ある新人トレーナーは、三女神に囚われた。 作:まやキチ
中央・日本トレーニングセンター学園。
その理事長に就任した時、まあまあやっかみがあった。
当然だろう。
未熟な小娘を頭と仰ぐにはいささか以上に抵抗のあることだ。
しかもそれが、トレセン学園に大きく貢献した者の娘となれば尚更の事。
非難、やっかみは起こり得るに決まってる。
わかりきった事だった。
――それを理解していても、私はこの椅子に座る事を望んだのだ。
理想が私の胸にあった。
――ウマ娘たちをよりいっそう輝かせたい。
全ての、全員が、その実力を発揮し、ターフを駆け抜けて欲しい。
競争の世界だ。必ず敗者は存在してしまう。
だが、その敗者も最後は笑って勝者を祝福し、自らを誇れる世界を作りたい。
そう思い、そう願い。
私は、七光りと嘲られようともこの地位にかじり付いたのだ。
無論、最初は大変だった。
しかし、それでも諦める事は決してしなかった。
徐々に――私の理想を望んでくれる者達が増えた。
共に分かち合い、共に助け合い、努力する。そうした者達と共に働ける事に確かな喜びを見出した。
道のりは遙かに遠い。
だが、いつの日か果たされるのを
私はこの“三年間”に賭け、駆け抜けるのだ。
今日も今日とて、理事長として責務を果たす………ぅ……
「トゥインクルシリーズの特例出走の件について、委任状と署名を集めてまいりました。確認をお願いします、理事長」
………うん。
――現実逃避はそろそろ終いにするか!
ため息を堪え、こうありたいような清々しい青空から視線を切る。
理事長室。
私の机と、秘書のたづなの机、そうして――
あとは良くあるようなその他諸々が並び立つ広くとも簡素な部屋には、一人のウマ娘が書類を抱えて、立っている。
――シンボリルドルフ。
この学園の生徒会長にして“無敗のクラシック三冠”を達成したウマ娘。名実共にこの学園の最強の名をほしいままにしている。
まさしく!“皇帝”とも噂されるにふさわしく華々しい活躍が期待された……そんな、ウマ娘だったのに。
「………」
どうして、こうなったのだろうか。
何も映さないような目が、私を貫く。
「……拝見しよう」
渡されたソレらは、もう受け取るのも億劫になるほどの分厚さ。
――それだけのウマ娘たちが、トレーナーを求めていないという事実がひどく悲しかった。
名前は……想像した通り。
今年有望株として名高い皆……ああ、フジキセキ寮長にヒシアマゾン寮長、君達もか。
追従する子が出ないと良いんだがな……はははのはー……はぁぁぁぁ。
半ば諦観に浸りながら、記入漏れで少しでも弾けな――おっ、スペシャルウィークの記入欄が一つずつズレてるぞ!ヨシッ!一人減ったな!ガハハ!
……後でちゃんと伝えてやるか……。
そうこうしていると、たづなが視界の端に映り込んだ。
「……合計、何名ほどですか」
「六十名ほど」
……やよい、もーかくにんしたくなーい。
「……そんなに」
「中には、“今のところはそのつもりだが、トレーナーを捕まえれば取りやめる”という者もいます」
「……だからなんです?実数よりも少ないから安心しろとでも?」
「………」
……たづながキレた……。
口調こそ落ち着いているが、圧が……圧がヤバい。昨日と同じくらいじゃないのかこれ。
……しょうがない事か。
彼女は――
受け入れがたいのだろう。
「――たづな」
だが――約束は約束だ。
シンボリルドルフは選手生命をなげうってまでこの話を進め、理事会を説き伏せ、厳しい条件の中、こうして署名も集めた。
我々の感情はともかく――約束とは、果たすものだ。我々の感情はともかく、我々の感情はともかく。
うん、そうだ。我々の感情はともかく。
「例の会見と合わせて発表する。メディアへの根回しは?」
「……センセーショナルな話題なので、そこは滞りなく」
「僥倖ッ!ではさっそく纏めよう。理事会を召集し、ある程度すり合わせを行う。たづなはそれと合わせ――今から各バ場の確認に行ってくれるか」
「…………わかりました」
言外に少し落ち着いてこい、と伝える。
たづなは不承不承といった具合で、理事長室を出て行った。
うーむ、本当に苦労かける。一緒に頑張ってきた身としてはつらい事だ。
後で、めっっっちゃ高い料亭予約しとこ。理事長権限ッ、経費で。
またよくわからん昔話に付き合わされるんだろうが、これもまた上に立つ者の務めだろう。
「………」
「………」
たづなが出て行って、部屋は静まり返る。
シンボリルドルフはただ、静かな目でこちらを見つめていた。
「お手数をお掛けして申し訳ありません」
「無論ッ!……とは言い難いが、気にするな。君は約束を果たしたのだからな」
「……ありがとうございます」
それは本当の事だ。
私としてはアレな提案であることは認めるが、ちゃんとスジを通したのだから否はない。
……それより、この所――シンボリルドルフの元気がない事の方が気になる。
いつもの落ち着いた大樹のような姿は成りを潜め、強風で花を全て吹き飛ばされた桜のように。暗く、沈んでいる。
どうしてだろうか?この件でか?
