ある新人トレーナーは、三女神に囚われた。 作:まやキチ
希望というペンをすり減らし、奇跡というページを傷つけて。
また一つ。
希望も無ければ、奇跡も無い。
――だが、確かに美しい“夢”が、また一つ
――――――――――
ただ、何かを残したかった。
全てが“夢”の彼方へ過ぎ去っても。
それでも、かすかでも残る何かを。
――――――――――
――――――――――
「なぁなぁ、トレーナー!うまぴょい伝説マスターしてみね?」
「してみません」
「えー!なんでだよー!やろうぜやろうぜやろうぜー」
「そんなことよりトレーニングね、トレーニング。かれこれ一年くらいまともにやってないトレーニングやろうね」
「いいんだよそんなのは!アタシのステータスはロスチャイルドもびっくりな永遠のストップ高なんだからよ!」
「たとえそうでもトレーニングやるんですー!最近君のトレーナーじゃなくて、ストッパーとしか思われてない俺の気持ちがわか――」
「マスターしてくれたらトレーニングやるぜたぶん」
「――なにしてんの早くうまぴょい伝説マスターするよ、
「へへ……!よーしっ!そうと決まりゃ出航じゃーい!」
――これは、いつの頃の話だったか。あるいは、何だったのか。
“彼女”にとっては酷く些末な事だった。
大事なのは“今”――。
泣きたくなるくらい楽しい今だけが、全て。
―――――――――――
―――――――――――
中央・トレセン学園には――“トレ学のヤベーヤツ”と言われているウマ娘がいる。
入学当時から物静かで大人しく、才覚に満ちていたが――授業に出ないしレースにも出走しないしの問題児。
日がな、“三女神像”のある中央広場。そのベンチで微睡んでいるようなウマ娘。
だが、ある時。
前もアレだったけど――今に比べれば百倍マシだったね……とトレセン関係者全員がため息を吐くほどの、よりやべぇ大問題児になってしまった。
まるでサナギから孵ったばかりのセミのように、校内のあらゆる所に己のトレーナーを引っ張り出しては騒ぎを起こし、縦横無尽に楽しげに暴れまくっていた。
トレセンにとって最大の不運は、鳴き声が一週間では決して収まらないところだろうか。
寧ろ、日が増す毎に。
――その騒がしさはどんどんと増していき、学内全体を笑顔に……すると同時に疲弊させることになる。
なんかよくわかんない理由で巻き込まれがちなメジロマックイーンはこう語った――
『あの二人は遠くで見る分には面白いんですの……そう、遠くで見るぶ――あっ!ちょっとトレーナーさん!わたくしを盾に使わな、ぎゃー!放しなさいゴールドシップっ!だれかー!お助けくださいましーっ!人浚いですわーっ!!』
――と。
そんなウマ娘の名は――
恵まれた長身の体躯。美しい芦毛。変なヘッドギアをいっつも付けている事を含めても大変な美人なウマ娘。
だがひどく気性難。それも大のお気に入りのトレーナーが近くに居ないと暴れ出すほどの癇癪持ち。
さらにはトレーナーが手を焼くほどのトレーニング嫌いで、常に強制的にトレーナーと“おでかけ”をしているウマ娘であり。
そして――。
そのくせ、
……次に出走すると公言した、
そんな、ゴールドシップとそのトレーナーは――
てーててて、てれれてってって、うまだっち♪
てーてって、てれれれ♪ うまぴょい♪うまぴょい♪
「う、うまだっち……!」
「おらおらどーしたどーした!茹で上がったスベスベマンジュウガニみてぇな顔してないでキビキビ踊りやがれー!」
――
場所は、トレセン学園。第一レース場の片隅。
大音量のラジカセが、怪電波を延々と垂れ流している中。
完璧に踊りながら叱咤するゴールドシップと、顔を真っ赤にして震えながら動いているトレーナーがそこにいた。
学園で一番綺麗な第一レース場。
故に、利用者が多いので人目も多く――ああ……またなんか巻き込まれてるんだな……みたいな、かなりの同情の目がトレーナーに降り注いでいた。
「う、うまっ!ぴょい……うま、ぴょい……!」
「聞こえねーぞ!もっと崖の上のビーバーみてぇに声出せぇ!」
「うぅ……――ちょっとタンマ!」
「しょーがねーなー。三回までだぜー?」
やかましく姦しい声が響きわたるラジカセが止まる。
トレーナーは持ち込んだドリンクで暑くなった頬を冷やしながら、己の担当に抗議の声をあげた。
「どうして公衆の面前で踊る必要が!?」
