「アガタ! 無事、だったの……」
「おう! ちっとばかし死にかけたけどな!」
ヒヨミに笑いかけるアガタだが、その目は騎士を捉えて離さない。両手で持つ槌を構え、油断なく目の前の騎士を見据える。
「おかしいなぁ……殺しちゃいねーが確かに腹抉ったはずだぞ……? なんで立ってられる?」
「さあな、てめえの剣の腕が悪いんじゃねーのか?」
「……クソガキが。まあいい、もう一度殺してやるよ」
「そうはいくか……よっ!!」
飛び掛かるアガタはその槌を前に突き出す。アガタの槌は通常よりも柄の部分が長い。それを利用して槌をまるで槍のように扱っていた。騎士のエモノは主に剣であるため、攻撃範囲としてはアガタの方が有利だ。
「はんっ! ど素人がよ! こっちは首都で治安維持もやってんだ! 対人戦闘は慣れてんだよ!!」
だが、アガタの戦闘経験は自身よりも大きなウィンディゴがほとんどだった。人との戦闘など数えるほどしかしたことが無いし、そもそもウィンディゴは人を喰らうという本能にしたがって行動しているため、人のような洗練された戦闘技術など持ち合わせていない。
人対人という状況において、武器種の有利では覆らないほどの経験差があった。
「ほらよっ!」
「ぐっ!」
アガタの槌を躱し、一太刀一太刀確実にアガタへダメージを蓄積させる騎士は、まるで遊んでいるかのように剣で適当に槌を弄ぶ。
若く経験も浅いアガタと、首都で専門の訓練を受けた騎士ではやはり覆らないほどの力量の差。
程なくしてアガタは膝をつき、それでも何とか槌を支えにして立ち上がる。息も絶え絶えながらもこちらを睨むアガタに、騎士の限界が来る。
「うざってえ事してんじゃねーよ! 早く死ねやっ!!」
騎士の振りかぶった剣に意識を割かれたアガタは、それを囮にした蹴りを避けられず、まともに食らってしまう。
「がはっ!?」
「おらよ! どうだ土の味は? あ、そっかここじゃ土なんてねーか! 氷のだな! 氷の味! あはははは!」
「くそっ……!」
それから何度も何度もアガタは騎士に立ち向かうが、そのたびに軽くいなされ、冷たい地面に突っ伏す。しかし諦めずアガタは立ち上がり騎士へと向かっていく。
「おいおいおいおい……さすがによ、うざってえんだよ!」
「ぐ、があぁ……!?」
ついにしびれを切らせた騎士が倒れこんだアガタに馬乗りになり、剣を逆手に持ち振り上げた。
「これで終いだクソガキ。もういっぺん死ね」
「っ……うあああああああ――!!!」
「アガタぁ!!」
騎士の剣は正確にアガタの胸元に突き刺さった。そこから抉るように剣を回し、臓腑をぐちゃぐちゃにしてからゆっくりと引き抜いた。
「ふう……どうだよ? これなら満足かぁ? ……。……あ?」
「……ぐ、はぁ、はぁ……どけ、よ。てめえ……」
「はぁ!? なんでてめえ生きて……。! っ……おいおい、お前まさか……く、くくく。はははははっ!!」
突然笑い出した騎士の様子に、近くで見ていたヒヨミも、遠くの村人達も何事かと注目する。騎士はただひたすら笑い死ぬかというほどに大声で、大げさなほど笑い続ける。
「はははは……。そういう事ね……、ははは。おら、お前の大好きな村の奴らにも見てもらえよ」
「や、めろ……」
「アガタ……? 何を……」
騎士は瀕死の重傷を負っているだろうアガタの首を掴み、持ち上げる。それに抵抗出来るほどの体力はもうアガタには無い。されるがまま、騎士に持ち上げられ、その腹に空いた傷口をヒヨミと、村人に晒すことになった。
「やめろ……見んじゃねえ……ヒヨミ……!」
「あ、ああ……アガタ……」
「お前ら!! よーく見ろ! コイツの傷をよお! ついさっき付けた傷にぃ、"氷の結晶"が付いてやがる!! この結晶はなぁ、とある生物が傷を修復する際に大気中から取り込んだ氷の結晶だ! つまりだ、このガキの正体は――」
