知らない青空だった。
「……あ? どこだここ?」
勇者、起床。
おれは、がばりと起き上がって周囲を見回した。ヤバいヤバいヤバい……赤髪ちゃんはどこだ?と思ったら、おれのすぐ近くで丸まってスヤァ……と寝ていた。ヨダレ垂れてる。かわいい子はヨダレ垂らしてる姿もかわいくて、お得だね。そうじゃねぇよ。
「まてまて……たしか……」
まだ動きが鈍い脳みその中から、必死に記憶を手繰り寄せる。まず、赤髪ちゃんがお腹いっぱいになって先に寝て、それから、おれは騎士ちゃんと一緒に酒を飲んで……言葉選びを間違えて、
「あ〜」
思い出してると、自己嫌悪で爆発しそうになってきたので、頭を振る。今は、後悔していても仕方がない。騎士ちゃんには、次に会った時に謝ればいい。というか、絶対謝る。
頬を叩いて、気持ちを切り替える。重要なのは、なぜ騎士ちゃんがおれたちに薬を盛って、眠らせたか、だ。
ちなみに騎士ちゃんに薬を盛られて眠らされるのは、これで四回目くらいである……いや五回目だったかもしれない。ひさしぶりだったからマジで油断した、うん。
「転送魔術、だよな……多分」
周囲は見渡す限りの荒野で、木々が時々点在しているくらいで、集落も人影も見当たらない。そもそも、道がない。照りつける太陽の陽射しは、王都よりもかなり強く感じた。
ざっくりと、予想を立てる。
多分、頭の良い賢者ちゃんは、赤髪ちゃんを追う敵の襲撃を予測していた。予測した上で、おれと赤髪ちゃんを騎士ちゃんの元に送った。地方領主であり、各地に顔も利く地位にある騎士ちゃんに、赤髪ちゃんの名前を調べてもらう……っていうのがメインの目的だったけど、多分賢者ちゃんは、その先まで読んでいた。
あんな盗賊なんかよりも、もっと危険な敵の追撃。それを振り切るために。
「緊急転送用の魔導陣で、おれたちを逃した、と」
うわぁ、なんか世話をかけっぱなしでほんとに申し訳なくなってくるな……多分、追手の撃退もしてくれているんだろうし、あとで二人にはたくさんお礼を言わないと。
全然知らない場所に転送させられた、っていうのが中々にめんどくさいが、致し方ない。手のひらを軽く広げて、確認する。
おれが頭を撫でた時に
「さて、と。おーい、赤髪ちゃん。起きろ〜」
「ぐへへ……もう食べられません」
コイツほんとに肝が太いな。
「暑いですね……」
「暑いね」
起きたら知らない場所でびっくり!な赤髪ちゃんにサクッと事情を説明して、とりあえず歩き出したのはよかったものの、歩けど歩けど、似たような景色が広がるばかりで、おれと赤髪ちゃんはすでにうんざりしていた。
「なんかここまで、賢者さんのところに行ったり、姫騎士さんのところに行ったり、いろいろな場所に行って旅してきた気がするんですけど……」
「うん」
「ほとんど転送魔術で、ぽいって感じに移動してたので、こんな風に歩いてると『旅してる』って実感が沸きますね」
「楽しい?」
「お腹空きました」
はえーよ。
「ふーっ」
赤髪ちゃんは息を吐きながら、手で扇を作ってパタパタと仰ぐ。女の子はこういう時、ロングヘアだと熱くて大変そうだなって思う。
「木陰を見つけたら休もうか」
「はい。ありがとうございます」
思っていたより、赤髪ちゃんが疲れるのが早い。というかそもそも、赤髪ちゃんの今の格好が、あまり歩くのに向いていない。
王都で賢者ちゃんが「はあ、記憶喪失という事情があるとはいえ、助けた女の子にこんな色気のない服を着せるなんてほんと信じられませんね。そういえば私が子どもの頃も勇者さんが用立ててくれた服はほんとにセンスなかったですもんね。私に選んでくれた服は本当にダメダメでしたから、あなたも勇者さんに服を選ばせちゃダメですよ。あんな思いをするのは私だけで充分です、ええ」などとおれのセンスのなさを連呼してバカにして、従者に選ばせてきた服は、たしかにかわいらしいものだった。
シンプルな白のフリルブラウスに、黒のロングスカート。首元には髪よりも淡い色合いのリボン。赤髪ちゃんの服の好みがわからなかったのか、素材の良さを活かす方向で上品にまとめたようだった。騎士ちゃんが「かわいい! かわいい!」と騒ぎ立てていた気持ちも、まあわかる。
ただ、この服装は人を訪ねたり街中をぶらつく分にはいいかもしれないが、こんな荒野のど真ん中を歩くには、絶対に向いていない。
それに加えて、あれだ。
ほら、白のブラウスにこの気温で、汗もかいてて日差しも強いからね。透けそうなんですよね。何がとは言わないけど。
ふと、赤髪ちゃんがぽつりと呟く。
「わたし、こんなにきれいで良いお洋服を着るの、はじめてだったので……汚しちゃうのがもったいないです。用意してくださった賢者さんにも申し訳無いですね」
しゅん、と。本当に残念そうに言うその横顔は、なんだか本当に、女の子そのものといった感じで。
「……ふーっ」
おれは自分の中で悶々としていた煩悩を殴り飛ばした。消えろ、カスが。
「あ、勇者さん、見てください。あっちに少し、木があります」
「よし休もう。すぐに休もう。汗も拭こう」
木陰に入って、リュックと剣を下ろす。おれの手荷物を転送する時に側に置いてくれたのは、騎士ちゃんらしい配慮だった。できれば赤髪ちゃんの荷物もお願いしたかったけど、仮にあっても邪魔になるだけだっただろう。
いやでも、せめて着替えと靴はほしかったかな?
