世界救い終わったけど、記憶喪失の女の子ひろった   作:龍流

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武闘家さんの愛ある修行

 我がパーティーで最も早起きなのは、師匠である。

 師匠の朝は、早い。とにかく早い。おれもそこまで寝覚めが悪い方ではないはずだが、師匠がパーティー入りしてからは、師匠よりは早く起きれたことがほとんどない。以前、死霊術師さんが「やっぱりババアは朝が早いものですわね〜!」と口を滑らせた際には丸一日裸ロープで逆さ釣りの刑に処されていたが、正直おれもちょっと同じことを思った。口は災いの元なので、決して言葉にはしないけど。おれがパーティーの中で一番こわいのは怒った師匠です。

 

「師匠。おはようございます」

「ん。おはよう」

 

 おれたちが宿泊している宿屋から少し歩いた場所には、ちょっとした空き地があり、そこは体を動かすには最適なスペースだった。最近の朝は、ここで軽めの運動をするのが日課になっている。

 今日はいつもより少し早めに来たのだが、やはりというべきか、師匠がすでに柔軟体操をはじめていた。のびーっと小さな体が、まるでスライムのように地面に溶けている。師匠はアホみたいに身体がやわらかい。

 昔、二人で地下闘技場の牢獄に捕まったことがあったが、その時は師匠が肩の関節を外すことで脱獄に成功した。小さくて体がやわらかい上にどこにでも入り込めるので、パーティーの斥候やアサシン的な役割も率先してこなしてくれるのがウチの師匠である。つくづく頭が上がらない。

 

「賢者と死霊術師は?」

「まだぐっすりですよ」

「怠惰の極み」

「まあ、あの二人は昔から朝は弱めなんで。寝かしておいてあげましょう」

 

 死霊術師さんもワーカーホリック気質の完全な夜型人間なので大概だが、特に賢者ちゃんは元々低血圧な性分なせいなのか、寝起きの機嫌がすこぶる悪い。あと、髪質の関係か寝癖もすごい。大体朝は頭を爆発させている。おれや騎士ちゃんが髪を梳いている間も半分寝ている状態がほとんどで、すごくぽわぽわしている。目が覚めるとつんつんしてくるので、バランスが取れているといえば取れているが、あんな感じで普段は大丈夫なのか、少し心配だ。

 なので、我がパーティーの早起き組は、第一に師匠。次におれ。もしくは、騎士ちゃんといった感じである。既に師匠の隣には、鮮やかに朝の光を受けて輝く金髪があった。

 

「おはよ、勇者くん」

「おっす。今日はどっちからいく?」

「あたしからやろっかな」

「じゃ、レディファーストでお譲りしますよ」

「おっけー」

 

 朝から朗らかな笑顔を浮かべている騎士ちゃんは、タンクトップだけのラフな格好だったが、髪をポニーテールにまとめ、すでに準備万端といった様子だった。

 

「すいません! 遅れました」

「おはよう。赤髪ちゃん」

「はい! おはようございます!」

 

 ぽてぽてと軽く走ってきた赤髪ちゃんは、向かい合う騎士ちゃんと師匠を見て、わずかに首を傾げた。

 

「あれ? みなさん、朝は体を動かしているとお聞きして混ぜてもらおうと思ったんですけど……お二人は何の準備をしてるんですか? わたし、てっきりみんなで走り込みとかするものだと……」

「ああ、まあそうだね。軽く走ったりする時もあるんだけど、最近はよく組手をやってるよ」

「くみて……ですか?」

「うん。最初は見学してたら良いんじゃないかな」

 

 騎士ちゃんと師匠が一定の距離をとって、向かい合う。

 

「おっと。赤髪ちゃん、もう二歩分くらい下がって。おれの隣に来た方がいい」

「え。なんでですか?」

「いや、単純に危ないから」

 

 騎士ちゃんの瞳が、すっと細まり、冷たくなった、その刹那。

 遠慮も容赦もなく、全力で振るわれた拳が、師匠の顔面に直撃。凄まじい拳圧によって生じた一陣の風が、おさげの形になっている赤髪を揺らした。

 

「ほへ?」

 

 目を丸くする赤髪ちゃんの驚愕を置き去りにして、騎士ちゃんのラッシュが続く。右から振り下ろすような殴打。下から顎を砕き抜くような蹴撃。踏みしめた地面が、みしりと音を立てて歪んでいるように錯覚してしまうほどの、重い拳と蹴り。

 

「初手から全力は、良し。でも、狙いが単純」

 

