世界救い終わったけど、記憶喪失の女の子ひろった   作:龍流

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勇者と死霊術師・愛の包囲網

「ここからはじまるのですね。わたくしと勇者さまの愛の逃避行が……!」

「うるさいよ」

 

 馬車に揺られながら、死霊術師さんの言葉をざっくりと切り捨てる。

 支度と変装を整えたあと、地下通路から出たおれたちは、街道を通りがかった馬車に乗せてもらう形でベルミーシュの街から無事離れることに成功していた。商人のおじさんの話によると、昨日はあちこちで騎士団が検問を張っており、思うように通行できなかったらしい。奇しくも、時間を置いた方がスムーズに逃げられる、という死霊術師さんの狙いが的中した形である。

 しばらく追手の心配はないだろう。目下の不満は、座り心地が悪くてケツが痛いことくらいだ。

 

「……」

「わたくしの顔に何かついておりますか、勇者さま?」

「ああ、いや、ごめん。髪型一つで変わるものだなって思って」

 

 シックな装いの、黒の長袖のワンピース。手元には、畳まれた上品な日傘。

 露出の少ない地味な服装だけでも、普段の派手な印象を上書きするには充分に思えたが、なによりも違うのはその髪型だった。腰の中ほどまで伸びていたはずの髪が嘘のように消え失せ、ワンピースの襟元に包まれたうなじが見えるほどの短髪になっている。

 

「ウィッグを被ってみました。髪をまとめるのは大変でしたが、悪くはないでしょう?」

「うん。似合ってる」

「ふふ。ありがとうございます。勇者さまは長髪の方がお好みだとは思いますが、しばらくはこの姿で我慢していただけると幸いです」

「おれ、長い髪が好きって言ったことあったっけ?」

「あら。違うのですか?」

「……ノーコメントで」

「うふふ」

 

 ロングスリーブの手袋を口元に当てて、くすりと笑う死霊術師さんは、本当に雰囲気だけなら浮世離れした若奥様といった感じだ。おれの方は相変わらず黒のスーツの上下にメガネなので、執事と駆け落ちに走る夫人に見られても、なんら不思議ではない。

 

「まるで駆け落ちみたいですわね」

「口に出して言わないでくれる?」

 

 思っていたことを、そのまま言われてしまった。

 

「ですが、少しだけうれしいです」

「というと?」

「全員で一緒に旅をすることはあれど、勇者さまとこうして二人っきりで馬車に揺られる機会は、ありませんでしたから。なんだか、新鮮な気持ちですわ」

 

 言いながら微笑む死霊術師さんの表情は、本当に上品で。

 普段とは違う髪型と服装も相まって、少々心の不意を突かれたことを気取られないように、おれは話を逸らすことにした。

 

「現状の確認をしたいんだけど」

「はい」

「とりあえず、死霊術師さんがジェミニと契約を交わしていた事実がバレて、社長の座を追われてしまった。元の地位に戻るためにはこの疑惑を晴らさなきゃいけない、と」

「そうなりますわね。まあ、疑惑も何もわたくしがジェミニと繋がっていたのは、紛れもない事実なのですが!」

「開き直ってるんじゃないよ」

 

 おほほ、と笑う死霊術師さんをしばき倒したいところだったが、死霊術師さんがジェミニと契約を交わしていなければ、おれは赤髪ちゃんと出会えなかったわけで。怒るに怒れないのが、なんとも言えないところである。

 

「ですが、気がかりな点がいくつかあります」

「たとえば?」

「そもそもわたくし、ジェミニと繋がりがあった証拠の類いは、一切残していませんし、誰にも知られておりません。叩いてもホコリの一つも出てこない、汚れのない身体のはずです」

「嘘つけ。真っ黒だろうが。胸を張るな」

 

 よくぬけぬけとほざけるな……コイツ。面の皮が厚いにもほどがある。

 しかし、死霊術師さんが用意周到で抜け目のない女であることは、おれが一番よく知っている。知っているし理解もしているが、事実として悪魔との繋がりを告発され、こうして逃亡生活を送る羽目になっているわけで。

 

「秘書さん以外にも、死霊術師さんを貶めようとしている誰かがいる……ってことでいい?」

「ええ。そうとしか考えられません。わたくし、あの子のことは本当にとても可愛がっておりましたので、何者かが唆したに違いありませんわ」

「じゃあ、秘書さんに恨まれるような理由には、心当たりがないってこと?」

 

 死霊術師さんは押し黙った。ちょっとあからさまに目を逸した。

 この反応を見れば、聞かなくてもわかる。絶対何かあったんだろうな、あの二人……。

 

「と、とにかく! わたくしを社長の座から追い落とそうとした人間が誰なのか!? まずはその正体を探ることが先決ですわ!」

「方針はわかったけど……こっちはお尋ね者だしなあ。どこから手をつけたものか」

 

 話し合っている内に、馬車が止まった。

 どうやら、宿場町に着いたらしい。降りてみると、結構な人数の人だかりができており、ざわざわと騒がしかった。

 おれたちを乗せてくれてた商人のおじさんも、なぜか嬉しそうな表情で薄い紙面を眺めている。

 

