ある新人トレーナーは、三女神に囚われた。 作:まやキチ
“彼女達”は笑っている。
“彼女達”は笑い続けている。
か細く小さな輝きを、だからこそ特別で美しいのだと。
――微笑み合ったその顔で。
――
目の前に、故郷の北海道が広がっていた。
『………』
日が沈んでいく夕暮れ時。
実家から少し歩いた所にある、お気に入りの河川敷。
私はそこに座っていた。
『――
隣から声を掛けられる。
ゆるりと振り向くと――“あの人”と目が合った
見るだけで安心するような緩んだ笑顔は、淡く夕暮れに照らされている。
………。
ふと、その瞳に映っている自分が、少しだけ小さい事に気がついた。
『……?シャルウィちゃん?』
――これは夢だ。
とってもとっても大切な、前にあった……はずのこと。
ここで。
この夕暮れの河川敷の中で。
あの人と一緒に居たことがあるのは――たった、一度だけある。
私と、トレーナーさん。
あの輝かしい“三年間”のはじまりの……ほんの少し前の事。
あの時の夢の中に――私は、居た。
『……お兄さん』
『おや不満げ。どったのよ』
『……名前。スペって呼んで下さいって言ったじゃないですか』
『いやいや。命の恩人にゃあ、ちと味気ないじゃんか』
『味気あり過ぎるから言ってるんですぅ』
私の名前は、
そこから変なとこを切り取って――シャルウィちゃん。
知り合って間もなく、呼ばれるようになった変なあだ名。
いつの間にか、特別で大切な響きになっていたそれは――この時は、まだお母ちゃん達とは違う呼び方が耳慣れなくて。
でも、目一杯の親愛が込められているのは、何故だかわかりやすいほど伝わってきて。
表しづらい、擽ったい感情でぶすくれる私を、あの人は小さく笑っていた。
『……それで、なんですか』
『いやぁ、ここはほんと綺麗だねぇって。俺んとこはこんな場所ないから、余計にそう思ってさ』
『そうなんですか?』
小さな私は目を瞬かせる。
何故なら私にとって、ここは特別であったけれどありふれた場所であったから。
あの人はぼんやりと景色を眺める。
瞳の焦点はブレていて、私の知らないどこかと重ねているようにも見えた。
『都会だし?今住んでるのもよくある住宅街のボロアパートだし。実家は――……どうだったかな。まあ、俺的に新鮮だよ』
『でも、その代わりに他は充実しているんですよね?』
『そうだね。歩けばコンビニ走ればファミレス、ぐるりと回れば大抵揃って腹一杯の胸一杯で手一杯って感じかな』
『おぉ〜』
まだ見ぬ都会の響きに歓声を上げる。
ご飯も空気も美味しいし、自然豊かだけど――言ってしまえばそれ以外に乏しい田舎育ちな私には、実に刺激の強い話だった。
『………』
『………』
ふと、沈黙が広がる。
目の前には夕暮れに浮かぶ、大きなまん丸の夕日があった。その横には夕日よりも強く輝く金色の星も見える。
それしかない、見慣れた光景なのに――あの人と一緒なだけで、とても綺麗に見えたのを思い出した。
今でも思う。
どうしてか──いつもよりも光り輝いて見えた。
『明日かぁ……』
あの人はぼそりと呟いた。
その言葉に、小さな私はそうですね、と返した。
そう、私の中にある記憶が正しければ。
この小さな私は、明日――故郷の北海道を離れ、トレセン学園に向かう。大荷物を片手に“
本当ならドキドキな一人旅になる予定だった。
でも実際は――あの人と一緒の、ドキワクな二人旅で学園へと向かっていた。
あの人もトレセンに行かないといけなかったし、お母ちゃんも私の一人旅が心配だったんだろう。
特に示し合わせた訳でもなく、自然とそう決まった。
私自身、その事を殊更喜んだ記憶がある。仲良くなってきた“優しいお兄さん”と離れるのは正直寂しかったし。
そうと決まった日には、と。