いや、そもそもこの話は――彼女がメイクデビューする前、二年前より提言してきた内容だから違うか。
うむー、思春期かッ!
「……では、この件を宜しくお願い致します」
「承知ッ。あっ、この件の発表はどうする?一緒にこちらがやってもかまわんが」
「いえ、それは私がやりましょう」
「再度承知ッ」
彼女は、「失礼しました」とするりと踵を返した。
部屋を後にしようとするその背中を眺め――ふと、私は待ったをかけていた。
「どうしました?」
「行く先々で聞いた事だろう。だが、私も聞かねばならん事がある」
「……なんでしょう」
「――
「………」
「事実ッ。……確かに。君と彼女はウマが合っていなかったのは知っている。だが、そんな中でも“無敗の三冠”という偉業を成し遂げたではないか」
シンボリルドルフは応えない。
――静かに、こちらを見つめる目はかすかな悲しさを滲ませていた。
ふと、流れる沈黙。
何を考えているかは分からないが――酷な事を聞いたのは分かった。
なんでもない、と退室させようとする前に。
「理事長は……」
「……?」
ぽつりと囁くような呟き。
彼女にしてはやけに幼く、縋るような言葉。
「あなたは――“
私は少しだけ、言葉を探した。
一瞬吐き出そうとした言葉を飲み込み――私としてではなく、“理事長”としての言葉を紡ぐ。
「否定ッ。そういう類は自らの手で掴み取り、至ってから初めてそう呼ぶものだ」
そうでなくてはならない。
そうでなくては――生徒達全員が輝くという理想など、夢物語に消えてしまうのだから。
全ての生徒を支える“理事長”として、当然の事だ。
シンボリルドルフは静かに頷いた。
そうして――嘲るように笑った。自らを嘲るように。
「
彼女は今度こそ部屋を出て行った。
「……うーむ」
残ったのは、やけに重く感じる書類の束とこれから起こり得る様々な厄介事に関連する胃痛。
それと――寂しさ。
「……“運命”か」
不意に、横に視線を向ける。
それは私が
「ああ……信じているさ」
それは私が理想を夢に見た際に用意した、真新しい机。
未だ誰も座らず――
「信じて……いたんだがなぁ……」
あの日。あの夕日の中。
――
私の理想を果たしてくれた、あの“運命”は――
「喜ばしい事なのだがな……君に担当ができたことは」
結局はただの夢物語。
それが、ただただ――悲しかった。
…………
………
……
お昼ご飯。
ウンスが突然泣き出した事は、ただの地獄の始まりだった。
駄々っ子みてぇに泣くあん畜生。
目の前で泣かれるのは気分が悪いので、何とか泣き止まそうとする私の耳に入った――誰
頭をよぎるのは嫌な予感だった。
振り切るように勢い良く振り向けば――まーまー。
皆、泣いてる。
――なして!?なしてぇ!?!?
私の中のスペシャルウィークが迫真の叫び声を上げる。この時点で私のご飯の時間は取り上げられたのだ。
くそっ!どうなってる!?
おいスーパークリークパイセンは!?あの母性だけママのお腹から先祖と子孫の分まで根こそぎ奪って産まれたあのオギャリストはど――畜生!アイツも泣いてやがる!?
