ルナローゼ・グランツは、基本的に感情を表に出すことは少ない。
しかしながら、目の前で策に嵌めてその地位を奪ってやった社長が、勇者に絶叫しながら武器として振りまわされ、無惨に切り刻まれて数回死んだあと、生首のまま持ち去られてしまった今の状況に関しては、かなり思うところがあるわけで。
率直に言えば、どんな顔をすればいいのかわからない、というのがルナローゼの本音であった。
けれど、どんな表情をしていいかはわからなくても、何を言うべきかははっきりとしている。
「ユリシーズ団長。これはどういうことですか? 逃げられてしまいましたが」
責任の所在の追求である。
「いやあ、すいませんすいません。ご覧の通り、逃げられてしまいましたねえ」
床に大の字になったイト・ユリシーズは、ルナローゼを見上げて、あろうことか抜け抜けとそう言い放った。
「第三を率いるトップである騎士団長がいて、この様とは。悪魔狩りの名が聞いて呆れますね」
「はいはい。もう本当に、仰る通りです。お恥ずかしい限りです」
ぽりぽりと、指先が眼帯の上をかく。
あからさまに、気の抜けたような返答だった。
「ユリシーズ団長」
「なんです?」
「あなたまさか、あの勇者を逃がすために手を抜いていたのではありませんか?」
「グランツさん。もしも先ほどの戦いをご覧になって、手を抜いているように見えたのでしたら、それはもうワタシの実力不足ということになります。まだまだ若輩の、至らない身で申し訳ありません」
「……」
片方だけの瞳に見上げられて、ルナローゼは押し黙った。
先ほどの全力戦闘を目にしておいて「手抜きしていた」といういちゃもんを付けるのは、さすがに道理が通らない。文句を言うことだけならできるが、それがただの言いがかりになってしまうことは、ルナローゼ自身もよくわかっていた。
「では、そちらの赤髪の少女も捕縛してください」
ルナローゼの提案に、少女の肩がびくりと震える。
「彼女は勇者と行動を共にしていた、重要な参考人です。もしかしたら、二人が逃げた行方に心当たりがあるかもしれません。それに……」
「グランツさん」
するり、と。
イトの体が、しなやかな猫のように、機敏に起き上がる。
赤髪の少女を庇うように前に出て、イトはルナローゼの視線の先に自らの体を滑り込ませた。
「それを決めるのはあなたじゃない。その子は、こちらで保護します」
イトの口調が、冷えたものに変化する。
ルナローゼの肩にわざわざ手を置いて、イトはその耳元に口を近付けた。
「
「それはそれは、大変失礼いたしました。ですが、あなたの方こそ、
「……」
「……」
美人の睨み合いほど、こわいものはない。
赤髪の少女は、イトとルナローゼを交互に見て、あわあわするしかなかった。
「団長! これは一体……!」
緊迫した空気は、後続の騎士たちの到着で解かれた。
イトはルナローゼとの睨み合いをやめて、息を吐く。くるりと回って、マントが翻った。
「はいはい、みんなおつかれさまー。二班はそこで倒れてるみなさんに手を貸してあげて。三班、四班は市街に検問の設置をお願い。第一捜索目標は、リリアミラ・ギルデンスターン。第二捜索目標が、勇者くん。まあ、どうせ二人いっしょにいるだろうけど。あ、そうそう。二人を探す時、名前は出さないように気をつけてね」
「それはやはり……勇者のパーティーには、特別な配慮をせよということでしょうか?」
「そうだよ」
訝しげな部下の問いを、イトはあっさり肯定した。
「世界を救った英雄とその仲間を、いきなり国賊扱いで指名手配なんてできるわけないでしょ? それこそ、国が揺れる一大事になっちゃう」
また振り返って、イトはルナローゼの方を見る。
「それで構いませんね? グランツさん」
「はい、結構です。私としても、あの馬鹿な社長のせいで、我が社の評判が落ちるのは本意ではありませんので」
「……あの、秘書さん!」
「なんでしょう?」
そのまま部屋を出ていこうとしたルナローゼは、赤髪の少女の声に足を止めた。
「秘書さんは、死霊術師さんのことを尊敬していたんじゃないんですか!? なのに、どうして……」
「……尊敬しているからこそ、その人物のことを許せなくなることもあります。それに、あなたが私のことをどう思っているかは知りませんが……私はそれほど清廉潔白な人物ではありませんよ」
純粋そうな少女に向けて、ルナローゼはその整った口の端を釣り上げてみせる。
「今だって、あの女がどれほど追い詰められた表情で、歯を食い縛っているか。想像するだけでも、楽しくて仕方がありませんから」
◇
「勇者さまと二人っきりのラブラブ逃避行生活! スタートですわーっ!」
「いやだーっ!」
おれは素っ裸の死霊術師さんを抱えたまま、頭を抱えたくなった。物理的に両手が塞がってるから、抱えられないけど!