「やめろ……やめろおおお!!」
「こいつは、
ウィンディゴは知性を持たない本能だけの生命体だ。その人を喰うという本能のままに、人を襲い、喰らおうとする。
だが、真の意味でウィンディゴは人を喰らうことは出来ない。ウィンディゴは人を襲い、喰らおうとするが、その牙で切り裂いた瞬間、人はその牙で絶命するよりも先に、氷症によって氷像となり絶命する。
一般的に氷症とはウィンディゴによって傷付けられた怪我から発症すると言われているが、それは少し違う。実際はウィンディゴによる肉体的損傷と、ウィンディゴと対面した恐怖という精神的損傷によって引き起こされる。
肉体的、精神的なダメージが同時にウィンディゴによって引き起こされた時、初めて氷症となるのだ。
ウィンディゴに喰われる寸前とは、つまりその二つのダメージが極限まで高まり、その結果氷症の最終段階である氷像化まで一瞬で進行する。
そのため、生きた温かな血肉に飢えたウィンディゴたちの口に入った人間は瞬く間に氷像となり吐き出される。そしてまたウィンディゴは満たされることのない飢えを満たすために、人を襲い続けるのだ。
だが、そんな本能だけのウィンディゴの中で、時たま人並みの知能を備えた個体が現れることがある。それらは凶暴で、人を喰らう本能はそのままであるが、人並みの知能を持ち、賢しらに人を効率よく喰らった。
人類はウィンディゴの中でも特に危険な知能持つ魔物に対抗すべく、氷砕師という存在を生み出し、今日まで生き延びてきた。いわばこの特異な存在は人類すべての怨敵であるのだ。
「こりゃ傑作だろ! 氷砕師だとかいうガキが、実はウィンディゴだったとかよぅ! そりゃ死なねえはずだわ!」
「うっ……く……」
「ほら、聞けよ。村の連中がお前を見てなんか話してんじゃねーか。今まで騙してきた人間によお」
「うる、せえ……俺は……」
「氷砕師だってか? はははっ、んなわけねーだろが、お前はただの化け物なんだよ! 人間様の真似事してるだけのなっ!」
遠巻きに見る村人はあまりの事に目を見開き、アガタを見る。信じたくはない騎士の言葉に、けれどアガタの徐々に治っていく体がその言葉が正しい事を証明していた。今まであれほど親し気にしていた少年は、実は人を喰らい殺すおぞましい化け物だったのだと。
「おっと……なにすんだおまえ」
「アガタを! 放して!」
だが、すべての村人が硬直する中、ヒヨミだけはアガタを助けるために動き出した。まだ痛む体を無理して動かし、騎士の足に体当たりしたのだ。そのか細い体では騎士の体制を崩すことは叶わず、ほんの少し体を揺らしただけだった。
「うぜーなぁ、ホントに。どいつもこいつも、面倒で無駄で生きてちゃいけねー奴等ばっか……もう氷翼竜に殺させるとかどーでもいいわ。……お前から、殺すか」
「あうっ!」
アガタから手を離した騎士は足に縋り付くヒヨミを蹴って引きはがすと、ヒヨミの手を無造作に掴み、アガタの目の前に連れてきた。
アガタもヒヨミも体中傷だらけで、息も荒く、意識を保つのさえ困難なほどの激痛に苛まれていた。それでも、二人は目を合わせ、指を絡ませた。
その指先から伝わるアガタの体の冷たさにヒヨミは小さく微笑み、ヒヨミから伝わる温かさにアガタは申し訳なさそうにする。
ヒヨミが氷の柱から助け出された時、アガタはヒヨミと顔を会わせることを拒んだ。その後も自身の体をヒヨミに触らせないようにしていた。それは氷の魔物のような、体温のない冷たい体であることを知られたくなかったからだ。
「悪い、ヒヨミ……」
「謝らないでくださいアガタ……貴方が何者でも……私を何度も助けてくれた。そのことに間違いは無いでしょう……?」
「ヒヨミ……」
二人の会話は小さく、騎士には聞こえない。騎士は"この世に必要のない"二人を見下し、高く剣を掲げる。