「勇者さん勇者さん! 見てください!」
「ん?」
手のひらに何かを乗せた赤髪ちゃんが、抱えていたそれを広げて見せる。
チュンチュン、と。
かわいらしい小鳥が囀った。
「いや、赤髪ちゃん……さすがにこのサイズの小鳥は、捕まえても焼き鳥にすらならないと思うけど」
「食べませんよっ!?」
え、ちがうの?
「この子、ケガをしているみたいで……全然飛ぼうとせずに、そこの木の下にいたんです」
「あー、なるほど」
とても心配そうに、赤髪ちゃんが言う。この子、やっぱりやさしいんだよな。
「ちょっとみてみようか。簡単な治癒魔術くらいなら、おれでもなんとかなるかもしれないし」
しゃがみこみ、小鳥ちゃんの状態を見てみる。が、軽い気持ちで触ってみて、おれは少し後悔した。
「……赤髪ちゃん。この子は」
その瞬間だった。地面が、大きく揺れた。
「ん?」
「地震でしょうか?」
小鳥ちゃんを大事そうに抱えて、赤髪ちゃんが周囲を見回す。
しかし、地震にしては縦揺れがでかい。というか、揺れ方がおかしい。まるで、足元の地面が生き物のように動いているような……
「いや、動いてるわこれ」
「え?」
片手に赤髪ちゃん、片手に剣を手に取って、魔力を足に集中。力を込めて、跳躍。
そして、眼下の地面が起き上がった。
「ゴーレム!?」
赤髪ちゃんが叫ぶ。
ゴーレム。岩と大地に生命を宿す、モンスターの一種だ。その姿は、石で形作られた人形に近い。
それにしても、バカでかいゴーレムである。
目算でざっと、20メートルくらいはあるだろうか。足元で見上げていると、首が痛くなってくる。
「あ、あわわわわ……ゆ、勇者さんこれ」
「おお、でっかいなあ」
「言ってる場合ですか!?」
小鳥を抱えた赤髪ちゃんを抱えて、再び地面から跳ぶ。
おれたちが立っていた場所に岩石の拳が突き刺さり、大地を文字通り叩き割った。
「あ、あぶなっ」
「ん……? 赤髪ちゃん、もしかして太った?」
「だから言ってる場合ですか!?」
「小鳥ちゃん、しっかり抱えてろよ」
「え」
怒られそうだったので、太ったという軽口がジョークであることを証明するために、赤髪ちゃんの身体を空中へと放り投げる。
剣を引き抜き、ゴーレムの拳を切り裂こうとして……おれは思わず、真顔になった。
「うお、かた……」
最後まで言い切れずに、真横にぶっ飛ばされる。
「勇者さ……!?」
「……やっべ」
しくじった。
油断である。ゴーレムの力を見誤って、真横にぶっ飛ばされたのは、まあいいとして、赤髪ちゃんを危険に晒してしまったのは、完全におれの油断だった。
目測で、約50メートル。全力でダッシュしてキャッチできるかどうか……
「……いい。私がひろう」
囁きが、俺の真横を駆け抜けた。
「え?」
それは、どこからともなく現れた、幼女だった。
おれの腰ほどしかない小さな体に、空色のショートヘア。シンプルな道着。賢者ちゃん以上につるぺたの胸。
そのあまりにも小さな手足が、豊満な赤髪ちゃんの身体を空中でキャッチし、見事に衝撃を殺して地面に着地した。
「大丈夫?」
ぴくりとも表情を変えないまま、幼女が聞く。
「あ、えっと。はい。ありがとうございます。ていうか、その……どちら様ですか?」
赤髪ちゃんのその質問には答えずに、吸い込まれそうな黒の瞳がこちらを見た。片手を挙げて、幼女はやはり無表情のままに、言った。
「よっ」
いやぁ……なんというか、うん。
いろいろと、思うところはあったが。
とりあえず、この人は相変わらずだなあ、と。そう思った。
「……おひさしぶりです、
「し、師匠!?」
赤髪ちゃんが目を見開いてその幼女……もとい、師匠を見る。
「え、このちっちゃい方……勇者さんの、し、師匠!?」
