「それで、師匠はどうしてここに?」
「このあたり、なにもない」
「はい」
「修行にぴったり」
「なるほど」
「それでいいんですかっ!?」
「だからこういう人なんだよ」
こういう人だが、しかしなんだかんだ生きるのはうまいので、師匠は荒野のど真ん中に湧き水が出る場所を見つけ、拠点としていた。簡素だがテントのようなものも建てていて、三人くらいなら寛げるスペースがあった。陽射しから逃れて、水を飲んで寛げるっていうだけでも、かなりありがたい。やっぱり屋根って人間の偉大な発明だわ。
「でも、これでゆっくり休めるね」
と、赤髪ちゃんは小鳥ちゃんに語りかけている。まるで返事をするように、小鳥ちゃんは小さく鳴いた。ただし、その声は先ほどよりもか細い。
「さっきは助けていただき、ありがとうございました」
「気にしなくて、いい。弟子を助けるのが、師匠の役目」
「恐縮です」
師匠はやはり無表情のまま、バリバリと備蓄の品らしい乾パンを貪り食っている。ついでに、干された肉やら塩の壺やら、どこから調達してきたのかわからない野菜やらもあるので、本当にこの辺りで修行していたのだろう。マジで自由過ぎるな、この人。
「あの、お師匠さん」
「なに?」
「いえ、なんというか……勢いよくたくさん食べられるんですね。お体はそんなに小さいのに」
お前だけはそれを言うな、とおれは思った。
「よく食べるの、大事。あなたの方こそ、もっと食べた方がいい。さっきから、全然進んでいない」
言われてみると、たしかに。あれほど食い意地の張っている赤髪ちゃんに取り分けたパンや肉が、なぜか全然減っていない。ゴーレムに襲われる前は、お腹が空いたと早くも愚痴っていたので、腹が減っていないわけがないだろうに。
「お、お師匠さんは、どうしてそんなに長生きなんですか? 何かこう、秘訣みたいなものがあるんですか?」
話を逸したいのか、赤髪ちゃんが支離滅裂な質問を師匠に投げる。1023歳に、長生きの秘訣もクソもあるわけがない。おかしいに決まってんだろ。明らかに生命の摂理に反してるって。
「よく食べて、よく動いて、よく寝る。人の健康は、それだけで保たれる」
「な、なるほど」
「師匠、適当に答えないでください」
「む。わたし、いたって真面目。これは、真理」
いや、それはそうなんですけど。
「あ、あの勇者さん」
「はいはい。どうした?」
「この子のこと、また診ていただけませんか? さっきからパン屑をちぎってあげているんですけど、あんまり食べてくれなくて」
上目遣いでおれを見て、赤髪ちゃんは小鳥ちゃんを差し出した。
ああ……わかっている。赤髪ちゃんの元気がないのは、さっきから手のひらにのせた小鳥ちゃんに、ずっとかまっているからだ。なんとかしてあげたいところだけど、しかしおれには他にやることがある。
ちらりと、師匠を見た。ぐびぐびと、ひょうたんに口をつけて水を飲んでいた師匠は、おれの目配せに気がついて、軽くウィンクした。
よし。師匠なら、赤髪ちゃんと小鳥ちゃんを任せても大丈夫だろう。
「ごめん。赤髪ちゃん、おれ、さっきゴーレムを倒した場所に、忘れ物してきたみたいで」
「忘れ物?」
「うん。ちょっと取ってこなきゃいけないから、小鳥ちゃんは師匠にみてもらってくれるかな?」
「わ、わかりました。じゃあ、わたしも一緒に」
「いや、おれ一人だけでいいよ。ほんとごめんね」
きれいな赤色の髪を、ぽんぽんと軽く叩いて、おれはテントの外に出た。
肩を引き下げ、膝をほぐして、背を大きく伸ばして深呼吸をする。
「うし。いくか」
さあ、
予感があった。
あのゴーレムは、おそらく野生のものではない。
勇者が出て行ったあとの、少女の横顔を眺めていた。ここまで、ずっと彼を頼りにしてきたのだろう。勇者が出て行ってからしばらくは落ち着かない様子だったが、しばらく経って、少女はようやくこちらに視線を向けた。
「えっと、お師匠さん」
「ムム」
「はい?」