この死霊術師、社会的地位も身分も失って、世間的な立場としては完璧に殺されたのに、まったくへこたれる様子がない。ちょっと元気過ぎる。
とりあえず
どうやって逃げようか真剣に頭を悩ませていると、死霊術師さんがお姫様抱っこされたまま、その細い指先を斜めの方向に向けて言った。
「あ、勇者さま。そこの路地を左です」
「え。あっちは何もなさそうだけど。ていうか、行き止まりじゃない?」
「大丈夫です。下にあります。あ、そうそう。そこの石畳みですわ。それをずらしてみてくださいな」
死霊術師さんの担ぎ方をお姫様抱っこから、肩に土嚢を担ぐような形に切り替えて、言われた通りに一見何の変哲もない石畳みを開ける。下水道に降りろということだろうか?
しかし、下水のいやな臭いが漂ってくるかと思いきや、そんなことはなく。はしごの下には、どこかに繋がってそうな雰囲気の通路が見えた。
「なにこの非常時に使える脱出用の地下通路みたいなやつ」
「さすがは勇者さま! お目が高い! ご覧の通り非常時使える脱出用の地下通路です!」
「なんでこんなものがあるの?」
「それはもちろん、このベルミーシュの街の再開発をしたのはわたくしですので!」
「あっはい」
それが答えだった。
いざという時のために、地下に避難用の通路を作っておいたのだろう。抜け目がないにもほどがある。そういえば四天王やってた頃もあの手この手で逃げられていたなぁ……と。なんだか遠い目になってしまう。
死霊術師さんを抱えたまま下に降り、地下通路をしばらく進むと、さらに驚くべきことに小さな部屋のようなものまであった。中に入ると、ランタンにクローゼットやベッドまで備え付けられており、数日間ならここで生活ができてしまいそうである。
丸出しのケツをなんとか長い黒髪で隠しながら、死霊術師さんはいそいそとクローゼットの中を漁り始めた。
「なるほど。ここで服を着替えて、変装して街の外に出る、と」
「いえ、今日はもう寝ます」
「寝るの!?」
「はい」
最低限、肌を覆う紫色のネグリジェに着替えた死霊術師さんは、そのままどーんとツインサイズのベッドへダイブした。
バタバタと、白い素足が子どものようにシーツの上を泳ぐ。
「どうせこの場所のことを知っているのはわたくししかおりませんし。この地下通路はそのまま街の外縁部まで繋がっていますから、最も警戒が厳しい今出て行くよりも、翌日に警戒が緩まった段階で抜け出した方が遥かに安全です」
「いや、まぁ。それはそうかもしれないけど……」
困った。思っていたよりも理由がちゃんとしていて、反論が難しい。
死霊術師さんは、枕を自分の胸元に抱き寄せて、微笑んだ。
「ですので、勇者さまも……今晩は、わたくしの隣で安心しておやすみください」
「いやいや、おれはさすがに起きてるよ。何があるかわからないし」
結論から言えば、熟睡してしまった。
翌朝。地下室なので、朝になっているかはわからないが、体の疲れの取れ方的に、多分もう朝である。
おれはボサボサになった頭を、がりがりとかいた。
「…………ふーっ」
いや、べつに何かしやましいことがあったわけではないし、本当にただ並んで寝ていただけなのだが、しかしそれはそれとして寝ずの番をするはずだったのにあっさり寝落ちしてしまったという事実に関しては、曲がりなりにも世界を救った勇者としてちょっと思うところがあるというか、おれも老けたかなというか、もう若くないなというか……。
