氷砕師と日ノ巫女は体を温め合う仲   作:田舎犬派

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昼のまどろみ

「……ん」

 

 少女が目を開けた時、一番最初に目に入ったのは天井にぶら下がるランタンだった。暖かな炎をその小さなガラスの容器の中で揺らめかせ、部屋の中を明るく照らしている。

 それから、少女は自身が見慣れぬベッドに横たわっていることに気が付いた。顔を天井から横に向けると暖かな火がめらめらと燃え盛っている暖炉が見える。その横で暖炉の火に薪をくべ、火かき棒を手に持つ男性は少女の視線に気が付いたのか、振り向き視線を合わせた。

 

「気が付いたかね?」

 

 暖かい声だと、少女は思った。こちらを心配そうに伺うその目は不思議な程安心出来る。そう思えるような暖かい声と瞳だと思った。

 

「ここは……?」

 

 少女の発した声は何ともか細かった。冷たい空気に溶けて消えてしまいそうな、それほど薄く、儚かった。その印象は少女の真っ白な髪と、ほのかに血色を感じるが真っ白な肌によってより強調され、まるでこの世ならざる存在とも思える程だった。

 

 そして、元氷砕師である男性はそのような人並み外れた容姿と雰囲気から、彼女が何者かをある程度察していた。

 

「……ふむ、ここは名もない村じゃよ。場所という意味ならば京都の南辺り、首都から370kmほどじゃな」

 

「……」

 

「お主は氷の中に閉じ込められていた、らしい。実際に助け出したのは別の者でな」

 

「その、人は……」

 

「お主と同じような者がおらぬか探しておるよ。……体が辛かろう? 氷の中にいたわけじゃからな。しばらくは横になっておるといい……よいな? 話はそれからじゃ」

 

「……はい……ありがとうございます……」

 

「うむ、素直な良い子じゃな。 ……何か暖かいものを持ってきてやろう、少し待っておれ」

 

 男性はそう言って少女の居る部屋の暖炉に薪をくべ、ドアを開けて出て行ってしまった。少女はしばらく男性が出て行ったドアを見て、その後ゆっくりと目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「おっちゃん! どうだった!?」

 

 男性が工房で鍛冶仕事をしているところにアガタは荒々しくドアを開けて入ってきた。

 

 既に少女がアガタにより助け出され、村に保護されてから丸一日が経過していた。最初村に駆け込んできて、大声を上げたアガタの姿に村人は何事かと家から顔を出し、次にアガタが横抱きにしている少女の姿を見て、鍛冶師の男性と女性陣がアガタのもとに集まってきた。

 ほとんど服としての機能を失ったボロボロな布切れに身を包んだ少女の姿に女性陣は小さく悲鳴を上げ、すぐさま暖かい部屋と食事の用意が始まるが、その前に鍛冶師の男性が待ったをかけた。

 

 アガタから少女を保護した状況を聞いた男性は少女が氷症である可能性を考慮し、彼女を一旦預かることにした。この村には医者はおらず、氷症となればそれに対処出来る存在は元氷砕師であり、知識の深い男性しかいなかったのだ。少女の着替えなどは女性陣が担当し、氷症の状態を見るために少女は男性の家で預かることになった。

 

 そんな話し合いがされている間、アガタはというと少女と同じ状況の生存者がいないかを調査する為に少女を村に預けてすぐさま少女を発見した場所に戻っていった。ぽっきりと折れた槌を男性に預け、スペアの槌を手に取って村を出て行くまでに数分もかけず、村の住民が少女から目を話した時にはもうアガタはいなかった。その早すぎる行動に男性も村の住民も声をかけることも出来ず、とにかく少女の保護が優先された。

 

「なんじゃ騒々しい、お前が忙しないのはいつもの事じゃが、今日はいつも以上じゃな」

 

 そんなアガタがようやく村に帰ってきた。例のビル跡で構成された氷山を可能な限り調査したアガタは他の生存者がいなかったことに肩を落としていたが、村に帰ってきた途端、住民から少女に関する話をこれでもかと聞かされてしまう。

