セイウンスカイに写真を撮られてからそれなりに時が流れた。今の季節はまさしく。
「ハルウララ、お掃除も頑張りまーす!」
教室掃除をしていたらお手伝いを申し出てくれたウマ娘、ハルウララのようにうららかな春を迎えていた。トレセン学園もこの時期は新入生が多く、ウマ娘にとって栄光の称号であるクラシック三冠、トリプルティアラ等の最初の一つがあったりと学園中が盛り上がる時期である。
「それはいいんだけど、君トレーニングの予定入ってなかった?練習コースの使用許可申請に君のトレーナーの名前を見たんだけど」
「えっ?……ああーっ!!ど、どうしよう、キングちゃんとの並走トレーニング忘れてた!!」
「……おじさんがやっておくから、早くトレーニングに行きなさい。レース頑張ってね」
「うん!ウララ、頑張るから応援しててね!ありがとう、おじさーん!」
掃除道具を受け取るとハルウララは慌てて廊下を駆け出して行った。廊下は走らないように、って言うのはちょっと野暮かな。トレーニングに間に合うといいけど。苦笑しつつハルウララの持っていた掃除道具を片付けていると背後に気配が。
「こんにちはー。お・じ・さ・ん?私と同い年くらいに見えるのに実はすごく年上だったり?」
「一応まだ20なりたてだってば……」
ひょっこりと表れて空いている机に腰掛けたのはセイウンスカイ。例の写真で未だにボクを脅すのんびりさぼりウマ娘だ。
「あれ、それなのにおじさんって名乗るんだ」
「お兄さんっていうよりは親しみ深いでしょ。後作業服着てるとちょっと老けて見えるとはよく言われるから、おじさんって呼ばれても違和感がないんだよ。悲しいことにね」
「悲しいですねぇ。では、そんなおじさんの意図を汲ないセイちゃんは今後もお兄さんと呼んであげましょう。こんなに可愛いウマ娘からのお兄さん呼び、非常にレアですよー。おにーさんっ」
「知り合いのトレーナーが担当ウマ娘にお兄さま呼びされてるから珍しくはないかな」
「いやいやー、それはそのトレーナーさんが呼ばれているだけでありまして、自分が呼ばれるのとは別ですよ。実際お兄さん呼びされた気分はどうですか?」
「こんな手がかかる妹がいるなんてセイウンスカイのお兄さんは大変だなー」
「うわっ、辛辣!女の子に手をかけられない男はモテませんよ、お兄さん」
別にモテたいわけじゃないので気にしていませんが。
「で。今日は何かな、セイウンスカイ」
「何かなー、じゃありませんよ。セイちゃんとの約束、もう忘れちゃったんですか?私は写真を誰にも見せない。あなたは例の倉庫の窓を開けておくって約束じゃないですか」
「確かにそういう約束だけど。鍵閉まってた?」
「閉まってましたとも!お兄さん何やってるんですかっ。写真、バラされたいので?」
「そうは言われても、トレセン学園に何人用務員がいると思ってるんだ。ボクはなるべく開けるようにしてるけど他の職員が閉めることだってあるよ」
「うーっ……じゃあ、鍵!合鍵を持ってるって言ってましたよね!」
「さすがにこれを渡したら鍵の管理問題でたづなさんにしこたま怒られるんですが。そして反省として地獄のトレーニングコースランニング走らされるんですが」
「えっ、なんですかそれ」
「芝コースとダートコースを交互に走らされる合計6kmくらいのランニングだよ。硬い芝を走り慣れてきた頃に足を取られる柔らかいダートにチェンジさせられ、その逆もまたしかり。走り終わる頃には体力もすっからかん、スタミナと根性はつくけど翌日筋肉痛と評判でね……」
「うっひゃー……ウマ娘でもキツそうだよ。大半のウマ娘はダートが走れてもレースできるってレベルじゃないし。噂のオグリキャップ先輩なら余裕だろうけど、ウマ娘でもない人間じゃキツイでしょ」
「たづなさんはいけるみたいだけど」
「嘘でしょ!?」
「そんなの走り切れるわけがないって言った新人教師の前で普通に走り抜いてすごく驚いたのを覚えてる。最後は転びかけてて焦ったけども、これで文句はありませんね?って笑ってた」
「あはは……流石たづなさんだね」
人を手玉に取って笑うことが多いセイウンスカイが苦笑いしていた。トレセン学園七不思議を挙げるとすれば間違いなくたづなさんが入ると思われる。それくらいあの人の身体能力は謎が多い。
「……はっ!ちょっとちょっとお兄さん!結局倉庫の鍵はどうするのさ!」
「ちっ、流せたと思ったのに……」
「い ま な ん と ?ウマ娘の聴力は凄いんですから小声で悪口言っても聞こえてますよ!」
(ちっ、これだからウマ娘は……)
「心の中で言ってもセイちゃんの目は誤魔化せないですよー?」
ボクのストレスはどこに吐き出せばいいんですか。
「とにかく。少なくとも今はここの掃除を終わらせてからじゃないと動けないから待ってよ」
「はぁーっ……しょうがないなぁ。ほら、それ貸してよ」
ロッカーにしまいかけていたハルウララが使っていた掃除道具を取ると、掃除を始めた。
「さっさと終わらせてくれないとセイちゃんのお昼寝タイムが減っちゃうんだから。ほらほら、テキパキと箒を動かした動かした」