お母ちゃんにこっそりトランプを買いに行って貰って。あとはミニ将棋にナゾナゾ集。シェア出来るお菓子もお願いして。
お気に入りのリュックにそれらをぎゅうぎゅうに詰め込んで、長い長い道行きも指折り数えて楽しみにしていた。
楽しかったなぁ……。
……結局見慣れない景色とあの人とのお喋りに夢中になってろくすっぽ使わなかったけど。
――でも。
『か、帰りたくねぇ……』
明日を楽しみにしている私とは違って、あの人はすごい憂鬱そうに項垂れていた。ため息は酷く重苦しくて、滲み出る負のオーラは――社会人前日とは到底思えない、数十年は働いたような貫禄を感じさせた。
『絶っ対、駿川さんに開口一番に正座させられる……正門で“貴公の首は柱に吊るされるのがお似合いだ”される……!』
『だっ、大丈夫ですって!確かに電話でもやけに声が低かったし――お会いできる日を心より楽しみにしてますねって言葉が耳から全然離れないですけど、大丈夫ですよ!』
『……入社直前、音信不通、捜索届一歩手前……』
『あっ、えーっとぉ。あ、あははー……』
『………』
『………』
かぁー、かぁー、とカラスの声。
『俺――お母ちゃんさんの子になる。一緒にニンジンとか育てるんだ』
『ダメですよ!?トレセンに行ったら、私のトレーナーさんになるって約束してくれたじゃないですか!』
『よろしくおねえちゃん』
『よりにもよって弟ポジです!?』
小さな私は、慌ててあの人の前にしゃがみ込んだ。
前髪の影、暗がりに同化するように死んでいる瞳と目が合った。
『私のトレーナーさんになってくれたら、いっっぱい恩返ししますから!だからここは頑張って怒られましょう?ね?私も付いて行ってあげますから。ね?』
『………』
『………』
――ついっ、と視線を反らされた。
『ちょっと』
『……とれぇなぁ?ばか言うでねぇ。おらぁチビん頃からここで畑やってるっぺよ。おっかぁの子だべ、シャルウィさ』
『急に訛らないでください!あとそれ秋田辺りでこっち関係ないです!』
『おらこんな村ぁいやだー、おらこんな村ぁいやだー』
『嫌なら一緒に行くんですよ!』
『なにやってんさ、あんた達……』
声を掛けられる。お母ちゃんだ。
顔を上げると、河川敷の上に見慣れた軽トラがあった。
帰り道に、ぎゃあぎゃあ騒ぐ私達を見つけたんだろう。のそのそとこちらに下ってきているお母ちゃんは呆れ顔だった。
小さな私は、調子外れに歌い続けるあの人を赤ベコみたいに揺らしながらお母ちゃんに助けを求めた。
『お兄さんが明日行きたくないって言うの』
『あー?まぁだそんな事言ってんの』
『なに言ってるだ、おっかぁ。おらぁ家業継いで立派な農家になるだぁ』
『はいはいそりゃありがたいねー。ほら立つ!』
『――むんっ!!』
『あっ、こら踏ん張るな!はぁ……スペ、手伝って』
『はーい』
もう帰る時間だ。
小さな私は、お母ちゃんと二人で、あの人を軽トラまで引き摺る。
少しだけむんむん抵抗していた偽物農家さんは、本物農家な私達には勝てないとわかったらしく――すぐにメソメソしだした。
『うぅ……帰りたくないぃ……駿川さんに会いたくないぃぃぃ……!』
『どんだけですか』
『俺、わかるんだ――あの手合いはガチで怒らせるとヤバいって。高級フレンチでもダメなのアレ。心こもってないとか言ってくるの』
『どんな偏見だよ……』
恐怖からか支離滅裂な事言いだしたあの人を宥めながら、車内に入れる。
観念したのか『くそぅ……俺は悪くない……世間が悪い世界が悪いついでに星の巡りも悪い……』とぶつぶつ現実逃避をし始めた。
そんなあの人に苦笑いを浮かべながら、私達も車に乗ると――お母ちゃんが静かに車を動かした。
夕暮れ色が写っている、山と畑と田んぼの中。
ぶるぶる震えるエンジンに揺られながら、見慣れた道がゆっくりと流れていく。
私達は色んな事を話した。