 

 調査中も少女の事が気になっていたアガタであったが、調査が優先と我慢していた。それが村に入るなり少女の話を聞かされ続けると嫌でも心配になってしまう。どうやら少女は鍛冶師の男性の家にいるという話を聞いたアガタは、自身ではそんなつもりは無いのだろうが、酷く焦った様子で男性の家へと急いだ。

 

「そ、そんなうるさいか? それよりあの子、体は大丈夫だったのか?」

 

「氷症なら問題ないじゃろ。お主のおかげで低体温状態もそれほど長くはなかったようじゃしの」

 

「は? え?」

 

「なんじゃお前、もしかして自分の"応急処置"のおかげで氷症が防げたとでも思ったのか?」

 

 そんな男性の言葉にアガタはふいにその時の事を思い出してしまう。非常事態で少女の状態もよく分かっていなかったが、体が異常に冷えていたことは覚えている。その体を温めるためにやむなくその唇に――。

 

 と、そこまで考えてアガタは頭を振って思考を切り替える。

 

 自身がそのような事をしたのは彼女が一刻を争う氷症である可能性があったからだ。にも関わらず男性はその氷症の可能性を完全に否定したのだ。元氷砕師である彼が言うのならば信頼出来るのだが、それでも解せない。

 だが、そんなアガタの疑問は男性の言葉によって晴れる。

 

「い、いや……そうじゃねーけどよ……」

 

「何が言いたいのか分からんが、あの子に氷症の心配はいらんよ。……あの子は、恐らく日ノ巫女様じゃ」

 

「! ……マジか……首都から出てきた、ってわけじゃねーよな……じゃあ自然に生まれた巫女、か?」

 

「うむ。そもそも日ノ巫女様はこの国の各地で我々と同じように生まれ育つ。国を維持し、首都機能を円滑に回すために各地から日ノ巫女様が首都に集められる。故に首都は日ノ巫女様の加護を受けた者が多く、それが首都に迫る氷の浸食とウィンディゴの群れを押しとどめているわけじゃな」

 

「……なるほどな、日ノ巫女サンなら氷程度何でもない、ウィンディゴに傷付けられても氷症にはならねえ、ってことか……」

 

 日ノ巫女は氷による冷気をほぼ遮断し、氷症でさえ発症することが無い。そのため日ノ巫女はこの世界の住人が生活するうえで欠かせない耐寒防具を必要としない。

 だが、彼女たちはこの世界の歪んだ自然環境に耐性があるだけで、ただの人であることに変わりはない。怪我をすれば血が出るし、ウィンディゴに襲われれば死ぬことも普通にある。

 

「ん? でもあいつ助けた時寒さで震えてたぞ?」

 

「うむ……もしかすると日ノ巫女様としての力が弱いのかもしれん。もしくは、何かしらの理由でその力が封じられておるのやも」

 

 氷の中に閉じ込められていたという謎はあるが、その中で生きていたという疑問は彼女が日ノ巫女であるなら納得だ。氷に対する完全な耐性を持つ日ノ巫女ならばそのような状態でも生きていられるのだろう。だが、もし日ノ巫女としての力が十分に発揮できない状況だったのならば、少女の命はアガタが救ったと言っても過言ではない。

 

「とにかく今、村の女性陣にあの子の着替えを頼んどる。日ノ巫女様なら薄着でも問題無かろうが……久しぶりに村に若い女子(おなご)がやってきたと、年甲斐もなくはしゃいどるわい」

 

「それ、村の女性陣(バーちゃんたち)の前で言うなよ。なんでかオレまで怒られるハメになんだかんな!」

 

 工房から窓の外を窺うとなにやら女性たちが忙しなく動き回っている。この村に小さな女の子がやってくることなどまずない。彼女のための服を仕立てようと張り切っている様子だった。村の女性陣からすれば少女はまるで娘や孫のように見えてしまうのだろう。

 

「ほっほっほっ。そういえば、アガタの事も気にしとったぞ? 助けてくれた者に会いたいようじゃった」

 

