「良い席が取れてよかったですねぇ」
「私のおかげです。感謝してください」
コロシアムの観覧席の一角にて。
隣に座る赤髪の少女の言葉に、シャナ・グランプレはあからさまな溜息を吐いた。目に映るものすべてがめずらしいのか、手にしたポップコーンを口に運ぶ動きも、きょろきょろと周囲を見回す目の動きも、その両方が忙しない。
「シーザァルトのコロシアムってすごいんですね。なんかお水を吐いてるドラゴンの像とか、お花みたいな噴水とか、とにかくお水をたくさん使ってて、なんか、なんかこう……セレブー!って感じがします」
「言いたいことはわかりますが、その語彙力はなんとかしてください」
たしかに、コロシアムの中の循環式オブジェは、水を使っているものが多い。場所によっては貴重な資源である水をふんだんに使い捨てている様子は、豪奢な印象を形作るのに一役買っていた。
「それにしても。あのアクアリウスという悪魔さん、すごい人気ですね」
「お国柄、こういった催しがウケるのでしょうね。シーザァルトは」
「お国柄……ですか?」
「シーザァルトという国は多民族国家です。種族が違う。思想が違う。見た目が違う。そんな人たちを取りまとめるためには何が必要だと思いますか?」
フードの下の尖った耳をいじりながら、聞いてみると。
隣の食いしん坊少女は、元気よく答えた。
「はい! 一緒にご飯を食べて仲良くなればいいと思います!」
「……人類みんながあなたみたいに能天気だったらわりと世界は平和になりそうですね」
「シャナちゃん、そんなに褒めてもポップコーンくらいしか出せませんよ」
「いらねぇんですよ」
隣からあーんされるポップコーンを、シャナは呆れ半分の顔でばりぼりと咀嚼した。味が濃い。すぐに飽きそうだ。
「この国は多民族国家ですから。ああいった力で成り上がる人物は好まれやすいんですよ」
「自分もあんな風になれるかもしれない……と。そう思えるからでしょうか?」
元魔王の少女は、かわいい顔をしてなかなかエグいことを言う。
「そうですね。悪魔に憧れるかさておくとして……たとえ悪魔であっても、
それにしても、人類の敵として認知されている悪魔を……しかも魔王の直接の眷属であった最上級をこうも大っぴらに使っているのは、あの女帝らしいというかなんというか。
しかし、実際に極彩天武会がはじまる前に、チャンピオンである最上級悪魔の魔法を見ることができるのは、大きな収穫だ。魔法の詳細がわかれば、対策の幅も広がる。
「よく見ておきましょう。大会がどう転ぶにしても、最終的にはあのアクアリウスとかいう悪魔に勝たなければ、優勝賞品を……魔王の魔法を手に入れることができませんからね」
「はい! まかせてください! わたしが必ずゲットします!」
「なぜ自分が勝つ前提なのかについてはツッコみたいところですか、その心意気だけは良しとしてあげます」
この数ヶ月で、隣の食いしん坊少女の実力は、飛躍的に進化した。
真綿が水を吸い込むように、などという使い回された表現を使いたくはないが……少なくとも、シャナ自身が油断すれば遅れを取るかもしれないと思う程度には、実力を引き上げている。
たった数ヶ月の修練で、世界最高の賢者であるシャナに危機感を抱かせる成長。それは端的に言ってバケモノと呼ぶに相応しい資質だ。
「シャナちゃん」
「なんです」
「どうしましょう。キャラメル食べてたら塩味も食べたくなってきました」
「……晩餐会もあるんだからそれくらいにしておきなさい」
あと相変わらず、食欲もバケモノだった。
「あの悪魔さんの相手をするのは誰なんでしょうか?」
「さて。相手は仮にも最上級悪魔。ただの魔法使いでは相手にならないとは思いますが……」
「ひゃははは! よく見ておけよ、観客どもぉ! この炎槍のジンベリンが、チャンピオンの栄光に風穴を穿つ瞬間を!」
「うっわ……」
「え。知ってる人ですか?」
明らかに見覚えしかない槍持ちのチンピラが出てきて、シャナは真顔になった。
◇
降りかかるブーイングの嵐。
それを一身に浴びながら、ジャック・ジンベリンは笑っていた。
「いいねぇ、このアウェー感! 正しく、革命前夜って感じだァ……!」
シャナ・グランプレとベルフィール・バーナーダインに敗北した後。
拘束されたジンベリンの身柄は、シーザァルト連合王国に移送された。数え切れない罪状によって、形ばかりの判決と死刑の執行を待つばかり……とジンベリン自身も思っていたのだが、
「ひゃは! まさか、こんなところでチャンスが巡ってくるなんてなぁ! オレぇの運命の灯は、まだ消えてなかったってワケだ!」
愛槍を肩に抱いて、ジンベリンは好戦的な笑みを浮かべる。
シーザァルトのコロシアムは実力がすべてだ。罪人が舞台に上がることは、さしてめずらしくもない。そして、コロシアムでは、勝者こそが絶対。一騎打ちに勝てば、たとえ死罪が決まっていたとしても、死刑の執行は免除される。
「しかもぉ! 相手は吸血鬼の女帝に尻尾を振る悪魔のチャンピオン! アツいねぇ。最高だねぇ。それでこそ、革命のしがいがあるってぇもんだ!」
「吠えるじゃねえか。いいぜ。てめぇみたいに意気の良い挑戦者は嫌いじゃねえ」
威勢の良い言葉を吐くジンベリンを、軽くあしらいながらも。
アクアリウスは、内心で冷や汗を流していた。
(やべぇなぁ……コイツ)
最上級悪魔を前にして、一切物怖じしない胆力。
観客のブーイングをものともしない、強靭なメンタル。
そういった点は、とりあえずどうでもいい。
目の前の男に関して、アクアリウスが気になるのは、ただ一点のみ。
(本当にやべぇぜ。俺様と、キャラがダダ被りじゃねぇかぁ……!)
