ある新人トレーナーは、三女神に囚われた。 作:まやキチ
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――“夢”を見る。
何度も。何度も。何度でも。
それが泣きたくなるくらい、楽しい日々の一幕で。
それが嘆きたくなるくらい、愛しいあの人との思い出で。
だから目覚める度に苦しくて。
それでも、“夢”を見る。そう望んでいる。
まだそこにあるんだと。心の底からほっとするから。
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――――――――――――
私とお兄さん――トレーナーさんとの“三年間”は、往来激しい正門前でたづなさんに初手土下座謝罪というエキセントリックなイベントを挟んだものの、順調に始まった。
貰った“トレーナー室”は広くて快適だし、田舎には無かった本格的なトレーニング器具の数々は私の胸を高鳴らせた。
それにご飯がどれもすごい美味しいし、トレーナーさんが言っていた都会のあれこれも誇張でも何でもなく、どこもかしこも輝いて見えた。
――勿論。
生活の事もそうだけど、そもそもの目的――レースの事も重要だった。
ウマ娘としての夢、トゥインクル・シリーズ。
あの“夕暮れ”に告げた目標。
――『日本一のウマ娘になりたいです!!』
その為の話し合いをしている中で、私は――やはりここは、世代最強を決めるレースである“日本ダービー”を狙いたいと話した。
沢山あるレースの中で格式高いGIレース……その中でも、生涯一度だけ獲得できる“ダービーウマ娘”の栄光。
まさしく、日本一にふさわしいと思ったのだ。
……けど。
ここで、トレーナーさんが突拍子もない事を言い出した。
「……日本一のウマ娘。その為にダービーを獲る。なるほど、実にわかりやすい。だけど――足りないと思わない?」
「足りない?」
「そう、ダービーだけじゃない。他にも素晴らしいGIレースは沢山ある。それらを制して初めて、日本一のウマ娘と胸を張れるんじゃないかな」
「……は、はぁ」
「――という訳でシャルウィちゃん。君には“十二冠ウマ娘”になってもらいます」
「……?」
「つまり、
「――はぁ!?」
トレーナーさんは言う。
――“日本一のウマ娘”。
その目標には、“日本ダービー”や他のGIレース数種くらいでは足りない。
もっと、もっと高み。誰もが納得する称号にするにはこのくらいじゃなければ!と。
そうして――これからの“三年間”の流れを語り出した。
まずは
次に
そして
――計、十二レース。
つまりは、『クラシック三冠』『春秋シニア三冠』『天皇賞・春秋制覇』『ジャパンカップ二連覇』に『有マ記念二連覇』。
たった一つでも永遠に名前が残るような栄光を――総ナメにしてやろうという話だった。
……。
……いやいや。
「いやいやいや!無理!無理ですよ!?」
「無理ィ?そうかな?一応、体調面も考えてレースの間隔は十分取ったつもりだけど」
「いやそういうんではなく!だって、あのルドルフ会長でも“七冠”なんですよっ!?」
無敗の三冠ウマ娘。自他ともに認める現トレセン学園最強、生徒会長シンボリルドルフ。
そんな“皇帝”すら届かない、届かせない――高い高い、頂き。
「それなのに、田舎でトレーニングもどきをやってきただけの何の実績もない私なんか――」
「――シャルウィちゃん」
条件反射で無理だと叫んでいると、そこで強く――トレーナーさんに声を掛けられた。
いつものように優しげで、それでも真剣な瞳と目が合った。
「無理だと思うのはしょうがない。俺でもホラ吹き過ぎた感あるし。でも――自分を卑下しちゃいけないよ。君は……君達は“特別”なんだ。なんだって出来る」
「でも……」
「君が北海道から遥々ここまで来たのは理由がある。それに、お母ちゃんさんならこう言うと思うよ――
その言葉に、私はハッとした。
確かにお母ちゃんならそう言って、笑って私の背中を強く優しく押してくれる。
それに――ここに来た理由。
お母ちゃんと、もう一人。私を生んでくれて亡くなってしまった、もう一人のお母ちゃん。
そんな二人に誇れるウマ娘になる為に。
“日本一のウマ娘”になる為に。私は、ここに来たんだ。
「“十二冠”は遠すぎてありえなく見えるかもしれない。でも、君ならできる。そう思うから俺も提案してる。どうかな?――君の“目標”に」
私は一度、深呼吸をして。
「……私、できますか?」
「うん」
「日本一に……なれますか?」
「なるんだ。それに、させるさ――
「……がんばります」
――『日本一のウマ娘になりたいです!!』
「私、なります!――日本一のウマ娘に!!」
なりたい、じゃない――
そう叫ぶと、トレーナーさんは優しく微笑んでくれた。
こうして。
私はやっと、一人のウマ娘として、スタートラインに立った。
そんな気がした。
――の、だけれど。
この後。
“十二冠ウマ娘”の夢を掲げるようになった私が嬉しかったのか、自慢気に周りに広めまくったのはやめてほしかったかなぁ……って。
たづなさんを皮切りに、私とトレーナーさんの夢はあまりに大きすぎたせいかものすごい勢いで学園中を駆け巡り――そこから、どういう風にねじ曲がったのか、最終的には『中央トレセンなんかクソだっぺ!都会娘なんかなます切りにしてくれるわ!』みたいな、北海道トレセンからの刺客扱いされ―――
おかげで私の転入初日は――
『
『
『
『
――みたいな感じで始まる事になった。
……ほんとだもん。皆、目がそう言ってたもん。キングちゃんだけがあの時の心のオアシスだったんだもん。いやまあ、そのおかげで皆と仲良くなれるきっかけになったから結果的には良かったんだけど。
そんなこんなで。
“日本一のウマ娘”を目指す私、スペシャルウィークのトレセン生活が始まった。
毎日が輝いて見えた、奇跡のような“三年間”が。
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―――――――――――――――
――それは
最初の壁だった“ホープフル・ステークス”を経て。
年明けて、桜青めく“皐月賞”の熱もゆっくりと落ち着いて。
――世代最強を決めるGIレース、念願の“日本ダービー”が近づき始めた頃。
二人でホームセンターで買ってきた、組み立て式の棚。
ぶきっちょなせいでちょっと傾いているソレに――二つの真新しいGIカップが輝いている“トレーナー室”で。
「………」
私は窓際で、ぼんやりとトレーナーさんを待っていた。
『たづなさんに書類を提出してからそっちに行くよ』とちょっと前にメッセージが届いていたけど、やっぱり寂しい。授業時間とか寮にいる時間以外は、大体一緒にいる時間がかれこれ一年続いているからか、こういう待ち時間でも気になってしまう。
それに――あの人、すっごい方向音痴だし。不安だ。
「……トレーナーさん」
――ギラギラと輝く真昼の太陽は、少しだけの夏の温度を感じさせる。
……どこかで行き倒れでもしてたらどうしよう。やりそうなのが、私のトレーナーさんだった。
すぐに来る訳ない。でも、やっぱり気になる……。
そうやってそわそわと、窓からトレーナーさんの姿を探していると―――ふふっ、と小さな笑い声が聞こえてきた。
その声につられて、振り向くと――そこには上品にお茶を持っているグラスちゃんがなんだか微笑ましいものを見るような目でこちらを見ていた。
見れば、他の三人も。
雑誌を眺めていたキングちゃんも、ソファでゴロゴロしてるセイちゃんも。
そして、宿題を忘れた罰で宿題を増やされて必死に消費しているエルちゃんも――何だか呆れたようなニヤけてるような不思議な顔をしていた。
……あっ。
「――ッッ!」
み、皆がいる事忘れてた……!