それな――と、眺めていた誰もが思った。
こんなのただの羞恥プレイじゃん。
一度は踊ったことがあるウマ娘は殊更頷いていた。自分の立場に置き換えたトレーナー達もまた頷いていた。ついでに、二人が何かやらかすかどうか監視する名目で隠れていた駿川たづなも感慨深く頷いていた。
――つまりは、その場にいた全員が頷いていた。
「わかってねーな。そりゃオメー、これがハートだからさ」
「……はい?」
「うまぴょい伝説はヤベー歌さ。どんな野郎でもニッコリ笑顔。ぴょんぴょこぴょんぴょこ跳ねさせては早口で訳わかんねー事言わせて、ちゅーさせんだ……そんな歌を素面で踊るなんてどーよ」
「そんなの恥ずか……――はっ!」
なにか気づいたトレーナーは弾かれるようにゴールドシップを見上げた。
「まさか、ルドシーちゃん……!」
「おうよ。一に羞恥、二に羞恥、三四に羞恥で五も羞恥――まずは羞恥を衆知に周知すっとこから始めてんだよ。マックちゃんだって通った道だぜ」
「そうか、そうだったのか……!」
愕然とした表情を浮かべたトレーナーを尻目に、ゴールドシップは彼の頬にくっついていたままのドリンクを、ストローで飲み始める。
トレーナーと担当にしても近い距離だったが、二人は気にした様子もない。そして慣れすぎて周りも気になってすらない。
「お、俺……ルドシーちゃんの事だから――『わざと皆の前で踊らせて恥ずかしがる姿を見て笑いたい』からこんなことしてるんじゃないかと疑って……!君は最初からちゃんと向き合っていたっていうのに俺は……!担当を疑って……!!」
「……。……。そ、そーんな訳ねぇじゃねぇか。あたしは品行方正であなたの愛しいルドシーちゃんだゾよ?」
「だよねぇ……!ごめんよ!」
嘘つけ、目反らしてんじゃねぇか――とは、周りは言わない。
言ったら最後……きっと、あの二人の隣でうまぴょい伝説を踊っている未来が目に見えていたからだ。誰だって、尊厳は惜しかった。
己の羞恥が衆知に周知されるくらいなら、悪魔の掌に転がされている哀れな犠牲者を見捨てるのに呵責は必要なかった。
「よしっ!ぼーっとしてらんないね!早くマスターして、ルドシーちゃんにトレーニングをやって貰わないと!“皐月賞”だって近いんだし!」
「あー?別に大丈夫だって、あたしは天下無双のルドシーちゃんだしよー。そんな事より、海でシーラカンスの踊り食いでもしよーぜー」
「……シーラカンスって美味いの?」
「知らね」
話があらぬ方向に飛び出して宙ぶらりんになるのも――周りは慣れたものだった。二人の弾むような会話を聞き流しながら、各々のトレーニングを続ける。
もう何も無さそう、と駿川たづなは昔を懐かしむようにその場を去っていった。
きょーのしょーりのめーがみはー♪わたしだけにちゅーうする♪
「ほーら、ちゅーう!ちゅーう!とれぴっぴのちゅーうがみたーい!」
「くっ……ぐぬぬぬ……!――ちゅっ」
「うひょおー!アメリカナマズ並みにさいこーだぜ!ほら、あたし!ルドシーちゃんにもやってみろよ!ちゅっ、ちゅっ、って!」
「いいいやいやいやむりむりむり!流石にそれは恥ずか死ぬ!それならまだメジロマックイーンになら――」
「――あ゛っ?なんでそこでマックイーンが出てくんだ?なんでだ?おい聞いてんのかおい。なんでルドシーちゃんには出来なくてマックイーンには出来んだ?あっ?浮気か?浮気だよなぁ?おいこっち見ろおい、おい」
「ひぇ……」
「ちっ、あの33ー4はいつのまに粉かけやがったんだ。そこ動くなよ。今マックイーン連れてくっから――ちゃんと説明しろよ」
「……あの、ほんの、冗談、なんだけど……」
――延々と積み重ねるしかない辛いトレーニング。
しかし、その清涼剤としてはあの二人の会話は良い感じでぶっ飛んでいた。だからこそ、ある種の名物として受け入れられている。
刺激的な話のタネとしてはこれ以上の物が無かった。
――ああ、メジロマックイーンの絶叫が聞こえてきた。
そう――己に被害が被りさえしなければ面白いのだ。被害が被りさえしなければ。
季節は新緑香る、卯月の頃。
ウマ娘が誰もが憧れる、クラシック三冠レースの一角。
――“皐月賞”が間近に迫った、ときの事。
――――――――――
――――――――――
破天荒でトレーニングをまったくしてくれない“彼女”。