昨日の事、今日の事ーー明日の事。
これからの――私とあの人……トレーナーさんとの未来の事。
ウマ娘達の夢、トゥインクル・シリーズ、
そこへと手を引いてくれた、幸せの始まり。
――そう。
暖かな“夕暮れ”に見守られながら、あの人は……確か、こう聞いてきた。
『――
その問いかけに、小さな私は満面の笑みを浮かべて。
『日■一■■マ■になりたいです!』
………。
……あれ。
なんて、答えたんだっけ。私。
――『もしもし、スペ?ん?うん、お母ちゃんだけど』――
いつの間にか夕暮れはどこにも無くなって、見えるのは――見慣れた背中。
私じゃないウマ娘を連れて行く、“あの人”の背中だけ。
――『昼間っから電話なんてどうかした?そんな慌てて。なんか……あっ、そういえばそっちで“選抜レース”ってのをやるって。どう?良い結果は出せた?もしかしてもうトレーナーでも――』――
手の平に伝わる冷たい携帯の感覚。震える指で、すがるように電話した――お母ちゃん。
さっきまでと変わらない、
変わらないはずの、お母ちゃんの声。
なのに。
――『えっ?』――
――『何を言ってるの?こっちで会ったトレーナー?アンタと一緒にトレセンにって――そんな事ある訳ないじゃない。そんな怪しい奴はいなかったし、あの日は私が送って一人で……』――
ひどく、つめたい。
――『ちょっ、ちょっとどうしちゃったのスペ?ほんと大丈夫?そっちで嫌な事とかあった?もしそうならお母ちゃんに――』――
――
言葉にすれば短くて、口に出せばたった数秒なのに。
――私の何もかもが奪われたように感じて。
――『スペ?スペ聞いてるの?もしもし?もしも―――』
………
……
…
「……っ」
目を開ける。
見えるのは、薄暗がりの天井。無機質な灰色。
めくれた布団の隙間から入り込む冷たい空気を感じた。
……ああ。
「とれーなーさん」
――あの暖かな夕暮れはどこにもない。
目覚めは、とてつもないくらい最悪だった。
「………」
重い頭を支えながら身体を起こす。
するとすぐに視界に入るのは――足元に積み上がっている段ボールの山だ。
その中には、大好きなニンジンがいっぱい入ってる。お母ちゃんが定期的に送ってくれるものだ。
“いつか”は送られた端から無くなって困ったけど――“いま”は消費が追い付かなくて困っていた。
……処理、どうしようかな。
このままじゃあ部屋がニンジン倉庫になっちゃいそう。せめて腐っちゃう前になんとかしなきゃ。
皆に配るにしても限度があるし……。
「……あっ、食堂のおばちゃんに」
……いや、まだ初対面に近いから迷惑かな。
ほんとならたづなさんの罰で、食堂のお手伝いをトレーナーさんがやってたからすごく仲良かったんだけどなぁ……。
ああ、そうだ……お母ちゃんにもうあんまり送らなくてもいいよって言って。でも、電話の事があるしどうしよう。
――あの出来事以来、何度も電話してくれる。
心配してくれている自覚はあるけど、下手な事言ってそれこそ――
この学園にいられなくなっちゃったら。
そう思うと、毎度毎度誤魔化す事しか出来なかった。
「……ああ、もう」
ダメだな。ぼーっとしてると嫌な事ばっかり考えちゃう。
とりあえず顔でも洗おう。そう思って、ベッドに腰掛けると――隣にあるもう一つのベッドが目に入った。
少し開いたカーテンの隙間。
そこから覗く朝日に照らされたそこには、誰もいない。
日も昇っていない内に出たんだろう。
ベッドからは、肌に感じるほどの冷たさが伝わってくる。
丁寧に畳まれた布団と寝間着と制服だけがあって、ジャージとランニングシューズはどこにも見当たらなかった。
「スズカさん……は、また走りに行ってるのかな」
――
同室の憧れの人。