「あー……オレはいいわ。」

 

「どうしてじゃ? あの子にとってお前は恩人じゃぞ。お前が良くてもあの子も気になるじゃろうて」

 

「うー……まあ、テキトーに時間みて会いに行くわ」

 

 工房に訪ねてきたときはあれほど少女の心配をしていたアガタが、なぜか会う事にためらいを覚えていることに男性は首をかしげる。アガタが少女に施した"医療行為"が会うことをためらわせる原因かとも思ったが、アガタの様子はどうも気恥ずかしいという風ではなさそうだ。

 

 どちらにしろこの村で生活する以上、アガタが少女と顔を会わせないでいられるわけではない。じきに二人で話をする機会が訪れるだろう。

 男性はそう判断し、アガタにあまり多くは言わなかった。年寄りのお節介を素直に受け取るような性格でないということも理解していたからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅーー……」

 

 アガタは息を吐く。少し高くなっている氷の丘にアガタは居た。そこから見える村をただ眺めているだけのアガタは冷たい空気を肌に感じながら、遠くまで見渡せるその光景をしばらく見つめていた。

 

 名も無き村、"ただの村"という名前の村。他の村からは区別するために鉄屋の村、などと呼ばれていたりもする村が一望できるその丘はアガタのお気に入りの場所だった。

 氷の迷路の先にある村も、この丘からならその姿がよくわかる。この丘自体も入り組んだ氷の森の中にあるためウィンディゴもそう簡単には見つけることは出来ない。

 だからこそ、ここはアガタにとって最も心休まる場所だった。

 

「あの……」

 

「うおっ!? は!? え、お、お前……」

 

 だから、そこにいるアガタに後ろから声をかける存在がいるなど思いもしなかった。

 

「驚かせてしまって、ごめんなさい。村のおば様たちが、私を助けてくれた人はここに居るだろうと……」

 

 そこにいたのは例の少女だった。白く美しい銀の髪を靡かせ、温かみのある琥珀色の瞳は優し気にアガタを見つめていた。腕も足も、四肢の細さがその薄い声と一緒くたになって少女の儚げな雰囲気をさらに深いものとしている。触れれば折れる細枝のように、あるいは砕けてしまうガラス細工のように。

 

 村の女性陣が仕立てたのだろう、少女は発見された当時の服装から暖かな服へと着替えていた。厳しい冬の寒さの中でも育つ樹木の皮やアガタが狩った動物の毛皮などで作られた衣装には染料で幾何学的な紋様が施されている。

 それはかつて氷に閉ざされる前の時代の文化の名残であり、またこの氷の世界ではその青と白の紋様は迷彩としての機能も兼ね備えている。

 ふわふわもこもことしたその衣装のおかげで少女はいくらか体の細さが隠せている。それでも服の端から見え隠れする足首や指先の細さは服の内に隠された彼女の華奢な姿を容易に想像させる。

 

「バーちゃんたち……ったく、……体はもういいのかよ?」

 

 着込んでいるとはいえ病み上がりのはずの少女がわざわざこんなところまでやってきた理由を知ったアガタは小さく溜息を付き、少女へと近づく。少女は何でもないようにそこに佇んでいるが、よく見ればその細く小さな体はゆらゆらと揺らめいており今にも倒れそうだと、アガタは思った。

 実際は慣れない氷の地面を上手く歩けないのが理由であるが、だとしても危なっかしいのに変わりはない。

 

 この丘は村の外れにあるが、それでも入り組んだ氷の洞窟の先にあり、小型のウィンディゴでも見つけられないうえに、容易には入ってこれない。それを知っているから村の女性陣も少女にこの場所を知らせたのだろう。村からこの丘まではウィンディゴと遭遇することのない安全ルートなのだ。

 

「はい。私は日ノ巫女、というのですね。そのおかげで無事だったと聞きました」

 

「? 自分の事なのに分かんねーのか?」

 

