「で、おれはそのエルフの村の長老を一騎打ちでぶっ倒して」
「そんなこんなで村の中で迫害を受けていた私は、勇者さんにまるで攫われるように助け出され……そして、今に至るわけです」
なんかおれが思い出話をしていたはずなのに、後半の語りの主導権を賢者ちゃんに握られちまったな。
フォークを握ってデザートのケーキを食べていた赤髪ちゃんは、食べるのと同じくらい夢中になって、おれたちの思い出話に耳を傾けていてくれた。ていうかコイツ、めちゃくちゃ器用だな……頷きながら全然食事の手止まってなかったんだけど。
「ほえー、勇者さん、若い頃はそんなにやんちゃしてたんですねぇ」
「は? おれは今でも若いが?」
「やめといた方がいいですよ勇者さん。絶対あの頃よりは老けてるんですから」
「今よりちっちゃい賢者さんも、ちょっと見てみたいですね」
「は? 今よりってなんですか。今も小さいみたいな言い回しはやめてくれませんかね? 私はこんなに立派に成長しているんですが?」
「やめといた方がいいぞ賢者ちゃん。絶対成長はしているけど、いろいろと小さいままなんだから」
「加齢臭が臭ってくるので、口を閉じてもらえますか。おじさん」
「言葉遣いが汚いぞ。チビ」
そのまま無言で賢者ちゃんと取っ組み合っていると、めずらしくちょっとむくれた表情で、騎士ちゃんが言葉を挟んだ。
「でもいいよねー、勇者くんは。あたしは四天王の1人にふっ飛ばされて、痛む身体を引きずりながら必死で行方を探していたのに……自分は伝説のエルフの村に行って、小さな女の子と戯れてたんだから」
「あのねえ、騎士ちゃん。ちゃんと話聞いてました? おれ、実際殺されてるし、殺されかけてるんですけど? 全然そんな楽しい時間を過ごしてたわけじゃないんですけど!?」
「しらなーい」
騎士ちゃんは昔からこの話をすると、目に見えておへそが曲がって機嫌が悪くなる。まあ、死に別れたと思った仲間の男が、能天気に幼女を拾って戻ってきた……と考えると、おれにも少し非があるのかもしれないが。
「ええ、ええ。騎士さまがむくれるのもわかります。他の女との思い出話なんて、詳しく聞かされたところで一文の足しにもなりませんもの」
「武闘家さん、その女捨てていいですよ」
「わかった。食後の、運動」
「は? ちょっとやめてください。なんで窓を開けてるんです? いや、もちろん興味深いお話でしたわ。わたくしが勇者さまにお会いできたのは、そのずっと後でしたからね。まだ未熟な果実のような勇者さまを、わたくしもぜひたべ……」
「せいっ」
「あぁあぁぁぁあぁぁぁ!?」
賢者ちゃんが窓を開け、そこから師匠が放り投げる見事なコンビネーションで、死霊術師さんが一足先にダイナミック退店した。うん、とてもお行儀が悪い。
「よく飛んで行きましたね」
「うむ。死霊術師投げの、新記録樹立は、近い」
こんなところで競技記録の更新を目指さないでほしい。
「死霊術師さん……見えなくなっちゃいましたけど、大丈夫でしょうか?」
「大丈夫大丈夫。どうせこれから向かうのはあっちの方角だし、殺しても死なないし、武闘家さんはああ見えてコントロール抜群だし」
「なら大丈夫ですね!」
騎士ちゃんの言葉に、軽く頷く赤髪ちゃん。この子、うちのパーティーにかなり毒されてきたな……
「でも、わたしはお二人の話が聞けて楽しかったです」
「べつにお世辞はいりませんよ」
「いえ、本当です」
賢者ちゃんにぐっと顔を近づけて、赤髪ちゃんはニコニコと笑う。
「わたしが勇者さんに助けられたみたいに、賢者さんも勇者さんに助けられて……なんていうか、やっぱりその頃から、勇者さんは勇者さんだったんだなって!」
賢者ちゃんは、少し困ったような表情で、助けを求めるようにおれを見て。
「……」
おれも、黙って肩をすくめた。
「……よっし。腹ごしらえと休憩も済んだし、そろそろ行きますか」
さてさて。
結構長いこと話していたので、テーブルの上の料理はそのほとんどがきれいに平らげられ、デザートや食後のお茶もほとんど消えていた。死霊術師さんは今消えた。
食事も栄養補給もばっちり。そろそろ、この店を出るには良い時間だろう。
「じゃあ、おれと賢者ちゃんは支払いを済ませておくから、先に外出て待ってて」
「はい、わかりました」
