アリア・リナージュ・アイアラスは、窓から差し込む朝日で目を覚ました。
「ん」
騎士学校の宿舎のベッドは、やはり王城のそれと比べると硬い。しかも、1人ではない部屋で起きるのはひさしぶりだ。
「あ、えっと。おはようございます、姫様」
「うん。おはよう。でも、姫様はよして。あと、敬語もいらないよ? これから同じ部屋で生活していくわけだし」
「あ、あはは。ごめんなさい。わかっているんですけど、なんとなく緊張しちゃって」
同室の女子は、縮こまるように体を固くした。またやってしまったな、とアリアはため息を吐きたくなった。
無理もない。アリアは人と話すのが大好きだし、いろいろな人と仲良くなりたいと思っていたが、残念ながら王女という立場と生まれ持った魔法がそれを許してくれなかった。
(でも、大丈夫)
昨日は、とても良い出会いがあった。
自分と同じように入学式を抜け出して、自分と遠慮も手加減もなしに剣を交えてくれた、あの少年。彼は自分の顔色を伺うこともなく、ありのままのアリアと本気で向き合ってくれた。
彼が勇者になる、というのなら。自分はそれを助けたい、と強く思う。
制服のブラウスに袖を通して、ネクタイとリボンを選ぶ段階に至って。彼はどちらが好きだろう……とアリアは考えた。そうして、とても自然に彼に
「……」
なんとなく、頬が火照るのを自覚しながら、リボンを置いてネクタイを手に取る。
これはよくない。自分は、彼の騎士になる、と言ったのだ。たとえ口約束でも、約束は約束。そして、その誓いは誇りに懸けて撤回できない誓約だ。
キュッとネクタイを締めると、身も心も引き締まる気がして、アリアはふぅ、と息を吐いた。鞄を持ち、部屋を出る。同室の女子もそれを待ってくれていたのか、一応2人揃って寮の門を潜った。
「あの、姫様。一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「ええ、どうぞ」
敬語と姫様呼びを取ることは、これから先の目標にしよう。アリアは諦めて、まずは友人との会話を楽しむことにした。
「昨日、姫様は入学式を無断でサボって、私的な決闘で屋上を爆破したと聞きました」
「……」
最初から、全然まったく会話を楽しめる気配がなかった。
というか客観的にそう言われて考えてみると、アリアは入学初日からあまりにも盛大にやらかしていた。普通の生徒なら退学になっていてもおかしくないレベルである。
冷や汗を流しながら、アリアは顔を背けた。
「ば、爆破はしてないよ? ちょっと壊しただけっていうか、なんていうか」
「でも、すごい音が響いて、見に行ったら屋上が明らかに半壊していましたよ?」
「他のみんなの反応って、どうだった?」
「めちゃくちゃ怖がってました」
もしかしたらしばらく自分は同級生に馴染めないのかもしれない。アリアは心の中で泣きたくなった。
「それで、気分を害されたら申し訳ないのですが」
「もう、なんでも聞いて」
ぐったりと項垂れながら、投げやりに返す。
もはや下がる評判もなさそうだ。
「姫様とそれだけ打ち合った新入生に、皆は興味を抱いているようで」
「……!」
ああ、なるほど。そういうことか。それを聞いて、アリアは下がっていた肩を戻した。
納得するのと同時に、少し誇らしくなる。
「どのような人だったのですか?」
問われて、どのような答えが相応しいか考える。
「とても、強い人」
「え?」
「とても強くて……」
同年代の人間に剣で負けたのは、はじめての経験だった。
しかし、それ以上に、
「……すてきな人だったよ」
くすり、と。
含むものを感じさせる笑みといたずらっぽい口調に、それを聞いたルームメイトの顔が、ちょっとだけ赤くなる。
「す、素敵、とは!?」
「えー、言葉通りの意味かな」
「ひ、姫様は、男性の方との交友関係が豊富なのですか!?」
「んー、そんなことはないけど」
なんとなく、萎縮していた雰囲気が解けて、普通の女の子らしい会話ができるようになって。