「うん。まあ、おれが師匠って勝手に呼んでるだけだけど。あと、元パーティーメンバー」
「えええええええ!? パーティーメンバー、四人じゃなかったんですか!?」
「あれ? おれ、パーティーメンバーは四人って言ったっけ?」
「いや聞いてないですけど!?」
「勇者、ひさしぶり。元気?」
「はい。おかげさまで」
「わたしをだっこしたまま普通に会話しないでください!」
「む、ごめん」
自分よりかなり大きい赤髪ちゃんを腕から下ろして、師匠は赤髪ちゃんの顔をじっと見詰めた。
「あなた、かわいい」
「えっ、あ、はい。重ねてありがとうございます!」
「おっぱいも大きい」
「え」
「私、小さいから羨ましい。いくつある?」
「勇者さん!」
「こういう人だから諦めてほしい」
もう少し会話を楽しんでいたかったが、そんな暇もないらしい。
「師匠」
「ん」
ゴーレムが、再び襲ってくる。師匠は何も持たないまま、ゆらりと歩を進めた。
モンスターが蔓延り、争いも絶えないこの時代。
魔術の存在。加えて、ある程度のコネと金を積めば手に入るマジックアイテムや武器の存在もあってか、素手での戦闘は、軽視されがちなのが現実だ。
当然である。剣は拳よりもリーチが長く、魔術は剣よりもリーチが長い。高位の魔術士と相対する騎士は、まず距離を詰めるところから戦いを始めなければならない。おれだって、戦うための武器として、最初に自然に剣を取った。女騎士ちゃんだって、いつも元気に両手の聖剣をぶんぶん振り回している。
そう。だからこそ。
おれは彼女の戦い方に、最上の尊敬と畏怖を抱く。
「下がって」
短く、一言。ただ指示だけを呟いて、師匠はおれたちを守るように、さらに一歩。前に出る。
右手を、前に。左手を、後ろに。たったそれだけの構えだけで、彼女の纏う空気が変化する。
しかし、あまりにも巨大なゴーレムは、足元のありんこが迎撃準備を整えたことに、少しも気が付かなかった。
「勇者さ……っ」
赤髪ちゃんの悲鳴が響く前に、拳が迫る。風圧で、声がかき消える。
彼女の小さな手のひらが、バカでかい拳に触れて。
「え?」
赤髪ちゃんの間抜けな声と共に、岩石の塊が一瞬、停止した。刹那、軌道を逸らされた拳は何もない空気だけを殴り抜き、そしてバランスを崩したゴーレムは、足元からひっくり返る。
重力、運動エネルギー、常識。それら全てを無視した結果が、当然のものであるように、師匠はおれに聞く。
「これ、コアはどこ?」
「多分、頭ですね」
「わかった」
それだけ聞きたかった、と言わんばかりに、小さな体が弾丸のように跳ねる。
「ゆ、勇者さん! あの人!」
「大丈夫だよ。よく見てな」
非常に、月並みな感想になってしまうが。
それでもおれは、隣で大口を開けて見守る赤髪ちゃんに、言わずにはいられなかった。
「やっぱり……ありが象を倒す瞬間は、ワクワクするよな」
踏ん張りが利かないはずの空中で。彼女はまた、構えを取る。一拍。それを打ち放つための呼吸と間合い、己の全てを調和させて。
拳が、巨人の頭を突いた。
小さな点の衝撃は、ゴーレムの頭部の中心から静かに広がり、震えて、波打つ。
かくして、岩石で作られた巨人は、たった一撃で上半身の軸から、粉々に砕け散る。
最強は、この世に一つだけではない。人間の数だけ、最強には種類がある。
しかし、この限りなく広い世界の中で。
拳を用いた格闘に限って言えば、天下無双という言葉は……きっと、彼女のためにある。
「む。意外と脆かった」
着地した師匠が呟いた。
違いますね。あなたが明らかにやり過ぎなだけですね。
「あ、あわわわわ」
開いた口が塞がらず、もうあごが外れそうになっている赤髪ちゃんのお口を、そっと下から支えてあげる。