最近は――早朝に出かけに行ってふらりと学内に戻っているかと思えば、気がついたら居なくなってて夜には戻ってくる。
そんな、“いつか”の時よりも、ハードな毎日を送っている人だ。
心配ではあったけど、話す時は普段と変わった様子も無いし――『ちょっと遠出してるだけなの。気にしないで?』なんて、困った顔で言われてしまえば、こっちも困ってしまう。
まだ後輩で友達でしかない自分には出来る事はない。
――“いつか”の時のように半チームという間柄ではないし。
それにスズカさんの悪癖とも言えるランニング狂いは身に染みるほどわかっているつもりだった。
「……顔、洗お」
のそのそ洗面所まで歩いて、蛇口を捻る。
ジャバジャバ流れる水に、一瞬夕暮れ色が過って――すぐに手で汲んで顔に浴びせた。
濡れた顔をタオルで拭いていると、鏡に映る自分と目が合う。
「……ぁ」
寝癖まみれの髪。顔色の悪い表情。目元には隈があって、肌も微妙に荒れている。
口はまるで笑顔を忘れたように一直線。目も、最初から何もなかったように真っ暗で。
「ふふっ……似ても似つかないなぁ」
その顔がへらりと笑うのを見た後――私は、畳んでおいた制服を手に取った。
時期を思えば、ほんの数ヶ月前の事。
お母ちゃんとトレーナーさんの目の前でお披露目した“はず”の時と同じ物。
良くわかんない奇声をあげて、家に一つしかない一眼レフを奪い合いながら撮っている二人を見て笑っていた私は、いったいどこに行ってしまったんだろう。
――ドタバタと騒がしい寮の廊下、小鳥が鳴く朝の道。にぎやかな食堂、明るい学園。
教室に入ると挨拶してくれるクラスメイト。いつもの席、いつもの光景。
部屋から一歩出た日常は――“いつか”を綺麗になぞるように、暖かな雰囲気で。
一瞬、今の今までの全てが悪い“夢”だったんじゃないかと思っちゃうほど……いつも通り――――
「そーいえば。昨日さぁ、面白いのが見れたんだぁ」
「んー?なによ?」
「うちの栗東寮にスイープトウショウっていう中等の子がいんだけどぉ」
「ほん」
「その子が夜の学校に忍び込んでてさぁ。警備員さんに捕まって説教されてた」
「ヤンチャねぇ」
「だねぇ。『“理事長室にあるちょっとお高い焼酎”ってのが必要なの!アレが無いと……!』って泣きわめいてた」
「……なんで焼酎?」
「さぁ?魔法薬がどうこう言ってたけど、詳しくは知んない。私も逃げるのに必死で」
「……。そういえばなんでその事、あんた知ってんの」
「や。私も忍び込んでたからさぁ。ちょっちかっこいい気分になりたくて。月明かりの廊下とか、ばいぷすギャン上がりよ?」
「なにしてんのよ……」
「ねぇねぇ!聞いた聞いた?例の話!?」
「ああ、アレ?――学校中の花むしり取って不毛の地にした挙げ句それに飽き足らず近くの店の花買い占めて花占いしまくってるトウカイテイオーの話?ヤバいよね。私も見た時一瞬花むしりの妖怪かと思ったもん。いるか分からないけど」
「えっ、なにそれ知らない」
「ああ、違うか……。じゃあアレ?――最近、朝っぱらに駅前のそば屋に出没してるライスシャワーの事?あの子見たさに、って売れ行き上がってるらしいじゃん」
「それも知らない」
「えー?じゃあなによ。後は――近くの神社に自分の開運グッズを丸ごとお焚き上げに叩き込んで『抗議活動ですっ!』ってお天道様に騒ぎまくったフクキタル先輩しか知らないんだけど」
「…………」
「あっ……ごめん、当たった?」
「…………」
「あー……プリッツ食べる?」
「……ぐずっ。たべりゅ……」
耳に入ってくるクラスメイトの――何気ない話。
だけど――私にとっては何気ない話ではなかった。
こんな事、私が知る“三年間”には一度も無かった。それが耳に入る度に――やっぱり“いま”と“いつか”は違うんだって。
そう教えられている気分だった。胸の痛みとはすっかり友達だ。