「ほら化け物。よーく見とけよー。お前の目の前で、お前の大事な日ノ巫女様の首が飛ぶぞー」
殊更楽しそうに狂った笑みを浮かべる騎士はその掲げた刃を振り下ろす。
「アガタは、私の大切な"人"です……」
そうしてにっこりと微笑んだヒヨミの顔と、狂った騎士の狂喜する顔を見て、アガタは心の内側に封じたどす黒い感情を吐き出した。
「やめろおおおおおオオオオオオォォォーー!」
その瞬間、アガタの声は人のものからおぞましい唸り声へと変化する。聞く者全てが総毛立つような底冷えするそれは、まさしく人類の敵であり、人を喰らう魔物、ウィンディゴのそれだった。
「ははっ、ついに本性を現しやがったな! このバケモンが!」
声だけではない、アガタの体は徐々に変化していく。ふたまわりも大きな体躯を形成し、鋭利で青白い牙と爪。泥と雪が混じったようなドロドロの汚らしい毛皮の色は、まさに見紛う事なき魔物の姿。
「へえ、オオカミ……獣種のウィンディゴか。それに体格的にまだ幼体じゃねーか」
「ヴゥ!!」
完全にオオカミのウィンディゴの姿へと変化したアガタは氷を蹴って騎士へと突進する。その前足の鋭利な鉤爪で憎き騎士を切り裂かんとするが、その動きを予測していたように騎士は余裕をもって回避する。
「しっかしホントーにウィンディゴってのは汚ねえ色してんなー、ほらっ」
「ギャウッ!」
「はは、なんだなんだぁ? その姿で戦うのは初めてかぁ? ほらもう一発!」
「グウゥ……!」
「やめて! アガタやめて!」
まるで泥のような汚い血液が、騎士から一太刀食らうごとに汚泥のように散る。それでもアガタは騎士への攻撃をやめない。もしここで止まれば、瞬く間に自身の首は断ち切られ、そして次はヒヨミにその凶刃が向けられる。
だが、その血を流しながら戦う姿は、ヒヨミには命を削っているようにしか見えなかった。アガタが死というものにとてつもないスピードで突き進んでいるようだった。
騎士にダメージを与えることも出来ず、ままごとのように笑いながらアガタの命を削っていく騎士。その様子にヒヨミはどうすることも出来ない。ただアガタの傷付く姿をこれ以上見たくない。その一心でただ制止の言葉を叫ぶしかできなかった。
「アガタっ! アガタ……!」
ついにアガタは地に伏し動かなくなってしまう。大きなオオカミの口から浅い息をして、その鋭利な眼光を騎士に向けてはいるが、もはや傷だらけで動くこともままならない。オオカミの姿のアガタの傍に駆け寄ったヒヨミは、その大きな顔の前で巨大なオオカミとなったアガタを見上げ、泥のような血だまりの中で彼に寄り添った。
「さぁーてさて、それじゃあ今度こそ……無能の日ノ巫女から、死んでもらおうかね」
再度振りかぶられた剣の煌めきに、今度こそ打つ手はない。ボロボロで瀕死のアガタは、けれどそれでも目の前の人間へとその牙を突き立てんと唸り声を上げる。
「おーおー怖い怖い。……でもよ、そんなんじゃ俺には傷一つ付けられねーよ? 今のお前はただの雑魚ウィンディゴだ。なんも守れねーし、暴れるだけのばけもんさ」
(俺は……。俺は、ヒヨミを……)
「力が無いってホント残酷だよな~そりゃあ俺だって分かるぜ? でもよ、ホラ! 俺は氷砕騎士だ! それも二奉のな!」
(ヒヨミを……助ける……助けるために……)
「力が全てなんだよ! 二奉じゃ足んねえ! 俺はもっと! もっともっと加護を手に入れて、氷砕騎士団長さえも圧倒する人間になってやるのさ!」
(助けるためには――――)
「だから、これで死んでくれよおぉ!!!!!!」
突如、全てがスローモーションになる。ヒヨミに迫る刃も、アガタを安心させるようなヒヨミの笑顔も、騎士の狂気に染まった顔も。
そして、アガタの頭に響く声が聞こえる。
【力がいるんだろう?】
(誰、だ……?)