 日ノ巫女という存在の事も、それが自分自身を指していることもどうやら少女は理解していないようだった。ほとんど表情を変えずに首を傾げ、頭にクエスチョンマークを浮かべる少女の姿は小動物らしい可愛らしさがあるが、その声はやはりか細く、抑揚が無い。

 

 まるでそのように造られた人形のようだった。

 

「おぼろげにしか。もう、名前以外は思い出せません」

 

「……そっか」

 

 名前以外の記憶を失っているというのに、少女の声音は先ほどと同じ。悲しさのようなものも見て取れない。

 いや、そもそも何を忘れているのかも忘れているのなら、悲しむことも無いのだろうか。

 彼女の感情が乏しいのも、それすら表現する方法を思い出せないからなのかもしれない。

 

 彼女自身が悲しむことすら出来ないのならば、それは酷く、残酷なのかもしれない。

 

「アガタさん、というのですね? 私を助けてくれてありがとうございます」

 

 村の女性陣から聞いたその名前を少女は口にする。深く腰を折り頭を下げる少女の姿にアガタは多少うろたえ、頭を掻いて制止する。

 

「いーって、人助けも氷砕師の役目だからな。……てか、お前何歳だ? ……ああそっか歳分かんねーのか……」

 

 少女の言葉遣いはとても丁寧で、美しいものだった。決して無理をしているような口調でもなく、それが少女の素であるのだろう。思わずその大人びた姿にアガタは年齢を問う。

 村の女性陣が聞けば女性に年を尋ねるものじゃありません! と怒られるだろう。アガタは質問した後にそのことを考え、バツが悪そうにして誤魔化しながら言葉を撤回しようとした。

 

 だが少女は何でもないようにその質問に淡々と答えていく。

 

「恐らくはアガタさんと同じほどかと。ですが、日ノ巫女は寿命が長いらしいので、実際のところは分からないらしいです」

 

「ふーん。……なあ、それならさん付けやめてくれねーか? なーんか言われ慣れてねーから違和感あんだよ」

 

「? はい。それでは、アガタ、と?」

 

 アガタがこれまで出会った人間の中でも少女は初めてのタイプだった。この荒んだ氷の世界において、少女ほどの純粋さと儚さを持つ存在などそうはいない。いるとするならば、この世界で唯一の安全地帯である首都で大切に大切に育てられた日ノ巫女くらいだろう。まあ、実際に首都の日ノ巫女に会ったことのないアガタにとってそれはただの妄想でしかないのだが。

 

「ん、よし。それで、お前の名前は?」

 

「私……私は、ヒヨミ……です。もう、それだけしか思い出せません、けど」

 

「ヒヨミか。なんか不思議な響きだな」

 

 自身の名前を口にした少女はなぜかおどおどとして、自身の言葉に自信がないようだった。唯一覚えている名前、それが本当に合っているのか不安なのだろう。すべてを忘れて名前さえ確信が持てない。

 姿形だけでなく、彼女という存在は酷く曖昧で、不安定だった。

 

 しばらく二人は丘より見える風景をじっと見つめていた。時折冷たい風が遠い地平線からやってきて、氷の山脈に降り積もった薄い雪を巻き上げていく。それがキラキラと輝いて美しく幻想的な光景を作り出していた。

 

「この場所は、とてもきれいな場所ですね……」

 

「綺麗、か。……そう見えるかもしれねぇな」

 

「……?」

 

 確かにこの氷の世界は美しく綺麗に見えるだろう。だが、そのように綺麗だと口にすることはアガタには出来なかった。

 

 氷症となった人間は思考を放棄し、肉体を青白い氷の塊に変化させ、死ぬ。この美しい光景の一体どれほどが、そのような遺骸であるだろうか。それを考えるとアガタにはこの光景に綺麗と言う言葉を用いることはできなかった。

 

 その表面上美しい光景は、ひたすらおぞましく恐ろしい姿をひた隠しているのだ。

 

「アガタ」

 

「なんだ?」

 

「この光景は、綺麗では、無いのですか?」

 