席で荷物を纏めていると――友達のグラスちゃんとエルちゃんに声を掛けられる。その後ろでは、頬杖を突いて眠気眼なセイちゃんもひらひらと手を振っていた。
それを呆れ顔で眺めるキングちゃんは………まだ居ないけれど。
“いつか”も、“いま”も。ずっと側にいてくれる大好きな友達。
皆との――
それだけで、寂しい気持ちが少しだけ紛れるような気持ちだった。
でも。
――意識は、教室の隅に向けてしまっていた。
「ねぇー、リトルちゃん」
「なによ、ジャラちゃん」
どうしてもやめられなかった。
教室の隅っこ。
ぐでーんと机にもたれかかるジャラジャラさんと。
その横で――何故だか、寝ぼけてるウララちゃんの髪を整えている、“あの子”。
私のトレーナーさんの、“いま”の担当――モブリトルさん。
あの子を意識してしまうのは、苦しいだけだとわかっているのに。
自然と耳は、彼女達の方を向いてしまっていた。
「毎日ウララちゃんのお世話係えらいねー」
「……まぁ、私の?唯一?かろうじて?自尊心が傷つきづらい併走相手だったからね。いままでのお駄賃的な?キングヘイローが居ないのにほったらかすのもあれでしょ」
「ふんふん、いいこいいこ。リトルちゃんらしさが戻ってきたー」
「なんじゃそりゃ。……はい、おきゃくさまー。どんな髪型がよろしいですかー?」
「……んにゅ、とれーなーの、すきなやつ……」
「いや、居ないでしょあんた」
「無慈悲過ぎる」
リトルさんは、“いつか”の時は――距離が分からないヒトだった。
クラスメイトだし、仲良くしたかったけど――距離を取られてた。
たまに……特にレースの後とかに、背筋が凍るんじゃないかと思う勢いの視線を向けられた事がある。あの冷え冷えとした視線を思い出すに……たぶん、きっと、私の事はきらいだったと思う。
でも、たまに補習とかで一緒になると協力しあってさっさと終わらせようとしてくれた。
私が皆と喧嘩したりして、少し気まずくなったりしてたら――クシャクシャのスイーツ店のクーポン券を、机の中にどっさり詰め込んできたりとかしてくれた事もあった。
お礼を言うと『はぁー?私は気まずい空気でいられるのがムカつくだけなんですけど?アンタのためじゃねーし。札幌の時計台みたいな面しやがって、なめんなよばーか!』って威嚇された。……がっかり顔って言いたかったのかな?いや、がっかり顔がなんだかよくわかんないけど。
そんな感じで、仲良くしていたんだかなんだか。よくわかんなかった。
気難しいんだよー、って“いつか”のジャラジャラさんが言ってたっけ。
なんとなく、悪い子ではないのはわかっていた。
セイちゃんはよく絡んでたし、キングちゃんもたまに話していた。……私の比じゃないくらい尋常じゃないくらい威嚇されてたけど。前にマヤノちゃんが見てた外国の映画のチンピラみたいな難癖だったけど。
でも。不思議と、険悪……といった感じじゃなかったんだ。
グラスちゃんやエルちゃんと、それを見ながら話してたっけ。
――いつか、仲良くなれればいいね、って。友達としていつか遊びにとか行けたら、って。
いつも、教室の隅っこで。
ジャラジャラさんと話している以外は――かじりつくように教本やレース動画を見ていた……端から見てもとっても真面目な子。
友達になれれば、もっと楽しい毎日が送れるって。
そんなこんな思っている内に――
気がつけば。
――
「それにしても……最近、皆変だよねぇ。いつもと違うっていうかさ」
「まぁ、確かに。でもまあ、そんなもんでしょ。私だって、自分よりも成績が良い奴とすれ違う度に舌打ちしたくなる衝動が落ち着いてきたし」
「でもさぁ――ドトウちゃんもライスちゃんもずっと泣いてるし」
「……それはいつもの事じゃね?」
「……カフェさんは見えない誰かと話し込んでるし」