 しかし、師匠はそれらすべてを余裕をもって受け止めていた。脱力し、直立した状態で、顔面に浴びたように見えた一発も、実は止められていたことがわかる。

 相対する騎士ちゃんは、しかし師匠の指摘に返事を返さなかった。淡々と、殴打のラッシュが再開される。騎士ちゃんが攻め、師匠が守る。騎士ちゃんが攻めて、師匠が受ける。一方的に攻めている側が、しかし一方的に攻撃を受け流し続けられるという矛盾。

 その均衡を崩すべく。パターン化した攻め手に、相手が慣れきったタイミングを見計らって、騎士ちゃんの体が沈み込んだ。足首を刈り取らんとする足払い。それを避けるために、師匠の小さな体が片足でトンっと跳ねる。

 それこそが、狙いだったのだろう。

 ニィ、と騎士ちゃんの口元から犬歯が覗いた。

 逃げ場のない空中。そこに、全力の右ストレートが叩き込まれる。が、師匠は渾身の一撃を容易く受け流し、あろうことか体全体を回転させて、騎士ちゃんの右腕全体を絡め取った。

 そしてそのまま、右手で一撃。左手で第二撃。流れるように噛み合った二発の拳打を頭に受けて、騎士ちゃんの体が吹っ飛ぶ。

 なんというか、すごく痛そうだった。

 

「崩すための組み立てが、浅い。反撃の想定が、甘すぎる」

 

 うーん、スパルタ。

 容赦のないダメ出しを受けて、起き上がった騎士ちゃんの横顔は、より獰猛にギラついていた。

 

「っ……まだまだ!」

 

 再び鳴り響き始めた鈍い音の多重奏に、赤髪ちゃんが目に見えて一歩引く。

 

「あの、勇者さん……」

「んー?」

「騎士さんってあんな感じでしたっけ……」

「んー。騎士ちゃんは昔からあんな感じだよ」

 

 敵を仕留めた時とか、わりとじんわり浸るような笑みを浮かべるタイプだからなぁ、騎士ちゃん。普段は頭兜に隠れているのでわからないが、強い敵と戦っている時はテンションが引き上げられるのか、結構ああいう顔をする。まあまあこわい。とはいえ、あれもまた騎士ちゃんの()とも言える部分なので、否定するつもりはないのだけれど。

 

「重心は、乱さない。拳は、脚で打たないとダメ。直感に頼るのは良いけど、考えなしは身を滅ぼす」

 

 淡々とダメ出しをしながら、師匠は拳打の嵐の中を木の葉が水の流れに揉まれるように舞っていた。

 師匠、騎士ちゃんの動きを止めているわけじゃないから、あれで『金心剣胆』(静止の魔法)はまったく使ってないんだよなぁ……おかしいだろ。

 ちなみに、騎士ちゃんの魔力による身体強化の出力は、パーティー内ではおれに次ぐレベルである。というか、男性と女性の体格的なハンデがそもそもあるので、純粋な身体強化の精度と瞬間の出力は、騎士ちゃんの方が上だと言っても過言ではない。

 それらすべての重い打撃を、魔法なしで捌き続けている師匠の技量がどれだけイカれているかがよくわかる。

 遮二無二に空を切っていた拳が、遂に師匠の背後の大木を叩き折った。

 

「……ッラァ!」

「むむ」

 

 そこから、意表を突く()()()()があった。

 折れた倒木を、騎士ちゃんの片手が掴み取る。魔力の励起が、目に見えて伝わる。

 片手一本、振るわれた木の幹が、師匠の小さな体を真横から薙ぎ倒して、

 

「その場にあるものを、意表を突いて利用する。発想は、悪くない」

 

 吹き飛ばさない。

 またもや小さな体を回転させた師匠は、木の幹の上で寝そべるような自然さでその衝撃を受け流し、騎士ちゃんが振るった木の幹の上で逆立ちをしてみせた。これどんな曲芸? 

 

「っ!」

 

 騎士ちゃんが息を呑んだ、束の間。

 逆立ちの状態から離れた右の手のひらが、倒木を軽く叩いた。叩かれた瞬間に、少なくとも騎士ちゃんが振り回しても耐えられる強度があった倒木が、一発で粉々に砕け散った。なんで? 