ねぇ、フジキセキ寮長とか呼んで来て誰か!えっ、さっきお蝶夫人みたいな驚愕顔してどっか行ったって!?使えないなリアル宝塚記念は!?
あっ、ゴールドシップさん!あんたまた何かしました!?えっ?「煮物と不可侵条約結んでる?」いや知らないですよ!何ともないなら手ぇ貸し……どっか行かないでぇ!
……あっ、メジロマックイーン。えっ、なに?大変そうねぇ?……あの、煽るか泣くかどっちかにしない……?
――現場はまさしく地獄。
とりあえずオロオロしている白衣姿のトレーナーに応援を呼べと蹴っ飛ばして、周りの皆となんとか宥めまくってまくってまくって。
一時間ほどで何とか場を収める事ができたのだ。奇跡と言っていい。あの時女神様は私だけにちゅうしたわ絶対。
しかし、そのせいで私はお昼は少ししか食べられないわいつの間にかウマ娘宥め隊の陣頭指揮を担っていたせいか教師に事情聴取に駆り出されるわで――
もう、もぉぉぉう、大変だったのだ。
「はぁぁぁぁぁぁ」
お昼過ぎ。
事情聴取から解放された私は、レース場まで足を進めていた。
午後はトレーニングの時間。トレーナーを持つウマ娘にとっては大切な時間。だからこそしっかりとお昼を取って頑張りたかったのに……!!
くそっ、元はと言えばウンスが泣き出したのが原因だよ絶対。きっとそれに誘発して皆泣いたんだよ良くわかんねぇけど!
ウンスめぇ……!!
………。
アイツ、大丈夫かな。
確かじいちゃんっ子だって聞いたし、煮物食って思い出とか出ちゃったんかな。おばあちゃんの味とかいうしアレ。
寮帰ったら一回様子見てくるか……――今度アイツがなんかした時は煮物投げつければいいって分かったし。少しは優しくしてやろう。
まあ、とにもかくにもあったが。
やっとこさ私のウマ娘人生のスタートだ!
一人だけで四苦八苦頑張ってきたのももうおしまい!張り切って行こう!
……正直、すごいドキドキしている。入学してからトレーナーの指導というものは受けたことなかったし。
――と。
前もって約束していた、昨日のレース場とは違う新しめの場所にやってきた――!
―――――
トレーニング場所には、誰もいなかった…………。
―――――
…………。
あれぇ?トレーナーが居ないんだが。おかしいな。ここであってるはずなんだけど。
レース場には、他にも何組かのトレーナーとウマ娘のコンビがいるが――どこを見ても私のトレーナーの姿は見当たらなかった。
「………」
道にでも迷ってるのかな。
……あり得る。あの人は結果的に丸一日遅刻するという猛者だし。
「………――」
周りの喧騒の中、ぽつんと一人佇む。
ふと、沸き上がる――
「いっ、いやいやいや。そんな訳ないでしょ。うん」
意識して深呼吸する。
大丈夫、大丈夫。卑屈は卒業!そもそもここまで来てそれだったらもう誰信じていいか分かんないレベルだし!あり得ない……あり得ないってばさ。
「……ふぅ。軽くウォーミングアップでもして待ってよ」
考えるのをやめる。
このままグチグチしてても埒が空かない。
私はそそくさと脇の方に外れて、おいっちーにーとストレッチを始めた。こういう一人でやる事は達人レベルと自負しているのでさくさくっと出来る。
「んぅ……!んぎぎ、よぉお……」
そうして身体を延ばしたり縮めたりしていると若干気が紛れたので――周りに視線を向ける。暇だったし。
見てみれば、皆、名も無き頑張り屋さん達だった。
これは珍しい。
このレース場、エリィィト共も結構使ってるのに、今日は居ないのか。
あっ、ジャラちゃんだ。あの子もここでトレーニングかぁ………ほんとに頭ダートみたいだなあのトレーナーさん。
目が合った――手を振ってきたので、間髪入れずに中指を立てた。
私、置き去りにされた事、忘れてませんよ。
苦笑を返したジャラちゃんはそのままトレーニングを始める。良くある走り込み。
いいなー。……そういえば、朝にトレーナーがちょっと奇抜でもいいか?みたいな事言ってたな……。
なにやるんだろう……当の本人は遅刻中ですけどね?