「いつもの事パート2」
「………デジタルちゃんはこそこそこっち見てる」
「オールウェイズそうじゃんアイツ」
「………」
「………」
「なんだ、トレセン学園は平常運転だったか」
「奇行種ばっか挙げてればそうなるわ」
……ともかく。
友達とは言えないけど、知り合いと言うには薄情に感じる。
――私や皆にとって、彼女はきっとそんなウマ娘。
あの子は私の事が嫌いだったかもしれないけど、私は決して嫌いじゃなかった。
でも。
――
あの日。行っちゃった二人の背中。
あの時の感情は――今もずっと、胸の中をかき乱している。
でも、問い詰める……のはなんか違うし。返して……と言うのも違う気がする。
全ては遠い“いつか”の夢のお話で。
こんなものを抱えている私がおかしくて。リトルさんが悪い訳じゃない。
あの子にトレーナーが出来たのは良い事で、トレーナーさんとも良いコンビになっていて――楽しげに活動している。“いつか”の時は、今みたいな笑顔なんて見た事が無かった。その事は嬉しい。
でも。
ああ……でも。
――
どうしても、嫌で。
私のやったトレーニング、私にかけてくれた言葉、私を撫でてくれた手の平、私が食べたトレーナーさんのご飯、私の笑顔私の部屋私の思い出私の全部私の私の私の私の私の私の――――――
私のトレーナーさんのはずなのに……!!
――そう、恨んでも。羨んでも。妬んでも。
結局――面と向かう、勇気は無くて。
あの人は一途だ。たった一人、担当しているウマ娘の為に全力を注いでくれる。だから、たとえ皆に平等に気安くても決して越えられない一線がある。
それが嬉しかったのに――今は、どうしようもなくこわい。
あの人の目に。
いつも緩んで優しかったお兄さんの瞳に。
――
この頭の中にある“夢”から、ほんとに覚めちゃう気がして。
……だから、こうして。
ひっそりとリトルさんの事を伺うことしか、私には出来なかった。
「変なの代表は会長でしょ。なんか能面みたいな顔してるし。……まぁ、下らないダジャレとかで悩んでそうだけど」
「はぁー????アレは私達が及びつかない苦悩をしてるだけだよ?会長がダジャレとか考える訳ないじゃん会長エアプか?」
「いやいやいや、いつも言ってるけど絶っ対ダジャレ好きだってばさ。頻度がおかしいよ頻度が」
「……ふぅ〜」
「なにそのしょうがねぇなぁ、みたいな溜め息」
「いーい?あれはね――『夫の浮気に気づいていながらも問い詰める事ができず自分に魅力が無かったせいじゃないかと思い悩み、ベッドを一緒にしているのにお互いに背を向けていて、もしこの背に抱きつけば気持ちが戻ってくれるんじゃないか、でももし拒絶されたらと思うと何も出来ず一人涙に濡れる人妻』のように繊細な――」
「長い長い長い。いや、そんなくっそめんどくさい昼ドラヒロインみた――」
――ぴこんっ。
聞き慣れた着信音が彼女の方から聞こえる。
UMAINEのメッセージ音。
「ん。トレーナーからだ」
その言葉に、反射的に振り向いてしまった。
視界に映る、何の気なしにスマホをいじるリトルさんが妬ましい。
……私が覚えているはずのIDは存在していなかったのを思い出して胸が苦しくなった。
トレセン学園への電車の中で、一緒にダウンロードして登録し合った記憶が確かにあるのに。
「なんてー?」
「んん?あー……『昼休みになったら迎えに来て』って。あの人今、トレーナー室でグロッキー状態なんだよね」
「なんでー?」
「曰く『メイクデビュー戦の為にレース場の下見に行ったら、湧いて出たたづなさんに誘拐されてお酒をたらふく飲む事になった辛い死ぬ吐く吐いた拭いた吐いた諦めた寝た』」
「えぇ……」
……そういえば、そんな事もあったなぁ。
メイクデビュー前。