これじゃあ私が、トレーナーさんが居なくて不安がってるさびしんぼみたいじゃん!
「あっ、あっ、ちっ、違くて!トレーナーさんが無事にここまでこれるか不安なだけで私が寂しいとかそういうんじゃあ……!」
「ふふふ〜、まだ何にも言ってませんよ〜」
「……でもまあ。実際、大丈夫かしらあの人」
「迎えに行きますー?あっ、セイちゃんはパスでー」
「ッ!それなら!このエルが華麗に――「エルは宿題をやりなさい」――……デース。怖い声出さないでくだサイ、グラァス……」
はっ、恥ずかし過ぎる……!
そしてそれをなんかいつもの事と受け止めてる皆の優しさがつらい……!
「流石にまだトレーナーさんは来ませんよ。スペちゃん、お茶でも飲んで落ち着きましょう」
「うっ、うん。そうする……」
「大丈夫よ、スペシャルウィークさん。あの人の
「そーそー。前なんかフラワーに連れられてたし」
「あの時ほど大人として敗北を感じた瞬間はないって泣いてましたケドネー」
お言葉に甘えて、私も椅子に座って。
グラスちゃんの淹れてくれたお茶で一息吐く。
……。
それにしても――この四人とは仲良くなったよなぁ。
グラスワンダー、エルコンドルパサー、セイウンスカイ、キングヘイロー。
この四人は転入初日に挨拶でひぇ〜となったのが今では笑える思い出になり、あだ名で呼び合えるようになっていた。今ではきっと親友と言って……いいのかな?
そんな私達は、予定が特に無い放課後とかはこうして、この“トレーナー室”に集まるのが習慣になっていた。
私達のトレーナー室は二人で使うにはやけに広かったから、皆と集まって何かするには丁度良く、トレーナーさんも好きにしていいよと許可してくれたので――時間が経つ内に、自然とそうなっていた。
「……それにしても。トレーナーさんの迷い癖にも困ったものですね。なんとか矯正できればいいのですが」
そう呟くグラスちゃんには申し訳ないけど無理だと思うなぁ。もうなんか体質云々とかそういう話じゃない気がする。
それに――
「私的には、そのおかげでトレーナーさんと会えた面もあるからあんまり強く言えないんだよね」
「そうなんですか?……そういえば、トレーナーさんとはどうやって……?」
「……?あれ、言ってなかったっけ?」
私が尋ねると、グラスちゃんは頷く。
気になって他の三人を見ると――宿題に呻いてるエルちゃん以外、興味津々って感じだった。
……確かに、トレーナーさんとの経緯なんてちゃんと話して無かった気がする。
「えっとね―――」
そう、アレは忘れられない瞬間だった。
「私の実家の近くに牧場があって、よく散歩でその横を通るんだけど……」
「「「うんうん」」」
「――牛さんと一緒になって仲良く寝てたんだ」
「「「えぇ……」」」
あの時はほんとにびっくりした。
一瞬、牛の花子が人間になっちゃったのかと思ったもん。すぐに知らないヒトだとわかってお母ちゃん呼びに行ったけど。
私は続ける。
――それで、すぐに起こして事情を聞くと。
社会人になる前、最後の自由時間で何かしたいと考えていた時に“テレビ”を見て、思いつきで北海道に来たそうだ。
「テレビ、ですか?」
「ほら、“ダーツの旅”って企画あるでしょ?地図に向かってダーツを投げて、当たった所に行くってやつ。それで北海道が当たったらしくて」
「す、すごい行き当たりばったりね……」
「家には世界地図しかなかったから『下手したら、アメリカとかフランスとか行ってたわっ!』って笑ってたよ」
「えぇ……」
まあ、その“
「それで何があって牧場で野宿を……?」
「居酒屋辺りで記憶が無かったみたいだから酔っ払ってたみたい。荷物もどっか行っちゃってたし」
「……よくそこから仲良くなったわね。一歩間違えなくても不審者よ」
「財布は無事だったから、中央のトレーナーライセンスがあったの」
「運が良いんだか、悪いんだか……」
そこから。
家の電話を貸してたづなさんに電話させたら――あっちは連絡が取れなくなって捜索届一歩手前の大騒ぎで、静かにキレてたり。
中央のトレーナーなら、と一宿一飯の恩でちょっとうちのスペを見てやってくれないかとお母ちゃんが言い出したり。
やからしはアレだったけど、私が懐いて“お兄さん”なんて呼ぶようになったり、お母ちゃんと意気投合して同じ一升瓶のお酒を吐き合った仲になったりしている内に。
私のトレーナーさんとして、一緒にいてくれる事になったのだ。
「……まあ、その破天荒な感じはまさしくトレーナーさんらしいですが」
「にゃははー、まあでもそういう出会いってよくなーい?なんか運命的な?」
「いや、酔っ払って牧場で爆睡してるとこに出会うのは嫌でしょ。私だったら即警察よ警察」
皆ちょっと引いてるけど――それで納得しちゃうのが、私のトレーナーさんって感じだ。
まあ、素面で“目指せ!十二冠ウマ娘”って言っちゃう人だからね、しょうがないね。
「―――ウガァァァアア!やぁーっと終わったデース!!」
エルちゃんが咆哮をあげた。
さっきまで静かだったのは宿題が最終局面に移っていたみたい。
机に突っ伏して達成感に浸っている様は気持ちよさそうだが――しなくても良かった苦労をしてるのでなんとも言えない。
「グラァス、私もお茶が飲みたいデース」
「……はぁ。まあ、いいでしょう。お二人も飲みます?」
「わーい」「ええ、頂くわ」
グラスちゃんは席を立って、お茶を淹れようとすると―――
「……あら?エルー?貴女のカップがありませんけど」
「んー?……ああ、新しいのに変えようと思って持って帰ったまま忘れてマシタ」
「あら、そうなんですね」
グラスちゃんはしばらく、辺りをキョロキョロと見回す。
「どうしましょう。予備なんてありませんし……」