「ムム・ルセッタ。わたしの、名前。勇者はああいう呪いを受けているから、みんな気を遣って名前を使わない。でも、わたしと二人でいる時は、名前を呼んでいい」
「あ、ありがとうございます。ムムさん」
ムム・ルセッタは、勇者パーティーに所属していた武闘家である。そして、勇者の師匠でもある。
片手にパンを、片手に肉を持ちながら、ムムは少女に聞いた。
「あなたの名前は?」
「あ、はい。わたしの名前は……」
その名を聞いて、ムムは頷いた。
「そう。いい名前」
「えへへ、ありがとうございます」
「自分の名前、好き?」
「は、はい。わたし、自分のこと、これしか覚えてないので」
「そう。わたしも、好き」
「はい! ムムさんの名前も、とってもすてきだと思います」
「ありがとう。うれしい」
固いパンを咀嚼して飲み込んでから、ムムはさらに聞いた。
「勇者に、名前。呼んでほしい?」
少女の目が、ほんのわずかに見開かれた。
視線が下を向き、左右に揺れ動いて、それから前に戻る。
「そう、ですね。勇者さんは、とてもやさしい人なので、名前を呼んでもらえたら……きっとわたしは、うれしいなって思います」
「ふむ」
「でも」
「でも?」
「出会ったばかりのわたしなんかより、賢者さんや姫騎士さんや、お師匠さんの方が……ずっとずっと勇者さんに名前を呼んでほしいんだろうなって。そう思います」
「うん」
ムムは、食事を開始してからはじめて、パンと肉を机の上に置いた。布巾で指を拭いて、清潔にしてから、手を伸ばす。
「あなた、やっぱりとてもいい子」
なでなで。
ムムは目を丸くする少女の頭を、やさしく触り続けた。
「えっと……」
「ん?」
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
ぴぃ、と。されるがままになっていた少女の手のひらの中で、小鳥が鳴く。
「あ! ムムさん!」
「なに?」
「この子のこと、診てあげてください!」
「診るって、なんで?」
「え、だって勇者さんが……」
「わたし、治癒魔術、使えない」
少女のやわらかな表情が、険しいものに変化した。
当然だと、ムムは思う。
「そんな……じゃあ」
「そもそも、この子、もう長くない。翼が、折れてる。絶対に、助からない」
「それ、は」
なんとなく、この子もそれをわかっていたのだろう。驚きよりも、失望の色を表情に出して、赤髪の少女は手のひらの小鳥をじっと見詰めた。
優しい子だと思う。勇者があれほど入れ込む理由も、うっすらとだが、理解できる。
「そもそも、死ぬって、そんなに悪いこと?」
だからこそ、ムムは少女に向けて問いかけた。
「はい?」
「わたしは、ずっと生きてる。でも、自分が死ぬ時が来たなら、死んでもいいと思う」
「ムムさん……?」
か弱く、ちいさなちいさな小鳥に向かって。
無表情のまま武闘家は、その拳を向けた。
思い出話を、一つしよう。
自分が年を取らないことに気がついたのは、10歳の頃。ただし、10歳の時に自分が10歳だったのか、少女は覚えていない。その頃にはすでに、少女の時間の感覚は狂い始めていた。
親は知らない。山の中で、気がつけば暮らしていた。その頃は、自身の魔法のコントロールもうまくいかず、死にかけることもあった。
水を啜り、肉を食み、今日を生きて、明日を考えずに眠る。ずっと、その繰り返しだった。
そんなある日、男に出会った。巨大な岩のような、あるいは熊のような、ひげ面の大男だった。
「なんだ、お前。一人か?」
「……?」
「なぜ、答えぬ?」
「…………」
「お前、言葉がわからんのか!?」
男は修行をするために山奥に来たようだったが、何故か少女にかまった。
男は強さを求める武道家だったが、何故か学もあった。
「強くなることと、学ぶことは表裏一体! よく学び、よく強くなれ! 少女よ!」
ある日はペンを。ある日は拳を。
ただ生きるだけなら、少女は一人でもできた。ただ生きる以外の全てを、少女は男からもらった。
「名前を決めたぞ! 今日からはこの名と、わしの家名を名乗れ!」
