アクアリウスの復活に、会場が沸く。
あえて攻撃を受け、派手に倒れてから魔法によって復活する。それが、このコロシアムにおいて、チャンピオンが挑戦者を打破する、お約束の流れ。アクアリウス・ツヴァイという絶対王者にのみ許されたパフォーマンス。
不死身の身体。再生の魔法。目の前に立つ最上級悪魔の理不尽な力に直面したジンベリンは、
「いいねぇ! それでこそ乗り越え甲斐があるってもんだ!」
それでもなお、叫びながら、闘争心を奮い立たせる。
震えることも、臆することもなく。即座に、アクアリウスの頭部へ第二撃を叩き込む。
「っ!」
「ハッハァ! アガってきたねぇ! 最高だぁ!」
相手が不死身であることは、炎槍の革命家にとって、後退の理由には成り得ない。
こいよ、と。アクアリウスは言った。
ならば、往くのみ。
ジンベリンの『
(再生速度がバカみたいにはえぇ! 貫通した側から元に戻りやがる! この前の娘さんといい、なんでオレぇの相手はいつもこんな感じなのかねぇ!? 地面を『貫通』させても悪魔には翼があるから落とせねぇしなぁ!? どうするよオイ!)
一撃を撃ち込む度に、ジンベリンは穿ったアクアリウスの身体がどの程度の速度で『埋まっていく』のか。その再生までの時間を注視する。
完全に身体が元に戻るまで、五秒もかかっていない。おおよその見立てで、傷が塞がるまでの時間は、三秒以内。
「不死身ってぇのはおもしれぇよなぁ!? 頭を突いても死なねぇ! 胸を穿っても死なねぇ! 脳ミソをぶち抜いても、心臓をぶっこ抜いても、まだまだ殺りがいがあるんだもんなァ!? たまんねぇよ!」
ジンベリンは、吠える。
熱に浮かされたような狂気的な笑みと言動。その裏に隠れた、魔法を冷静に分析する瞳。
戦意を喪失するどころか、ギアが上がっていく。
対するアクアリウスは、思わず口の端を歪めた。
通常、『
しかし、それでは戦いの意味がないのだ。
王者が絶対的な力を示し、挑戦者が立ち向かう。力と心の激突があってこそ、闘技場の熱狂は加速するのだから。
故に、アクアリウスは相手にわかるように、相手を称えるように、大きく笑う。
「いいぜぇ! 気に入ったぞ革命家ァ! 大した根性だ!」
開戦から十数秒。
駆け引きも探り合いもなく、両者の一騎打ちの密度は、最高潮に達した。
惜しみなく披露されるジンベリンの槍術に、驚嘆の声があがる。
その怒涛の攻撃を受けきってみせるアクアリウスの不死に、熱のこもった声援が飛ぶ。
観客たちの視線と注目のすべてが、闘技場の中心で命を削り合う二人に集中する。
闘技場。命を削り合う、コロシアム。その空間の意義が、これ以上ないほど明確に、鮮明に示される。
「しかしよぉ! コロシアムっていやぁ聞こえがいいが、こりゃあただの見世物小屋だなぁ!?」
「まるで、じゃねぇよ槍使い! 俺様たちの戦いは、事実として見世物だ!」
「アンタぁ、それで満足なのかよ?」
「ああん!? どういう意味だっ!?」
「言葉通りの意味だぜぇ! なぁ、悪魔さんよぉ!?」
間合いのコントロールも、リーチの長さも、ジンベリンの方が上。しかし、アクアリウスを完全に仕留める手段を、ジンベリンはまだ見つけられていない。
せめぎ合いに、空白の間が生まれる。
一旦、距離を取り、ジンベリンとアクアリウスは互いに間合いを測り合う。静かな駆け引きの中に、会話を差し挟む余裕が生じる。
「アンタぁ、最上級悪魔なんだろぉ!? 吸血女帝なんぞに飼われて満足してんじゃねぇよ! 革命しようぜ! 革命! アンタの魔法と力がありゃあ、人間なんぞに尻尾を振る必要はねぇだろ! なぁ、おいっ!」
ジンベリンにとって、王とは最も唾棄すべき存在だ。
権力を振りかざし、我が物顔で国のすべてを牛耳る。ライラ・オフィリア・アーズヘイムの独裁によって成り立つ現在のシーザァルトの在り方は、ジンベリンが最も憎むものだと言っていい。
「けっ。なにを言うかと思えば……」
くん、と。
アクアリウスは、指先を動かした。
そのワンアクションで、悪魔の周囲に、青い魔導陣が浮かぶ。それは、魔術に対してそこまで知識のないジンベリンでもわかる、何の変哲もない流水系の魔導陣。
「冷めること言ってんじゃねぇよ」
まるで、冷水を浴びせかられたかのように。