出走者がまだだったけど、私が走るレース場は前もって発表されたからちょっと下見に行ってくるね、と出かけて行った――次の日に、たづなさんと朝帰りしたという、“いつか”の伝説だった。
……こういう話を聞く度に思ってしまう。
――やっぱりトレーナーさんなんだって。
リトルさんの話から聞こえてくる“トレーナーさん”は、ほんとに私のお兄さんとそっくりで。
それが嬉しくて……ひどく悲しい。
「というか、あの人一人で出歩けるんだ」
「まあ、通勤勢だし。後は地図とか分かりやすい目印があれば……って感じ。私も正直、良く今まで生活出来たなとは思うけど」
「トレセンでは未だに行方不明になるからねぇ」
「ゆうて、トレセンもでかいからしゃあない。個性個性」
「あれを個性と言える勇気。もうトレセン七不思議に登録されてるよあの人」
「芝」
――それはわかる。
トレーナーさんは「心配性だなぁ」と笑ってたけど、5分後に案の定消えて、しわしわピカチュウ顔でクリークさんに連行された時は、いっそ首輪でも付けようかと血迷った。
「でもあれだね」
「んー?」
「たづなさんって、リトルちゃんのトレーナーさんの事気に入ってるよね。良く話してるのを見かけるし」
「そう?」
「うん。私のトレーナーも言ってたよ。『いつもは一線は引いてるのに珍しい』って」
……言われてみれば。
“いつか”の時よりも距離が近い気もする。
擦れ違ったら挨拶はするし、トレーニング中に出会えば「お疲れ様です!」と労ってくれて、時間があるならウマ娘談義で盛り上がっていたし、ほんのちょっとならお目こぼしとかしてくれた。
――のは、“いつか”の事。
“いま”は、たづなさんからトレーナーさんに会いに行っているといえばそう見えるし、口調もどこか辛辣で声色も低いけど、でも機嫌が悪い感じじゃなくて、声を作ってないだけって印象にも映る。
……思えば、あの“伝説”もお酒は飲んでいなかったような……?
……どうなんだろう。
出会い方が違えば、そういう事があるのかな?私は最初からトレーナーさんとべったりだったから、“いつか”のたづなさんは遠慮していたとかかもしれない。
「初日に丸一日遅刻した大問題児だからってのもあるんだろうけど……確かに、トレーニングの補足とかよくしてくれるし、いつの間にかトレーナーさんの横にいたりする……」
「ほうほう」
「うーん……でもなぁ、指導はありがたいけど、トレーナーに色目使ってる気がすんだよなぁ。まぁ、婚期気にしてるヒトおばだからアレなのかもだけど」
「もー、聞かれたらたいへ―――」
―――悪寒が走った。
「「「「「……ッッ!?」」」」」
騒がしい空気が一転、教室中を包みこんだ冷たい戦慄。
全員の耳と尻尾が引き攣るように逆立った。
……振り向きたくない。
――教室の扉のところに誰かいる気配がする。
それでもこのままこうしている訳にもいかなくて、恐る恐る振り向くと―――
「………」
―――満面の笑みを浮かべるたづなさんがいた。
見たこともないような綺麗な微笑みを……完全にリトルさんの方に向けていた。
「あば、あばばばば」
リトルさんがよくわからない怯え方をしている中……たづなさんの手がゆっくりと上がると――ちょいちょい、と手招きをする
――クラスの総意は一致した。
「――ぐっ!?ちょっと、はなっ、離して!?」
「ごめんよリトル!でもごめん死にたくない!」「あんたが言った事だし、あんたが果たすべき責任でしょ!?」
近くの子達がリトルさんを羽交い締めにして扉の方へと引き摺って、私を含めた他の子は
最短距離を確保する為に机を引き摺った。
ごめんなさい、リトルさん。恨みじゃないよ。違うよ。他意はないんだよ。
「押さないでっ!あなた達にヒトの心はないの!?」
「いや、ウマ娘だし!」「そうだよ!ヒト娘じゃないもん私達!」
「求めてない!今、そういうの求めてないぃ!」