尻尾を揺らしながらセイウンスカイは掃除を始めた。さぼりを見逃せ、でないと写真をばらまくぞ、とか言って脅してでもさぼろうとするわりにはこういうところは真面目だな。だけど。
「……手伝わなくていいから、廊下でじっとしててくれ」
「ええーっ!?せっかく私が親切心で手伝ってくれてるのにその言い方はなんですか!あ、もしかして私にもトレーニングに行けと?酷い、横暴だーっ!」
「それもあるけど言ったところでどうせさぼるだろ。ボクが言いたいのはこっち」
腰をポンポン、と叩く。なんのこっちゃとムっとしていたセイウンスカイだったが、それが尻尾を指していることだと気づいた。
「セイウンスカイ、君って今生え変わりの時期だろ。尻尾の毛が割と抜けてるぞ」
ほら、歩いたところに細かい毛が落ちてるじゃないか。そんなウマ娘に掃除されても掃除量が増えるだけだから休んでいてくれ。既に散らばっているそれを指でつまみ上げて見せようとしたら。
「バ、バ、バババっ、バカァーーーッ!!!」
大声で怒鳴られた。どうやら怒らせてしまったらしい。
……といったことを知り合いのトレーナーに酒の席、もとい夕食の時に話すことにした。近場で見つけた安くて美味しい天ぷら屋がある、と言えばあっさりついてきた。ちょろくないか。
「あの、それは当然かと……」
「いやいや。そうは言っても生え変わり程度を指摘してなんであそこまで怒るのかわからない」
「怒って当然なんですよ、本当は。長い間トレセン学園の用務員やっているのであれば気付くべきではないかと」
「あー……苦手なウマ娘の何に気付けと?」
「やっぱりそういうところですよ、用務員さん……」
目の前に置かれた天ぷらをもしゃもしゃとかじりながら同席している知り合いのトレーナーに愚痴る。シンプルな黒ベストにボブカット風の髪型な女性トレーナー、桐生院葵。実は後頭部に小さいポニーテールがあるためウマ娘になりたかったのかとからかったことがある。
なお、それを友達になりたいサインだと勘違いされてしまって以来一人の友達として扱われている。色々と大丈夫なんだろうか、このお嬢様。
「その、あんまりこういうことは言いたくないのですが。ウマ娘にとって季節の節目に訪れる毛の生え変わりというのは女の子にとって生理みたいなものです。桐生院家の教えが記されたトレーナー白書にもその時期のウマ娘の扱いには注意が必要と書かれていますよ」
「ほえー……それは知らなかった。トレーナー白書ってそんなこと書いてあるんだな」
「書かれているんですよ。用務員さんも教本でご存じだと思っていたのですが」
「ボクの分はうっかり捨てちゃったから最近は読んでない」
「え、ええええ!!??す、捨てちゃったんですか!?」
「中学卒業直後に水をこぼしてうっかりね。それで親にしこたま怒られて家出した」
何やってるんですか、と呆れながら葵も天ぷらを食べる。ニンジンの天ぷらを美味しそうに食べる彼女はやっぱりウマ娘では。でも耳がちゃんとあるな。
「それで途方に暮れてたら地方のトレセン学園の人に見つかっちゃって。家に帰れない事情を話したら「理解ッ!ならば我が地方トレセン学園で働くといい!」ってことで雇われて今に至る」
「その喋り方、どう見てもうちの理事長の親戚ですね」
「中央に来た時に理事長の笑い声聞いて「あ、親戚だな」って察した」
ボクらの脳裏に浮かぶのは「理事長ッ!」と達筆で記された扇子を広げる我が中央トレセン学園の小さな理事長。権限と身長が比例してないと言うと怒られるな。「歓迎ッ!ようこそ、我がトレセン学園へ!」って言った感じに喋るのと豪快に笑うのが特徴であった。
「しかしどうしようかなぁ。休憩する時にいずれ出くわすだろうし、その時根に持たれてたら困る。お得意のトレーナー白書でどうにかならないかな、葵さん」
「そうですね……普段の会話の中で素直に謝罪する、何かお詫びの品を渡すのが定番なのですが、生え変わりに触れること自体が関係にヒビを入れやすいので話題にしないことが最良ですね」
「役に立たない!じゃあ、担当ウマ娘と似たようなことはなかったのか?」
「ミークは素直な子ですから、似たような場面を経験したことがありません。今のところ意見が食い違ったことはありませんしトレーニングも順調に進んでいますよ」
なんだろう。普段は頼りになる学級委員長がここぞという場面で役に立たないのを目にしている気分だ。トレセン学園の学級委員長なら何を聞いてもバクシンでどうにかしてるが。
「……まあ、とりあえず素直に甘いものでも買っていくよ」
「でしたらニンジンを使ったものがいい、とトレーナー白書にはありますね」
「ニンジン嫌いだからヤダ」
「なんですかそのワガママは!?」
それからギャーギャーワーワーと騒ぎながら口喧嘩して、隣の席にいたウマ娘に「ちょっと!朝までナイトフィーバーするのなら外で……マ?飲んでない?素面でバカやるんじゃないの!」と叱られるまで続いた……いや、君はトレセン学園の生徒だろ。君こそこんな時間に何やってるんだ?
