世界救い終わったけど、記憶喪失の女の子ひろった   作:龍流

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新たな一人目。あるいは、彼が勇者である理由

 師匠に床を本気の本気で殴ってもらった結果、ショートカットに成功した。

 落ちた先に、探していた先輩がいた。かなりラッキーである。きっとおれの日頃の行いが良いおかげだろう。

 ひさびさの再会である。何を言おうか迷ったが、おれは正直に心のままに、思ったことを口に出すことにした。

 

「先輩、きれいになりました?」

「お、わかる? やっぱり勇者くんにも進化したワタシの大人の魅力ってヤツが、より深く伝わるようになったみたいだねぇ」

「あとなんか片目の色変わってません?」

「お、わかる? 前の魔眼は昔、あのクソ盗賊に抉られちゃったからさぁ。新しいヤツ入れてみたんだよ! どうどう? 似合ってるかな?」

 

 左右で色の違う瞳が、こちらを見て「えへへ」と細くなる。

 魔眼ってそんなお洒落するようなノリで入れ替えるものだっけ……と少し思ったが、先輩のことなのであまり深く気にしないことにした。女性のイメチェンは、褒めるに限る。モテる男の鉄則だ。

 

「はい。よくお似合いです」

「ありがとありがと」

 

 嬉しそうにはにかみながら、先輩は背後に立つ人型ゴーレムのようなモンスターを、手刀で切断した。

 

「……?」

 

 は? 今、手で斬った? いいのかそれ? 

 疑問に思いながら、おれは横合いから襲ってきたもう一体の頭部を、裏拳の要領で砕いた。ちょっと手が痛い。

 

「勇者くん、最近元気?」

「ええ、まあ。ぼちぼちやってます」

「まさかこんなところで会えるとは思ってなかったよ」

「それはおれもですよ。どうです? 騎士団長の仕事は」

「そうそう! 聞いてよ。最近ほんと忙しくてさ。こんな辺境の土地までわざわざ派遣されるし、中々休みも取れないし! 勘弁してほしいよほんと」

「うわ、大変そうですね」

 

 各々、好き勝手に襲いかかってくるゴーレムを斬って砕いていく。ちょいちょい、と。瞳でアイコンタクトが入ったので頭を下げると、おれに飛びかかってきた三体がやはり片手一本で膾切りにされた。

 うーん、見れば見るほどきれいな切断面だ。なんでだよ、おかしいだろ。指先で発揮していい切れ味じゃないんだよ。

 

「でも、勇者くんに会えたから、ここに来てよかったかな」

「そりゃあどうも」

 

 さて、いつまでも世間話に花を咲かせているわけにはいかない。

 

「先輩。赤い髪の女の子がいたと思うんですけど」

「ああ。アカちゃんのこと?」

 

 なんか、おれが知らないあだ名が付いてるな。

 

「大丈夫大丈夫。後ろで寝かせてるよ」

 

 ちらりと背後を見ると、後ろに寝かされている赤髪ちゃんの様子を、師匠が確認していた。無表情のまま、力強いサムズアップ。

 よかった。とりあえずは大丈夫そうだ。

 

「先輩が助けてくれたんですか?」

「うん。一応、そういうことになるかな」

「ありがとうございます」

「いえいえ。ちょっと毒を吸い込んじゃったみたいだから、念のためにあとで回復の心得がある魔導師さんに診せてあげて。一応、毒の処置はしたけど」

 

 毒と言われて、昔のことを思い出す。

 あのクソ盗賊に襲われた時、先輩も毒を浴びていた。きっと苦い思い出のはずだ。処置をした、ということは、あのトラウマを克服したのだろうか?

 

「先輩、その毒はどうしたんですか?」

「斬った」

 

 なんて? 

 

「毒って斬れるものでしたっけ?」

「え? うん」

 

 ……そっかぁ。

 

「そういえば先輩も、幻覚効果のある魔法の影響を受けたと思うんですけど」

「ああ、受けた受けた。いやぁ、ちょっと油断しちゃったよ」

「どうやって脱出したんですか?」

「斬った」

 

 なんて? 

 

「夢とか幻って、斬れるものでしたっけ?」

「え? うん」

 

 そっかぁ……。

 やばいな。

 もしかしたらこの人、もうおれより強かったりするんじゃないか? 