二人三脚の“クラシック級”は、駆け抜けるように過ぎ去っていき。
残ったものは――
“皐月賞”では、トウカイテイオーを難なく置き去りにし。
ついでとばかりに出走した“日本ダービー”は、ウイニングチケットを追い縋らせる隙すら与えず大差で圧勝。
続く“菊花賞”、ゴールドシップへの対抗バと期待されたミホノブルボンとライスシャワーを、舌ペロダブルピースで余裕の勝利を果たした。
生徒会長シンボリルドルフ――“皇帝”に次ぐ、無敗でのクラシック三冠。
歴史に語り継がれて然るべき栄光を“彼女”は手に入れた。
だが。
――
普段の素行も然ることながら。
そのあまりに圧倒的で――暴虐とも言われるほどの“
観客たちは「どうせゴルシが勝つし」と彼女のレースは見に行かなくなった。記者達は普段の素行を元に「才能だけのウマ娘」と酷評し。
レースを共にした多くのウマ娘たちは――何もかもを叩きのめされ、学園から去っていった。
憂いた理事会――そして、URAは。
ゴールドシップの――今年度の“有マ記念”の出走を禁止し、今後出走する際にもURAが指定したレースのみという決定を下した。
これ以上のワンサイドゲームにも等しい状態は興行的にも宜しくないし、生徒であり、未来を担うウマ娘達が何人も潰されたという現状。
すまないが、納得してくれ――と理事長である秋川やよいが、涙ながらに謝罪してくるほどだった。
まあ――それはまた、さておき。
きみの愛バが!
ずきゅん♪どきゅん♪走り出し~♪
「ふっふ~!!」
「いいぜトレーナー!良い“ふっふ~!”だ!アツアツの味噌煮込みうどんも瞬間冷却だぜ!」
「そりゃあね!ここに来てね!ここだけでも30回目くらいのリトライだからね!そりゃぁああねぇ!?」
「元気いいな!いいぜぇ――後20回追加だ!地球丸ごとグリーンランドにしてやろうか!」
「うがあああああああ!!」
――
――
今朝方、学園に出勤した瞬間に拉致られて数時間。
気がつけば、雲一つ無い青空、白の砂浜。飛沫煌めく海に囲まれる無人島。
もうこの時点でヤケクソになったので――舞台に出ても遜色が無い完成度を誇るうまぴょい伝説をこれでもかと踊り、汗を流していた。
どうせ、学園に居ても“彼女”はトレーニングをしないのでトレーナーとしての仕事もないし、畏れと哀れみを向けられる学園に居続けるよりかは健全だと頭の端っこで考えてはいた。
砂浜をステージ、太陽をスポットライト。時折見える魚と訳わかめな合いの手を入れる“彼女”を観客に。
今の現実を忘れるように。
――担当が“強すぎる”というだけで出走禁止など到底認められない。
勿論抗議した。たづなさんや理事長だけではない。URAのお偉方にも直談判した。
そりゃあ、“トレーニングをしないでふざけてばっかなのに強い”というのは他の娘から見れば面白くないのは理解出来る。トレーナーとして、仕事が出来ないという意味でも面白くないのだから。
しかしだ。
この“三年間”は――
そのチャンスを、その意味を。たったそれだけの理由で不意にされるのも――欠片も面白くない。
だが。
訴えを聞いた彼ら彼女らの言葉は苦渋だったが――冷淡だった。
普段の奇行、所構わずのうまぴょい伝説による騒音被害、“三女神像”の噴水から油が出るように改造してのリアルキャンプファイヤーなどを挙げられれば、黙るしかなかった。
――そんな理由を出してまで。
ゴールドシップにレースを走らせたくないと誰もが思ったという現実に、押し黙るしかなかったのだ。
「いーか!今のおまえはトレーナーじゃねぇ……ウマ娘だっ!無敗三冠、宝塚も有マも連覇しまくった驚異のウマ娘だ!――そんなウマ娘はどうすんだ!」
「はい、コーチ!ファンの皆の為に笑顔で踊ります!」
「そうだ!万感の想いを以て踊れ!あそこにいるマックちゃんを五十万人のファンだと思って踊れぇ!」
「いえ、コーチ!ここにメジロマックイーンはいません!」
「そんなもん心から顕現させりゃあいいんだよ!」
「できません、コーチ!」
「……ったく、しょうがねぇな」
「………」
「――じゃあアタシがマックちゃんやってやんよ!」
「訳わかんねぇ!」
いつものヘッドギアを砂浜に投げ捨てて、じゃぶじゃぶと海に突っ込んだ“彼女”は――今までの事で堪えた様子は無い。
内の感情を隠しているという訳でもなさそうだ。