ジンベリンの頬を
「てめぇの掲げる革命とやらがどれほど高尚なものかは知らねぇが……理想に酔ったバカの戯言ほど、耳に響かねぇもんだ」
大きく手を広げた、アクアリウスの周囲に浮かび上がるそれらは、ジンベリンにとって死の宣告に等しかった。
「サービスタイムは終わりだぁ! ついてこれるか!? 革命家ァ!」
◆
「喰え」
と。
端的に、ライラは飢えるアクアリウスに向けて、そう言った。
一度、アクアリウスの前から消えたライラは、縄で縛った人間の男を連れて戻ってきた。まるで、捨て犬に餌を与えるように。吸血女帝は、最上級悪魔に向けて人間の餌を差し出してきた。
言われた通り、この人間を喰らえば、飢えは満たされるだろう。
だが、おそろしいほどに整った美貌を見上げて、アクアリウスは吐き捨てた。
「舐めんじゃねえよ。俺様は施しは受けねぇ。餌付けして飼おうって腹積もりにはのらねぇよ」
「ほう。死にかけの犬のくせによく吠えるではないか。しかし、吞気に餌を選んでる場合か? 本当に死ぬぞ?」
「かかっ……犬にも餌を選ぶプライドってもんがあるんだよ。女帝様は知らなかったかぁ?」
「……ふむ」
軽く頷いたライラは、縛り上げた男を軽い調子で指差した。
「この男は近くの村で殺人と強盗を働いた人間だ。女や子どもを何人も殺している。国の司法で裁くなら、死罪が妥当だろう」
「……なにが言いてぇ」
「どうせ死ぬ人間だ。其方のような悪魔が食っても、誰も困らん。むしろ其方のように
「ふざけんじゃねぇ!」
女帝の涼しい顔に向けて、叫ぶ。
「人を喰うバケモノを、人が受け入れるわけがねぇだろうが! そんな生き方をしたくねぇから、俺は、人間たちの中で生きる方法を考え続けて……」
「考え続けた結果が、飢え死にか?」
吠えた反論は、やはり涼やかな声で握り潰された。
くだらんな、と。呟きながら、ライラは強盗の男を縛っていた縄をナイフで断ち切った。そのまま、縄を切ったナイフを男に手渡して、妖艶な美貌が笑う。
「妾は罪人にも悪魔にも平等だ。其方にもチャンスをやろう。そこの死にかけの悪魔を殺せたら、其方の罪を軽くしてやる」
「なっ……! てめぇ!」
「さあ。やれ」
アクアリウスは人間を殺すことを迷い、躊躇った。
しかし、強盗の男は、悩む素振りすら見せなかった。
淡々と振り上げられたナイフの大振りな刃と、ぎらついてくすんだ瞳。それらを見て、アクアリウスは気がついてしまった。
自分は、こんな男のためには死ねない、と。
そうして、気がついたときには血だまりの中に、切り裂かれた死体だけが横たわっていた。
「はぁ、はぁ……」
「やれやれ。ここまでお膳立てせねば、餌も食えぬとは。存外、最上級の悪魔というのもかわいいところがあるのだな。これでは犬に餌をやるどころか、生まれたての犬っころにミルクをあたえているようだ」
「なんだとぉ……!」
「何をしている? はやく喰え。殺した命が無駄になるぞ?」
「ぐっ、うぅ……」
夢中で啜った。肉を喰んだ。
それまでの飢えと渇きを癒すように、一心不乱に人間を貪るアクアリウスを、周囲の村人たちは遠巻きに眺めていた。
村人たちは何も言わなかった。
けれど、その視線と態度だけで、アクアリウスは自分の存在が再び『バケモノ』として見られていることを、否応なく認識した。
「う、うぅ……」
アクアリウスは泣いた。吸血鬼の女帝に見下ろされながら、静かに涙を流した。
食べないように、していたのに。
喰わないように、していたのに。
その努力が、すべて水泡に帰してしまったから。
「なぜ涙を流す? 何が悔しい? 何が悲しい?」
「……うるせぇ……だまれ……」
「人に溶け込もうとした、其方の努力が無駄になったことが悔しいか? 人を喰わねば生きていくことができない、己の生まれが悲しいか?」
平坦に、静かに、ライラは語る。
「愚かな」
膝を折る悪魔が愚か者であると、女帝は断じた。
「其方は、生きるということを履き違えている。集団に受け入れられるための無償の奉仕は、やさしさではない。わかるか? 其方のそれは、生き方を求めた思考の結果ではない。安寧を求めた、ただの思考放棄に過ぎん」
「……でも、この村は、俺を受け入れてくれたんだ」
「そうだな。それはたしかに、そうなのであろうよ」