これはちょっと楽しいな、と。アリアは嬉しくなった。
「そ、それはもしかして」
「アリアァあああ!」
自分の名前を呼ぶ、絶叫が響いた。
横に向けていた視線を戻すと、前方から走り駆けてくるのは、肌色の物体。
「は?」
それを見て、アリアは言葉という概念を一瞬、忘れかけた。無意識に口から出たその呟きが、辛うじてアリアの発声機能を繋ぎ止めたと言ってもいい。
「アリア! 助けてくれ! 追われているんだ!」
「ひ、姫様の名前を気安く口にするな! この不審者め!」
「あの、えっと」
「いけません姫様! こんな全裸の男と言葉を交わしては!」
「聞いてくれ! なんか起きたら裸だったんだ!」
「ち、近寄るな!」
それは普通に、知っている人だった。
というか昨日、アリアが己の剣を捧げると誓った勇者の少年だった。
「む! そこの騎士学校の生徒たち! 離れなさい! その不審者は全裸だ!」
さらに後ろから、紺色の制服を着込んだ憲兵もやってくる。
「むむ! そこにいらっしゃるのはアイアラス殿下! いけません! その全裸の不審者から離れてください!」
「はあ!? おれのどこが不審なんだ憲兵のおじさん! 一切合切包み隠さずきれいさっぱり曝け出してるだろ!」
「黙れ! 特に股間が不審だ!」
「おいアリア! 頼む! この憲兵さんになんとか言ってくれ!」
縋るような目で見られても、アリアは少年の方を直視することができない。直視しようとした瞬間に、下半身に目がいってしまいそうになるからだ。
つい昨日の出来事が、走馬灯のように脳内を駆け巡る。
──わかった。あたしが、あなたの騎士になってあげる
──それでは、主よ。名前を教えていただけますか?
遂に意を決して、アリア・リナージュ・アイアラスは答えた。
「…………知らない人です」
アリアァァァァ!
昨日言ってくれたじゃん!
おれの騎士になるって言ってくれたじゃん!
自分で言うのもなんだけど、結構良い感じだったじゃん!
昨日、やさしい微笑みを見せてくれた蒼い瞳は、今は「知り合いに思われたくない」という目でこちらを見ている。正直泣きそうである。
「あの、憲兵のおじさん」
「何かね。全裸の少年」
「おれ、あの子と同じ騎士学校の生徒なんですよ」
「騎士学校の生徒? 馬鹿は寝てから言いなさい。キミのような全裸の少年が騎士学校の生徒なわけがないだろう」
「いや、ほんとなんですって。ほら、おれ結構良い筋肉してると思いませんか?」
「ああ。たしかによく鍛えているな」
「でしょう!?」
「胸を張るな。股間を隠しなさい」
「男同士で何恥ずかしがってるんですか?」
「はっ倒すぞ」
おれに向かって暴言を吐きながら、裸のおれの両手に手錠をかけ、ぐいぐいと引っ張っていこうとする憲兵さん。
やばいやばいやばい。ただでさえ入学式の日から屋上を半壊させてやらかしているのに、通学初日からお縄についたりしたら、マジで退学になってしまう。せっかくシエラが入学のために手を尽くしてくれたのに、何も学ばないまま退学するなんて絶対にいやだ。
仕方ない。ここは強引にでも振り切って逃げて、あとで謝りに行く作戦でいくか、と。おれが覚悟を決めたその時。
「──その逮捕、待って頂きたい!」
唐突に。頭上から響いた声に、おれも憲兵のおじさんも揃って上を見た。
赤を基調にしたマントを翻し、見覚えのある制服……というかおれが今日から通うはずだった騎士学校の制服に身を固めた少年が、屋根の上に立っていた。
「とうっ!」
うわ。高い場所から飛び降りる時に「とうっ!」って言うヤツ、はじめて見た。
おれがドン引きしてる合間にも、その少年の身体は宙を舞い、何故か無駄に一回転をきめて、地面に着地する。白い歯を見せながら、その金髪男は憲兵のおじさんに一礼した。
「憲兵殿。朝から変態の捕縛、誠に御苦労様です。しかし、彼を捕まえるのは、このボクの顔に免じて、どうか再考を!」
今、おれ変態って言われた?
