寒い。
特に乳首が寒い。
今の季節は冬の終わりで、外にはまだ雪が残っている。ダンジョンの中だからまだ良いものの、寒いものは寒いわけで。
服なんていらねえ、と大見得を切ったまではよかったが、実際問題、服は欲しかった。今回はまだパンツがあるからマシな方だが。
「……親友」
「わかってるよ」
ああ、わかっている。おれたちがいくら寒さに震えようが、そんなことはどうでもいい。
目の前の敵を見据えながら、おれは倒れたままのイト先輩の体に手を添えた。
「先輩、大丈夫ですか?」
質問は気休めだ。イト先輩の状態は、明らかに一刻を争う。
顔色は真っ青で、息遣いは荒く、全身が小刻みに震えている。
「大丈夫……だよ。ごめんね、こんな、かっこ悪いところ……ほんとは、見せたくなかったんだけど」
強がるように笑みの形を作る顔には、片目がない。それがあまりにも痛々しくて、おれは唇を噛み締めた。
「……先輩は全然かっこ悪くないですよ。どちらかといえばかっこ悪いのはおれの方です。なにせパンツしか履いてないですからね」
「今回は……素っ裸じゃないから、えらいよ」
軽い会話を回しながら、先輩の意識を繋ぐ。軽い会話を回していないと、おれの方が先輩の状態を直視できなさそうだった。
手を握り締めると、その冷たさと震えが直に伝わってくる。パンツ一つで、先ほどまで寒さを感じていたはずなのに、体に芯から湧き上がってくるのは明確な熱だった。
先輩をこんな風にしたヤツを、許せるわけがない。
「レオ」
「ああ、まかせてくれ」
一言、名前を呼んだだけで、おれの親友はやってほしいことを理解してくれた。おれと同じくパンツしか身につけていないレオは、先輩を注意深く抱き上げる。
「先輩のことを、頼む」
「安心しなよ、親友。こんなこともあろうかと、ボクは解毒用のポーションを常備しているからね」
明らかに先ほどよりもすっきりとした表情のレオは、良い笑顔を浮かべて小ビンに入ったポーションを取り出した。
コイツは本当に、いつも用意が良くて助かる。なんだかんだと言いつつも、頼れる男だ。
……パンツ一丁なのにどこからポーションを取り出したかは、あまり深く考えないことにした。というか、考えたら負けだと思う。
「なんだ? 勇者らしく、女の子をかっこよく助けようってか?」
対面に立つ盗賊は、荒い息を吐くイト先輩を見てせせら笑った。
「やめとけやめとけ。ほっとけよ。どうせ死ぬぜ?」
「…………あぁ? 死なせるわけないだろ。殺すぞ」
一触即発。戦端が開く。
おれが踏み込む前に、盗賊の方から投擲という回答があった。細長い、相手に突き刺すことを前提にした、刃物が襲い来る。
怖くも、なんともない。
頭に向けて投げられたそれらを、おれは額で受けて、そのまま弾く。
「素っ裸のくせに防御が硬いな、おい!」
「だからお前を倒すのに服はいらねえって言ってるだろ」
レオとイト先輩を逃がすのに、コイツの注意を引く必要がある。
さっきの一撃で鼻の骨は完璧にイッているはずだったが、盗賊に気圧された様子はなかった。痛みに慣れているのか、負傷を足枷に感じている様子もない。場数を踏んできた、手練れらしい獰猛さがそこにはあった。
「せっかく男前が台無しだ。どうしてくれんだよ、ええ!?」
「そっちの方が女にモテるだろ」
「生意気を言う! 威勢が良いガキは嫌いじゃないぜ。馬鹿で威勢の良いガキなら、尚更だ!」
吠えるような声と共に、右の大振りがくる。
幅が広い、ナタのような分厚い刃を、腕で止める。鈍く響く衝撃を伴って、火花が閃いた。
ギリギリ、と。鍔迫り合いをしながら、盗賊の目が
「さっきのことは謝るぜ。勇者になれない、なんて言って悪かったな。そいつは、中々に良い魔法だ」
「褒めても何も出ないぞ」
「かかっ! 最初から素っ裸だろうが! 剥ぎ取るもんもねぇだろ!」
くん、と。鍔迫り合いの圧力が抜ける。想像よりもずっと滑らかな動きで、盗賊の上体が沈み込む。
さらに、腹に叩き込まれた蹴りは、思っていたよりも重たかった。魔力を使った身体強化の出力が高い、というよりも、身体そのものの使い方が上手いというべきだろうか。
「っ……!」
「ハッハァ!」
崩れた体勢。再び振り抜かれる刃。
反撃を受ける前に、おれは上体を腹筋のバネだけで叩き起こして、額を敵の脳天にぶち当てた。
「ぬぅっ……!?」
石頭の勝負で、負けるつもりはない。