「ふふん、そんな事をあろうと――今、エルに良い考えが閃きマシタ!スペちゃん!ちょっとお借りしマース!!」
「あっ、うん」
そう言って、エルちゃんは立ち上がったかと思うと――別室の方に消えて行った。
あっ、流れで返事しちゃったけどそっちに用があるんだ。
「……あれ?カップなんてあったっけあそこに」
「どうだったかしら……物がありすぎてあんまり覚えてないわ」
「まあ、あそこはお宝の山みたいなものだからねー。探せばなんかあるんじゃない?」
「あるといいんですが……」
――“別室”。
それは私達のトレーナー室に併設されてる、小さな部屋。
そこには雑多なものが溢れかえっている物置のような……場所ではない。
トレーナーさん曰く――『歴代のトレーナーが担当との思い出を隠して行った場所』との事で、どうやら昔からそういう風習になっているみたいだった。
中にあるのは、どれも古くて。
汚れてたりくすんでたりと劣化しているけど――トレーナーさんがたまに掃除しているようで、意外としっかりと形として残っているものが多い。
エルちゃんが探しに行ったカップとかの日用品もそうだし。
初心者用マジックセットやら、注釈が書かれすぎて最早何のレシピなのかさっぱりわからない料理ノートやら、書いたダジャレを延々と品評しているだけの破れかけのノートやら。
果ては、不思議な形のペンダントや何故か光ってる試験管の液体、首が無い赤チェック柄の服を着たウマ娘のぬいぐるみとか、ポーズを決めたウマ娘とトレーナーと思われる写真を収めた金の額縁とかもあった。
クローゼットもあって、中には色んな服がぎっちり詰まっている。なんかウェディングドレスみたいなのもあったけど……なんだろう、学生結婚したヒトとかいたのかな?
ともかく。
そういったような“残り物”が――過去にここにいた、ウマ娘達の“思い出”が眠っていた。
「色々あるよねー、セイちゃんもたまに借りてるもん、寝袋」
「そんなのもあるんだ……」
「うん。今はもう販売終了してるレア物の最高級シュラフだよー!アレはたまらないね!」
「貴女、勝手に……」
「許可は取ってるもーん。それにキングちゃんだってたまにブローチ出してるじゃん。なんかでっかいエメラルド付いてるやつ」
「エメッ――!?」
「な訳ないでしょ。ただの緑色のガラスよ。……なぁんか、見た事あるのよ。アレ」
「そうなの?お店とかで?」
「いえ、あの感じはたぶんオーダーメイドなのよね。……ほんと、どこだったかしら……実家……?いや、でもそれだけの為に戻るのは嫌だし……」
そんな感じで色んな物があるからか、覗いてみると――気になった物が出てくるので、私達はよく触ったり借りたりしていた。
トレーナーさんも自分の物ではないからか、壊さない事だけを約束に自由にしていいと言ってくれている。
私も――牛の形をした写真立てとか、よく眺めていた。
確かアレは実家の最寄り駅の近くにある、古めかしい雑貨店にあったものだ。あの辺の出身のウマ娘が昔にも居たと思うとちょっと嬉しくなる。
その中に収められてた写真は、汚れて殆どボケてしまってたが――沢山の重賞カップに囲まれて、トレーナーらしき大人とピースしているウマ娘が映っていた。
いつか……私達もああなりたいなぁ。
「グラスちゃんもなんかありますー?」
「気に入ったものですか?それだったら、アレです」
そう言ってグラスちゃんが指差したのは、いつの頃からか部屋の隅に置かれていた――歪んだ形の花瓶だった。たまに花を生けてるとこは見たけど、アレも別室の物だったんだ。
「わびさびを感じさせる素晴らしい花瓶です。どうしても目に入れておきたくて、あそこに」
「……その、ただ単に初心者が陶芸教室で少し失敗したヤツに見えるのだけど」
「ふふ、キングちゃん――審美眼が足りませんね」
近づいて見てみる。
わび、さび……?よくわからない。見れば見るだけ変な形の花瓶だ。
――あっ。側面に何か書いてある。
………『がんばり屋の白鳥へ』……かな?白鳥さんって人への贈り物だったのかな。
「――イイ物があるマシタァー!!」
――バタンッ!と別室から飛び出してきたエルちゃんは、やけに嬉しそうな顔だった。手には小さな箱を持っている。
「これデェス!」
そう言って箱から取り出したのは――木のマグカップだった。
「あら?エルにしては随分素朴ですね」
「チッチッ、甘いデスグラァス。ちゃんと側面を見るデース!絵が彫ってあるのデス!」
エルちゃんが自慢気に見せてくるマグカップには確かに幾つも線が彫られていて、それが絵のように見える。
……見えるんだけども。
「変顔をしたハト?」
「いいえ、スペちゃん。きっとこれはスズメが組体操している絵ですよ」
「えー、私にはフクロウが挨拶してるみたいに見えるけど」
「……キングギドラ?」
「――コンドル!コンドルですよ!コンドルが雄々しく空に向かって羽ばたいてる絵!!」
「「「「コン、ドル……?」」」」
「うわぁーん!皆の美的センスが壊滅的デース!!」
いや、どっちかって言うとそっちなんじゃ……と、思わなくも無かったが、まあエルちゃんがそう言うならそうなのだろう。
私達は生暖かい目をエルちゃんに向けた。
「うぅ……コンドル。これはコンドルデス。エルの為だけ作られたような素晴らしいマグカップなのデース……」とふてくされ始めたエルちゃんに、グラスちゃんは苦笑いを浮かべながらお茶を淹れてあげ、他の二人にも手渡した。
そうしてしばらく。
お茶を飲んでるだけの時間がゆっくりと流れると―――。
「――んんっ」
ふと、グラスちゃんが咳払いをしたかと思うと――他の三人に目配せを始めた。
それを受け取った三人は何故だか小さく頷き合っている、
……?なんだろ?