翌日。用務員であるボクの仕事はトレセン学園でもかなり早い段階から始まる。
学園を見回って職員や早朝練習を行っているウマ娘と挨拶しつつ、目的の人物を見つけた。トレセン学園屈指の実力があると言っても過言ではない職員、トレセン学園食堂スタッフ。ウマ娘は超人的な身体能力故に食事量が膨大であるため仕事量はかなり多いのだ。
そんなスタッフにボクはあるものを頼んでいた。昼休憩の時間に完成したブツを受け取りに行くと、頼んだスタッフがクスクス笑いながら出てきた。ボクが注文しちゃまずいか?
ブツを受け取って例の場所、倉庫へと向かう。倉庫に入る前に一応ノックしてみる。返事はない。
「セイウンスカイー?いるかな?ボクだ、用務員だ」
返事はなかった。
「昨日のことは本当に悪かった。謝罪の品も持ってきたんだが」
……返事はなかった。ドアノブに手をかけるとすんなり回る。鍵はかかっていなかった。まさか、本当に不審者が来たのか?警戒しながら倉庫に入って周囲を見渡す。
ふむ……どうやら杞憂だったようだ。
「すぅ……すぅー……」
部屋の隅にセイウンスカイはちゃんといた。もっとも、折りたたみ椅子に腰かけてぐっすりと眠っているが。道理で返事が返ってこないわけだ。しかしどうしたものやら。
腕組みして考えること数十秒。ピコン、と頭の上で電球が輝いた気がした。
セイウンスカイの頭と同じくらいの位置にある棚に箱から出したブツを置く。ピクン、とウマ耳が動いた。気づいた気づいた。少しだけニヤニヤしながら観察していると耳だけでなく鼻もヒクヒクしていて面白いように反応していた。流石食堂スタッフ、スイーツを作らせても一級だな。
このまま放置して様子を見続けるのもいいがそれだと昼休憩が終わってしまう。仕方ない、彼女を起こすとしよう。ただ……ちょっぴり意地悪してもバチは当たらないか。
「セイウンスカイー、起きてくれー」
「すぅー……すぅー……」
「起きないとこのキャロットパイは噂のスペシャルウィークのお腹に収まる」
「わぁぁぁっ!それはダメだってばぁ!!」
飛び起きた。やっぱり寝たふりしてたなこいつ!