“有マ記念”が出走出来なくなったと言った時だって「ん?そうなん?じゃあ、他にやることが出来るなっ!」と特に何の感慨も無く、そのまま連れ立ってあっちゃらこっちゃら。
今だって――無人島にいる。なぜか。
「おーほっほっほ!あてくしはスゥィーツ大す――ごぼぉあ――お嬢様ですわ――ごぼぼっ――愚民共はメジロの威光にひれ伏――ごぼぼっぼぼあ!――」
波に揉まれながらクオリティ皆無のモノマネを披露する“彼女”は、ただただ楽しそうに見えた。
「うーし!そんじゃあちょっと休憩な!トレーナーも大分踊れるようになったじゃねぇか!」
「………」
「ん?どーしたとれぴっぴ。アジの開きみてぇにうつ伏せになっちまって。なんだぁ?砂焼きか?夏でもねぇからたぶん無理だぞ」
「……だれの、せいだと……いったい、何回踊ったと思ってんの……!」
「あー?通しで34回くらいだろ?」
「……くらいじゃないぃ……その回数はくらいじゃないぃ……」
あれからさらに数時間。
太陽は真上を通り過ぎ、地平線を目指す頃合いになっていた。
その間、ただただただただただただただただ。
踊っていた。
……ていうか、何の為にうまぴょい伝説を踊ることになったんだっけ。
「うぉ……頭の中がうまぴょいだ……夢にも出てきそう」
「おう、そこまで来たら上出来だな。もうちょいだ」
「その域まで踊れと?」
「いつか一緒にエデンで踊ろうな」
「やぁだぁ……」
じたばた砂でもがいて抗議するが、当の本人はニッコニコしていて――パチンと手を叩く。
「んじゃ、ご褒美にヤシの実でも持ってきてやんよ。それまで旨みを凝縮してろよな」
「……今、冬だけどあんの?」
「あるさ――無人島だぞ!」
そう、意気込んで森の奥に入っていくのを止めようかとも思ったが、数多のうまぴょいのダメージでまったく身体が動かなかった。
しかも、太陽の熱と冬の外気で良い感じの温度の砂が疲れた身体に心地よく……うつらうつらと次第に瞼が重くなっていった。
――――――――――
――――――――――
「んおっ、起きたか?」
トレーナーが目を開ければ――視界いっぱいにゴールドシップの顔が広がっていた。
変なヘッドギアがない彼女はどこか新鮮で、影が差した顔は楽しげで悪戯な笑みを浮かべている。
視界は夕に染まり、地平線の先には黒の空が橙に溶け込んでいた。
「……ルドシーちゃん?」
「せっかく見つけてきてやったってのに、ぐっすりすぬーぴーだもんなぁ。困ったもんだぜ」
ゴールドシップは乾ききった小さなヤシの実をトレーナーの額にぐりぐりと押しつける。
痛い痛いと抵抗している内に――彼は、頭の下にある、具合の良い柔らかで生暖かい感触に気がついた。
「……膝枕?」
「おう、流石に直砂もかわいそーだと思ってな!ルドシーちゃんのご温情に感謝しとけー?」
「はいはい……」
「後で財布出せよな」
「金取んのかよ」
「一秒で十くらいでいいよな?」
「良くないんですけど!?」
――一秒十万とかとんでもない暴利だ。
トレーナーはぐぅ、と身体を起こそうとするが――ぐいっ、とゴールドシップに押し戻された。
「………」
「………」
ぐぅ、ぐいっ。
「………」
「………」
ぐぅ、ぐいっ。ぐぅ、ぐいっ。ぐぅ、ぐいっ。
ぐぅぐいっ。ぐぅぐいっ。ぐぅぐいっぐぅぐいっぐいっぐいっぐいっぐいっ―――――
「うおおお!離せぇ!」
「おいおい。あたしのとれぴっぴなんだから、愛しのルドシーちゃんの小遣い稼ぎも手伝ってくれよー」
「悪魔!言ってることが悪魔のソレ!」
「なにー?小悪魔だってー?照れるぜ。まあ、わかるけどなー。このルドシーちゃんの魅力にやられちまうのはさ……自分で自分がこわいぜ」
「んな事言ってねぇし!てか小悪魔的なのは断然カレンチャ――」
「――あ゛?今、あたし以外のウマの話したか、おい」
「ぴぃ……!」
わちゃわちゃとトレーナーは抵抗を続けたが、結局ぴくりとせず。
ふと、両者に静けさが訪れた。
「………」
「………」
聞こえるのは波のさざめき、鳥の声。
トレーナーは、本当に楽しそうにニヤケけているゴールドシップと目が合っていた。
「……ごめんな」
ぼそりとトレーナーが呟く。
波でかき消えそうなほど小さな呟きは、ゴールドシップの耳に届いていた。
「なにが?」
「有マのやつ。あと、これからの事も。きっとまともに走らせてあげられない」
「あー……まっ。別に構いやしねぇよ。ルドシーちゃんにはよくある事だよねー」