 おれ、腐っても世界を救った勇者なんだけどな。

 

「それにしても、減らないね。このゴーレムの数」

「そうですね」

 

 雑談をしながらかれこれ二十ほどは薙ぎ倒していると思うが、次から次へと湧いて出てくる。

 率直に言ってきりがない。

 

「この迷宮そのものが、心を持った魔法持ち……っていうのがおれの予想なんですけど、どうです?」

「お。正解正解、大正解だよ。さっきお喋りしたけど、お前たちは胃の中に入り込んだ獲物だ!みたいに言われたから」

「なるほど」

 

 やはり、予想は正解だったらしい。

 となると、この分身のような人型のゴーレムをいくら倒しても意味がなさそうだ。例えるなら、砂場の中で作られる砂の城をいくら壊しても、材料が無限にあるようなもの。砂場の中でいくらもがいても、勝てない。

 こいつを倒すためには、ダンジョンの核を叩く必要がある。

 

「師匠。赤髪ちゃんを守ってもらえますか?」

「合点、承知」

「そして先輩」

「なに?」

「お願いがあります」

 

 足元から適当な石を拾い上げて、おれは言った。

 

「この迷宮の核までの道を、切り開いてください」

 

 ぴくん、と。先輩の肩が震える。

 

「それはお願い?」

「はい。お願いです」

 

 おれは腰から、困ったドジっ子先輩が落としていた刀を引き抜いて、放り投げた。

 

「あ! わたしの剣!」

「落としたでしょう? ひろっておきました」

 

 その鞘をキャッチして、困ったドジっ子先輩の表情が、いたずらっぽく歪む。

 

「助けてほしいかい? 後輩」

「助けてほしいですね、先輩」

「素直だね」

「はい。おれは素直な後輩ですから」

「よしよし。それなら仕方ないなぁ」

 

 今の先輩は、手刀一つで、岩を切り、毒すらも断つ剣士だ。

 そんな最強の剣士に、愛用の一刀を渡したらどうなるか? 

 

「かわいい後輩を、助けてあげるのが先輩の務めだ」

 

 どこまでも純粋な、斬撃の解答があった。

 その一瞬で、抜刀したことはわかった。しかし、その切断の軌跡はおれの目にも見えなかった。

 遅れて響く、刀身を再び鞘に収める高い音。そして、残ったのは斬撃の結果のみ。

 眼前に立ち塞がっていた、合計十数体のゴーレムが、その一閃だけで両断されていた。

 斬撃は、距離の概念すら超越していた。

 俄には信じ難いこと。しかし、間違いのない一つの事実があった。

 

 彼女は()()()()()()()のだ。

 

「──さあ、勇者の道を斬り拓こうか」

 

 理屈も理由も常識も。

 すべてを超越した魔の斬撃が、石のヒトガタたちを切り捨てていく。

 圧倒的、という言葉では生温い。美麗、という言葉でもなお、表現が不足している。

 世界最強の斬撃が、おれの前で踊り出して止まらない。

 極限まで突き詰められた、切断という概念が、腹の中から内蔵そのものを掻っ捌いていく。

 

「やめろ……やめろぉ! 私をっ! 私を斬るなぁ!?」

 

 叫びが聞こえた。おそらく、この迷宮の、心の声が。

 遂に痺れを切らしたように、おれたちが立つ地面そのものが隆起して、形を変え、大口を開けて飲み込もうと蠢き出す。

 

「先輩!」

「うん。わかってるわかってる」

 

 声音は、冷静だった。

 おれの前に立つ剣士は、左右で色の違う瞳で、それを一瞥する。

 今までの斬撃は、すべて片手だった。

 しかし、単純な理屈として……剣は、両手で振るった方が、強い。

 はじめて、先輩は両の手のひらで刀の柄を握り締めた。

 

「多分、この下かな?」

 

 大上段の、振り下ろし。

 最も美しい一閃が、地面を両断した。

 それはもはや、物体に対する斬撃でも切断ではない。地層に対する割断に等しい。

 真っ二つに割れた、足元の下。濃密な魔力と、蠢く心臓のような核が、視界に入った。しかし、敵も馬鹿ではない。すぐに核をカバーしようと、地面が壁の如く動いて、また再構成をはじめる。