んー。
他に何か知り合いに居ないかなー……っと。
「………」
見覚えのある白毛がいる。
ぬぼーっとした顔で空を眺めている娘は、見るからに一人だった。近くに例のトレーナーがいない。あの人も遅刻なのかね。
ストレッチもあらかた終わって暇なので、するりと彼女に近づいた。
「よっす、ハッピーミーク。あなたも一人?」
「…………」
「………?」
「…………」
「……あ、あのぉ……?」
「…………よっす」
「おっ、おお」
一瞬、世界にラグが発生したんじゃねぇかと思うほど反応が遅かったこの娘は――
さっきの通り、少し不思議ちゃんが入った娘だ。たまに会話で引っかかるとこが少し面倒臭い。
とはいえ、そこも含めてノリが良いし、これを遙かに凌ぐ不思議ちゃんがゴロゴロいるこのトレセン学園では“普通”にカテゴライズされるので、普通に良い娘なのだ。
トレーナーが出来るまでは、この娘はレース実績はあまりパッとしなくて私が勝手に仲間認定してたんだけど――トレーナーが出来てから見る見る才覚を伸ばしちゃって。
それが妬ましくて、ちょっと距離取っちゃった事もあったんだけど――
「……元気そう」
「うい、まあ普通だね。トレーナーが遅刻してるせいでちょっと落ち込み気味だけど」
「……一緒だね」
「嬉しくない一致だねー、お互い」
こう、なんだ。
雲みたいにふわふわしてるせいでこっちも妬み甲斐が無かったと言いますか。
こういうとこが魅力で、結構友達多いんだよねぇ……この娘。
「……嬉しいよ?」
「なにが?」
「……トレーナーが遅刻して」
「なんで?」
「……リトルちゃんと、久しぶりに話せたから」
「………」
良い娘過ぎる……!
ウンスとは大違いだなぁ!友達とのお話って本来、こういうほんわかな感じが必要だと私は思うんですよはい!
「それに、他にも嬉しい事がある」
「おん?」
「あのね――」
「すっ、すいませんっ……!遅くなりましたっ、ミーク!」
ふと、焦った声が聞こえてくる。
振り向けば、藍色の髪をした美人さんがたったかと走ってくるのが見えた。
噂をすれば。
「あっ、すみません。お友達とお話中でしたか……?あっ、えっと、私は端に行っていた方が……?」
「いやいや!そんなのしなくていいですから」
「だって、お邪魔じゃあ……」
「トレーニングすんなら私の方が邪魔ですって」
なんか妙に卑屈になってくるこの美人さんはぁ――なんだっけ……名前は忘れた。でも、桐生院家というかなりの名家のご出身だ。
優秀なトレーナーを輩出している家なので、もちろん優秀で、パッとしなかったハッピーミークの才覚を高めたまさにエリートなトレーナーさん。
最初見た時は、いいなー、こんなスゴいトレーナーと契約したいなぁー、なんて思ってたけど……。
まあ、新人なイケメンかエリートな美人なら――断然、前者だよね。わかるとも!
それにあの人はあんな私を選んでくれた訳だし……うへへ……――遅刻してるけど。
「そっ、そうですか」
わたしの言葉にほっとした様子の桐生院トレーナーは、むんっ!と手を振るとハッピーミークに向き合った。なんか可愛いなこの人。
「さぁ、ミーク!遅れて申し訳ありませんでした!遅れた分を取り返せるようにバシッっと頑張りますね!」
「…………」
「………?」
「…………」
「あっ、あのぅ……ミーク?どうしました?もっ、もしかして怒ってます……?」
桐生院トレーナーの言葉を無視して、何故か周りをキョロつくハッピーミーク。おっ、どうしたどうした。ラグる事はあるけど、話を無視するような奴じゃないだろ君。
「ねぇ、トレーナー」
「あっ、はっ、はい!なんでしょう!……あの、もう遅刻しないので、怒らないでほし――」
「――さっき、
「えええ!?」
えっ、まぢ?
桐生院、そんな事するの……?