「……まあ、確かに綺麗っちゃきれいだな」

 

 だがヒヨミはそんな事知る由もない。ただ綺麗だと感じたからそう口にしただけだ。けれどその言葉にアガタは複雑そうな顔をしている。アガタの様子を先ほどから見続けているヒヨミにはそれが見て取れた。

 だから、ただ純粋に質問したのだ。この光景は綺麗ではないのか? と。

 

 そして、再びアガタは言い淀む。

 

「? では、綺麗とは何ですか?」

 

「あん?」

 

「教えてください、アガタ。この世界にとって、綺麗とは何ですか?」

 

「そ、そりゃあ……」

 

 首を傾げ、少し眉を下げたヒヨミはアガタへと近づく。先ほどから目を合わせないアガタの瞳を覗き込むようにして、ヒヨミは訊ねた。

 アガタはそんな疑問符を浮かべるヒヨミの姿をちらりと見た。もはや吐息が感じられるほどの距離にいるヒヨミ。そんな近くにいるものだから、思わずアガタはその琥珀のような瞳を覗き込んでしまう。

 

 ヒヨミのその暖かな色を宿す瞳にアガタは思わず魅入ってしまう。この世界ではヒヨミの瞳のような色を見ることはそう多くは無い。全てが青と白に覆われたこの世界で、その太陽を彷彿とさせる色にアガタは思わず見続けてしまう。そして、その色からアガタはぽつりと無意識に呟いた。

 

「太陽……とか?」

 

「太陽、ですか……」

 

「おう、他にも花畑とか、青い海とか、そういうのも綺麗って言うんじゃねーのか」

 

「……」

 

 アガタの言葉にヒヨミは視線を合わせるのをやめ、何やら遠くを見ながら考え込んでしまった。この氷原の向こう側にあるかもしれない、アガタの言った綺麗な風景というものを想像しているのかもしれない。

 それほど深く考えて発言したわけでもないアガタは居心地悪そうにしながらヒヨミに話しかける。

 

「もう帰るか、寒くなってきたし、夜はウィンディゴが予想外の動きをしやすい」

 

「はい」

 

 アガタの言葉に素直に従って付いていくヒヨミの姿にアガタは目を細める。トコトコと小動物のように歩くヒヨミは幼子のような雰囲気があり目が離せない。

 咄嗟にその手を取ろうとするが、寸でのところで思いとどまる。自身の手を見つめ、そして強く握りしめる。

 

 アガタが前を歩き、その後ろをヒヨミが続く。

 

 二人の距離が縮まることは、村に到着するまで無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「はあああ!? おま、こいつを狩に連れてけって!?」

 

 それから、アガタとヒヨミは鍛冶師の男性の家におり、そこで二人は今後の事について男性から聞くことになった。帰る道中村人に、二人一緒に歩いていることをひやかされたりしたが、アガタはそんなつもりはないし、少女の方は何のことか分からず首をかしげるばかり。なんとも面白くないと村人は早々にからかうのをやめてしまった。

 

「こいつではありません。ヒヨミですアガタ」

 

「んなこと分かってんだよ! どーいうこったよおっちゃん!」

 

「ふむ……まずヒヨミ様」

 

「ヒヨミでおねがいします」

 

 ヒヨミははっきりとした口調で男性の言葉にかぶせるようにそう言った。ヒヨミは様付けされることになにやら違和感を覚える。どうしてだか分からないが、恐らくその違和感が、アガタがさん付けを拒否した理由なのだろうなと理解した。

 男性はそんなヒヨミを見て、ふむ、と一言呟いた後、アガタと接するようにヒヨミに接することを決めた。

 

「ではヒヨミよ、お主にはまず"首都"へと赴いてもらう必要がある。現在日ノ巫女様はとても稀有な存在なのじゃ。この国としてもその人数は把握しておきたいらしくての、首都で日ノ巫女としての登録をしてもらい、その後に首都に留まるか、地方へ戻るかを選ぶことになるじゃろう」

 