頭の中は、澄んでいる。怒りが原動力になっているとしても、全身の力が、魔力が、淀みなく体の中を巡っているのを感じる。
先生の教えを、思い出す。
魔力の励起は、感情の昂り。心の温度を正しくコントロールできれば、瞬間に出力できる力は何倍にもなる。
そんな感情の昂りに合わせて振るわれた拳が、盗賊の腹に突き刺さる。声もなく、吹き飛ばされた体が壁面に向かって突き飛ばされ、衝撃で粉塵が舞い上がった。
「勘違いしているようだから、一つ、教えておく。おれは勇者だから、お前を倒しに来たんじゃない」
おれが勇者になる、とか。
おれが勇者に相応しいか、とか。
そんなことは本当に、どこまでもどうでもいい。
「おれは、おれの大好きな……大切な先輩を奪おうとしたお前を、後輩としてぶん殴りに来たんだ」
踏み込みの深さとは裏腹に、手応えは浅かった。
粉塵の中から、影が立ち上がる。
「……なるほどな。若者らしくてきらいじゃあないぜ、そういうのは」
これ見よがしに首を鳴らして、盗賊は薄く笑む。
腹に拳を打ち込む瞬間に、後ろに跳んだのだろう。予想以上にダメージが少ない。イト先輩が手玉に取られたことからわかってはいたが、やはり一筋縄ではいきそうにない相手だった。
「だけどいいのかよ、勇者志望くん。お前のお仲間は、あのお嬢ちゃんだけじゃねえだろ? 下の階層には、もう上級の悪魔を送ってある。そっちも心配なんじゃねえか?」
この場にいない仲間を槍玉に挙げて、おれの意識を割こうとしてくる。コイツは、やはり手慣れている。
「何の心配もない」
だから、その手には絶対に乗らない。
「この下には、おれの未来の騎士がいる。おれが考えることは、今目の前にいるお前を倒すことだけだ」
「そうかよ。オレと遊んでる間に、全員死んでも知らねえぞ?」
それこそ、本当に無用な心配だ。
「お前と、そんなに長く遊ぶつもりはない」
暑い。
上層階とは正反対に、茹だるような熱気が、ダンジョンの下層には満ち満ちていた。
「はぁ……はぁ」
自分の息遣いの荒さを、アリアは自覚する。
隣に立つサーシャを見れば、顎の先から、汗が滝のように滴り落ちている。下層に降りた瞬間に、ダンジョンの環境は劇的に変化していた。
ここは、火の聖剣が眠る迷宮。魔力を宿した武具は、それに相応しい持ち主を見極めるために、共生するモンスターに合わせて、特殊な環境を形成する。熱気に満ちた空間は、人間が活動するにはまるで地獄のような様相を呈していた。
しかし、逆に言えば……地獄とは、悪魔にとって愛すべき故郷である。
「脆弱なものだな、人間は」
力尽きた騎士の頭を踏みつけにして、長い腕が特徴的な上級悪魔は
「この程度の気温で音を上げるとは、不便でか弱い肉体だ。まァ、強さに関しても、あのバケモノじみた刀の女以外は、まったくもって話にならないが」
言いながら無造作に振るわれた腕を避けきれず、アリアの隣にいたサーシャが吹き飛ばされた。
「サーシャ先輩!?」
「オマエだけだな。多少、骨があるのは」
もう動けるのは、アリアしかいない。
通常、上級悪魔を撃退するには、武装した騎士の集団が必要だと言われている。イト・ユリシーズが単独で上級悪魔を一方的に屠っていたのが、むしろ異常。今、目の前でアリアが直面している現実こそが、人と悪魔の、正常なパワーバランスだった。
「負けない……あたしは」
「オマエは? なんだ?」
伸縮した腕が、アリアの細い喉笛を掴んだ。
「っ……ぐ、ぁ……」
「多少力があったところで、何も変わらん。死ぬ順番が少し変わるだけで、そこには何の意味もない」
淡々と、自分よりも弱い生き物を締め上げながら、悪魔はその事実を告げる。
「理解しろ。オマエは、何も守れない」
◆◆◆◆
記憶の底の中から、それを拾い上げる。
アリア・リナージュ・アイアラスは、子どもの頃から、自分は強いという自覚を持っていた。
あるいは、それはどちらかといえば、自分は強く在らなければならないという強迫観念に近かったのかもしれない。
城の中に味方はいなかった。母は元々身分が低く、病に冒されていて、腹違いの子であるアリアの存在は腫れ物のように扱われていた。
己の魔法を持ち、剣の才がある。戦うための駒、あるいは政略結婚のための道具としてなら、いつか役に立つかもしれない。そんな理由だけで、アリアの存在は保証されていた。
「あなたは、お父上に愛されていません」