「よろしくね」
連れ立って扉を開ける赤髪ちゃんと騎士ちゃんの背中を見送る。店の中に残るのは、おれと賢者ちゃんだけになった。
なんだかひさしぶりに、2人きりになった気がする。
「……なんかさぁ」
「はい」
「……なんというか、こう……おれ、赤髪ちゃんのああいうところに、たぶん弱いんだよな」
「惚気ですか?」
「違う違う。こそばゆいなって話だよ」
お勘定をお願いするために、マスターに手を上げながら、おれは隣に座る賢者ちゃんのフードを軽く叩いた。
「それにしても、よくおれに話を合わせられたね。賢者ちゃんは、ほとんどあの夜のこと……
「こう見えても、今では教壇に立って生徒に講義したり、無駄に権力を持った貴族と腹の探り合いをする立場ですから。軽く話を合わせるくらい、造作もありませんよ」
「成長したなぁ……」
「保護者面はやめてください」
「しれっとした顔で嘘を吐くようになっちゃって」
「嘘なんて言ってません」
目深に被ったフードに隠れて、この子の表情は見えない。
「私はあの夜、勇者さんに助けてもらった。それは、本当のことです」
いいや、違う。
赤髪ちゃんも言っていた。おれが、賢者ちゃんを救った、と。だが、それは違う。それだけは、絶対に違う。
あの夜。まだ勇者ですらなかったおれは、たった1人の少女を救うことすらできなかったのだから。
「シャナ! シャナっ!」
不格好に地面に着地し、大声で叫ぶ。
なるべく、巻き込まずに戦闘を行ったつもりだった。あのクソジジイの狙いはあくまでもおれと、おれの魔法。だから、おれに引き付けて戦闘を行えば問題ない、と。そう思っていた。
だから、勝った瞬間に。
その命を奪った瞬間に。
致命的なまでに、選択を間違えていたことに、気がつかなかった。
忘れていたのだ。おれが息の根を止めた魔法使いが、何を『浮かせていた』のか。
「シャナっ! どこだ! 返事をしろ!」
クソジジイを殺した、その刹那。直上に残されていた、大量の岩の砲弾のコントロールが、すべて失われた。
おれの『
落ちる。
留めきれなかった。コントロールしきれなかった。おれの周囲は、辺り一面がまるで絨毯爆撃を受けたような有り様で、
「シャ……ナ」
おれが助けたかった小さな女の子の下半身は、岩に潰されていた。
「お兄……ちゃん」
息はまだある。だが、息があるだけだった。
「ごめん……ごめんね。私は、やっぱり……人間じゃないから。エルフだから。お兄ちゃんとは一緒に行けないみたい」
「そんな、そんなことはない。そんなはずない!」
否定しながら、手を握る。
どうすればいい?
「村の東の、外れ。地下室に……最初の、私がいるの」
「やめろ、もう喋るな! おれが絶対に助け……」
「うん。お願い」
絡まった指の、その力が、とても強くなった。
「絶対に、助けて」
けれど、それは本当に一瞬で。
繋がった指から、熱が失われていく。
「私は、もうダメだけど……でも、私は、まだいるから」
嘘だ。代わりなんていない。
最初に出会って。言葉を交わして、花を摘んで、一緒に笑った。
おれが知るシャナは、今ここにいるシャナしかいない。
「いやだ……だめだ。シャナ」
「大丈夫だよ。お兄ちゃん」
平気だ、と。
「私は、私だから。きっとまた、お兄ちゃんのことを、大好きになるよ」
少女は、最後まで強く笑っていた。
まるで、明日から冒険の旅に行くような、そんな明るい笑顔で。
「……」
熱が失われた指を離して、立ち上がる。
立ち上がらなければ、勇者にもなれないおれに、価値はない。
「……助けなきゃ」
きみしかいない、と言ったはずの少年は。
少女の影を探して、炎の中をさまよい歩く。
そんな彼を、魔の王は炎の中から眺めていた。
「魔王様ぁ……いいんですか? せっかく、あのひよっこ勇者くんを探してこんなところまで来たのに」
森が、燃えていた。
その熱の中心には、魔王と呼ばれた少女と、もう1人。朱色の中に影を落とす、漆黒が在った。フリルとリボンがこれでもかとあしらわれた可憐なドレスを身に纏い、火花を添えてくるくると踊り舞うその姿は、舞踏会の華のようだった。
「うん。今は、会わなくていい」
「えぇ。それじゃあ、わたしがここまで連れてきてあげた意味がないじゃないですかぁ」