「そりゃあ寝たふりしますとも!人がぐっすり眠っていたら突然入ってきたのはあなたですよ!?」
「……それは……まあ、ボクが悪かった」
「しかも目の前でごちそうを用意するとか!しかもそれを食べさせない発言とかいじめですか!?」
「謝罪だけど」
「嘘をつくなーっ!こんな意地悪は謝罪とは言 い ま せ ん !」
耳も尻尾もピーンと立ててお怒り状態のセイウンスカイ。どうどう、と落ち着かせたセイウンスカイはほんの少し頭を抱えてから、頬を叩いて大きく深呼吸を一度、二度、三度。それを済ませると顔を整えてボクに向き直った。
ただし顔は相変わらずムッとしている。
「……よし。落ち着きましたし、何か話があるのなら聞きますよ、お兄さん?」
「……ああ。昨日は毛の生え変わりに軽率に触れてすまなかった。地方ではその辺気にするウマ娘が全然いなかったからボクの意識のズレが原因だ」
「ん、素直に謝るのならよろしい」
そういうとセイウンスカイはいつものように笑った。良かった、なんとかなった。せっかくの休憩所でギスギスしてたら休めないから困るし。
「でも、地方のウマ娘ってそんなに気にしないの?」
「割と気にしない傾向があると思うが。ここに来る途中で出会ったスペシャルウィークに聞いたら、そういう時は外掃除に回したりとか普通に配慮されたとか言ってたな」
「あれ、そうなんだ……セイちゃんも生え変わりを意識し始めたのは最近だし、やっぱり思春期なのかな。なんかごめんね、怒ったことが申し訳なくなってきた」
「別にいいよ。ところでさ、セイウンスカイ。一つ言いたいことがあるんだけど」
「なにかな?」
そのブンブン振ってる尻尾とピコピコ揺れてる耳はどうしたんだ。それを聞こうとしたら。
ぐぅー、と。セイウンスカイのお腹がなった。
セイウンスカイの笑みが歪んだ。白い肌がほんのり赤くなった。とりあえずキャロットパイを一切れセイウンスカイの口にねじ込む。
「むぐうっ!?……むぐ、むぐ……!」
「ウマい?」
「ゴクンっ……お、美味しい、です」
くぅ、とお腹がなる。
「……全部、食べよっか。ほら、口開けて」
「い、いいですから!自分で全部食べますから!」
そういうとキャロットパイを奪い、ガツガツとかなりのスピードで食べ進め始めた。
この時間は昼飯の時間なのにどうしてこんなところにいるのか気になってたけど、やっぱりご飯食べてなかったのか。
「しかしあれだな。セイウンスカイもお腹空くんだな」
「う、うるさいなぁ。そりゃあセイちゃんだってウマ娘ですから、それなりに食べますとも。ましてやこんな美味しそうな代物を用意されたら我慢できませんって」
「……あっ。だから尻尾と耳があんなに動いてたと」
「嘘っ!?そんなに私の尻尾と耳動いてた!?」
「うん」
くぁー、恥ずかしいー!といっても悶絶しつつもキャロットパイを食べ進める手は止まらない。いや、少し速度上がってるな。
「ボク、はじめてセイウンスカイのことかわいいと思ったかも。いつもの休憩場所に綺麗なウマ娘が一人いて、話し相手にもなってくれる。とか少し幸せなのかもなあ」
ボソリ、と。素直な気持ちを口にした。が、セイウンスカイの反応がない。
「セイウンスカイ?」
一瞬。ほんの一瞬だけ、セイウンスカイが硬直していた。そして再起動すると同時に――ほんのり赤い顔が夕暮れみたいに赤く染まった。
「あっ、照れた!?」
「て、照れてないっ!こ、これは、そう!キャロットパイの熱さが急に回ってきただけだから!!」
「スマホ、スマホ……くそっ、こんな時に限って充電中だった!照れるセイウンスカイとか普通に弱味になりそうなのに!!」
「お兄さん肝心なところで最低だよ、もーっ!!」
ポカポカ、と叩いてくるのは典型的な照れ隠しだったけれど。その拳は子供が親に肩たたきをするかのように優しい戯れの拳で。これはちょっといいものが見られたかな、なんて思わず笑ってしまった。
「ま、それはそれとしてこれから午後のトレーニングをさぼるセイちゃんなのでした」
「君は本当に変わらないなぁ……少しはトレーニング頑張ってこいよ」
「お気の毒ですがその気持ちはこのキャロットパイと一緒にいただいちゃいました。あーむっ。うーん、深みのある甘みと熱々とろとろのニンジンがたまらない!」
「……はぁ。やっぱりセイウンスカイのこと苦手かも」
「おや、何か言いました?キャロットパイ食べたかったり?」
「君のことが苦手だ、って言ったの。後キャロットパイというかそもそもニンジンは嫌いだ」
「うわぉ、大人かつトレセン学園の職員なのにニンジン苦手ってどうなんですかね……あっ。思わぬ拍子に新たな弱みをゲット!?これはセイちゃんラッキーです!」
藪蛇だった。チクショウ、これだからセイウンスカイは!
・トレセン学園食堂特製キャロットパイ
ニンジンの野菜であるがゆえにほのかに生じる苦味を感じさせないようにニンジン、調理法、全てを厳選しつつパイの中にぎっしり詰め込んだ渾身の一品。
その匂いをかいだスペシャルウィークが一瞬で絶好調になるも「あげません!」されて一瞬で絶不調に落ちるくらいにウマ娘にとってはごちそう。
調理の手間がかかるため、食堂では裏メニューとなっておりウマ娘以外しか注文できない。
故に、そんな代物をニンジン嫌いの用務員が誰に食べさせたのか現在トレセン学園職員中で賭けが始まっているそうな。
本命はたづなさん、対抗は理事長、大穴は桐生院さんだそうです。