くすぐったくて、目が覚めた。
「え?」
閉じていた目を開けると、めちゃくちゃかわいい女の子がナイフを握りしめて、おれの上に馬乗りになっていた。どこからどう見ても、完全に事案である。どうやら、おれは寝込みを襲われて刺されそうになっていたらしい。
目は口ほどにものをいう。きれいな色の瞳は、動揺で揺れていて。その中に、おれの顔が写っていた。
うーん。わりとひどい顔をしているな……やれやれ。
「……!」
また、ナイフが振り下ろされた。殺すつもりで刺してきた、というのはわかる。
しかし、刺さらない。おれの肌は、非力な力で振るわれる刃を、簡単にはじいた。
「なんで……?」
「ん? 勇者だから」
「……勇者は、ナイフ刺さらないの?」
「うん。勇者だからね」
シンプルに答えて、ナイフを払い除けて起き上がる。おれが力を込めると、華奢な体は簡単に倒れて、上下が逆転した。
「長老に言われた? おれを殺せって」
「……」
「うん、わかった。言いたくなかったら、言わなくてもいいよ」
瞳の色が、滲む。
ああ、この子は最初から泣いていたんだな、と。今さらながらに気がつかされる。
鈍感野郎、とアリアにまた怒られそうだ。これは反省しなければなるまい。
「……ごめんなさい」
掴んだ手首の、脈が早くなる。
人間の声って、こんなに震えるんだな、と。やけに冷めた頭で思った。
おれの中に、二種類のおれがいる気がする。
泣いている女の子の頭を撫でて、今すぐにでも安心させてあげたいおれと。
殺されかけたなら、相応の対処をすべきだと警告を告げるおれだ。
「私、お兄ちゃんに、側にいてほしくて。お兄ちゃんが、ほしくて、だから」
声音に嘘はない。しかしその言葉は、吐き気を催すような矛盾を孕んでいた。
こんなにも熱く求めながら、殺そうとする。
こんなにも涙を流しながら、強く欲する。
その致命的な食い違いの原因は、きっと本来この子の中にはなかったもので。この子の体に宿ってしまった魔法と、それを利用しようとした汚い大人たちが、この子をこんな風にしてしまって。
「ごめんなさい」
繰り返される空虚な謝罪に、耳が痛む。
この子は『おはよう』は知らなかったのに『ごめんなさい』は知っているのだ。
もしかしたら、穏便に済むかもしれないと思っていた。この子を連れていくか、と聞かれたから。だから、なんとかなるかもしれないと思っていた。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。私、お兄ちゃんのこと、殺そうとしちゃった」
でも、甘かった。
「だから、いいよ。私のこと、殺していいよ」
すべて、おれが甘かった。
「殺そうとしたから、殺されるのは……当然だと思うから。大丈夫。私、
増やしてしまえば、代わりがいる。だから、大丈夫だと。
おれよりもずっと小さい女の子は、そう言っていた。
「だから、私を殺していいから……私のこと、きらいにならないで」
わからない。
この子が言う『私』とは、一体誰のことを指すのだろう?