見た目大人しいくせに、中身はラノベの奴隷になりなさい系ヒロインなの……?
私の疑いの眼差しに、顔を真っ赤にわたわたと腕を振って否定し始める桐生院。思えば、モーションもヒロインくせー動きだぞこのアマ。
「そんな事やりません!突然何を言うんですかミーク!」
「ほんとに?ほんとにやってないの?じゃあ、なんで遅刻したの?」
「それはぁ……えっと、お昼ごはんが美味しかったなぁってぼぉーっとしてたら遅れたってだけで!」
「………じゃあ、ほんとに泣いてるイケメンを誘惑して連れ出したとかしてないの?」
「ちちちち、誓ってそんな事はやっていません!」
「…………――
ハッピーミークはぽつりと呟くと――すん、っと。いつもの能面顔に戻った。
よくわからんが満足したらしい。コイツ特有の憂さ晴らしみたいなもんなのかね。
「……じゃあ、行こう」
「えっ、ええ。はい、行きましょう……うぅ……」
あらぬ疑いを掛けられた桐生院トレーナーを連れて、ハッピーミークもレース場を出て行く。どうやらここは待ち合わせ場所ってだけで違うとこでトレーニングするらしい。
「……大変そうだぁ、あのトレーナーさん」
このトレセン学園でマシとはいえ、不思議ちゃん入っているからな。気苦労が多そうだ。いつか会ったら労ってあげよう。
……………。
………。
……――ふぅ。
ねぇ、私のトレーナーはぁ!?!?!?
ちょっと遅いとちゃいます!?
これだけで待ってるのに!えっ、遅刻にしても遅いよこれ。そりゃあ今日のたづなブチ切れるよそりゃあ!正座はやりすぎと思ってごめんなさい!
もぉぉぉ許さん!シリアスもくそもあるか!来たら、ハッピーミークみてぇに嘘八百並び立てて変な噂で――――
「ごめん!モブ子、遅くなった!」
あっ……やっと来てくれた。
トレーナーは結構おっきめのダンボールを乗せた台車を転がしながらこっちに近づいてくる。よく見れば大汗掻いていて慌ててたのが目に見えていた。
「ごめん!ほん……っとぉにごめん!地図見てもよく分かんなくてとりあえず左行けばいいだろって思ってたらよくわからんところに飛んでていきなり美人なウマ娘にスーツを引きちぎられそうになってそしたら違う子が助けてくれたんだけど手にガラガラ持ってるのが怖くて逃げたらまたよくわかんないとこに行っちゃって……えっと、えっと……!」
台車を適当に置き捨てると縋るように、まくし立てるように謝ってくるトレーナー。
しょっ、しょうがないなぁ……。
「わかりましたわかりました。許します」
「おお!さすが、モブ子優しい!」
「調子の良いこってまあ……次はこうならないように、三女神像の前にでも待ち合わせにしましょ。あそこなら大丈夫でしょ」
「もちっ!」
トレーナーは笑顔で頷いてくる。
うーん、なんか……いいなぁ、この感じ。やっぱトレーナーってだけで違うなぁ、うん。
「うしっ!じゃあ、遅くなったけど――トレーニング始めますか!」
トレーナーはそう言うとダンボールを開封し始める。
さっきとは違い、シャキッとした声色に少し気持ちに気合いが入った。
「では、モブ子くん。君自身――足りないものはなんだと思う?」
トレーナーの問いに、私は少し考えて。
「……“ステータス”?」
「うん。じゃあ、どのステータスが足りないと思う?」
「どの……うーん」
ウマ娘のステータスは基本的に五つに区分される。
――“スピード”・“スタミナ”・“パワー”・“根性”・“賢さ”。
ざっとこの五つで分けられ、そこからどういうトレーニングをしてきたか評価されるのだ。これは成長しづらい“適正”よりも加減が激しい。ある意味、努力の証明だからだ。
“適正”は才能、“ステータス”は努力――と、誰かが言っていたのを聞いた事がある。
そんな“ステータス”で私が足りないもの……。
「……全部?」
足が遅く、レースをまともに走れるかも怪しい。
そこから考えるとそうとしか考えられない。
トレーナーは不意に漁る手を止めると――ニカッ、と笑う。
「――正解!」
「蹴っていいですか」
「何故ぇ!?……った!」
いや、事実なんですけど……事実なんですけどぉ!