【誰? そりゃないだろ、俺はお前だよ。今まで奥んほうに閉じ込めやがってよ】
(ウィンディゴ……か)
【その言い方はちょっと違うな。俺は確かにウィンディゴだが、それはお前も同じだろう? いうなれば、俺はウィンディゴの意識さ】
(本能だけの獣に、意識があるのか……?)
【本能こそがウィンディゴの本質で、意識そのものと言ってもいい。俺が本質で、お前は正常なウィンディゴの中の異物さ】
(はっ……その異物に体の主導権を取られてるんじゃ、世話ねーな)
【確かにそうだ。だが、今はどうかな? お前は死にかけて、守りたいものも守れない】
(……!)
【守るには力がいるよなぁ、人を喰らうほどの、本能をむき出しにした力がさぁ】
(俺は……)
【そうだ喰え。目の前の憎たらしい人間を喰え。そしたら守れる】
(守、れる……)
【ああ守れる。喰って、喰って喰って、殺すんだ】
(ころす……)
【喰え……喰え、喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え】
(いや、だ……俺は、おれは……)
【喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え喰え…………殺せ】
(嫌だ! 俺は、俺は殺したくない……)
【殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ】
(やめろ! 俺は人だ! 俺は、ウィンディゴじゃない! やめろ、やめろやめろもうしゃべるな! 俺の心に入ってくるな!!)
【殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ】
(やめろ……やめ、殺し……殺せば……)
【心を明け渡せ、あがた】
(だれか、助けて……殺したく……な、……)
【殺せば楽だ。全て殺せ、全て喰らえ、騎士も、村人も、ヒヨミも、全て喰えそれが本来のお前だ】
(誰か…………)
「大丈夫」
オオカミとなったアガタは鼻先に小さな熱を感じた。それはどこまでも陰鬱で凄惨な衝動を煽るウィンディゴの声の悉くを弾いた。
あれほどまでに頭の中でガンガンと響いていた喰えという声も、殺せと言う声も、何一つ聞こえない。
ただ、透き通る、か細くも芯のある声だけが、アガタへと届いた。
声の主はアガタの鼻先にくっつけていた唇を放し、にっこりと笑う。
熱にうかされていたようなまとまらない思考はすっかり晴れやかなものとなり、視界はクリア。あれほど痛んでいた体はどこも痛くない。
「大丈夫だよ、アガタ」
アガタの心はウィンディゴに浸食されようとしていた。心身共に弱ったアガタを喰らおうとしていた。だが、その心の浸食はなぜか突然停止し、アガタの心からはじき出された。
それは、まさしく"心を守る"力。
「アガタの心は、私が守ってあげる」
力ある日ノ巫女が持つとある能力、それの発動にはいくつかの条件がある。
一つは、素肌に触れている事。
「だからね、アガタ」
一つは、その相手を、心の底から信じていること。
「私の事は、アガタが守って、ね?」
今ではただの身体能力強化の方法としか考えられていないそれは、本来日ノ巫女が生涯ただ一人にのみ送る愛の形。
人はそれを、日ノ巫女の加護と言った。
「――――は?」
ヒヨミの首に迫った剣はその肌に触れる瞬間、音もなく真ん中から真っ二つに折れた。
「馬鹿な……俺は二奉の氷砕騎士だぞ! その力は装備にも波及する! 俺の、二奉の力が付与された剣を、折っただと……!?」
剣からヒヨミを守るために無造作に突き出した前足は傷一つない。先ほどまで泥のように汚らしかったアガタの体毛は、まるで太陽の光を反射した雪原のように美しい銀の光を帯びていた。静寂の中で佇む白銀のオオカミは、足元のヒヨミを気遣いながらも、どこか遠くを見ているようだった。
