氷砕師と日ノ巫女は体を温め合う仲   作:田舎犬派

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朝の目覚め

 ひゅうひゅうと冷たい風が高層ビルの間を通り抜けていく。灰色の空から降る雪は止む気配無く、あらゆる建築物を等しく氷像へと変えていく。

 

 ビルも家も、橋も鉄道も、植物も野生動物も、そして人間でさえも等しく氷の塊となっていく。

 

 

 

 かつては現代的な街並みであったであろう場所も、今では積もった雪が氷となって堆積し、穴だらけな氷洞の姿に変貌していた。

 

 そんな氷漬けの建物と建物の間に造られた人工的な氷のトンネルを進む一人の影。

 

「ふぅ……思ったよりも険しーなオイ」

 

 それはまだ若い少年だった。分厚い耐寒防具に全身を包み、背中に大きなバッグを背負う姿はまるで登山家のそれだ。

 だが、彼が手に持つ"もの"を見ればまず登山家とは思わないだろう。

 彼の手には自身の身長ほどもあろうかという長さの"槌"が収まっていた。白い氷雪の中でも目立つ赤色に色付けされた長身の槌は柄の部分が木製となっており温かみを感じられるが、打撃を与える頭の部分は青白い金属のようなものが用いられている。

 長いが全体的に細身で扱いやすいその槌を杖がわりにして体重をかけ、少年は一息つき目の前の光景に眉を顰める。

 

「ンだよ。一日でこれかよ」

 

 少年の目の前には人工的に掘られた氷のトンネルがある。だが、そのトンネルは側面から太いつららが伸び、それはまるで鉄格子のようになって少年の行く手を阻んでいた。

 

「村のジーさん達じゃあ壊すんのはムリだしなぁ……おし、やるか」

 

 頭を掻いて槌を握りなおすと少年はそれを大きく振りかぶり、目の前のつららの格子へと勢いよく叩きつけた。

 

「しゃあ!! 砕けろやオラッ!!」

 

 けたたましい破壊音を響かせ、槌はつららのことごとくを容赦なく破壊する。何度も何度も槌を振り、少年は氷の格子を跡形もなく破壊した。

 

「はあ……他のルートも埋まってねえかチェックしねーとな……」

 

 この世界を覆った氷、それは本来人の力では容易に破壊できないものだ。たとえ現代兵器でさえも太刀打ちできないことは、この地球全土を覆いつくした氷を見れば容易に想像できるだろう。

 

 そんな氷を砕き、人類の生存圏をギリギリで死守する者たち、それが氷砕師なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 かつて氷に覆われる以前、京都と呼ばれていた場所にその村はあった。

 

 わずかな火と食料が集まるその村は氷砕師と村人が集まって氷を排除し、僅かに生まれた人類の安息の地として機能していた。入り組んだ氷の迷宮の先にあり、故に氷による浸食を被りながらも人々がここに集うにはそれ相応の理由があった。

 

「おう、氷砕師のボーズじゃねえか! 調子はどーだい?」

 

「オッス酒屋のジーちゃん、調子はまーまーかな?」

 

「アンタあんま無茶するんじゃないよ? まだ小さいんだから」

 

「大丈夫だってバーちゃん、オレはそんなやべー事しねーからさ」

 

「ははっ、前にでっかいウィンディゴに喧嘩売ろうとしてた奴の言葉じゃねーな」

 

「ちょ、それは昔の話だろーがよ!」

 

 氷のトンネルを抜けた少年の目の前に広がる村の様子は確かに人の住まう場所だった。暖かな雰囲気が漂い、何処か心落ち着く穏やかな村の様子。

 

 少年が村へ入っていくとすれ違う村人は彼に気さくに話しかけ、少しの談笑をした後、手を振って別れていく。

 

 この村には現在氷砕師と呼ばれる人間は彼以外にはいない。それどころかこの辺り一帯に存在する村々を合わせても氷砕師は数人しかいない。それだけ氷砕師とは稀有な存在なのだ。

 

 

 村の住民と挨拶を交わしながら少年は一軒の民家へと向かう。煙突から煙を昇らせ、金属を打ち据える甲高い音が聞こえるその家の扉を、少年は遠慮なく開け中へと入っていく。

 扉の向こうは広々とした工房となっており、様々な工具や工材が並んでいる。その中で難しい顔のまま少年へと視線を向ける男性が一人。

 