 

「逃げられるよ!」

「逃しません」

 

 警告に応えて、おれは割れた地面の中に飛び込んだ。

 距離がある。まだ届かない。故に、懐から取り出した小さな石を、それに向かって全力で投擲する。

 無論、そんな石の礫で、迷宮の核が破壊できるわけもなく。

 

「──哀矜懲双(へメロザルド)

 

 だからこれは、最初から攻撃ではない。

 距離を詰めるための、一手だ。

 投げた石と、自由落下するおれの体が魔法によって入れ替わる。一瞬で、距離が縮まる。

 それは、核を守ろうとする迷宮の計算を狂わせるには、十分過ぎる隙だった。

 

「捕まえた」

 

 片腕の手のひらで掴めるほどの、小さな核。

 それに触れた瞬間。目の前が、真っ暗になった。

 

 

 ◆

 

 

「……む。またか」

 

 やれやれ。何回、精神攻撃をすれば気が済むのだろうか。

 迷宮の核を砕くために、直接手を触れた結果。

 どうやらおれはまた、魔法が作る夢の中に引きずり込まれてしまったらしい。

 おれの目の前には、一人の少女がいた。

 ついさっき、おれがパイとケーキを顔面に直撃させた少女だ。

 

「何度やっても無駄だってわからないかね」

「ええ。わたしもそう思うわ」

 

 やはり、さっきと同じ声がした。

 いい加減、この手の精神攻撃はおれに通用しないことを学んでほしいものだ。

 再び目の前に現れた魔王の幻影に向けて、指を突きつける。

 

「なんだよ。またパイを顔にぶん投げてほしいのか?」

「え! パイを顔に投げてくれるの!? うれしい! それ、食べていいってことでしょう!?」

「……」

 

 ちょっとした間があった。

 食い気味にこんなことを言ってくる女を、おれは一人しか知らない。

 

「……なんて言えばいいんだろうな、こういう時」

「ひさしぶり、でいいんじゃないかしら」

「そうか」

 

 目を合わせて、顔を見る。

 

「ひさしぶりだな。魔王」

「ええ、また会えてうれしいわ。勇者」

 

 ふんわりと笑うその表情が。

 上品に緩む口元が。

 

「で、パイはどこ?」

「ねぇよそんなもん」

 

 そしてなによりも、その恐ろしい食い意地が。

 夢幻の類いではなく、目の前に立つ彼女が本物であることを、おれに正しく認識させた。

 絹のような髪を横に揺らしながら「甘いもの、食べられると思ったのに……」と、しょんぼり肩が落ちる。そこには、魔王の威厳は欠片もなかった。

 

「……なんで、いるんだ?」

「なんでって言われても、ほら。わたしはあなたの中にずっといるわけだし」

「呪いとして?」

「そう。呪いとして」

 

 なんて重い女だ。勘弁してくれ。頼むから早く出て行ってほしい。本当にお願いだから。

 

「前はあの子とも喋ったし……良い機会だから、今回はあなたとお喋りしておこうかなって」

 

 あの子、というのが赤髪ちゃんのことを指しているのは、なんとなくすぐにわかった。

 

「お前、赤髪ちゃんにいじわるなこと言ってないだろうな?」

「失礼ね。わたしのやさしさを信用できないの? わたしと一つになって、復活してみないかって。そう提案しただけよ」

 

 コイツ、生き返る気満々じゃねぇか。

 

「でも、フラれちゃった」

「当然だ」

「あなたのパーティーの人間、わたしのことを絶対拒むのよね。どうして?」

「そりゃ魔王を倒すために集めたパーティーなんだから、拒むに決まってるだろ」

「わたしが誘惑すれば、ほとんどの人間はいちころなのに……」

「残念だったな。お前の誘惑に引っかかるアホな人間なんて、うちのパーティーにはいないんだよ」

「ひどい。そういういじわる言うんだ」

 

 すっと。

 彼女の指がおれの胸に触れた。

 

「でもさっき、わたしのニセモノに怒ってくれたでしょう?」

「……」

「どうして?」

「…………」

「ねえ、どうして?」

「…………うるさい」

 

 くすくすくすくす、と。

 口元に手を当てて、こちらを上目遣いに見上げて、彼女は笑った。

 