「………」
「そりゃあ?レースを気持ちよく走れねーのは確かにアレだけどよ――」
ゴールドシップはトレーナーの頬をくにーっと引っ張る。
にゃにゅにょーーと、言葉のようなものを漏らす口を何度かもにゅもにゅさせた後。
「あたしは――“今”、
そう告げた時のゴールドシップの表情は、トレーナーだけが見ていた。
彼はただ――そっか、と。呟いた。
「ん、ま。それに、言いたい事もわかんだ」
ゴールドシップは話を変えるように明るい口調で切り返す。指先でトレーナーの鼻を弄びながら。
「えー、なにが。ルドシーちゃんが強すぎて皆ダメになるってひどいでしょ。才能も実力でしょーが」
「んー?ふふ、んにゃあそうでもねぇよ?」
「……?どゆこと?」
ゴールドシップは、考え込むようにトレーナーの額で指を歩かせる。
少しして。
何か思いついたようで、顔を近づける。
無造作に広がっていた芦毛の長髪がふわりと翻り――
「……な、なに?」
「ルドシーちゃんの秘密そのいーち」
「えっ、なっ、はい?」
「実は――強さの秘密はトレーナーとのトレーニングのおかげ」
「えっ……?でも、俺はな――んむっ!?」
トレーナーが何かを言い募ろうとする前にその口は何かに塞がれる。
ゴールドシップが顔を離すと――芦毛の中から、顔を赤らめたトレーナーが出てきた。
「なっ……なっ……!」
「――さぁて。迎えもそろそろくんだろ。それまでもうちょい寝ときな」
「こっ!」
「こ?」
「――この状況で寝れると!?」
「おいおい。ルドシーちゃんだぞ?あのいつかの時に“でちゅねの悪魔大神官”とも呼ばれたあのルドシーちゃんだぞよ?トレーナーぐれぇヨユーペガサスだぜ」
「んな訳――」
――数分後。
ヨダレを垂らすほどリラックスした表情で寝入っているトレーナーの頭をゴールドシップは優しく撫でていた。
彼女の口許は呆れたように緩んでいる。
「こんなんだからいっつもクリークに勝てねぇんだぜ、とれぴっぴ」
――ふと。
ゴールドシップは弾かれるように顔を上げた。
視線の先には――雲に巻かれる鮮やかな夕日と、その横にある煌びやかな星がある。
彼女は、しばらくそれを見つめていた。
「これで覚えているだけで738……ざっと246回払いかぁ……」
「いつになったら完済してくれんかねぇ……」
―――――――――――
―――――――――――
“
有マの一件以降――“彼女”は一度もレースに出走していなかった。
打診自体はあった。
どうやら“強すぎる”事を理由に出走を禁止し続ける事も外聞に宜しくなかったらしい。お偉方の悲しいサガなのだろう。ほとぼりが冷めたとも言う。
理事長の積極的な後押しもあり、春の天皇賞や宝塚記念。他にもGⅡレースをいくつか出てみないか、と言ってきた。
――断ったが。
無論、あの決断に関して腹を据えかねていたというのもあるし――世間で呼ばれる“彼女”の異名も気に入らないのもある。
だが、それ以上に。
“彼女”自身にレースへの意欲が無かった事が主な理由だ。
いつもと変わらずはっちゃかめっちゃかしているが――レースに関しては目に見えるほどにやる気がない。あれから今までレースのれの字も出てこなかった。トレーナーと担当の関係なのに。
こんな状態で無理矢理出したところで意味はないだろう。
そういう理由なのだが。
別の意味に受け取った理事長の涙目やたづなさんの暗い顔には胸が痛む思いだった。たぶん、孤高故の苦痛とか、理解されない孤独とかそんな邪推を感じた。
が――やる気がないのだからどうしようもない。
それが伝わって他のウマ娘……特にメジロマックイーンやシンボリルドルフが説得にやってくる事もあった。
が――やる気がないのだから本当にどうしようもない。
――そんなある時。
夏合宿も終わり、秋の天皇賞が迫る九月の頭の季節の事。
「ふぉ、ふぉ、ふぉ。流石ルドシーちゃんのとれぴっぴ……よくここまで付いて来られたのぉ」
「………」
「……?ちょい、どーしたトレーナー。二週間目のセミみてぇじゃねぇか」
「……。……。……言わせたい?」
「言わせたい」
「――そりゃあ、早朝っから踊りっぱなしだったからねぇ!?」
「おー!そうやって突然騒ぎ出す感じはまさにそれだぜ!」
「みぃぃぃぃん!!!!」
――
場所は、学園の端っこにある空き地。