なんか妙な緊張感が……?
「トレーナーさんと言えば、私達のトレーナーのお話ですが―――」
グラスちゃんがそう切り出してきた。
……トレーナーの話?
確か……。
グラスちゃんとエルちゃんは、チームに所属していたはずだ。
チーム名は――“リギル”。
見るからに苦労人な仕事人って感じの―――“
その実績は折り紙付きで、ルドルフ会長だってリギルに所属していた。
「私とエルはチームトレーナーさんですから、やはりマンツーマンとはいかず……」
「それに見合ったアドはあるんですケドネ。先輩方と気軽に併走とか出来ますし?でも、最初は“曰く付きのチーム”ってことでちょっとドキドキしマシタ」
「“
聞き慣れない言葉に、首を傾げた。
そんな私に、キングちゃんは「あら?知らないの?」と教えてくれた。
「あのチーム――“リギル”はトレセン七不思議の一つなのよ」
「七不思議?……トレセンにもそんな怪談みたいのがあるんだ」
「そうだよー。なんなら、スペちゃんのトレーナーさんも七不思議に入ってるよ?」
「七不思議なのに!?そういうのって昔からのお話じゃないの!?」
「あんまりにもアレだから更新されたんだねー」
びっくりな私に、セイちゃんが“トレセン七不思議”を語る。
――― ―――
一つ、校内で写真を撮るとたまにダブルピースで映り込んでくる謎のウマ娘。
二つ、別館三階にあるエナドリだけがどうしても買えない自動販売機。
三つ、具合が悪い時に眠るとたまに“草原の夢”を見る保健室。
四つ飛ばして。
五つ、一人だけトレセン学園が不思議のダンジョンと化しているスペシャルウィークのトレーナー。
六つ、スペシャルウィークのトレーナーを見かける度に襲いかかるゴールドシップ。
そして七つ目が――運営実態の無い、書類上だけの“
――― ―――
………。
――私のトレーナーが二つも登録されてるんだけどぉ!?
いや、一つは巻き添えじゃん!ゴールドシップさんのせいじゃん!確かに理由は………わからないけども!
「三つのチーム――“リギル”“カノープス”、そして“スピカ”。この三つは書類上にしか存在しない、幽霊チームなんだよ」
「誰かがこっそり作ったって事?」
「と、いう説もあるね。評判が悪かった昔の理事の一人が、お金を横領する為に作ったペーパーカンパニー的な物が今の今まで残ってた……ていう説」
「まあ、たづなさんが言うには数年前の繁忙期に一人一人のミスが重なって――偶然出来た、というのが現在の運営では有力らしいわ。その時は本当に、目が回るほど忙しかったみたい」
「でもそれじゃあ、七不思議にはならないでしょ?そうなる、
――と。
そこでセイちゃんが、ニヤリと笑って一度言葉を区切った。
あっ、マズい。この時のセイちゃんは大抵、ロクでもない事しか話さ――
「――三女神に攫われて、世界から存在を消された……なんて噂があるんだよねー」
………。
いや、こわっ……。
「えっ、えっ……なにそれこわい」
「でしょー?こういうの定番だよねー」
ケラケラ笑うセイちゃんに、グラスちゃんは続ける。
「ですが、最近になって――そういう“曰く付き”のチームを放置しているのは風紀上良くない、という事で。理事長が当時のルドルフ会長のトレーナーだった、今のチームトレーナーに譲渡して運営して貰っているのですよ。怖い噂を払拭させる為に」
な、なるほど。
現にそれは成功してるわけだ。だって私はそんな事知らなかったわけだし。
「ですが、そこでルドルフ会長のトレーナーに任せたせいで――指導されたい生徒が殺到して……まあ、私達がそうですが」
「そうなのデース。たくさんのウマ娘を抱えているせいで、個々のケアがあまり上手くいっていないのが現状なのデース」
「ああ、どうしましょう。このままでは私達、きちんとしたトレーニングが出来ないまま埋もれてしまうかもしれません……」
「そうなのデース。埋もれてしまうデース……」
はぁ……とグラスちゃんは溜息を吐いた。
それに続くように、わざとらしくエルちゃんも溜息を吐いた。
………。
……ホープフルも皐月賞も万全の状態で出走してきたのはいったいどこの誰だったのかな?
「あー、何処かにいないものでしょうか。こんな哀れなウマ娘を引き取ってくれる心優しく精悍で大和男児なトレーナーさんはいないのでしょうかー……」
「デース……チームトレーナーも『引き取ってくれるなら申し訳ないが大歓迎だぞ!あの後輩なら文句はない!丁度、あと二つチームが空いてるから書類自体もスムーズだしな!』って言ってたデース……」
――チラッ?チラッ?