あくまでも、表面上は不敵な笑みを浮かべながら。
アクアリウスは、心の中で戦慄する。
コロシアムの戦いは、真剣勝負であると同時に、エンターテインメントでなければならない。チャンピオンであるアクアリウスにとって、勝利は前提条件。それに加えて、観客たちを楽しませることも考えなければならないのだ。
アクアリウスは、自分の性格がチンピラ寄りであることに自覚がある。そして、目の前に立つジンベリンも、明らかにチンピラ。つまり現状の対戦カードは、ダブルチンピラのツインヒャッハー。マイクパフォーマンスについて、一考しなければならない。
(どうする? 今日は理知的なキャラでいくかぁ……? 閣下も勇者の野郎も観に来てることだしな。ここで余裕のある立ち振る舞いを見せておくのも悪くねぇだろ。よぉし! 今日の俺様はクールにいくぜぇ。こんなチンピラの挑発なんざ、華麗に受け流して……)
「しっかし、あの吸血鬼女帝様、噂通りのべっぴんさんじゃないのぉ。いいねぇ、燃えるねぇ。オレぇがアンタに勝ったら、胸の一つでも揉ませてくれんのかね?」
「んだとてめぇゴラァ!? ウチの閣下を邪な目で見てるんじゃねえ! ブチ殺すぞぉ!?」
秒でキレた。
無理だった。アクアリウスは、そこまで我慢強い悪魔ではなかった。
対峙する両者の闘争心が上がりきった、その瞬間を見計らっていたかのように。開戦のゴングが、高らかに鳴り響く。
「……ひゃは」
同時に、炎槍のジンベリンは動いた。
まるで獲物を狙う蛇のように。深く速く、躊躇ない踏み込みと共に放たれた、槍の一閃。
アクアリウスは、僅かに目を細めた。たしかに速く、鋭い。だが、それだけだ。驚愕には至らない。
アクアリウスが広げた両の手から展開したのは、流水系魔術による水の盾。磨き抜いた技術によって裏打ちされた開戦の踏み込みを、アクアリウスもまた経験に裏打ちされた反射によって的確に防御する。
アクアリウスの防御に、間違いはない。
たった一つだけ、誤算があったとすれば、
「悪いねぇ。チャンピオン」
ジャック・ジンベリンの魔法が『貫通』であったこと。
炎槍の『
流水の円盾を容易く『貫通』した槍の穂先は、あまりにもあっさりとアクアリウスの心臓を貫き、仕留めてみせた。
「オレはあとのない挑戦者だからよぉ。盛り上がりとか考えず、最初っから殺しにいくしかないんだわ」
膝をつき、崩れ落ちる最上級悪魔を見て、ジンベリンは笑った。
◆
バケモノが人間の社会で生きるためには、どうすればいいだろうか?