ライラは、アクアリウスの力のない呟きを肯定した。
「で? 其方が助けた人々は、其方のために何かしてくれたのか?」
肯定した上で、最も残酷な問いを聞く。
アクアリウスの答えを待たずに、ライラは振り返って村人たちを見た。
「水不足で干上がったこの村を、彼が救ったと聞いた! 彼の魔法で、多くの村人が救われたと! しかし、事実として今! 悪魔である彼は飢えている! なぜ誰も、彼を助けようとしないのか!?」
アクアリウスを『彼』と呼びながら、今度は村人たちに向けて女帝は問いを投げる。
しばらくの沈黙があって、おずおずと一人の男が手を挙げた。
「恐れながら、申し上げます。彼は人を喰う悪魔です。しかも、元魔王軍の幹部です。無害であるなら、それで良いですが……共存することは難しく……」
ああ。やはりそうだ。アクアリウスは、また顔を伏せた。
居場所を見つけられた、受け入れられた、と。そう思っていたのは自分だけで……結局のところ、アクアリウスという存在は『バケモノ』としか見られていなかった。
「愚か者どもがっ! 恥を知れ!」
一喝する、声が響いた。
ライラ・オフィリア・アーズヘイムは、顔を伏せるアクアリウスを庇うように前に立ち、叫んだ。
「其方らの肉親や家族を! この者が殺したのか!? 虐げたのか!? 憎しみを持つだけの悪行を成したのか!?」
女性のものとは思えない、芯の通った声音が、周囲を圧する。
「自分たちは渇きから救われておきながら、恩人の餓死を静かに待つのか!? 人とは違う生き物だからと、言葉が通じる相手を見捨てるのか!? なんと厚顔無恥で、見苦しい所業か!」
強くなりたい。
それが、アクアリウス・ツヴァイの望みだった。
強さとは、屈しないこと。何ものにも負けず、誰にも庇われず、ただ一人で最強であること。
ライラに庇われる自分は、弱く、見苦しく、情けない存在だった。
けれど、
「彼がバケモノであるなら、人の血を吸わねば生きていけぬ妾も、彼と同じだ! 彼をバケモノと蔑むのであれば! このライラ・オフィリア・アーズヘイムも同じように蔑んでもらおうか!」
誰かが、自分を守ってくれる。
その安堵を、アクアリウス・ツヴァイという悪魔は、はじめて知った。
知ったからこそ、縋りたくなってしまった。
「どうすりゃいい……どうすれば、悪魔は人の中で生きていける?」
「簡単なことだ」
ドレスが血だまりで汚れるのも構わず、ライラは膝を折った。
アクアリウスと同じ目線を持って、告げる。
「其方はまず、己の心を満たすことからはじめよ」
「こころを、満たす……?」
「アクアリウス。其方は何を望む?」
「……強くなりてぇ」
「そうか。ならば、妾のもとにくるがよい」
本来、人間に契約を持ち掛けるはずの悪魔に対して、ライラは真逆に提案を行う。
「妾の国は、差別をしない。妾の国は、民を飢えさせない。妾が其方を、人々から喝采と称賛を浴びる……人に愛される悪魔にしてやる」
「……ありえねぇ理想だな」
「知らんのか? ありえない理想を現実に描き出すのが、良い指導者というものだ」
吸血女帝の細い指先が、無骨で荒れた悪魔の手を、強引に取る。
下を向いたまま、アクアリウスは言葉を漏らした。それが、精一杯だった。
「……なんでアンタは、こんな厄介な悪魔をひろおうとするんだ」
「決まっておろう」
ライラ・オフィリア・アーズヘイムは、王として即答する。
新たな臣下となる、悪魔に向けて。
「迷えるひとを導くのが、王の務めだからだ」
揺るぎない器を、その一言に感じて。
「面をあげよ。アクアリウス・ツヴァイ。妾の臣下となったからには、地に伏し、砂を嚙み続けることは、断じて許さぬ」
はじめての命令に従って、悪魔は視線を上に向ける。
ひさしぶりに見る空の色は、とても美しかった。
◇
「俺様とてめぇに違いがあるとすれば……己のすべてを捧げたいと思うほどの主との出会いがあったか。ただそれだけだ」
アクアリウス・ツヴァイの魔法『
補い、充てることができるのは、アクアリウス自身が『器』と定義したものの、中身である。
たとえば、水の入った一杯のコップがあったとして。アクアリウスがそのコップに触れた瞬間から、コップには水が満たされ続ける。そして、コップの縁からこぼれたあとも、アクアリウス自身が魔法を止めない限り、水はとめどなく溢れ続ける。