「ようおっちゃん、今ヒマ?」

 

「……お前か。今日はどうした?」

 

「あはは、槌をね、ちょいと見てもらおうかな~と」

 

 頭を掻いて誤魔化すように笑いながらそう口にする少年は背負っていた槌を恐る恐る、男性へと手渡す。

 

 かなりの年齢であろうその男性は、白い口髭を撫でさすりながら少年の様子に良くない予感を感じ取り、手渡された槌を見やる。

 

「……お前、また柄の部分で氷を砕いたな?」

 

「あはは……」

 

「ごまかすな。……氷砕師の槌は確かに氷を打ち砕く道具であり武器であるが……使い方を誤れば簡単に折れる。氷砕師にとって槌は命綱だと言うのにお前は……」

 

「ごめんごめん! 今度から気を付けるからさっ、……直せる?」

 

「はあ……待ってろ」

 

「さっすが!」

 

 少年は工房においてある適当な椅子に遠慮なく座り、職人らしい男性が仕事に取り掛かる様子を観察し始める。男性の方はそんな少年を一瞥しただけで特に何とも思っていない様子で、さっそく少年の槌の状態を詳しく見始める。

 

「ふむ……折れてはいない。が、大分摩耗しているな。先ほどの場所以外は無茶をした様子もない」

 

「ここ最近はコイツの相手は氷ばっかだったからねー。村近くで凶暴な魔物(ウィンディゴ)が出るなんてまず無いし」

 

「おぞましき氷より生まれる魔物、ウィンディゴか……この村は入り組んだ氷の洞窟の先にあるからな、そうそう大型は入ってこない。この一帯でこの村が最も栄えている理由だな」

 

 氷の魔物ウィンディゴはこの氷に覆われた世界に突如現れた生物の総称だ。実際は生物であるのかどうかも分からない存在であるが、魔物によって大小の違いがあり、既存の動物、あるいは空想上の生命を真似た姿をしており、故に生物ではないかと思われている。

 

 ウィンディゴは基本的に自身のテリトリーから出てくることは無いが、もし彼らの縄張りに入り込めば、まず生きては帰れない。どれも人では抗えないほどの体躯と攻撃能力を有しており、移動速度も桁違いなため逃げることさえ絶望的だ。

 

「まあいざとなりゃオレが居るし! 元氷砕師のおっちゃんも居るから大丈夫だろ」

 

「相変わらず楽観視しとるな……そういえば、お前体の方は大丈夫なのか?」

 

「"氷症"のこと? 全然大丈夫だけど? てかオレの年齢で発症するようなもんじゃねーでしょ?」

 

 突然この地球を覆ったおぞましい氷、それは通常の手段では破壊することは難しい。太陽の光で僅かに溶解するらしいことは分かっているが、完全に溶けるわけではなく、その太陽も連日の降雪によってほとんど姿を見せてはくれない。

 だが、それ以外に氷を破壊する手段がある。それは同じく氷を用いる方法だ。

 

 毒を以て毒を制すというように、頑強で不可思議な氷には同じく氷を用いた破砕道具が有用だった。人類はウィンディゴ同士の縄張り争いの際に飛散した氷を拾い集め、それを槌のような武器に組み込んだ。

 

 氷の放つ不可思議な力と、人の知識と技術をもって生まれたそれらの武器を振るう存在を、人々は氷砕師と呼んだ。

 

 だが、氷砕師という職業はその名の通り通行の邪魔になる氷や村などの人類の居住区へ浸食しようとする氷を打ち砕くのが仕事であるが、それ以上に求められている役割はウィンディゴの討伐という大役だ。

 ウィンディゴの縄張りは常に一定というわけではなく、そのエリアを縮小したり、拡大したり、あるいは別の場所から流れてきたウィンディゴが既存のウィンディゴたちの縄張りを荒らすことで常に変化していく。

 もしもそんな縄張り認定された土地に村などが存在していた場合、氷砕師は村からの依頼を受け、縄張りの主を討伐する。

 

 もちろんそれは容易な事ではない。本来人類ではどうあっても太刀打ち出来ない存在を、ウィンディゴにも有用な特製の武器があるとはいえただの人が対処するのだから。

 当然怪我をするし血も流す。氷砕師は危険と隣り合わせの職業なのだ。それ故に自ら氷砕師になろうという人間はごく少数であり、氷砕師自体の数も限られている。

 