「あの、何かあったんですか?」

「おう! お二人さん。こいつを見てくれよ! さっき回ってきた号外だってよ。めでたい報せだぜ、こいつは」

 

 勇者と死霊術師の手配書だったらどうしようかと思ったが、そういう雰囲気でもない。

 商人のおじさんから受け取った号外の紙面を手に取ったおれはその見出しに目を走らせて、

 

「は?」

 

 完全に、絶句してしまった。

 

 

 ◇

 

 

 ルナローゼ・グランツは、主のいなくなった社長室の椅子に、体を預けていた。

 良い座り心地だと思う。元社長は「良い仕事は良い椅子からですわ」などと、ふざけたことを抜かしていたが、そう豪語するだけの高級品だ。

 背もたれに、抱きつくように顔を埋める。少しだけ、敬愛するあの人の残り香が感じられた。

 馬鹿馬鹿しい感傷だ。憎んで、追い落として、彼女を引きずり降ろしたのは、他でもない自分自身なのに。

 なのに、この部屋に一人でいることが、こんなにも寂しい、なんて。

 

「ククク……順調そうじゃないか、ルナ」

 

 低く、よく響く声があった。椅子ごと振り返って、ルナローゼは目を細める。

 ドアを開いた気配すらなく、彼はそこに立っていた。

 真紅のシャツを派手に着崩し、上着には真っ白なジャケット。ともすれば軽薄の一言で片付けられてしまいそうな容貌だが、彼の場合はその整った彫りの深い顔立ちとよくマッチしているのが、また腹ただしい。

 

「……何の用ですか。サジ」

「お前の方こそ、何をしている? オレには、自分が追い落とした女の残り香に、酔いしれているように見えたが?」

「出ていってくれませんか?」

「フフ……照れる必要はない。憧れと憎しみは、コインの表と裏。いわば表裏一体の感情だ。少なくともオレは、人間のそういった機敏に理解のある悪魔のつもりだぞ。なあ、我が愛しい契約者よ」

 

 ルナローゼがサジという愛称で呼んだ……見た目だけは軽薄な優男に見える彼の正体は、実のところ人ではない。

 かつて、魔王に直接仕えた十二の使徒の一柱。ルナローゼが、自らの目的を叶えるために契約した最上級悪魔の一人。

 第十二の射手。その名を、サジタリウス・ツヴォルフという。

 

「サジ。私は用件を聞いたはずですよ」

「悲しいことを言うじゃないか。用がなければお前に会いに来てはいけないというのか? ビジネスライクな乾いた関係も悪くはないが、お前のハートを射止めるためにはもう少し時間がかかりそうだな」

「口説きに来ただけなら、帰ってください」

「ククク……お前という高嶺の花を落とすために、オレの時間を捧げるのはやぶさかでないが、しかし用がないのかと問われれば、答えはノーだ。オレは契約者であるお前に願いがあり、それを伝えるためにこうしてこの部屋に足を運んでいる」

 

 サジタリウスは、ルナローゼの手のひらを取って、優しく口吻をした。

 飛び抜けて優れたその容姿も相まって、それこそ世の女性の心を一瞬で射止めてしまえそうな、紳士的な所作。優男の悪魔は、ルナローゼの手を取ったまま、言った。

 

「ルナ……すまないが、お金を貸してくれ

「……またですか」

 

 サジタリウス・ツヴォルフは、紛れもない最上級悪魔である。

 しかし同時に、ギャンブルが趣味で契約者に金をせびるのが常の、クズでカスのヒモな悪魔であった。

 

「いい加減にしてください。前に貸した分もまだ返ってきてないんですよ」

「フフ……ごめんなさい」

「今度はいくらスったんですか?」

「二十万」

「この前貸した分、ほぼ全部じゃないですか。なんであなた悪魔のくせにそんなにギャンブル弱いんですか」

「ルナ。オレがお前から貸り受けた二十万を競馬という夢に託し、紙一重のところで敗れたのは紛れもない事実ではあるが、一つだけ訂正させてほしい」

 

 透き通るようなルビーの瞳を向けて、悪魔は告げる。

 

「オレは、お前という契約者に賭けている。そして、お前は当初の目論見通り、あの忌々しい死霊術師を追い落とし、その社長の椅子を手に入れようとしている。だからオレは、賭け事に弱いわけではない。もう少しで、人生最大の賭けに勝てるのだからな」

「そういうことは、勝ってから言ってください」

 

 言いながら、ルナローゼは懐から財布を取り出した。

 

「十万です。本当にもうこれっきりですからね」

「ククク……ありがとう。倍にして返す」

「あなた、前に貸した時もそう言ってましたからね?」

 

 悪魔の言葉は、信用ならない。

 悪魔とは根本的に人間を騙し、惑わし、裏切って、その魂を奪うもの。

 

「で、頼んでおいた仕事の方はどうなりました?」

「そちらの方は問題ない。役員会は、お前の社長就任を間違いなく承認するだろう。オレが一人ずつ丁寧に家を回って、既にハンコも押させてきた」

 