もはや騎士の姿は眼中になかった。
「剣を折った程度でいい気になってんじゃねーよ!! 俺には"コイツ"があるんだよっ!」
そういって騎士は懐から両手に収まる程度の機械を取り出した。グリップを握り、トリガーに指をかける。それは銃だった。
「首都でも研究中の兵器だ!! 対魔物用の氷弾頭を打ち出すコイツを避けられる訳ねえよな!?」
氷の弾頭を打ち出し、氷も魔物も例外なく破壊するその兵器は、その破壊力もさることながら射出される速度も恐るべき、最新の対魔物用の携帯武器だ。通常のウィンディゴならばどれほど俊敏に動くウィンディゴであっても逃れる術はない。
そう、通常の、ならば。
「くそ、くそっ! なんで当たんねえんだよ……!」
アガタの姿は完全に捉えている。確実に急所に向かって銃弾を撃ち込めているはずだ。だが、それがアガタに当たることは無い。衝突の瞬間に紙一重で回避し続けているのだ。
騎士の焦った様子も意に介さず、アガタはヒヨミの様子を窺う。
日ノ巫女の力に覚醒したヒヨミは氷によって傷付けられた体が完全に回復し、痛みも無いようだ。心配そうにアガタを見上げるヒヨミの顔を一舐めし、安心しろとばかりに鼻先で顔をくすぐる。
「ああ……よかった、アガタ……よかったよう……」
「無視すんなああああああああああああ!!!!!!」
もはや絶叫といった具合で銃を乱射しながら突進する騎士。アガタはヒヨミに流れ弾が届かぬよう、前に出る。思わずヒヨミが叫ぶが、心配は無用だった。
「う、嘘だ! 嘘だ嘘だああああああ!?!!?」
アガタに当たった銃弾はアガタの体を破壊するどころが、傷を付けることすら叶わなかった。その白銀の体に触れた瞬間、弾丸の方がはじけ飛んだのだ。首都特製の、超大型と呼ばれるウィンディゴでさえ致命傷を与えられるはずの最新兵器が、アガタには全く効果がなかった。
「うわああああああああ!!!」
「アガタっ、殺しちゃダメ!」
闇雲に突っ込んでくる騎士を、アガタはヒヨミのオーダー通りに手加減して前足で弾いた。巨大な壁に激突したかのような衝撃を受けた騎士の鎧はバラバラになり、本人は無様に気を失ってしまった。
「アガタ……ありがとう」
ヒヨミに傍に寄ってきたアガタの大きな顔を優しく撫でてやると、アガタは空へと大きく咆哮し、黒い雲の覆う空へと高々と勝利宣言をした。
その恐ろしいほどに力強いアガタの声に、いつの間にか氷翼竜は恐れをなして逃げ出していた。もう二度とこの村に近寄ることは無いだろう。
そして、その咆哮を最後にアガタの意識は深く沈んでいった。
アガタが気が付いた時、あたりは既に明るくなり始めていた。どうやら丸一日寝ていたらしい。鍛冶師の男性の家のベッドらしいところに横にされていたアガタは、ゆっくりと起き上がり、体調を確認する。
「ふう……。よし」
先の戦いの後遺症は無く、見た目も人の姿に戻っていた。どこも以前と変わりない。
いや、一か所だけ異なる点がある。アガタは自身の胸に手を当て、本来自身には存在しないはずの、温かな鼓動を感じた。
「ヒヨミ……」
ウィンディゴとしての衝動から心を保護しているヒヨミの加護は、アガタの精神を以前よりもより安定した状況にしていた。恐らく、あの時の白銀のオオカミの姿に変化したとしても、アガタの心がウィンディゴに汚染されることはないだろう。
そこまで確認して、アガタはなぜ自身がこんなところに居るのかと不思議に思った。既に自身がウィンディゴであることは村人に知られている。
ならば良くて身動きが取れないように拘束、悪くて討伐されているはずなのだ。