故に、アリアの養育を任された執事長は、まだ8歳の少女に向けてそんな言葉を平気で浴びせかけていた。
「……はい。わたしの出自を考えれば、それは仕方のないことです」
無表情に、突きつけられた事実を咀嚼する。
「ええ。よく理解していらっしゃいますね、お嬢様。あなたはお父上に愛されていません。これから先も、愛されることはありません。だからせめて、道具としてお役に立てるように努力をしてください」
執事長は、アリアの名前を決して呼ぼうとはしなかった。まるで口にすることそのものが不快であるかのように、ただ『お嬢様』という記号で呼び続けた。
愛されることがないのなら。
愛する必要がないのなら、人を愛さなくてもいい。
まだ幼いアリアの心の中にあったのは、そんな諦めにも似た感情だった。
顔を伏せる少女の暗い影を、執事長は満足そうに眺めて、
「たのもぅ!」
唐突に、そんな空気を吹き飛ばすように、ドアが蹴破られた。
ぎょっとする執事長とは対照的に、アリアの顔には満面の花が咲いた。
「お母さん!」
「うんうん。あたしだよ。お母さんだよ、アリア」
アリアの母は、そこにいるだけで、その場の空気を変えてしまうような女性だった。空気を変えるために、ドアを蹴破るような女性だった。
「お、奥さま。どうしてここに……?」
「いけませんか? 今日は何故か特別に猛烈に、気分がよかったのです。それとも、あたしの体調が良いと、何かまずいことでもあるのかしら?」
「い、いえ……決してそのようなことは」
アリアの母親は病を患ってはいたが、強い女性だった。
「ああ、そうそう。元々メイドをしていたせいかしら。品がなくて申し訳ないのだけれど、あたしはとっても地獄耳でね」
声の張りも、詰め寄る足取りも、とても病人のそれではなく、
「あなた、今……アリアに何を言っていたの?」
母は本当に、とても強い女性だった。
一言一句、言葉の意味を明確にした発声に、執事長の表情が歪む。
「べつに、なにも……」
「あら? アリアには言いたいことを言いたいだけ言えるのに、あたしに何も言えないのは何故?」
「わ、私はお嬢様のことを想って……」
「アリアのことを想っているのなら、それをあたしに言えないのは何故?」
「お、奥様! 誤解です! 私はお嬢様には何も……」
「見苦しいですよ」
ぴしゃりと。言い訳が、切って捨てられる。
「身分のこと、家のことを言うのであれば、あたしに直接言いなさい。それらはすべて、あたしの責任です。ですが、娘に対してそれを言うのは、許しません」
顔を紅潮させた執事長は、ぷるぷると震えたあと、捨て台詞を吐いた。
「生まれたことが間違いだったくせに、何を偉そうに……」
「あぁ!?」
しかし、その捨て台詞を、執事長は捨て置いていくことができなかった。
なんというか、アリアの母は本当に、とても強い女性だったので……部屋を出ようとする執事長の腕を凄まじい力で掴み取り、背中で持ち上げ、一撃で床に叩き伏せた。
その結果。轟音が響いて、大の大人が泡を吹くところを、アリアははじめて目撃することになった。
「お、お、お……お母さん!?」
「ふんっ……! 良い気味だわ」
目を回している情けない男を、鼻息荒く見下ろしたあと。声のトーンが一段落ち着いて、謝罪がアリアに向けられた。
「ごめんね、アリア。お母さんのせいで、辛い思いをさせたね」
「だ、大丈夫だよ! わたし、我慢できるもん。いろんなことを言われて、ばかにされても、平気だもん!」
そう言うと、母は笑ってアリアの頭を撫でた。
「アリアは強いなぁ。えらいぞ。さすがは、あたしの娘だ」
膝を折って、目線を同じにして、アリアの母はまだ小さな娘を力いっぱいに抱き締めた。
「……お母さん」
「なぁに?」
「お母さんは、どうしてそんなにかっこいいの? どうしてそんなに強いの?」
「それはねぇ……アリアがあたしの宝物だからだよ。大切なものを守るためなら、お母さんはいくらでも強くなれるんだよ」
アリアは、純粋にその言葉が嬉しかった。
やさしい言葉に、常に緊張で固く張り詰めていた心が、少しずつ解けていく。
「あたしは……もうすぐ病気でいなくなっちゃうかもしれないけど。でも、あたしが生きている間は、アリアのことを絶対守ってあげるから。たくさんたくさん、抱きしめてあげるから。だから、我慢しなくていいんだよ」
そこまで言われて、ようやく。