………。
なんだか、意図が読めてきたぞ。
「――そういえば、セイちゃんのトレーナーさんってどういうヒトなんだっけ?あんまり姿見ないけど」
「あー?話逸らしたなー?」
知らない。逸らしてない。そんなの知らない。
でも知ってるもん。確かに“リギル”はぎっちぎちにウマ娘を抱えてるけど、一人一人ちゃんと見合ったトレーニングを、チームトレーナーが寝不足ながらしっかり指導してるって。いいとこだって。
……そういえばトレーナーさんが、『あんまりにも増えすぎたから将来性のあるウマ娘は優秀なトレーナーに“特別移籍”するって話を聞いたよ』って言って―――ああ、知らない!そんなの知らない!
「セイちゃんのトレーナーは、大ベテランのおじいさんなんだよー」
「大ベテラン?」
「そ。勤続数十年、その間に獲った重賞カップは数知れず。知るヒトぞ知るトレーナー」
「へぇ~」
セイちゃんがたまにおじいさんと話してる所は見てたけど、あのヒトだったんだ。
「でも、殆ど名義貸しみたいなもんなんだよね」
「そうなの?」
「うん、私がそう頼んだの」
「……よくトレーナーを引き受けてくれたね?」
「いやぁ、共に渓流で魚を釣り合った仲はデカいってわけだねー。まあ、本人も定年間近で、あんまり本腰入れられないからって。利害の一致って感じ?」
セイちゃんはそして――ニヤリと笑った。
………。
――この子も敵だったか。
「でもぉ、体調的にね?やっぱり不安があるそうでね?任せられるなら任せたいって」
「………」
「『優秀な奴ならいいぞ。ホープフルと皐月を無敗で獲った奴なら特にいい。なんなら外野が騒がないようにチーム結成推薦状の一つや二つ書いちゃる。スカイが信頼できるってんなら、俺も信頼できるしな』って」
「………」
「――って!」
――チラッ?チララッ?
「……。……――き、キングちゃんの」「聞きたい???」「ああ、いえ……やっぱいいです……」「聞きなさい」「……はい」
くそぅ、やっぱりやぶ蛇だったか……!
後悔してももう遅く、キングちゃんの表情を見るに――かなり話したい内容があるらしい。
……でも、彼女は別にチームでも、大ベテランさんじゃなかった気がするけど。
「キングちゃんのトレーナーって、私の!トレーナーさんと同期のヒトだったよね?ちょっと気弱そうな感じの女のヒト」
「ええ。知識はあるけどちょっと腰が引けてるのよ。でも、変に頑固で時折押し通そうとする気概もある……まあ、へっぽこだけど良いトレーナーだわ」
そう言うけど、お茶で口を湿らせてる姿は不満気だった。
「……でも最近、“ホープフル・ステークス”と“皐月賞”で相対した何処かの新人トレーナーさんに感化されたみたいでねぇ……」
あっ……。
「もうやけに神聖視っていうか――神様とでも思ってるの?ってくらい意識しちゃって『あの人をチームトレーナーにして、私がサブトレーナーって感じはどうかな!?絶対上手く行くと思うんだけど!』なんて言うから、この私が選んだトレーナーがそんなナヨナヨした事言うものではないわこのへっぽこ!ってお尻に蹴り入れてあげたわ」
「あ、あはは……」
「はぁ……でもね?あのヒトったら諦めないのよ。……いっそ私共ども引き取ってくれる甲斐性が、その新人トレーナーさんにあれば全部解決するのになぁ、って思うのよね。どう思う?」
「……あ、諦めたらそこで試合終了……かな?えへへ……」
「そう?」
――じぃぃぃぃ。
ガン見だ。もうガン見だ。
他の三人みたいな建前かなぐり捨ててるよ相当本気だ……!
「「「「…………」」」」
「………」
「「「「…………」」」」
「………」
「「「「トレーナー、くれない?」」」」
「――あげませんっっ!!!」
私は立ち上がって声をあげた。
当然だった。残当だった。
「ふふふ!逃しはしないのデース!このエルコンドルパサー!狙った獲物はコンドルのように逃さないのデース!」
「全然カッコ良くない!それにやってる事、ハゲワシとどっこいだからね!?」
「ノン!コンドルデース!」
「いやー、二人の関係を見てると……なんか、良いなぁって思うのさ。最初はトレーナーなんていてもいなくても同じだーって思ってたんだけどさー……」
「セイちゃんと概ね同意見です。トレーナーとウマ娘は信頼すべきですが――それはあくまでビジネスライク。理論と技術、あとは好ましい信念があればそれでいい……そう思っていましたが……」
「「ねぇ?」」
「それでも親友のトレーナーを狙うのはどうかと私は思うんだけどな!?」
もう!もう!なんてこと!
まさか、トレーナーさんと皆が仲良くなっていた裏側でこんな事を画策していたなんて!
確かにトレーナーさんは――お兄さんは良い人だ。
誰に対しても優しいけど常に私を最優先に行動してくれるし、私がレースに出るなんて事になれば最前席で誰よりも大きな声で応援してくれる。他にも補習を手伝ってくれるし休日のお出かけだって付き合ってくれるし私がちょっと体調を崩したって聞いたら心配で寮に忍び込もうとして簀巻きになって転がされたりもする!
とってもとっても優しくて、だいすっ………お兄さんだけれども!!
そんなトレーナーさんを近くに見せられたからって外堀埋めてチームを作らせようとするなんて、そんな悪辣な行為に手を染めるほど欲しくなるなんて、そんな……そんな………。
……いや、皆の立場で考えればちょっとわかっ――ああいや、絆されない!親友だからって絆されない!
……っ!そうだ!
「ともかく!皆、ダメだからねっ!」
「エー」「スペちゃんばっかりズルいですー」「そーだそーだ、独占禁止法だー」
「だぁまらっしゃい!――スズカさんを見習って!あのヒトはそんな事しないんだから!」
同室の憧れの先輩――サイレンススズカ。
そのスズカさんも、皆と一緒に良くトレーナー室に集まったりもしているが、そんな素振りは一切感じられない。
それにあんな真っ直ぐなヒトがこんな姑息な事考えないと思うし!