この子はきっと今までもたくさん増やされて、使い捨てられて。そしてこれから先も、いくらでも増えて、周りの都合で使い捨てられていくのだろう。
おれは良い。これから世界を救いに行くのだから、いくら魔法があっても困らない。どんな魔法でも欲しい。
アリアだってそうだ。己の魔法を見詰め直して、研鑽し、懸命に自分の力にしようとしていた。それはいい。それは、問題ない。
でも、こんな小さな女の子に、こんな残酷な魔法を与えるのは、やはり間違っている。
奪わなければ、ならない。
「シャナちゃん」
ナイフは、手の届く距離にあった。
「おれの魔法は……殺した相手の力をもらうんだ」
「え?」
手を離して、立ち上がる。床に落ちていたそれを、拾い上げる。
実際に持ってみると、抜き身の刃は予想していたよりも重かった。でも、まだ軽い。
だからおれは、ナイフをベッドの上に置いて、自分の剣を引き抜いた。より効率的に人を殺すために作られた刃の切っ先を、少女に向けた。
「正直に言う」
身に纏う空気が変わったのを、理解したのか。小柄な体が、まるで獣から逃げるように、後退った。でも、扉には鍵がかかっている。外には出られない。
そう。人間は、心臓を一突きすれば、簡単に死ぬ。
「おれは、きみの魔法が欲しい」
剣を、突き立てる。
彼女の呼吸が、止まる。瞬間が、永遠に感じられるように、静止した気がした。
「っ……が」
シャナちゃんの、背後。
おれが突き立てた剣は、
とんとん、と。肩を軽く叩く。止まっていた呼吸が戻った。
「……はっ……はっ」
「驚かせて、ごめん。脅すようなことをして、本当にごめん」
ぽろぽろと、また瞳から雫が落ちる。でもその涙は、さっきまでとはまた種類の違う涙だった。絞り出すような冷たさではなく、自然と溢れるような温かさがあった。
頬が、興奮で赤くなっている。薄い胸が、上下に揺れている。
おれの目の前で、この子はたしかに生きている。
「でも、どう思った?」
「……どう、って」
「死にたくないって。そう思ったでしょ?」
わかってほしい。
その気持ちに、替えなんて効かない。
「それは、きみだけのものだ。きみだけの命だ。だから、いくら増やせても、簡単に捨てちゃいけない」
わかってほしい。
今を生きている自分に、代わりなんていない。
「おれが助けたいのは、きみだ。シャナ」
おれは、世界を救うために、この子の魔法が欲しい。
だから、おれの都合で、おれがこの村から奪う。そう決めた。
もう一度だけ、手を伸ばす。
「おれと一緒に、来てくれる?」
返事はなかった。伸ばした手は掴まれずに、胸の中に飛び込まれた。震える背中をさすって、抱き止めた小さな体を持ち上げる。
これが、おれが抱える命の重さだ。
「よし、行こうか」
子どもに殺しを任せて、それで安心するような馬鹿はこの世にいない。
夜闇に紛れて、エルフの戦士達は、勇者の寝所を取り囲んでいた。
「出てこないな」
「部屋の前にも、1人置いていたはずだが」
舌打ちと、嘲るような笑いが混ざる。
元より、シャナが失敗することは想定済みだ。だからこそ、彼らは年若い勇者を、こうして待ち構えている。
「あのガキ、強いのか?」
「さあ? ただ、王都では『勇者の再来』なんて持ち上げられて噂になっていたとか」
「人間の話だ。我々にはわからんよ」
「どうする? 踏み込むか?」
「いや、出てきたところを狙えばいい。どうせ」
どこにも逃げられはしない、と。
最も前で弓を構えていたエルフの言葉は、最後まで続かなかった。その顔の中心に、寸分違わず銀色のナイフが突き刺さったからだ。
「は?」
反射的に短剣を構えたエルフは、しかし仲間の顔面に突き刺さったナイフの柄に見覚えがあった。それは、彼があの勇者の少年を殺させるために、シャナに持たせたナイフだった。
顔を上げて、息を呑む。少年の部屋の窓が、薄く開いている。
「……構えろっ! 気づかれているぞ!」
そして、その言葉を最後に、彼もまた絶命した。
窓から弾丸のように飛び出してきた影が、無造作に頭を踏み砕く。胸を剣で貫きながら、有り得ない素早さで地面に着地する。悲鳴すら残して逝くことも許されず、脱力した腕から槍が落ちた。
「……ッ!?」
エルフの戦士の判断は素早かった。一瞬で死体になった仲間には目もくれず、少年に向けて大剣の刃を横に薙ぐ。獲った。そう思った時には、太い両腕が、肘から切り離されて宙を舞っていた。
可動域を離れた腕と、感覚の喪失。それらの理解が追いつくと同時に、鮮血が吹き出した。少年の右手には、既に拾い上げた槍が握られており……驚愕と痛みに歪む顔面が絶叫をあげる前に、口の中に差し込まれた刺突が、声と意思を奪い去った。