「地方に戻る日ノ巫女サンはほとんどいねーって話だぜ。首都は何でも揃ってっし、日ノ巫女なら身の安全は保証されてるからな」

 

「私は……」

 

「ヒヨミが見つかったその日の夜、既に伝書鷲を首都に飛ばしておる。数日後に首都より使いの"氷砕騎士"が来るじゃろう」

 

「氷砕騎士……」

 

「ウィンディゴ討伐に特化した奴らだよ。氷砕師は氷を砕いて道を造るのが仕事で、討伐はそのついでって位置づけなんだが、氷砕騎士はウィンディゴを狩るのだけが仕事。だからオレら氷砕師は槌を持って、氷砕騎士は剣を持ってるんだよ」

 

 氷砕騎士という新たに聞きなれない存在にヒヨミは小さく呟く。そんなヒヨミにアガタは氷砕騎士について説明してやるのだが、何処かアガタの声音は苛立ちが含まれているように聞こえ、渋い顔をしている。

 

「アガタ……機嫌悪い?」

 

「あ? んなこたねえよ」

 

「氷砕騎士は首都を防衛する国直属の戦闘集団でな、ほとんどは首都におる。じゃから地方へはあまりやってこんし、変にプライドの高い者も多い……じゃろう?」

 

 首都は地方とは比べ物にならないほど快適な場所で、この氷に覆われた世界で唯一の安息の地と呼ばれている。其処こそがこの世界の中心であり、唯一無二の聖域だと信じている者も多い。そして、そんな首都を守護する氷砕騎士は総じてその首都を守るものとしてのプライドが高く、首都外に住む人間を下に見る傾向がある。

 

「ふん……何度か見たことあんだけど、あいつら基本地方の氷砕師を見下してんだよ。……気に食わねぇ」

 

「じゃが、此処から首都への旅には氷砕騎士の力は不可欠じゃ。道中は凶暴なウィンディゴも出没しおる。数日とはいえなかなか厳しい旅になるのは確実じゃ」

 

「……なーるほどな。その旅にヒヨミが耐えれるようにっつーことか」

 

「それはどういう?」

 

「ヒヨミにはある程度この世界で生きていけるだけの知識を付けてもらおうと思う。危険な場所、もの、生物。それに対処する方法など、じゃな」

 

「首都までの道はある程度整備されてっけど、完全じゃねえ。"吹雪"になれば一日で道が氷に塞がれちまう場所も多い。そうなりゃ氷砕騎士じゃあどうにもならねえ、道を迂回するしか無くなりゃあ、首都に着くのは数日じゃきかなくなる。氷砕師が同行して氷を砕くって手もあるだろうが、それでも迂回すんのと同じくらい時間がかかっちまう」

 

「それまでの日数、もしもの為に様々な事を知っておくべきじゃと思うての」

 

 ここから首都までの道のりは決して楽なものとは言えない。いくらかはかつての高速道路などの跡を通れば良いだろうが、それ以外の道は氷に浸食された険しい道が続く。その度に精神的、肉体的に耐えられる程度の力は付けておいた方が良いという判断だった。

 そして、その力を付ける方法として、現役の氷砕師であるアガタの仕事に同行し、アガタに実際に現地で生きるすべを学ぶのが最適だということだ。

 

「……わかりました。……アガタ、よろしくお願いしますね?」

 

「……おう、任せとけ」

 

それを聞いたヒヨミは納得したように小さく頷き、そしてアガタに向き直って深々と頭を下げた。居心地悪そうに視線をさまよわせるアガタは気恥ずかしそうに了承の言葉をつぶやいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ところで、アガタは首都へは行かないのですか?」

 

 鍛冶師の男性との会話を終えたアガタはヒヨミに村の中を案内していた。どのような施設があるのかを知ることも重要だが、緊急時に村から脱出するルートの確認などもしておく必要があるからだ。この村は迷路のような氷洞によって守られているが、同時に村人が村の外へ出るにも一苦労する。ルートを知らなければなかなか外に出ることも難しい。