 騎士ちゃんの体勢が、崩れる。

 師匠が水を得た魚の如く、また跳ねる。

 

「……そこまで!」

 

 おれの静止の叫びと共に、師匠の動きが魔法のようにぴたりと止まった。地面に倒れ込んだ騎士ちゃんの体を、師匠は小さな体躯を巧みに伸ばして、かっちりと抑え込んでいた。

 研ぎ澄まされた集中。全身が緊張した状態で、地面に組み伏せられた騎士ちゃんは固まったままだった。

 

「っ……」

「騎士。息、吸って」

 

 絞め技を解いた師匠は、騎士ちゃんのおでこをピンと指で弾く。汗で張り付いたきめ細やかな金髪が揺れた。

 

「……ふぅぅ。はっ、はっ……はっ」

 

 思い出したような呼吸が再開される。

 体がようやく意識に追いついたのだろう。緊張が解けた騎士ちゃんの全身から、汗が噴き出した。騎士ちゃんの魔法は自身の体温を含めた温度を完璧に調整できるが、極度の興奮状態に陥った場合は、魔法のコントロールを手放してしまうこともある。

 地面に大の字になったまま、冷たかった横顔にじわじわと温かさが戻っていく。鋭い目尻がふにゃりと溶けて、薄い涙が浮かんだ。

 

「うぅぅ……また負けたぁ〜!」

「当たり前。素手で武闘家が騎士に負けたら、沽券に関わる」

「でも武闘家さん、全然本気じゃない!」

「当たり前。()()()()()()の女の子に、本気を出せるわけがない」

 

 御歳千二十三歳になるおれの師匠は薄く笑って、二十四歳の立派な騎士の頭をなでなでした。

 

「……よし。じゃあ次は赤髪ちゃんやってみよっか」

「無理です。死んじゃいます」

 

 

 

 

 実際問題、ゆったりとランニングをする程度が朝の運動にはちょうどよい。

 おれは軽く汗を流せれば満足だし、赤髪ちゃんはぜーぜー言いながら「お腹、お腹空きました……」とすでに虚ろな目でうわ言を呟き始めていたが、最も運動量が多いはずの騎士ちゃんはまだ満足していなかった。

 

「ねー、武闘家さん。もう一回! もう一回だけやろうよー!」

「ダメ。騎士は加減を知らなすぎ。いつも自分の限界まで体を痛めつける。そういうの、よくない」

「今度は無理しないから! お願い! あ、でも今度は剣ありにして。剣ありでやりたい!」

「それなら、私も魔法を使わないとさすがに負ける。あと、手加減もできない。だから無理。やらない」

 

 師匠のきっぱりとした言葉に、ぐぬぬと頬を膨らませた騎士ちゃんは聖剣を片手に出現させて、ぶんぶんと振り回した。この世に一振りだけの聖剣が、まるでマラカスみたいである。

 

「勇者くん! 勇者くんからも何か言って!」

「はいはい、だめですよ騎士ちゃん。早く煉輝大剣(アグニ・ダズル)しまって」

「でも〜」

「でもじゃありません。騎士ちゃんが剣振り始めたら地形変わっちゃうでしょ」

「炎ちょっとしか出さないようにするから〜!」

「ちょっともダメです」

「じゃあ氷だけにする! 氷だけにするから!」

「いけません」

「勇者く〜ん!」

 

 大剣抱えてうるうると歯噛みしていた騎士ちゃんだったが、

 

「あ」

 

 ふと思い出したように煉輝大剣(アグニ・ダズル)を振るって、炎の斬撃を背後へと飛ばした。

 

「ぴぃゃ……!?」

 

 いくら軽く振るわれたとはいえ、騎士ちゃんの斬撃は世界を救った実績のある斬撃である。おれたちの背後をのたのたと歩いていた赤髪ちゃんは、目の前を通り過ぎていった炎の閃きに、顔を青くして腰を抜かした。

 なんか人間じゃない小動物みたいな悲鳴聞こえたな……じゃなくて。

 

「おいこら騎士ちゃん! 消化不良だからって赤髪ちゃんに当たって斬撃飛ばすな!」

「違うよ、勇者くん。誰か、あたしたちのこと尾けてる」

「え?」

 

 言われて、炎の刃で切り開かれた森の奥を見てみると、たしかにそこには人の気配があった。

 

「ひ、ひぃ……ど、どうか命だけは……!」

「……誰だ?」

 

 如何にも屈強な冒険者という荒くれた風貌の男が、地面にへたり込んで腰を抜かしていた。ポーズだけなら赤髪ちゃんとお揃いである。全然かわいくないけど。

 それにしても、つい最近。どこかで見たような顔の気がする。おれの気のせいか……? 