「あれ?」
起きてみると、隣には既に死霊術師さんの姿はなかった。わりと朝が遅くて、宿屋の朝食などでは最後に降りてくるタイプなのに、めずらしい。
昨日は確認もせずに寝てしまったが、地下室の中にはまだ扉がある。うっすらと水が流れる音がしていたので、そちらを開けてみると、中は簡素な洗面所になっていて、死霊術師さんが顔を洗っているところだった。
「ゆ、勇者さま!?」
「おはよう。死霊術師さん」
「お、お、おはようございます……」
狭苦しい洗面所の上には、おれには何が何やらわからない化粧道具が細かく広げられている。女性は朝の支度が多くて大変だ。
慌てた様子で振り返った死霊術師さんは、髪をタオルでまとめていて、まだ化粧もしていなかった。そういうところを見るのも、なんだかめずらしい。
「おれも顔洗っていい?」
「は、はい。もちろんです」
「あ、急かしてるわけじゃないから、大丈夫だよ。ゆっくりやって。後ろでまってるから」
「……えっと」
どうしたのだろうか。
いつもなんでもあっけらかんと言い放つはずの死霊術師さんが、もごもごと言いにくいものを含んでいるかのように、口ごもっている。
「申し訳ありません、勇者さま。その、なんといいますか……朝の支度をしているところを見られるのは、少し恥ずかしくて……」
アイラインを引いていなくても十分過ぎるほどに大きな瞳が、動揺を隠しきれずに左右に泳ぐ。
手を合わせた、口元。そこから覗き見える頬が赤くなっているのは、寝起きでぼんやりとしている頭にも、よくわかって。
「……あー、ごめん。外で待ってるね」
「はい。お願いいたします」
扉を閉めて、おれはまた深く息を吐いた。
人の家の洗面所に、すっぴんでずかずか入ってきて、一緒に歯を磨く騎士ちゃんとか。
小さい頃は普通に一緒に寝起きするのが当たり前だった賢者ちゃんとか、そもそも最初から身の回りの世話をぶん投げてきた師匠とか。
そういうのに慣れきって、すっかり忘れてしまっていたが。
「そうだよなぁ……普通の女の人なら、あれが当たり前の反応だよな」
己に向けて再確認するように。絶対に死霊術師さんに聞こえない小さな声で、おれは呟いた。
とはいえ……そう、とはいえ、だ。
「素っ裸は恥ずかしがらないくせに……こっちは恥ずかしがるんだもんなぁ」
歳上の、大人の女性。
それが、おれの死霊術師さんのイメージだったし、事実としてそうだったわけだが。
朝、お化粧をする前の姿を見られて、こまったように顔を背ける。
そういうところに、普段は全然意識しなかった死霊術師さんの、女の子っぽい部分を感じてしまって。
そういうのは、ちょっとずるいな、と。おれは思った。
こんかいのとうじょうじんぶつ
勇者くん
昨晩はお楽しみでしたね?
死霊術師さん
今回人並みの羞恥心が残っていることが判明した。朝起きたときに勇者の寝顔見て良いな〜とか思ってた。
秘書さん
復讐をしているはずが、愛のキューピッドになりつつある
先輩
もう帰って寝てぇ……とか思い始めた
赤髪ちゃん
これ私のモデル料はちゃんと出るのでしょうか……?