 そうやって二人で歩いていた時、不意にヒヨミがアガタへと話しかける。何でもない、会話が途切れた際のちょっとした質問だった。

 

「ンだよいきなり、ヒヨミの旅は氷砕騎士が付いてっからオレが行く必要ねーだろ。その上こうやって自衛手段まで身に着けるんじゃあ過剰なくらいだろ?」

 

「いえ、そうではなく……鍛冶師の方にお聞きしました。アガタはまだ加護というものを貰っていないのでしょう?」

 

「おっちゃん余計な事を……いいんだよオレは。別に加護無しでも今までやってきたし、無理にデカブツのウィンディゴと戦うつもりもねえ。少なくともあの村はそんなでっかいウィンディゴが入り込めるようにはなってねえし」

 

「……先ほど鍛冶師の方との会話でも感じました。アガタは氷砕騎士だけでなく日ノ巫女や……首都そのものを何か避けているように思えます」

 

「そんなんじゃねーよ。……別に嫌いってわけじゃねーし、加護っつーのも便利だと思うぜ? ただ……」

 

「ただ、何ですか?」

 

「……知らねー奴にいろいろ体を見られるのは嫌なんだよ」

 

 アガタの言葉にヒヨミはきょとんとして、首を傾げながらも取り合えず納得した。少なくともそれ以上の答えがアガタから帰ってくることは無いと理解できたからだ。

 

 そして、ならばとヒヨミは言葉を続けた。

 

「私なら問題ありませんか?」

 

「はあ?」

 

「私はアガタにとって"知らない奴"ではありません。首都で登録を済ませて、正式に日ノ巫女と認められたら、私はこの村に帰ります。そこでアガタに加護をあげて、一緒に村で暮らしましょう」

 

「な!? お、おま……自分が何言ってんのか分かってんのかよ……!」

 

「? 私、何かおかしい事を言いましたか?」

 

 ヒヨミはとてもいい案だとでも言うかのようにそんな事を口にするが、それを言われたアガタはたまったものではない。ヒヨミは理解していないだろうが、その言葉はまるで告白のようではないか。

 

 だがヒヨミの他意のない様子にアガタもそういう意味で言ったのではないだろうと察し、そして息を吐く。

 

「なんでそこまでやるんだよ。おっちゃんの話聞いてただろ? 首都にいりゃ、こんな辺境の村と違ってウィンディゴや氷に怯えなくて済む。衣食住だって日ノ巫女サンなら選びたい放題だぞ?」

 

「でも、そこにアガタはいないでしょう?」

 

「な……」

 

「私は、アガタに救われました。アガタがいなければ、私はここにいません。だから、アガタと一緒にいたいです」

 

 灰色の雲の隙間から見える夕暮れは青白い氷の世界をオレンジ色に染めていく。儚げに微笑むヒヨミの瞳は目の前にいるアガタだけを見つめていた。

 そんな純粋でまっすぐなヒヨミに思わずアガタは視線を外す。

 

 そして気付いた。先ほどの告白まがいな発言は、つまりはヒヨミなりの恩の返し方だったのだろう。命を救われた代わりに、日ノ巫女の力を提供しようとしている。アガタにはそう思えた。

 

「そこまで恩に感じるこたぁねーんだよ……お前は日ノ巫女で、オレがいなくても死んじゃいなかった」

 

「お前ではなくヒヨミですアガタ。私はアガタの傍にいたいです。首都は衣食住が揃っていると言いましたが、私はアガタと一緒にご飯を食べたいです。アガタと一緒の場所で暮らしたいです。私は――」

 

「わ、分かった! もう、分かった、分かったから! はは、そこまで懐かれるようなことしたわけじゃねーんだけどな。まあ……ヒヨミの言いたいことは分かった……オレは待ってるからよ。立派な日ノ巫女になって、この村に帰ってこいよ」

 

「――はい!」

 

 今まで見た中で一番の笑顔で、ヒヨミはアガタを見つめそうはっきりと口にした。そうやって、ヒヨミはアガタと共に生きることを決めたのだ。

 

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