日が夏の暑さを残る中――全身から感じる倦怠感に身を任せ、地面に突っ伏していた。
“彼女”の望み通り、蠢きながらみぃんみぃん鳴いてやれば楽しそうな笑いが返ってくる。
今までの“シニア級”。振り返れば、地獄であった。
レースの意欲を無くしたせいなのかは不明だが。
“彼女”のうまぴょい伝説への意欲はとんでもなくいつも以上にスパルタになってしまったのだ。
朝にうまだっち、昼にうまぴょい、夕にちゅうして、夜にふっふ~。以下エンドレス。毎日36時間くらい踊っていたような気がする。
いつのまにか――無音の極地に到達しており、この地球上に何も存在しなくなってもライブ出来るように、という謎の特訓すら始まっていた。
……夏合宿の時を思い出す。
音楽も無いのに完璧に踊っているのをドン引きして見ているウマ娘たちの視線を思い出す。
なにがあっても忘れることはないだろうあの光景は軽いトラウマだ。
もう何の為に踊っていたのかも定かではない。
どこを目指しているのかもわからない。
ただ、一心不乱に踊り続けている。
「ルドシーちゃん」
「あん?」
「もう、よくない……?」
「………」
大半の関係者に「えっ。それ以上極める必要あるんです……?」って言われたし。それほどの完成度であると自負もしている。
正直――寝てても踊れそうなくらい身体に染み着いていた。
もう、うまぴょいステータスはカンストだろう。……うまぴょいステータスってなんだよ。
そんな問い……というか、懇願に――“彼女”にしては珍しく。
真面目な顔で口元に手を当てて、考え込み始めた。
「んー……しょーじき。不安なんだよなー」
「なにが?」
「……
「もう覚えがどうこうじゃないんですけど?身体に刻まれてるレベルなんですけど?俺=うまぴょい伝説の域ですよ?」
「………」
「無視ぃ!?」
倦怠感も忘れて叫ぶが、“彼女”の応答は無い。
「あのぉー?ルードシーちゃぁーん?」
「…………」
呼びかけても反応は無い。身体を起こして、しばらく視線を合わせても。
こちらを見ているようで――
最近、ふとすればそんな目をしている。
どう表現すればいいかわからない複雑な感情が渦巻いてる瞳。
寂しいような、悲しいような、怒ってるような。ともかくそんな感じの。
「………」
“彼女”自身、色々特殊なので何とも言えないが――“三年間”のつき合いだ。なんとなく、こう……じゃないかなぁ?みたいな推測はできた。
――惜しんでくれている、ように見える。
この関係を。
……正直、思い出と言ったら――うまぴょい伝説七割・周りへの謝罪二割・悪ノリ一割な三年間だけれども。どう考えてもトレーナーと担当としての健全な関係でも無かったけども。それでも喧嘩もせずにツルんできた。
そんな関係が、終わってほしくない。
――そう思ってくれている、ように見える。自信は無いが。
このうまぴょい地獄だって。
今までの“三年間”を忘れないで居てほしい、という彼女の不器用な想いだと考えれば……文句は言うが、受け入れられる。文句は言うが。
「ねぇねぇ、ルドシーちゃん」
“彼女”に声を掛ける。
反応は無かったが、足の臑をひっぱたいていたら――瞳の焦点がこっちに合った。
「――この“三年間”が終わったら何がしたい?」
“三年間”は区切りだ。トレーナーとウマ娘の。
契約更新や破棄なんて固苦しい呼び方だと少しおおげさな気がするが――要は、
心機一転。新たな季節の始まりが迫っている。
“彼女”は少しぱちくり目を瞬かせると――つい、と視線を俯かせた。
「なんも」
言葉は、消え入りそうで不安に揺れていた。
そんな姿を少し見つめて――ちょっと意識して、口を開いた。
「俺はねぇ――うまぴょい伝説のインストラクターかなぁ」
「ぶっ」
「いやいや、冗談じゃないよ?たづなさんからお願いされてるほんとのことだよ?」
「マジでぇ?」
思わずとばかりに吹き出した“彼女”に説明する。
そもそもだ。
この“三年間”――ほぼ全てをうまぴょい伝説に捧げたと言っていいこの数年。胸を張って成果と言えるのはそれしかない。
無敗の三冠は、そもそも“彼女”の資質だけで取ったようなもので……トレーナーとしての仕事は欠片もしてないし。
しかし、この成果は数年丸々捧げただけあってかなりのもの。
現に真顔で打診されたのだ。真顔で。
やらないって選択肢あるんですか?ないですよね?もったいないどころじゃありませんよね?――みたいな顔で。