けれど今のアガタはベッドに寝かされている。
「……来るよな……やっぱし」
ヒヨミの声によって例の氷砕騎士は生きているだろう。そしてそのことは恐らく首都へも伝わっているはず。そうなれば騎士を拘束するために首都からより上位の氷砕騎士たちがこの村にやってくる。そしてそのやってくる騎士たちはそれ以外に、ヒヨミの保護と、自身の討伐を目的としているであろうとアガタは考えた。
ならば、いつまでもこうしてはいられない。自身がこのまま村に居座れば、首都から
少なくとも例の騎士が首都に要る氷砕騎士のスタンダードな姿だと思い込んだアガタには、首都はそのような事をする組織なのだという意識が生まれていた。
なので、アガタは必要最低限の持ち物を手に、早々に村を出ることにした。
「さて、武器は、っと」
アガタはベッドの横に置いてあった私物と自身の槌を手に取ろうとするが、その槌は頭部分が無残に破壊され、とてもじゃないが槌としては使い物にならないようだった。仕方なく私物だけを背負い、家から出ていこうとする。
「この村も、大分世話になったなぁ……ホント、長い事居ちまった……」
思い出をかみしめるように、アガタはまだ薄暗い中、家の出口へと歩く。この村には多くの思い出があった。氷砕師として師事出来る存在を見つけただけでなく、村の人々は皆とても温かかった。冷たい自身の心が溶かされるような心地よさがあった。
だから、ウィンディゴとばれないように通常一年で村を離れる習慣だったのに、数年も居座ってしまった。
「本当に……楽しかった、な……」
本当はお世話になった村人たちに一人ずつお礼を言って村を去りたい。だが、そんなことは許されないだろう。
アガタが人を喰らう化け物と判明した以上、村人はアガタをこれまでのように接してはくれないだろう。だから、こうやって誰にも言わずに去るのが最良なのだ。
そう、思っていたのに。
「! ……おっちゃん……無事だったのか……」
家の出口、そこで待ち構えるようにしていたのは鍛冶師の男性だった。胸に包帯を巻き、痛々しい姿であるが、その眼光は鋭くアガタを見つめ、その腕には彼の武器である槌が握られていた。
そして、そのままアガタへとゆっくり向かっていく。
「……ああ、そうか……おっちゃん……」
そして、武器を持ち油断なくこちらへやってくる男性を見て、アガタは彼が何をしようとしているのかを察した。
当然だろう。この村におぞましき人を喰らう魔物が居るのだから、それを狩れるのはもう村にはこの男性しかいない。
首都からの魔物を匿っていたという疑いを晴らすには、その魔物を討伐するのが一番だ。
「……おっちゃんごめん。俺、騙そうとしてたわけじゃねーんだよ……ただ、この村、すっげえ居心地よくってさ」
男性はゆっくりと近づく、武器を手に持ったまま、ゆっくりと。だが、アガタは動かない。男性との思い出を振り返るように、ただ口だけを動かしていた。
この村から去るよりも、此処で魔物として彼に狩られるのも悪くない。
「……」
「見ず知らずの俺を受け入れてくれてさ、本当にうれしかった……!」
男性とアガタの距離はもう男性の槌の攻撃範囲だ。この距離なら、その槌を振りかぶり、逃げる様子のないアガタに振り下ろせるだろう。
「化け物な俺だけどさ……言わせてほしいんだ……今までありがとう……おっちゃん……」
そして、男性はその腕を力いっぱい振るった。
「バカ者が……!」
「お、っちゃん……?」
アガタは、男性が自身を強く抱きしめていることに気が付いた。まるで愛しい我が子を抱きしめるように、強く強く、アガタとの絆を確かめるように。
「この村で、お前に恩を感じておらん者などいないわ! お前が、何者だろうと、村の者たちの可愛い子であることに変わりないわい!!」