「その制服、きみも騎士学校の生徒か? いや、しかしその『
「はい。新入生です。そして、彼も騎士学校の生徒です。身元は、このボクが保証しましょう」
言いながら、金髪のイケメンは憲兵さんにおれの学生証を提示した。転写魔術で写し描かれているおれの顔写真を、憲兵さんは胡散臭いものを観察するように、見比べる。
「むう。たしかに、本人のようだが……?」
ああ、よかった。信じてもらえた。
いや、ちょっとまて。そもそもどうしておれの学生証を、この金髪のイケメンが持っているんだ?
「おい。あんた……」
「ボクの名は、レオ・リーオナイン!」
「あ、これはご丁寧にどうも。おれは……」
「自己紹介は不要だよ。昨日、もう済ませているからね。まあ、キミは忘れているようだが」
「ん?」
「ボクは、キミの『ルームメイト』だ!」
「ルーム、メイト?」
首を傾げながら、朧気な記憶を引っ張り出す。
そういえばこのイケメンの顔、なんとなく見覚えがあるような……
昨日の夜。寮の部屋に行った時のことを、少しずつ思い出す。
──これからよろしく
──やあやあ、こちらこそ。お近付きの印にこれは如何かな?
──おい、これ酒か? 気持ちは嬉しいけどそういうのはちょっと
──ああ、心配はいらないよ。ボクの実家は商家でね。これは今度売り出そうと思っている新商品のポーションなんだ。滋養強壮の効果がある
──ポーション。へえ……
──さあさあ。お近付きの印に、一緒にぐぐっと
──じゃあ、お言葉に甘えて
「あーっ!?」
思い、出した。
「お前、おれのルームメイトの!?」
「だからさっきからそう言っているだろう」
「おれにポーションを飲ませたヤツ!」
「フフッ。昨晩はお楽しみだったね」
ふぁさぁ……と前髪をかきあげながら、金髪のイケメンは不敵に笑う。
「お前、まさか。あのポーションに変な細工を!?」
「いや、それはしてない」
「え」
「ただ、中の成分に悪酔いしたキミが、もっと飲みたいとか言い出して」
──おい、まだあるなら出せよ
──えぇ、しょうがないなぁ。特別だよ?
──うへへ
──うふふ
「それで、寮の部屋から飛び出して行ったんだ」
「……」
おれは押し黙った。
たしかに。たしかに、そうだった、かもしれない。
いやしかし、だとしても、だ。
「じゃあ、どうして止めてくれなかったんだよ!?」
「フッ……ボクもポーションの効能に悪酔いして熟睡していたからに決まっているだろう?」
もう売るのやめちまえ! そんな強い酒みたいなポーション!
「しかし、こうしてキミを見つけることができて安心した。大事になる前でよかったよ」
そうかな?
服を脱ぎ捨てて全裸で捕まりかけてる状況って、まあまあアウトだと思うんだが。
「まあ、いいや。とりあえず、そのマント貸してくれないか? さすがに股間は隠したい」
「断る。キミに貸したらその汚いイチモツがボクの上着に触れてしまうだろう。それは断じて許容できない。ふざけたことを言うのも大概にしてもらおう」
「お前がふざけるなよ。誰のせいでこんなことになったと思ってんだ」
「たしかにボクはちょっと悪酔いするポーションを親交の証としてキミに勧めたが、服を自発的に脱ぎ捨てているのはキミだ。責任の所在をすり替えるのはやめてもらおう」
「お前……ああ言えばこう言うな」
「率直に言って、ボクは今この瞬間も生まれたままの姿で平然と会話を行うキミの無神経っぷりに驚いているんだ」
「隠すものがないんだから仕方ないだろ」
そもそも、レオはおれに向かって言葉を繋いだ。
「この『
「っ……やはりそうか!」
「何か知っているんですか、憲兵のおじさん?」
おれが問いかけると、憲兵のおじさんは頷いた。
「ああ。今年の騎士学校の入学主席といえば、魔法を持つ隣国の王女、アリア・リナージュ・アイアラス殿下で持ち切りだったが、もう1人……男子の主席入学者が、試験会場で三年生を打ち倒し、『
解説ありがとうございます、って言いたいんだけど、なに?