どうやら、うまぴょい伝説はその計り知れない怪電波っぷりから率先して指導する“教師”が万年不足しているらしく、学園側から考えれば、喉から手が出てくるほど欲しいのだとか。そりゃそうよ。
提示された給料もいいし、特に教える事も苦ではない。
トレーナーとの兼業も可らしいので、一先ずはやろうかなと思っていた。
「……“次”」
ひとしきり、こちらの栄転予定を笑った“彼女”はぼそりと呟いた。
若いからあまり実感が無いのかもしれない。だが、やはり――出会いと別れは避けられない訳で。そこから目を反らす事は出来ない。
……まあ。
もし――“彼女”が望んでくれるなら。
こんな変な関係が続くのも悪くはない、とは……思ってるが。
言わないけど。言ったら最後――うまぴょい伝説で銀河系ツアーとかさせられそうだし。やぶ蛇やぶ蛇。
「なぁ――」
“彼女”の真面目な顔が視界に入った。
こちらと合わせるようにしゃがみこんだ“彼女”の瞳は少し潤んで――
「もし、“次”があったら。また、あたしの――」
――
ふと、胸元から聞き慣れた着信音。
たっ、タイミングぅ!?慌てて見てれば理事長からのメール通知。いや、メールならもっと後にして欲しかった!
や、やばい。流石の“彼女”でもこの間の悪さはキレる。
「っ、くくくくっ」
と、思ったが。
ポカンとした表情を浮かべた後、鳴らすような笑いをし始めた。
心底、面白いように。
「んーん!なぁーんでもねーよっ!」
そうして満面の笑みを見せると、大袈裟に抱きついてきた。
頬ずりもしてくる熱烈なスキンシップにこっちは戸惑いしかない。そ、そういう空気だった?
「いっ、いやでも――」
「いいって!あたしらしくもねぇ……大事なんは“今”楽しいかどうかだろ!」
そりゃあ確かに“彼女”らしいと言えばそれだが……。
「それに良く言うだろ?来年の話をすれば――女神様が嗤うってこった」
「……それ、笑うのは鬼じゃなかった?」
「あたしとしては似たようなもんだなー」
……まあ、“彼女”がそれでいいって言うならそれでいいのかもしれない。隠すように頬をすり合わせるのもきっと、“彼女”なりの照れ隠しのようなものだろう。
きっと。
「それより、何のメールなん?ルドシーちゃんとの逢瀬を邪魔すんだからそれ相応のもんじゃねぇとセミの抜け殻の刑だゾ」
「やめなさいって。一回それやって理事長泣かせたでしょうが」
「なんだ、やよいちゃんかよ。でー?なんだって?」
「まって」
じたばた暴れる“彼女”の背を撫でながら、携帯を覗く。
理事長にしては長いメールを紐解けば――
「ルドシーちゃん」
「んー?」
「――今年の“有マ記念”出てみないかってさ」
「あー」
「メジロマックイーンとか、シンボリルドルフも出るって」
「ふーん」
……なんか死ぬほどどうでも良さそう。
いつもツルんでるメジロマックイーンはともかく、“皇帝”さんはさっさと七冠取って“ドリームトロフィーリーグ”に行ってるはずだからこんなこと珍しいどころの騒ぎじゃないんだけど。
他にも、トウカイテイオーやウイニングチケット、ライスシャワーにミホノブルボン……“彼女”に難なく轢かれた面々に。
この数年の間に頭角を表したウマ娘たちがほぼ全員出走を予定している。
まるで――“彼女”の為だけのレースみたいな印象を受けた。
ここまでお膳立てされればねぇ……。
メールの末尾にはこう書かれている――『このまま行けば、ゴールドシップは孤独のままだ』と。
「出ない?」
孤独がどうこうは筋違いだ。
だが、この“三年間”最後のレース。担当の晴れ舞台は見たいという気持ちはあった。
――URAファイナルズは、
「んー」
「出て欲しいなぁ、とれぴっぴ的にはぁ」
「んんー」
「……勝てたらちゅうしてやるから」
「……しゃあねぇなぁ」
この“三年間”。
頑なに見せなかった秘密兵器をチラつかせれば、ようやっと重い腰をあげてくれた。見上げる表情は呆れ顔だ。
うしっ!と拳をぶつけ合わせた“彼女”はそれでも、にぃ――と笑った。
「“黄金の不沈艦”としてちゃぁんと出航してやんよ。とれぴっぴの為にな」
太陽を後ろに、そう笑う“彼女”の表情は。黒く陰ってあまり見る事が出来なかった。
残暑かすむ昼過ぎの頃。
“有マ記念”までの、残り三ヶ月――“三年間”が終わるまでの、残り三ヶ月。