少女は、ムム・ルセッタになった。
「良い名前」
「おお! そうかそうか! 気に入ったか!」
「短くて、書きやすい」
「短くて書きやすい!?」
男は、ムムの師父になった。
「師父、修行したまま、寝ないで」
「ははっ! すまんな! 疲れておったのだ!」
「せめて、体は拭いて。臭い」
「なにぃ!? わしは臭うか!?」
「うん」
「むぅ……!」
師父は、本当に馬鹿な武道家だった。
起きては拳を振るい、食べては拳を振るい、寝て起きてはまた拳を振るう。
「お前は本当に小さいな、ムム! もっと飯を食え!」
「昔から、食べてる」
「量が足りないのだ!」
「でも、わたし……ずっと、大きくならない」
歳を取らない。
5年ほど暮らして、ついに師父はムムの体の異常……『魔法』に気がついた。気づくのが遅すぎてあまりにも鈍いと思ったが、もしかしたら彼はわざと気づかないふりをしていたのかもしれない。
「ふん! ならば、わしが治してやる!」
「え?」
病の一種だと、思ったのだろう。あれほど強くなることに執着していた男が、修行を投げ捨てて、医者を訪ねるようになった。武道大会に出ては賞金を得て、戦争に兵士として参加しては地位は望まず金だけを望んだ。そうして得た資産の全てをムムに注ぎ込み、治療に当てた。
医者は匙を投げた。
魔導師は首を振った。
あやしげな呪詛師は絶対に治ると言いながら高額な治療代を請求してきたので、師父が殴り飛ばした。
また10年くらい時間が過ぎて、あれだけ若々しく、精力に満ち溢れていた男の髪に、白いものが目立つようになった。
「すまない、ムム……わしは」
「いい。大丈夫。自分の体。自分が、一番よくわかってる」
「だが、だが……わしは、お前の嫁入り姿を、楽しみにしていたのだぞっ!」
「……は?」
師父は、やはり馬鹿だった。
「お前が良い男に嫁ぎ、良き幸せを掴み、子どもを育み……そしてあわよくば、お前によく似たかわいい孫に我が流派を継いでもらおうと! わしはそれだけを楽しみにしていたというのに!」
「師父、そんなこと考えてたの?」
「そんなこととはなんだ!? お前はせっかくそんなにきれいな顔をしているというのに、いつまでもちんちくりんな体では、嫁の貰い手が来ないではないか!?」
「うるさい」
「脛を殴るな!?」
馬鹿親父の足を、習った武術でげしげしと殴ってから、ムムは言った。
「いい。わたしはどこにも行かない」
「なに?」
「師父がいれば、それで良い」
「ムム……!」
そうして、また20年ほどを二人だけで過ごして。
師父の寿命がきた。
ムムは、彼の布団の横に座って、硬くゴツゴツとした手を、ずっと握っていた。何日も何日も、ずっと握っていた。
「すまないな、ムム。先に逝くぞ」
「気にしなくていい。師父、とっても長生きだった。わたしが、へんなだけ」
そう。これが普通なのだ、と。ムムは思った。
生まれて、生きて、老いて、人は死ぬ。
自分が、おかしいだけなのだ。
「変、か。己を卑下するな。お前は立派に、わしの隣で武の道に励み続けた。わしはそれが、なによりも誇らしい」
「でも、わたし。まだ師父より弱い」
事実を言うと、死にかけの男は何故か嬉しそうに笑った。
「くくっ……ははっ! そうだな、お前はまだ、わしより弱い!」
「うん」
「だが、
「うん」
「故に……ムムよ。お前は、その拳を磨き続けろ」
「師父が死んでも?」
「ああ。わしが死んでも、だ」
その笑顔は、死に際の老人とはとても思えないほどに、強く温かな輝きに満ち満ちていた。
「お前の体は小さく、お前の体は弱い。だが、だからこそ……お前には、どこまでも許された時間がある」
それはどんな武道家が望んでも叶わない、最上の願いなのだと、師父は語った。
「でも、師父が死んだら、わたしは、師父より強くなったかわからない」
「……」
「師父が死んだら、わたしはさびしい」
死にかけの男は、最後の力を振り絞って体を起こした。左手は、ムムと手を繋いでいる。だから彼は、布団の中から右手を出して、持ち上げた。