ペリース? エスペランサ? ちょっと専門用語が多すぎてわけわからん。
「きみにもわかりやすく言ってあげよう。この騎士学校の中で最強の称号を持つ7人が、これを着用することが許される。そして、ボクは入学した時からその称号を手にした、最強の1人ということさ!」
なるほど! わかりやすい!
「つまり、お前は強いんだな?」
「ああ、ボクは強いよ」
赤い肩幕が、風に揺られる。
おれの股間のアレも、風に揺られる。
視線が、空中でぶつかり合う。
「いいね。そんな強いヤツとルームメイトになれたなんて、幸先が良い」
「それはこちらのセリフだよ。入学初日にあの姫様を倒した新入生と知り合えるなんて、やはり運命はボクを愛している!」
芝居がかった仕草で腕を広げたレオは、その細腕で抱えきれるかあやしいほどの、巨大な戦槍を顕現させた。魔力を帯びた装備品を縮小して持ち歩くのは、騎士の中でも高等技術と聞く。どうやら、大口を叩くだけの腕前はあるらしい。
「ボクはキミを倒さなければならない! 本来なら、入学式のあとはボクの話題で持ち切りになるはずだったのに、キミと姫様に注目を攫われてしまったからね!」
「ああ、そういう理由なのか……」
「どうする? 逃げても構わないが?」
「逃げる? それは冗談だろ」
あまりにもわかりやすい挑発に、笑みを返す。
「おれは魔王を倒す勇者になる男だ。騎士の1人や2人を前にして、尻尾巻いて逃げられるか」
「フフッ……やはり、耳にした噂は本当だったか。では、勇者を志すキミに、ボクは決闘を申し入れる! 受けてくれるか!?」
「こいよ」
「良いだろうッ!」
レオが高らかに叫ぶのと同時、肩幕がうっすらと魔力を帯び、輝いた。
ブーツが踏みしめた足元に、魔導陣が浮かび、おれとレオを中心に広がっていく。すぐ近くにいた憲兵さんとアリアたちが、はじき飛ばされるように外に出た。
「これは……!?」
「
はじき飛ばされた憲兵のおじさんが、起き上がりながら目を見開いて叫ぶ。
「
解説ありがとうございます、憲兵のおじさん。
その言葉通り、おれとレオを中心にして、円形のドームのようなものが展開されている。端の方まで寄っていき、軽くドームの壁を叩いてみると、コンコン、と硬質な音が鳴った。なるほどたしかに。なにやら特殊な魔術を元に練られているらしい魔力の壁は簡単には壊せそうになかった。
「ん?」
ちょっとまってほしい。
「おい」
「何かな、我が好敵手よ」
「これ、決闘の決着がつくまで出られないんだよな?」
「ああ! もちろんだ!」
今さら、あらたまって説明するまでもないが、あえてもう一度言わせてもらおう。
──おれは、一糸纏わぬ全裸である。
「……服も武器もないんだけど」
「いくぞっ!」
おれの人生初の決闘は、やはり全裸からはじまった。
「ああ、勇者様は臆することなく、動じることなく、正々堂々とリーオナイン団長との決闘に望んでいましたね。あれは、自分の身体に恥ずかしい場所はないという、自信の表れだったのでしょう」
今では名所の一つになっている勇者の銅像を懐かしそうに眺めながら、当時を知る憲兵は語った。
〜勇者秘録・二章『勇者、その青春』より〜