 さらに氷砕師の数が少ない原因が、氷症と呼ばれる病の存在だ。氷砕師に限らずこの氷に閉ざされて世界において寒さとは人の体を凍えさせる天敵であるが、氷症は人の"心"を凍らせる病だ。ひとたび氷症となるとその人間の心は徐々に凍っていき、人としての思考能力が奪われ、考えることが出来なくなる。

 

 そして最後には人としての心を亡くし、体までも凍てつき、文字通り氷像となる。

 

「氷症の恐ろしさはお前もよく知っているだろう? ただでさえ氷砕師は氷症の原因であるウィンディゴと接触する機会が多い……早々に"日ノ巫女"様の加護を頂いた方がよいぞ」

 

 氷症の原因はウィンディゴとの戦闘による怪我とされ、それに晒される氷砕師は他人よりも氷症になる確率は高い……いや、氷砕師である以上ほぼ確実に氷症となると言っても過言ではない。

 

「つってもなー、日ノ巫女サンは"首都"まで行かねーとまずお目にかかれねーし、加護がもらえるかも分かんねーよ」

 

「今日までのお前のウィンディゴ討伐数は二桁を超えておる。試験を受ければ間違いなく合格じゃろうて」

 

 そんな氷症に対抗する方法が一つだけ存在する。それは日ノ巫女と呼ばれる存在より授けられる"加護"というものだ。

 

 この世界は氷に覆われ、人々は寒さを凌がなければ凍え死んでしまう。氷症によって心が死ぬこともある。だがそんな寒さをものともせず、氷症に罹らない完全耐性を持つ存在が居る。それが日ノ巫女と呼ばれる存在だ。

 

 この氷の世界特有の病や環境に適応した存在とも言われる日ノ巫女の中でも、力の強い者は他者にその力を付与させることが出来るという。日ノ巫女の加護は氷症の汚染から心を守り、身体に氷とウィンディゴへの特攻効果を付与するという。まさに"心を守る"力。

 

「そもそもじゃ、氷砕師なぞまず日ノ巫女様より加護を頂いてからなるもんじゃ、お前のように加護無しの氷砕師なんぞ聞いたこともないわい」

 

「そんな難しい話じゃねーだろ? ようは魔物に触れなきゃいいんだからよ」

 

「アガタは危なっかしくて見ていられんのう……」

 

 元氷砕師で現在氷砕師の武器職人として村に住んでいる男性はアガタと呼んだ少年を心配そうに見つめる。年齢の関係で氷砕師を引退した男性だが、ここ最近村にやってきたアガタのために先達として氷砕師の心得や武器のメンテナンスを請け負っていたが、アガタが加護無しの氷砕師だと知った時は心底驚いたものだ。そして氷症の症状が見られないことから、アガタが本気で"回避すれば問題ない"と考えていることに頭を抱える。

 

「日ノ巫女様の加護があれば氷症とならんし、氷を砕きウィンディゴを狩る力も上がる。良い事尽くめではないか? ほれ、直ったぞ」

 

「うーん、まあそうなんだけどねぇ。ありがと」

 

 渋るアガタに首をかしげながら男性は手直しした槌をアガタに投げる。アガタはそれをキャッチすると軽く振り、違和感が無いかを確かめる。

 

「うん、いい感じ。いつもありがとなおっちゃん」

 

「ワシにはもうこれくらいしか出来んからな……あまり無茶なことはしてくれるなよアガタ……?」

 

「大丈夫だって! 村のジーちゃんバーちゃんは皆心配性だなあ。それじゃ、槌も直ったし、見回り行ってくるわ」

 

「気をつけるんじゃぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 氷と雪に覆われた、まるで氷山のような高層ビルの集合体をアガタはゆっくりと登っていく。足裏のアイゼンを氷に食い込ませ、槌を短く持ってピッケルにして上へ上へと進んでいく。全身を分厚い防寒装備で固めているその姿は一見愚鈍そうに見えるが、想像以上の身軽さでアガタは凍ったビルをよじ登っていく。

 

「ひえぇ……ビルのヘリポートにウィンディゴが巣を作ってるってのは聞いてたけど……高すぎだろ」

 