「いいじゃない。そういうのが、あなたたちの仕事でしょう?」
「ちーがーいーまーす! こういうのは『四天王』の仕事じゃありませーん!」
「じゃあ、仕事をあげる」
魔の王は、何ともない口調で命じた。
「この森、全部燃やして。おねがい」
「お……おぉ! おぉ! わかりますよ! これは、あれですね! 嫉妬の炎ってやつですね!」
「そういうのじゃないわ」
瞬く間に広がっていく炎の光を受けて、透明な髪が妖しく煌めく。
「ただ、わたしの勇者に手を出した翅虫が鬱陶しいだけ」
魔の王は微笑む。
わたしの勇者には、たくさん悲しんで、たくさん泣いて、もっともっと、強くなってもらわなければ……でなければ、彼は勇者にはなれない。
それに、
「どんなに寄り道をしても、どんな冒険をしても……彼は最後に、必ずわたしの元にやってくるから」
だから、嫉妬する必要なんてない。
もう死ぬのかな、と。少女の意識は、諦観と失意の底にあった。
最初の1人であるが故に、少女はそこに囚われていた。日も当たらず、変化もなく、ただ暗く冷えた地下牢の中で、鎖に繋がれて観察されていた。
だから、地下室にまで回ってきた火の手を見たときの感情は、恐怖でも驚きでもなく、やわらかな安堵だった。
ああ、これでようやく死ねる。楽になれる。そんな安心だった。
一つだけ、気掛かりがあるとすれば。魔法によって増えた自分がどうなったのか。それだけは、知りたかった。ろくな扱いを受けていないのはわかっている。それでも、きっと他の自分は、ここにいる自分よりはましな生活をしているはずだから……もしかしたら、この村から逃げ出して、外の世界で幸せに暮らしている自分もいるかもしれないから。
そう考えることだけが、少女の希望だった。
そう考えることだけが、少女の希望だったはずなのに。
扉が開いた。
「……よかった」
はじめて見る少年だった。そして、はじめて見る人間だった。
「あぁ、よかった、生きてる。よかった」
うわ言のように呟きながら、少年はシャナの口に嵌められた自決防止の口枷を、次に手足の動きを封じていた鎖を外してくれた。
「にん、げん?」
「ああ、人間だよ。遅くなって、ごめん」
炎の光に目を焼かれそうになりながら、それでも少女は懸命に少年の表情を見た。
少女には、わからなかった。
どうして、この人は……こんなにも、泣きそうな顔をしているんだろう?
「
「……きみを、助けに来たんだ」
助けに来た。
諦観と失意の底にあった少女の意識は、その一言で、引き上げられた。
もうほとんど諦めていたはずの、生への渇望が顔を出した。
「私、エルフじゃないのに……人間なのに、助けてくれるの?」
「……そっか」
また、もう一つ。
確かめるように、少年は頷いた。
「きみは、エルフじゃないのか……」
おそるおそる、血まみれの手が少女の頬に伸びた。
不思議と、こわくはなかった。
まるで、自分を決して壊してしまわないように触れる指先に……鉄の臭いがする手に、やさしさがあったから。
「……よし」
その一言で、彼の中の何かが切り替わった。
面と向かって、少年は聞いてきた。
「この村は、好きか?」
面と向かって、少女は首を横に振った。
「じゃあ、一緒に行こう」
それ以上は何も聞かずに、少年は少女に手を差し伸べた。
理由はない。事情もない。たった一つの質問と答えだけで、少年は少女を連れ出すことを選択した。
少女の名は、シャナ。
「あー、でもちょっとお願いがあるんだ」
わざと、おどけるように。
少年は、少しだけ悩む素振りを見せて、シャナに言った。
「おれ、これから世界を救うために魔王を倒しに行くんだけど……手伝ってくれる?」
シャナには、そもそも世界が何かわからなかった。
シャナには、魔王がどれほどおそろしい存在なのか理解できなかった。
しかし、目の前の少年が救いたいものは救いたいと思ったし、倒したいと思ったものは、倒さなければならないと確信した。
シャナにとって、手を差し伸べてくれた少年が、はじめて知る世界の全てだった。
だから、
「あの、私……いっこだけ、特別な魔法が使えます」
気持ち悪い自分の力も、役に立てるかもしれないと思った。
けれど、それを聞いた彼はなぜか笑った。
ただ、笑って、答えた。
「うん。知ってるよ」