笑顔で弱ぇって言われるのはちょっとモヤるんですが!
「だっ、大丈夫だってモブ子。確かに現状はダメでも、ちゃんとその事を理解している事が大事なんだよ」
「それはぁ……そうですけど」
「それにね?下の方が気持ち楽だよ?あとは上がるだけ、前を見てればいい。下手に上の方にいると――
……トレーナーの言う事は一理、ある。
でもそれは――
「言うは易しってやつでしょう、それは」
「ふふんっ――それを本当にしちゃうのが、俺たちの仕事なんだよ。モブ子」
そう言って――またニカッと笑うトレーナーを今度は蹴ろうとする気持ちは起きなかった。
あっけらかんと。でも――大丈夫だ、と背中を押してくれる言葉。それがとても頼もしかった。
「さて、モブ子。そんな足りない尽くしのモブ子にピッタリな――全ての“ステータス”を同時に鍛えられるトレーニング法を用意したんだ!」
「――えっ」
そんなのがあるの!?
“ステータス”は一つ一つに時間を掛けないと上がらないのに、そんな事が出来れば効率がダンチじゃん!?
やべぇ!やっぱこの人、てんさっ――
「これをやれば二週間で腹筋もバキバキ、さらには過度な食事制限も必要ナシ!どんなウマでもやれば鍛えられる優れ物だぜ!」
「…………」
「あっ、あれ?なんでジト目で見られてるの俺?ここ盛り上がらない……?」
いや、そんな死ぬほど胡散臭い広告みたいな台詞並べられたらそれはねぇ。
ああいうのやめて欲しいんだよなぁ――買っちゃうから。
ああいう底辺心を擽るのほんと止めて欲しい――気づけば定期契約されててフジキセキ寮長に泣きつくの恥ずかしいから。
だから、最近こういう広告引っかかり仲間のタイシンと一緒に吟味しながら、こういうの買ってるんだよね。
ほぼ外れだけど。やめられん。
シラケた空気を一新するように咳払いしたトレーナーは、やけに仰々しい仕草でダンボールに手を入れた。
「そのトレーニング方法とは……これだぁ!」
そうして、出てきたのは――
「………」
「………」
「………」
「……ふぅ。よいっしょと――」
――カチッ。
てーててて、てれれてってって、うまだっち♪
「――まってまってまって!」
大音量で流され始めた音楽に、慌ててスイッチを切る。
はっ!?えっ、なんで!?なんで往年に渡るウマ娘史きっての電波曲の『うまぴょい伝説』流し始めたのこの人!?
「そう!――
「いや、踊りませんよ!?」
「えー」
えー、じゃねぇし!
てか、いきなり鳴り出したせいで他のコンビが注目してくる……あっ、おいジャラちゃん!隠れてスマホこっちに向けるな止めろ撮るなお前の部屋でメントスコーラすっぞおい!
「ていうか、どういう理屈です!?」
「んー、まずは振り付けの中で走ったりステップ踏むから“スピード”じゃん?長時間動くから“スタミナ”。メリハリを付けるとこは“パワー”、振り付けを覚えたりアドリブを付けるのは“賢さ”だよ」
「あー……」
言われて見れば、確かに。そう考えると効率、が……?
…………。
――ん?
「“根性”は?」
「公衆の面前で踊る勇気」
「最低じゃねーかこのトレーナー!?」
担当に妙な恥辱を与えようとするの止めてくれません!?
「なっ!最低とはしっけーなっ!こう見えて深遠な考えの下でね!?」
「じゃあ、うまぴょい伝説じゃなくてもいいでしょう!?Make debut!とか本能スピードならいいですよまだ!」
「………」
「………」
「――俺の趣味ですよ悪ぃか!!」
「開き直りやがった!」
――ぶぼっ!と吹き出す声が聞こえる。
ぴこんっ、という録画音。ジャァァァラ!それどっかに流しやがったら半年はお前のメシのおかず好物から奪うからなぁ!
