、聡明な妾が意外と馬鹿で阿呆な其方に教えてやろう」
大きく開いたドレスの谷間に手を入れて、そこから魔法によって『吸収』していたのであろうそれを、女帝閣下は取り出した。
「妾の右腕となって、この国に仕えよ。ステラシルドを捨てて、シーザァルトに来るのだ。そうすれば、この器に収められた『魔王の魔法』を其方にくれてやる」
言いたいこと。聞きたいことはたくさんあったが。
なによりも先に、おれは女帝閣下に問いを投げた。
「あの、閣下。今の……胸から出す必要ありました?」
「ん? 男なら好きであろ? こういうのは」
「好きです!」
「いい加減にしろよエロヒゲジジイ」
おれは隣の騎士団長の頭をぶん殴った。
こんかいの登場魔法
『
吸血女帝、ライラ・オフィリア・アーズヘイムの空色の魔法。自分自身に触れたものを『吸収』する魔法効果を持つ。
簡単に言ってしまえば、全身四次元ポケット。ライラはこの魔法によって自身に有害な日光を『吸収』することで、吸血種の歴史の中ではじめて陽の光を克服した吸血鬼となった。
貴重品を身体の中に収めるのはもちろん、敵の放つ魔術や弓矢、砲弾の類いすらも吸収し、無力化することが可能。特に防御性能の高さのみならず、吸血種としての身体能力の高さと魔力の豊富さも存分に活かし、全盛期のライラはこの魔法を様々な形で応用し、最前線で暴れ回った。