アクアリウス・ツヴァイという最上級悪魔は、もともと人間がそこまで嫌いではなかった。
悪魔は、人の魂を喰わなければ生きられないバケモノである。悪魔であるアクアリウスにとって、人間という生き物は生きるために必要な捕食の対象だった。
しかし、それはそれとして。人と語らい、人の価値観を知ることはおもしろかった。だから、人間の四天王であるゼアートに部下として仕えることにも、そこまでの抵抗はなかった。
むしろ、アクアリウスは、ゼアートに教えを乞うことが多かった。
戦術に関する知識。占領した地域の統治の方法。そして、もっと純粋な心の在り方。
「ゼアートの旦那ぁ! 俺様は強くなりてぇ! どうしたら、ゼアートの旦那みたいに強くなれんだ?」
「考え続けることだ」
ゼアートの答えは、いつも即答だった。
「思考を止めないこと。考えるのをやめないこと。周りに流されるだけでなく、己が何を成すべきか、見極めること。そうすれば、自然と見えてくるだろう」
「み、見えてくるってぇ……何が?」
「戦う意味だ」
アクアリウスは強くなりたい、とは思っていたが。
なぜ強くなりたいか、までは考えたことがなかった。
「け、けどよぉ、旦那。男なら、強くなりてぇ! って思うのは当たり前じゃねぇか? 理由を聞かれたって難しいぜ」
「ははっ! そうだな。強さを求めることに理由を見出すのは、あるいは無粋かもしれん」
しかし無意味ではない、と。ゼアートはそう言って笑っていた。
それから数ヶ月後に、アクアリウスが尊敬していた老将は、あっさりと命を落とした。数年を経て、魔王も勇者に敗れた。
勝ったのは人類。負けたのは、魔王。勝者は敗者に従わなければならない。
生きる場所を失ったアクアリウスは、しかしそれでも
「仕方ねぇ。人間たちと生きる方法ってヤツを、模索してみるかぁ……!」
水の不足に喘ぐ村があった。アクアリウスは自分の正体が悪魔であることを最初から明かし、村人たちを助けるために、自身の魔法を用いて、飲み水を提供した。
アクアリウスの魔法の名は『
村人たちは感謝した。アクアリウスに頭を下げ、村の片隅での居住を許可した。
なんだ、思っていたよりも簡単じゃないか。
アクアリウスは拍子抜けする気分だった。考えて、行動し、手を差し出せば、人間と共生する道も模索できるじゃないか、と。そう思った。
しかし、数週間ほどの時間が過ぎて、アクアリウスは気がついた。自分の魔法で、人間たちの渇きを癒すことはできる。だが、己の飢えを満たすことはできない。
言葉を交わし、名前を知り、仲良くなった人間たちを喰らわなければ、悪魔である自分は、生きていくことができない。
仲良くなった人間を食べることはできない。そんな当たり前の事実に、アクアリウスはようやく気がついた。
「うぉおおおああ! しまったぁあああああ! 人間と仲良くなったら、俺様が人間を喰えねえじゃねぇかぁああああ!」
頭を抱えて、絶叫して、それでもアクアリウスは、考えた。
考えて、考えて、考え続けた結果。
「……まあ、仕方ねぇ。誰かを殺すよりも、俺様が死んだほうがマシか」
そうして、水瓶の悪魔は、自分自身が渇くことを選択した。
村の片隅でゆっくりと衰弱していくアクアリウスに、手を差し伸べようとする人間は一人もいなかった。当然だ。自分から進んで喰われようとする人間がいるわけがない。村人たちは、誰もがアクアリウスという個人に対する恩義を感じながらも、アクアリウスが悪魔であることを恐れていた。
だから、そんな悪魔を助けてくれる人間は、一人もいなかった。
「なんだ其方。悪魔のくせに、死にかけではないか。なぜ、人間を喰おうとしない?」
人間とは、少しだけ違う。
通りすがりの吸血鬼……ライラ・オフィリア・アーズヘイムが、現れるまでは。
◇
ジンベリンは、その異常に気がつく。
完璧に不意を突いた。心臓を貫いた。紛れもなく、即死だった。勝者はすでに、決まっているはずだ。
にも関わらず、会場内の観客たちの視線は、勝者であるジンベリンではなく……倒れ伏したアクアリウスに向いている。
「な、なんだぁ……?」
どん、どん、どん、と。
観客たちの手拍子が、たった一人の悪魔に向けられる。観客たちの声は、ジンベリンではなく、アクアリウスの名前だけを呼ぶ。
その声援に応じるように。
ゆったりと、水瓶の悪魔は起き上がる。
「おいおい。マジかよ……」
「マジなんだよなぁ。これが」
致命傷が、塞がっていく。
貫かれた傷跡が、満たされ、癒えていく。
「俺様はチャンピオンだからよぉ。挑戦者の攻撃は受けた方が盛り上がるよなぁ?」
魔法は、進化する。
アクアリウス・ツヴァイは、己の魔法を磨き続けてきた。
一雫の水滴が岩を穿つように。悪魔が重ねてきた研鑽は、既に形を伴って、結実している。
公的に確認され、書物に記載されている範囲で、という注釈がつくことになるが……長く受け継がれてきた魔法の歴史の中で、死亡状態から肉体と心の完璧な蘇生を成した魔法の使い手は、たった二人だけだと言われている。
一人は、勇者パーティーの死霊術師。『
そしてもう一人は、闘技場の悪魔。
「俺様の魔法は、触れたすべてを補充する。その概念に例外はない。俺様は不死身だ」
『
「こいよ。貫通野郎。俺様の心に風穴を穿てるか、試してみやがれ」
今回の対戦カード
ジャック・ジンベリン
チンピラ。再登場系ヒャッハー。まあまあ必殺な魔法を持っているのに、いつも対戦相手が悪いかわいそうなチンピラ
アクアリウス・ツヴァイ
チンピラ。素直系ワンコ型ヒャッハー。根が素直なヤツが色々悩んで最強に至るまでがんばったタイプ。腹減ったけど人間喰いたくねぇ!じゃあ俺様が死ぬかぁ!!
こんかいの登場魔法
『
アクアリウス・ツヴァイの魔法。魔法効果は『補充』。シャナの魔法と似たような性質であり、ものを入れる『器』と『中身』さえあれば、いろいろな問題が消失するまあまあヤバい魔法。己の身体を『器』と定義することで、アクアリウスは擬似的な不死性を獲得している。