「いいじゃぁーん。踊ってくれよー。俺――
「そりゃあ新人さんなんだからそうでしょう!まったく……なら、そっちが踊ればいいじゃないですか」
「俺が?」
「ええ、もし踊れるんなら、私だって踊ってやりますよ!」
「………」
まあ、無理でしょうけどね!
うまぴょい伝説はどんなに堅物でも笑顔で愛嬌を振りまかなくてはならない悪魔の曲。
それをヒトが、ましては大の大人の男の人が踊るなんて――
――カチッ。
てーてって、てれれれ♪うまぴょい♪うまぴ「ごめんなさい嘘ですナマ言ってすんませんでしたやめてください」
「えー」
くそっ、そうだ!
この人いろいろと計り知れないんだった!
「ていうか、なんで踊れるんですか!?」
「――それは君のトレーナーだからかな」
「訳わかんねーですよ!?」
ぶー垂れたトレーナーはやっと諦めたらしく、そそくさとラジカセをダンボールに仕舞った。
よかった……さすがにトレーナー初デビューが初うまぴょい伝説デビューはキツい。
……とりあえず、これが終わったらジャラちゃんのスマホ検閲しなきゃ。
「じゃあ、違うのにするか」
「ええ、お願いします。効率はもういいので、着実に行きましょう」
「まあ、そうだなー」
やはり近道を望んだのが間違いないのだ。
着実に一歩ずつ、それが正しい道なんだ。タイシンにも言おう――その胡散臭い広告雑誌捨てなって。
トレーナーがガラガラとダンボールを漁る。
今度はなんだろう?まあ、いうてダンベルとかだろう。ウマ娘のトレーニングでそう突飛なものは――
「よし、じゃあこれでいくか」
そう言って、取り出したのは――
「はっ?」
「よいしょ、よいしょ」
困惑する私の前に等間隔に並べられた煉瓦二枚、その上に積み上げられていく瓦十枚。
「これは“パワー”のトレーニングだよ。力を溜めて、一気に爆発させる。そのインパクトを鍛えるんだ。モブ子は“逃げ”は向きそうにないから必須だと思ってね」
「………」
「初めてだし、柔らか目のを選んで来たよ。ちゃんと湿布もあるし、思いっきりいこう!」
「………」
「――ゴー!」
「いや、ムリムリムリ!」
「えー」
そりゃあ鍛えてたは来ましたけど、じゃあ十枚行ってみようはさすがにムリですって!
「どうしていきなり瓦です!?」
「それが効率的にもいいんだってばさ」
「いや、だからってじゃあやって?って言われても出来ませんよ!トレーナーはそう言われてできる、ん…………」
すっ……と腰を落とした構え。
緩く、しかし確かに握られた拳に淀み無く――フッ!と小さな掛け声に合わせ――!
パリンッ!と雪崩のように割れていく瓦。
「………」
「ふぅ……意外にやれるもんだね……」
感慨の間もなく、よいしょよいしょとまた積み上げられる瓦。
そうして、ニコリとトレーナーは笑った。
「Do it!!」
「ムゥリィー!!どうして出来ちゃうんですかぁ!」
逃げ場を失った私がそう叫ぶと、トレーナーは静かに私の肩に手を置いた。
あっ……これ諭される感じだ……。
「いいか、モブ子」
真剣な瞳が私にぶつかる。
ごくり、と知らず生唾を飲んだ。
「――
「そんなトレーナー嫌ですよ!」
「がーんっ!」
そんなよくわかんねぇ理論で諭される訳ないだろ!
そんな人と会った事ないんですが!?寧ろ、会ってみたいわ!
「まったく……何を騒いでいるんですか、お二人とも」
声を掛けられる。
振り向くと、そこにはあきれ顔のたづなさんがこっちに歩いてきていた。
おお、良心!
たづなさんならきっと私の言う事を分かってくれるはず!