 アガタはあの村以外の村にも頻繁に顔を出しており、村人から得られた情報を元に各地のウィンディゴの行動や、氷の浸食によって封鎖された通路の把握などを行っている。そんな時とある村よりウィンディゴの討伐依頼が舞い込んできた。

 依頼対象は猛禽類の姿をしたウィンディゴで、高所に陣取りそこから見える範囲全体を自身の縄張りとしているという。さすがに行動範囲が広く、その村も縄張りの範囲に含まれていたことから今回緊急での討伐依頼がアガタに出されたわけだ。

 目標のいるビル前に到着したアガタだったが、ビルの内部は完全に凍り付いて入れず、外部から無理やり登るしかない。幸いビル群は積もった雪と氷によってなだらかな三角形の氷山となっており、垂直に立ったビルの壁を登る必要は無かった。

 

「……あれか。遠くばっか見やがって、足元がら空きだっつーの」

 

 あと少しで氷山の頂上というところで、アガタは遠くへ睨みをきかせる巨大な鷹の姿を視界に収めた。形こそ鷹のように見えるが、その姿はとても雄々しい猛禽類のようには見えない。まるで雪の積もった平原を靴で踏み荒らし、出来上がった泥と雪の混じり合ったような汚らしい色と冷気を纏わせる姿はまさしく氷の魔物、ウィンディゴらしい姿といえた。

 

「油断してんな……みてろよ」

 

 この氷山は周囲一帯では最も高く、陸上型のウィンディゴは登っては来ない。それ故にアガタの目の前の鷹の姿をしたウィンディゴはまさか足元から攻めてくるなどと思ってもいないようだった。もう少し頭が良ければその程度のことに気が付かないはずもないが、基本的にウィンディゴとは縄張りを守ること以外に頭を働かせることが無い。働かせられる頭もない。

 

 ここまで近づけばあとは簡単だ。遠くを見ている鷹のウィンディゴの翼に向けて、その槌を大きく振りかぶり、振り下ろすだけだ。

 

「オラあああああああっ!!」

 

 アガタはこれまでの鳥型のウィンディゴを何度も討伐している。その経験からどのように攻略すれば最も効率が良いのかを知っている。このテの足元を見ていない油断しきったウィンディゴは不意打ちを食らうと空へ飛んで逃げようとするのだが、アガタが攻撃したのは翼。いつものように羽を動かすことが出来ないと混乱している隙に第二撃を頭へ叩き込み、高所から落下させるのがこれまでのアガタの経験的に確実な討伐方法だった。

 

「落ちろやっ!!」

 

 無残に落下していくウィンディゴを見下ろし、アガタは高々と槌を掲げた。

 

 

 

 

 

 

「んー……氷塊(たまご)はねーか。潰す手間が省けたな。あとは巣を潰して、と。……ん?」

 

 ウィンディゴ討伐後にアガタは巣の後始末まで行う。通常の氷砕師なら討伐依頼の場合そこまで行わないのだが、アガタの場合次のウィンディゴを呼び寄せる巣の跡などは丁寧に潰しておく。それがアガタに討伐依頼が積極的に出される理由でもある。

 

 そんな作業中、アガタは足元の氷に僅かなヒビが入っていることに気が付いた。大型のウィンディゴが踏みつけた場所なので多少そのように氷が損傷している状況というのは珍しくない。この世界の氷は確かに頑強だが、特殊な武器がないと破壊不可能というわけではない。ありえないほどの衝撃を加えれば破壊することは可能だ。

 

「あいつクソ重そうだったからな~まあここは屋上だし、氷が割れても床があるから問題な――うおっ!?」

 

 そんな事を口にした直後、アガタの足元の氷に無数の亀裂が入り、いきなり砕け散った。本来ビルの屋上の床があるべきところには何もなく、床を構成していた氷の崩壊とともにアガタの体はビルの屋上からビル内部を真っ逆さまに落下していく事になった。運が悪いことにこのビルは最上階から一番下まで吹き抜け構造になっていたらしく、このままではアガタは高層ビルの最上階から地面へと自由落下した後、叩きつけられることになる。

 

「なめん、なっ!!」

 

 だが、この程度アガタには不測の事態にはならない。伊達に数十体ものウィンディゴを討伐しているわけではないのだ。

 