「すまない」
その腕を見る。
自分は全然変わらないのに。あの頃と比べると、随分と肉が落ちて、細くなった。
その手を見る。
武の頂きを極めるために。あれだけ堅く握り締められていた男の拳が、やさしく花開いた。
72年間。一緒に生きてきて、はじめて頭を撫でられた瞬間だった。
「ムム」
「なに?」
「愛している」
師父から贈られた最期の言葉は、武道家の言葉ではなかった。
ムムは、師父の手を離した。師父は、ムムから手を離した。
そうして、ムムを愛してくれた男は死んだ。
また一人になった。
愛している、というその言葉の意味を、彼が生きている間に知りたかった。
魔法の力で、涙は止まらなかった。
泣いて、泣いて、泣き続けて。
ただ、自分の頭を撫でてくれた彼の拳は、絶対に継がなければならないと思った。
ムムの、次の100年が始まる。
拳を振るう。
研鑽を積み重ねる。
拳を振るう。
研鑽を積み重ねる。
拳を振るう。
研鑽を積み重ねる。
また100年。さらに100年。続けて100年。
自分の体は変わらない。絶対に年を取らず、成長しない。だから、技を磨き続けるしかない。否、技を磨き続けることを、ムムは師父に望まれた。
あの拳に追いつくために、ただ拳を振るい続ける。
磨いて、磨いて、ただひたすらに、磨き続けて。
拳が磨かれれば磨かれるほど、ムム・ルセッタの心は、少しずつ擦り切れていった。
磨くのは良い。自分の武が前に進んでいることは、疑いようもない。そこに、疑念はない。
ただ、純粋な恐怖が在った。
このまま拳を握り続けて、強くなって、彼が目指した武の頂きに、辿り着いたとして。
一体、その先には何があるのだろう?
誰が、自分を認めてくれるのだろう?
違法な武闘会に参加するようになった。何でもいい。ただ、強さの証明が欲しかった。
相手を倒せば、少しだけ心が満たされた。相手を殴り倒せば、少しだけ心が軽くなった。
そうやって、戦って、戦って、戦って。
「すごいですね。あなたの拳」
ある日。
「おれに、教えてくれませんか?」
ムム・ルセッタは、勇者と呼ばれることになる少年に出会った。
「やっぱりいたなぁ……それも、うじゃうじゃと」
予想通りというべきか。本当はこういう予想は当たってほしくなかったのだが……戻る途中に、やはりかち合ってしまった。
ゴーレムが、ざっと数えて10体。明らかにおれたちを探すように、群れで移動していた。サイズは人間より少し大きいくらいの小ぶりな感じで、師匠が倒したヤツよりも弱そうに見えるが……それぞれの魔力量は、あのバカデカいやつよりも、大きい。
「師匠の魔法を見極めて、小型に切り替えた……切り替えて、差し向けたヤツがいる、ってことだよな」
さっきは、本当に不覚をとった。
師匠が助けてくれなければ、赤髪ちゃんは危なかった。おれのミスだ。バカでアホな、おれの油断だ。師匠に怒られてしまう。
世界を救ったのに、女の子一人を助けられないなんて、勇者失格だからだ。
「よし、やるか」
ここまで走ってきたので、汗をかいた髪をかきあげる。何本か、髪が指にまきついた。そういえば、最近髪を切っていなかった。この面倒事が片付いたら、ぜひとも散髪に行きたいところだ。女の子の長い髪はきれいだけど、男が長くても気色悪いだけだし。
「そういや、髪の手入れを怠るとハゲるって、賢者ちゃんも言ってたなぁ……」
おれは絶対にハゲたくない。
指に絡みついた、赤髪ちゃんとは似ても似つかない、
拳を、握り締める。
勘を取り戻すには、ちょうどいい相手だ。ひさびさに、本気でやろう。
今回の登場人物
・武闘家さん
本名、ムム・ルセッタ。髪の色は澄んだ水色。ちなみに武闘家さんは髪も伸びない。
・師父
武闘家さんを育てた人。髪の色は……晩年はハゲた。
・赤髪ちゃん
髪の色はきれいな赤色。
・勇者くん
髪の色はくすんだ赤色。赤髪ちゃんに比べると薄汚れてる感じ。ハゲたくない。