「ゆ、勇者さん……わたしもう、何が何だか……」
「ああ、ごめんごめん。説明し忘れてた。師匠は武闘家なんだ」
「説明になってないです!」
「あとめちゃくちゃ強い」
「もう勇者さんの知り合い、みんな大体強いじゃないですか!? さすがに、こんな小さな子があんな大きいゴーレムを倒すとは思いませんでしたけど……」
赤髪ちゃんの感想に、師匠が不満そうに喉を鳴らした。
「一つ、訂正。わたし、あなたより多分年上」
「えっ、おいくつなんですか?」
「1023歳」
「……はあ?」
もう驚くことはない、といった様子で、赤髪ちゃんの間抜けな声が漏れた。
「ちっ……最悪ですね。かっこよく助けに入る私の出番が完璧に奪われました」
「なに言ってんの。ここからじゃ助けられないでしょ」
賢者、シャナ・グランプレは物見の水晶でその光景を見ながら、盛大な舌打ちを漏らしていた。もはや、発言が賢くない。そこらへんのチンピラと同レベルである。
「武闘家さん、生きてたんだ。あまりにも連絡つかないから、どこかで野垂れ死んでいるものかと」
隣でくつろいでいるアリア・リナージュ・アイアラスが言う。もはや、発言がまったく姫らしくない。
この騎士、さらっとひでぇこと言うな、とシャナは思ったが、口喧嘩と近接戦闘では勝てる要素が微塵もないので口には出さなかった。
「あの人が死ぬわけないじゃないですか。殺しても絶対に死にませんよ」
「いや、それはそうなんだけどね? いつも増やしたそばから死んでた賢者ちゃんと違って、武闘家さんは無敵だし」
「なんですかケンカ売ってるんですか。やるなら買うぞコラ」
「あ、なんか移動するみたいだよ。ほらほら、居場所がわかったんだし、あたしたちも早く向かおう。その遠隔監視の追跡魔術、長くは保たないんでしょ?」
「ちっ……」
「もう、そんなにイライラしないで。ほら、飴食べる? 能力で増やしていいよ」
「いらねーんですよ!」
この女騎士、お姫様のくせにいちいち態度がふてぶてしいので、どうにも調子が狂う。
「それにしても、武闘家さんまで戻ってくるなんて、なんだか本当に昔に戻ったみたいだね」
「それがいいことなのかは、甚だ疑問ですけどね」
「でも、心強いよ」
アリアは、懐かしいものを見るように、目を細めた。
「搦手ありで勝ち負けを競うならともかく……純粋な一騎打ちなら、あの人がウチのパーティーで最強だからね」
今回の登場人物
・武闘家さん
近接格闘特化型無表情幼女師匠。ペチャパイだが、賢者ちゃんのようにそれを気にしてはいない。20メートル級のゴーレムと正面から打ち合っても砕けない拳を持つ。身体強化系の魔力運用に特化しており、魔術は一切使えない。真正面からのガチンコ一筋だが、ガチンコに頭と技術を使う、騎士ちゃんとは似て非なるタイプの脳筋。
勇者パーティーの一員なので、当然魔法は所有しており、その影響で体の成長が止まっている。正しく、1023歳のスーパー幼女。死霊術師さんは武闘家さんのことをめちゃくちゃ嫌っている。
・賢者ちゃん
自分より胸が小さい武闘家さんをこっそり見下しているが、そういう浅い精神構造を武闘家さんにかわいいと思われている。
・女騎士ちゃん
どうやって武闘家さんに勝つか、いつも考えている。
・あごがはずれそうな赤髪
いつからパーティーメンバーが4人だと錯覚していた?
・勇者くん
冒険2年目のこと。みんなと離れて身包みを剥がされ、地下闘技場的な場所に放り込まれた際に、デスマッチを通じて武闘家さんと知り合った。さらにいろいろあって武闘家さんに弟子入りすることになり、勝手に師匠と呼ぶことに。剣に頼らない近接格闘技術を、この頃に少しだけ身につけている。