アリアは、しゃっくりあげるように堪えていたものを吐き出して、涙を流した。
「……あのね、お母さん。みんなはきっと、わたしのこと、好きじゃないの」
「そんなことないよ。あたしは、アリアのことが大好きだよ」
「……お母さん以外の人、みんないじわるなの。わたしのことが、きっときらいなの」
「ごめんね。それはお母さんのせいだ。いつも側にいてあげられなくてごめんね」
「……お母さん、わたしがきらわれるのは、わたしがわるいこだからなの?」
「違うよ。アリアはとってもいい子だよ。あたしが保証する」
頭を撫でながら、母はアリアに向けて少し申し訳そうな表情をした。
「ごめんね。お母さんがもっと強かったら、アリアのことを守ってあげられたのにね?」
母は強い女性だった。
それでも、母の顔つきが、体付きが、以前に比べてやせ細っていることは、まだ幼いアリアにもわかった。
もうすぐきっと、母は自分の側からいなくなる。
だから、こんな風に泣いてはいけない。心配をかけてはいけない。弱いままではいけない。
もっと、もっと強くならなければならない。アリアは、そう思った。
「お母さん、わたし、強くなるね」
「……無理して強くならなくても、いいんだよ?」
「ううん。わたし、剣も魔法もすごいって、それだけは先生に褒めてもらえるの。だから、強くなるよ! 魔王を倒す勇者さまみたいに、強くなるんだ!」
「……うん、そうだね。アリアは強い子だから……だから、これからもっともっと強くなれると思う。でも、忘れないでほしいな」
抱き締める力が、より一層強くなる。
「自分を守るための強さは、どこまでいっても独りぼっち。人が一番強くなれるのは、誰かを守るために戦う時なんだよ」
「……お母さんが、わたしを守ってくれたみたいに?」
「そう。お母さんが、アリアを守る時みたいに!」
ニカッと。間近で見る母の笑顔は、とても眩しくて。
幼い心の中に、納得があった。安心があった。
だからアリア・リナージュ・アイアラスは、この日の母とのやりとりを、よく覚えている。きっと、一生忘れない。
「自分を大切にしてくれる人。自分が大切にしたいと思える人に出会えた時。そういう人たちを守れる強さが、アリアにはきっとあるから──」
──これから先。あなたの人生に、たくさんの幸せな出会いがありますように。
その言葉の熱を胸いっぱいに吸い込んで。その願いの温もりを、全身の抱擁で感じ取って。
それから数日後に、アリアの母は死んだ。
◆◆◆◆
悪魔の腕が、剣によって跳ね上げられる。
「っ……ひゅ……っはぁ!」
気道に、再び空気が通る。呼吸と意識が、引き戻される。
「はぁ……はぁ……」
「よぅし! 生きてるな、アリア!」
「……先輩?」
咳き込みながら前を見ると、三人の騎士がアリアを庇うように立っていて。伸縮する腕を引き戻した悪魔は、つまらなそうに鼻を鳴らして、立ちはだかる騎士の卵たちに問いかけた。
「なぜ立ち上がる?」
「愚問だな。かわいい後輩を守るのに、理由が必要なのか」
喉に詰まった血の塊を吐き捨てて、グラン・ロデリゴが言った。
「なぜ負けるとわかっていて挑む?」
「わりぃな。オレぁ、頭の出来がちょいと悪いからよ。お前が何言ってるか全然わかんねぇんだわ」
額から流れる血を糊代わりに前髪をかきあげて、ジルガ・ドッグベリーが言った。
「なぜ諦めない?」
「お生憎様ね。そんな言葉を知らないからよ」
折れた腕をぶら下げたまま表情を変えず、サーシャ・サイレンスが言った。
アリアよりも弱いはずの彼らは、しかしアリアを守るために、強く剣を握りしめていた。
「無駄なことだ」
剣が折れる。鎧が割れる。肉が裂ける。血が吹き出す。
全員が、倒れていく。
自分を守ろうと、立ち上がった人たちが、自分を庇おうと敵に立ち向かう人たちが。誰もが力尽きて、膝をついていく。
……助けなきゃ。
もう一度、自分の剣を取ろうとしたアリアの肩を、しかし血だらけのジルガが掴んで、囁いた。
「バカが。お前だけでも逃げろ」
「でも、先輩……」
「何度も言わせるな。後輩を守るのに、理由は必要ない」
呟いて、愚直に突進したグランの体が岩肌に叩きつけられる。まとめて鞭のように振るわれた腕が、今度こそジルガとサーシャの抵抗を刈り取る。
「……なんで」
アリアは、呆然とそれを見ていた。
どうして、自分なんかを助けるために。
この人たちは、戦ってくれるんだろう?