 ルナローゼから借りた十万をいそいそと懐に仕舞い込んだサジタリウスは、その代わりと言わんばかりに、書類の束を机の上に置いた。

 悪魔の言葉は、信用ならない。

 だが、人間と契約を交わした悪魔は、契約者が約束を違えない限り、決して裏切ることはない。

 ある意味、人間よりもよほど信用できる。ルナローゼは、サジタリウスに対してはじめて笑顔を見せた。

 

「上々です。仕事が早いことだけは、あなたの美徳ですね、サジ」

「ククク……オレは仕事のできる悪魔だからな。しかし、勇者と死霊術師の方はどうする気だ、ルナ」

「どうする、とは?」

「そのままの意味だ。社会的な立場を奪って、殺す。お前のリリアミラの殺し方は、極めて正しい。あの女は普通に戦っても殺せないし、いざとなれば勇者も助けに入ってくるだろう。オレは最上級悪魔の中で、最も弱いからな。正面から戦えば、必ず負ける。賭けてもいいぞ。絶対負ける」

「胸を張って言うことじゃないですよ」

「事実だ。オレは契約者に対して、誠実でありたい」

「まあ、最初から荒事に関して、あなたには何も期待していませんが……」

 

 だからこそ、勇者と直接対峙しなければならない場面で、ルナローゼはイト・ユリシーズを利用した。正面から戦う戦力としてサジタリウスは頼りにならず、自分が最上級悪魔と契約していることも、リリアミラに気取られたくなかったからだ。

 

「ここまでの段取りは、当初の予定通り。完璧と言ってもいい。だが、勇者と死霊術師は、世界を救った英雄。その罪を公にされなければ、まだ社会的に殺した、とは言えない。そして、リリアミラ・ギルデンスターンが社長の座から降りた明確な理由がなければ、お前はその椅子を公的に奪うことはできない」

「言われなくても、わかっています」

 

 まるで、自分と死霊術師の二人が揃っているタイミングを狙っていたようだ、と勇者は言っていたが、その予想は実のところ的中している。

 最初から、勇者とリリアミラの二人が揃っている状態で罪を突きつけ、()()()()()()()()()()()()()()()のがルナローゼの狙いだ。

 勇者は、死霊術師を決して見捨てない。

 故にこそ、そこに突け入る隙が生まれる。

 

「私の方針は最初から変わりません。私は、リリアミラ・ギルデンスターンを徹底的に殺します。社会的に、ね」

 

 ルナローゼは、机の下から一枚の紙を取り出し、サジタリウスに手渡した。

 

「なんだこれは」

「リリアミラの社長退任を報じる号外です。私が事前にリークして、記事を作らせました」

「待て待て。何度も言わせるな、ルナ。今、リリアミラが悪魔と繋がっていたことを表に出すのは……」

「あなたの方こそ、何度も言わせないでください、サジ。べつに、リリアミラが悪魔と繋がっていた事実を世間に認めさせなくても……違う事実をでっち上げてしまえば良いのです」

 

 そして、記事の内容を見た悪魔は、絶句した。

 

 ◇

 

 その日。ステラシルド王国の全土を、一つの知らせが駆け巡った。

 

『リリアミラ・ギルデンスターン、突然の失踪。社長職を辞退。書き置きの手紙が自室に』

 

 号外には、世界を救った死霊術師がギルデンスターン運送の社長の座を辞した事実が記されており……しかし、それをさらに上回る大きな見出しで、こう記されていた。

 

 

 

『駆け落ちの相手は、勇者さま!? 熱愛発覚か!?』

 

 

 

 その日。ステラシルド王国は、一瞬で祝福の熱狂に包まれた。

 王国に点在する様々な拠点に身を置く賢者は、その全員がまったくの同様に、固まったように杖を取り落として動かなくなった。

 己の領地で畑を耕していた姫騎士は、握っていた鍬を己の魔法で鉄の融点まで熱し、どろどろに溶かしてしまった。

 とある場所で修行していた武闘家は、無言のまま紙面を破り捨てた。

 そして、玉座に腰を預けていた女王は、ひとしきり爆笑したあと、泡を吹いて意識を失った。

 

 ◇

 

 策士の表情を保ったまま、ルナローゼ・グランツは断言する。

 

「結婚。人生において、これ以上の墓場はありません。私の計画は完璧です」

「ククク……我が契約者ながら、なんと恐ろしい……」




こんかいのとうじょうじんぶつ

勇者くん
ある意味最大の危機を迎えている。

死霊術師さん
ある意味最大のチャンスを迎えている。

ルナローゼ・グランツ
有能だが、天然。勇者を最も追い詰める女になるかもしれない。

サジタリウス・ツヴォルフ
かつて魔王に仕えた十二の使徒の一柱。第十二の射手。ルナローゼが契約している最上級悪魔。見た目だけは最強なイケメン。実際はクズでカスなヒモ。賭け事が趣味。
好きな女のタイプは気の強いメガネが似合う知的な美女。好きな馬のタイプは後ろから差し込む根性のある末脚。

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