「いじわる返し、効いた?」

「効いてない」

「効いてるくせに」

「……早く用件を言え」

「そうね。まあ、用件と言うほどではないけれど。一応、忠告しておこうかと思って」

 

 くるり、と。

 長い髪と細い体が、おれの前で回る。

 

「黒の魔法。使って大丈夫?」

「……どういう意味だ?」

「ジェミニは悪魔だったけど……あなたが今触れているのは人間の心でしょう?」

 

 おれの魔法は、殺した相手の名と魔法を奪う。

 そんな、今さら説明するまでもない事実を、魔王はわざわざ再確認する。

 

「あなたのその力は、わたしを倒すための魔法だった。世界を救うための魔法だった。あなたは……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()けど」

 

 甘い声音は、いやになるほど自信に満ちていて。

 

「でも、今は違う」

 

 重ねた否定が、いやにはっきりと響いて。

 

「わたしはもう、あなたが生きる世界にはいない」

 

 澄みきった瞳は、こちらを試すようで。

 

「ねえ、勇者。世界を救い終わった勇者さん。今だからこそ、もう一度問うわ。あなたは本当に、その魔法を正しく使えるの?」

「当たり前だ」

 

 おれは、即答をした。

 魔王は、驚かなかった。表情を変えないまま、おれの顔をじっと見詰めていた。

 昔はよく、二人きりでこういう問答をした。

 交わす言葉は平行線のままで、結局おれたちは最後まで対立することしかできなかった。思い返してみれば、おれはいつも彼女の問いに対して、満足いく答えを返すことができていなかったように感じる。

 だから、リベンジをさせてもらおう。

 

「おれの魔法も、おれの心も、おれのすべては……お前を殺すためにあった」

「ええ、そうね。だって、それが勇者だもの」

 

 コイツの言葉は、たしかに正しい。

 きっと、おれという勇者は、魔王を殺すために存在していた。

 

「でも、今は違う」

 

 魔王を倒して、世界を救って、名前を奪われて。

 おれという勇者の物語はそこで一度、たしかに終わった。

 何をすればいいのか、わからなかった。この世界に、もう魔王はいないのに、出会う誰もがおれのことを『勇者』と呼ぶ。

 それが、恐ろしかった。自分にもう名前がないことを突きつけられているようで、怖かった。

 ただ『勇者』という記号が存在証明の代わりになって、おれという個人の存在が、少しずつ擦り減っていくようで。名前を知る人たちと連絡を断ち、関係を絶って、その事実から目を背けて、逃げ続けて生きていた。

 だけど、あの日。追われている女の子を助けて、止まっていた時間がまた動き出した。

 

 勇者さん、と。

 

 助けた女の子からそう呼ばれた時、どこか心が軽くなった。

 それ以外に名乗る名前がなかったから、仕方なくそう呼んでもらっただけだったのに。でも、記憶も名前も何もないと告げる彼女からそう呼ばれて、そこからまた新しい冒険がはじまった。

 もう一度、パーティーのみんなに会うことができた。

 

 賢者ちゃんには、小言を言われて。

 騎士ちゃんと、お酒を酌み交わして。

 師匠からは、頭を撫でられて。

 死霊術師さんに、抱きつかれて。

 

 名前を失っても。

 何も、変わってなんかいなかった。

 

「お前がいなくなっても、おれは勇者なんだ」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 それが、とても多いことをおれは知っている。

 それが、とても熱いことをおれは知っている。

 それが、変わらないことをおれは知っている。

 それが、美しく在ることをおれは知っている。

 なによりも……それが、鮮やかな色合いであることを、おれはよく知っている。

 

 だからきっと、最初から迷う必要なんてなかった。

 

「愛されてるのね。あなたは」

 

 色のない魔王は笑った。

 

「……ずるいなぁ」

 

 それはやはり、少し寂しそうな笑みだった。

 

「そんな風に、いろいろな愛に彩られて……あなたって、本当にずるいひと」

「ヤキモチか?」

「うん。嫉妬しちゃう」

 

 ならば、その嫉妬は甘んじて受け入れようと思った。

 仕方ない。モテる男はつらいのだ。

 

「ねえ、勇者。最後に一つだけ聞かせて」

 