己の魔法と向き合い続けたアクアリウスは、すでに『
「ちぃ!?」
高圧水流。凄まじい速度と切れ味を誇るそれを、ジンベリンは紙一重で避ける。
「月並みなセリフを吐かせんなよ。いくら逃げても無駄だ」
「弾切れとかっ……ねぇのかよぉ!?」
「ねぇよ」
アクアリウスの周囲に浮かぶ流水系魔導陣は、そのすべてが水を撃ち出す砲門。いくつかの工夫と研鑽を以て磨き抜かれたそれらは、引き絞られた射出口から流水の刃を撃ち出す。
当然のことながら、魔導陣は魔力を食う。たとえば、水を撃ち出す流水系の魔術は、魔導陣という『蛇口』をつくり、魔力で生み出した『水』を射出する。
しかし、アクアリウス・ツヴァイは『蛇口』という入口をつくってしまえば、永遠に中身を『補充』することができる。
弾切れの概念はない。水瓶の悪魔の『
「まだ、だぁ!」
最後の意地で、ジンベリンが投げ放った炎槍は、アクアリウスの胸を貫いた。
そして同時に、無数の水の刃が、ジンベリンの全身を切り刻んだ。
勝負は決した。
今日もまた、闘技場の悪魔は、絶対の勝利を観客に見せつける。
雨のように響く歓声の中。倒れ伏したジンベリンに言葉を届けるために、アクアリウスは膝を折った。
「強かったぜ。槍使い。てめぇは強かった。ひさびさに、食い甲斐のある相手だった」
「ひひっ……律儀な悪魔だねぇ。餌にする人間のことなんざ、いちいち覚える必要ねぇだろうによ」
ジンベリンの皮肉を、しかしアクアリウスは笑わなかった。
「忘れねぇよ。てめぇはこの闘技場を見世物と言ったが……俺様も、それを否定する気はねぇ」
アクアリウスは、自身の魔法である『
だから、シーザァルトのコロシアムは、ライラがアクアリウスという悪魔のために用意した『器』なのだ。
悪魔が合法的に、人を喰うための皿。一騎打ちを興行に仕立て上げ、英雄として祭り上げる。それはたしかに、残酷で歪んだ行為であるのかもしれない。
「肉を食うとき、食った肉の名前なんていちいち覚えねぇだろ? だがな、戦って殺した相手の名前は、絶対に忘れねぇ。このコロシアムで戦う限り、俺様はチャンピオンで、相手はチャレンジャーだからだ」
生きるための、一方的な捕食ではない。
命をかけたやりとりの中に、生きる意味を見出す。
だから、アクアリウスは自分に挑み、喰われていった挑戦者たちの名前を、すべて記憶している。
「なあ、ジャック・ジンベリン。てめぇとの戦いは、美味かったぜ」
「……ははっ」
最期の言葉を、観客たちの見世物にしないために。アクアリウスは大きく翼を広げて、自身とジンベリンの身体を包み込む。
そして、次に翼を開いた瞬間には、ジンベリンの死体はもうどこにもなかった。
口元を拭って、勝者である悪魔は大きく手を掲げる。
「約束しよう! 来たる極彩天武会! このアクアリウス・ツヴァイが、シーザァルトの国民に変わらぬ勝利をもたらすことを!」
大歓声が、闘技場を満たしていく。
アクアリウス・ツヴァイは、己の身体を『器』として定義している。
この身は、万民が信じる最強の具現。
人とはちがうバケモノであっても、人々からの声援と歓声を手にできることの証明。
異なる種族が、国という一つの器の中で共存する。
吸血女帝ライラ・オフィリア・アーズヘイムの信じる理想を、形にするための器である。
◇
腕を掲げる悪魔を見下ろして。
来賓席に座る勇者は、たった一言だけ声を漏らした。
「なるほど。強いな」
その呟きに、彼の隣に座る女帝は、喜色の笑みを一段と濃くした。
こんかいのとうじょうあくま
アクアリウス・ツヴァイ
ヒャッハーチンピラ型最強チャンピオン悪魔。昔は捨てられワンコ型ヤンキー悪魔だったが、ライラ様にひろわれてツヤツヤの忠犬型悪魔に成長した。自身と相性の良い流水系魔導陣の扱いに長けている……というよりも、普通に現状作中最強の水使い。賢者ちゃんが魔導陣を並列で増やすのに対して、アクアリウスは起動した魔導陣をノーコストで維持し続ける方向に適性がある。物量で押し潰す戦法に対してのアプローチが違うとも言える。
頭の出来はいまいちだが、殺して食った相手の名前は絶対忘れないようにしてる良いヤツ。