抵抗むなしく、びえびえ泣き出したリトルさんは、速攻で『無関係です』とウララちゃんと一緒にクラスに溶け込んだジャラジャラさんを見つけると声を上げた。
「ジャラちゃん!ジャラちゃんヘルプ!」
「ウララちゃん、別れの挨拶をしよ。次会う時は、あの子はヒト娘になるのよ……」「……うみゅ?」
「くっ……この卑怯者!増えるワカメちゃんの海で誓い合ったあの頃を忘れたというの!?」
「リトルちゃんだって私がそうなったらそうするでしょ」
「そうだけど!!」
――そうなんかい。とクラスの全員が思った気がした。
すぐにたづなさんの前に引っ立てられたリトルさんはブルブルと耳と尻尾を押さえた。
「ひっ、引き千切られる。耳と尻尾取られる!せっかくトレーナーが出来たのにジョブチェンジさせられるっ!」
「……あの人のウマ娘だからそんな事しませんよ」
たづなさんは笑顔のままで宥めるように、そっと肩に手を置いた。
その優しげな触れ方からは到底信じられないほどに――触れた箇所からしわくちゃになっていく。
「でも、そうですね。懲罰、という事で……付いてきて下さい。
「――ぴぃ!」
そのまま、リトルさんはずるずると引き摺られて行く。
廊下を歩いていた皆もそそくさと道を開ける中、リトルさんは、キッ!と――何故か、野次馬の中にいたマックイーンさんを睨みつけた。
「くそっ……!覚えてろよメジロマックイーン!」
「えっ……えっ!?私関係ありませんわよ!?」
「じゃがいもみてぇな名前しやがって!」
「やっぱり関係ないじゃありませんか!誰がメジロメイクイーンですかっ!」
なんかよくわかんない因縁をつけながらリトルさんは廊下の奥へと消えて行った。
嵐が過ぎ去ったクラスにはほっとした空気が流れる――きっと、今日は帰ってこないな、リトルさん。
リトルさん亡き後。
朝のホームルームもつつがなく終わり(連絡が行っていたようで、担任は気の毒そうにリトルさんの席を見つめていた)、一時限目が始まった。
数学。内容は、因数分解だ。
「………」
――すごい。
私、“三年間”の事は絶対に忘れる事はないと心の底から誓える。
だから――黒板に書かれている事に一切の見覚えがないのにびっくりした。
えっ、ほんとにすごい。何もわからない。
というか、“三年間”通じても一切残らなかったという事は、将来に必要ないのでは?ないでしょ。
「………」
とはいえ、板書は欠かさない。
“単独出走”に関しては、成績優良者という事も条件にある。少しでも頑張らないといけない。
「………」
そう、頑張らないと。
「………」
がんば……がんば……――
「……――ふぅ」
私はペンを置いた。
何気なく外を見ると――澄み渡るような青空に浮かぶキラキラと輝く太陽が見える。あの大きさを思えば、私がなんとちっぽけな事か。
「……うん」
――数学以外で差を付けよう。
そうしよう。現代文とかはまだ思い出せる箇所があったしうん。だいじょぶだいじょぶ。トレーナーさんも『シャルウィちゃんは最後で差せる子だから自信持って踏み込んで!』って言ってたもん。
自信持って踏み込みますトレーナーさん。
「………」
もはやお経のような授業の音を、聞いていると――段々と眠くなってくる。
……睡眠時間はむしろ“いつか”よりも長いけど、夢を良く見るせいかあまり眠ったように感じない事の方が多い。
そんな中で、暖かな太陽の日とお経が重なって……私の意識はどんどんと何処かへ進んでいく。
――不意に、花の香りがした。
――どんな花かは、思い出せないけど。
〜
〜〜
――思い出して。思い出して。
私達にしか出来ない。私達しか出来ないの。
忘れないで。忘れないで。
苦しいね。悲しいね。泣きたいね。
忘れたいね――でも、忘れないで。
それだけが―――私達のトレーナーを―――
〜〜
〜