私がそう豪語すると――何故か、四人ともお互いを顔を見合わせた。
そしてこっちを見る。
「……なに」
また顔を見合わせる。
そしてこっちを見ると――
「「「「いやいやいやいや」」」」
めちゃくちゃ手を振って、否定してきた。
「いや、スズカ先輩の方がとんでもないと思いますよ」
「あのヒトはちょっとヤバイデース」
「あれは自覚ない分、私達より質が悪いというか」
「気をつけなさい。ああいう手合いはほっとくと掠め取ってくるわよ」
「な、なにさ。皆して、そんな訳―――」
――ガチャンッ。
その時、ドアノブを回す音が聞こえた。
振り向くと――
「ごめんねシャルウィちゃん、待たせちゃって。でも、聞いて!今日は誰にも道を聞かずにここまで来れたんだぜ?いやぁ、やっぱり俺もまだまだ若いって事だよネー。有能トレーナーですまない!」
私の……そう、私の!トレーナーさんが機嫌良く入ってきた。
どうやら今日は一人で来れた事を喜んでいるよう……だ、けど……?
「「「「あー……」」」」
「あっ……あっ……!」
「……?皆どしたのさ、そんな顔をして」
「トレーナーさん、横……!」
「――横?」
トレーナーさんは私が指差す方向を辿る。
そこには――
「………?どうかしましたか?」
――トレーナーさんのスーツの裾をちんまり摘まんで隣にいる、スズカさんが居た。
「………」
「………」
「……居たのか、サイレンススズカ」
「……?ええ、いました」
「……もしかして、気がついたら俺が部屋の前にいたのは」
「ふふっ、はい。ちょっとだけ引っ張って案内させて頂きました。集中してましたので邪魔するのもどうかと思いまして」
トレーナーさんにひっそりと寄り添っている。
――ワンアウト。
「そっか……そっか。無能トレーナーですまない……」
「いいえ。スペちゃんのトレーニングメニューを考えていたんですよね?真面目な顔で……素敵でした」
そっと腕を撫でる。
――ツーアウト。
「そっ、そうかな?」
「はい。とってもとっても素敵で……私、ちょっとスペちゃんに――」
顔を寄せて、優しく囁く。
――スリーアウト。
ふぅ………――
「――スズカさんっ!!」
「きゃっ……もう、なあに?どうしたのスペちゃん」
「伏兵だったんですね!私がぼぉっとしている内にぱっくんちょするつもりだったんですね!そういえば“リギル”でしたねスズカさんも!信じてたのに!」
「えっ、ええっと?」
「ちょっ!ほらほら、どうしたのシャルウィちゃん。そんなかっかして」
スズカさんに詰め寄る私に、トレーナーさんはすっと間に入ってくる。
そして、その優しげな瞳と目が合う内に――
「うぅ……!お兄さぁん!皆がいじめるぅ……!!」
「おぉっと、と」
気がつけば、泣き言を吐きながらトレーナーさんの胸に抱きついていた。
困惑しながらも、すぐに優しく抱き留めてくれる。
そう!この匂い!この感触!――私の!私だけの!トレーナーさん!である!
トレーナーさんは少し私の頭を優しく撫でると。
「こらー?なんかしたなー?」
「「「「……ごめんなさい」」」」
「うちのシャルウィちゃんが打てば響くような可愛い性格してるのはわかるけど、あんまりからかい過ぎないように。いいね?」
「「「「……はーい」」」」
可愛い!トレーナーさんが私を可愛いって言ってくれた!
そうか!つまり私はこれから誰かに泣かされれば可愛いって………いや、泣かされるのは嫌だ。別の方法を考えよう。うん。
トレーナーさんのスーツのネクタイをグリグリしながら考えていると――ぽんぽんっ、と肩を叩かれた。
「ほら、皆が謝りたいって。許したげな?」
……まあ、確かに。
私もちょっと大げさだったのかもしれない。
皆もちょっとこうなりたいなぁ……みたいな願望を言っただけで本当にそうなりたいなんて思ってないだろう。チーム結成も“特別移籍”もそう簡単に出来る事じゃない。
なんだ。私がちょっとした世間話に反応し過ぎただけだったか。
それは流石にごめんなさいだ。私も皆に謝ろう。
そう思って、抱きついたまま顔だけ振り向くと―――
「
「
「
「
謝ってない!謝ってないよ皆!
目がそう言ってるもん!反省皆無じゃん!
やっぱりキングちゃんだけだよ、私の心のオアシスは……!!
「……シャルウィちゃん?」
ぐ、ぐぬぬぬぬっっ……!!
今だけは私以外には鈍感なお兄さんの瞳が憎らしい……!