 落下しながらアガタは槌を振りかぶり、ビル内部の側壁へと叩きつける。勢いよく飛び散る氷の破片に目を細めながら槌を壁に食い込ませようとするが、なかなか上手くいかない。ビルをおよそ半分程度落下したところでようやく槌が氷に食い込むが、それでも落ちる勢いを殺すのがやっとで、結局アガタは多少スピードが落ちたとはいえ地面に叩きつけられることとなった。

 

「ぐっ!? い、ってえな……う、(つう)……」

 

 槌を引っ掛け勢いを殺したこと、防寒装備が全身を包んでいたこと、何処からか吹き込んだ雪が床に積もり、クッションの役割をしていたことなどからアガタは奇跡的に軽症で済んだ。とはいえ体に走った衝撃は相応のものでしばらくは落下地点から動くことさえ出来ないようだった。地に伏せたままあたりを見渡し、ウィンディゴの気配が無い事を確認したアガタはたまらず頭の防寒装備を脱ぎ、新鮮な空気をめいいっぱい肺に収める。落下中は息をすることすら忘れていた。

 

「はぁ……はぁ……オレ、マジ運強ええわ……はは。……あーヘリポートの床、そもそも崩れ落ちてたのか。最初っから氷の床だったわけだ」

 

 苦笑するアガタは寝ころんだ姿勢のまま仰向けになり自身が落下してきた場所を見る。かなり高さがあり、あそこから落下したのに生きていることに思わず引いてしまう。

 

 一歩間違えば死んでいた。氷砕師の敵は氷やウィンディゴもそうだが、古い現代建築の跡も死因の一つとして上げられる。本来ならばとっくに崩壊しているような建築物がその形を保っているのは、外部より氷によって外観が補強されているからに過ぎない。なのでいつ構造物全体が崩壊してもおかしくないのだ。

 

 アガタは今、その危険極まりない建築物の奥深くへ落ちてしまった。

 

「よっ……と。ふう、体はちょっち痛むがそこまでじゃねーな……もし日ノ巫女サンの加護がありゃあんなとこから落ちても大丈夫なんかねぇ……」

 

 立ち上がり体の調子を確認しながらアガタは近くに落ちていた槌を手に取る。先ほどの無理やりな使い方によって木製の柄は槌の頭部分と繋がっている根本から縦に割れており、完全に折れてはいないが武器として使えるような状態ではなかった。

 

「あちゃー。こりゃおっちゃんにどやされるな……まあ、事情説明すりゃ修理はしてくれっかな……」

 

 出口は無いかとあたりを見渡すアガタだが、そのようなものは見当たらない。ビルの出入口、エントランスのような空間は既に氷洞と化しており、中央に巨大な氷の塊がエントランスのモニュメントのごとくそびえ立っている。

 

「しかたねーな、砕くか」

 

 幸いにも出入口のあった場所は比較的氷が薄く、何とか破壊出来そうだった。壊れた槌を補強出来る材料か、もしくは槌そのものの代わりになりそうな物を探すためアガタはエントランスを捜索していく。

 

「しっかし、でっけー氷の塊だな。こんなの見たことねーぞ……、……ん?」

 

 アガタが見上げているのはこのビルのエントランス中央にそびえる氷塊だった。巨大な氷の柱にも見えるそれは恐ろしいまでの透明度を誇り、氷の中はおろか向こう側まで見えてしまうほどだ。

 

「お、おいおいおい……! まてまてまて……ンなこと、あんのかよ……!」

 

 だから、アガタは氷塊に近づいてすぐにその緊急を要する事態を把握した。ガラスのような透明度を誇る氷の中、その中にまるで眠りに落ちているかのような安らかな表情をしている少女を見つけてしまったのだ。

 

「くそっ……! 生きてんのか!? いや生きてる! 生きてるはずだっ!!」

 

 この世界の氷はただの氷ではない。確かに冷気を放ち、日の光によって溶けはするが、それでも元々の氷とは思えない存在だ。氷に閉じ込められた少女ももしかしたら、というすがるような気持ちがアガタの胸中に渦巻く。またアガタがそう考えざるを得なかったのは、その少女がまるで生きているかのような生気のある表情をしていたからだ。

 

 この世界での一般人の死に方といえば、寒さによって白くなって死ぬか、氷症によって青白い氷になって死ぬかの二択がほとんどだった。だから、そのどちらでもない少女がまだ生きているとアガタは信じたかった。

 