そんなある日の出来事。
「俺、その名前あんまり好きじゃないんだけどなぁ……」
その呟きは、“彼女”には聞こえなかっただろうか。
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ターフに立っていたのは、当然とばかりに涼しげに歩く“彼女”だけ。
“皇帝”も“帝王”も“名優”も。誰もかれも。その走りに――歯牙をかけることすら叶わなかった。
これほどまでなのか、と誰かが呟くのを誰もが聞いた。
“彼女”の名前は、ゴールドシップ。またの名を――“
そこに憧憬の念はなく、ただ畏怖を込められてそう囁かれる。
ああ。
夕暮れが降りてくる。
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気が付けば――あたしはそこに立っていた。
「………あ」
眼前に映し出されるのは、草原。
だが、何よりも目に留まるのは――無限に拡がる空。
雲に巻かれる朝焼けの空。しかし、まだ地平線に夜が残っていて。
そんな黄昏色に染まりつつある夜空には星々の姿形もない。
ただ。朝と夜が溶け合う境目に。
我が物顔で座しているのが見える。
狂ったように明滅を繰り返す――煌々と輝く黄金の星が。
――その光は遠い。
「―――!」
ここだ。
間違いない。ここだ。ここだ!
ずっと探していた。諦めていた場所を――
『見つけた』
不意に誰かに手を掴まれる。
それに抵抗する前に。それが誰だか考える前に。
思いっきり引き上げられる感覚に襲われる。
『さぁ、起きて』
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目が覚めると――死ぬほど嫌いな“三女神像”と目が合った。
クソみてぇな目覚めだった。
「………ん」
起き上がり、ベンチで固くなった身体をほぐす。
ぐらぐらに揺れる視界を合わせながら――さっきまでの“夢”を反芻した。
「……なぁんか、
……まぁ、いいか。
基本的に違和感だらけな中で新たな違和感が放り込まれたとこでどうしようもない。考える時間も意味はない。
視界がようやっと合ってくると――近くのベンチに、アイツが居た。
スマホを弄っているモブリトルに膝枕されて眠っている、アイツが。
瞬間――チラつく夕日。
「……ふぅ」
意識して――息を吐いて、また横になる。沸き上がったナニカを外に逃がすように。
そうしないとどーにかなっちまいそうだった。どうにもならないことだけど。
「リトルちゃん。おまたー」
「あっ、ジャラちゃん。おいーす」
チラリと視線を向ければ、ジャラジャラが近寄ってきていた。
「あら、そっちのトレーナーさんおねむじゃん」
「そーなの。急にこてーんって寝ちゃってさ。まあ、いい天気だしわかるけど。ほぅら、そろそろウェイクアップしてくださーい。皆で模擬レースやりますよー?」
「………」
「………」
「……マジか。ガチ寝だぞこの人」
「いや、普通膝枕なんてされたらそうならないかな?」
気にしなければいいのに。耳は自然とあっちに向いてしまう。
意味もない苛立ちと意味もない悔しさから目を反らすように目を閉じた。
「よいっしょ!ふぅ……まあ、レース場で起こせばいいでしょ」
「抱え方手慣れててウケる……。あっ、つかさ?カレンちゃんのウマスタが彼氏匂わせで大炎上しているやつ知ってる?」
「もち。クレアおばさんパイセンも炎上してるでしょそれで」
「……お願いだからゴールドシチー先輩の前でやめてね。蹴り殺されるから」
「ういうい。てかさ。波に乗りたかったのか、キャプテンファル子も同じことやってたみたいなんだけどさ」
「うん」
「なんか『嘘言わなくていいよ』『大丈夫わかってるから』『年頃だし憧れるよな』みたいな生温かいコメント欄になっててめっちゃウケるよ」
「芝、あの人変な信頼あるからなぁ。てか!そういえばウララちゃんに私の化粧水を勝手に――――」
声が離れていく。
知らず、目を開けると――背負われたアイツが遠くの方に行っていた。
それをしばらく眺めてから――目を閉じた。
簡単な話だ。
1095回寝てればいい。その間、“夢”に浸っていればいい。
――どうせ、
あのクソみたいな神様に、今日もあたしは祈るのだ。
――次こそは。
次こそは次こそは次こそは次こそは次こそは。
次こそは――