焦り。恐怖。理性的な思考の大部分を占めるそれらとは少し種類の違う、この状況に不似合いな感情が湧き上がる。
助けてくれた。
守ってくれた。
自分以外の人が、自分のために、命を投げ出して、戦ってくれていた。
──嬉しい?
どす黒い問い掛けが、心の内から自然に漏れ出た。
それは、浅ましく、醜く、あまりにも自分本位な感情の発露だった。
けれど、その浅ましさは、その醜さは、間違いなく自分自身の心の本質だった。
だから、だろうか。心が叫ぶままに、思考が意識を動かす前に、アリアの身体は先に動いた。
誰かから必要とされたかった少女は。
誰かから大切にされたかった少女は。
「まずは、お前からだ」
誰かから愛されたかった少女は、その瞬間。
はじめて、自分以外の誰かを守るために、自分の身を投げ出した。
サーシャに向けて振るわれた悪魔の爪を、アリア・リナージュ・アイアラスは、真正面から受け止めた。
軽装の鎧が、貫かれる。チェストプレートに喰い込むようにして、原始的な鋭い痛みが、胸を刺す。
「う……ぐ、ぅ……!」
赤い血が、鎧と爪の間から、滴り落ちた。
痛い。
痛い。
痛い。
けれど、痛いだけだ。
自分が、痛いだけだ。
それだけなら、平気だった。
「……また、バカなことを。結果は、何も変わらない」
「変える」
「なに?」
「変える……変わるんだ。あたしが……」
自分の存在に、価値を与えるために。
自分の存在を、守るために。
そのために、自分という存在には強さが必要なのだと思っていた。
けれど、違った。
自分という存在の価値を
昔は誰も、自分の名前を呼んでくれなかった。
──名前を呼ぶよ
でも、彼は当たり前のようにそう言った。
「アリア、逃げて……」
今は、もう違う。
名前を呼んでくれる人たちが、たくさんいる。
「……逃げません」
「アリア……!」
「逃げませんっ!」
負けたら、守れない。
勝たなければ、救えない。
故に、変化があった。
滴り落ちる赤い血が、止まった。
薄い鎧を突き刺した、爪と腕が動かなくなった。
「……なんだ、これは」
悪魔は、絶句する。
悪魔は、その変化を正しく認識できない。
空間に満ちていた熱気が、丸ごと凍りついたようだった。
少女の足元。そこに触れている場所から、地面が、軽やかな音を鳴らして氷結していく。
少女の胸元。それを突き破るはずだった爪が、腕が、異常な速度で凍結していく。
「そっか。やっと……
疑問があった。
触れたものを熱する魔法。それなら何故、自分は自分以外のものを熱する時、その熱さに焼かれることがないのか? どうして熱気に満ちたこの空間の中で、自分だけが自由に動けるのか?
答えがあった。
触れたものを熱くするのが、この魔法の本質ではない。きっと無意識の内に、自分はこの魔法の本当の力を理解していて。その力の正体は、もっと自由なもので。
心に宿る魔法を引き出すためのきっかけは、ずっとすぐ側にあった。
──きみは、なんのために強くなりたい?
どうして、自分には力があるのか。
その力で、何がしたいのか。
今なら言える。
今ならわかる。
だって、ようやく見つけることができたから。
守りたいものが、目の前にあるから。
「これは、なんだ……なんなんだ!? オマエの、その
だから、叫べ。
この力の名は──
「──
乱れた金髪の間から、深い蒼の瞳が覗く。その視線の鋭さに、鮮やかな紅色の怒りに、悪魔の心が凍りつく。
身を焦がす熱い激情を、冷たい吐息に変えて。
今、此処に。魔法使いとなった騎士は、静かに告げた。
「あたしの大切な人たちに、手を出すな」