「
――私達は笑い合った。
――私達はこの件に関してもライバルだと判明しただけだった。
ただそれだけの事だった。
「――よしっ!」
パンッ、とトレーナーさんが手を叩く。
「それじゃあ、作戦会議にしようかシャルウィちゃん。次は“日本ダービー”、世代最強を決める大一番だからね。しっかり根を詰めよう」
「……そうですね」
私が返事すると――皆もぞろぞろと移動を始める。部屋から出るんだろう。
――
この四人もまた“日本ダービー”に出走する。最強を決めるGIレース……そこでしのぎを削るのだ。
私達は、学園の中では一番の親友……しっ、うん……親友、のはずだ。親友でも分かり合えない事があるだけで親友だ。うん。
だけど、“ターフ”では――一番のライバルだ。
そこに友情も何もない、純粋な感情だけがある。
――勝ちたい。そんな剥き出しの感情が。
私の視線に気づいた皆は、静かにこちらを見つめ返してくれた。
さっきまでの「……スペちゃんずるいです」の視線から一転、強い戦意を感じる。
――“日本ダービー”。
きっと、今まで以上に大変で、自分の全てを注ぎ込んでもなお足りないかもしれない――キツイ勝負になると思う。
でも、だからこそ。
――とっても楽しみだった。
あの、大歓声。
夢にまで見た、あの栄光を獲るのは――私達だ。
「「「「………」」」」
「………」
「「「「………」」」」
「……あのぉ、皆?私達、作戦会議するから部屋の隅じゃなくて――」
「「「「――あっ、お構いなくー」」」」
「お構いするから言ってるんだけど!?なに堂々と聞き耳立てようとしてるの!?」
「あっ、サイレンススズカー。俺の椅子占領してないで、君も部屋出てねー」
「………えっ」
「だって君、世代は違うけど“リギル”じゃないか。情報漏洩情報漏洩」
「あっ……。……じゃあ……――“リギル”やめます」
「ワァツ――!?」
それから一時間ほど、出てく出てかない攻防があった。
あったものの。
――“いま”では、いい思い出だ。
――――――――――――
――身体の揺れを感じて目が覚める。
のっそりと顔を上げると――苦笑しているグラスちゃんと目が合った。どうやら私は授業中に爆睡決め込んでそのまま起きなかったらしい。
次の時間は移動教室だから、と起こしてくれたようだ。
私は慌ててお礼を言って、すぐに用意して廊下に飛び出すと――エルちゃんとセイちゃんも待っててくれていた。
二人にもお礼を言って、私達はたわいもない話をしながら、移動先の教室に向かう。
「――おーい!」
そこで声を掛けられた。
振り向くと――トレーナーさんが。
「あっ……」
こっちに向かって、手を振って近付いてくる。
その姿は私のトレーナーさん、そのままで―――
「トレッ――」
「――あーっ、よかった。ジャラジャラ、ちょっといいかな?」
そのまま、通り過ぎた。
私の口から飛び出したなにかなんて、気にも止めないで。
「あれ?トレーナー室でぶっ倒れてたんじゃ?」
「モブ子から聞いてた?恥ずかしい限りだぁ。寝てたらちょっちマシになってね。散歩ついでにうちのモブ子に朝の挨拶をって探してたんだけど……ここまで来るのに色んな子にお助けされるハメに……」
「あはは……リトルちゃんなら、朝のホームルーム前にたづなさんに拉致されてましたよ?連絡きてません?」
「連絡……あっ、来てた。……第三会議室?ってぇ、どこ?」
「この棟ではありませんね。一回、中庭に出た後に本館に入って右側の階段を上がった先の左から二番目の部屋です」
「……成る程、理解した」
「………」
「………」
「……案内しましょうか」
「はい、お願いします……」
トレーナーさんはそのまま、ジャラジャラさんと一緒に――私の前を通り過ぎた。
私は……私は、こわくて。目を伏せてしまった。
私は、さっきなんで声を掛けようとしたんだろう。
……そんな訳ないのにね。
ここが“夢”なんかじゃない――ここが“現実”なのに。
「……そういえば、今ここにいるって事は移動教室なんじゃ?」
「えっ?はい、そうですけど」
「じゃあ、俺を案内してたら……」
「まあ、遅刻ですね」
「……その、やっぱり謹んで辞退いたしますです。俺だけが見える謎のウマ娘ちゃんにお願いするじゃんね」
「いや、なんですかそのオカルトは。いいんですよ、このぐらい。そんくらい――トレーナーさんには恩があるんです」
「恩?……俺、ジャラジャラになんかしたっけ?」
「――
「そうなの?……ちなみに聞いても?」
「恥ずかしいから言いませーん」
私は、トレーナーさんの背中が見てられなくて。
――隣の皆に話しかけた。“いつか”ではない、“いま”の皆に。
たわいのない会話。
どこか、なぞるようなレールを進むような安心感。
私は――それにすがるしかなかった。
……いっその事。“夢”なんて無ければよかったのかな?
そうすれば――あの人は、ただの気の良いトレーナーさんで。
そうすれば――皆は、“いつか”も“いま”もない、心からの親友で。
もっと、もっと楽しく過ごせてたのかな。
――でも。
なのに。
どうして――それでも、忘れたくないなんて思っちゃうのかなトレーナーさん。
この気持ちにもっと向き合えば良かった。
また“先”があるって恥ずかしがらずにちゃんと、心の奥から溢れる感情に。
……貴女の言う通りでした、ゴールドシップさん。
珍しく話しかけてくれたのを、もっと気にすれば良かった。
――機会を逃せば、先なんてねぇぞ。なんて。
もう、ダメなのかな。
「―――ていう事で、バ場の読み合いに関しては分かりましたね?では、次にモブリトルさんが今回走るレース場についてですが―――」
「………」
「―――ここ一週間の天気予報を鑑みれば、良バ場。に、なると思います。ですが違うサイトでは雨予報もありました。そうなるとそれを踏まえた―――」
「……あの」
「―――このレース場は中山を―――」
「……あの、たづなさん」
「――はい?」
「いや、だからたづなさん」
「たづな……
「………。……たづな“
「――はいっ。なんですか、モブリトルさん」
「なんで、私は座学をやってるんでしょうか」
「それは貴女が、トレーナーさんのウマ娘だからですよ?」
「――理由になってないですよね!?」
たづなさんに拉致られて、一時間ちょい。
何故か私は、たづなさんからみっちり座学を仕込まれていた。
この会議室に連れてこられた時はガチで死ぬかと思った。
トレーナーにヘルプを送ったし、ジャラちゃんに遺書を送ったりもした。前者は未読でそもそも気づかれず、後者は既読無視されたけど。
だけど説教どころか、椅子に座らされたと思えば――ドンッ!と目の前の机に置かれたのは、レースに関する教材の数々。
そして、ふんすっふんすっ、と得意気にホワイトボードを引き摺ってくるたづなさん。
すぐに有無も言わせず始まったのが――これ。
挙げ句――先輩呼びと来たもんだ。どういうこっちゃねん。
「理由云々は今は関係ありません」
「いや、あるでしょう」
「ないんですっ。貴女はこれからメイクデビューなんですよ?最初の一歩が肝心と良く言ったものです。万全を期さないと……」
「いや……まあ、そうなんですが……その、たづなさん」
「………」
「たづな先輩……」
「はいっ」
「たづな先輩には、関係ないですよね?」
「……?」
何故、小首を傾げられねばならん?
えっ、私間違えた事言った?
「えっと、たづな先輩はその、理事長の秘書なんですよね?」
「……?はい。理事長のお仕事の補佐と、中央トレセンに所属しているトレーナーさん達のサポートをしてますね」
「んで、私は――
「ええ、そうですね。なら――
「………?」
「………?」
私が、間違えているの……?