「おっちゃん、俺、俺……」
その腕の強さにアガタは思わず涙を溢れさせる。
鍛冶師として信頼できる人だった。元氷砕師として尊敬できる人だった。温かさのある、父のような人だった。
「ワシからすれば、お前はまだまだ未熟な、ただの新米氷砕師じゃわい……!」
「へ、へへ……新米は、酷いんじゃね? 俺だって、もう一人で、やっていけるんだよ……?」
「なんでも一人で出来ると思うとる内はまだまだ未熟じゃと言うとるのじゃ……! ほれ、これを持っていけ」
そういって男性は何やら荷物が詰まったバッグをアガタに手渡した。中身は保存食や水、耐寒用の防具など、村でも希少な物資だ。
「言ったであろう? 村の者たちで、お前に恩を感じていないものは居ないと」
ふと家の窓、その向こうを見る男性。つられて同じように窓の外を見るアガタは、そこで此方を伺い、手を降る村人たちをみた。
「この食料などはな、村の者たちがかき集めたものじゃ。どうせ、お前は出ていくと言ってきかんじゃろうと、皆分かっておるようじゃったぞ」
「あらら……そこまでわかっちゃうのか」
「ここ数年、一緒に暮らしていたからのう……。さあ、アガタ行きなさい。村の外れであの子も待っとる。それと、これも持っていくといい」
男性は手に持った槌をアガタに手渡す。ずっしりとした重みを感じるそれを、アガタはしっかりと受け取った。
「ワシが現役時代に使っとったものを大幅に改良したものじゃ、そのせいで並みの人間ではとても扱えん重さになったが、お前なら大丈夫じゃろ?」
「うん。大丈夫振れる。……本当に何から何までありがとうおっちゃん。……この槌は……」
「うむ。それは"貸す"」
「! ……ありがとう。絶対に、返しに来るから……! この村に、絶対にまた……」
珍しく雪雲が途切れ、眩しい太陽が現れる早朝。人影もなく、村は静かなもので、アガタの旅立ちを送る人は誰もいない。だが、それは仕方がないことだ。
村の人間はあくまで"特異なウィンディゴに脅されて、日ノ巫女を攫われた"という設定らしいと鍛冶師の男性は言った。
でなければ村の住民はウィンディゴを逃がしたと首都に要らぬ疑いをかけられてしまう。
既に伝書鷹によって騎士の所業は首都に報告されている。首都より二奉の騎士を拘束するための騎士団がこの村に向かっている頃だろう。
そしてそれは同時にアガタを狩り、ヒヨミを保護するためのものたちだ。
もしわざと二人を逃がしたとなれば、村の責任を追求されるかもしれない。
そうならないように、アガタがヒヨミを攫い、逃げたように装わなければならない。どこで首都の人間が見ているか分からないため、そのように徹底したのだ。
つまり、アガタとヒヨミは早朝村を出ることを、村人は一切知らない、という"設定"な訳だ。
だが、そんな閑散とした村の出口に、一つの影を見つける。華奢な体を防寒具に包み、寒そうに両手に息を吹きかける少女の姿。
「ヒヨミ」
「あ、アガタ!」
嬉しそうにアガタに駆け寄るヒヨミはそのままアガタの腕の中に納まる。互いの鼓動が聞こえるかのような距離は、二人の心の距離そのものだった。加護の繋がりが、その想いをより強固なものにしていた。
「おまえ、なんだその大量の荷物は!?」
「お前ではなくヒヨミですよアガタ。これは村のおば様が……私は必要ないって言ったんですけど、食料の他に服まで頂いてしまって……」
「はあ……バーちゃんたち……」
「ねえアガタ、オオカミになってこの荷物のせて」
「おい」
「冗談ですよ」
いたずらそうに笑うヒヨミをよそに、アガタはため息をつく。これから当ての無い旅に出ようと言うのに、なんとものんきなものだと。
そう、当てのない旅。
「アガタ、これって逃避行というやつでしょうか?」