 最後、と言われて。

 ああ、もう話すのは終わりなのか、と。そう思った。

 

「救い終わった世界に、勇者は必要?」

 

 いじわるな質問だ。

 しかし、胸を張って答えなければならない問いだった。

 

「何度でも言う。お前がこの世界にいなくても……おれは、勇者で在り続けるよ」

「……そっか」

 

 寂しそうな微笑みが、ほんの少しだけ。

 嬉しそうな微笑みに変わった。

 

「じゃあ、気をつけて」

 

 胸に、手が触れる。やわらかく体を押されて、おれの意識は薄れていく。

 ずっとこちらを見詰めていた瞳は、

 

「がんばってね。わたしの勇者」

 

 最後の最後まで、優しいままだった。

 

 

 ◇

 

 

 魔法の中から、勇者が目覚める。

 

 それは、恐怖した。

 勇者に魂を掴まれて、ただ恐怖した。

 殺される。死にたくない。

 死にたくない?

 いいや、そうではない。迷宮の魂は、死ぬことに恐怖しているわけではなかった。

 

「……いやだ」

 

 それは、ずっと解放されたかったのだ。

 暗く湿った迷宮という形に囚われたまま、人間ではないものになっていくのが怖かった。

 魔法という心を利用され、人間だった頃の記憶と名前を奪われたまま、朽ち果てていくのが恐ろしかった。

 だから殺されるのは構わない。

 けれど……このまま、死にたくない。

 

「……名前が、ほしい」

 

 縋るように、それは勇者に言った。

 

「名前が……自分の名前が、わからないまま、消えたくない」

 

 もう、人間には戻れない。

 そんなことは、自分自身が一番良くわかっている。

 それでも、名もなき迷宮のまま。あの四天王の道具になったまま、死んでいくのだけは……。

 

「……大丈夫だ」

 

 勇者は、告げる。

 手のひらに収まる小さな心に向けて、語りかける。

 

「──ベリオット・シセロ。その名と魔法を、貰い受ける」

 

 勇者は、たしかに、声に出して『それ』ではない『彼』の名前を、呼んだ。

 トリンキュロ・リムリリィが奪い取り、弄び、忘れ去られた彼の名前を。

 

「べり、おっと……」

「ああ」

「私の……、オレの名前?」

「そうだ。お前の名前だ」

 

 たとえ世界を救っても、救えないものがある。

 勇者にできるのは、その名と魔法を奪い、心に刻むことだけ。

 死を迎える前の、この一瞬。彼に、名前を返すことしかできない。

 

「ごめん。おれは、お前を救うことはできない」

 

 謝罪があった。

 歪み切ってしまった彼を、人間に戻すことはできないから。

 彼の命を、救うことはできないから。

 それでも、

 

「……ありがとう」

 

 感謝があった。

 

「本当に、ありがとう」

 

 生まれ持った魔法のせいで、他人を避け続ける生き方をしてきた。生まれ持った魔法のせいにして、他人を信用することのない生き方をしてきた。

 心惹かれた存在には騙され、すべてを奪われ、人ですらなくなった。

 決して、幸せな一生ではなかった。

 だとしても、それが自分の人生なのだと。開き直ることはできても、一人ぼっちで、誰からも名前を呼ばれないまま、忘れ去られるのは、やはり寂しかった。

 自分の名前を、誰かに覚えていてほしかった。

 そんな寂しさから、救ってもらった。

 

「あなたは……勇者だ」

 

 勇者が取り戻した名前は、彼という存在を人間に引き戻す。

 ベリオット・シセロの心は、最後に、黒い輝きの中に救いを得た。

 

「どうか、あなたも……自分の名前を」

 

 そして、最後の最後に、他者を気遣うやさしさを得た。

 その心に報いるために。

 

「ああ、絶対に取り戻すよ」

 

 黒の勇者は、新たな名前と魔法を、心に刻み込む。




書籍化記念に、めりっとさんよりいただきました。勇者くんです。


【挿絵表示】


かっこいいですね……とても裸になる男とは思えない。今回のお話の前にいただけてよかったなと思いました。

書籍版はいよいよ本日発売です!

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自分にとって、人生はじめての本になります。
いつも読んでくださるみなさんのおかげで、一冊の本にすることができました。
これからも、よろしくお願いします。

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