なんか時空歪んだりしてる?いつの間にか異世界転移した?
「……まあ、冗談はさておき」
えっ、冗談だったの。
100パーガチ顔だったよね?むしろ、貴女が間違えてますよ?って伝えてる顔だったよね?
「モブリトルさんが困惑するのはわかります。でも、今は何も聞かずに受け入れてほしいんです。それに悪い話じゃないでしょう?」
「はい?」
「あの人の事です。まずは実感とばかりに、座学は後回しでトレーニングばかりやっているでしょう。モブリトルさんのような方には、まず自分に自信を持たせる事が大事ですから」
いや、まあ――確かに。
今の今まで、トレーニングに次ぐトレーニング。
座学は、筋肉痛で動けなかった時にさらっと触りを教えて貰った……というか、私が勉強してたのを復習した程度だった。
……言われてみれば、毎日鏡の前で自分の身体が締まって来てるのを見るのが嬉しかったし、徐々に走りも上手くなってるのも楽しかった。モチベにバリバリ繋がった。
「たぶんですが、メイクデビューを終えるまではこのままの方針でしょう。ですが、そのままではダメなんです。それは――強いウマ娘だからこその理論です」
「……つまりは、私はそれだけでは勝てない、と」
「はい」
「即答で芝」
……うん。まあ、その通りか。
私がどれだけ身体の調子を整えても、走りを上手にしても――他のエリートウマ娘共にとっては、とっくに通った道でしかない。
私がなんとか100に到達した所で、奴らは200、300。いや、もっと上にいるだろう。
「……それでも何とかしそうなのが、あの人ですが……」
「……?」
「――ともかく。そういう訳で、こうして私が知る限りの知識をお教えしています。疑問をいったん忘れて、受けてみる気になりませんか?」
……んー。
まあ、ありがたいはありがたい……か?
トレーナーに不利益が被る訳でも無し、むしろ私が賢くなる訳だし?
でもなぁ……。
「……なっ、なんです?」
「なんか、企んでますよね?」
「いっ、いえ!?べっ、別に!?」
「下手くそか」
「……だっ、だって。一定の成績を収めてくれないとチーム結成出来ないし、それじゃあ私がサブトレーナーを兼任してあの人の側にいる事が……しょっ、将来的にはそうなってたはずだし?せめてそのぐらいは……」
なんか、うだらこーだらブツブツと自分の世界に入り込むたづなさん。
――特に嫌な感じはしない。
私は底辺ズにいるからそういうのには詳しいんだ。
下に見られてたりナメられてるのって意外に気づくもんだよね。
……まあ、変なたづなさんだけど。助かるのは確かだ。
ここはしっかり学んで………――
――ん?
あれ。
そういえば、たづなさんって――ピンクの腕時計してたんだ。
全身緑のエレベーターガールみたいな格好してるから紛れて気づかなかった。意外とガーリィな趣味。アクセントになってて可愛い。
………。
……なんかアレ。私達の“トレーナー室”で似たようなの見たな?あの物置で。
――めっちゃボロボロだったけど。
あそこなぁ。
掃除したいんだけど――その気が失せるくらい陰な雰囲気であんまり触りたくないんだよなぁ。
日用品っぽいのは大抵壊れてるし、なんかの写真は紙切れで何だかわからんし。クローゼットの中に至っては虫食いだらけで服が哀れなもんだった。私の書き初めを飾ってる額縁だって、材質が金だったから生き残ってただけだろアレ。
つうか。
陰の雰囲気に拍車を掛けてるのは、そのゴミ山に埋まってた――一冊の“黒いアルバム”だよね。
表紙にトレセン学園の印章が刻まれてるアレが――なんか鎖でグルグル巻きで南京錠まで嵌めてあって。
呪われた魔法書かよ。マレフィセントぐらいだろアレ持ってるの。
なぁんか。元は良さげな感じなのがなぁ。
高く売れそうなのになぁ……残念。
「――んんっ!それで、いがかでしょう。モブリトルさん。私の話を聞くになりませんか?」
あっ、戻ってきた。
「……ちょっと怪しいですが――お願いします。その、私。トレーナーに報いたいとは……思ってるんで」
「――そうですか。ならば、厳しく行きますよ。後輩としてしっかり着いてくるように」
「はい!……って、結局なんで先輩呼びなんです?」
私がそう尋ねると――何故だか、たづなさんはちょっと恥ずかしげに。
「あー……その、先輩って親しげに呼ばれるの。ちょっと憧れだった……感じですかね?私、そういう意味では結構灰色の青春でして……」
「――頑張りましょう、たづな先輩っ!!」
「っっ!はいっ!」
……すんげぇ、嬉しそう。
どんだけ悲しい青春送ってたのこのヒト。めっちゃ人好きしそう、つうかしてるのに。学生の時なにやってたのさ。
たづなさ……先輩は、もうそれはそれはニコニコでホワイトボードに向き直ろうとすると――
――ぴろんっ。
携帯の着信音。
私かと思えば――そうではなく、たづな先輩のだった。
「うーん……?ああ、貴女のメイクデビューの出走者が決まったみたいですね」
「出走者?ああ、そういえば今日でしたね」
「………」
「なんですかその神妙な顔」
「……モブリトルさん。予定が変わりました。これからの座学を、ちょっと多めに開催しますよ」
「えっ、いいんですか?ありがたいですけど……だって、そっち普通に仕事が――」
「――理事長秘書特権でどうとでもします」
「しょっ、職権濫用……!」
「大人の処世術と言ってください」
――はい、と見せてくる携帯の画面。
その中には、私の名前と一緒にウマ娘の名前が連なっている。
ふむふむ。
出走者は、どれも無名の頑張り屋さ――
「――げっ……」
その最後。
表示されている名前に、私は声を出さずには居られなかった。
こりゃあ確かにたづな先輩も増やそうとか言うわ。
それは私の嫌いなエリートウマ娘共の一人。
その名前は――――――
繧ウ繝ュ繧ウ繝ュ……繧ウ繝ュ繧ウ繝ュ……
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サイレンススズカ
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ナリタタイシン
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ライスシャワー
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ア■■■マ■■■ン