 

「あ」

「なに騎士ちゃん。知ってるの?」

「うん。この前ギルドでナンパされたから、火傷させた」

「……へえ」

 

 つまりストーカーか。

 なるほど。

 じゃあブチのめすか。

 

「ま、まってくれ! オレぁ、たしかにこの前そっちの騎士さんに失礼な真似をしちまったかもしれねえ……それは、謝る! だが、オレが話したかったのはアンタじゃねえんだ!」

「うん?」

「オレの名前は……」

「名乗らんでいい。早く目的を言え」

 

 男は、ちょこんと突っ立っている師匠を指差して、言った。

 

「そこのアンタ! オレは、アンタの正体を知ってるぜ!」

「……っ!?」

 

 呆れ混じりで弛緩していた空気に、再び緊張がはしる。おれと騎士ちゃんは黙って顔を見合わせ、赤髪ちゃんは相変わらず腰を抜かしたままぷるぷる震えていた。

 師匠は、その来歴からしておれたちとは少し違う特別な人間だ。あと、千年くらい生きてるちょっと長生きで不思議な人だ。

 その正体を知っている、と。この男は豪語した。

 まさか……

 

「忘れたくても忘れられるわけがねぇ……あの、熱い夜。この身に受けた、その拳を!」

 

 うん? 

 

「ようやくアンタの素顔を拝むことができたぜ……ゴールデン・サウザンド・マスク!」

 

 あ、思い出した。

 この人あれじゃん。

 殴り祭りで師匠にふっ飛ばされてた人じゃん。

 

「……」

 

 師匠はいつもの無表情を一切崩さぬまま、遂に閉ざしていた口を開いた。

 

「よくぞ、見破った」

「師匠それ持ち歩いてるんですか?」

 

 おかしいだろ。

 なんでそんな当たり前みたいなノリで懐からマスクを取り出せるんだよ。めちゃくちゃお気に入りじゃねぇか。

 もうあんまり見たくない趣味の悪い金色のマスクを見て、冒険者の男は目を見開いた。

 

「やはり、そうか……アンタが!」

「そう。私こそが、夜の闇を切り裂く、大いなる黄金の輝き……ゴールデン・サウザンド・マスク」

「師匠?」

 

 なんでこの人、仮面を持ち出すとこんなにノリノリなんだろう? 

 

「へっ……そうとわかりゃあ、やることは一つだぜ……!」

「なんだお前。師匠に手を出すつもりなら、まずは一番弟子のこのおれが相手になるぜ」

 

 不敵な笑みを浮かべた男に対して、おれは身構えた。

 

「そうか。やっぱりアンタはこの人の弟子か。そりゃあ、ますます都合が良い」

「なんだと?」

 

 チンピラは、抜かした腰を戻し、丁寧に地面に足をつけ、両手も同様にして、頭を深く深く擦りつけた。

 それは、見事な土下座だった。

 後ろの方で、相変わらず赤髪ちゃんは腰を抜かしたままぷるぷる震えていた。

 

「お願いします! このオレを、アナタの弟子にしてください!」

「……はぁ?」

 

 おれは堪らず、溜息を吐いた。

 まったく、舐められたものだ。土下座した男を見る師匠の目はきびしい。当然である。おれですら、地下闘技場で文字通り血の滲むような命のやり取りと、その後の下積み期間を経て、ようやく認められて弟子入りに成功したのだ。そんな土下座一つで、師匠に弟子入りできるわけがない。

 

 当然、師匠は言った。

 

「ん、いいよ」

「は?」

 

 おれは、腰を抜かした。




こんかいのとうじょうじんぶつ

勇者くん
 なんだかんだ武闘家さんに対しては「おれが一番弟子だぜ!」的な自負を持つ。腰を抜かして立てなくなった。

ぷるぷるしてた女
 ぽてぽてと走りぬたぬたと歩く赤髪の美少女。ぷるぷると腰を抜かして立てなくなった。

騎士ちゃん
 アリア・リナージュ・アイアラス。バーサーカータイプの姫騎士。戦闘中にテンションが引き上がるとちょっと人様に見せられない顔になることも。勝てない相手に対してはムキになる性質を持つ。魔法の特性上、汗を流すことは少ないがお風呂に入ったりしてる時や気分の問題で意図的にオフにすることもできる。金髪が汗で濡れるとえっち。

武闘家さん
 ムム・ルセッタ。またの名をゴールデン・サウザンド・マスク。
・ムムhead……戦闘中に相手の最適な殴り方を導き出す、優れた頭脳。ありがたい教えをゆっくりした口調で出力することも可能。
・ムムeye……敵の動作を瞬間に見切る、つぶらな瞳。大人を上目遣いに見上げて菓子をせびることも可能。
・ムムhand……敵を殴って吹き飛ばす、小さな拳。弟子やかわいい女の子の頭を撫でることも可能。
・ムムleg……飛んだり跳ねたりできる、短い足。水の上を走ることも可能。
・ムムbody……平坦な胴体。無駄のない洗練された造形には神が宿る。
・ムムheart……全身に血液を送ったりできる、小さな体の核。常にポジディブな熱い鼓動を刻んでいる。

バロウ・ジャケネッタ
 土下座。

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