「くそっ、もうちょい、もうちょい……!」

 

 アガタは壊れる寸前の槌を振るい、目の前の氷塊を砕いていく。途中槌が折れれば折れた槌の頭部分を掴んで氷に叩きつけた。

 何度も何度も氷に槌だったものを叩きつけると槌だったものを持っていた耐寒防具の指先部分が破ける。それでも氷を砕く事を辞めないアガタ。

 

 ついにむき出しの指先が砕けた氷で傷だらけになり、床に血で染まった氷の破片が散っていく。それでもアガタは手を止めることはない。

 

 氷の中に囚われた少女へと、少しずつではあるが確実に近づいていく。手が真っ赤になろうとも構わず砕き続けたアガタは、自身がこの建物内部に落下してから数時間経過したころ、ついにその手を止めた。

 

 そして、自身の血で染まった両手で汚してしまわぬよう、非常時用に持ってきた携帯用の防寒シートで少女を包み込んだ。

 

「ああクソッ、どうする!? どうすりゃいい!?」

 

 助け出した少女を静かに横たえ、息があるかを確認する。耳を近づけ呼吸を聞き、手首に触れて脈を診る。

 

(うっ……や、柔らか……じゃねえ! ンなこと言ってる場合じゃねーだろがボケ!)

 

 信じがたいことに少女は浅くであるが息をしている。アガタは気が付いていないが、本来ただの人間が氷の中に閉じ込められたまま生きているなど考えにくい。それが数日、あるいは数か月、最悪の場合数年以上の時間が経過しているであろう場所でならばなおさらだ。

 

 只の人間ではない。

 

 だが、アガタはそんな事を考えるどころではない。目の前の冷え切った少女を救うためにひたすら考えをめぐらせる。

 

「早く村に……いや、それじゃ間に合わねえか……? 槌ももう使えねえし、出口叩き割るにも時間が居る」

 

 まるで眠っているかのよう……だが、少女の体温は冷たく、まるで死人のようだった。

 

「こいつは……氷症か? チッ、なら外側からいくら(あった)めても意味ね―じゃねーか!」

 

 もしかして少女が氷症によって心を汚染され、それが原因で目が覚めないのではないか? そう考えたアガタは荷物の中を漁り、目当てのものを探る。氷症は確かに心を凍り付かせる病であり、一度発症すれば心が凍る事を阻止することは出来ない。だが、その進行速度を軟化させることは出来る。

 

 その方法とは心に近い、体の内側から温める事。例としては暖かな食べ物や飲み物を摂取させるなどがある。

 

「水、水……ああ、冷たくなってやがる。携帯コンロは……ああっ! さっきの落下の衝撃で壊れて……!」

 

 アガタが水、と言っているものは彼が作った特製の飲み物だ。栄養を考えさらに体を温めるための香辛料などが配合されたもので、万が一遭難した場合に備えていたものだ。しかし容器自体の保温性能が低いせいで冷たく、アガタはそれをいつも温めて飲んでいる。

 だが、温めるためのコンロは先の落下の衝撃で壊れてしまっていた。これでは飲み物を温める事は出来ない。

 

「――くそっ、……仕方ねえ……」

 

 壊れたコンロと冷えた飲み物を交互に見、次に眠り続ける少女を見るアガタ。息はしているが、その体は寒さのせいか小さく震えており、体温はかなり低い。ここで何らかの処置を施しておかなければ手遅れになる可能性もある。

 

 アガタは限られた時間の中でたっぷりと熟考し、そして意を決して冷えた飲み物の入った容器に口を付け中身を飲む。

 

 いや、飲んではいない。飲み物をそのまま口に含んでいるだけだ。

 

(これは医療行為……これは医療行為……!)

 

 そう心の中で念じながらアガタは少女の上体をゆっくりと持ち上げ、頭を上げる。そして少女の小さな唇に自身の唇を合わせ、無理やり飲み物を口移しで飲ませた。

 意識のない少女が飲んでくれるか分からないため、ほんの少しずつ、唇を湿らせる程度から始めて量を増やしていく、すると少女は僅かに喉を動かす。

 

 アガタが口移しによって温めた飲み物を、少女は無意識でも飲み込んでくれた。

 

 それを確認したアガタは二度、三度と少女の体が温まるまで口移しで飲み物を与え続けるのだった。

 

 

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