たった10秒足らずで血袋に変化した仲間達を見て、ようやくエルフが声を発した。
「な、なんのつもりだ! 我々は……」
「今さらそれは無理があるだろ」
声を発することが許された、と言った方が正しかったかもしれない。
しかし、その言い訳を最後まで聞かずに、少年は死体から引き抜いた剣を回して、首を刎ねた。
これで5人か、と。確認するように呟く。
「いいや、6人だ」
直上。仲間が殺されても機会を窺っていた狡猾なもう1人が、巨大な斧を薪割りの要領で振り下ろした。
エルフには、人間にはない特徴がある。背中から生えた、虫のような翅。それは当然飾りなどではなく、空中を自由自在に駆け、人間の戦士とは異なる立体的な戦闘を可能にする。
そもそも、人間の警戒が最も薄くなると言われているのが、頭上という死角。人である以上、少年もそれは例外ではなかった。
避けることはもちろん、反応することすら叶わず、少年の頭に、薪を割るように分厚い刃が直撃する。
「あ……あぁ!?」
ただし、その少年はただの人間ではなく、勇者だった。
近接戦を得手とするそのエルフにとって、直上からの奇襲は完璧なタイミング。頭どころか、股の下まで裂けて真っ二つになってもおかしくはないほどの、全力の振り下ろしであった。にも拘わらず、エルフが感じた手応えは、まるで鋼鉄の塊に斧をぶつけたようなもので、
「な、なんだお前……!」
「勇者だ」
ぐりん、と。頭で刃を押し返した少年は、軽く話しかけるような気安さで斧を持つ腕を掴み、中ほどからへし折った。と、同時に開いた手のひらで顔面を掴みこみ、前に突き出す。
さながら身を守る盾のようになったそのエルフの体に、前方から3本の矢が突き刺さった。顎が絶叫で開きかけたところを見るに、おそらく毒矢なのだろう、と。判断した少年はまだ息のある盾を矢の方向に向けて投擲した。次に右手の槍を、最後に斧を回転をかけて放り投げる。それらはまるで自分から吸い込まれるかのように、樹上に息を潜めていた射手達に命中した。
「……バカな」
槍が心臓に突き刺さり、斧に頭を割られた2人が、呆気なく息絶える。仲間の体をぶつけられた1人だけは、潰れたカエルのように地面に落下して呻いた。
「くそっ。なぜ、こちらの場所が……」
立ち上がろうと地面についた手のひらを、刃が貫いて縫い止める。
「ぎっ!?」
「仲間は? あと何人いる?」
どこまでも冷たい声だった。
問いかけと共に、ねじ込まれた剣が回る。だが、エルフは少年を睨めつけて言った。
「……人間如きが、図に乗るなよ」
「わかった」
頷いて、首を落とす。
「まだ、いそうだな」
勇者とは、魔王を討つ者。人々を導き、救う者。
それが敵に回るということが、何を意味するか。彼に刃を向けるエルフ達は、身を以て知ることになる。
エルフの血の匂いも、そんなに人間と変わらないらしい。うれしくない発見だ。
ふっと息を吐いて、鉄臭い空気を肺の中に入れる。
おれを待ち構えていた集団は片付けた。あとは、親玉が残るのみ。
わざとゆっくりと、振り返る。気配の主は、おれが気がつくのを待っていたようだった。
「……いつから、生かして帰す気がないと気がついていた?」
「なんとなく、価値観が違うなって思った」
笑顔と言葉で、それは巧妙に取り繕われていたが、違和感は拭いきれなかった。
「夕食の席の時。あんた、シャナのことを思い遣るような言い回しをしてたけど、一度もシャナのことをエルフって言わなかったんだ」
人間、とだけ言っていた。村の誰もが、一度たりともシャナのことをエルフとは呼ばなかった。自分たちと同じ種族だと言わなかった。それが、もうそのまま答えだ。
付け加えれば、やはり最初からこの老獪はおれの体を……魔法を目当てにしていて、逃がす気など毛頭なかったのだろう。
「シャナは連れて行く。あんたを殺しても」
「良い威勢だ。しかし、これを見てもそう言えるかね?」
無造作に、長老は右腕を振って、地面に何かを放り捨てた。
それは、死体だった。見覚えのある剣は折れていて、見覚えのある服装はボロボロになっている。なにより、見覚えのある顔が、恐怖で歪んだまま固まっていた。
「わしが殺した」
――おれの、死体だった。
「……そっか」
この老人はどうやらおれを殺せるらしい。状況は、明らかに悪化した。
でも同時に、少しだけ良かったとも思った。
自分と同じ存在を、殺される。シャナの気持ちがわかるようになったから。
「自分の敵討ちをさせてもらえるなんて、貴重な体験だ」
今回の登場人物
・勇者くん
覚悟ガン決まりになった。この時点で『
・シャナ
彼に攫われることを決めた。
・長老
苦しまずに死んでくれればよかったが、バレたなら仕方ない、くらいのスタンス。
・勇者くん(2人目)
殺された。