「うん? ……まあ、そうかもな……。なあヒヨミ、お前は何か目標とかってあるか?」
「目標ですか?」
「おう、ただ逃げ回ってるだけじゃ面白くねーだろ?」
「うーん……じゃあ、私は"春"が見てみたいです!」
「春だあ?」
「はい。アガタが言っていたでしょう? 綺麗な景色とは、太陽とか、お花畑とか、青い海だって。おば様たちが言っていました、この世界はずっとずっと冬が続いているんだって。でも、いつかどこかで春が生まれて、この国にも訪れるんだって! そうしたらアガタの言ってた綺麗な景色も見れるんだって! だからアガタ、私と一緒に春を見つけに行きましょう? それで、見つけた春を持って、村に戻ってくるんです!」
「春、か……はは、良いなそりゃ。それじゃあ春を目指して旅を始めるとしますか!」
「はい!」
それはいつの頃だったろうか。氷と雪の覆われた世界で、人々から噂されるようになった少年と少女の物語。
偉大なる氷砕師として人々を守護する少年と、そんな少年の傍にいつも寄り添う始祖の日ノ巫女の少女。
「なあヒヨミ。もしも、もしもさ……俺がヒヨミの事さえ分かんねえような本当の化け物になった時、その時は、お前が、俺を……」
「大丈夫だよ。言ったでしょう? アガタの心は、私が守ってあげる。だから――」
「……そうだったな。ああ分かった。俺の心はお前にやるよ。だからお前は、俺が絶対に守ってやる」
これは、そんな二人が春を目指すまでの、物語。
ヒヨミ
本名 十条日詠
世界がまだ氷に完全に覆われる前の旧時代において、日ノ巫女として活躍していた少女。
日ノ巫女の力は太陽と深い関係があり、日の光を浴びれば浴びるほどその力は強まる。だが、氷世界の日ノ巫女は厚い雪雲によって太陽の光を直接浴びることが難しく、その力は旧時代の一割程度しかない。
対してヒヨミは氷の浸食が空まで及んでいなかった旧時代で光を十分に浴びていた。
旧時代での人と氷(魔物)との戦いの最中、ヒヨミはその能力をもって氷の浸食を抑える人柱に選ばれる。氷の柱の中で封印されたヒヨミだったが、結局人類は敗北し氷世界が到来。彼女の犠牲は無駄となった。
その後、氷世界においてアガタに封印を解かれたヒヨミは旧時代の記憶の大半を失っていた。
彼女に残っていたのは、ヒヨミという名前だったという記憶と、この世界では規格外なほどの日ノ巫女としての力だった。その力の覚醒のトリガーとなったのがアガタだったのはヒヨミの力が、氷時代の日ノ巫女の変質した能力【数多くの人間に、それなりの加護を与える】ではなく、旧時代の日ノ巫女の純粋な力【ただ一人に、強大な加護を与える】だったからだろう。
アガタ
アガタはかつてウィンディゴ幼体時、一人の日ノ巫女に拾われる。人類と魔物との平和的共存を夢見ていたその日ノ巫女は、アガタに教育を施し、人として育てた。
だが、アガタは他のウィンディゴと同様に人を喰らう本能を発露し、育ての親である日ノ巫女を喰らった。
ウィンディゴは誕生した際、例外なく心無き魔物だ。どれほど躾けたとしてもそれは変わらない。心ある存在になるにはとある条件が必要だった。それは生きた人間を喰らう事。
しかし、ただの人間では喰らうという過程で人は氷像になってしまう。だが、この世界で唯一氷症にならない存在がいる。
アガタの人としての心は、育ての親である日ノ巫女を喰い殺したことで得たものだった。
心を得たことでそれを自覚したアガタは親を殺した後悔と絶望に苦悩した。そして、それらの苦しみの果てにアガタは人として生きることを決め、人を救うために氷砕師を目指した。
現在はウィンディゴの身体能力+人の知性+氷砕師の技術+始祖の日ノ巫女の加護でとんでもなくヤバい存在になっているが本人にその自覚はない。