私がおかしいですよね、と伝える前に――その目が、積み上げられた瓦を捉えた。
「おや、瓦ですか。久しいですね」
「ぅえ?」
「ふむ。大体事情は把握しました。そこで体育座りをしている新人さんが、貴女に瓦割りを勧めて、貴女が無理とでも言ったのでしょう」
「そっ、そうです。あの、普通にムリ――」
「――それはともかく」
「ともかく!?」
「ちょっとやってもいいですかね。少し、むしゃくしゃしてまして……発散したい気分なんです」
言うやいなや、たづなさんは積み上げられた瓦に手を置いた。
そうして力を溜めるように身体を少し伸ばし――
「フンッ!」
そのまま手を瓦に押し込む。
パリンッ!と割れた瓦は――五枚ほど割れたあたりで止まった。
「……こんなものですか」
「出来ちゃうんですね……」
「ええ。まぁ――
たづなさんは少し手を見つめたかと思えば、すぐに私を見つめた。
「モブリトルさん。確かにこれは奇抜で突拍子も無く、この人いきなり何言ってるの?と思うかもしれません」
「ひっ、ひどい……」
「ですが――これが、
その言葉に、私はハッとした。
奇抜さとムリみに我を忘れてたけど、確かにトレーナーの私の適正を考えたと、ちゃんと……言っていた。
私はそれをただ否定したんだ。考えてくれた人の、思いを。
「うぅ……やっぱり水族館の年パスも持って………ん?何故、水――そういえばお腹空いたな、さんま定食食べたいなぁ……」
この人はちゃんと私の必要なものを考えてくれたんだ。ないない尽くしの私が、少しでも早く強くなれるようにって。
……うまぴょい伝説は確かにこの人の趣味だけど。
「酷な事を言いますが、貴女には“才能”が乏しいでしょう」
「ほんとに酷で重バ場」
「だからこそ、“努力”で補うしかありません」
ですが――とたづなさんにしては鋭い視線が私を貫く。
「ここ、トレセン学園は――“
たづなさんはそう言った。
厳しかったけど――私は、そこでやっと。
トレーナーに失礼な事をしていたのだと、ようやく気がついた。
「なら、“努力”しかない私は――」
「――よりいっそう、“努力”するのです」
私は残った五枚の瓦の前に立った。拳を握り、それを振り上げる。
……まだ少し怖い。こんなのそこらの壁を殴りつけるのと何ら変わらない。結果は目に見えている。
そのはず――だけど。
こんな私を見出してくれた。
こんな私をレースで勝てると言ってくれた。
こんな私を――効率よく強く出来る方法を考えてくれた。
そんな人を拒絶する。そんな事は間違いだ。
なら――今までの私の事も否定する事になってしまう。
「んっ!」
――拳を力いっぱい振り下ろす。
ガツッ!と響く鈍い音。……じんじんと沁みるような痛みと痺れ。
うぅ……やっぱりだめだっ――
「ぐっじょぶ、モブ子ぉ!」
痛む手を取られる。
ひんやりと冷たい氷袋を当てるトレーナーは嬉しそうに笑った。
なにわろてんねん。
ぶすくれる気持ちを抑えてトレーナーを睨むと――クスクス、とたづなさんも笑った。
「……なんなんです?」
「あら?ちゃんと見なさい――
「えっ?」
言われた通り、瓦を見ると――割れていた。表面の、一枚だけだけど。
それでも――確かに割れていた。
「で、きた」
「そう出来たよ!モブ子は出来るんだよ――
たった一枚割れただけなのに、まるで我が事のように喜んでくれるトレーナーに胸の奥から嬉しさのようなものがこみ上げてきた。
ああ、ああ。本当にこの人は―――
「よし、他にもやろう!色々考えてきたんだ!」
そう言ってトレーナーはまたダンボールを漁り始める。その様子をたづなさんはどこか苦笑気味に見ていた。
その背中を私は感慨深く見つめる。
私はトレーナーの担当ウマ娘としての一歩を踏み出した。そんな気がした。
頑張ろう。本当に、頑張ろう。
奇抜で、突拍子もないけど――私の事を考えてくれるこのトレーナーと一緒に。
「じゃあ、次は“ショットガンタッチ”を行ってみよう!それを三セットしたら“タイヤ引き”も!あっ、気分転換用に“将棋”もあるし、プールで“バタフライ”も予定してます!」
……ちょっと奇抜過ぎるのは考え物かも。やっぱり。
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『切望ッ!君こそ私の理想なのだ!!』
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『それは三人だけの“幸せの静けさ”』
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『 』条件未達成:“彼”の部屋へ向かう